聖徳太子=阿毎多利思比孤at HISTORY
聖徳太子=阿毎多利思比孤 - 暇つぶし2ch650:日本@名無史さん
21/11/06 17:28:57.03 .net
作り話でしょ。w

651:日本@名無史さん
21/11/06 20:53:06.10 .net
ツッコミどころ満載

652:日本@名無史さん
21/11/06 23:49:46.79 .net
緒形拳だったら昔の奴じゃないの?それだったら知ってる。

653:20年前だってよ
21/11/07 07:21:33.99 .net
みんな若い!

654:日本@名無史さん
21/11/07 08:09:09.93 .net
昨日観たが、面白かった。
緒方拳がディナーを食べながら美女を侍らした後のシーンは妙に興奮というか高揚感があった。
1400年前も酒池肉林というか、こういうことやってたんだなって。

655:日本@名無史さん
21/11/07 08:41:58.51 .net
歴史学カテでドラマを語るな

656:日本@名無史さん
21/11/07 08:54:34.93 .net
聖徳太子に聖人君子像を求めてる人には噴飯ものだなw

657:日本@名無史さん
21/11/07 10:20:30.84 .net
学問カテ
お前らの話は「ドラマ」カテでやってくれ。
ここは聖徳太子=阿毎多利思比孤の意見を求めている。

658:日本@名無史さん
21/11/07 18:11:30.46 .net
昭和の聖徳太子にまつわる場所は大麻の空気感が高い

659:日本@名無史さん
21/11/08 09:46:00.80 .net
アメタラシヒコは諸国の王という説があるな
法隆寺にペルシャの品々がたくさんある
聞くところによると随との戦争に破れ高句麗や百済を経由して日本にたどり着いたらしい
だから法隆寺にはペルシャの品々がたくさん納品されてるし、夢殿も、その地域のパオそっくりな形状になってる

660:日本@名無史さん
21/11/08 11:45:43.28 .net
そうかもしれん。
秦王國は偉人の国の名としては上等。
「其人同於華夏」。アメタラシヒコ=上宮法皇の実写コピーが法隆寺釈迦像。
東アジア以外の血が混じっているようには思う。

661:日本@名無史さん
21/11/08 11:58:04.24 .net
八角堂は遊牧民から来ていると思うが、
中国でも古くからあっただろうし、半島にもあっただろうし、夢殿の由来は難しいだろう。

662:日本@名無史さん
21/11/08 12:10:21.31 .net
>>626
偉人は夷人のまちがい。

663:日本@名無史さん
21/11/08 12:44:40.72 .net
おいおいその見方は自分らを都合よく見せようってだけだぞ

664:日本@名無史さん
21/11/08 12:49:29.92 .net
696
縄文人自体がもともと北アフリカの方の民族らと近い人種なんだよ

665:日本@名無史さん
21/11/08 12:50:37.93 .net
古代のエジプト人とかと顔つきが似ていたりしてな
日本の先住民がそおだもんよ

666:日本@名無史さん
21/11/08 13:42:18.46 .net
どっから混ざったか知らないような白黒中東人西欧人らじゃねえぞ
やつらどこにでも顔を出すから本来の住人らの顔が紹介されなかったりな

667:日本@名無史さん
21/11/08 13:42:26.64 .net
実際ペルシャ人がその時代に生きてたソースあるぞURLリンク(img-www5.hp-ez.com)
聖徳太子の少しあとだが導入後としてはタイミングが合う
URLリンク(%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA-%E5%BE%A1%E6%9C%B1%E5%8D%B0.jinja-tera-gosyuin-meguri.com)
URLリンク(%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA-%E5%BE%A1%E6%9C%B1%E5%8D%B0.jinja-tera-gosyuin-meguri.com)
文化は違うように見えて衣装は同じとか否定することに考える時間のほうが増えてしまってる

668:633
21/11/08 13:46:27.05 .net
俺は否定派というか肯定しろとは言わない派
裏付けとれて自分で納得すればそれでいい
でも100%そこまでいくにはまだ資料が必要ということ

669:日本@名無史さん
21/11/08 14:17:59.70 .net
日本に来たとされるペルシャ人て
破斯清道とされる人物だろ

670:日本@名無史さん
21/11/08 14:19:07.94 .net
ペルシャ(波斯)国から来たからそのまんま
破斯って名乗っとるやんけ

671:日本@名無史さん
21/11/08 14:21:59.89 .net
人物ではなくて職名なんかな?
式部省の記録からでてくる四等官相当の役職で大学寮関連の役人らしいがな

672:日本@名無史さん
21/11/08 15:03:41.76 .net
隋の使者が見て、華夏と同じと断定
他の民族の特徴を知っていての結論
華夏は中国の夏国を指しているだろう

673:日本@名無史さん
21/11/08 16:27:05.75 .net
杞(き)国のことか?

674:日本@名無史さん
21/11/08 16:58:07.47 .net
Wikipedia-華夏
華夏という語は元来、関中の渓谷沿い、および黄河の河沿いに居住していた、新石器時代後期および青銅器時代初期の、現在の漢民族に連なる太古の諸民族が融合してできた農業部族をいう、西戎の黄帝とその後裔である夏王朝と周王朝を「夏族」とする、このうち周王朝は殷王朝の諸侯であり、後に殷王朝を滅ぼした、東夷に起源をもつ殷王朝とその末裔は周の一部の諸侯である為「華族」である、「華族」と「夏族」が相次いで中原に王朝を建てて融合したので、中原の王朝と配下の諸侯は先秦時代に「華夏族」と総称され、中原も「華夏」と呼ばれた。この概念は中国古代の戦国時代(紀元前443年~紀元前221年)に発展し、戦乱の最中に古代中国全土に広まっていった。その頃になると、華夏は主に文明社会のことを定義するようになり、周囲の野蛮と見なしていた国々とは対照的な意味合いで用いられるようになった。
華夏は単に文明国の意味かもしれません。

675:日本@名無史さん
21/11/08 22:03:05.73 .net
全ての人類はもとはと言えば北アフリカ出身だぞ。
それ以外の人類はヒトではない。

676:日本@名無史さん
21/11/12 02:29:34.85 .net
時代的にはササンの滅亡とは合うね。
アーリア系なら元祖バラモンだし仏教はその亜流というか新興宗教に過ぎないから、
大陸移動中に改ざんされローカライズされたインチキ中華仏教も持ち込んだのかもね
コンスタンスティヌスより大分後の時代でもあるから、「馬小屋生まれ」も当然入ってきて当たり前の時代的文化的背景も十分あるね
まぁ高額紙幣の肖像画になった実績が一番大きくて、随分と盛られたイメージで作り上げられた伝説上の人物ってところだろ。

677:日本@名無史さん
21/11/15 19:13:03.59 .net
わからないんだけど、
シバの女王って、
ペルシャ、波斯氏?

678:日本@名無史さん
21/11/15 19:14:14.85 .net
後の、
オオゲツヒメ、
あまてらすおおひるめむち大神、
らしいけどさ。

679:日本@名無史さん
21/11/17 23:27:28.43 .net
記紀の冒頭の文章から当時すでに聖書の知識はあったと思われる。
唐の太宗(-649)の時代に景教が入っている。
「厩戸の皇子」は書紀の時代に名付けられたとできるから、
聖徳太子をキリストのイメージで描いた可能性がある。
それ以前の木簡にもし「厩戸」が出れば話は別だが・・・。

680:日本@名無史さん
21/11/17 23:50:31.57 .net
黄泉の国にオルフェウスを迎えに行く話はどこで混入しましたか
順序的に見て元々最初の方に入っていたってことですか

681:日本@名無史さん
21/11/18 08:43:16.85 .net
>>643
シバの女王の子孫はWHOのテドロス

682:日本@名無史さん
21/11/18 10:08:29.91 .net
>>646
イザナミ・イザナギはギリシャ神話からですね。
聖書の話やギリシャ神話は百済人が、本国ですでに中国から仕入れていたのかもしれません。

683:日本@名無史さん
21/11/18 11:38:30.08 .net
え?

684:日本@名無史さん
21/11/18 12:21:29.11 .net
百済貴族たちは663年まで本国にいましたが、
白村江で敗れて大挙して倭国にやってまいりました。
すでに、唐から聖書の話やギリシャ神話を知っていたんじゃないでしょうか?
百済人が書紀を作りましたから、これらをアレンジしたのではないかと。

685:日本@名無史さん
21/11/21 08:06:59.35 .net
医療大麻解禁する
URLリンク(gendai.ismedia.jp)
厚生労働省は2021年1月から6月にかけて「大麻等の薬物対策のあり方検討会」(以下、検討会)を計8回に渡って開催した。検討会での意見はすでに報告書として取りまとめられ、関係審議会での議論を経て、早ければ来春に*法改正される見込みとなっている。 

*2ユーザーレビューみると*3万病に効くらしい
*3神宮大麻とか天照大御神は大麻の神様で*4タケルヤマトも*3大麻やってる
*4妻の一人、弟橘媛が*3大麻神社の娘
*4聖徳太子も義理弟が當麻寺(たいまでら)
*聖徳太子自身法隆寺で庶民に極楽浄土として*3大麻を施していたという

686:日本@名無史さん
21/11/21 10:19:13.42 .net
百済なんて単なる濊王が百済王に選ばれた300年代から始まるもんやろ

687:日本@名無史さん
21/11/21 10:19:50.72 .net
それ以前には日本と一切関係ないしな
接点すらない

688:日本@名無史さん
21/11/21 11:05:43.81 .net
503年以降は倭と百済は大いに関係ある。倭が属国だ。
アマタリシヒコは百済系大王。
日本国号は百済人が自分たちの国にして付けた名前だ。

689:日本@名無史さん
21/11/21 11:07:50.81 .net
*4聖徳太子が豊総耳と言われて一度に10人の声を投資に聞き分けてそれぞれに答えてたと言われる逸話 あれも*3大麻の効果

690:日本@名無史さん
21/11/21 11:46:41.06 .net
654
意味不明

691:日本@名無史さん
21/11/21 23:06:19.36 .net
>>656
意味不明?。
お前はよく理解しており、認めないと言ってるだけw。

692:日本@名無史さん
21/11/22 01:55:32.85 .net
バカだろてめえ
出直してこいって話だろ

693:日本@名無史さん
21/11/22 08:56:27.08 .net
>>658
以下のことはあちこちで言ってるが、知らないというなら復習しておきましょう。
①503年以降は倭と百済は大いに関係ある。倭が属国だ。
倭の五王は武の502年までは中国史書にでるがそれ以降は全くでなくなる。
503年から倭国王は日十大王となり、これが昆支系だから、百済系に乗っ取られた。
朝貢していない=外交権を奪われた=倭は百済属国。
②アマタリシヒコは百済系大王。
昆支系には筆頭貴族に木(=蘇我)がいた。アマタリシヒコ(=聖徳太子)は蘇我に擁され、昆支系ゆえ、百済系。
③日本国号は百済人が倭国を自分たちの国にして付けた名前だ。
言わずと知れた扶余勇様の行動。白村江でやぶれ、兄豊は高句麗へ、勇は倭国へ。
高句麗を手に入れることができず、豊は囚われの身に。やむなく、島国倭国を日本国号に変えて、百済の命脈を保つw

694:日本@名無史さん
21/11/22 08:59:12.25 .net
何か問題ありますう~?

