信長の正室濃姫・まむしの娘の謎 4at HISTORY
信長の正室濃姫・まむしの娘の謎 4 - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
21/10/17 21:11:06.42 .net
1535年天文四年 生まれる
1549天文18年3.23 信長と結婚 14歳
1553天文22年 信長と道三会見 18歳
1556年弘治2年4月 道三死去 21歳
1557年 道三絵画奉納 22歳
1560年永禄3年 津島花火祭り信長と鑑賞 25歳
1568年永禄11年 滋賀、成菩提院で出産 33歳
1569年永禄12年7月 壺事件 34歳
1576年天正4年 織田信忠養子に 41歳
1583年天正11年 安土殿 分限帳 50歳
慶長17年 養華院崩御 78歳

3:日本@名無史さん
21/10/17 21:29:02.19 .net
信長は三郎、織田家の嫡男の名前は三郎。
九郎は美濃斎藤家の嫡男の名前。
信忠は勘九郎

4:日本@名無史さん
21/10/18 01:40:44.50 .net
道三の娘で信長に嫁いだ以外不明

5:日本@名無史さん
21/10/18 18:36:59.84 .net
濃姫は秀吉の天下取りを指を咥えて見ていたのだろうか。

6:日本@名無史さん
21/10/24 09:16:13.79 .net
信長の正室濃姫・まむしの娘の謎 3
スレリンク(history板)

7:日本@名無史さん
21/10/24 09:18:10.36 .net
明智光秀との交流はなかったのだろうか?
TVドラマでは明智光秀と親戚という設定もあるが

8:日本@名無史さん
21/10/29 09:27:50.30 .net
細川家の文書だったかな
光秀が織田家から信長室の縁で高額な年俸でスカウトされていて悩んでいるというのがあってそれが事実なら血縁者説はありかも
斎藤家に仕えていたからその縁でスカウトされただけかもしれないけど

9:日本@名無史さん
21/10/29 09:47:32.21 .net
そういう文書はあまり学者は話題にしないね
変な偽書は大河の原作にするのに

10:日本@名無史さん
21/10/29 19:56:40.85 .net
帰蝶様の紅白の司会!今年は紅白見るぞ!あの美しい豪華絢爛な
打掛姿で出て来て下さい。

11:日本@名無史さん
21/11/01 12:28:09.34 .net
何着も着るからね楽しみだ

12:日本@名無史さん
21/11/01 19:27:21.85 .net
次から新スレ大河板に立てたら?
何年後か知らないけど

13:日本@名無史さん
21/11/02 10:25:33.94 .net
麒麟の帰蝶良かったね
ゲストに信長は来ないだろうけどww

14:日本@名無史さん
21/11/03 23:23:41.04 .net
審査員はダメかな?

15:日本@名無史さん
21/11/04 13:37:36.14 .net
Twitterで回ってきたけど昨日の信玄イベントで
正室は複数いたや(茶々や竜子も正室なんだとか)
正室がもう1人の正室指名できたとか(?)
自信満々で話してた専門家がいたそう
また生駒の方は正室とか言い出す人もでるんじゃないの…( ̄▽ ̄;)

16:日本@名無史さん
21/11/04 14:37:06.08 .net
むしろ濃姫厨がキーッとなって騒ぎ出しそう
てかそれを望んでる?>>15

17:日本@名無史さん
21/11/04 15:52:38.48 .net
>>15
正室じゃなくて妻だと思うけれどね、本当に専門家?

18:日本@名無史さん
21/11/04 17:29:34.21 .net
>>17
黒田何とかって人
信玄の妻女についての講演でのことで
三条夫人は武田家中で発言権がかなり
あったから勝頼に信の字がつかなかったり
義信死後の跡目決定まで時間がかかったの
ではないか?みたいなことも言ってたらしい

19:日本@名無史さん
21/11/04 18:49:02.65 .net
まさにそれあなたの感想ですよねw
だね

20:日本@名無史さん
21/11/04 20:07:23.40 .net
>>18
時間かかったのって義信をあーいう形で
なくしているから三条の方や公家たちに
配慮してたんじゃなくて?
急に三条の方持ち上げ発言とか気持ち悪いね
真田丸の考証組、本当になんか変だよね

21:日本@名無史さん
21/11/04 20:14:04.59 .net
だね
じゃねーよ
間違ってると思うなら反論すればいいのに
感想ですよねは敗北宣言

22:日本@名無史さん
21/11/04 21:10:53.16 .net
三条夫人が政務にそこまで口出しをしてたら
軍鑑には載るんじゃないの?
濃姫と同じであげてみたりさげてみたり
極端すぎる

23:日本@名無史さん
21/11/04 22:25:20.22 .net
だね
学者の妄想

24:日本@名無史さん
21/11/04 22:35:21.35 .net
三条のかたは美貌で気配りする優しい方と一級資料に明確に記録された、珍しい正室なのに
美人と記録されるのはめずらしくないが性格もいいなんて国宝もんでしょ
大河ドラマの影響かね
長野の新田次郎と同郷という理由で、勝頼うんだ神社の神主の
側室を贔屓の引き倒し
勝手に名前まで付けて、いれこんだ
ついでに正室の三条はブスだのえばってる、だの空想で創作されてしまった
武功夜話とおなじたぐいの被害者

25:日本@名無史さん
21/11/05 00:45:37.08 .net
やめてやれ
美貌も性格も一級資料に記録されていない濃姫について大河ドラマの影響で空想してる人に刺さるw

26:日本@名無史さん
21/11/05 00:56:56.67 .net
「生得悪質御人也」とかブスだの言われてる築山殿も
今川侍にコメを取り上げられた三河衆にうらまれてしまっただけだからあんがい美人で性格良かったかもよ
ブスだったら長男ができるわけもない

27:日本@名無史さん
21/11/05 01:29:10.88 .net
ブスだって、長男産むだろうw

28:日本@名無史さん
21/11/05 01:35:35.78 .net
築山殿がどうかは知らんけど相手が正室なら夫も容姿は度外視でお家の為に頑張るのではw
側室は自分で好みの美人を選ぶだろうけどな

29:日本@名無史さん
21/11/05 01:57:15.65 .net
>>20
紙が高価な時代にそれでなくても生活が苦しい はずの真田信繁の流刑生活で嫁が障子を指で
ブスブスと穴あける事すらまともに考証しない
けど武田と北条語れる俺らはかっこいいという
思考の持ち主だからな…
取り巻きついてるからタチ悪い

30:日本@名無史さん
21/11/05 07:53:19.05 .net
築山殿は誹謗中傷の部分も多そう
家康は最後は人質として過ごした静岡に住んでるしね

31:日本@名無史さん
21/11/05 12:33:47.21 .net
武田研究の最前線というわりに奥向きに
ついては今さらな感じをうけた
三条が油川を次の正室に指名したのでは?
発言を聞いてダメだこりゃと
真田丸の女たちがおかしいのは三谷だけが
原因ではないとわかった点は評価したい

32:日本@名無史さん
21/11/05 13:19:06.95 .net
細川家の家記の「綿考輯録」や「永源師檀紀年録」には濃姫が義龍の5女で道三が孫を養女にして信長に嫁がせたとあり「明智軍記」にも同様のことが書いてある
一般的には義龍と道三の誤植と解釈され真剣に考察されることはないがどうなんだろう
孫を養女にして政略結婚に使うことは珍しくはないが義龍の娘となると年齢的に整合性がとれない
だがもしそれが事実なら(それぞれの誕生年が通説と異なっていたらあり得るか?)龍興と姉弟となり仮に濃姫が離縁していたら龍興に庇護され行動も共にしたかもしれない
そうなると濃姫終焉の地は美濃ではないのかもな
あと光秀の妻が斎藤源太の娘ともある
つまり信長室家の縁とは光秀と濃姫の血縁ではなく妻を介しての姻戚繋がりとなるようだ
この斎藤源太がどの程度道三に近い存在か不明だが光秀は道三に仕えており妻は道三に近い血縁者だったのではなかろうか
そうなるとガラシャの生母の妻木氏は後妻となる

三条殿は信玄喪主による立派な葬儀の様子や菊と桐の紋のある墓からも武田家から生前の地位や名誉を認められ手厚く扱われていたことがわかる
それが全て

33:日本@名無史さん
21/11/05 15:11:32.04 .net
馬場殿と混同しているんじゃない?

