聖徳太子=阿毎多利思比孤at HISTORY
聖徳太子=阿毎多利思比孤 - 暇つぶし2ch850:日本@名無史さん
22/02/10 19:33:39.64 .net
弥生時代前期末に玄界灘沿岸に倭が成立して前漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王が冊封された。後漢書では、倭は朝鮮半島南岸の狗邪韓国から九州北岸の倭奴国までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭の形成の原動力であったと考えることができる。
記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾の能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
これは倭が博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書の記事とよく対応している。

851:日本@名無史さん
22/02/10 19:56:06.88 .net
>>811
ここは6~7世紀あたりの話だワ、統失君!

852:日本@名無史さん
22/02/10 20:04:24.08 .net
アマの意味についてだろ?

853:日本@名無史さん
22/02/10 20:16:43.37 .net
>>805
なんの根拠もない、おまえの妄想w
相変わらずキチガイ理論だなプヨヨンw
まあ、その実 理論でも何でもない、
キチガイ朝鮮人の思い込みにすぎないけどなwww

854:日本@名無史さん
22/02/10 20:44:33.08 .net
>>813
百済人天武は天を朝鮮半島出身の符牒に使った。読み方のアメアマを詮索するのは統失。

855:日本@名無史さん
22/02/10 20:53:27.91 .net
>>814
漢字圏で日本ほど訓読みが多い国もない。突出している。
この原因は百済人が意固地になって漢字を音読みせず意味だけとらえて自国語を当て嵌める習性から来ている。いまでもコトダマとか言ってるのは外来発音を忌避する習性が残っているのは百済人のせいw

856:日本@名無史さん
22/02/10 20:53:58.30 .net
>>815
わかりましたよ。
自分の説を正しいことにしようと、なりふり構わずに気違ってらっしゃるんですねw
朝鮮人の未来に栄光あれ…
そんなこと露ほども思ってませんがwww

857:日本@名無史さん
22/02/10 21:08:20.26 .net
>>816
違うわw
訓読みした方が意味が分かりやすいからに決まってるだろ。
そのぐらい日本語と中国語は言葉の性質が違うってこと。
本来朝鮮語もそうあるべきだったが、お国の事情で出来なかった。
小中華と自分らのことを誇ってる国だから、書き言葉は漢文で、吏読が発達した。
漢文そのままの語順で朝鮮語読みする方式。
だからある程度、学のある人々しか読み書きが出来なかった。
それを変えようとしたのが世宗だろ。
おまえらの誇る偉人の王様。
諺文な。
遺体を解剖までして発語原理を探って文字を作ったという話は、すごいと思うよ。
だけど、そういう姿勢は李朝の初期で潰えてしまったのは、
李朝の運命を決めてしまったな…
残念だな、プヨヨンさんよ。
おまえのようなキチガイが生まれてしまう素地が出来てしまった…



858:日本@名無史さん
22/02/10 21:12:05.15 .net
>>817
この説は「国際的視点からの古代史考」を書いていて思いついた自説
「説得された、反論できない」ということでOKOKwwww

859:日本@名無史さん
22/02/10 21:20:39.39 .net
>>819
ただおまえのバカさに呆れてるだけだよwww
それもわからんのか?w
やはりおまえはキチガイだw

860:日本@名無史さん
22/02/10 21:41:50.65 .net
>訓読みした方が意味が分かりやすいからに決まってるだろ。
例えば、馬には駿もあれば駄もある。日本は概念が乏しいからウマしかない。
日本は、新しい概念を拒否したのだ。言霊信仰は百済人によるwww
>そのぐらい日本語と中国語は言葉の性質が違うってこと。
どのくらいか説明してよ?
漢文の返り点は朝鮮文明なんだよね。

861:日本@名無史さん
22/02/10 21:43:47.06 .net
>>820
そうなの?説得されて感心しているように見えるけど?反論ないからねw

862:日本@名無史さん
22/02/10 21:48:28.14 .net
アマタリシヒコの音からくる意味を探っても仕方がないということさ

863:日本@名無史さん
22/02/10 22:43:09.70 .net
キミらねえ、天才の考えが学説になるには時間がかかるんだよ。
査読する奴らがノータリンだからね。
「国際的視点からの古代史考」はその類だから、キミらには無理かな?

864:日本@名無史さん
22/02/10 23:09:38.84 .net
>>824
別におまえが天才だろうが、見た目通りのただのキチガイかなんてどうでもい良い話w
おれはただ歴史が好きなだけwww
おまえはやはり底抜け馬鹿の朝鮮の御人だwww

865:日本@名無史さん
22/02/10 23:30:47.36 .net
>>825
お前には基本「国際的視点からの古代史考」は無理だが、正しいかもしれないという一抹の不安から俺様を付け回してるわけだ。ストーカー行為。

866:日本@名無史さん
22/02/10 23:33:04.66 .net
>>826
天才とキチガイは紙一重とはよく言ったものだ、凡人から見ればなwwww

867:日本@名無史さん
22/02/11 11:12:22.80 .net
>>826
ぜんぜん外れw
単にキチガイナルシストの言動が面白いからw

868:日本@名無史さん
22/02/11 11:30:52.42 .net
>>828
ストーカー行為自白。お前にインパクトを与えているようだなww
お前の知識は自分で考えたことはないようだな。w

869:日本@名無史さん
22/02/11 11:49:17.72 .net
>>829
いくら考えても、
根拠なしのファンタジーをひけらかしてナルってるおまえはバカにしか見えないよw
おまえの脳内でホルホルお花畑してないで
誰にでも納得してもらえるような証拠と説明を出せなきゃねw
まあ、おまえには無理だわなw
どうやって説得できるかもわからないようだしw

870:日本@名無史さん
22/02/11 12:00:15.76 .net
根拠満載を根拠なしというは、朝鮮人の日本を倭人の国というがごとしwww
説得されただろう?ww

871:日本@名無史さん
22/02/11 12:04:17.96 .net
>>831
根拠満載とおまえがいくら言い張っても、
誰一人それを認めてないのが現実w
おまえの宣う言説はただのキチガイ朝鮮人のたわごとにしか見えてないのだがw
いい加減現実を認識して自覚してくださいw

872:日本@名無史さん
22/02/11 13:40:24.60 .net
>>832
気違いのたわごとに反応するからバカ。
統失君、聖徳太子はどうなった?w

873:日本@名無史さん
22/02/11 14:04:10.25 .net
朝鮮半島の天は中国。古代半島は中国領土の一部意識が強かった。

874:日本@名無史さん
22/02/11 14:19:15.43 .net
>>833
その”統失君”が誰を指すかは知らないけど、
それって、そもそもおまえ自身が人から言われた言葉だと思うけどw
で、おまえはある一人の人を指してるつもりのようだが、
実際は、いろいろな別人に対して使っているってわかってるの?ww
とにかく、自分をバカにする人間に悔しくて ”統失” って言ってるんだろ?w
バカにされるのはおまえがバカなレスばかりするからだよw
わかれよ、それぐらいw

875:日本@名無史さん
22/02/11 14:39:58.71 .net
>>835
統失君は同じことを何度も言ってるのを忘れているのか?矢張り統失なんだよw
統失に入れ込まず聖徳太子かアマ多利思比孤かについて述べろ。退屈なやつだw