695:日本@名無史さん
21/11/22 10:55:38.69 .net
論外

696:日本@名無史さん
21/11/22 11:42:40.00 .net
>>661
お宅の主張と真っ向から違うのに逃げるのですか? たいした奴じゃないなw

697:日本@名無史さん
21/11/22 17:17:48.84 .net
話にならん
うちの🐶とでも会話してろ

698:日本@名無史さん
21/11/22 21:16:36.54 .net
その絵はお前の嫁か? 

699:日本@名無史さん
21/11/23 23:42:45.37 .net
建国記念日=紀元節
昭和の日=昭和天皇誕生日
春分の日=春季皇霊祭
憲法記念日=憲法公布を明治天皇誕生日(文化の日)にあわせたため5月3日になった
こどもの日=端午の節句
秋分の日=秋季皇霊祭
文化の日=明治天皇誕生日
勤労感謝の日=新嘗祭

700:日本@名無史さん
21/11/24 07:52:19.74 .net
🐶は🐶っす

701:日本@名無史さん
21/11/24 09:05:29.08 .net
>>665
知らなかった!!
ちゃんと正義は行われてるんだね!!

702:日本@名無史さん
21/11/24 10:12:0


703:8.41 .net



704:日本@名無史さん
21/11/24 11:48:37.74 .net
>>667
何が何故正義なんですか?

705:日本@名無史さん
21/11/24 18:42:46.82 .net
>>666
お前の嫁は変な顔だなw

706:日本@名無史さん
21/11/28 06:26:34.28 .net
阿毎多利思比孤って、任那四県の多利の皇子ってことだろう?
この四県とは「任那国の上多利(したり)・下多利・娑陀・牟婁の四県」
『日本書紀』継体天皇6年(512年?)4月6日条によれば、哆唎国守の大伴金村と穂積押山は百済から賄賂を貰って任那を割譲してしまう。
領地を失った任那の王族や臣民は日本に移住してきている。その子孫の一人が聖徳太子というわけだ。
多利からの帰化人の入植地が足利である。

707:日本@名無史さん
21/11/28 07:26:57.96 .net
238年 卑弥呼「親魏倭王」金印
    難升米「率善中郎將」銀印 都市牛利「率善校尉」銀印
243年 伊聲耆掖邪拘「率善中郎將」銀印
245年 
濊が高句麗に属したため、楽浪太守・劉茂と、帯方太守・弓遵がこれを討ち、
濊は魏に降伏した。
次いで韓が反乱したため、
同じく、楽浪太守・劉茂と、帯方太守・弓遵が、これを討ったが、
弓遵は戦死した。
245年6月 難升米に黄幢を賜う。
246年6月 韓滅亡
>馬韓の官には、魏率善、邑君、などなどがあるが、
>韓の臣智に与えられたのは、邑君であり、次が邑長とある。
苦戦した魏が、黄幢をあげるからと難升米に援軍を要請して、
伊聲耆掖邪拘が出陣して魏の勝利に貢献し、
魏率善として、馬韓に領土を得た。
後の百済であり、キナイコシが全力で九州説を妨害する核心的理由である。

708:日本@名無史さん
21/12/01 10:43:01.19 .net
671
タリだけで妄想全開w

709:日本@名無史さん
21/12/01 19:06:57.62 .net
巳百支國 領主 掖邪拘は、奴国 領主 升米と同じ、率善中郎將
黄幢、檄は、おそらく巳百支國より大国だった奴国の難升米に来ている。
難升米同様、伊聲耆掖邪拘も出陣していない。
ただし難升米の黄幢、檄告諭の後、張政を送還し詣臺朝貢している。
掖邪拘は、2回往復しているという事?
247年なので、帰国や朝貢での皇帝のお土産自慢の報告が無いので
帰国出来たのかどうかも判らない。
気になるのは、巳百支國という国名。
列記21国の、和音国名を漢字にしたのとは趣きが違う。
そもそもが後の任那のような
半島領地を持つ海神国だったのかもしれない。
日本の青銅輸入?は、BC200年から有る。
ただし、日本国の軍事統一というのは信長以前には無い。
畿内説はこの時代の九州の独立国が認められないのだけれど
薩摩琉球は、パリ万博に到ってまで、独立国の振る舞いを見せている。
戦国領主国以前の豪族後宮政治の世界は、源氏物語に見えている。

710:日本@名無史さん
21/12/08 12:34:03.21 .net
プヨヨンがまた自スレから逃げ出して妄想レスしてるねw
アマタリシヒコ(〜タラシヒコ)って音の響きは
日本語(倭語)にしか思えないのだがw
そもそも百済人の話す言葉の漢人による当て字と比べてみれば即分かると思うのだが?
もう破綻してる妄想やめたら?

711:日本@名無史さん
21/12/08 13:26:07.50 .net
このスレは俺が立ち上げたが、状況判断に暗いね。
思い込みが強いようでは、国際関係も客観的な判断は望めないなwww

712:日本@名無史さん
21/12/08 16:12:52.81 .net
そまそもタラシヒコは天皇の和風諡号としては決して珍しくはないのに。
歴代で七人くらいいるらしい。

713:日本@名無史さん
21/12/08 19:52:02.98 .net
>>673
天子塚古墳ていうのが多利からの帰化人の入植地にある。
阿毎多利思比孤=天族の多利氏の王子ということだ。
日本3大碑の1つ多胡の碑とも関係していると思う。

714:日本@名無史さん
21/12/08 20:02:34.81 .net
結論
阿毎多利思比孤は個人を指した言葉ではなく、
天皇、または当時の実力者を指した尊称を中国人が個人名と勘違いして
記録に残したにすぎない。
天垂らしたる日子
多利がどうとかは論外w

715:日本@名無史さん
21/12/08 20:07:04.18 .net
ああ、多利思比孤とはズバリその時代の天皇の称号だということね。
天垂彦だからね。
仏教思想も取り入れた尊称ですね。

716:日本@名無史さん
21/12/08 20:13:23.72 .net
>>680
と思うんだけどね。
当時の大王が推古だとしたら、女帝ではかっこがつかないから、
摂政の厩戸が対外的には王と名乗ったのかも知れない。
男尊女卑的な発想ではあるが。
いくらなんでも馬子が大王を名乗るとは思えないけどね。

717:日本@名無史さん
21/12/08 21:49:54.92 .net
自分の疑問を解消してから摂政説なり述べてね、大人でしょ?

718:日本@名無史さん
21/12/09 12:23:54.05 .net
まあ、朝貢した倭国は日本書紀に書かれている奈良盆地の政権とは別だったのでしょう。

719:日本@名無史さん
21/12/09 12:31:02.96 .net
>>683
どこなの?

720:日本@名無史さん
21/12/09 13:24:54.78 .net
低い知能で考えたってろくな答えは出やしないw

721:日本@名無史さん
21/12/09 18:15:28.96 .net
ヒント
阿蘇山について言及されている。

722:日本@名無史さん
21/12/09 18:26:54.42 .net
日本知能低いよろしい

723:日本@名無史さん
21/12/09 19:25:13.80 .net
>>686
ひょっとして、きゅ、九州か?

724:日本@名無史さん
21/12/09 20:36:52.92 .net
そうなんだろうね。

725:日本@名無史さん
21/12/09 21:17:07.21 .net
2145

726:日本@名無史さん
21/12/09 23:46:42.76 .net
九州説を誰か聴いてやってくれい

727:日本@名無史さん
21/12/10 23:29:02.34 .net
統失君! 九州説の面倒を頼みます。

728:日本@名無史さん
21/12/12 14:18:11.52 .net
九州説も萎えたなw

729:日本@名無史さん
21/12/13 19:10:44.67 .net
阿毎多利思比孤は、押坂大兄のタイシヒコであって、
聖徳太子=上宮法皇だろ? 隋史には、当時二王が有ったとある。
日本の歴史事実と言うのは、記紀に準拠しなきゃいけないのか?
日本神道信者の、白石や宣長は、真実への到達は、あきらめた。
おまえらwww
もう見えてるだろ?

730:日本@名無史さん
21/12/13 21:04:18.72 .net
結論があいまいなままものを言うなw

731:日本@名無史さん
21/12/14 20:39:22.98 .net
ウヨは逃げたw

732:日本@名無史さん
21/12/15 00:14:46.77 .net
九州武士団自体が貴族出身、皇族出身、神官出身だの様々
だから自称は命取りだと

733:日本@名無史さん
21/12/15 00:16:33.59 .net
古代に繋がらないんだよ
西暦800年代から始まってるからよ
九州の御家人らに対しても鎌倉北条家あたりもかなり気を使ってんだぞ

734:日本@名無史さん
21/12/15 00:17:54.19 .net
中には半年から逃れてきたやつらが籠ってたとこあるかもしれんが
それで九州王朝だのな
どこかの隠れ里か?

735:日本@名無史さん
21/12/15 00:18:08.48 .net
半年→半島

736:日本@名無史さん
21/12/15 13:11:38.68 .net
聖徳太子=阿毎多利思比孤

737:日本@名無史さん
21/12/15 16:24:58.80 .net
根拠なし

738:日本@名無史さん
21/12/16 00:07:40.13 .net
>>702
 国際的視点からの古代史考のサイトを読んでいっているのならどこが根拠なしか言ってよね。
読まないで根拠なしは誹謗です。

739:日本@名無史さん
22/01/23 21:50:17.45 .net
三蔵法師玄奘は架空の人物
インドから教典を持ち帰った玄奘という仏教僧がいたにしても
西遊記に出て来る孫悟空や猪八戒�


740:竝ケ悟浄を従えてる三蔵法師玄奘は創作だしフィクションだろう・・・ 源義経は架空の人物 平安時代の武将に源義経がいたにしても 橋の上で弁慶と戦ったというのは嘘だし勧進帳も歌舞伎のネタなだけの作り話 ユリウス・カエサルは架空の人物 古代ローマにユリウス・カエサルという政治家がいたにしても シェークスピアのハムレットのブルートゥスよお前もかと言って死んだ ユリウス・カエサルはシェークスピアの作ったフィクションだから実在の人物ではない



741:日本@名無史さん
22/01/23 21:55:40.57 .net
クライド・バロウとボニー・パーカーは架空の人物
クライド・バロウとボニー・パーカーという犯罪者がいたのは事実だとしても
俺たちに明日はないって映画のクライド・バロウとボニー・パーカーは実在しないから。
義賊なんて嘘っぱちで実際はただのDQN犯罪者。
坂本龍馬は架空の人物
幕末の土佐藩に坂本龍馬という武士がいたのは事実だとしても
高潔な理想を抱いた維新志士の坂本龍馬は創作によるフィクションだから
グラバー商会絡みでイルミナティの工作員だったのが実際の坂本龍馬だったとか・・・

742:日本@名無史さん
22/01/28 16:16:41.55 .net
それは物語を作るに当たっての脚色と言うべきでは?