34:日本@名無史さん
21/11/05 15:48:15.21 .net
なんか一人で盛り上がってるようだけど仮定が多すぎてついていけん
ちょっと落ち着けよ

35:日本@名無史さん
21/11/05 17:15:24.19 .net
歴史って史料が事実だと仮定して〜と推測していくものじゃん

36:日本@名無史さん
21/11/05 18:35:15.03 .net
>>32
馬場殿だとすると整合性取れるな
多分細川家では最初は「信長正室は義龍の娘」とだけ伝わっていたのだろう
後々公記などと辻褄合わせるために孫を養女にとしたんだろうな

37:日本@名無史さん
21/11/05 18:37:54.84 .net
>>30
肖像画を見る限りは嫋やかな綺麗な人だけれどね。

38:日本@名無史さん
21/11/05 20:40:12.41 .net
亀姫が生きて怖いんだぜ

39:日本@名無史さん
21/11/06 08:35:05.83 .net
いわく付きなのに築山殿の墓は廟付きの位牌所もある立派なものだぞ
旭殿の墓も家康がわざわざ徳川で改葬して将軍家で法要も行ってる
美醜や夫婦仲は関係ない

40:日本@名無史さん
21/11/06 11:44:08.35 .net
>>31
・正室側室呼びは江戸期以降からだからこれからは正妻、別妻、妾呼びでいきたい
・妾や伽女までひっくるめて妻扱い、だから一夫多妻
・正妻は奥向きの管理全般をまかされていて寝所の采配も正妻権限
・正妻は複数いてもおかしくない、側室も公認されている妻だから正妻扱いもあり
・御台所については発言なし
シンポへ行った友人に聞いたのを(三条夫人以外の部分)ざっくりまとめてみたけどかなり乱暴な見方だよね

41:日本@名無史さん
21/11/06 13:56:29.41 .net
正妻については話して御台所については話さないなんておかしすぎるんですがwww
普通に御台所や御台でいいじゃん

42:日本@名無史さん
21/11/06 14:11:07.60 .net
>>36
壺事件の時の信長本妻が馬場殿ならその兄弟姉妹は龍興の兄弟姉妹になるがそんなにわらわらいない
姑は馬場殿の生母になるが義龍の側室のために信長がわざわざ挨拶に出向くとは思えん

43:日本@名無史さん
21/11/06 16:06:20.66 .net
>>40
史学会で認められての発言なの?

44:日本@名無史さん
21/11/06 17:34:30.66 .net
>>40
特におかしなことは言ってないように思えるけど
何かこのスレ民的に都合悪いの?

45:日本@名無史さん
21/11/06 18:01:12.17 .net
全て妻とするあたりは違うんじゃね
確かに妻の定義には当てはまるかもしれんが
戦国時代あたりになるとあくまで便宜利用で
しかないだろ
つまみ食いまで妻になるのは江戸以降だしな

46:日本@名無史さん
21/11/06 18:39:11.99 .net
曲直瀬が残した医学書によれば子供は身分が
低い女に産ませるのが普通で子供取り上げて
生母は追い出すんだから全て妻は暴論に近い
印象を受けたかな
正妻2人説も武家ではもめるからないとおも
政略であっても離縁するなりしてキレイにしてから迎える事例はあっても正妻いますがあなたの
娘も正妻として迎えますなんて事例みたことない

47:日本@名無史さん
21/11/06 19:34:18.94 .net
正妻2人説というと豊臣秀次を思い出す
武家というより公家かもしれないが

48:日本@名無史さん
21/11/06 20:34:40.84 .net
浅井長政も、正室(六角の家来の娘)を離縁してからお市を迎えたんだよな
大名の結婚は、だれと同盟するかという戦略路線にかかわるからな

49:日本@名無史さん
21/11/06 20:47:19.51 .net
黒田長政は蜂須賀の娘を離縁して家康の養女と婚姻
以後黒田蜂須賀は以後絶縁

50:日本@名無史さん
21/11/06 20:49:55.77 .net
生駒の方は正室

51:日本@名無史さん
21/11/06 22:01:43.44 .net
まさか妾は「つま」と読んでいたから
愛妾も妻でいいなんていう単純思考なんじゃ

52:日本@名無史さん
21/11/06 22:55:15.67 .net
発言者が発言者だからな…
北条だけやってればいいものを

53:日本@名無史さん
21/11/07 04:35:40.06 .net
>>50
なんかごちゃごちゃ言ってるけれど結局言いたいのはそれだね。
最近生駒信の分が悪いから独り芝居だったわけか。

54:日本@名無史さん
21/11/07 06:41:49.89 .net
生駒は濃姫の代わりに子供を産んで織田家に貢献した
これ以上でもこれ以下でもない
それでいいじゃん
側室の仕事は正室の仮腹なんだから
生駒が信雄の生母なら唯一残った信長直系の織田家の祖を産んだのはGJだった

55:日本@名無史さん
21/11/07 10:22:57.15 .net
そうやってイチイチ反応するから煽られるのでは
もう「私の弱点は生駒氏です!」って大声で言ってる様なものやん

56:日本@名無史さん
21/11/07 12:52:21.62 .net
正室
なんていばれるのは実家が、亭主のパトロンである場合か、もしくは長男跡継ぎを生んだ場合でしか確立できないのよ
濃姫は実家の道三がほろんだ時点でパトロンではなくなり、また美濃の北に逃れて
挙兵した道三にたいして、信長の兵は守りやすい川の中州に陣取り道三が義龍ころされるのを見殺しにした
(義龍は道三の実子であることは六角文書で確認されており、義龍の家臣は道三殺害に激怒してるから、殺す予定はなかった)
ともあれ道三が死んだ一年後に信長の長男が生まれてる
しかしそれでも末森城の信行にすでに3人の男があるため、信長にとって不利な政治立場に追い込まれていた
ノ-姫という妻をもらって八年もコナシである信長が長男が出来たのも怪しい
勘九郎は美濃のスパイである濃姫がどっかからつれてきた子である可能性はある、と言い立てることもできた
家老である柴田勝家にとっては、自分を取り立てててくれた織田信秀の孫かもわからないなら
信長をころして信行様をたてたほうがお家安泰、てなっちゃう

57:日本@名無史さん
21/11/07 12:57:01.41 .net
信長は三郎、織田家の嫡男の名前は三郎。
九郎は美濃斎藤家の嫡男の名前。
信忠は勘九郎
これは乗っ取り宣言でしょう

58:日本@名無史さん
21/11/07 17:09:07.02 .net
あのヘンリー8世だって一応離婚してから次の結婚という形はとってる
同時に妻がいるなんて日本と中東と土人の国くらいではないか
そう考えると日本もなあ

59:日本@名無史さん
21/11/07 17:25:36.54 .net
欧米だって正室の権利とか整備されたのは19世紀から
最近は結婚率がさがり、愛人でも正妻の権利をもつようになったので
イギリスでは4・5年で別れるケースが流行
ドイツの航空機が自爆したのはパイロットが愛人とわかれて権利金をぼったくられたからだと

60:日本@名無史さん
21/11/07 17:27:35.85 .net
正妻は複数いてもおかしくない、側室も正妻

61:日本@名無史さん
21/11/07 19:40:34.32 .net
>>56
>義龍は道三の実子であることは六角文書で確認されており、
義龍は母・深芳野が、頼芸から道三にゆずられて半年後に誕生
これが事実なら、明らかに、頼芸の子
部外者の六角がどう書こうと、信憑性は低い

62:日本@名無史さん
21/11/07 20:36:02.26 .net
>>61
貰い受ける前から通じていたらわからないよ。かなり大柄な人だったとか。
道三の体格は分からないから深芳野が大柄だったのかもしれないね。

63:日本@名無史さん
21/11/07 21:34:21.23 .net
斎藤道三以外に信長の舅っていましたか?
道三以外に信長を娘婿と呼べる人はいましたか?
そんな史料があるなら教えてください

64:日本@名無史さん
21/11/07 22:56:05.79 .net
馬場殿が本妻なら義龍が舅だな
信長は晩年に公家の娘に惚れて妻にしたりしてるがこの当時は政略目的なんだろうな

65:日本@名無史さん
21/11/07 23:07:39.47 .net
本妻が濃姫だけなので舅も道三だけだよ

66:日本@名無史さん
21/11/07 23:08:48.61 .net
信長公記が一級資料なのでそれがファイナルアンサー

67:日本@名無史さん
21/11/07 23:21:12.20 .net
吉乃の墓(右端)など生駒家石造群。墓には「織田信長公室」と書いてある
URLリンク(cdn.mainichi.jp)

68:日本@名無史さん
21/11/08 01:18:19.43 .net
>>67
「―-室」 だから、正室か側室かは明らかでない
何度もおなじ写真をアップされるのは迷惑だ

