聖徳太子=阿毎多利思比孤at HISTORY
聖徳太子=阿毎多利思比孤 - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
21/07/18 13:56:58.05 .net
叡福寺に聖徳太子の御廟があってだな七不思議があるんだよ
御廟には笹や松は生えない
御廟には鳥が巣を作らない
御廟の土は大雨にも流されない
聖徳太子の母の棺の轅を植えたら楠が生えた
御廟は無数の結界石で守られている
聖徳太子は松や笹や鳥やアマではない
聖徳太子は楠の母を持つ石である

3:日本@名無史さん
21/07/18 16:13:27.03 .net
阿毎多利思比孤は実在した倭国の王なのに日本の歴史書に出てこない

4:日本@名無史さん
21/07/18 16:19:03.15 .net
山川詳説日本史B
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5:日本@名無史さん
21/07/18 17:49:50.63 .net
阿毎多利思比孤は実在したのにそれを放置して聖徳太子は厩戸王とか変な方向に走り出しましたね
上宮聖徳法王帝説を下敷きにしてるんですね 
まったく過去のものはすべて正しいとするのは他国からバカにされます

6:日本@名無史さん
21/07/18 18:17:42.97 .net
現代なら聖徳太子は大麻取締法違反で逮捕される

7:日本@名無史さん
21/07/18 19:25:47.69 .net
↑なんの意味がある?

8:日本@名無史さん
21/07/19 09:52:39.42 .net
倭も帥升も卑弥呼も言語が違う中国側が勝手につけた名前なんで間違いだらけ。天皇の一族史と合わないのは当然。

9:日本@名無史さん
21/07/19 10:19:32.48 .net
>中国側が勝手につけた名前なんで間違いだらけ。天皇の一族史と合わないのは当然。
そうでもないよ、正確だとおもわれるよ。例を示そう。
書紀推古紀の冠位12階は、大徳、小德,大仁,小仁,大禮,小禮,大信,小信,大義,小義,大智,小智である。
隋書には「內官有十二等:一曰大德,次小德,次大仁,次小仁,次大義,次小義,次大禮,次小禮,次大智,次小智,次大信,次小信」とある。
は殆ど一致している。
12階冠位の微妙な違いを考察してみる
隋書は「次」によって冠位の順序を倭国の使者の申告通り正確に記したとしているのだ。
推古紀の冠位が少し順序を違えているのは書紀を書いた者は12階冠位がうる覚えか、故意に違えたと考えられる。
だから、中国史書に名前が出る王に相当する王が日本の歴史書にでないのは捏造しているからだ

10:日本@名無史さん
21/07/19 10:25:24.18 .net
中国語由来のシステムは理解できるだろうが、風土が違う中国人が日本の実態を把握するのは無理。

11:日本@名無史さん
21/07/19 10:36:49.85 .net
>>7
このスレこの板何しに見に来てるの?

12:日本@名無史さん
21/07/19 11:22:00.29 .net
>中国語由来のシステムは理解できるだろうが、風土が違う中国人が日本の実態を把握するのは無理。
国書の「日出處天子致書日沒處天子無恙」をみて、煬帝は面白く思わず、
外務卿に「蠻夷の書は無礼である、再び聞くことはない」といったが、
裴清を遣わした。
「度百濟,行至竹島,南望耽羅國,經都斯麻國,乃在大海中。又東至一支國,
又至竹斯國,又東至秦王國,其人同于華夏,以爲夷洲,疑不能明也。又經十余國,
達於海岸。自竹斯國以東,皆附庸於俀。」
は使者によって確認されている。
男女の区別は出来るだろう
外国の人物が王か王を自称しているだけかを見抜けなけりゃ中国王朝はもたないだろう
後宮の女の数のマグニチュードも間違えないだろう
で、なぜ、アマタリシヒコに相当する倭国王が日本の歴史書に存在しないのかね?

13:日本@名無史さん
21/07/19 13:05:57.35 .net
だから間違えてるから。アマやヒコやヒミコやミコトとか諱じゃないから。

14:日本@名無史さん
21/07/19 13:09:04.75 .net
阿毎多利思比孤は法隆寺釈迦三尊像光背に出る上宮法皇
600年代初頭、遣隋使の派遣で隋からの使者を招請した天皇が有った。
この時、斑鳩宮と法隆寺の建造を間に合わせている。つまり、史実は実在している。
よって、推古天皇は存在しない。 記紀の正史での採用は有り得ない。
記紀以降、国記天皇記の焚書と共に蘇我馬子、聖徳太子の記録他は捏造されている。
隋史の記述では、この時の天皇は兄弟。
創作でしかない記紀から当てはめるなら、押坂彦人大兄皇子と聖徳太子。
聖徳は斑鳩の王、天の香具山方面の宮は押坂彦人大兄皇子。
推古天皇はこの即位を古代日本史上から消す工作。
後宮7~800人の女帝だろう。
ここまでの王位は物部蘇我など有力豪族によって建てたが
古墳制度は王を輩出した豪族から富の独占を削がせるための徳。
これ以降大化の改新から記紀成立でファンタジー神話が日本の正史となる。
皇室の成立、万世一系はそれ以降、てか、明治からのお話。
倭の五王は物部系、仏教伝来から蘇我の王、で、藤原京。
領主制地方分権で織田信長が為しえなかった軍事独裁の歴史など、
日本の古代には存在しない。 日本の歴史家の目は、記紀で曇っている。
源平以降の武家政治の成立で、武家側も利用したが
後宮数百人で兄弟継承や女系天皇が有って、
天地創造の神話天皇家の万世一系は無い。

15:日本@名無史さん
21/07/19 13:29:28.28 .net
>だから間違えてるから。アマやヒコやヒミコやミコトとか諱じゃないから。
名前が一致しなければならないことはないが、日本の歴史書に相当する王は存在しなければ、その歴史書はタリシヒコを王として認めなかった
諱に適用されるルールが異なったとできませんか?
つまり、タリシヒコの系と日本書紀系が異なると考えられませんか?
中国が間違えたとするのは単純すぎるのではありませんか?

16:日本@名無史さん
21/07/19 14:23:34.08 .net
遣隋使遣唐使のはじまり。 天子、天皇呼称の採用
600年という同時代史の推古天皇にまで嘘書いてる記紀。
これをネタに日本史を語るのは、単純にファンタジーと言われて当たり前。

17:日本@名無史さん
21/07/19 16:39:02.12 .net
徳川は豊臣勢力をそぐために秀吉の人気を陰らせました
例えば秀吉の墓を屈葬にかえた
豊国神社は廃絶となり放置され、江戸時代を通じて再興は認められなかった
淀君の墓を大阪市外に移した
etc.
手強い政敵を葬るには復活の芽を摘まねばならなかったということでしょう
アマタリシヒコの名前はもちろんそれに相当する王すら歴史書に載せないのは
書紀政権の政敵であったとみてよいのです。
ただ、歴史としてはその間の事象を消し去ると矛盾が生じますから歴史書に何らかの形で残します
別人を作って(厩戸王)その人の業績にするのです
こういうことではないのですか?