743:日本@名無史さん
22/01/28 17:42:45.50 .net
蘇我馬子が阿毎多利思比孤だろう

744:日本@名無史さん
22/01/28 17:54:11.43 .net
タリシヒコは仲哀天皇など、なぜか九州にまつわる天皇に多い諡号なんだな。
タラシ系を根絶やしにした武内宿禰の末裔が蘇我氏とされている。

745:日本@名無史さん
22/01/28 17:56:21.40 .net
根拠あり?

746:日本@名無史さん
22/01/28 18:01:07.41 .net
>>708
天皇じゃなく、オオキミだけど
オオキミは河内だろ

747:日本@名無史さん
22/01/28 19:48:38.77 .net
>>709
証拠不十分なのは、下手人が神功皇后と武内宿禰かどうかだけで、あとは歴史書を紐解けば書いてある。
仲哀天皇が亡くなった時に部屋の中にいたのは、神功皇后と武内宿禰だけだった。
仲哀天皇の皇子を倒したのは神功皇后と武内宿禰。
景行天皇から仲哀天皇までは和風諡号がタラシヒコ。
蘇我氏の祖は武内宿禰。

748:日本@名無史さん
22/01/28 20:11:13.12 .net
>>711
じじつなの?

749:日本@名無史さん
22/01/28 20:33:15.99 .net
虚構と悟って荒れている?往生際が悪いw

750:日本@名無史さん
22/01/28 20:54:51.65 .net
>>712
和風諡号を併記した皇統譜でも眺めてくれ。
武内宿禰は、紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされる。

751:日本@名無史さん
22/01/28 21:21:20.55 .net
事実なの?

752:日本@名無史さん
22/01/29 08:16:32.38 .net
>>714
武内宿禰の実在を示す物証なり交差的な史料はありますか?
記紀を作った人々は参照した帝紀本辞を誤っているとしました。それらは残っておりませんので、記紀を検証できません。例えば宿禰はいつからいつまで生きたか示せます?

753:日本@名無史さん
22/01/29 10:36:04.56 .net
蘇我氏は百済の王族だろ、神功皇后と武内宿禰も半島出身じゃないのかな

754:日本@名無史さん
22/01/29 11:12:13.69 .net
根拠は?

755:日本@名無史さん
22/01/29 11:18:17.15 .net
朝鮮関係の人にとっては、蘇我も藤原も朝鮮人だからなww

756:日本@名無史さん
22/01/29 11:42:13.48 .net
>>716
あなたは確認できる日本の歴史は、何世紀くらいからと考えているの?
個人的には、編者が違う古事記と日本書紀が一致すれば、別の文献で確認できたことになると思うのだけれど。

757:日本@名無史さん
22/01/29 11:47:20.64 .net
倭人は半島南部にもいたんだよ

758:日本@名無史さん
22/01/29 11:59:27.68 .net
>>720
古事記と書紀で一致では事実にはなりません。

759:日本@名無史さん
22/01/29 12:40:34.78 .net
なぜ?

760:日本@名無史さん
22/01/29 12:41:23.17 .net
>>717
それはどの文献に載っていますか?

761:日本@名無史さん
22/01/29 13:04:53.89 .net
>>723
同一政権の作

762:日本@名無史さん
22/01/29 13:13:40.02 .net
>>722


763: あなたは確認できる日本の歴史は、何世紀くらいからと考えているの? あなたが信用する史料はどれ?



764:日本@名無史さん
22/01/29 13:17:46.62 .net
>>722
古事記と書記は話の出所が違うのだろう。
だから、同じエピソードでも形が違う。
ただ、両方とも当時の政権にとり都合の悪い箇所は作り変えてるだけ。
だから、そういう箇所以外は、歴史的資料としての価値は高い。

765:日本@名無史さん
22/01/29 14:37:33.38 .net
古事記は長いこと偽書扱いだった。
それは序文に書かれた成立過程が信頼できないからということだった。
しかし昭和末期に編者の太安万侶の墓が見つかり、偽書の疑いが晴れた。
古事記と比較することで、日本書紀を客観的に評価することが可能となり、当時の政権に都合が悪い部分はどこたったのかも見えてきた。

766:日本@名無史さん
22/01/29 14:44:14.03 .net
個人的には、日本書紀が我が国のことを日本と呼ぶのに対して、古事記は倭と呼んでいることが大きな違いではないかと思う。
倭とする方が魏志倭人伝なと海外の史書と一致する。
三国史記の新羅本紀には「670年、倭国が国号を日本と改めた」とある。
新唐書にも670年に「日本と號す」とある。
旧唐書には倭国と日本国が分けて記載され、「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」とある。
古事記は712年成立、日本書紀は720年成立。
日本書紀は国号変更にあわせ、それ以前の歴史まで書き換えようとした。
しかし日本書紀より古い古事記の存在により、それが歴史の改竄であることが明白となった。
古事記を偽書扱いすることは、歴史の改竄に手を貸すことと同義になる。

767:日本@名無史さん
22/01/29 14:48:28.52 .net
>>726
国際的な歴史や金石文を抑えてから国内の歴史。
いつまで遡るかは決まらない。

768:日本@名無史さん
22/01/29 14:50:26.48 .net
>>727
同じ政権が書いた限り一致したからと言って史実はならない

769:日本@名無史さん
22/01/29 14:54:03.23 .net
>>728
古事記の序文は参考になる
何度もいうが同じ政権が作っているのでこれらからだけでは史実に認定できない

770:日本@名無史さん
22/01/29 15:00:26.84 .net
勝手に言い張ってろ。
お前の頭は昭和から進歩していない。

771:日本@名無史さん
22/01/29 15:01:13.60 .net
>>730
その点では古事記は日本書紀よりまだマシなのでは

772:日本@名無史さん
22/01/29 15:02:21.16 .net
>>730
あなたが言う「国際的な歴史や金石文」の例を挙げてくれる?

773:日本@名無史さん
22/01/29 15:04:18.47 .net
>>729
おかしいですね。古事記が偽書でないというのは偽物でないであって、中身が真実という意味ではない。統失さん、あなたよくこういう間違いしますね。我田引水が強すぎw

774:日本@名無史さん
22/01/29 15:05:20.47 .net
>>735
沢山

775:日本@名無史さん
22/01/29 15:06:51.23 .net
>>734
物語ですw

776:日本@名無史さん
22/01/29 16:01:51.31 .net
>>736
キミの気に入らない人はみんな統失さんですか?w
よほど人から統失と言われたことが堪えてるんですねw
プヨヨンの周りは統失だらけ、
いや敵だらけwww

777:日本@名無史さん
22/01/29 16:39:53.41 .net
>>737
例えば?

778:日本@名無史さん
22/01/29 18:17:44.15 .net
歴史好きのキミならよく知ってるだろ?挙げてみたらw

779:日本@名無史さん
22/01/29 18:23:56.86 .net
>>737
たくさんといいつつ挙げられないのか。
信用できないとイキがるだけのカス

780:日本@名無史さん
22/01/29 19:53:52.46 .net
書紀や古事記を挙げると思ったが、国際的ではなかったらしいww

781:日本@名無史さん
22/01/29 21:07:14.62 .net
HHC(医療大麻リキッド)ツイート評価 URLリンク(search.yahoo.co.jp)
誰でも購入できるのでやってみるとよい
音楽面
音楽が3D空間になる
ステレオサウンドの概念がわかる
精神面
グライダーに乗った�


782:C分 (人々の感想) 当時日本は繊維としてみんな来ていた 母親の母乳も大麻成分で作られてる 鬼滅のねずこの着物も大麻のデザイン 聖徳太子も大麻やってた 弟が當麻(たいま)寺(でら)を建ててる 当時は當麻(当麻)とかいてたいまと読むのが一般的だったのかな これを得て瞑想して聖徳太子は未来記を書いた可能性は高い



783:日本@名無史さん
22/01/29 21:32:49.26 .net
あぶねえ!

784:日本@名無史さん
22/01/31 23:19:43.27 .net
日十大王やアマ多利思比孤大王を歴史にいれずに6世紀の百済倭関係は正当に評価出来ない

785:日本@名無史さん
22/02/01 09:12:19.92 .net
6世紀における、任那割譲、派兵、馬の提供など、
503年の日十大王以降、大王は百済系となって、倭国は百済の資源となった可能性がある。

786:日本@名無史さん
22/02/01 10:19:44.03 .net
「聖徳太子が実際は何者?」の論議が先ではないか。
『厩戸豊聡耳皇子命』なんて偽名だろ。
厩戸前にて出生して耳が良い皇子とか。何だこりゃ。

787:日本@名無史さん
22/02/01 11:19:11.35 .net
アマタリシヒコは実在。彼が王として書かれず、遣隋使は女帝の時とは?
書紀は相当捻くれている。

788:日本@名無史さん
22/02/02 11:36:15.60 .net
>>748
上之宮法王帝説がいいな

789:744
22/02/02 19:02:21.06 .net
音楽効果、これは聖徳太子で言うところの豊総耳と呼ばれている機能である
一度に10人の声を同時に聞いてそれを一度に理解してそれぞれに答えていたというもの
グライダーに乗った気分とかは伝説で聖徳太子が白馬に乗ったとかいう逸話になってる精神世界
ドラクエでいうと世界樹のオーラのような効果

790:日本@名無史さん
22/02/06 21:53:03.51 .net
馬子の蘇我

791:日本@名無史さん
22/02/08 12:49:08.69 .net
アマタラシヒコ = 聖徳太子 でしょ。
普通に考えると。

792:日本@名無史さん
22/02/08 13:02:54.26 .net
普通に考えて全くの別人でしかない。
名前も違うし人物像も違う。
聖徳太子は、後宮に600人の女性を抱えていたのか?
斑鳩宮はそんなに大きかったのか?