69:日本@名無史さん
21/11/08 01:23:16.85 .net
織田信長公正室

70:日本@名無史さん
21/11/08 05:05:55.31 .net
>>69
信雄系織田家の史料でも生駒氏は側室扱いです。
因みに、あの武功夜話でさえも
側室扱いですよ。

71:日本@名無史さん
21/11/08 08:13:34.39 .net
相手にしないほうがいいよ 無視が一番

72:日本@名無史さん
21/11/08 09:52:23.17 .net
武功夜話物語が世に出るまでは信長の一番の寵妾といえばお鍋だった

73:日本@名無史さん
21/11/08 12:01:38.27 .net
>>61
本当に手付かずで半年後に誕生なら誰も道三の子としては扱わないのでは
道三本人も頼芸に突き返すでしょうな

74:日本@名無史さん
21/11/08 12:15:30.66 .net
信忠は信長の実子でない可能性がある。長男は政治理由で連れてこられたのは明白で
すぐさま信雄ができたのもおかしい。スペアというところだろうか。あとで信忠の謀反をおそれたりしてる
実子でない信雄は信長は縁切りすると言ったり都合のいい存在だった
織田信孝は実子であるがために殺された

75:日本@名無史さん
21/11/08 18:41:46.55 .net
>>73
道三は、義龍が頼芸の種なのを承知で引き取った。
頼芸は守護の次男で、将来はこいつを担いで守護家をのっとる心算。
その実子を育てることは将来、利用価値があるかもしれない。
同じころ、近衛家の庶子を養子にしたのも、将来の利用価値を考えてのこと。

76:日本@名無史さん
21/11/08 18:58:49.09 .net
道三は、斎藤喜平次に「一色右兵衛大輔」を斎藤孫四郎は「一色左京亮」を名乗らせた
守護代斎藤家は藤原氏
美濃国主は源氏でないと、故実を重んじる公家では前例がないとして公認されないとのことで
それなら一色なら源氏なので美濃太守は可能らしい
土岐と一色は血縁、名乗るのは問題ないので、土岐の息子は気軽に一色をなのっていた
血縁のない道三家が、一色家を名乗らせる時点でどうかと思うが
これも美濃の守護としての朝廷工作で一色義龍はうまくいってる

77:日本@名無史さん
21/11/09 03:19:41.02 .net
>>信雄ができたのもおかしい。
母親が違うからでしょ。

78:日本@名無史さん
21/11/09 11:08:39.63 .net
信長短期間に妾をかき集めたって言うし、愛情じゃなくて
政略用の子供が欲しかったんだろうな。
次男三男はさっさと養子に出してるし。

79:日本@名無史さん
21/11/09 15:49:09.73 .net
濃姫にこどもが八年も出来なかったのは道三の差し金だと思う
宿敵信秀ははやく信長の子がほしいから濃姫よこせと書状おくり弱気を見せていた
そうなると道三としては濃姫に子ができないなら
美濃から養子を・・・と子ねじ込めば尾張をのっとることができる

80:日本@名無史さん
21/11/09 16:09:54.29 .net
正室はいた、本妻が信長公正室織田吉乃

81:日本@名無史さん
21/11/09 16:44:21.57 .net
>>80
昔の武家は夫婦別姓だぜ。斉藤帰蝶、生駒吉乃

82:日本@名無史さん
21/11/09 19:42:43.87 .net
大河のキャストが待ち遠しいのう

83:日本@名無史さん
21/11/09 20:45:23.63 .net
>>79
信秀の男子がたくさんいるのに美濃から養子とはならんやろ

84:日本@名無史さん
21/11/09 22:34:44.27 .net
濃姫の子だったら継げるでしょ。侍女が膿んだにしても

85:日本@名無史さん
21/11/10 00:05:07.02 .net
若い
セックスを拒まない
愚痴を言わない
でしゃばらず男を立て
生活費を稼いでくれる
正室の仕事なんてたったこれだけ

86:日本@名無史さん
21/11/10 02:50:05.59 .net
>>85
実家のスパイでもある

87:日本@名無史さん
21/11/10 20:27:01.18 .net
そりゃ侍女が信長の種で孕んだならな
濃姫の子だから継げるじゃなく信長の子だから濃姫の養子になる

88:日本@名無史さん
21/11/11 18:22:56.26 .net
生駒が産んだ信雄は生母の身分が高いという理由から
先に生まれていた信孝を超えて次男扱いされた
生駒が嫡男の母だったからと考えるのが自然だね
生駒と久庵慶珠は同年に死んでいるし法号も似通っている
濃姫ヲタがいう濃姫が美濃から連れてきた自身の息のかかった侍女を信長の寝所に送り込み
侍女が産んだ子を取り上げて嫡男にしたというのは信ぴょう性がない
しかもその侍女は氏素性一切伝わらずしかも生駒と同年に死んだとかそんな都合のいいw

89:日本@名無史さん
21/11/11 18:34:22.02 .net
坂氏より信雄の母が正室的立場で、信雄は母の出自が良かったので先に生まれた信孝を超えて次男扱いされた
これは信雄の嘘だね
坂氏は一定の政治力があり、朝廷から杉原紙などを下賜された が、吉乃にそんな話はない。誰もしらずに野良犬のように死んだ
神戸三七郎信孝は養子入りに際しては、乳兄弟の幸田彦右衛門が傳役として付けられ
与力であった関盛信は、本来、名門関氏の当主であり、信孝を軽んじてこれに従わず、不仲であった。
その反抗的な態度が信長の耳に届くようになるとついに信長の勘気を蒙り、盛信の居城亀山城は没収され、信孝の所領とされた。
信孝の置かれた地位を「南海の総管」と呼んでいる。神戸城の拡張工事に着手しており、五層の天守や多数の櫓を持つ近世城郭を完成させた
信孝は三男にすぎなかったが、信長が四男以下の子供をほとんど顧みなかったことを思えば、特に目をかけられていた
本能寺の変で「信孝が天下の主となる」という噂があったようであるが秀吉に心配された
信孝が勝家と結んで挙兵。かといって家老たちが殺すのも
後味が悪いので一説では、降伏したのではなく信雄が信孝を欺いて和議を持ちかけ、岐阜城を開城させ
ノブオが処刑したが、あいつは俺より身分が低かったなどと死人に口なしというやつ

90:日本@名無史さん
21/11/11 18:37:32.87 .net
むしろ正室という考えがおかしい
天皇はながく正室を置くことがなかったので、そのような考えは間違っており日本に正室という概念はないようね。
天皇家では南北朝時代以降、皇后(正室)の冊立が絶え、その間は皇后・中宮の呼称も用いられることがなかった。
おくさんにあたるのは女御とか典侍「すけ」で側室の役割を持った。
そのため、江戸時代に即位した天皇の生母のほとんどは典侍「すけ」で
公家の子女によって占有され、典侍の定員は4名。明治期における典侍の俸給は250円

91:日本@名無史さん
21/11/12 12:41:53.21 .net
>>89
信雄の母は野良犬のような卑賤の出で信孝の生母の方がよっぽど上だったという
根拠がないな
信長公記で信長は信忠・信雄・信孝は同日同時に元服させており
この3人を特に差異なく扱っていたことが分かる
濃姫ヲタが主張するように信忠は信長がこの世で一番大事にしている濃姫が
自分の手垢のついた侍女を信長に献上して産ませて取り上げ
濃姫が実子として扱ったので生まれながらに特別の扱いを受けたのなら
信長は信忠の元服だけ盛大にやって弟たちとは差を付けるよね
信雄は信長の次男として長男信忠の次に大事にされており
生駒という野良犬のような卑賤の母から生まれたので討ち捨てられていたという
濃姫ヲタの誹謗中傷は当たらないな

92:日本@名無史さん
21/11/12 12:57:34.57 .net
濃姫ヲタの主張によれば濃姫ただ一人を愛して極上の人と遇した信長は
濃姫が用意する美濃の女を濃姫にいわれるがままに抱いたのだという
それなら信長は生駒やら坂といった濃姫のライバルになるような
尾張の女たちを同時期に抱くわけないよね
信忠、信雄、信孝は一年ぐらいの間に生まれているので
正直誰が長男でもおかしくなかった

93:日本@名無史さん
21/11/12 14:16:11.05 .net
信長の妹のお市は、信長死後も嫁にしたいと人気あったのに、
濃姫は嫁したい武将はいなかったのかな?