18:日本@名無史さん
21/07/19 18:17:15.25 .net
絵の一部を隠されて見せられて隠された部分を再現することは頭の良い人でもできません
つまり、書紀からはアマタリシヒコは絶対にわからないのです
これを明らかにするには書紀以外のものが必要となります
書紀政権はアマタリシヒコを隠しましたから書紀以外のものでも改竄している可能性があります
ですから、アマタリシヒコ時代の原文のみ真実です、コピーは疑うべきです

19:日本@名無史さん
21/07/19 18:24:25.10 .net
歴史が好きなら、歴史を書いている人の心情にも心を馳せましょうねw

20:日本@名無史さん
21/07/19 20:02:42.12 .net
「俀王姓阿每,字多利思北孤,號阿輩雞彌」「阿輩雞彌」はオオキミ、
王の妻は「雞彌」(キミ?)といい、
太子を「利歌彌多弗利」という。長屋王家木簡の「若翁(わかいもの)」(ワカンドホリ)から(ワカミタホリ)と読める。
一方、日本書紀は神代紀からミコト、ヒメ、ミコ系で書かれている。ミコト、ヒメ、�


21:Lサキ、ミコが隋書に出てこないのは、アマタリシヒコ系ではそれらを使わなかったからである。 すなわち日本書紀の用語は600年当時の倭国王の治世下で使われていなかった。



22:日本@名無史さん
21/07/19 20:23:19.12 .net
大王(オオキミ)は書紀では尊称としてのみ使われている
社長でものないのに「社長」、大将でもないのに「大将」と呼ぶがごとくに
太子のワカミタホリは若いものという意味に貶められた
つまりアマタリシヒコ系の称号は書紀系で侮辱された
それほどまでに徹底的にアマタリシヒコ系を否定した
アマタリシヒコ系を絶滅させるほどの意図が書紀系政権にあったと思ってよい
無論アマタリシヒコは書紀系に倒されたに違いない

23:日本@名無史さん
21/07/19 20:32:45.70 .net
>>13くん。
諱が違うところに気が付けばそこから推理ができなくっちゃ!
時代は書紀より少し古いんだから書紀を適用すべきではないよ

24:日本@名無史さん
21/07/19 21:05:00.30 .net
>阿毎多利思比孤は法隆寺釈迦三尊像光背に出る上宮法皇  
そうだ
>600年代初頭、遣隋使の派遣で隋からの使者を招請した天皇が有った。
この時、斑鳩宮と法隆寺の建造を間に合わせている。つまり、史実は実在している。
天皇称号はまだなくオオキミ
>よって、推古天皇は存在しない。 記紀の正史での採用は有り得ない。
記紀以降、国記天皇記の焚書と共に蘇我馬子、聖徳太子の記録他は捏造されている。
おそらくそうだろう

25:日本@名無史さん
21/07/19 21:36:50.45 .net
明史によると、豊臣秀吉は薩摩の出身だし、織田信長を殺した明智は阿奇支なる者の
配下で、その阿奇支は秀吉に滅ぼされたのだそうだ。
このようにChinaの歴史書も外国の記述については当てにならん事が多い。
要するに日本の歴史書よりもChinaの歴史書の方が何でも正しいという態度は、ただの
事大主義にすぎないということだ。
阿毎多利思比孤については時代を考えれば合理的な説明がつく。
聖徳太子はChinaと対等な外交関係を目指していた。
ところが当時Chinaにはまだ女帝が一人も現れていなかったので、隋からわざわざ
使節が来ると聞き、女性天皇を頂く我が国が軽く見られないように男性の身代わりを
立てたのだと考えればいいのさ。

26:日本@名無史さん
21/07/19 22:00:32.85 .net
>阿毎多利思比孤については時代を考えれば合理的な説明がつく。
聖徳太子はChinaと対等な外交関係を目指していた。
ところが当時Chinaにはまだ女帝が一人も現れていなかったので、隋からわざわざ
使節が来ると聞き、女性天皇を頂く我が国が軽く見られないように男性の身代わりを
立てたのだと考えればいいのさ。
いいのさなんて投げやりな態度ですね、それでは真実はつかめませんよ
女性天皇に自信がなかったのですか、それで男性を身代わりに建てた?
それはおかしいでしょう 卑弥呼は立派に魏志倭人伝で取り上げられていますよ 忘れました?

27:日本@名無史さん
21/07/19 22:11:56.01 .net
王が替え玉かどうかは見破られるでしょう
替え玉説を出してくるところなぞ○○説の法隆寺移動説と同じですね、どんどん破綻していきますよ 
ところで、法皇は政権の最高位の人物が出家した称号。
アマタリシヒコ大王は倭国王で、出家したと思わせる記述が隋書にある。
アマタリシヒコは遣隋使(607)を通じて「海の西の菩薩天子が仏法を重んじ興すと聞き、
よって朝拜し兼ねて僧侶数十名をつかわし仏法を学ばせに来た」といった。
隋の文帝は仏教治国策をとり、煬帝は受戒していた。
アマタリシヒコ大王は百済仏教をすすめ、さらに仏教による統治を志向し、隋に仏法を求めた。
608年に来訪した裴清にアマタリシヒコ大王は言った
「我は聞く、海の西に大隋が有り,禮義の國ゆえ,遣いをやって朝貢した。
・・・請い願わくは大國の惟新の化を聞くことを」。
裴世清は「皇帝の徳と儀が四海に流れ世界を慕わせる。故に使をやらせ、これに諭を宣す」といった。
裴世清は使いをやって「朝命既達,請即戒塗」と伝えた。
「戒塗」は仏教用語で、戒をまもり香を塗り身を清める意味である。
「於是設宴享以遣清」は、裴世清にたいして宴享を設けたのであるから、
アマタリシヒコ大王が「戒塗」を受け入れたと読める。大王が仏門に入れば法皇となる。
上宮法皇はアマタリシヒコ大王が戒塗してそう呼ばれた。
法皇となれる人物はアマタリシヒコ大王以外にない。
上宮法皇には妻がいます。替え玉が法皇にはなりえませんねw

28:日本@名無史さん
21/07/20 06:32:07.14 .net
平安時代から神代の王に戻ったんだよ
ヤマト政権より前の国作りの時代の王
元の形

29:日本@名無史さん
21/07/20 07:04:57.02 .net
神代とかヤマト政権とか国造りとか何のことですか?
過去は将来のあるべき姿に向かって歴史を作り上げてきたような言い方ですね

30:日本@名無史さん
21/07/20 07:30:06.58 .net
奈良時代後半の万葉集
月やホトトギスの来訪を期待する歌ばかりだろう
中には神代に戻るのかみたいな歌もある
ちなみにホトトギスの別名は玉迎え鳥