876:日本@名無史さん
22/02/11 15:05:24.79 .net
聖徳太子はいなかったで教科書も書かれるみたいですけど
息子の山背大兄王とか親世代の親族はいたんですか

877:日本@名無史さん
22/02/11 15:21:43.82 .net
>>837
存在確認の取れない人物を出していたかいなかった論じられないだろう。その人物がいたとして論理を進めても結論は得られないわけだから骨折り損。それより、実在する人物から始めるべきだろう。教科書の聖徳太子は居なかったの意味は厩戸はいたという意味か。

878:日本@名無史さん
22/02/11 15:48:22.43 .net
>>837
>聖徳太子はいなかったで教科書も書かれるみたいですけど
そんなこと教科書には書かれてないと思うけど。
居なかった可能性程度は書かれてるだろうけど、
定説ではないからそんなことは教科書には書かないよ。

879:日本@名無史さん
22/02/11 15:59:07.12 .net
伊予の『風土記』に596年に聖徳太子が温泉に来たとありますが
いなかったなら学者としてはどう解釈されていますか

880:日本@名無史さん
22/02/11 16:08:49.26 .net
お供の名前まで複数書いてあるので、全くの嘘なら朝廷の記録と違うので怒られるのではないでしょうか
伊予国風土記の完成が書紀成立の後だとしても、そんな時間差程度のうちに嘘の伝説を地元に作らないと思うので、聖徳太子は実際にいたと思うのですけど

881:日本@名無史さん
22/02/11 16:53:33.82 .net
伊予湯岡碑(早くに失われている)の銘文は伊予風土記にあり、「法興六年十月歳在丙辰我法王大王与恵慈法師及葛城臣逍遥夷与村正観神井歎世妙験欲叙意聊作碑文一首・・・」と、そのコピーが釈日本紀などに残る。法興6年(596年)に法王大王が三宝の棟梁の恵慈法師と大和の葛城臣をしたがえて伊予を逍遥した記録である。聖徳太子の名前はない。法隆寺釈迦三尊像光背と同じ法興年号であることに注目すべきだ。法王大王=上宮法皇である。

882:日本@名無史さん
22/02/11 16:53:56.08 .net
プヨは学者じゃなく、ただの妄想者でしょw
自己都合妄想者w

883:日本@名無史さん
22/02/11 16:57:57.01 .net
>>842
聖徳太子なんて書かれてないのは当たり前。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
”「聖徳太子」という名称は薨御129年後天平勝宝3年(751年)に編纂された『懐風藻』が初出と言われる”

884:日本@名無史さん
22/02/11 17:10:25.97 .net
厩戸皇子を本名とかぬかしてみたり、
こいつ何言ってんだという発言多数のプヨおじさんw
結局プヨは日本人じゃないから
どういうのが和名とか感覚的にわからないのなww
多分日本の古語はあまりわからないと見える。

885:日本@名無史さん
22/02/11 18:10:04.08 .net
>>842で言いたいのは聖徳太子と呼ばれている人物はいただろうけれど、
聖徳太子の名前からイメージして人物像を探るべきでない。後からつけられた名前だから。
現に湯岡の碑では法王大王と書かれていたようだ。
法王大王は596年では一番偉い�


886:、。 600年には隋書にアマタリシヒコ大王がいて 623年頃に完成した法隆寺釈迦三尊像光背には法興年号と上宮法皇がでる。 同じ年号だからきっと最高位は同じ人物で法王大王=アマタリシヒコ大王=上宮法皇と結論される。 こうなると、聖徳太子という人が湯岡の碑に出てくるのが真実ならば、聖徳太子は皇子や皇太子ではなく大王だったと結論すべきだろう。



887:日本@名無史さん
22/02/11 18:40:07.37 .net
>>846
>聖徳太子の名前からイメージして人物像を探るべきでない
それはない。
聖徳太子の記録は美化して描かれているだろうことは大前提だろう。
色々解せないことがあるからね。

888:日本@名無史さん
22/02/11 18:43:05.05 .net
つまり、伊予に来たのは聖徳太子こと厩戸王ではなく、法王大王タリシヒコだったとあうことたよね。

889:日本@名無史さん
22/02/11 18:46:49.58 .net
>>848
言ってることも変だが、
言葉も変だぞw
>法王大王タリシヒコだったとあうことたよね
何言ってるかわからないw
訳を頼むw

890:日本@名無史さん
22/02/11 20:23:23.90 .net
>>847
統失の言っていることはわからない

891:日本@名無史さん
22/02/11 20:29:42.52 .net
読みなおすと変だな。
スマホの文字入力が予期せぬ文字を入力してしまうのだ。
「い」が「あ」に化けただけだ。
伊予に来たのは法王大王タリシヒコだったということ、だ。
厩戸王ではない。

892:日本@名無史さん
22/02/11 20:37:22.26 .net
>~たけた
濁音の区別がない韓国語訛りですか?w
>>850
おまえが日本語わからないたけたろ?



893:日本@名無史さん
22/02/11 20:58:36.17 .net
>>852
湯岡の碑は太子ではないのう

894:日本@名無史さん
22/02/11 21:00:19.83 .net
>>848
そう、法王大王=タリシヒコだよ

895:日本@名無史さん
22/02/11 21:47:51.55 .net
タリシヒコ大王は法興年号の時の人だということがわかった。
いま、日本では大化以前の年号は私年号とされている。
これと、タリシヒコ大王を歴史書に王として載せていないこととは関連するだろう。
タリシヒコ大王も法興年号も日本国は認めないと言ってるワケ。何故でしょう。

896:日本@名無史さん
22/02/11 22:26:50.14 .net
タリシヒコは居ないけど、
タラシヒコはたくさんいます。
URLリンク(trc-adeac.trc.co.jp)
さあ、どのタラシヒコでしょうか?


897:日本@名無史さん
22/02/11 22:33:35.73 .net
>>856は議論を邪魔する目的を持っているから気を付けましょう。

898:日本@名無史さん
22/02/11 22:37:04.41 .net
>>857
とんでもない言いがかりですw
おまえが単に諡号の知識がまったく無いだけの話w
やっぱおまえはチョーセン人だからなあwww
もちっと ちゃんと日本のこと勉強してからスレ作れw

899:日本@名無史さん
22/02/11 23:09:47.46 .net
>>855
法王大王=阿毎多利思北孤=アメタリシヒコ大王は書紀に出て来ません。隋書に出ています。
>>858は書紀中に見つけ出させようと画策しています。

900:日本@名無史さん
22/02/12 00:12:23.02 .net
>>858
5chさんにいうべきだが、こいつのレスは議論を外に誘導するのが目的で、スレを変えても私を付け回している

901:日本@名無史さん
22/02/12 00:30:36.63 .net
>>860
そうやって助けを求めてるつもりだろうけど、
スレを立ててる時点でこのくらいの議論くらい対応できると思うだろ、普通w
おまえは、単に自分が論理の点で追い詰められて苦しくなっただけ。
それも、おまえの単なる準備不足のせいw
こっちは何も脅迫してるわけでもないしなw
ほんとダメな奴だわ、おまえはwww
なさけない…w

902:日本@名無史さん
22/02/12 11:18:20.89 .net
>>855
阿毎多利思北孤は大王です。(推古の)摂政として遣隋使を送ったのではありません。
推古は存在したとすれば阿毎多利思北孤大王の下です。
なぜ、書紀は天皇としなかったのでしょう。天皇にしたくなかったということでしょうね。
しかし、素晴らしい業績で、書かないわけにはいかず、厩戸皇子のものとして書かれたのです。
そこまでして書くべき業績を上げたものを何故偽って皇子に貶めたのでしょう。
法興は彼の時代の年号であることもわかりました。
遣隋使を出した大王の時代が法興なのです。私年号ではありえないのです。
これも理由が解りません。ただ、阿毎多利思北孤を歴史上消したかった意向が働いたとしか・・・。
上宮聖徳法王帝説(800年頃)も懸命に上宮法皇=厩戸といい、法興は年号でないと言っております。
昔から阿毎多利思北孤を歴史上消したかったのはどういうことでしょうか?