94:日本@名無史さん
21/11/12 20:43:33.39 .net
信孝って結構大事にされてるんだよね
生き残って欲しかったなあ

95:日本@名無史さん
21/11/12 20:50:09.00 .net
信忠、信房、信孝≒信雄の順かな…
信房は武田時代の労いもあるとはいえ
尾張の城、茶器小袖他何でももってけに
近い状態で牛一も記憶鮮明というあたり
かなりだったんじゃね

96:日本@名無史さん
21/11/12 21:56:50.32 .net
信雄は伊賀攻めでやらかして信長から親子の縁をきるぞ!とまで言われてるしな
この戦は(成功してたら)父への孝行にも兄(信忠)のためにもなったのにけしからん!!とあったから信雄はしょせん家臣よ

97:日本@名無史さん
21/11/12 22:13:45.10 .net
同日同時に元服って勢州軍記だろ
日記とかでは否定されているみたいだが

98:日本@名無史さん
21/11/12 22:16:11.13 .net
信雄生母の生駒女も実家の生駒家も
信長に無視されてるしね

99:日本@名無史さん
21/11/12 22:28:34.23 .net
というか差異なく扱っていたなら養子に出さん

100:日本@名無史さん
21/11/13 07:34:26.98 .net
身分が低かったというより当時は一年くらいなら誤差の範囲なのでは
長男は別だけど次男三男なんて大差ないし

101:日本@名無史さん
21/11/13 08:02:22.40 .net
当時の生駒家なんてたいしたことないじゃん
商家あがりだし
むしろすぐに信孝の側近にあがった坂家の方が武家としての家格は高いだろ

102:日本@名無史さん
21/11/13 13:34:58.48 .net
信長公記には信忠(奇妙)の具足初めの事しか書いてないよね
嫡男として一人だけ名前出されてるんだから圧倒的に差を付けられてる

103:日本@名無史さん
21/11/13 19:28:13.03 .net
信雄信孝は元服させるなりさっさと養子に出してるしね、一緒に元服させたのは
信長が危機の真っ最中だったのでまとめてやったんじゃないの?

104:日本@名無史さん
21/11/13 20:08:54.61 .net
今回伊賀の地で大敗したそうだが、正に天罰と言えよう。
その理由は、信雄が隣国で合戦となれば遠国へ出兵せずに済むという考えに引きずられ、まことに残念なことだ。
上方へ出陣すれば、それは天下のためになり、父への孝行、兄・信忠への思いやりともなるのだ。
当然だが、柘植保重およびその他の武将を討ち死にさせたのは言語道断、けしからぬことである。
今回、親子の縁を切ることになる。 なお、詳細はこの書状を持参する使者が伝える
つめたいね。これは元から冷たい目でみてるかんじぃ

105:日本@名無史さん
21/11/14 11:12:58.02 .net
ツイッターで織田夫婦と検索して見るのも楽しい
濃姫ファンたくさんいる

106:日本@名無史さん
21/11/14 11:26:19.81 .net
吉乃の墓(右端)など生駒家石造群。墓には「織田信長公室」と書いてある
URLリンク(cdn.mainichi.jp)

107:日本@名無史さん
21/11/14 13:40:47.65 .net
麒麟の時も織田夫婦すっごい盛り上がってて読むのが追いつかなかったわ

108:日本@名無史さん
21/11/14 16:02:35.36 .net
側室のくせになまいきだね

109:日本@名無史さん
21/11/15 14:02:50.95 .net
>>102
濃姫が信忠を後見したことが一切出てこないから
信忠が生駒の子でも全く問題ない
むしろ濃姫が氏素性不明の美濃の女を信長の寝所に「抱きなさいよ!」と送り込み
信忠を取り上げて美濃の女は抹殺したという方が無理がある

110:日本@名無史さん
21/11/15 14:07:04.67 .net
信忠は生駒の子だよね
濃姫ヲタは生駒が憎くてたまらないから嘘ばかりw

111:日本@名無史さん
21/11/15 15:12:07.11 .net
濃姫という苺があるらしい
一度買ってみたい

112:日本@名無史さん
21/11/15 15:56:42.52 .net
岐阜県のオリジナル苺で第一号らしいね。全体が真っ赤で非常に美しい
苺だとか。これからシーズンだね。そのジャムは岐阜のどっかの市の
ふるさと納税の返礼品になっていたかな?

113:日本@名無史さん
21/11/15 16:30:31.14 .net
仮に、生駒が信忠生母でも
信忠の周囲には生駒はいないし
斎藤家美濃衆で固められているので
生母ならかえって生駒が可哀想

114:日本@名無史さん
21/11/15 19:54:08.69 .net
>>109
じゃあ濃姫の子でも全く問題ないな
扱いの重さを考慮すれば
てゆうか信長公記に三人同時に元服したことが書かれてるとか
明らかな嘘をばらまいてたのはお前か?

115:日本@名無史さん
21/11/16 16:49:12.00 .net
信忠の母親が誰かわかるといいのにね

116:日本@名無史さん
21/11/16 18:49:43.69 .net
末盛城の織田信行が三人の男があるというので対抗して急遽連れてきたのが信忠のわけで
家老や老女が仕立てたにせもの、織田信長の実子ではない
・・信雄は勘当されて実子ではないくさい

117:日本@名無史さん
21/11/17 16:29:41.62 .net
顔も知らない敵とつがいにされて繁殖を強要されるなんて地獄じゃん

118:日本@名無史さん
21/11/17 20:52:54.59 .net
当時の政略結婚のある階級ではそれが普通
現在の価値観で言っても感想にしかならない

119:日本@名無史さん
21/11/17 23:17:48.08 .net
戦前の日本も庶民だって親戚が持ってきた縁談を親が決めてしまうなんてよくあった話だぞ
皇族華族なんてそれ以外の結婚なんてありえない
李方子なんて新聞で李王子との婚約を知って親が確認したら宮内大臣から天皇が決定したことだからと言われて従った

120:日本@名無史さん
21/11/17 23:27:32.23 .net
そんな今と価値観が違うとは思えないけどねw

121:日本@名無史さん
21/11/18 08:36:39.37 .net
恋愛婚至上主義の現代こそ割と異常事態だし、期間も高々100年に満たない程度でしかないんだけど

122:日本@名無史さん
21/11/18 19:23:22.35 .net
呪われろー呪われろー
同じめにあえ

123:日本@名無史さん
21/11/19 00:52:04.97 .net
テレビがない時代の人にテレビがなくてかわいそうだねって言っても
何のこと?だろうから政略結婚しかない時代に恋愛できなくてかわいそうだね
と言ったってどうしようもない。まあ庶民は結構自由恋愛は昔からだけど。
秀吉と寧々は一応恋愛でしょう?

124:日本@名無史さん
21/11/19 10:28:01.71 .net
秀吉とネネも恋愛結婚は許さんとネネの母親から反対くらってたから下級武士でも許されなかったんだろ
当時の価値観なら正室は家族で側室は家来という制度だから側室にとって正室は張り合う相手ではなく仕える相手として淡々と奉公してただけだろうよ

125:日本@名無史さん
21/11/19 15:20:52.32 .net
正室も側室も家族なんだがw
将軍や大名の墓地には側室も一緒に葬られてる
家康の側室阿茶局や家光の側室で綱吉母の桂昌院みたいに
正室よりも上位の位階をもらった人もいる
信長に関してはそもそも正室の墓不明

126:日本@名無史さん
21/11/19 15:37:25.29 .net
大徳寺の総見院では、織田一族の墓所の中にある養華院の墓碑が濃姫の墓碑として11月29日まで公式公開中ですが。
(土日、祝日のみ)
文句なら大徳寺に言ってね。

127:日本@名無史さん
21/11/19 15:58:13.22 .net
家族として織田一族の中にあるわけね
なんだかんだで正室はいいの

128:日本@名無史さん
21/11/19 16:02:36.43 .net
信雄の母は野良犬

129:日本@名無史さん
21/11/19 16:08:26.85 .net
北政所の実家の浅野は婚姻時足軽組頭だったとされるけど秀吉の母は、美濃の鍛冶・関兼貞(または関兼員)の娘とも伝わる
1516年お生まれと伝わるが、いわゆる関兼貞、通称ノサダは1526年まで銘がある
したがって、ノサダの孫娘かもしれない。
いずれにせよ室町時代後期で美濃国関で活動、同時代同地域の名匠である孫六兼元と人気を二分する
兼定 (之定)の家の子なら大金持ちっぽいし、秀吉が針を打ったというのも出どころが判る

130:日本@名無史さん
21/11/19 16:12:40.85 .net
秀吉の母がねねを野合、つまり側室あつかいしたのは
大政所がいい家の娘で美濃の工人では姫ともいえる家の出だということで妥当

131:日本@名無史さん
21/11/20 11:43:38.73 .net
スレ違いなのであまりつっこむのもどうかと思うが、大政所が北政所を側室扱いってどこの記述だ?