31:日本@名無史さん
21/07/20 09:15:01.16 .net
知らないねw

32:日本@名無史さん
21/07/20 09:30:40.34 .net
論理的に破綻しても花鳥風月に逃避する
論理では勝負しない国民をおつくりですねw

33:日本@名無史さん
21/07/20 18:10:57.57 .net
>>26でアマタリシヒコ大王=上宮法皇を示した
上宮法皇=聖徳太子であるからアマタリシヒコ大王=聖徳太子となる
上宮聖徳法王帝説は、法隆寺釈迦三尊像光背にでる上宮法皇を厩戸王に同定させようとし、知能程度の低さから論理破綻し、逆に厩戸王でないことが結論される。ここに聖徳太子となずけられる人物はアマタリシヒコ大王であり、太子ではなく法皇である。後世に聖徳太子として信仰の対象になった。

34:日本@名無史さん
21/07/21 02:36:15.61 .net
深見東州さんの曲に、
厩戸皇子のアリアと言うのがあります。
おわかりですよね?
聖徳太子の正体。
音楽アプリ、AWAで、聴けます。

35:日本@名無史さん
21/07/21 02:43:59.51 .net
万葉集の真の意味を、
全歌わかる人って、
現代では一人もいないんじゃねえ?
だから、学者が研究してるの。

36:日本@名無史さん
21/07/21 02:44:54.44 .net
学者を、
学ぶ者と解釈してない?ww

37:日本@名無史さん
21/07/21 02:48:28.59 .net
多分、
日本の古典を真に理解できるのは、
日本人だけだろうな。
日本言語学、日本文学、日本史学、
東洋史学、世界史学もか?
あと、神学。
これらが出来るのは、
最低日本人だけ。

38:日本@名無史さん
21/07/21 07:51:49.10 .net
575は「さくやこのはな」(7世紀中盤)にまでしかさかのぼれない
百済からもたらされたのだろうよw

39:日本@名無史さん
21/07/21 22:24:35.31 .net
実はタリシヒコまたはタラシヒコの諡は日本書紀などにも登場する。
例えば、景行天皇はオオタラシヒコ淤斯呂和気ミコトという。
歴代天皇では7人ほどがタラシヒコの諡号を持つという。

40:日本@名無史さん
21/07/21 22:26:40.32 .net
八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を

41:日本@名無史さん
21/07/21 22:27:29.41 .net
巨大環濠集落が完成したことを祝う歌

42:日本@名無史さん
21/07/21 23:15:53.27 .net
>>38
だから?

43:日本@名無史さん
21/07/21 23:24:48.91 .net
>八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を
記紀に575が出ていても記紀が書かれた時までしか遡れない
木簡などの証拠物からは7世紀中葉が最も早い

44:日本@名無史さん
21/07/22 01:49:03.80 .net
>>42
百済ではいつまで遡るの?

45:日本@名無史さん
21/07/22 09:55:50.54 .net
>>25
纒向遺跡の調査結果から、卑弥呼は大和王権とは関わりがないと思っているからね。
それに対等外交を目指している時期と、実際に朝貢外交を行っている時期で
時の権力の考え方が異なるのは当たり前。
>>26
>>32
替え玉の正体は厩戸王しか�


46:竡メはいないと思う。 なら、上宮法皇=アマタリシヒコ大王=厩戸王=聖徳太子 なんじゃね?



47:日本@名無史さん
21/07/22 10:46:36.68 .net
>替え玉の正体は厩戸王しか候補者はいないと思う。
なら、上宮法皇=アマタリシヒコ大王=厩戸王=聖徳太子 なんじゃね?
替え玉である証明が必要
厩戸王が実在した証明が必要
厩戸王=上宮聖徳法王の証明が必要 
ただし、上宮聖徳法王帝説は厩戸王=上宮法皇をこじつけようとし瓦解し、逆に厩戸王≠上宮法皇であったことが示された

48:日本@名無史さん
21/07/22 14:33:02.52 .net
聖徳太子は楠の母を持つ石だよ
橘寺で生まれ黄泉の国とのチャンネルを持った人物

49:日本@名無史さん
21/07/22 15:45:02.70 .net
>>42
ま、言いたいことはわかるんだけどね。
ただ、この歌自体はやはり古いと思う。
古事記を書いた人は、八重垣と聞いて、纒向遺跡にあるような垣根をイメージして書いたと思う。
でも多重環濠集落の存在を知っている我々は、吉野ヶ里のようなものを思い浮かべることができる。
遠い九州なり山陰なりにあった環濠集落についての伝承が、言葉だけ伝わったように見えるんだよね。

50:日本@名無史さん
21/07/22 16:26:25.20 .net
>>47
著者が思い浮かべる情景の原風景が何であったか
歌として残っていたとしても575であったかどうか

51:日本@名無史さん
21/07/27 05:08:36.14 .net
卑弥呼を共立したら倭人らがおとなしくなったって書き出しでなかった?
そいから中国で言うとこの倭人てのは古代の入れ墨者たちだよ
つまり犯罪者

52:日本@名無史さん
21/07/27 05:10:44.35 .net
ときの中国の政権から犯罪者としてのレッテルを貼られた集団らのこと
倭人の風習を好んで取り入れたみたいな書き出しから始まる中国武将の話は伝わるがね
そいつらは中国南朝と手を組み北朝と戦争しとるだ

53:日本@名無史さん
21/07/27 06:16:47.30 .net
聖徳太子は法隆寺で庶民に極楽浄土として大麻を勧めてた

54:日本@名無史さん
21/08/03 20:04:39.03 .net
バカが賢ぶって無知晒してるの見るの楽しいいいいいい

55:日本@名無史さん
21/08/03 20:57:21.52 .net
反論できずに遠吠えしているのを見るのは気分いい

56:日本@名無史さん
21/08/04 09:24:30.98 .net
遣隋使における阿毎多利思比孤 登場の歴史的意義は、
記紀の捏造史と焚書によって初期天皇制の成立をうやむやにしているという事実。
推古天皇と聖徳太子時代の真実は日本史自体によって完璧に隠蔽されている。

57:日本@名無史さん
21/08/04 10:02:20.00 .net
おそらく阿毎多利思比孤に死をもたらしたものが記紀を書いたのだろう
記紀を歴史書とすることによって日本の歴史観、国際感覚が失われた悲劇

58:日本@名無史さん
21/08/04 10:59:33.26 .net
さらに言うなら三国志倭人伝によって、247年以前の日本には統一王朝は無かった。
中国統一期に入り238年楽浪帯方陥落、239年公孫氏滅亡、246年箕氏遺民韓の馬王朝滅亡。
これによって地方領主の連携が有った九州北部と日本海瀬戸内海勢力は対魏防衛で合流。
だが、313年漢四郡撤退。高句麗台頭に対し倭人の後押しで350年台百済新羅成立。
400~500年倭の五王は楽浪候幽州刺史の対高句麗交戦権と半島利権のために南朝と交流。
これがのこらなかったのは朝廷天皇家ではなく、物部大伴の王家だったからだろう。
牛馬の移入や鉄の国内生産化から、文字や仏教伝来も有り
500年任那四県割譲のあと日本の半島撤退で中国が再統一、
蘇我家台頭が記紀の言う聖徳太子に繋がる。
記紀ごときの虚偽捏造で消える日本東亜の歴史の訳が無くないか?
いいかげん記紀は記紀。破棄?で、歴史認識改めた方が良いんじゃね?