793:日本@名無史さん
22/02/08 13:21:58.23 .net
>>754
ちゃんと史料読んでみな
後宮出てくるよ

794:日本@名無史さん
22/02/08 14:05:49.13 .net
日本人はアホだな
実在の人物は隠されて、架空の人間で代替してるから、一致しないw

795:日本@名無史さん
22/02/08 20:20:52.64 .net
アマタラシヒコ って 聖徳太子 だよね、
どう考えても

796:日本@名無史さん
22/02/08 20:24:54.13 .net
※個人の感想です

797:日本@名無史さん
22/02/08 20:45:32.48 .net
隋書のアマタリシヒコが実在の人物。
書紀はそれを倭国王として認定せず、皇太子とかにして潜り込ませた。
厩戸の事績はアマタリシヒコのもの。
聖徳太子とはアマタリシヒコ(=一家連続不審死の上宮法皇)への怨霊を鎮める偶像と考えられる。

798:日本@名無史さん
22/02/08 21:23:39.47 .net
アマタラシヒコ ってどう考えても 聖徳太子 だよね、
摂政じゃなくて、実は推古女帝より上の立場だったという

799:日本@名無史さん
22/02/08 21:45:38.76 .net
推古が実在なら、当然アマタリシヒコは推古より上だ。

800:日本@名無史さん
22/02/09 10:31:32.13 .net
そもそもさあ、
聖徳太子ってのはあくまで尊称なのであり、
倭名を持っているはずだが、
それは今のとこ明らかになっていないわけだから。
倭名が"アマタラシヒコ"の可能性が高い。

801:日本@名無史さん
22/02/09 10:44:48.35 .net
聖徳太子から入ってもいいが、
アマタリシヒコは実在だから、こっちから解析すれば、
「可能性が高い」とか迷わなくって済むよな、解る?
統失君のもやもやした頭の構造が手に取るようにわかるw

802:日本@名無史さん
22/02/09 12:09:44.18 .net
>>762
厩戸皇子だろ。

803:日本@名無史さん
22/02/09 13:31:15.26 .net
法隆寺が残してる金石文の上宮法皇が書紀に出ていないというので当時問題になったんじゃない?
それで、上宮法皇は厩戸だ強引に結びつけようとしたのが法王帝説
ところが厩戸は架空の人物だろうから一致しようがない。
厩戸など大陸の偉人を模した創作人物さ。
だけど、厩戸の事績は嘘では作れないから誰かの業績さ。
隠されたアマタリシヒコ大王のねw

804:日本@名無史さん
22/02/09 13:46:18.51 .net
畿内にいる人のだけどね

805:日本@名無史さん
22/02/09 14:40:10.85 .net
>>766
アマタリシヒコは畿内

806:日本@名無史さん
22/02/09 14:40:48.25 .net
>>763
おまえはほんと人の文章を理解出来ない頭の悪い
キチガイさんだねw
この"可能性が高い"は同一人物の可能性が高い
という意味であり

807:日本@名無史さん
22/02/09 14:42:51.18 .net
続き
で、統失言われたのはおまえだろうよww
キチガイおっさんww

808:日本@名無史さん
22/02/09 16:24:29.90 .net
>>769
同一人物という意味だと思ってるよ。
アプローチが悪いと言ってんだよw

809:日本@名無史さん
22/02/09 20:24:02.09 .net
>>764
厩戸皇子は名前じゃなく、通称だよ。
あだ名に近い。
あだ名よりはリスペクトはあるけどな。

810:日本@名無史さん
22/02/09 20:30:44.33 .net
>>764
要は
今の皇族も ”~宮” とかいうだろ。
あれと同じで、ちゃんと和風の個人名を別に持っている。

811:日本@名無史さん
22/02/09 21:21:39.32 .net
日本の歴史書は人物を「うまやどち~ん」て通称で呼ぶんかい?
世界的にも珍しい歴史書だなwwww

812:日本@名無史さん
22/02/09 21:28:18.84 .net
聖徳太子は橘寺で楠の母から生まれた石
松でも笹でも鳥でもオオアマでもない

813:日本@名無史さん
22/02/09 21:33:24.15 .net
聖徳太子の父は橘豊日
日が照っているのに、なぜ雨が降る?
キツネの嫁入りで国が割れたか

814:日本@名無史さん
22/02/09 22:02:58.72 .net
遣隋使のアマタラシヒコ
親魏倭王の卑弥呼
正統性がない時にお墨付きをもらおうと朝貢するんだよな

815:日本@名無史さん
22/02/09 22:03:04.87 .net
虚像の聖徳太子から探るのはアプローチが間違ってるて言ってるだろーがw

816:日本@名無史さん
22/02/09 22:12:28.59 .net
スリーセブン狙ったな?w

817:日本@名無史さん
22/02/09 22:13:37.53 .net
太巻きと稲荷で助六

818:日本@名無史さん
22/02/09 22:15:40.05 .net
>>773
頭悪そう…w

819:日本@名無史さん
22/02/09 22:23:02.21 .net
>>775
頭悪そう…w

820:日本@名無史さん
22/02/09 22:23:24.67 .net
橘は常世の木
常世はあの世、黄泉の国
常世に去ったスクナヒコナ、黄泉に逃れたイザナミ
イザナミは神魂
スクナヒコナはカミムスビの子
親魏倭王卑弥呼の前、倭国大乱の前に男王の治世が約80年
芦原中津国平定の件に櫛八玉神が料理をする話があるだろう?
ヤマト政権の誕生前の話
スズキは竹でしばかれてカミムスビの宮は燃やされたと書かれている

821:日本@名無史さん
22/02/09 22:33:26.37 .net
>>773
今の天皇の名前はなんと言うか知ってる?
>>775
アマタラシヒコの”アマ”が雨とか思ってるの???www
笑われてるぜwww まじにwww

822:日本@名無史さん
22/02/09 22:42:27.07 .net
”アマタリシヒコ” の解釈の予想(語感からの勝手な想像)
”天垂らし日子”
”天照らし日子”
まあ、こう言っちゃうと、なんでもありかwww

823:日本@名無史さん
22/02/09 22:46:02.52 .net
天(あめ)は朝鮮の意味

824:日本@名無史さん
22/02/09 22:47:10.56 .net
天智天皇の父は息長タラシだったな
桓武天皇は根子だ

825:日本@名無史さん
22/02/09 22:47:15.16 .net
>>784
名前から推量するのは間違う基 解ればよろしい

826:日本@名無史さん
22/02/09 22:48:22.17 .net
>>786
姻戚関係はあてにならない 解ればよろしい

827:日本@名無史さん
22/02/09 22:49:09.54 .net
>>787
おまえが全くわかってないんだろwww

828:日本@名無史さん
22/02/09 22:50:02.25 .net
ちなみに雄略は”ワカタケル

829:日本@名無史さん
22/02/09 22:52:29.99 .net
後に伝わらない人が多いが、
古代から皇族は和風個人名を持つのが当たり前。
厩戸も、彼が厩で生まれたという伝承から呼ばれた通称。

830:日本@名無史さん
22/02/09 22:55:32.27 .net
今の天皇の名前
正解は ”ナルヒト(徳仁)” 様です。
先代は ”アキヒト(明仁)” 様。
その先代はわかるよね?w

831:日本@名無史さん
22/02/09 23:00:49.10 .net
>>785
>天(あめ)は朝鮮の意味
どこからそういう発想が生まれるの?w
朝鮮キチガイさんw
そもそもその時代、朝鮮という概念は無いだろwww

832:日本@名無史さん
22/02/09 23:44:01.95 .net
書紀で和風諡号で天がつくのは全員朝鮮半島出身(皇極はちょっとわからんが)確定

833:日本@名無史さん
22/02/09 23:48:02.88 .net
天武は朝鮮半島から来た意味を込めて「天皇」を称した。

834:日本@名無史さん
22/02/10 00:18:53.95 .net
>>791
同時に何人もの話が聞けたのは三国志の故事
キリストは厩で生まれたことを景教を通じて百済人は知ってるんだな。拝借したんだよ、あま多利思比孤が余りに偉大だったからw

835:日本@名無史さん
22/02/10 07:00:54.77 .net
>>794-795
それらはキミの妄想理論の朝鮮キチガイ説ねwww
キミにとって天は雨じゃなかったの、キチガイおじさん?w

836:日本@名無史さん
22/02/10 07:41:18.26 .net
景行天皇 オオタラシヒコ
仲哀天皇 タラシナカツヒコ
タラシヒコは天皇の和風諡号としてはそこそこポピュラー
ちなみに漢字は記と紀で違う

837:日本@名無史さん
22/02/10 08:23:47.65 .net
天がつく欽明は金官伽耶王弟、孝徳はギョウキ王、天武はその子で百済で生まれてる、天智は扶余勇。書紀ではそうしたということであって、アマタリシヒコの名は書紀と無関係だから半島から来た意味ではない。

838:日本@名無史さん
22/02/10 08:38:35.25 .net
アマが朝鮮なんて意味は全くないぞw
当たり前だが高い場所の意味が最前提なんだし。
大した山も高地もない場所を天なんて言うわけがない。
またアマが海を意味する場合は、これは倭人が海人なのと、太古から女王が居たことの名残だから。

839:日本@名無史さん
22/02/10 09:25:33.64 .net
>>800
書紀の編者は天を朝鮮半島から来た意味に使いアメと読ませた。符牒。アメやアマに朝鮮の意味があるわけではない。

840:日本@名無史さん
22/02/10 09:42:25.73 .net
当たり前だが朝鮮半島なんて単なる中継地でしかない。
半島出身だから天なんて付ける理由が何もないからな。
そもそも日が生まれるのが東な時点で、西は死の国だよ。
だから日食は天皇の死に例えてるんだから。

841:日本@名無史さん
22/02/10 11:31:14.53 .net
書紀の編者は「天」を朝鮮半島から来た符牒に使いアメと読ませた。
朝鮮半島はかれらにとってなつかしい故郷。中継地ではない。

842:日本@名無史さん
22/02/10 11:51:19.01 .net
アマという朝鮮語はあるの?

843:日本@名無史さん
22/02/10 12:38:19.67 .net
百済人は訓読みの名人。
日本も倭もヤマトと読ませ、天をアマとかアマとか読ませる。
アマが朝鮮語かどうか関係ない。

844:日本@名無史さん
22/02/10 13:27:01.34 .net
馬鹿は名前から意味を探り姻戚関係から何かを探ろうとする。当時その人物が何と呼ばれていたかはその他の資料がなければわからないし姻戚関係も作った可能性があるから追求してもなあ。バカは文学作品を歴史書として信用しているのだ。こういうと信用してないというんだろうが、他の手を使わないのは信用しているのと同じ、ばーかw

845:日本@名無史さん
22/02/10 13:46:23.81 .net
朝鮮には本質がない、偽りしかないんだよ。
だから何で人からパクる。
だからダメなんだよな。

846:日本@名無史さん
22/02/10 14:08:58.29 .net
天界、テングリ、高天原は同じ場所にあって皇帝、ハーン、天皇は天に権力を与えたれたスーパーマン。
朝鮮半島には異民族の肥溜めウンコしかない。

847:日本@名無史さん
22/02/10 15:32:00.64 .net
>>808
半島から逃げてきて大陸を望郷し


848:高天原とか名付けてむせび泣く朝鮮王族



849:日本@名無史さん
22/02/10 16:08:00.18 .net
天神さまやね
偉大なる龍王

850:日本@名無史さん
22/02/10 19:33:39.64 .net
弥生時代前期末に玄界灘沿岸に倭が成立して前漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王が冊封された。後漢書では、倭は朝鮮半島南岸の狗邪韓国から九州北岸の倭奴国までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭の形成の原動力であったと考えることができる。
記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾の能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
これは倭が博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書の記事とよく対応している。

851:日本@名無史さん
22/02/10 19:56:06.88 .net
>>811
ここは6~7世紀あたりの話だワ、統失君!

852:日本@名無史さん
22/02/10 20:04:24.08 .net
アマの意味についてだろ?