132:日本@名無史さん
21/11/20 18:16:32.44 .net
おんな太閤記でいじめてたよ

133:日本@名無史さん
21/11/20 20:55:38.79 .net
>>129
>>130
美濃の有名刀鍛冶の孫娘が、尾張のどん百姓に嫁いでくるって、ありうるの?

134:日本@名無史さん
21/11/20 21:59:05.42 .net
関の孫六など、そのとうじの美濃の刀は数打ちと行ってムシロに包んで数十本を一両とかの安物
之定は名工とされてるけど江戸期に鑑定が盛んになって、キレ味がずば抜けてると最上業物になった

135:日本@名無史さん
21/11/20 22:39:09.52 .net
>>132
そうですか

136:日本@名無史さん
21/11/20 23:04:08.56 .net
>>110
ハア( ゚Д゚)  
つりか。。

137:日本@名無史さん
21/11/21 12:45:37.78 .net
>>135
嘘ですよ、大政所は寧々さんを娘以上に大事にしてくれた。秀吉が浮気した時も
烈火のごとく秀吉や淀殿を怒鳴りつけていた。大政所は秀吉が武士になるのが嫌だった
ので寧々との初対面で何とか武士をやめるように彼を説得してくれないかと言っただけです。

138:日本@名無史さん
21/11/21 12:58:42.18 .net
>将軍や大名の墓地には側室も一緒に葬られてる
将軍と正室はほぼ増上寺や寛永寺、将軍を産んだ側室や実家が強く望んだ側室は
同じところに入れてもらえたらしいけれどね。家光最愛の側室お万の方は大奥総取締
になったけれど池上本門寺に墓があるよ。西郷の局は秀忠の母だけれど宝台院だよ。

139:日本@名無史さん
21/11/21 15:08:26.97 .net
小者頭ガンマクも美濃の刀鍛冶岩巻(がんまく)ゆかりの者で
「父親は信秀様につかえた茶ぼうずの子で名古屋城のまえ中村の出です」と秀吉の仕官を推挙し信長の小者にした
刀鍛冶としての岩巻(がんまく)はノサダほどには大物ではなく世間には無名だが美しい刀を残してる
母のコネで、ノサダの孫の秀吉を織田家におしこんだ
ただガンマクは本能寺の変でもまったく出世しておらず小者かしら

140:日本@名無史さん
21/11/24 23:51:58.24 .net
普段は油売りの娘扱いで、結婚だけ支配者階級扱いなんて納得いかないわ

141:日本@名無史さん
21/11/26 15:35:55.16 .net
>>138
家康の時代には増上寺も寛永寺もないので家康側室の秀忠母がここに葬られていないのは普通
家康の正室築山殿、継室朝日姫、ともに墓は増上寺や寛永寺になく
夫の家康とも別(家康は久能山東照宮→日光東照宮)
3代将軍徳川家光の正室鷹司孝子の墓は増上寺や寛永寺ではなく
夫の家光が葬られた輪王寺に葬られることもなかった
8代将軍徳川吉宗の紀州藩主時代の正室理子女王の墓も増上寺や寛永寺ではなく
夫の吉宗が将軍となり寛永寺に葬られても夫の傍に改葬されなかった
10代将軍徳川家治の正室倫子女王も墓は増上寺や寛永寺になく
夫家治の墓がある寛永寺に葬られなかった
増上寺や寛永寺に葬られた側室の例もある
正室も側室も家族だし
正室だけが家族なので必ず夫と同じ寺に墓があるが
側室は家来で家族ではないので夫と同じ場所はありえない法則がないのはわかるわな

142:日本@名無史さん
21/11/26 16:12:15.70 .net
家康の正室・築山殿による毒殺という西郷局濃姫による毒殺という生駒なんと恐ろしい

143:日本@名無史さん
21/11/26 17:56:39.23 .net
>>141
側室は御台所の家来
だからみな役職名でよばれてた

144:日本@名無史さん
21/11/27 11:11:18.01 .net
跡継ぎ産んでも御内証御方や御部屋様と呼ばれる時点で家族ではないな
不仲といわれる家光の御台所も中の丸を与えられそこの主になっていたわけだから扱いはむしろ丁重
将軍家は大奥という特殊な組織のせいで将軍生母が絶大な権勢をもって将軍後継にも影響力があったので将軍の意向で菩提に入ることが許されただけで家族という意味合いはないだろ
増上寺の菩提には京都から付き添ってきた和宮の生母の墓もある

145:日本@名無史さん
21/11/28 19:03:37.75 .net
濃姫の確実な最後の足跡って道三の肖像画の寄進になるのか?
道三息女の寄進だけなら濃姫以外の姉妹の可能性があるが信長正室からの寄進とあったのだろうか

146:日本@名無史さん
21/11/28 20:13:01.20 .net
>>142
濃姫は義龍だろ?

147:日本@名無史さん
21/11/28 20:52:26.39 .net
>>144
将軍が家族だと認めたから側室の墓も一緒にあるわけだけど
正室でも墓別なら家族じゃないって
相変わらず濃姫ヲタは話が通じない

148:日本@名無史さん
21/11/28 21:00:24.59 .net
>>145
寺の確実な史料に寄進者名と寄進した年月日が書いてあるの?
常在寺の斎藤道三肖像画自体は重要文化財に指定されたものだけど
それ自体に寄進者や寄進した日が書かれているわけではなくて
寺のほうでそういう風に伝わっているからと肖像画(レプリカを本堂に展示)の説明に
「帰蝶ノ方、道三息女贈」とつけてるみたいだけど

149:日本@名無史さん
21/11/28 21:21:46.04 .net
>>147
ならなんで子供を産んだ側室全員菩提に入ってないのさ
家族なんだろ?

150:日本@名無史さん
21/11/28 21:45:12.26 .net
>>149
家族が強く望めば側室でも入れてもらえる例もあったとか結構おおらかだな。
どっちにしても家康の家や墓の事情は織田に当てはめても仕方がない。
信長自体ハッキリした遺体がなく首が発見されていないのだから墓はあっても
本人が入っているわけではない。

151:日本@名無史さん
21/11/29 13:02:14.73 .net
側室は家族!!!を言いたいために徳川の話を延々とする人がいる

152:日本@名無史さん
21/11/29 13:19:35.43 .net
>>149
正室も側室も家族だが墓は一緒の時も一緒でないときもある
信長の父信秀だって正室の土田御前と墓は別々の場所にある
濃姫に至っては墓不明で離縁説があるくらいだし

153:日本@名無史さん
21/11/29 15:36:33.20 .net
信長の姉のくらも濃姫嫌ってるから
クソ

154:日本@名無史さん
21/11/29 17:38:24.61 .net
どうする家康は築山殿と仲睦まじいだって
信長も発表になったね

155:日本@名無史さん
21/11/29 18:24:46.24 .net
岡田准一氏ね、帰蝶役も出てくるかな?川口帰蝶の美しさに
劣らない女優さんとなると大変そう。

156:日本@名無史さん
21/11/29 19:09:53.86 .net
まともな歴史の世界では、生駒なんちゃらはとっくに消えているそうねw

157:日本@名無史さん
21/11/30 06:44:05.12 .net
家康は大河によく出るけど単体主演だと滝田栄さん以来だって

158:日本@名無史さん
21/12/01 05:18:46.86 .net
長身イケメンすぎる家康で信長の間違いじゃないかって
騒がれた。もっとも信長が役所広司氏だったからまあ文句なしだが。
あの二人が一緒にいると絵になったなあ。

159:日本@名無史さん
21/12/07 08:42:11.22 .net
信長たくさん出番あるみたい

160:日本@名無史さん
21/12/07 19:59:14.71 .net
いいですね、それにちょっかい出す濃姫とかだったら面白いな。
ヒロインは築山殿らしいけれど。かなり昔某TV局の戦国物で濃姫
佐久間良子築山殿十朱幸代北政所岩下志麻…ってのがあったよ。
男優達完全に食われてしまうほどのド迫力女優陣だった。

161:日本@名無史さん
21/12/07 21:30:24.20 .net
小川真由美、波乃久里子、岩下志麻の泣く子も黙る浅井三姉妹よりましだろ

162:日本@名無史さん
21/12/08 19:39:59.46 .net
>>161
ひえーおっかない。でもそれ浅井三姉妹が主役なんですか?それならまあ
仕方がないが佐久間十朱岩下の時は確か家康が主役なんですよね。
信長秀吉家康が全然印象に残ってないが。