59:日本@名無史さん
21/08/04 11:31:33.03 .net
日本が朝鮮に軍を送って1910 年に併合したとき、
日本の軍司令部はそれを「古来の正当な秩序の回復として祝したそうだ。
記紀を破棄するには、真実を明らかにして葬らねば、再び頭をもたげる。

60:日本@名無史さん
21/08/04 13:08:17.74 .net
誤爆した。 リロードがどうたら?
韓王を名乗った箕氏の遺民は魏が246年に滅ぼした。
高句麗による313年漢四郡の撤退以降に朝貢で百済王国を建国したが
これは高句麗馬の移入に利用した倭人の後押しによって成立している。
冊封国教化のために下寵した博士、阿直岐、王仁を
後援国の日本に即時で献上させ、文字文化の普及に貢献させられている。
これは空白の4世紀、七支刀の献上や百済王子の人質と同時期の話。
大海を越えた大国である日本に中国は中華文明を与えなかったので
日本は倭の五王の500年まで、必然的に百済を傀儡国としていった。
中国は戦乱期となり日本文化に傀儡の必要も薄れると百済は対新羅で弱体化する。
この発展期の後、隋唐の統一、遣隋使遣唐使の日中正式外交が始まった。
これが、聖徳太子までの謎の日本王権の仕事だが、
記紀神話の天子による朝廷ではないので、本当のことは言えなくなった。
これが記紀の成立と焚書の理由だろ? 
日本王朝の成立は謎とされてしまう訳だが、
これが、源平から信長の天下布武、江戸期の武家政治の存続
どころか 明治政府、昭和敗戦にも続いたわけで・・・
日本が対中で古代韓の大韓帝国の建国を後援したのも歴史の必然かと思うね

61:日本@名無史さん
21/08/04 16:36:56.56 .net
スレ違い

62:日本@名無史さん
21/08/04 23:08:59.22 .net
炊き書ってのはな😐
だいたい寺院ごと焼かれちまって資料なんか残らねえこと言うんだよ
別にその資料を焼くのが目的ではない
殺したい相手を焼いちまったら結果資料も焼けちまったってことだ😐

63:日本@名無史さん
21/08/04 23:12:32.91 .net
そもそも蘇我族以外は字の読み書きなどまともにできなかった時代

64:日本@名無史さん
21/08/05 00:37:38.83 .net
57
日本が半島を支配下に置いた時代などない
それだと倭人と呼ばれたやつらを日本の正当な支配者として認めることとなる
それは否定される

65:日本@名無史さん
21/08/05 00:39:14.93 .net
自分らが倭人らの正当な後継と名乗る連中らが現れるだろ
そおなるとそいつらがまた日本を自分らの支配下においてもよい!と言う理屈となる
そのアドバンテージは朝鮮人らの方にある

66:日本@名無史さん
21/08/05 00:39:40.99 .net
だからこの理屈を使うことはできん

67:日本@名無史さん
21/08/05 10:18:00.93 .net
アホが勝手な理屈のべても誰もわからない
アホでももう少し他人にわかるように工夫せよ

68:日本@名無史さん
21/08/05 15:29:50.11 .net
漢から魏つまり三国志側の概念では、倭は半島南岸を含み九州と東の陸地に住む者。
中国にとっては、沿海州北部は未知であるが、その対岸も倭と考えていた。
倭国の南北は中原よりはるかに長い大国であって
倭人と言われたものには、小領主国が山や島で分裂していて軍事統一国家は無い。
同様に倭人国が半島南部の韓を支配しようにも、
倭人領主国も多々混ざっているわけで統一という発想が無い。
統一は中国の概念だが三国志は分断国家の話である。
隋書のヤマトには、天宮太子彦と上宮法皇が有り、兄弟で治めていた事が知られる。
推古天皇は無いw 文字については百済朝貢建国の370年


69:辺りに阿直伎、王仁を招請し 400~500年、倭の五王は文書を使い漢名を名乗った。 この南朝との外交文書も、北朝隋の統一で破棄されたという事。 半島を捨てて、九州が日本に含まれたのは、白村江の戦い以降 記紀神の天地創造以来の捏造史観によって歴史的な日本固有の領土となった。 歴史の保津全に理屈が無かったら神話だよw 日本の歴史教育は、歴史認識を改めるところからやった方が良い。



70:日本@名無史さん
21/08/05 16:01:28.04 .net
>半島を捨てて、九州が日本に含まれたのは、白村江の戦い以降
もう少し詳しく願います

71:日本@名無史さん
21/08/05 21:04:56.29 .net
弥生時代からあった九州の倭国と、本州西部にあった日本国は別の国だから。

72:日本@名無史さん
21/08/05 21:05:54.54 .net
『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。
以其國在日邊、故以日本為名。
或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。
或云:日本舊小國、併倭國之地。
其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。
又云:其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有大山為限、山外即毛人之國。
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。
あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う。
また、その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界いずれも大海に至り、東界と北界は大山があり、限界となし、山の外は、すなわち毛人の国だという。

『新唐書』日本伝
其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城
王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至るおよそ三十二世、
皆が「尊」を号として、筑紫城に居住した。
※「筑紫」=北九州

(まとめ)
日本と倭国は別種。
日本は東側の小国だったが倭国を併合した。(旧唐書)
日本の王が自ら言うに、日本の最初の王は筑紫にいた。(新唐書)

73:日本@名無史さん
21/08/05 21:41:44.81 .net
>弥生時代からあった九州の倭国と、本州西部にあった日本国は別の国だから。
旧唐書も新唐書も巨大古墳が多くある近畿のことは何も書いていないのですか?

74:日本@名無史さん
21/08/05 23:44:38.71 .net
>>69
「自言」は新唐書が確認したのでなく、日本が自称したのを間違いなく記した意味で、その内容が真実かどうかはわからないというスタンス

75:日本@名無史さん
21/08/06 15:24:04.01 .net
倭王武の上奏文が
東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国、であるから、600年には東の毛人も平定してる。
稲荷山古墳鉄剣は、ワカタケルに仕えた武人頭によって
この471年を示し埼玉古墳での出土であるから事実である。
600年、奈良の阿毎多利思比孤王が東国を治めていないなら
600年当時でも、蘇我氏の大王と、倭の五王の物部の大王は別系統である。
大和朝廷の天孫降臨~一系の確立は記紀成立までなく、
馬子から聖徳太子編纂と言われる
SF神話ではない天皇記国記の焚書の理由も明白である。
記紀をベースに日本史を語るのはガキの使い以下である。
600年の蘇我系の王は、天宮太子彦と上宮法皇の兄弟である。
倭王讃以前の半島進出の黄金時代370年位から500年の
物部系の王は奈良�


76:ナはなく、摂津大阪方面の古墳でしょ。 記紀はこれを修正している。



77:日本@名無史さん
21/08/06 20:12:02.41 .net
>600年の蘇我系の王は、天宮太子彦と上宮法皇の兄弟である。
天宮太子彦で知らないんですが
>物部系の王は奈良ではなく、摂津大阪方面の古墳でしょ。
記紀はこれを修正している。
物部系ってなんですか? 私は辰王系だと思っていますが・・・