903:日本@名無史さん
22/02/12 14:59:03.38 .net
聖徳太子は廐戸皇子といわれ、廐戸皇子の事績はの事績ですから、結局、阿毎多利思比孤大王を後に聖徳太子と呼んだ。現代にいたっても信仰の対象とまで成っております。誰かが阿毎多利思比孤を偲び顕彰している構図です。つまり、日本国の歴史の流れに従えない勢力があるということではないでしょうか?
最近言われる聖徳太子は存在しなかった説は阿毎多利思比孤の存在を否定し厩戸皇子の実在を肯定するものならば空恐ろしい国です。


904:日本@名無史さん
22/02/12 15:44:28.02 .net
王多利思比孤=大足彦(景行天皇)

905:日本@名無史さん
22/02/12 16:45:11.05 .net
隋書によれば大王は「阿輩雞彌」(オオキミ)、王の妻を「雞彌」(ケミ)、太子を「利歌彌多弗利」(ワカミタホリ)と発音した。
書紀ではオオキミは尊称として使われ大王の意味はない。
妻も書紀ではヒ、キサキであり、ケミは使われない。
太子のワカミタホリは長屋王家木簡に「若翁」ワカンドホリがあり、若い者という意味に使われている。
大王系で使っていた地位の用語は使われなくなっている。
「大王」は5世紀の稲荷山鉄剣にもあるのに書紀では尊称にしか使われていない。
一般人を「社長」とか「大将」と呼ぶようなものだ。
これは何故か?

906:日本@名無史さん
22/02/12 18:05:18.93 .net
聖徳太子=日本武尊
景行天皇の后である高田媛の父は阿倍木事で
筑紫国造や阿輩(阿部)氏の始祖である大彦命の兄弟である
隋書には王が多利思比孤(景行天皇)で都が邪馬台国と出てくる
阿蘇山も出てくるので九州の話なのは確実

907:日本@名無史さん
22/02/12 20:42:03.62 .net
>>866
6世紀初頭継体紀に磐井成敗の記述。この畿内勢力とは別に北九州に阿毎多利思比孤がいたら、畿内は放置しまい。

908:日本@名無史さん
22/02/12 22:09:13.54 .net
聖徳太子は橘寺で生まれて母親が楠、石に守られて黒馬に乗っていたんだよ
松でも笹でも鳥でもアマでもない

909:日本@名無史さん
22/02/13 08:00:48.35 .net
>>867
成敗?
筑紫は屯倉一つを差し出しただけで、筑紫の君の位は息子が継承したから、国体は守られているのだよ。
畿内による筑紫への干渉は失敗だった。

910:日本@名無史さん
22/02/13 09:04:03.16 .net
>>869
ほう、何時畿内に平定された?
君は百済系の地位名だが、オオキミとはいわないだろう。『釈日本紀』の秘訓では君は「キシ」、キシは半島で「王」の意味。

911:日本@名無史さん
22/02/13 09:30:24.16 .net
阿毎多利思比孤は天皇の一般名称ね
治天下天皇
あめのしたしろしめすすめらみこと

912:日本@名無史さん
22/02/13 09:32:57.38 .net
>>871
ぜんぜん合ってない

913:日本@名無史さん
22/02/13 09:33:21.83 .net
>>870
白村江の後だろ

914:日本@名無史さん
22/02/13 09:38:54.29 .net
アメもタラシもヒコも皇族諡号にはよく使われている一般的な単語。
特定の人物というか、
恐らく天皇の尊称を中国の役人が音そのままに記録したにすぎないのでしょう。
このスレ主が外来外来騒いでいるのがバカにしか見えないw

915:日本@名無史さん
22/02/13 09:53:31.76 .net
>>872
中国では小野妹子が蘇因高(そいんこ)という表記になるんだよ
発音が聞き取れないとかそんな感じで

916:日本@名無史さん
22/02/13 10:00:06.73 .net
>>875
中国風の名を持ってたんじゃないの?
小野が蘇にはならんと思うけど。
因高はまだわかるけど。

917:日本@名無史さん
22/02/13 10:38:47.57 .net
>>874
>アメもタラシもヒコも皇族諡号にはよく使われている一般的な単語。
そうなんだよね。
そこの認識が抜け落ちている人が多い。
だからこそ、厩戸王とはぜんぜん別人だという話にもなる。

918:日本@名無史さん
22/02/13 10:49:12.38 .net
考えてみたら、外国で外国語しかわからない人に対して、
公式な場で日本の固有名詞を言うはずがない。
厩戸伝説などは後に作られた伝説の可能性が高いわけで、
聖徳太子が生きていた時点では、
はたして自分が厩戸皇子などと言われていたかもわからないわけで。

919:日本@名無史さん
22/02/13 10:50:43.89 .net
>>876
小野妹子を小妹子として
これをソインコと読んだらしい

920:日本@名無史さん
22/02/13 10:53:00.16 .net
>>878
あとになって馬小屋の前で産まれたと言う伝説を作る意味は
実際に馬小屋の前で産まれたんだろ

921:日本@名無史さん
22/02/13 10:54:


922:16.97 .net



923:日本@名無史さん
22/02/13 10:56:07.09 .net
>>880
形を変えてキリストの伝説なども伝わって来てる可能性はある。
唐では景教が割と盛んだったからね。

924:日本@名無史さん
22/02/13 10:57:29.34 .net
>>882
景教の経典にはそんなに詳しくキリスト教について書かれてないよ
キリストがいて母はマリアでとかそんな感じ

925:日本@名無史さん
22/02/13 10:59:49.27 .net
>>879
じゃあやはり漢字に由来してるのかもね。
二字姓の場合、上の字だけを公称するのは平安時代にも見られるからね。
清原 → 清
藤原 → 藤
とか。

926:日本@名無史さん
22/02/13 11:02:45.37 .net
>>883
だから形を変えてだって。
書物に残ってなくても、
神父が口頭で説教するときに出す話の中にそういう話もでるだろうし。
じゃなきゃ、宗教は拡がりません。

927:日本@名無史さん
22/02/13 12:50:16.02 .net
だからといって、即位しなかった聖徳太子が、大王の称号であるタリシヒコを名乗るはずもない。
聖徳太子とは別の人物が隋に国書を送ったのだよ。