853:日本@名無史さん
22/02/10 20:16:43.37 .net
>>805
なんの根拠もない、おまえの妄想w
相変わらずキチガイ理論だなプヨヨンw
まあ、その実 理論でも何でもない、
キチガイ朝鮮人の思い込みにすぎないけどなwww

854:日本@名無史さん
22/02/10 20:44:33.08 .net
>>813
百済人天武は天を朝鮮半島出身の符牒に使った。読み方のアメアマを詮索するのは統失。

855:日本@名無史さん
22/02/10 20:53:27.91 .net
>>814
漢字圏で日本ほど訓読みが多い国もない。突出している。
この原因は百済人が意固地になって漢字を音読みせず意味だけとらえて自国語を当て嵌める習性から来ている。いまでもコトダマとか言ってるのは外来発音を忌避する習性が残っているのは百済人のせいw

856:日本@名無史さん
22/02/10 20:53:58.30 .net
>>815
わかりましたよ。
自分の説を正しいことにしようと、なりふり構わずに気違ってらっしゃるんですねw
朝鮮人の未来に栄光あれ…
そんなこと露ほども思ってませんがwww

857:日本@名無史さん
22/02/10 21:08:20.26 .net
>>816
違うわw
訓読みした方が意味が分かりやすいからに決まってるだろ。
そのぐらい日本語と中国語は言葉の性質が違うってこと。
本来朝鮮語もそうあるべきだったが、お国の事情で出来なかった。
小中華と自分らのことを誇ってる国だから、書き言葉は漢文で、吏読が発達した。
漢文そのままの語順で朝鮮語読みする方式。
だからある程度、学のある人々しか読み書きが出来なかった。
それを変えようとしたのが世宗だろ。
おまえらの誇る偉人の王様。
諺文な。
遺体を解剖までして発語原理を探って文字を作ったという話は、すごいと思うよ。
だけど、そういう姿勢は李朝の初期で潰えてしまったのは、
李朝の運命を決めてしまったな…
残念だな、プヨヨンさんよ。
おまえのようなキチガイが生まれてしまう素地が出来てしまった…



858:日本@名無史さん
22/02/10 21:12:05.15 .net
>>817
この説は「国際的視点からの古代史考」を書いていて思いついた自説
「説得された、反論できない」ということでOKOKwwww

859:日本@名無史さん
22/02/10 21:20:39.39 .net
>>819
ただおまえのバカさに呆れてるだけだよwww
それもわからんのか?w
やはりおまえはキチガイだw

860:日本@名無史さん
22/02/10 21:41:50.65 .net
>訓読みした方が意味が分かりやすいからに決まってるだろ。
例えば、馬には駿もあれば駄もある。日本は概念が乏しいからウマしかない。
日本は、新しい概念を拒否したのだ。言霊信仰は百済人によるwww
>そのぐらい日本語と中国語は言葉の性質が違うってこと。
どのくらいか説明してよ?
漢文の返り点は朝鮮文明なんだよね。

861:日本@名無史さん
22/02/10 21:43:47.06 .net
>>820
そうなの?説得されて感心しているように見えるけど?反論ないからねw

862:日本@名無史さん
22/02/10 21:48:28.14 .net
アマタリシヒコの音からくる意味を探っても仕方がないということさ

863:日本@名無史さん
22/02/10 22:43:09.70 .net
キミらねえ、天才の考えが学説になるには時間がかかるんだよ。
査読する奴らがノータリンだからね。
「国際的視点からの古代史考」はその類だから、キミらには無理かな?

864:日本@名無史さん
22/02/10 23:09:38.84 .net
>>824
別におまえが天才だろうが、見た目通りのただのキチガイかなんてどうでもい良い話w
おれはただ歴史が好きなだけwww
おまえはやはり底抜け馬鹿の朝鮮の御人だwww

865:日本@名無史さん
22/02/10 23:30:47.36 .net
>>825
お前には基本「国際的視点からの古代史考」は無理だが、正しいかもしれないという一抹の不安から俺様を付け回してるわけだ。ストーカー行為。

866:日本@名無史さん
22/02/10 23:33:04.66 .net
>>826
天才とキチガイは紙一重とはよく言ったものだ、凡人から見ればなwwww

867:日本@名無史さん
22/02/11 11:12:22.80 .net
>>826
ぜんぜん外れw
単にキチガイナルシストの言動が面白いからw

868:日本@名無史さん
22/02/11 11:30:52.42 .net
>>828
ストーカー行為自白。お前にインパクトを与えているようだなww
お前の知識は自分で考えたことはないようだな。w

869:日本@名無史さん
22/02/11 11:49:17.72 .net
>>829
いくら考えても、
根拠なしのファンタジーをひけらかしてナルってるおまえはバカにしか見えないよw
おまえの脳内でホルホルお花畑してないで
誰にでも納得してもらえるような証拠と説明を出せなきゃねw
まあ、おまえには無理だわなw
どうやって説得できるかもわからないようだしw

870:日本@名無史さん
22/02/11 12:00:15.76 .net
根拠満載を根拠なしというは、朝鮮人の日本を倭人の国というがごとしwww
説得されただろう?ww

871:日本@名無史さん
22/02/11 12:04:17.96 .net
>>831
根拠満載とおまえがいくら言い張っても、
誰一人それを認めてないのが現実w
おまえの宣う言説はただのキチガイ朝鮮人のたわごとにしか見えてないのだがw
いい加減現実を認識して自覚してくださいw

872:日本@名無史さん
22/02/11 13:40:24.60 .net
>>832
気違いのたわごとに反応するからバカ。
統失君、聖徳太子はどうなった?w

873:日本@名無史さん
22/02/11 14:04:10.25 .net
朝鮮半島の天は中国。古代半島は中国領土の一部意識が強かった。

874:日本@名無史さん
22/02/11 14:19:15.43 .net
>>833
その”統失君”が誰を指すかは知らないけど、
それって、そもそもおまえ自身が人から言われた言葉だと思うけどw
で、おまえはある一人の人を指してるつもりのようだが、
実際は、いろいろな別人に対して使っているってわかってるの?ww
とにかく、自分をバカにする人間に悔しくて ”統失” って言ってるんだろ?w
バカにされるのはおまえがバカなレスばかりするからだよw
わかれよ、それぐらいw

875:日本@名無史さん
22/02/11 14:39:58.71 .net
>>835
統失君は同じことを何度も言ってるのを忘れているのか?矢張り統失なんだよw
統失に入れ込まず聖徳太子かアマ多利思比孤かについて述べろ。退屈なやつだw

876:日本@名無史さん
22/02/11 15:05:24.79 .net
聖徳太子はいなかったで教科書も書かれるみたいですけど
息子の山背大兄王とか親世代の親族はいたんですか

877:日本@名無史さん
22/02/11 15:21:43.82 .net
>>837
存在確認の取れない人物を出していたかいなかった論じられないだろう。その人物がいたとして論理を進めても結論は得られないわけだから骨折り損。それより、実在する人物から始めるべきだろう。教科書の聖徳太子は居なかったの意味は厩戸はいたという意味か。

878:日本@名無史さん
22/02/11 15:48:22.43 .net
>>837
>聖徳太子はいなかったで教科書も書かれるみたいですけど
そんなこと教科書には書かれてないと思うけど。
居なかった可能性程度は書かれてるだろうけど、
定説ではないからそんなことは教科書には書かないよ。

879:日本@名無史さん
22/02/11 15:59:07.12 .net
伊予の『風土記』に596年に聖徳太子が温泉に来たとありますが
いなかったなら学者としてはどう解釈されていますか

880:日本@名無史さん
22/02/11 16:08:49.26 .net
お供の名前まで複数書いてあるので、全くの嘘なら朝廷の記録と違うので怒られるのではないでしょうか
伊予国風土記の完成が書紀成立の後だとしても、そんな時間差程度のうちに嘘の伝説を地元に作らないと思うので、聖徳太子は実際にいたと思うのですけど

881:日本@名無史さん
22/02/11 16:53:33.82 .net
伊予湯岡碑(早くに失われている)の銘文は伊予風土記にあり、「法興六年十月歳在丙辰我法王大王与恵慈法師及葛城臣逍遥夷与村正観神井歎世妙験欲叙意聊作碑文一首・・・」と、そのコピーが釈日本紀などに残る。法興6年(596年)に法王大王が三宝の棟梁の恵慈法師と大和の葛城臣をしたがえて伊予を逍遥した記録である。聖徳太子の名前はない。法隆寺釈迦三尊像光背と同じ法興年号であることに注目すべきだ。法王大王=上宮法皇である。

882:日本@名無史さん
22/02/11 16:53:56.08 .net
プヨは学者じゃなく、ただの妄想者でしょw
自己都合妄想者w

883:日本@名無史さん
22/02/11 16:57:57.01 .net
>>842
聖徳太子なんて書かれてないのは当たり前。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
”「聖徳太子」という名称は薨御129年後天平勝宝3年(751年)に編纂された『懐風藻』が初出と言われる”

884:日本@名無史さん
22/02/11 17:10:25.97 .net
厩戸皇子を本名とかぬかしてみたり、
こいつ何言ってんだという発言多数のプヨおじさんw
結局プヨは日本人じゃないから
どういうのが和名とか感覚的にわからないのなww
多分日本の古語はあまりわからないと見える。

885:日本@名無史さん
22/02/11 18:10:04.08 .net
>>842で言いたいのは聖徳太子と呼ばれている人物はいただろうけれど、
聖徳太子の名前からイメージして人物像を探るべきでない。後からつけられた名前だから。
現に湯岡の碑では法王大王と書かれていたようだ。
法王大王は596年では一番偉い�


886:、。 600年には隋書にアマタリシヒコ大王がいて 623年頃に完成した法隆寺釈迦三尊像光背には法興年号と上宮法皇がでる。 同じ年号だからきっと最高位は同じ人物で法王大王=アマタリシヒコ大王=上宮法皇と結論される。 こうなると、聖徳太子という人が湯岡の碑に出てくるのが真実ならば、聖徳太子は皇子や皇太子ではなく大王だったと結論すべきだろう。



887:日本@名無史さん
22/02/11 18:40:07.37 .net
>>846
>聖徳太子の名前からイメージして人物像を探るべきでない
それはない。
聖徳太子の記録は美化して描かれているだろうことは大前提だろう。
色々解せないことがあるからね。

888:日本@名無史さん
22/02/11 18:43:05.05 .net
つまり、伊予に来たのは聖徳太子こと厩戸王ではなく、法王大王タリシヒコだったとあうことたよね。

889:日本@名無史さん
22/02/11 18:46:49.58 .net
>>848
言ってることも変だが、
言葉も変だぞw
>法王大王タリシヒコだったとあうことたよね
何言ってるかわからないw
訳を頼むw

890:日本@名無史さん
22/02/11 20:23:23.90 .net
>>847
統失の言っていることはわからない

891:日本@名無史さん
22/02/11 20:29:42.52 .net
読みなおすと変だな。
スマホの文字入力が予期せぬ文字を入力してしまうのだ。
「い」が「あ」に化けただけだ。
伊予に来たのは法王大王タリシヒコだったということ、だ。
厩戸王ではない。

892:日本@名無史さん
22/02/11 20:37:22.26 .net
>~たけた
濁音の区別がない韓国語訛りですか?w
>>850
おまえが日本語わからないたけたろ?