78:日本@名無史さん
21/08/06 21:40:42.07 .net
蘇我馬子=阿毎多利思比孤

79:日本@名無史さん
21/08/07 00:27:47.89 .net
馬子は阿毎多利思比孤の筆頭貴族でしょ

80:日本@名無史さん
21/08/07 00:46:23.96 .net
ケカキキヤ=通称推古は蘇我族の女頭領だから
日本書紀の記述が決定的にデタラメというわけじゃない
日本書紀を執筆した中華帝国人が
女系血統相続主義の仕組みを理解できず漢族の男系主義の類推で
伝承をまとめてしまったためおかしな記述になってしまっている

81:日本@名無史さん
21/08/07 10:04:09.99 .net
>>74
王は血統主義による太子が相続するのでおおむね揉めないで引き継がれる
ところがそうでないものが王位に就くのは簒奪であり、必ず戦なりがある

82:日本@名無史さん
21/08/07 10:05:33.10 .net
>日本書紀を執筆した中華帝国人が
女系血統相続主義の仕組みを理解できず漢族の男系主義の類推で
伝承をまとめてしまったためおかしな記述になってしまっている
おかしな記述とはどの部分を指していますか?

83:日本@名無史さん
21/08/08 08:18:25.24 .net
推古天皇おらんわけないやろ
上宮王は天皇代理を務めた摂政家だアホ

84:日本@名無史さん
21/08/08 08:20:08.13 .net
女性天皇や未成年天皇が立ったときは代わりに政治代表を行う摂政殿下が皇族代表として立ち政治指導部の代表となる😑

85:日本@名無史さん
21/08/08 08:22:55.74 .net
正統性が無い時に中国の権威にすがるんじゃないか
親魏倭王卑弥呼しかり

86:日本@名無史さん
21/08/08 08:32:24.06 .net
簒奪は継体の時に起きて推古天皇の時代は正統な大王がいないんだよ

87:日本@名無史さん
21/08/08 08:48:56.62 .net
>上宮王は天皇代理を務めた摂政家
上宮法皇を上宮王と読み替える必要性は?
法隆寺釈迦三尊像光背銘は現存する。
法隆寺釈迦三尊像光背銘は時を表すのに年号を用いている。
他の聖徳太子に関する銘文(コピーだが)はすべて天皇名で時を表している。
法隆寺釈迦三尊像光背銘が作られた時は天皇の治世ではない。

88:日本@名無史さん
21/08/08 08:51:20.97 .net
聖徳太子はアマでもササでもマツでも鳥でもないよ

89:日本@名無史さん
21/08/08 08:54:54.51 .net
日がさしているのに、アメが降るのは狐が嫁に行った時
聖徳太子の父は橘豊日天皇なので聖徳太子は日やね

90:日本@名無史さん
21/08/08 08:55:20.24 .net
逃げた、ウヨを狂わせてやる

91:日本@名無史さん
21/08/08 08:58:18.72 .net
法皇じゃないか。なぜ上宮王と読み替えた?
法皇になるには国の最高権威者なければならないだろう。
誰なんだ?

92:日本@名無史さん
21/08/08 09:16:04.70 .net
元々1世紀中頃に国作り、建国が行われたんだよ
倭国大乱前に男王の治世が約80年
前漢の時代は日本列島は100余国に分かれていたから、1世紀中頃が国家としての始まりだろう
倭国大乱で邪馬台国卑弥呼派と狗奴国卑弥弓呼派に分かれた
この名残りが奈良時代まで影響するんだよ
邪馬台国卑弥呼はヤマト政権の始まり
狗奴国はそれより前にあった国作り神話の元になったクニ、芦原中津国
黄泉に逃れたイザナミと在地の人々が協力してできた国だな
橘は黄泉の木
聖徳太子の父は黄泉の国とのチャンネルを持った人物
聖徳太子も橘寺で生まれたから同じく黄泉の国、元の狗奴国とのチャンネルを持っていたかもねぇ
推古は文字通り古を押す
倭国大乱前のありように戻そうとしたのかもねぇ
当時も色々パワーゲームがあったんやろな

93:日本@名無史さん
21/08/08 09:36:11.52 .net
適当なことをいうなぁ すべて脳内事実だ
上宮法皇が天皇の摂政なら釈迦三尊像光背銘には天皇名が入らねばならない

94:日本@名無史さん
21/08/08 10:27:07.72 .net
九州では年号を使っていたけれど、畿内はまだ年号を使っていなかったんだろう。
上宮法皇は倭王だったのだろう。
まだ天皇という制度がなかった時代の話だし。
隋書では倭王は仏法に深く帰依していたとあるので、法皇が後


95:の天皇の意味かと。



96:日本@名無史さん
21/08/08 10:32:55.76 .net
>>88
>前漢の時代は日本列島は100余国に分かれていたから、1世紀中頃が国家としての始まりだろう
この頃に伊都に三種の神器を持つ王権が誕生した。
高祖神社に残る王明は彦火火出見であり、出雲の国譲りを経て天孫降臨により成立した筑紫日向三代の王家。
魏志倭人伝に言う男王70~80年に相当する。
記紀でもこれが皇祖とされている。
これは神武が卑弥呼と同世代という年代観にも一致する。

97:日本@名無史さん
21/08/08 10:54:20.36 .net
>>91はすべて脳内事実

98:日本@名無史さん
21/08/08 10:59:14.34 .net
>九州では年号を使っていたけれど、畿内はまだ年号を使っていなかったんだろう。
九州のことは知らんが、畿内は法隆寺にあるように法興年号を使っている
>上宮法皇は倭王だったのだろう。
まだ天皇という制度がなかった時代の話だし。
そうだと思う
>隋書では倭王は仏法に深く帰依していたとあるので、法皇が後の天皇の意味かと。
天皇と上宮法皇を関係づける必要はない、天皇称号は上宮法皇時点にはなかったからだ

99:日本@名無史さん
21/08/09 13:03:16.71 .net
>>93
>九州のことは知らんが、畿内は法隆寺にあるように法興年号を使っている
釈迦三尊像は九州から移設したという説がある。
畿内では大化が最初の年号だったはず。

100:日本@名無史さん
21/08/09 18:25:39.88 .net
上宮法皇の法興年号は統一国の年号として使ったはずだが
600年以前、当時の年号が記紀に記録されてるのかね?
存在しない推古〇〇年という神武以来の諡号は記紀での創作だろ?
600年の王は対外的に阿毎多利思比孤。 推古天皇は無い。
兄弟で治めていたという話で、上宮法皇は存在したんだろうね。
この中で、聖徳太子はでっち上げられている。
うまやどがでっち上げの票体で、正式名とか、バカの極致だろwww
死んで詫びろよ、日本の歴史学者。