163:日本@名無史さん
21/12/08 19:45:44.40 .net
>>162
大河の葵徳川三代
でも迫力あってよかったよ
気高い小川淀殿と旦那を尻に敷く岩下江与と中間子らしい如才ない波乃初

164:日本@名無史さん
21/12/09 08:33:56.52 .net
大河でしたか、どうもありがとう。浅井三姉妹って必死に動き回ったけれど
報われなかった茶々、姉妹に比べれば地味だけれどしっかり我が道を行った
初、何度も秀吉の都合で結婚させられたけど淡々としていつの間にか大出世した
江与と三人三様で面白いね。

165:日本@名無史さん
21/12/22 00:03:39.10 .net
今年の大河もそれなりに面白かった、麒麟は帰蝶をはじめとして女性陣の
美しさが目立ったけれど晴天は男性陣がイケメンが多い。

166:日本@名無史さん
22/01/08 19:17:46.64 .net
斎藤は邪魔
織田に勝てる訳なし!
とっとと死ねや

167:日本@名無史さん
22/01/15 17:06:43.44 .net
>>132
嘘つくでねえ!
金パチ先公で良い校長を演ってた春恵に悪い役を橋田センセイがあてがうわけねえだベ!
それにしても今際の際の口移しとは言え、美人女優の佐久間と西田敏行のキスシーンが当時は余り話題にならんかったな。

168:日本@名無史さん
22/01/20 00:28:18.99 .net
政子は好評なのにな

169:日本@名無史さん
22/01/22 08:15:08.24 .net
>>167
草燃えるの岩下志麻北条政子と石坂浩二頼朝も同じシーンがあったよ。
政子が人事不省に陥った頼朝に口移しで水を飲ませたシーン。結局
頼朝はそのまま意識が戻らず亡くなったが。あのカップルは最高に美しかった。

170:日本@名無史さん
22/02/14 14:43:30.04 .net
浅井朝倉は名君か否か

171:日本@名無史さん
22/02/15 00:18:05.05 .net
両家とも暗君というほどではなかったが名君とも言い難い。
朝倉はあまり領土拡張などする気はなかったようだし将軍にも
頼られてうっとおしかったようだしね。浅井は信長に目をつけ
られていなかったらどうなっていたかよくわからない。

172:日本@名無史さん
22/02/15 10:12:59.87 .net
人を見る目はなかったな。
結果論ではあるが、家康は信長は優秀な人間と見込んで本能寺の変までついていった。

173:日本@名無史さん
22/02/15 13:51:08.60 .net
朝倉の国は、
平家や、恐らく忍者のようなものもいただろう。
また、善か悪かはわからないが、
一向宗や僧兵もいたことだろう。例えば、衛兵寺の永平寺。
つまり、朝倉は悪大名ではないかなと考えてしまう。
信長に反対した浅井朝倉のイメージか。

174:日本@名無史さん
22/04/02 00:03:27.90 .net
ひまだな~なんか面白い話ないの~?

175:日本@名無史さん
22/08/01 14:05:00.62 .net
調べ物中に見かけたブログで岐阜城の発掘で見付かった金箔瓦は信忠が塩川女(すず?)の為に建てた館のものとか言っていてあんぐり
郷土史関連とはいえ他にも生駒並に塩川姉妹上げ上げがすごくて父子揃って側室推しはなぜこうもきちんと調べないのかと…(汗)
名前が違って伝わっているとか信忠と祝言あげたとかも…
ちなみにおもな出展史料は荒木雑記
面白い話じゃなくてごめん

176:日本@名無史さん
22/08/01 14:17:25 .net
雑記じゃなく略記でした

177:日本@名無史さん
22/08/01 19:28:39.33 .net
信長公記首巻って偽書説あるけど
信長と濃姫の婚姻はどこまで信憑性あるんだろう
そもそも濃姫って実在したのか?

178:日本@名無史さん
22/08/01 19:50:35.08 .net
織田家と斎藤家が停戦=同盟を結んだ事実はあるから婚姻関係にあったのは事実
しかも双方の当主の息子と姫でなければ同盟が成立しないからそこも事実
ただし織田家は跡取りの信長は確定でも斎藤家は道三の娘かどうかは不明
道三の養女かもしれないし孫を養女にしたかもしれないしそこは必ずしも実子でなくても同盟は成立する
なので後生濃姫と言われる斎藤家の姫は存在したと考えて構わない

179:日本@名無史さん
22/08/01 20:19:38.50 .net
お市の方を嫁がせるくらいなわけだし、
各家、血筋当人と政略結婚させてたんじゃねえ?

180:日本@名無史さん
22/08/01 22:17:03.09 .net
>>175
塩川と甲斐武田は同格とか姉妹は池田元助の正室と道三の孫は存在すらスルー、輝政が由之は別家だから元助流は元信が継げと言ったと家譜にあるとこれまた新五郎もスルーかい!ということを平気で言ってしまうような方々ですもの、信忠の側室推し…
濃姫(斎藤)や松姫(武田)は都合が悪いんでしょ

181:日本@名無史さん
22/08/02 00:00:23.27 .net
信忠には正室はいないでしょ
この場合跡継ぎの母親が正室の地位になるのでは?

182:日本@名無史さん
22/08/02 07:22:53.94 .net
信長が謙信にあてた書状の中で松姫を御台と書いていることや織田家家譜の注記、老人雑話で再婚とされていることなどから松姫を信忠の正室にみなす動きがあるっぽいのに大丈夫なのか(笑)

183:日本@名無史さん
22/08/02 11:57:12.15 .net
>>175
該当と思われるサイトを見つけて読んでみた
千田先生はあの瓦は信長期ではなく信忠期以降の可能性が高いと指摘している
ただあくまで可能性が高いというだけで信長期では絶対ないというわけではないし(織田瓦が出てくれば判別しやすいんだが)文様が20枚菊と牡丹、どちらも家紋様式ではなく装飾様式だから特定の家をさすわけでもない
だからあの記事を書いた人が塩川が牡丹だからとあまりにも短絡的に見て書いたのだろうなと… さすがに信忠が挨拶に行ったのでは?情勢をみて花嫁行列はやらなかったのくだりなどはまじ閉口したが…
(下手すりゃ生駒よりひどいわ、あれ)

184:日本@名無史さん
22/08/02 16:40:18 .net
秀信生母の墓の過去帳には秀信の母であることと戒名しか書いてない
信忠の正室ならそのことが真っ先に記載されるだろ
実父の記載もないところをみると塩川や森ですらない低い出自の女だったんじゃないかな
秀信は信忠が松姫を嫁に迎えていたら認知すらされず
信長の庶長子の信正的な存在になっていたはず
生母だからといって織田家から優遇される立場ではないな

185:日本@名無史さん
22/08/02 23:07:30 .net
塩川で思い出したけど濃姫が塩川あたりから養女を迎えたという話もある(だから塩川でも信忠と釣り合うといいたい)と書いている人いたけどそんな話あったっけ?

186:日本@名無史さん
22/08/03 00:07:25.88 .net
皆さん詳しいなあ・・・
ここまで詳しく分かると、歴史のハイライトの時代でも有るし、大変面白いだろうなあ

187:日本@名無史さん
22/08/03 00:29:03.34 .net
いや歴史を面白いとは思ってないんじゃない?
嫌いな人物への憎悪とマウントへの執念で歴史に詳しくなったタイプだよ
まさに蝮。

188:日本@名無史さん
22/08/03 09:10:49.61 .net
信長にしても、前田利家にしても、各氏説あるよね。

189:日本@名無史さん
22/08/03 10:36:15 .net
>>181
家康の正室不在だからといって秀忠生母が正室扱いされることがなかったようにそういった慣習は当時はいっさいないよ

>>187
身分や時代で婚姻制度が異なっているのに現代の価値観で戦国武将の結婚観を語りたがるやからには腹はたつな
当主すら結婚は自らが駒
顔もみたことのない有無も言えない相手と結婚して子供をもうけることで両家の子孫の