928:日本@名無史さん
22/02/13 13:06:16.85 .net
聖徳太子の父は橘豊日
日が照っているのにアメが降るのは1つしか無かろう
狐の嫁入り
親魏倭王卑弥呼、遣隋使
中国に朝貢するのはお墨付きをもらう為、裏を返せば正統性がないということ

929:日本@名無史さん
22/02/13 13:08:20.97 .net
神の在座 (かみのます)
 鳥居に伊礼ば (とりいにいれば)
 此身より (このみより)
 日月の宮と (ひつきのみやと)
 安らげくす (やすらげくす)

930:日本@名無史さん
22/02/13 13:11:08.03 .net
>>885
出てこなかったかも知れないよ

931:日本@名無史さん
22/02/13 13:19:12.26 .net
>>886
だから、
太子が摂政という扱いだが、実際は大王になっていた、
あるいは大王に近い権力を持っていたと考えればすんなりはまる。
その当時は蘇我系統の天下だったわけだし。
天智や天武は蘇我とは血筋が違うから、
彼らの系統が一大勢力だったことを記録に残したくない、
というところだろ。

932:日本@名無史さん
22/02/13 13:22:40.85 .net
助六の話かな?
助六は太巻に稲荷

933:日本@名無史さん
22/02/13 13:28:21.06 .net
わたつみの豊旗雲に入日さし今夜こよひの月夜つくよさやけかりこそ
天智天皇の歌だが、聖徳太子は古を推し古のありように戻そうとしていたのかもな
叶う前に亡くなったが

934:日本@名無史さん
22/02/13 13:28:22.59 .net
古代史やってて
未だに大王の血筋が一統だと本気で思っている奴はいまいw
あの家系図の複雑さが、かなり嘘を含んでいるということを如実に物語っているw

935:日本@名無史さん
22/02/13 13:38:53.85 .net
>>893
むしろ嘘なら家系図は単純な気がする

936:日本@名無史さん
22/02/13 14:01:46.19 .net
>>878
「アメタリシヒコ」は固有名詞かどうかは問題でない。
男性で、「オオキミ」だから、大王が遣使を出した。かつ出家もし上宮法皇と呼ばれた。
問題はそんな倭国王が書紀の600年頃に見当たらないことだ。
書紀は皇子として捏造ったのだ。
厩戸の事績はまさしくアメタリシヒコの事績だろう。

937:日本@名無史さん
22/02/13 14:06:16.48 .net
>>894
誤魔化そうとしてるから、複雑になる。
どうしても皇統一系に仕立てたいから無理が出る。
本当は男系は何度か絶えてるだろうから。
真実は明らかになることは無いだろうが、
もしも仮に明らかになったら、
”なんだこりゃ


938:!こんなんデタラメだ!!”  とウヨは叫びだすことになるんだろうなw



939:日本@名無史さん
22/02/13 14:13:54.03 .net
>>895
だから、
本当は聖徳太子に当たる人は、
大王、あるいは大王に近い権力を持っていた人だったではまると思うけど。
なぜ、
聖徳太子が摂政扱いになるかというと、実際の血筋が問題だった可能性もあるよね。
男系の。
まあ、実際が明らかになることは無いだろうけど。
また、聖徳が出家した可能性はあるだろ。
あれだけ仏教に入れ込んでいたのだから。
まだ当時は正式な得度制度は日本には無かったのだろうけど。

940:日本@名無史さん
22/02/13 14:22:01.30 .net
母系で見ないとわからないが、記紀をいくら眺めても母→母→母→母→が何処に辿り着くかわからないからねえ

941:日本@名無史さん
22/02/13 14:40:13.65 .net
日本の ”皇統一系” に無理があるのは、
そもそも男系相続という考え方は中国風の外来思想だが、
それが完全定着していない古代にまでそれを当て嵌めようとしてるところでしょ。
卑弥呼に見られるように、古代の倭人には男系相続という発想は薄かったわけで。
だから古代にはまだその名残があるから、しばしば女帝が出てきたのだろう。

942:日本@名無史さん
22/02/13 14:47:37.35 .net
元々は神魂の黄泉に逃れたイザナミさんでしょうに
倭国大乱、芦原中津国の平定の件で料理の話に矮小化してカミムスビの新宮を燃やしただろ
黄泉はあの世で常世 スクナヒコナが去ったのも常世
橘は常世の木
倭国大乱前の系譜、黄泉の系譜と倭国大乱後のヤマト政権のありよう(ばらばら)
裏と表
裏が表に表が裏に、倭国大乱から600年紆余曲折を経て不完全な形だが倭国大乱前のありよう、平安を取り戻したんだよ

943:日本@名無史さん
22/02/13 15:07:01.29 .net
>>900
アマ多利思比孤が排除されたのは血筋かね。
俺の見るところ書紀の血筋は作り物だからアマ多利思比孤の排除理由は血筋ではない。歴史書に曲げて書くのは政敵だからだろう。天武系に倒された政権なんだろう。

944:日本@名無史さん
22/02/13 15:56:59.85 .net
筑紫の遠の朝廷(とおのみかど)だろ。

945:日本@名無史さん
22/02/13 16:22:24.19 .net
>>902
扶余勇の最初の都太宰府を指している
太宰府市も発掘結果から7世紀後半といってるね

946:日本@名無史さん
22/02/13 17:20:35.24 .net
>>896
系図の捏造は全くの0から作るのでない限り困難だよ
例えば現代に系図を捏造して誤認させ皇族になり清まそうとするのはとても困難
これは昔でも同じこと

947:日本@名無史さん
22/02/13 17:54:27.50 .net
>>904
今伝わる系譜は天武時代以降に作られたものだろう。
200年近く前くらいなら誤魔化せるだろう。
過去の情報量は現代よりもはるかに少なくて、
基にした書物は、新しいものが出来たと同時に打ち捨てられたとも考えられる。
まあ、プヨヨヨンの考えるように、天智が扶余勇だというのは考えられないけどね。
書物の成立年代と時代が近すぎて、関係者で存命な人間が多すぎるだろうから。

948:日本@名無史さん
22/02/13 18:09:21.87 .net
書紀なんざ、当時から誰も信じちゃいなかった。
だから、時間が経つと事実化するチャンスが到来というわけで、法王帝説を作り、
「上宮法皇=厩戸」という言説を流し、法興は年号ではないとまで言わせた。
この行為を現代の日本国は受け継いで、私年号と言ってるんだよ。
まったく、史実を無視し、書紀をバイブルの様に扱う宗教国家さw

949:日本@名無史さん
22/02/13 18:15:12.14 .net
>>905
系図は一つきりしか存在しないという物でもないから全部捏造は難しいよ
天皇の外戚などの物部氏に伝わる系図や藤原氏に伝わる系図なんてのもある

950:日本@名無史さん
22/02/13 18:29:33.21 .net
>>907 ではあっても、 公式に作られた書物が正となり、 他は偽書扱いされる。 そうするには、公式で作られた書物に近いものだけ焚書しとけば済むでしょ。 古い書物は、混乱を招くことを理由として、焚書された。 残るは非公式に周辺のどっかにあずけられた書物が断片的に、 という感じで、時代とともに風化していった。 こんな感じじゃない?