101:日本@名無史さん
21/08/09 18:56:47.97 .net
記紀による700年以前の日本古代史は修正復元されなければならない。
その基準、出発点になるのが、600年代の聖徳太子時代。
時の王は対外的に遣隋使も送ってる阿毎多利思比孤。
聖徳太子は諡号だから、うまやどが史実の実在名って、
記紀ファンタジーの言いなりかよ?
戦前の学校で誰もが神武以来の歴代天皇そらんじて来たから
日本の学者には記紀が史実なのか? 
2600年前って、神武が稲作普及の営業したのかよ?
史記や三国志程度は中国語訳じゃない普通の漢文で読める、
アタシ達中高生世代には受け入れがたいんだけど?
でたらめこいてる、学者が説明しろよ。

102:日本@名無史さん
21/08/09 20:31:47.52 .net
>釈迦三尊像は九州から移設したという説がある。
移築説を唱えるには証拠が必要だ。
特段の証拠がない限り建築物はその地に最初からあるとするのが当たり前。
>畿内では大化が最初の年号だったはず。
大化が最初の年号と唱えている学者がいるだけ。事実は大化より前から年号がある。
上宮法王帝説が法興は年号でないと言いたかった。
それは法興年号を定めた政権を認めたくなかったからだ。
大化が最初の年号と唱えている現代の学者も法興年号を定めた政権を認めたくないのだ。
つまり、現在の歴史学者は上宮法皇政権を認めてないだけの話。

103:日本@名無史さん
21/08/09 20:37:09.24 .net
「国際的視点からの古代史考」をお読みください

104:日本@名無史さん
21/08/09 21:03:13.42 .net
記紀は罪の告白書みたいなもの
もう一回裏表になるとは当時は思わなかったんだろう

105:日本@名無史さん
21/08/09 21:35:21.77 .net
告白書ともいえるが、記紀を真実化するために史料をいじることまでするものかね。
時が経てば嘘でも史料となるという考えはいただけない。
このスタンスは今でも受け継がれているように思える。w

106:日本@名無史さん
21/08/10 10:06:27.09 .net
>>97
>それは法興年号を定めた政権を認めたくなかったからだ。
つまりそれが記紀にない筑紫の倭国なんじゃないの?
聖徳太子こと厩戸王は畿内地方政権の王で、上宮法皇は筑紫の倭王。

107:日本@名無史さん
21/08/10 10:59:54.49 .net
法皇が日本の王なんて記録ねえもんよ

108:日本@名無史さん
21/08/10 11:02:27.99 .net
96
天足彦がちょうどそおよむな😀

109:日本@名無史さん
21/08/10 11:03:25.41 .net
天(あめ)足(たらし)彦(ひこ)

110:日本@名無史さん
21/08/10 11:14:15.76 .net
阿毎多利思比孤を記紀は知っているから天足彦を作ったんだろうw

111:日本@名無史さん
21/08/10 11:21:40.39 .net
>法皇が日本の王なんて記録ねえもんよ
釈迦三尊像光背銘によれば、上宮法皇が病を得てまわりにいた�


112:烽フは 太后(母親)・王后(嫁)、王子(子供)で王であったことは間違いない。 これくらいのことは捻くれずに読んでほしいなバ~カ



113:日本@名無史さん
21/08/10 11:23:51.93 .net
>>102
これに懲りず疑問はなんでも尋ねてください、回答いたします。

114:日本@名無史さん
21/08/10 16:26:18.45 .net
なんで? ウリナラファンタジー?
記紀のせいで、朝鮮史までグダグダなのはお気の毒だが、
それは傀儡立国が起源だからだよ。
百済王は全然関係ないだろ?
上宮法皇は、蘇我系大王であって、百済王族は鎌足等に人非人として
一応家臣なんで、尊属、神殺しに利用されることはあっても主流じゃない。
天智自体が敗戦で近江隠遁で没落してるのに、亡国王族のどこに浮かぶ瀬が有る?
無用となった高句麗牧童同様戸籍管理され、
氏を得た貴族以外は、後に武蔵などに差別封土されている。
百済復興の失敗から、唐の属国朝鮮を捨てて対唐でも
日本国土の歴史的確定が必要になった。
この時、対馬国境は天孫国家日本の国境として確定した。
渡来仏教ベースの蘇我系王族の瑕疵を改め天孫降臨からの王族を目指した。
記紀の嘘っこ神話の誕生実話の常識ではないのかな?

115:日本@名無史さん
21/08/10 16:39:24.70 .net
>上宮法皇は、蘇我系大王であって、百済王族は鎌足等に人非人として
一応家臣なんで、尊属、神殺しに利用されることはあっても主流じゃない。
天智自体が敗戦で近江隠遁で没落してるのに、亡国王族のどこに浮かぶ瀬が有る?
上宮法皇は、蘇我系大王だろう。
天智は扶余勇の別称で、大宰府から近江を支配し日本を名乗った
倭国は扶余勇によって潰された。

116:日本@名無史さん
21/08/10 17:16:39.32 .net
高句麗?
戦争やってるよ

117:日本@名無史さん
21/08/10 17:18:24.61 .net
扶余勇?
日本に来たときも立ち並ぶ諸侯の中に一応列席できる立ち位置にはおったみたいだから公家にはなれたんやろ
おまえら誇大妄想好きやね〜

118:日本@名無史さん
21/08/10 17:19:31.71 .net
他国の王が来ました( ゚д゚)
王になりました?ありえるか?
ありえると思ってるならそれはおまえらが日本を見下してるからに他ならん( ゚д゚)

119:日本@名無史さん
21/08/10 17:21:48.33 .net
三国志の記述によれば3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ
ところが記紀では入れ墨族は
「天孫族」とやらにひたすら殺戮されていくウホウホ蛮族扱い
「天孫族」と入れ墨族のハーフのイワレビコが
入れ墨族の小邑を配下にしたという記述はあるが
イワレビコの配下の入れ墨族もやっぱり他の入れ墨族を殺戮していく

120:日本@名無史さん
21/08/10 18:46:49.00 .net
>他国の王が来ました( ゚д゚)
王になりました?ありえるか?
ありえると思ってるならそれはおまえらが日本を見下してるからに他ならん( ゚д゚)
いやいやそれどころかもっとひどい以下の状況。
倭国は百済の属国、王は代々半島系のものがなる。
半島で国を失った王は倭国に渡って、先に来ている王とどちらが正統かを争う。
正統なものが王に就く。簡単なことだろう。倭人が王になる隙間はない。

121:日本@名無史さん
21/08/10 18:47:56.83 .net
だって中国でも入れ墨入れられたのは罪人らとされた者らだもん
そゆ連中らが日本あたりに来ていついて門閥でも作ってたんかな?