893:日本@名無史さん
22/02/11 20:58:36.17 .net
>>852
湯岡の碑は太子ではないのう

894:日本@名無史さん
22/02/11 21:00:19.83 .net
>>848
そう、法王大王=タリシヒコだよ

895:日本@名無史さん
22/02/11 21:47:51.55 .net
タリシヒコ大王は法興年号の時の人だということがわかった。
いま、日本では大化以前の年号は私年号とされている。
これと、タリシヒコ大王を歴史書に王として載せていないこととは関連するだろう。
タリシヒコ大王も法興年号も日本国は認めないと言ってるワケ。何故でしょう。

896:日本@名無史さん
22/02/11 22:26:50.14 .net
タリシヒコは居ないけど、
タラシヒコはたくさんいます。
URLリンク(trc-adeac.trc.co.jp)
さあ、どのタラシヒコでしょうか?


897:日本@名無史さん
22/02/11 22:33:35.73 .net
>>856は議論を邪魔する目的を持っているから気を付けましょう。

898:日本@名無史さん
22/02/11 22:37:04.41 .net
>>857
とんでもない言いがかりですw
おまえが単に諡号の知識がまったく無いだけの話w
やっぱおまえはチョーセン人だからなあwww
もちっと ちゃんと日本のこと勉強してからスレ作れw

899:日本@名無史さん
22/02/11 23:09:47.46 .net
>>855
法王大王=阿毎多利思北孤=アメタリシヒコ大王は書紀に出て来ません。隋書に出ています。
>>858は書紀中に見つけ出させようと画策しています。

900:日本@名無史さん
22/02/12 00:12:23.02 .net
>>858
5chさんにいうべきだが、こいつのレスは議論を外に誘導するのが目的で、スレを変えても私を付け回している

901:日本@名無史さん
22/02/12 00:30:36.63 .net
>>860
そうやって助けを求めてるつもりだろうけど、
スレを立ててる時点でこのくらいの議論くらい対応できると思うだろ、普通w
おまえは、単に自分が論理の点で追い詰められて苦しくなっただけ。
それも、おまえの単なる準備不足のせいw
こっちは何も脅迫してるわけでもないしなw
ほんとダメな奴だわ、おまえはwww
なさけない…w

902:日本@名無史さん
22/02/12 11:18:20.89 .net
>>855
阿毎多利思北孤は大王です。(推古の)摂政として遣隋使を送ったのではありません。
推古は存在したとすれば阿毎多利思北孤大王の下です。
なぜ、書紀は天皇としなかったのでしょう。天皇にしたくなかったということでしょうね。
しかし、素晴らしい業績で、書かないわけにはいかず、厩戸皇子のものとして書かれたのです。
そこまでして書くべき業績を上げたものを何故偽って皇子に貶めたのでしょう。
法興は彼の時代の年号であることもわかりました。
遣隋使を出した大王の時代が法興なのです。私年号ではありえないのです。
これも理由が解りません。ただ、阿毎多利思北孤を歴史上消したかった意向が働いたとしか・・・。
上宮聖徳法王帝説(800年頃)も懸命に上宮法皇=厩戸といい、法興は年号でないと言っております。
昔から阿毎多利思北孤を歴史上消したかったのはどういうことでしょうか?

903:日本@名無史さん
22/02/12 14:59:03.38 .net
聖徳太子は廐戸皇子といわれ、廐戸皇子の事績はの事績ですから、結局、阿毎多利思比孤大王を後に聖徳太子と呼んだ。現代にいたっても信仰の対象とまで成っております。誰かが阿毎多利思比孤を偲び顕彰している構図です。つまり、日本国の歴史の流れに従えない勢力があるということではないでしょうか?
最近言われる聖徳太子は存在しなかった説は阿毎多利思比孤の存在を否定し厩戸皇子の実在を肯定するものならば空恐ろしい国です。


904:日本@名無史さん
22/02/12 15:44:28.02 .net
王多利思比孤=大足彦(景行天皇)

905:日本@名無史さん
22/02/12 16:45:11.05 .net
隋書によれば大王は「阿輩雞彌」(オオキミ)、王の妻を「雞彌」(ケミ)、太子を「利歌彌多弗利」(ワカミタホリ)と発音した。
書紀ではオオキミは尊称として使われ大王の意味はない。
妻も書紀ではヒ、キサキであり、ケミは使われない。
太子のワカミタホリは長屋王家木簡に「若翁」ワカンドホリがあり、若い者という意味に使われている。
大王系で使っていた地位の用語は使われなくなっている。
「大王」は5世紀の稲荷山鉄剣にもあるのに書紀では尊称にしか使われていない。
一般人を「社長」とか「大将」と呼ぶようなものだ。
これは何故か?

906:日本@名無史さん
22/02/12 18:05:18.93 .net
聖徳太子=日本武尊
景行天皇の后である高田媛の父は阿倍木事で
筑紫国造や阿輩(阿部)氏の始祖である大彦命の兄弟である
隋書には王が多利思比孤(景行天皇)で都が邪馬台国と出てくる
阿蘇山も出てくるので九州の話なのは確実

907:日本@名無史さん
22/02/12 20:42:03.62 .net
>>866
6世紀初頭継体紀に磐井成敗の記述。この畿内勢力とは別に北九州に阿毎多利思比孤がいたら、畿内は放置しまい。

908:日本@名無史さん
22/02/12 22:09:13.54 .net
聖徳太子は橘寺で生まれて母親が楠、石に守られて黒馬に乗っていたんだよ
松でも笹でも鳥でもアマでもない

909:日本@名無史さん
22/02/13 08:00:48.35 .net
>>867
成敗?
筑紫は屯倉一つを差し出しただけで、筑紫の君の位は息子が継承したから、国体は守られているのだよ。
畿内による筑紫への干渉は失敗だった。

910:日本@名無史さん
22/02/13 09:04:03.16 .net
>>869
ほう、何時畿内に平定された?
君は百済系の地位名だが、オオキミとはいわないだろう。『釈日本紀』の秘訓では君は「キシ」、キシは半島で「王」の意味。

911:日本@名無史さん
22/02/13 09:30:24.16 .net
阿毎多利思比孤は天皇の一般名称ね
治天下天皇
あめのしたしろしめすすめらみこと

912:日本@名無史さん
22/02/13 09:32:57.38 .net
>>871
ぜんぜん合ってない

913:日本@名無史さん
22/02/13 09:33:21.83 .net
>>870
白村江の後だろ

914:日本@名無史さん
22/02/13 09:38:54.29 .net
アメもタラシもヒコも皇族諡号にはよく使われている一般的な単語。
特定の人物というか、
恐らく天皇の尊称を中国の役人が音そのままに記録したにすぎないのでしょう。
このスレ主が外来外来騒いでいるのがバカにしか見えないw

915:日本@名無史さん
22/02/13 09:53:31.76 .net
>>872
中国では小野妹子が蘇因高(そいんこ)という表記になるんだよ
発音が聞き取れないとかそんな感じで

916:日本@名無史さん
22/02/13 10:00:06.73 .net
>>875
中国風の名を持ってたんじゃないの?
小野が蘇にはならんと思うけど。
因高はまだわかるけど。

917:日本@名無史さん
22/02/13 10:38:47.57 .net
>>874
>アメもタラシもヒコも皇族諡号にはよく使われている一般的な単語。
そうなんだよね。
そこの認識が抜け落ちている人が多い。
だからこそ、厩戸王とはぜんぜん別人だという話にもなる。

918:日本@名無史さん
22/02/13 10:49:12.38 .net
考えてみたら、外国で外国語しかわからない人に対して、
公式な場で日本の固有名詞を言うはずがない。
厩戸伝説などは後に作られた伝説の可能性が高いわけで、
聖徳太子が生きていた時点では、
はたして自分が厩戸皇子などと言われていたかもわからないわけで。

919:日本@名無史さん
22/02/13 10:50:43.89 .net
>>876
小野妹子を小妹子として
これをソインコと読んだらしい

920:日本@名無史さん
22/02/13 10:53:00.16 .net
>>878
あとになって馬小屋の前で産まれたと言う伝説を作る意味は
実際に馬小屋の前で産まれたんだろ

921:日本@名無史さん
22/02/13 10:54:


922:16.97 .net



923:日本@名無史さん
22/02/13 10:56:07.09 .net
>>880
形を変えてキリストの伝説なども伝わって来てる可能性はある。
唐では景教が割と盛んだったからね。

924:日本@名無史さん
22/02/13 10:57:29.34 .net
>>882
景教の経典にはそんなに詳しくキリスト教について書かれてないよ
キリストがいて母はマリアでとかそんな感じ

925:日本@名無史さん
22/02/13 10:59:49.27 .net
>>879
じゃあやはり漢字に由来してるのかもね。
二字姓の場合、上の字だけを公称するのは平安時代にも見られるからね。
清原 → 清
藤原 → 藤
とか。

926:日本@名無史さん
22/02/13 11:02:45.37 .net
>>883
だから形を変えてだって。
書物に残ってなくても、
神父が口頭で説教するときに出す話の中にそういう話もでるだろうし。
じゃなきゃ、宗教は拡がりません。

927:日本@名無史さん
22/02/13 12:50:16.02 .net
だからといって、即位しなかった聖徳太子が、大王の称号であるタリシヒコを名乗るはずもない。
聖徳太子とは別の人物が隋に国書を送ったのだよ。

928:日本@名無史さん
22/02/13 13:06:16.85 .net
聖徳太子の父は橘豊日
日が照っているのにアメが降るのは1つしか無かろう
狐の嫁入り
親魏倭王卑弥呼、遣隋使
中国に朝貢するのはお墨付きをもらう為、裏を返せば正統性がないということ

929:日本@名無史さん
22/02/13 13:08:20.97 .net
神の在座 (かみのます)
 鳥居に伊礼ば (とりいにいれば)
 此身より (このみより)
 日月の宮と (ひつきのみやと)
 安らげくす (やすらげくす)

930:日本@名無史さん
22/02/13 13:11:08.03 .net
>>885
出てこなかったかも知れないよ

931:日本@名無史さん
22/02/13 13:19:12.26 .net
>>886
だから、
太子が摂政という扱いだが、実際は大王になっていた、
あるいは大王に近い権力を持っていたと考えればすんなりはまる。
その当時は蘇我系統の天下だったわけだし。
天智や天武は蘇我とは血筋が違うから、
彼らの系統が一大勢力だったことを記録に残したくない、
というところだろ。

932:日本@名無史さん
22/02/13 13:22:40.85 .net
助六の話かな?
助六は太巻に稲荷

933:日本@名無史さん
22/02/13 13:28:21.06 .net
わたつみの豊旗雲に入日さし今夜こよひの月夜つくよさやけかりこそ
天智天皇の歌だが、聖徳太子は古を推し古のありように戻そうとしていたのかもな
叶う前に亡くなったが

934:日本@名無史さん
22/02/13 13:28:22.59 .net
古代史やってて
未だに大王の血筋が一統だと本気で思っている奴はいまいw
あの家系図の複雑さが、かなり嘘を含んでいるということを如実に物語っているw