952:日本@名無史さん
22/02/13 19:01:25.55 .net
まあ、記紀に記載されていない大王がいて、隋に使いを送っていたことは間違いない。

953:日本@名無史さん
22/02/13 19:41:27.41 .net
花札のアメは元々の図柄は柳に斧定九郎だった
斧定九郎は歌舞伎のキャラクターなんだが、軽の父を殺して大金を奪ったが、猪に間違われて殺された人物
軽王の父は茅渟王、時代的に第一回遣隋使の頃やね
猪に準えられた逸話が残るのは蘇我馬子
アマタラシヒコは蘇我馬子かもね
アマは夜に仕事をして昼は日が仕事をする
アマと日が分かれていたのか
第一回遣隋使は何処から出立したのか?
朝鮮半島利権の元締め蘇我氏
本当は茅渟王が皇位につくはずだったのか?
妄想が膨らむな

954:日本@名無史さん
22/02/13 19:50:26.42 .net
稲の中から斧定九郎の白い手が伸びてきて軽の父から大金を奪うんだな

955:日本@名無史さん
22/02/13 20:08:46.57 .net
日本はね、というかある政治体制では
書いたものを保存し、時間が経てば史実化できると考えている。だから、逆の証拠は隠滅してゆく。丈六仏光銘は書き換えられて保存され現物は無くなり、偽物が最も古いという理由で史料になってゆく。釈迦三尊像光背銘は現存しているが、無くなれば、法王帝説中のコピーが最も古くなり史料となる。こうして自分たちが考えた歴史が事実化するのを待つ政府もある。アメ多利思比孤が聖徳太子である結論は法隆寺の金石文が残っていたからできた。現政府はこれがなくなるのを待っているのではないだろうかとすら思う。電気座布団による金堂の火事もあったよな。

956:日本@名無史さん
22/02/13 20:33:41.74 .net
王制を維持するには、歴史以外にないから捏造でも何でもする。

957:日本@名無史さん
22/02/13 21:41:25.88 .net
>>908
家系図が捏造なら今に残ってる他の氏族のと比べると
矛盾がたくさん出てすぐにわかるはず

958:日本@名無史さん
22/02/13 22:37:37.59 .net
>>914
矛盾が出ないようにやるだろ。

959:日本@名無史さん
22/02/13 23:58:21.77 .net
家系図があるなら年次鑑定が必要だな。其れで決まるだろう。
その家系図の中で最も新しい人より前には作られなかったんだから、
それ以前の家系図がなければ、捏造の疑いがあるわけ。
まあ、ブロックチェーンのようなものさw

960:日本@名無史さん
22/02/14 00:01:57.60 .net
石舞台で月夜の夜、狐が女に化けて舞を踊ったという伝承
豊日の子聖徳太子
夜に天が座禅をして昼は日が仕事をする
日が照っているのにアメが降るのは狐の嫁入り
アマタラシは石舞台の主、蘇我馬子やろね
残された謎は軽の父、茅渟王の生涯
妻の吉備姫王の墓に猿石の謎

961:日本@名無史さん
22/02/14 00:14:23.36 .net
多勢に無勢で統失が酷い状態にww

962:日本@名無史さん
22/02/14 07:41:30.18 .net
>>918
プヨヨヨン、攻められてるのはおまえだぞwww
なんか勘違いしてるようだがwww
家系図の改変を否定されまくってるのだからwww
>>917
おまえはまだ ”アマ” が ”雨” だと言い張るの?www
狐の嫁入りとかwwww
日本語ちゃんと勉強しろよwww
外国人w

963:日本@名無史さん
22/02/14 11:40:41.67 .net
プヨヨヨンと私の違い
プヨヨンは ”根拠なく” 孝徳・天智系・天武系は百済王家の分家だと言い張る。



964:私は、百済人と倭国の統治者の血縁を含め関係は深いとしながらも、 基本、大王家は倭人、もしくは半島から渡ってきて数百年経った渡来豪族と考える。



965:日本@名無史さん
22/02/15 09:35:53.58 .net
次スレ
スレリンク(history板)

966:日本@名無史さん
22/02/16 13:15:16.65 88B/Lcfhj
小野妹子(おののいもこ)という読み方が間違っているだけ。
小という字は古音で(ソ)という読みがあり、本来はソのイムコ
と呼ばれていた。つまり蘇我妹子。

967:日本@名無史さん
22/02/17 14:11:27.64 .net


968:日本@名無史さん
22/02/17 14:17:15.35 .net
こんなに前スレが余ってるのに、
オレの曝露が堪えて耐えきれなくなり、
次スレを立てて逃げたプヨヨヨンww
ほんと逃げの一手だね、こうなるとww

969:日本@名無史さん
22/02/21 01:21:30.97 .net
朝鮮戦争はアメリカとソ連の代理戦争
代わりに朝鮮人同士相争わせ、殺し合いをさせた
ほんと欧米人はひどいもんだよね、大空襲と言い、原爆投下と言い…
ほとんど死に体の日本の国土に、無意味な大空襲と原爆投下で無辜の民を大虐殺
アメリカ人はこれらは戦況を変えるためと言い張るが、
ほとんど死に体の日本には戦況変えるとか、まったく意味がない話
これらの行為の意味は、日本人に敗北感を与えることと、原爆による人体実験
欧米人は未だに東洋人を自分らと同じ人種とは考えていないであろう
しかし、従うしかない、欧米中心のこの世の中では

970:日本@名無史さん
22/02/21 20:19:59.00 .net
「国際的視点からの古代史考」を否定したければ、その論理を挫けばいい。
自説を唱えても噛み合わないので無視されるだけ。そこのところが可哀そうにわかっていない。

971:日本@名無史さん
22/02/21 22:16:34.06 .net
>>926
別にキミの説をやみくもに否定してるのではないよ。
ただ、証明が足りてないとずっと言ってるだけなのだが。
おれは個人的には面白い説だと思ってるよ。

972:日本@名無史さん
22/02/21 23:47:33.10 .net
>>925
>しかし、従うしかない、欧米中心のこの世の中では
産業革命前は中国とインドで世界のGDPの大半を占めていたわけだし、またもとに戻っていくだろ

973:日本@名無史さん
22/02/22 08:27:50.01 .net
>>928
二地域とも人口は多いけど、人権に対する考え方が未だ近代的ではない。
その点は欧米よりもたちが悪いよね。
結局は差別意識の権化だからね、中華思想とカースト制度

974:日本@名無史さん
22/02/24 18:32:34.65 .net
>>927
どのあたりの証明が足りないのでしょうか
証文はありませんから出せませんけれども状況証拠はそろっています
もし違うというのであればそれこそ証拠が必要でしょう
アリバイ捏造工作してますから書紀は証拠にはなりません

975:日本@名無史さん
22/02/24 19:54:58.98 .net
>>930
・旧唐書でプヨヨンが倭に走った(逃げた)
・福岡の朝鮮山城は羅城
これだけじゃんw
あとはキミの希望的想像の産物ばかりw

