22/03/12 17:17:32.67 .net
近世の出版物の刷数などたかがしれています
書物を所蔵・閲覧できたのは一部の知識層のみです
近世以前では、寺院化していた大きな神社以外、決まった呼称はなかったようです
また、祭神についてもそれぞれで勝手に呼んでいたものがほとんどでした
それは『阿波志』においても、各社・祭神について複数の記載があることからも明かでしょう
埴生女屋神社の場合、地元では「上一宮」などと呼んでいたものを
明治初年の神仏分離令から始まる神社統制策の中で神社名の固定化の流れがあり、
その際に『阿波志』の記載によって神社名を決めたものと解するべきでしょう