935:日本@名無史さん
22/02/13 13:38:53.85 .net
>>893
むしろ嘘なら家系図は単純な気がする

936:日本@名無史さん
22/02/13 14:01:46.19 .net
>>878
「アメタリシヒコ」は固有名詞かどうかは問題でない。
男性で、「オオキミ」だから、大王が遣使を出した。かつ出家もし上宮法皇と呼ばれた。
問題はそんな倭国王が書紀の600年頃に見当たらないことだ。
書紀は皇子として捏造ったのだ。
厩戸の事績はまさしくアメタリシヒコの事績だろう。

937:日本@名無史さん
22/02/13 14:06:16.48 .net
>>894
誤魔化そうとしてるから、複雑になる。
どうしても皇統一系に仕立てたいから無理が出る。
本当は男系は何度か絶えてるだろうから。
真実は明らかになることは無いだろうが、
もしも仮に明らかになったら、
”なんだこりゃ


938:!こんなんデタラメだ!!”  とウヨは叫びだすことになるんだろうなw



939:日本@名無史さん
22/02/13 14:13:54.03 .net
>>895
だから、
本当は聖徳太子に当たる人は、
大王、あるいは大王に近い権力を持っていた人だったではまると思うけど。
なぜ、
聖徳太子が摂政扱いになるかというと、実際の血筋が問題だった可能性もあるよね。
男系の。
まあ、実際が明らかになることは無いだろうけど。
また、聖徳が出家した可能性はあるだろ。
あれだけ仏教に入れ込んでいたのだから。
まだ当時は正式な得度制度は日本には無かったのだろうけど。

940:日本@名無史さん
22/02/13 14:22:01.30 .net
母系で見ないとわからないが、記紀をいくら眺めても母→母→母→母→が何処に辿り着くかわからないからねえ

941:日本@名無史さん
22/02/13 14:40:13.65 .net
日本の ”皇統一系” に無理があるのは、
そもそも男系相続という考え方は中国風の外来思想だが、
それが完全定着していない古代にまでそれを当て嵌めようとしてるところでしょ。
卑弥呼に見られるように、古代の倭人には男系相続という発想は薄かったわけで。
だから古代にはまだその名残があるから、しばしば女帝が出てきたのだろう。

942:日本@名無史さん
22/02/13 14:47:37.35 .net
元々は神魂の黄泉に逃れたイザナミさんでしょうに
倭国大乱、芦原中津国の平定の件で料理の話に矮小化してカミムスビの新宮を燃やしただろ
黄泉はあの世で常世 スクナヒコナが去ったのも常世
橘は常世の木
倭国大乱前の系譜、黄泉の系譜と倭国大乱後のヤマト政権のありよう(ばらばら)
裏と表
裏が表に表が裏に、倭国大乱から600年紆余曲折を経て不完全な形だが倭国大乱前のありよう、平安を取り戻したんだよ

943:日本@名無史さん
22/02/13 15:07:01.29 .net
>>900
アマ多利思比孤が排除されたのは血筋かね。
俺の見るところ書紀の血筋は作り物だからアマ多利思比孤の排除理由は血筋ではない。歴史書に曲げて書くのは政敵だからだろう。天武系に倒された政権なんだろう。

944:日本@名無史さん
22/02/13 15:56:59.85 .net
筑紫の遠の朝廷(とおのみかど)だろ。

945:日本@名無史さん
22/02/13 16:22:24.19 .net
>>902
扶余勇の最初の都太宰府を指している
太宰府市も発掘結果から7世紀後半といってるね

946:日本@名無史さん
22/02/13 17:20:35.24 .net
>>896
系図の捏造は全くの0から作るのでない限り困難だよ
例えば現代に系図を捏造して誤認させ皇族になり清まそうとするのはとても困難
これは昔でも同じこと

947:日本@名無史さん
22/02/13 17:54:27.50 .net
>>904
今伝わる系譜は天武時代以降に作られたものだろう。
200年近く前くらいなら誤魔化せるだろう。
過去の情報量は現代よりもはるかに少なくて、
基にした書物は、新しいものが出来たと同時に打ち捨てられたとも考えられる。
まあ、プヨヨヨンの考えるように、天智が扶余勇だというのは考えられないけどね。
書物の成立年代と時代が近すぎて、関係者で存命な人間が多すぎるだろうから。

948:日本@名無史さん
22/02/13 18:09:21.87 .net
書紀なんざ、当時から誰も信じちゃいなかった。
だから、時間が経つと事実化するチャンスが到来というわけで、法王帝説を作り、
「上宮法皇=厩戸」という言説を流し、法興は年号ではないとまで言わせた。
この行為を現代の日本国は受け継いで、私年号と言ってるんだよ。
まったく、史実を無視し、書紀をバイブルの様に扱う宗教国家さw

949:日本@名無史さん
22/02/13 18:15:12.14 .net
>>905
系図は一つきりしか存在しないという物でもないから全部捏造は難しいよ
天皇の外戚などの物部氏に伝わる系図や藤原氏に伝わる系図なんてのもある

950:日本@名無史さん
22/02/13 18:29:33.21 .net
>>907 ではあっても、 公式に作られた書物が正となり、 他は偽書扱いされる。 そうするには、公式で作られた書物に近いものだけ焚書しとけば済むでしょ。 古い書物は、混乱を招くことを理由として、焚書された。 残るは非公式に周辺のどっかにあずけられた書物が断片的に、 という感じで、時代とともに風化していった。 こんな感じじゃない?



952:日本@名無史さん
22/02/13 19:01:25.55 .net
まあ、記紀に記載されていない大王がいて、隋に使いを送っていたことは間違いない。

953:日本@名無史さん
22/02/13 19:41:27.41 .net
花札のアメは元々の図柄は柳に斧定九郎だった
斧定九郎は歌舞伎のキャラクターなんだが、軽の父を殺して大金を奪ったが、猪に間違われて殺された人物
軽王の父は茅渟王、時代的に第一回遣隋使の頃やね
猪に準えられた逸話が残るのは蘇我馬子
アマタラシヒコは蘇我馬子かもね
アマは夜に仕事をして昼は日が仕事をする
アマと日が分かれていたのか
第一回遣隋使は何処から出立したのか?
朝鮮半島利権の元締め蘇我氏
本当は茅渟王が皇位につくはずだったのか?
妄想が膨らむな

954:日本@名無史さん
22/02/13 19:50:26.42 .net
稲の中から斧定九郎の白い手が伸びてきて軽の父から大金を奪うんだな

955:日本@名無史さん
22/02/13 20:08:46.57 .net
日本はね、というかある政治体制では
書いたものを保存し、時間が経てば史実化できると考えている。だから、逆の証拠は隠滅してゆく。丈六仏光銘は書き換えられて保存され現物は無くなり、偽物が最も古いという理由で史料になってゆく。釈迦三尊像光背銘は現存しているが、無くなれば、法王帝説中のコピーが最も古くなり史料となる。こうして自分たちが考えた歴史が事実化するのを待つ政府もある。アメ多利思比孤が聖徳太子である結論は法隆寺の金石文が残っていたからできた。現政府はこれがなくなるのを待っているのではないだろうかとすら思う。電気座布団による金堂の火事もあったよな。

956:日本@名無史さん
22/02/13 20:33:41.74 .net
王制を維持するには、歴史以外にないから捏造でも何でもする。

957:日本@名無史さん
22/02/13 21:41:25.88 .net
>>908
家系図が捏造なら今に残ってる他の氏族のと比べると
矛盾がたくさん出てすぐにわかるはず

958:日本@名無史さん
22/02/13 22:37:37.59 .net
>>914
矛盾が出ないようにやるだろ。

959:日本@名無史さん
22/02/13 23:58:21.77 .net
家系図があるなら年次鑑定が必要だな。其れで決まるだろう。
その家系図の中で最も新しい人より前には作られなかったんだから、
それ以前の家系図がなければ、捏造の疑いがあるわけ。
まあ、ブロックチェーンのようなものさw

960:日本@名無史さん
22/02/14 00:01:57.60 .net
石舞台で月夜の夜、狐が女に化けて舞を踊ったという伝承
豊日の子聖徳太子
夜に天が座禅をして昼は日が仕事をする
日が照っているのにアメが降るのは狐の嫁入り
アマタラシは石舞台の主、蘇我馬子やろね
残された謎は軽の父、茅渟王の生涯
妻の吉備姫王の墓に猿石の謎

961:日本@名無史さん
22/02/14 00:14:23.36 .net
多勢に無勢で統失が酷い状態にww

962:日本@名無史さん
22/02/14 07:41:30.18 .net
>>918
プヨヨヨン、攻められてるのはおまえだぞwww
なんか勘違いしてるようだがwww
家系図の改変を否定されまくってるのだからwww
>>917
おまえはまだ ”アマ” が ”雨” だと言い張るの?www
狐の嫁入りとかwwww
日本語ちゃんと勉強しろよwww
外国人w

963:日本@名無史さん
22/02/14 11:40:41.67 .net
プヨヨヨンと私の違い
プヨヨンは ”根拠なく” 孝徳・天智系・天武系は百済王家の分家だと言い張る。



964:私は、百済人と倭国の統治者の血縁を含め関係は深いとしながらも、 基本、大王家は倭人、もしくは半島から渡ってきて数百年経った渡来豪族と考える。



965:日本@名無史さん
22/02/15 09:35:53.58 .net
次スレ
スレリンク(history板)

966:日本@名無史さん
22/02/16 13:15:16.65 88B/Lcfhj
小野妹子(おののいもこ)という読み方が間違っているだけ。
小という字は古音で(ソ)という読みがあり、本来はソのイムコ
と呼ばれていた。つまり蘇我妹子。

967:日本@名無史さん
22/02/17 14:11:27.64 .net


968:日本@名無史さん
22/02/17 14:17:15.35 .net
こんなに前スレが余ってるのに、
オレの曝露が堪えて耐えきれなくなり、
次スレを立てて逃げたプヨヨヨンww
ほんと逃げの一手だね、こうなるとww

969:日本@名無史さん
22/02/21 01:21:30.97 .net
朝鮮戦争はアメリカとソ連の代理戦争
代わりに朝鮮人同士相争わせ、殺し合いをさせた
ほんと欧米人はひどいもんだよね、大空襲と言い、原爆投下と言い…
ほとんど死に体の日本の国土に、無意味な大空襲と原爆投下で無辜の民を大虐殺
アメリカ人はこれらは戦況を変えるためと言い張るが、
ほとんど死に体の日本には戦況変えるとか、まったく意味がない話
これらの行為の意味は、日本人に敗北感を与えることと、原爆による人体実験
欧米人は未だに東洋人を自分らと同じ人種とは考えていないであろう
しかし、従うしかない、欧米中心のこの世の中では

970:日本@名無史さん
22/02/21 20:19:59.00 .net
「国際的視点からの古代史考」を否定したければ、その論理を挫けばいい。
自説を唱えても噛み合わないので無視されるだけ。そこのところが可哀そうにわかっていない。

971:日本@名無史さん
22/02/21 22:16:34.06 .net
>>926
別にキミの説をやみくもに否定してるのではないよ。
ただ、証明が足りてないとずっと言ってるだけなのだが。
おれは個人的には面白い説だと思ってるよ。