976:日本@名無史さん
22/02/24 20:34:56.71 .net
禰軍の墓誌にも日本ヨショウが扶桑に渡って罪を逃れんとすとありますし
禰軍は天智称制の時に来ています
大宰府は太宰府市の調査で創立は7世紀後半です
日本ヨショウは扶余勇だとして間違いありません
扶余勇≠天智なら扶余勇を誰かに当てはめなければなりません
日本史では扶余勇=善光ですが、善光に倭国からの渡航歴がありません
ですから扶余勇≠善光です。だから扶余勇は日本では誰かの疑問が再燃します
扶余勇は百済残党の最高位で、善光が難波大領であることを考慮すれば誰かはおのずと結論できるでしょう

977:日本@名無史さん
22/02/24 21:05:08.65 .net
逆に質問してみましょうかね
天智が扶余勇でなく倭人であるなら、なぜ、唐に対してあれほどの朝鮮半島式の防衛施設を作り、
扶余勇をかくまい、善光を難波に当て、朝鮮人を守ってやる必要があったのですか
これだけの精力と資金があるのなら、白村江にもっとつぎ込んだほうが安上りだったんじゃないですか
扶余勇≠善光という条件のもとで、扶余勇が天智でないなら、誰なのか答えてください

978:日本@名無史さん
22/02/24 21:54:31.72 .net
旧唐書でプヨヨンが倭に走った、福岡の朝鮮山城は羅城からだけではなく
931,932の内容は既に書いてあるんだけれどね
意図的に天智=扶余勇を作り出したのではなく、天智=扶余勇とすれば、天智紀も旧唐書も禰軍墓誌もすべてうまく読める
ので希望的想像ではなく、帰結なんだ。だから、天智≠扶余勇というのなら扶余勇は誰なのか君から教えてほしいんだ。

979:日本@名無史さん
22/02/24 23:23:45.96 .net
天智天皇が扶余勇だと結論するには天智天皇の白村江以降の記述は事実だとして、
百済人の王族の行為として解釈してみなければならないのだが
これがまた実に腑に落ちるのである
そういう前提で天智紀を読んでみることをお勧めする

980:日本@名無史さん
22/02/25 01:03:46.73 .net
扶余勇が日本に来て日本の王になったってか?
甘いんじゃないのか?
それは日本を半島の属国としたい連中らの願望がかなり入ってるだろ

981:日本@名無史さん
22/02/25 01:04:54.54 .net
おまえはそれを承認するわけ?
バカじゃないのかな?
しょせん下っ端で終わる人間ての自分で証明してることにしかならん

982:日本@名無史さん
22/02/25 10:06:27.47 .net
>>936
天智記を扶余勇の行動として読んでみて何ら不都合はなく、防衛施設を作り、百済貴族に対する官位の処遇をし、人質の百済人善光を難波支配に取り立て、百済人を国家の要職につけたり、近江に入植させたり、鎌足がしぬときには「軍国の役に立てず」と百済崩壊を侘びたと取れる発言があり···、と枚挙にいとまがないが、これを読んでも君が百済人が日本の王になることが感情的に認められないと言うんだったら、それを説得する気持ちは私には起きないね。感情を持ち込んでも言い合いに終止するだけで客観的真実の議論には到底なりえないからね。いままで妙に食いついてきたのは民族的感情からだったのだな。私はここは学問カテであるから私の論考に対する質問の場に使っていたが、君の民族的感情を刺激することになったのは私の理論に付け入る隙が無い程完全だという自信にも繋がった。thank you wwww

983:日本@名無史さん
22/02/25 10:23:29.73 .net
>>938
>百済人が日本の王になることが感情的に認められない

いや感情的も何も、
百済人が王だという痕跡が表立って残ってないじゃん。
もし百済人ならなんで隠す必要がある?
天武も百済人なんだろ?

984:日本@名無史さん
22/02/25 10:42:54.24 .net
>>939
証文的証拠がないことは言った通り、状況証拠のみ。天武も百済人と判定している。
何故偽ったかについても既に書いてあるが、想像するに、百済が滅ぶ前は上国から下向してきた意識があったので百済を隠していなかったと思うが、滅んでしまうと、百済の残党などという落ちぶれ呼ばわりされるおそれがあり、それではそれまでのように民心をまとめるには不都合だというわけで、将来に禍根を残さないようにするためにも百済出身を消す方がよいと考えたのではないかと思うが···。それが日本書紀を著した動機だろうと思っている。

985:日本@名無史さん
22/02/25 11:52:08.25 .net
>>940
それはある“かもね”。
あくまで かもね だが。
しかし、百済語が伝わってないし、
善光などの亡命百済人皇族は別扱いされている。
なんで?

986:日本@名無史さん
22/02/25 12:35:42.93 .net
『周書』百済伝によれば、王は「於羅瑕」を号しており、これを民衆は「鞬吉支」と呼んでいた。『釈日本紀』の秘訓では君「キシ」、王「コキシ」、大王「コニキシ」という訓みが伝えられており、「鞬吉支」はこの「コニキシ」に対応すると考えられる。
ほかにも百済貴族は民衆とは違って高句麗語だったとされ、研究では高句麗語は朝鮮語を跳び越して日本語の方に近いことがわかっている。検索すれば資料がわかる。
善光は百済王族で私の説では勇に難波支配を任された。彼は義慈王の王子の中では扶余勇より年齢的に上で残った者の中では格から言えば扶余家の跡取りになるべき人物だった。しかし、勇も死に皇子の大友も倒され扶余家は傍系にあたる天武が握ってしまった。それで、扶余家の正統な血筋として特別扱いし百済王氏を嫁の持統の代に与えたと考えられる。

987:日本@名無史さん
22/02/25 12:46:26.24 .net
>>942
倭が百済王族が大王になったという事は
倭も百済と同じように
支配層が扶余人になった言うことよねえ。
なら、
なぜ百済と同じように二つの王の呼び方が残らないの?
最近は、実は扶余語はあまり日本語には似ず、
日本語に似てる地名などは半島倭語に由来するのでは?
という説があるけど。

988:日本@名無史さん
22/02/25 13:16:35.44 .net
二つの王の呼び方が残るべきかどうかわかりません
言葉が伝わっていないというので高句麗語を挙げた。高句麗語では3は「密」、5は「于次」、7は「難」、10は「德」と書き表されたことがわかっており、中国語の一時代の一方言の表記では、「密」はmit、 「于次」はjo tshij イオツィイ、「難」はnan、「德」はtok の対応があり、日本語の数詞と近い。発見された数詞すべてが日本語に近いことは驚きであり、それが飛び飛びであることはその他の数詞も一致する可能性が高いことを示している。これが百済人を通じてか、それ以前に伝わったものかはわからないので、言語をもって具体的な集団の到来の証明とすることは出来ないけれど、傍証としては役に立つ。そういう意味で、言語に痕跡があるはずだと質問を受けたと捉えている。

989:日本@名無史さん
22/02/25 17:54:28.17 .net
やはりポイントは半島倭語w

990:日本@名無史さん
22/02/25 18:10:53.87 .net
>>945
私の情報は古かったかもしれない
大陸倭語はポイントでしょう

991:日本@名無史さん
22/02/25 21:17:13.98 .net
百済語が伝わっていないとする意見に反応してしまったが、天智紀には多数の百済人が官位を受けている事が記されているので言語による傍証は不要だった。言語はすでに述べたように特定の集団の移動を証明するものではなく、もっと広く長く民族的観点から研究されるべきもので、高句麗語の数詞が日本語近いことをもって高句麗語を話す小集団が到来したと結論する事はできないうえ傍証にもならない。ごめん。

992:日本@名無史さん
22/02/28 00:14:06.87 .net
そんなこと主張するやつらは多分に願望が含まれとるからの
話にならん場合が多いわけさ

993:日本@名無史さん
22/02/28 10:03:23.81 .net
>>948
そんなことってどれを指してるの?