122:日本@名無史さん
21/08/10 18:48:46.92 .net
入れ墨を入れられて奴隷階層に落とされたわけよ

123:日本@名無史さん
21/08/10 18:50:23.01 .net
そゆ集団らが中国内でも集まるだろ
それである国王だのそゆのに協力して自分らの権限だの守る行動に移っていくわけよ

124:日本@名無史さん
21/08/10 19:34:01.52 .net
入れ墨の話に逃げるなよ>>114に向き合えw

125:日本@名無史さん
21/08/10 19:52:53.49 .net
そゆのご老体、狂わせてあげよう。
何でも質問してください、回答いたします。

126:日本@名無史さん
21/08/10 20:23:03.75 .net
そゆのご老体、質問なくば
聖徳太子=阿毎多利思比孤を認めたとお主の負けとするでなw

127:日本@名無史さん
21/08/10 20:33:56.73 .net
あんまり適当なこと言ってたら石に怒られるで

128:日本@名無史さん
21/08/10 20:50:55.82 .net
そゆのご老体、どんな質問するか興味あるうう

129:日本@名無史さん
21/08/10 20:52:54.07 .net
質問すればするで太〇のように狂うよw
丁寧に狂わせてあげるからねw

130:日本@名無史さん
21/08/10 20:59:14.60 .net
脅迫文を書くそゆのご老体は意外に小心なのだw

131:日本@名無史さん
21/08/10 21:15:30.62 .net
学問スレの日本史板に居るのが苦痛になるようにしてあげよう

132:日本@名無史さん
21/08/10 21:19:08.36 .net
漢人と倭人が撤退した後の朝鮮半島には何も残らない。
漢字文化圏なのに圧倒的な資料の少なさが未開すぎるね。

133:日本@名無史さん
21/08/10 22:01:07.79 .net
スレタイ「聖徳太子=阿毎多利思比孤」をリマインドしましょう

134:日本@名無史さん
21/08/10 22:08:08.15 .net
聖徳太子関連の史料はすべて天皇名が時代を表しているのに
法隆寺釈迦三尊像光背銘だけが年号なのだよ なぜ?

135:日本@名無史さん
21/08/10 22:27:19.93 .net
あなたの見解を知りたいなあw

136:日本@名無史さん
21/08/11 07:32:26.42 .net
筑紫と大和が別の王国だったからでしょうなあ。

137:日本@名無史さん
21/08/11 08:19:36.62 .net
ほう、筑紫は王国なんですか?
聖徳太子関連の史料の何が筑紫と関連するのですか?

138:日本@名無史さん
21/08/11 16:07:30.81 .net
倭王多利思比孤の王国が筑紫なんですよ。
阿蘇山の記述もあるし。
そもそも中国から見た倭とは、対馬海峡の国から始まった。
畿内はまだ中国の視野に入ってない。

139:日本@名無史さん
21/08/11 17:26:01.68 .net
確かに247年までは卑弥呼が筑紫? 仮称、邪馬台国21国連合、可7万戸の王だったが?
これは600年位の遣隋使で隋使の裴世清が奈良で新造の法隆寺と斑鳩宮を見て
日出処の天子、阿毎多利思比孤に謁見した時の話が隋書に残されたという話です。
700年に書かれた記紀のこの時点での内容に整合性、合理性が無いという事実は
記紀神話の成立によって、記紀での歴史の修正が行われたことを意味しています。
幽州刺史楽浪候の高句麗との交戦時の倭の五王について、
漢四郡時代での三韓征伐についても、ファンタジーなのは明らかであって、
記紀を基準に推古天皇時の聖徳太子の話をすること自体が
歴史が政治的国民認識や神話でもない、科学であるなら不誠実です。
なんで、復興運動で百済人を無理無理強制送還した天智天皇が百済王だよwww

140:日本@名無史さん
21/08/11 18:48:12.76 .net
>なんで、復興運動で百済人を無理無理強制送還した天智天皇が百済王だよ
白村江の戦のまえの天智と後の天智はモデル人物が異なります。
白村江前はおそらく大海人、白村江後はもちろん扶余勇。

141:日本@名無史さん
21/08/11 19:29:03.01 .net
そもそも、なんで日本は
白村江で唐の海軍と戦争するよ? 無意味だろ?
新羅相手なら釜山海戦は楽勝だろ?
新羅に軍船が有るかは知らんけどw 
上陸できる。
終わってる百済、それも内戦なら優位の首都方面に向かったのは
復興名目で旗印の王族はもちろん、亡国の在日百済人を送還し、
今後、唐の台頭する百済内から、日本移民や在百済投資を引き揚げるためだよ。
日本は海戦なんて瀬戸内海くらいにしか無いから
半島西岸で唐に迎え撃たれたら輸送船ごときには、戦い方が無い。
任那割譲以降、冷や飯組の海神族が百済人乗せて行って捨てられてんだよ。
この時まで、百済は対中国での博士や仏教、文化の横取り用の傀儡立国、
600年からは、半島無視で遣唐使は唐滅亡付近まで続く。
これが出来たのは、敗戦処理で白村江が投資と移民の引き揚げってのが通ってるから。
この時までは、九州は、筑紫の君で半独立、
本州も豪族による分割統治であって対馬国境は記紀神話のこの時に確定した。 
天地創造から九州起源という事で紀元日本の歴史的領土を設定した。
竹島が歴史的韓国領とか、意味不明の歴史的領土? 
天皇が? 今の朝鮮とは無関係だが、百済人?
まあ台湾や満州、モンゴ


142:ル、西域でも歴史的に中華は無いけど。 朝鮮人は馬鹿なのか?  歴史の話には、舟で帰って、 もう来ないでくれよ。



143:日本@名無史さん
21/08/11 20:14:09.77 .net
>そもそも、なんで日本は
白村江で唐の海軍と戦争するよ? 無意味だろ?
百済残党を応援に行って唐の海軍と出くわし戦いになっただけ
>終わってる百済、それも内戦なら優位の首都方面に向かったのは
復興名目で旗印の王族はもちろん、亡国の在日百済人を送還し、
今後、唐の台頭する百済内から、日本移民や在百済投資を引き揚げるためだよ。
復興を期にのし上がろうとする者もいる
>この時まで、百済は対中国での博士や仏教、文化の横取り用の傀儡立国、
600年からは、半島無視で遣唐使は唐滅亡付近まで続く。
これが出来たのは、敗戦処理で白村江が投資と移民の引き揚げってのが通ってるから。
百済人にとっては純然たる祖国である
>この時までは、九州は、筑紫の君で半独立、
本州も豪族による分割統治であって対馬国境は記紀神話のこの時に確定した。 
天地創造から九州起源という事で紀元日本の歴史的領土を設定した。
半独立とは、宗主国があるという意味か? それは何処なのか?

144:日本@名無史さん
21/08/11 20:25:36.87 .net
>>1
それってあなたの感想ですよね?