972:日本@名無史さん
22/02/21 23:47:33.10 .net
>>925
>しかし、従うしかない、欧米中心のこの世の中では
産業革命前は中国とインドで世界のGDPの大半を占めていたわけだし、またもとに戻っていくだろ

973:日本@名無史さん
22/02/22 08:27:50.01 .net
>>928
二地域とも人口は多いけど、人権に対する考え方が未だ近代的ではない。
その点は欧米よりもたちが悪いよね。
結局は差別意識の権化だからね、中華思想とカースト制度

974:日本@名無史さん
22/02/24 18:32:34.65 .net
>>927
どのあたりの証明が足りないのでしょうか
証文はありませんから出せませんけれども状況証拠はそろっています
もし違うというのであればそれこそ証拠が必要でしょう
アリバイ捏造工作してますから書紀は証拠にはなりません

975:日本@名無史さん
22/02/24 19:54:58.98 .net
>>930
・旧唐書でプヨヨンが倭に走った(逃げた)
・福岡の朝鮮山城は羅城
これだけじゃんw
あとはキミの希望的想像の産物ばかりw

976:日本@名無史さん
22/02/24 20:34:56.71 .net
禰軍の墓誌にも日本ヨショウが扶桑に渡って罪を逃れんとすとありますし
禰軍は天智称制の時に来ています
大宰府は太宰府市の調査で創立は7世紀後半です
日本ヨショウは扶余勇だとして間違いありません
扶余勇≠天智なら扶余勇を誰かに当てはめなければなりません
日本史では扶余勇=善光ですが、善光に倭国からの渡航歴がありません
ですから扶余勇≠善光です。だから扶余勇は日本では誰かの疑問が再燃します
扶余勇は百済残党の最高位で、善光が難波大領であることを考慮すれば誰かはおのずと結論できるでしょう

977:日本@名無史さん
22/02/24 21:05:08.65 .net
逆に質問してみましょうかね
天智が扶余勇でなく倭人であるなら、なぜ、唐に対してあれほどの朝鮮半島式の防衛施設を作り、
扶余勇をかくまい、善光を難波に当て、朝鮮人を守ってやる必要があったのですか
これだけの精力と資金があるのなら、白村江にもっとつぎ込んだほうが安上りだったんじゃないですか
扶余勇≠善光という条件のもとで、扶余勇が天智でないなら、誰なのか答えてください

978:日本@名無史さん
22/02/24 21:54:31.72 .net
旧唐書でプヨヨンが倭に走った、福岡の朝鮮山城は羅城からだけではなく
931,932の内容は既に書いてあるんだけれどね
意図的に天智=扶余勇を作り出したのではなく、天智=扶余勇とすれば、天智紀も旧唐書も禰軍墓誌もすべてうまく読める
ので希望的想像ではなく、帰結なんだ。だから、天智≠扶余勇というのなら扶余勇は誰なのか君から教えてほしいんだ。

979:日本@名無史さん
22/02/24 23:23:45.96 .net
天智天皇が扶余勇だと結論するには天智天皇の白村江以降の記述は事実だとして、
百済人の王族の行為として解釈してみなければならないのだが
これがまた実に腑に落ちるのである
そういう前提で天智紀を読んでみることをお勧めする

980:日本@名無史さん
22/02/25 01:03:46.73 .net
扶余勇が日本に来て日本の王になったってか?
甘いんじゃないのか?
それは日本を半島の属国としたい連中らの願望がかなり入ってるだろ

981:日本@名無史さん
22/02/25 01:04:54.54 .net
おまえはそれを承認するわけ?
バカじゃないのかな?
しょせん下っ端で終わる人間ての自分で証明してることにしかならん

982:日本@名無史さん
22/02/25 10:06:27.47 .net
>>936
天智記を扶余勇の行動として読んでみて何ら不都合はなく、防衛施設を作り、百済貴族に対する官位の処遇をし、人質の百済人善光を難波支配に取り立て、百済人を国家の要職につけたり、近江に入植させたり、鎌足がしぬときには「軍国の役に立てず」と百済崩壊を侘びたと取れる発言があり···、と枚挙にいとまがないが、これを読んでも君が百済人が日本の王になることが感情的に認められないと言うんだったら、それを説得する気持ちは私には起きないね。感情を持ち込んでも言い合いに終止するだけで客観的真実の議論には到底なりえないからね。いままで妙に食いついてきたのは民族的感情からだったのだな。私はここは学問カテであるから私の論考に対する質問の場に使っていたが、君の民族的感情を刺激することになったのは私の理論に付け入る隙が無い程完全だという自信にも繋がった。thank you wwww

983:日本@名無史さん
22/02/25 10:23:29.73 .net
>>938
>百済人が日本の王になることが感情的に認められない

いや感情的も何も、
百済人が王だという痕跡が表立って残ってないじゃん。
もし百済人ならなんで隠す必要がある?
天武も百済人なんだろ?

984:日本@名無史さん
22/02/25 10:42:54.24 .net
>>939
証文的証拠がないことは言った通り、状況証拠のみ。天武も百済人と判定している。
何故偽ったかについても既に書いてあるが、想像するに、百済が滅ぶ前は上国から下向してきた意識があったので百済を隠していなかったと思うが、滅んでしまうと、百済の残党などという落ちぶれ呼ばわりされるおそれがあり、それではそれまでのように民心をまとめるには不都合だというわけで、将来に禍根を残さないようにするためにも百済出身を消す方がよいと考えたのではないかと思うが···。それが日本書紀を著した動機だろうと思っている。

985:日本@名無史さん
22/02/25 11:52:08.25 .net
>>940
それはある“かもね”。
あくまで かもね だが。
しかし、百済語が伝わってないし、
善光などの亡命百済人皇族は別扱いされている。
なんで?

986:日本@名無史さん
22/02/25 12:35:42.93 .net
『周書』百済伝によれば、王は「於羅瑕」を号しており、これを民衆は「鞬吉支」と呼んでいた。『釈日本紀』の秘訓では君「キシ」、王「コキシ」、大王「コニキシ」という訓みが伝えられており、「鞬吉支」はこの「コニキシ」に対応すると考えられる。
ほかにも百済貴族は民衆とは違って高句麗語だったとされ、研究では高句麗語は朝鮮語を跳び越して日本語の方に近いことがわかっている。検索すれば資料がわかる。
善光は百済王族で私の説では勇に難波支配を任された。彼は義慈王の王子の中では扶余勇より年齢的に上で残った者の中では格から言えば扶余家の跡取りになるべき人物だった。しかし、勇も死に皇子の大友も倒され扶余家は傍系にあたる天武が握ってしまった。それで、扶余家の正統な血筋として特別扱いし百済王氏を嫁の持統の代に与えたと考えられる。

987:日本@名無史さん
22/02/25 12:46:26.24 .net
>>942
倭が百済王族が大王になったという事は
倭も百済と同じように
支配層が扶余人になった言うことよねえ。
なら、
なぜ百済と同じように二つの王の呼び方が残らないの?
最近は、実は扶余語はあまり日本語には似ず、
日本語に似てる地名などは半島倭語に由来するのでは?
という説があるけど。

988:日本@名無史さん
22/02/25 13:16:35.44 .net
二つの王の呼び方が残るべきかどうかわかりません
言葉が伝わっていないというので高句麗語を挙げた。高句麗語では3は「密」、5は「于次」、7は「難」、10は「德」と書き表されたことがわかっており、中国語の一時代の一方言の表記では、「密」はmit、 「于次」はjo tshij イオツィイ、「難」はnan、「德」はtok の対応があり、日本語の数詞と近い。発見された数詞すべてが日本語に近いことは驚きであり、それが飛び飛びであることはその他の数詞も一致する可能性が高いことを示している。これが百済人を通じてか、それ以前に伝わったものかはわからないので、言語をもって具体的な集団の到来の証明とすることは出来ないけれど、傍証としては役に立つ。そういう意味で、言語に痕跡があるはずだと質問を受けたと捉えている。

989:日本@名無史さん
22/02/25 17:54:28.17 .net
やはりポイントは半島倭語w

990:日本@名無史さん
22/02/25 18:10:53.87 .net
>>945
私の情報は古かったかもしれない
大陸倭語はポイントでしょう

991:日本@名無史さん
22/02/25 21:17:13.98 .net
百済語が伝わっていないとする意見に反応してしまったが、天智紀には多数の百済人が官位を受けている事が記されているので言語による傍証は不要だった。言語はすでに述べたように特定の集団の移動を証明するものではなく、もっと広く長く民族的観点から研究されるべきもので、高句麗語の数詞が日本語近いことをもって高句麗語を話す小集団が到来したと結論する事はできないうえ傍証にもならない。ごめん。

992:日本@名無史さん
22/02/28 00:14:06.87 .net
そんなこと主張するやつらは多分に願望が含まれとるからの
話にならん場合が多いわけさ

993:日本@名無史さん
22/02/28 10:03:23.81 .net
>>948
そんなことってどれを指してるの?

994:日本@名無史さん
22/02/28 16:17:25.99 .net
>>948を書く人はあちこちで見かけるが、いつも何を指していっているのかはっきりしないね
はっきりさせると議論になるので恐れてる?過去の敗北経験からw

995:日本@名無史さん
22/03/01 02:12:13.32 .net
あっそ

996:日本@名無史さん
22/03/01 11:53:10.51 .net
あまいたりしほっこ

997:日本@名無史さん
22/03/01 15:37:08.45 .net
卑弥呼ってのは預言者のことやぞ
尊卑


998:ってのは時間軸を表すからな 尊が過去、卑が未来



999:日本@名無史さん
22/03/01 15:38:06.32 .net
卑屈とは未来に屈する状態

1000:日本@名無史さん
22/03/01 15:41:51.15 .net
未来予知とかそっちやな
シャーマンの一種だろ

1001:日本@名無史さん
22/03/04 15:12:22.08 .net
>>955
この統失は何をブツブツ言っておるのか
ね。お前らの歴史が危なくなって来て居るの
に。

1002:日本@名無史さん
22/03/04 16:14:05.33 .net
>>956
それ俺じゃないよ、バカw
ID出ないんだから、文体で人を区別出来るようになれ、バカw

1003:日本@名無史さん
22/03/05 20:30:14.44 .net
統失扱いくらいしかできない時点でおまえら🐵ってだけで

1004:日本@名無史さん
22/03/05 21:25:10.24 .net
敗北は人を統失にする。
統失は敗北経験から断定できないww

1005:日本@名無史さん
22/03/05 21:27:58.98 .net
統失は負ける恐れがあるので、内容に触れない。
あるいは、あいまい表現に終わる。

内容に触れず茶化している奴は統失。
断定しない表現しかしない奴も統失。


1006:日本@名無史さん
22/03/05 21:41:17.68 .net
でもお前ら統失じゃん🤣

1007:日本@名無史さん
22/03/05 21:42:14.29 .net
>>958-960
誰彼構わず統失連呼してる時点で敗北宣言してるのはあなたなのだがww
冷静になれよ、冷静にw
ほんとにあおりに弱いプヨヨヨヨーンww


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