994:日本@名無史さん
22/02/28 16:17:25.99 .net
>>948を書く人はあちこちで見かけるが、いつも何を指していっているのかはっきりしないね
はっきりさせると議論になるので恐れてる?過去の敗北経験からw

995:日本@名無史さん
22/03/01 02:12:13.32 .net
あっそ

996:日本@名無史さん
22/03/01 11:53:10.51 .net
あまいたりしほっこ

997:日本@名無史さん
22/03/01 15:37:08.45 .net
卑弥呼ってのは預言者のことやぞ
尊卑


998:ってのは時間軸を表すからな 尊が過去、卑が未来



999:日本@名無史さん
22/03/01 15:38:06.32 .net
卑屈とは未来に屈する状態

1000:日本@名無史さん
22/03/01 15:41:51.15 .net
未来予知とかそっちやな
シャーマンの一種だろ

1001:日本@名無史さん
22/03/04 15:12:22.08 .net
>>955
この統失は何をブツブツ言っておるのか
ね。お前らの歴史が危なくなって来て居るの
に。

1002:日本@名無史さん
22/03/04 16:14:05.33 .net
>>956
それ俺じゃないよ、バカw
ID出ないんだから、文体で人を区別出来るようになれ、バカw

1003:日本@名無史さん
22/03/05 20:30:14.44 .net
統失扱いくらいしかできない時点でおまえら🐵ってだけで

1004:日本@名無史さん
22/03/05 21:25:10.24 .net
敗北は人を統失にする。
統失は敗北経験から断定できないww

1005:日本@名無史さん
22/03/05 21:27:58.98 .net
統失は負ける恐れがあるので、内容に触れない。
あるいは、あいまい表現に終わる。

内容に触れず茶化している奴は統失。
断定しない表現しかしない奴も統失。


1006:日本@名無史さん
22/03/05 21:41:17.68 .net
でもお前ら統失じゃん🤣

1007:日本@名無史さん
22/03/05 21:42:14.29 .net
>>958-960
誰彼構わず統失連呼してる時点で敗北宣言してるのはあなたなのだがww
冷静になれよ、冷静にw
ほんとにあおりに弱いプヨヨヨヨーンww

1008:日本@名無史さん
22/03/05 21:49:33.81 .net
統失には敗北経験が色濃く残っているようだね。
959に反応すると思ったぜwwww

1009:日本@名無史さん
22/03/05 21:58:32.47 .net
弥十郎の🏚

1010:日本@名無史さん
22/03/05 21:59:14.98 .net
糖質多くて草なんだ🤣

1011:日本@名無史さん
22/03/05 22:04:16.70 .net
くさくさくさ

1012:日本@名無史さん
22/03/06 09:33:48.47 .net
独り言は反論を避ける心理から(=絶対に負けることはない)。
けれども独り言はなお自分を認めてほしい敗北者の諦めきれない行動なのだ。
面白いねwwwwww

1013:日本@名無史さん
22/03/06 10:30:07.22 .net
>>967
まだおまえを相手してるのが1人だと思っているんだねw
で、このスレも中々埋まらないなw
スレ立て早すぎたなw
というか、
オレに突っ込まれるのが耐え難くて
新しいスレ立てして逃げたのが正直なところだろうなwww
オレからは逃げられないよw

1014:日本@名無史さん
22/03/06 10:39:51.42 .net
>>968
やめたれ🤣

1015:日本@名無史さん
22/03/06 12:28:35.80 .net
>>968
やはり、執拗を自白。もう何か月も続いてるんだから、やっと自認せざるをえなくなった。
心理分析に十分なログを提供したのはお前さん自身さ。
今後ともよろしく。次の分析では嗜好・家族・尻の穴まで見通せるかもなwwwwwwwwww
>>969君。やめる必要はないよ。

1016:日本@名無史さん
22/03/06 13:35:23.09 .net
>>970
おまえは何を言ってるんだ?w
結局 おまえが否定されることを一番恐れてるんじゃないかw
そりゃそうだ、おまえ独自の説だからねw
誰も支持なぞしないわけだw
何が ”日本史はオレのおもちゃ” だよw
臆病者w

1017:日本@名無史さん
22/03/06 14:55:57.78 .net
>>971
俺が恐れるらしい否定とやらをこの何ヶ月間一度もみないがwwww
同じウジ虫がいつまでも這いずり回っているのは見るがのうww
一人か二人納得していたが、これだけでも有り難いことだ。先生のような口調だった。

1018:日本@名無史さん
22/03/06 20:50:03.68 .net
人を必要以上にののしり言葉で罵倒するのは、
その人を恐れているからだろうw
ガンバレ、朝鮮の妄想家w

1019:日本@名無史さん
22/03/07 18:02:52.91 .net
泰然自若。既に勝利している。

1020:日本@名無史さん
22/03/11 09:54:04.90 .net
鬼前大后は百済人名の可能性濃厚。
これを「穴穂部皇女,法隆寺金堂釈迦三尊像銘では鬼前太后とも記す」は苦しい捏造。
失敗した帝説を、文献化して史実に持ってゆく恐るべき現代の歪曲姿勢。
干食王后は百済人名の可能性濃厚。これが何故膳部菩岐々美郎女になるのかね。
日本人の知能を疑うよ。ほとんど、妄信だね。

1021:日本@名無史さん
22/03/11 22:18:44.75 .net
帝説さん!鬼前=穴穂部、干食=膳部は苦しすぎる
これを踏襲する人、知能が低いのがまるわかりww

1022:日本@名無史さん
22/03/11 22:19:15.51 .net
日本史やってる人、知能低いwww

1023:日本@名無史さん
22/03/11 22:20:17.49 .net
日本史も国史的視点から見直されるべきでしょwwww

1024:日本@名無史さん
22/03/11 23:05:19.59 .net
★陰謀論者・捏造史の作者達★ [無断転載禁止]c2ch.net
スレリンク(history板)