190:日本@名無史さん
22/08/03 10:39:59 .net
代までの良好な関係が築ける合理的かつ平和的な解決策

191:日本@名無史さん
22/08/03 12:46:21.49 .net
家のためなら体を張るっていう、武家の女子の心意気が好きだ。

192:日本@名無史さん
22/08/03 14:44:55.96 .net
>>184
生母ではなく本当は乳母じゃないかという噂もあるし詳細に書かないのは不可解なので書かないのではなくあえて伏せざるを得ない事情があったのでは?とみる人もいるらしい
例えばそれこそ松姫が生母だからみたいな…
前は松姫生母とかpgrかアレルギー反応凄かったけど勝頼信忠の甲濃和親(天8~9)絡みで可能性が完全に0ではなくなりつつあるらしい

193:日本@名無史さん
22/08/03 14:58:25 .net
あと最近知り合った人から聞いた話だけど、某先生が講演会かなんかで濃姫の記録がない件の質問を受けた時に女の記録は残りにくいことに加え義龍が道三を討ってしまったこと(親殺し)が関係しているのではないかと思っていると言ってたらしい。信玄が信虎を追放した時もかなりクレームがあったけど追放ですらなんだから殺してしまうとなればなおなんで納得した
だから子供がいないのも本当はいたけど生母としては出せなかった可能性もあるそうな

194:日本@名無史さん
22/08/03 16:55:41.11 .net
>>192
対信長の甲江和与は最終的に決裂したが対信忠の甲濃和親は最終的に(和議で)決着をみてるようだし老人雑話だと再婚に信長難儀だから(生母説前提だが)三法師の件で一気に動いた可能性も考えられるんだよな…
攻め込むまでの3ヶ月の間に一体何があったのか…
スレチすまん

195:日本@名無史さん
22/08/03 16:57:02 .net
自分に都合の良いこと言われた時だけ素直に信じるのな

196:日本@名無史さん
22/08/04 17:13:00.62 .net
>>194
どうせまた徳川が影で何かやったんだろ
あの時点で和親結ばれたら1番不利なのは徳川

197:日本@名無史さん
22/08/04 19:10:34.01 .net
知ってる?
そういうの陰謀論って言って世間では気持ち悪がられてるの
覚えとこうね?

198:日本@名無史さん
22/08/04 19:37:11.72 .net
戦国時代が陰謀時代でなくてなんなんだと思うけども・・・

199:日本@名無史さん
22/08/04 20:05:31.85 .net
じゃあ現代は陰謀論時代だな
事実よりも「都合の良さ」が重視される時代

200:日本@名無史さん
22/08/04 20:14:31.32 .net
>>197
家康からの謙信宛書簡から徳川は織田と武田の分断工作やったのがわかっているんで疑われても仕方ないんだわ
しかも今回は武田は信勝に座を譲ったも同然状態で松が織田に、織田から北条にが完成すると政略に血縁が自然とくっつくからより強固なものとなり見ようによっては徳川包囲網が完成し伸び代も絶たれるという徳川にとっては最悪なシナリオ

201:日本@名無史さん
22/08/04 20:37:19.01 .net
北条は武田に武田は織田に天

202:日本@名無史さん
22/08/04 20:38:26.61 .net
>>201は事故
早い話三国同盟みたいだと書きたかった

203:日本@名無史さん
22/08/04 20:43:38.17 .net
そうだよ
本能寺も清洲会議も小牧長久手も唐入りも秀次事件も関ヶ原も大阪の陣も黒船来航も世界大戦も全部徳川の陰謀だよw

204:日本@名無史さん
22/08/05 12:49:07 .net
>>191
そんなの戦前まで普通にあったことだぞ
庶民だって親どころか親戚が決めてきた縁談話なんてよくあった
さらに皇族華族は親戚どころか宮内省が決めた縁談を新聞で知るケースもあった

205:日本@名無史さん
22/08/05 21:46:28.81 .net
無粋なこと言うてやるなよ
心意気とか後付けで単に戦国のお姫様(ただし正室に限る)でヒロインごっこしたいだけなんだから

206:日本@名無史さん
22/08/05 22:46:49.27 .net
側室だって京極殿や茶々みたいに政治の駒だったケースもあるよ
彼女らも政治的な理由で秀吉の側にいた
駒姫や摩阿姫なんかもそう

207:日本@名無史さん
22/08/05 23:03:08.27 .net
俺はお市の方を想念して書いたのだがね

208:日本@名無史さん
22/08/05 23:03:52.71 .net
細川ガラシャなんかも其のたぐいかな

209:日本@名無史さん
22/08/06 06:05:05.67 .net
>>202
変な話、かつての三国同盟を再活用したとも言えるんだよこの構図
骨折れることしなくてもなまじ氏直が信玄の孫だったことで意外な副産物を産んだ
結果として信忠と松姫が再婚することは叶わなかったのだけど東国政略的に信玄生存時の頃より2人の婚姻の重要性はむしろ深まっていたりする
多分信長もそこらは見据えていたと思われ

210:日本@名無史さん
22/08/06 09:32:02.11 .net
>>208
ガラシャは政略結婚の意味がなくなったとたん家を追い出されて幽閉
秀吉が光秀乙!でガラシャに配慮しろと命令したので即家に戻される
なにもかも他者の決定に従わされる人生
そりゃキリストにすがりたくなるのも仕方ない

211:日本@名無史さん
22/08/06 12:04:40.20 .net
>>209
最近氏直は正妻腹ではないという話も出ているけど勝頼に嫁出してるから義理でも同じか…

212:日本@名無史さん
22/08/06 14:17:16 .net
>>211
論文も読んだが誤読の件は面白かったけど院政の可能性は?留め置いた理由が手切れ状態であることを加味してなさげなど疑問が残る
高野山塔頭で北条には名前があるけど武田にはないというのも別におかしいことではないんじゃね
離縁してない理由としては弱く感じる

213:日本@名無史さん
22/08/06 21:35:52.71 .net
徳川と旧武田領取り合った時、氏直には武田の血が流れてると正当性を主張した事が上杉の記録にあったように記憶
そこらは調べてんのか?

214:日本@名無史さん
22/08/07 08:06:53.02 .net
>>213
女系に領地継承の正統性はないから実子云々以前にその発言の信憑性に疑問がある

215:日本@名無史さん
22/08/07 08:41:23.66 .net
スレチだけど、織田信長生存説って有るんですね。

216:日本@名無史さん
22/08/07 12:21:16.82 .net
>>214
最終的には女系も継承の正当性はある
だから女は生かす方向で動くしいざとなれば婿を主張したりもする
信長は美濃乗っ取り時に国譲り状だけではなく道三の婿であることも主張したし、勝頼の朝敵認定依頼でも信忠を婿に云々といってる

217:日本@名無史さん
22/08/07 14:40:54.65 .net
女系で領土を継承した例はある?
信雄みたいに他家に婿養子に入ったとかではなく他家に嫁いだ娘の子が女系だけを根拠に認められた例
信長は道三の女系子孫ではないし道三には織田家に女系の孫はいなかった
赤の他人の信長になんの正統性もないから武力で乗っ取るしかないから信長はそうした
国譲状と後世勝手に名をつけられたがあの時点で美濃は家督を継いだ義龍のものだから道三がどうこう決められることじゃないだろ
信長には援軍に来てくれ勝利したら美濃はくれてやるくらいの約束をしたのかも知れないがそれは戦に勝利したことへの褒美であって娘婿を根拠とした継承の正統性とは関係ない

218:日本@名無史さん
22/08/07 17:50:51.98 .net
この時代、男もそれなりにいたからそういう事例自体が稀だけど穴山の勝千代とかはそうかもな…
まあ若いし数年でなくなったから微妙ではあるけど

219:日本@名無史さん
22/08/07 21:07:45.77 .net
家督を継ぐのと名跡を継ぐのとでは意味が違う
名跡を継ぐ時は血統が絶え他家の男子が入ることを前提としているから女系も男系も関係ない
それに勝千代は武田は名乗っても穴山家当主だった
だから勝千代が亡くなったら穴山家は嗣子がいないから取り潰しになったが武田家は存続
次の信吉は家康と秋山氏の息子で武田の女系ですらないが名跡を継いだ
その信吉もわずか3年で松平姓に復活
その頃には武田家臣団はばらばら領地も解体され甲斐武田家の名跡を継ぐものがいなくても問題なく甲斐を支配下におけたということだろう

220:日本@名無史さん
22/08/07 21:29:30.62 .net
>>217
信忠がいるんだがw

221:日本@名無史さん
22/08/08 13:48:01 .net
>>220
九郎をつけたのはそのためか

222:日本@名無史さん
22/08/08 16:27:26.96 .net
多分そうだな
国譲り状を受けた時点で機会があれば乗っ取りは考えていただろし西美濃の黒の三連星のおかげで機会が巡ってきたからここぞとばかりに譲り状片手に道三の婿だし孫もいるしと主張しまくったんだろうな
その手前信忠には九郎を付けたって感じに思える

223:日本@名無史さん
22/08/09 10:10:17.05 .net
肝心の信忠本人が自分は道三の孫だと言っていた記録が一切ない
岐阜城主になるに際して最大のアピールポイントだったろうに

224:日本@名無史さん
22/08/09 15:37:37.27 .net
信忠が美濃を継いだ頃にはそんなことを言う必要はなくなってたし美濃攻略時はまだガキ

225:日本@名無史さん
22/08/09 19:08:41.37 .net
実孫なら墓参りするだろ
法要もするだろ
した形跡あるのか?

