22/01/21 17:47:15.58 .net
総括としては阿波の神社伝承や由緒は全く信用できない。
この一言に尽きる。論者の曲解は仕方なしとしても神社がこれでは話にならん。
詳しく調べたら全国的にあった事かも知れないが
神社伝承学を確立した原田常治先生も阿波のこの状況には舌を巻くだろう。
延喜式内社 大御和神社
-由緒-
延喜式内小社で府中の宮と親しまれている。
王朝時代国司政庁が此の地におかれ阿波国古代 の祭政の中枢となったが、その国府の鎮守として、
国分寺と共に、累代国司の崇敬が厚かった社である。
創立の事情はよくわからないが、おそらくは国司 が大和の大神神社の分霊を祀ったものであろう。
本社はまた国璽の印及び国庫の鑰を守護せられし 神徳により印鑰大明神と称したと伝えられる。
-境内張り紙より-
まず、この由緒は、過去に存在した延喜式内社 大御和神社について述べているのか
明治3年から大御和神社をやっている当社(旧・熊野神社)について述べているのか?
前者ならこの説明でも間違いではないが、累代国司の崇敬が厚かった社はこの社ではない。
後者なら創立の事情は明治3年に祭神奉遷であり、明確にわかっているはずである。
どのみち、嘘にまみれた糞神社である事は確実で、守る会の人たちがこれを承知していないので
あれば気の毒で仕方ない。