1025:日本@名無史さん
22/03/11 23:09:08.62 .net
日本史は国際的視点から見直されるべきでしょwwww

1026:日本@名無史さん
22/03/12 20:38:16.80 .net
パワハラで統失になった奴らに5chを封じさせるのは無理だろうww

1027:日本@名無史さん
22/03/16 04:03:47.22 .net
聖徳太子=蘇我馬子=阿毎多利思比孤  である
阿毎多利思比孤は九州王であり、倭国は九州と畿内の二朝併存だった
阿毎多利思比孤が大和にも覇を唱え、統一倭国王になったのだが、
その本来的称号は天王である
天を兄とし日を弟とし、つまりは九州王が畿内王を従えている
日本とは畿内のことである
法隆寺と四天王寺が聖徳太子により建立されたが、
四が欠落したものと説明される天王寺の地名の本来こそが天王寺であり、
それはすなわち天王の寺という意味になる
天王とは九州王を指している
一方、紀記編纂時に天皇の称号が生じたが、
元来、皇の字は皇帝すなわち帝国の王=諸国の王を意味するのであり、
名目において二朝の王を意味して初めて天皇が成立したわけである
蘇我氏を滅ぼした大化の改新の頃、法隆寺が焼失しているが、
王位を簒奪した天智天皇によって焼き払われたと考えられる
その再建が太子の怨霊を封印する目的でなされたとの仮説には蓋然性があろう
壬申の乱で王位を得た天武天皇は蘇我系だと考えられるが、
そこに連なる橘三千代の系譜により法隆寺が篤く信仰された背景にはそのような事情が隠されている
スレリンク(history板:534番)-541
//lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1542085302/482,488,491,496,498,767,779,781,787
//lavender.2ch.sc/test/read.cgi/history/1542563254/168,170,177,180

1028:日本@名無史さん
22/03/16 07:39:31.69 .net
斑鳩にいた厩戸王と、筑紫にいたタリシヒコが同一人物なわけないだろ。

1029:日本@名無史さん
22/03/16 07:47:10.56 .net
九州に居た多利思比孤が隋に認められ倭国総国の王となって斑鳩の地に赴き、
畿内大和に法隆寺、畿内日本の地に(四)天王寺を建立した

1030:日本@名無史さん
22/03/16 08:38:27.85 .net
斑鳩みたいな田舎に移ったのなら、ただの都落ちじゃん。
前漢の時代から、倭国の王都は九州北部なのだから。

1031:日本@名無史さん
22/03/16 19:43:47.78 .net
>>985
高句麗南下以降の南鮮権益の喪失による経済上及び国防上の理由からだろう
補足しておけば、
聖徳太子=蘇我馬子=阿毎多利思比孤=神武天皇である
ただし仏才の入鹿=太子もあり得る
スレリンク(history板:233番)-237
神武と同じハツクニシラススメラミコトの崇神が畿内王の、かつ現皇室の始祖にあたるが、
継体が入婿で承継してる可能性はある
応神仁徳が九州王の系統となる
なお天孫降臨の位置付けは検討を要するが、国譲りについては継体朝の出来事である。
「長門以東朕�


1032:ァ之、筑紫以西汝制之。」がそれにあたる。



1033:日本@名無史さん
22/03/16 19:44:44.98 .net
自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。而遼邈之地、猶未霑於王澤、遂使邑有君・村有長・各自分疆用相凌躒。抑又聞於鹽土老翁、曰『東有美地、靑山四周、其中亦有乘天磐船而飛降者。』余謂、彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。何不就而都之乎。」諸皇子對曰「理實灼然、我亦恆以爲念。宜早行之。」是年也、太歲甲寅。
其年冬十月丁巳朔辛酉、天皇親帥諸皇子舟師東征。
URLリンク(www.seisaku.bz)
天孫が降臨されてから、百七十九万ニ千四百七十余年になる。しかし遠い所の国では、まだ王の恵みが及ばず、村々はそれぞれの長があって、境を設け相争っている。さてまた塩土シオツツの翁に聞くと、『東の方に良い土地があり、青い山が取り巻いている。その中へ天の磐舟いわふねに乗って、とび降ってきた者がある』と言うのです。思うにその土地は、大業をひろめ天下を治めるによいであろう。きっとこの国の中心地だろう。そのとび降ってきた者は、饒速日ニギハヤヒというものであろう。そこに行って都をつくるにかぎる」
諸皇子たちも、
「その通りです。私たちもそう思うところです。速かに実行しましょう」
と申された。
この年は太歳の甲寅たいさいのきのえとらである。
その年冬十月五日に、天皇は自ら諸皇子と舟軍を率いて、東征に向われた。
URLリンク(kodainippon.com)

1034:日本@名無史さん
22/03/18 08:59:59.94 .net
九州説は皇国史観を認められない奴の溜まり場だろう。
教祖は中国史書すらいい加減にしか読めないエセ学者。
又、妄想仮説を立証しようとする典型的な錯倒者。
九州説には王朝の存在を示す根拠がないと思うがのう。

1035:日本@名無史さん
22/03/18 13:23:33.97 .net
皇国史観を堂々と主張する畿内説は珍しいが、それこそ妄想だろう。

1036:日本@名無史さん
22/03/19 21:29:53.34 .net
皇族は中華皇族ではないぞ

1037:日本@名無史さん
22/03/20 20:57:13.01 .net
解らないふりをするなよ、多重人格w

1038:日本@名無史さん
22/03/27 14:38:54.64 .net
中国より南部の方が仏教盛んだったんだから当たり前だ

1039:日本@名無史さん
22/03/27 19:41:42.40 .net
>>988
九州説は魏志倭人伝を比較的素直に解釈する人たちだろ
九州説の中でも、
大雑把に分けると、福岡限定、北部・中部九州連合王国説とかわかれるが、
詳細に見てくと、もっと細かく分かれる。
畿内説のおかしいところは、
・度量衡の発達していた中国人が、
 南と東を間違えるというありえないところから出発


1040:しているところ、 ・邪馬台国の説明文の詳細が奈良の大和地方とはとても思えないこと、 ・遺跡をろくろく発掘もせず決まっても居ないのに、  裏付けも無くそれだと決めつけて語ってるところ、 などなど数え上げればきりがない。



1041:日本@名無史さん
22/03/27 21:02:15.79 .net
あのう、邪馬台国はスレ違いですう。

1042:日本@名無史さん
22/03/27 21:09:03.30 .net
そうでもない。
卑弥呼も多利思比孤も同じ倭王で、それがどこにいたかという問題だからだよ。
卑弥呼も多利思比孤も、日本書紀にはなぜか出てこない。
倭国と日本国は別の国なのではないか?
『旧唐書』倭国・日本国伝
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。
あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。

1043:日本@名無史さん
22/03/27 21:11:08.40 .net
だから(とあるスレッドによると)『倭猿』の話だろう、
いい加減にバカにされているんだと気づいたほうが良いぞ。
ほんとーは、世界中から、そう思われている。

1044:日本@名無史さん
22/03/27 21:12:48.28 .net
あと三貴子(?)とか、
有名な・・・もいたりするんだけど、
ほんとーは系統も違う、無理に?繋げたり。

1045:日本@名無史さん
22/03/27 21:13:44.78 .net
『三貴子』不明。
例『天若日子 シール』

1046:日本@名無史さん
22/03/27 21:14:33.72 .net
~系統というか、家自体?違う。

1047:日本@名無史さん
22/03/27 21:16:41.11 .net
ちなみに家は、
『天財若子』(『』)・・・こういう家、調べてみた?

1048:日本@名無史さん
22/03/27 21:45:39.44 .net
>>995
邪馬台国とタリシヒコを関係付けないほうがいいんじゃないか。間に倭の五王の時代もありますから、五王との関係のほうが先ですから。

1049:1001
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