226:日本@名無史さん
22/08/09 19:30:06.62 .net
信忠が岐阜城主になった頃なんて、美濃の人間でも道三なんて忘れ去られてるだろ

227:日本@名無史さん
22/08/09 23:48:57.80 .net
美濃の人々も道三の血脈に正当性があるとは思ってないだろうけど
信長としては道三側に付いた手前引けなかったのかね

228:日本@名無史さん
[ここ壊れてます] .net
>>227
国譲り状の意味がなくなるからね

229:日本@名無史さん
22/08/10 06:05:37.47 .net
国譲状なんてなくても戦に勝ったものが新たな国主になるの当たり前じゃん

230:日本@名無史さん
22/08/10 08:54:51.81 .net
国譲状がなければ侵略した国の支配が出来ない決まりなんかあったか?
家康はどうやって天下とったんだよ

231:日本@名無史さん
22/08/10 10:41:05.74 .net
てか信長の美濃支配って切り取りからだったっけ?

232:日本@名無史さん
22/08/10 23:49:51.95 .net
信長の実質的な美濃攻略の第一歩が浅井との同盟からだからな
義龍も美濃衆も手強くて代替わりのタイミングで外堀内堀埋めて7年かけてようやく攻略
信長の美濃支配はそこから
義龍は二代目にしてはなかなか有能だったが龍興が一人前になる前に亡くなったのが斎藤家の運の尽き

233:日本@名無史さん
22/08/15 16:21:21.83 .net
タニシなんて食うから死ぬんや

234:日本@名無史さん
22/08/31 20:11:00.68 .net
キムタクと綾瀬はるかの映画が楽しみ

235:日本@名無史さん
22/09/19 12:39:30.23 .net
斎藤死ねや!
アホが!

236:日本@名無史さん
22/10/15 19:36:26.99 .net
はるかさんの帰蝶と春菜さんの帰蝶とどっちが綺麗かな?

237:日本@名無史さん
22/10/19 01:24:59.77 .net
>>231
大部分の国衆を調略で寝返らせた

238:日本@名無史さん
22/10/24 20:59:08.58 .net
竹中半兵衛の力が大きかったんでしょ。

239:日本@名無史さん
23/02/16 23:22:34.94 .net
はるかさんの濃姫と春菜さんの帰蝶、信長を煽ってお尻叩いて天下取らせようとする辺り描き方似てるよ。二人とも本当に美しい。凛々しい男装して乗馬姿も決まってる。

240:日本@名無史さん
23/02/22 02:18:30.11 .net
未だに「レジェバタ」のコメント欄で吉乃が信長最愛の女性と投稿している人がチラホラいるね。
しかも赤ポチ結構付いている笑
でも以前よりは流石に少なくなった。
菩提寺が解体された時点でそれが答えだと思うけど笑

241:日本@名無史さん
23/02/22 10:34:58.11 .net
>>236
ステラおばさんじゃねーよ

242:日本@名無史さん
23/02/24 10:46:11.27 .net
ステラおばさん?

243:日本@名無史さん
23/02/24 20:20:05.42 .net
「麒麟がくる」で帰蝶役を務めたのは川口春奈
ステラおばさんに似ているのは芸人の近藤春菜
241が言いたいのはそういうことだろ

244:日本@名無史さん
23/02/24 20:21:48.63 .net
ステラおばさんについては
ステラおばさんのクッキー でググれw

245:日本@名無史さん
23/02/24 21:56:35.13 .net
ステラおばさんのクッキー食べた事あるけど、確かに美味しいかった。
このスレには関係ない話ですみませんww

246:日本@名無史さん
23/02/25 13:12:41.08 .net
次の帰蝶は近藤春菜で決定だな

247:日本@名無史さん
23/02/26 09:29:44.13 .net
綾瀬はるかの濃姫を見たけど腹から声が出てて気持ちいいね
ひたすらハゲめーとか

248:日本@名無史さん
23/02/26 20:08:04.79 .net
個人的には、川口春奈さんの帰蝶より綾瀬はるかさんの濃姫が好きかな。
映画の最後の方はなんだか切ないよね。周囲の方達も泣いていた。

249:日本@名無史さん
23/02/26 21:42:26.50 .net
>>248
身体能力が優れているのは両方ともだが濃姫はるかさんのほうが動きがスムーズ美しい。声も綺麗だがドスの効いた声も出るんだな。

250:日本@名無史さん
23/03/01 01:21:22.15 .net
藤真利子(と役所広司)の本能寺が最高でした。
でも、もちろん川口春奈、綾瀬はるか、和久井映美もみんな天晴れだ。
松坂慶子は当時若過ぎたかも。菊池桃子も案外いけた。

251:日本@名無史さん
23/03/01 18:14:46.83 .net
>>250
打たれて倒れた濃姫をじっと見つめる信長…。彼女が息絶えるのを見届けるつもりだったのか凄絶な二人の最後だった。このときばかりは滝田家康も吹っ飛んだ!

252:日本@名無史さん
23/03/08 20:49:57.37 .net
どうする家康には出ないのかね。

253:日本@名無史さん
23/03/09 19:25:00.86 .net
名医の斎藤道三が美濃を訪れました
美濃を乗っ取りました
が正史

254:日本@名無史さん
23/03/10 00:52:25.14 .net
>>253
斎藤道三って、医者だったけ?
曲直瀬道三じゃなくて?

255:日本@名無史さん
23/03/10 05:16:02.39 .net
曲直瀬道三と間違った
テヘ、

256:日本@名無史さん
23/03/12 03:01:57.17 .net
油屋の松波庄五郎が長井家(小守護代)の家来になって
出世して西村勘九郎、長井新左衛門と名前を変え、70歳くらいで死ぬ。
守護土岐家の相続争いでは、頼芸を支持する。
新左衛門の息子の新九郎は、長井家の当主を殺し、乗っ取り
さらに、斎藤家(守護代)の遺児を養子にして、斎藤の名跡を継ぎ、乗っ取る。
名を、長井規秀から斎藤利政と変える。
死ぬ2年前に家督を義龍に譲り、道三と号する。

257:日本@名無史さん
23/03/12 05:24:16.25 .net
遊行僧徳阿弥が松平郷を乗っ取り

258:日本@名無史さん
23/03/15 21:19:36.80 .net
>>256
>さらに、斎藤家(守護代)の遺児を養子にして、斎藤の名跡を継ぎ、乗っ取る。
その遺児がどうなったのか心配だ
道三と名乗ってたの、2年間だけなんだな

259:日本@名無史さん
23/03/16 02:04:35.40 .net
>>258
名を斎藤頼純といって守護の地位につき道三の娘婿になったが、
わずか1年余りの天文16年(1547年)11月17日に急死。享年26歳。
八郎という弟が居たが自害させられている。
六角承禎条書には「道三の関与は明らかである」と書かれてるんだな、これがw

260:日本@名無史さん
23/03/18 03:41:45.75 .net
>>259
それは土岐頼純のことでしょう。
頼芸と美濃守護の座を争った政頼(頼武)の子。
大河「麒麟」では、帰蝶の最初の夫と設定されていた。
(しかし、当時、頼純は24歳、帰蝶は11か12歳。
15・6人の娘を持っていた道三には、もっと24歳に釣り合った娘がいたはず。)
258がいってるのは
>天文7年(1538年)に美濃守護代の斎藤利良が病死すると、(wikiより)
この斎藤利良の遺児のこと。
道三は、頼芸の許可を得て、この遺児を養子として、将来は斎藤家を継がせる約束で
自分が斎藤家の名跡を乗っ取った。
乗っ取ったあと遺児がどうなったか、誰も知らない。まだ幼かったというが、、なんまいだ

261:日本@名無史さん
23/03/18 04:27:57.07 .net
利良の持是院家は当年に正義(道三の養子で近衛稙家の庶子)が
継いだと考えられてる時点で推して知るべしだな


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