145:日本@名無史さん
21/08/11 20:38:52.62 .net
>百済残党を応援に行って唐の海軍と出くわし戦いになっただけ
戦争に意味がない、というのはコレ。 
韓国は、日本軍の建国を引き継いだ在韓米軍無しでベトナム戦争行くのかw
日本に百済人勢力が有ったから、亡国の百済人が帰れる国を作りたかったんだろ?
倭人伝時代、239年公孫氏滅亡から246年韓王朝廃絶以降
魏の台頭と青銅輸入の断絶に危機感を持った九州北部、日本海、瀬戸内海連合勢力が、
対魏防衛での筑紫一大率と軍議の首都を纏向に置いたが、
国造制度の先駆けとして、漢四郡撤退から高句麗戦で牛馬の移入が進んだ。
350年以降の半島進出時代には畿内豪族に先駆け
銅鐸系日本人とは別種の筑紫の君という差別的氏姓制度が出来た。
九州は明らかに、卑弥呼以降も半独立だよ。

146:日本@名無史さん
21/08/11 20:39:12.95 .net
>>137
1は論理的帰結です。論理の詳細はここでは長くなりますので、論考集ホームページ「国際的視点からの古代史考」の
聖徳太子=阿毎多利思比孤のページにあります。

147:日本@名無史さん
21/08/11 20:50:36.57 .net
>日本に百済人勢力が有ったから、亡国の百済人が帰れる国を作りたかったんだろ?
倭国には古くから百済人勢力があった。倭国王が百済人系であった。
百済崩壊で、祖国を取り戻さなければならない意識が倭国にいる百済人に起きた。
この時の倭国王を大海人(孝徳の皇子、孝徳=翹岐王)と判断しています。

148:日本@名無史さん
21/08/11 21:47:37.43 .net
>倭国王が百済人系であった。
倭人伝によれば、246年馬韓の、韓王朝断絶。
これまで弁辰韓には倭人国が混ざり実態不明。
倭、日本国王は700年以降に一系で創設される。
天智天皇が百済人というのは、いつの百済人だ?
350-500年の物部系の倭の五王、これは高句麗戦で百済新羅建国を後援。
この時、百済は王子を人質に差し出す。
任那割譲500年以降の仏教伝来から隋唐台頭の600年は、蘇我系王朝。
この間傀儡立国の百済で、中華文明は隣国日本に横流しされた。
中国は戦後日本のように米国に強要され
隣の植民地国に文明を与えるほど馬鹿ではない。
百済、高句麗人は官営工場、工事の職工奴隷や御牧の牧童として重用された。
この渡来人は、豪族の所有物として戸籍管理されるが、それが
何故、日本神道系、天孫降臨思想、日の出る処の天子以降の天智天皇になる?
天智天皇が、百済人を白村江に送ったのは、百済人はもう要らなくなったからだろ?
明治大正以前の日本の古代には、外国人、朝鮮人差別や
強制連行の奴隷労働が無かったと思ってるの?

149:日本@名無史さん
21/08/11 21:59:03.75 .net
朝鮮人、百済人は黄帝の子孫で中国の臣民でしょw
日本人は天照大神、素戔嗚の子孫で独立した民族www

150:日本@名無史さん
21/08/11 22:03:51.42 .net
三国志の記述によれば3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ
ところが記紀では入れ墨族は
「天孫族」とやらにひたすら殺戮されていくウホウホ蛮族扱い
「天孫族」と入れ墨族のハーフのイワレビコが
入れ墨族の小邑を配下にしたという記述はあるが
イワレビコの配下の入れ墨族もやっぱり他の入れ墨族を殺戮していく

151:日本@名無史さん
21/08/11 22:08:21.98 .net
日本書紀(7世紀)>>>>後進国朝鮮の三国史記(10世紀以降)www
日本の巨大古墳>>>>後進国朝鮮のショボい墓wwww
天皇(皇帝、エンペラー)>>>>属国朝鮮大王(酋長)www

152:日本@名無史さん
21/08/11 22:22:23.66 .net
古代朝鮮は長城以北の遼東遼西であって
百済はさらに漢四郡以南で韓。
現北朝鮮だの古代 高句麗は満州だろ?
なんで北京やハルピンが黄帝の子孫で中


153:華だよ? 漢四郡は公孫氏時代が半独立というより、 三国志分裂で宗主国の漢、中華自体が無い。 三国志時代の黄帝の子孫臣民って何? まあ、倭人には誰かが倭人は太伯の後、って入知恵が有ったみたいだがw 万世一系の天子思想は日本でしか生き残って無いんじゃないのかね? ほんとは、当然、神話でしか無いけど



154:日本@名無史さん
21/08/11 22:40:25.52 .net
>倭人伝によれば、246年馬韓の、韓王朝断絶。
これまで弁辰韓には倭人国が混ざり実態不明。
倭の五王は辰国系、503年の日十大王から百済系、人民は倭の五王の時から百済から多数来訪
>倭、日本国王は700年以降に一系で創設される。
天智天皇が百済人というのは、いつの百済人だ?
扶余勇(日本では善光ともいわれるが、別人)が白村江の戦にまけて多数の貴族と共に倭国に渡り、政権を作った。これを天智と呼んでいる
>350-500年の物部系の倭の五王、これは高句麗戦で百済新羅建国を後援。
この時、百済は王子を人質に差し出す。
人質は書紀の逗留型客人の呼び方と思った方がよい
>任那割譲500年以降の仏教伝来から隋唐台頭の600年は、蘇我系王朝。
この間傀儡立国の百済で、中華文明は隣国日本に横流しされた。
600年のタリシヒコは大王であり、日十大王の末裔で百済系である。500年から600年は蘇我(百済人貴族、木)に支えられた。
>天智天皇が、百済人を白村江に送ったのは、百済人はもう要らなくなったからだろ?
いいえ、百済人達が祖国を取り返すために援軍を送ったのです。

155:日本@名無史さん
21/08/12 01:20:19.00 .net
>>146
そもそも百済の王が百済人っていうのはただの思いこみだから。
例えば、第3代の新羅王は新羅人じゃなく倭人でしょ。
朝鮮半島の国々の国力が倭国よりも強くなった時代は一度もないし、どうやって朝鮮人が倭国を乗っ取るの?

156:日本@名無史さん
21/08/12 01:28:27.68 .net
>>145
そもそも聖徳太子の時代は「倭国」と呼ばれてないからな
「俀国(たいこく)」「俀王(たいおう))と書かれている。
「俀(たい)」は中国呉出身の王族(太伯など)の子孫であることを意味している

157:日本@名無史さん
21/08/12 01:32:08.99 .net
「俀王姓阿每,字多利思北孤」
俀王(たいおう)の姓は阿每(あま)、字は多利思北孤(たりしひこ?)

158:日本@名無史さん
21/08/12 01:39:15.90 .net
日本の歴史には残ってないが
聖徳太子は一時的に国名を「やまと」から「俀(たい)」変えてるはずだよ
倭国の王は、中国呉出身の王族(太伯など)の子孫であるから中国の皇帝と同格なのだという発想だね
中国も倭国の王は中国呉出身の王族(太伯など)の子孫であると信じていたこともわかる

159:日本@名無史さん
21/08/12 01:46:48.75 .net
聖徳太子の「太子(たいし)」も
俀(たい)の子が語源かもね

160:日本@名無史さん
21/08/12 01:51:25.72 .net
そう考えると「太子(たいし)」は皇太子という意味と思われてるが
実際には「俀子(たいし)」であり、呉の皇帝という意味になるから
「太子(たいし)」は皇太子じゃなく王でもおかしくないんだな

161:日本@名無史さん
21/08/12 04:35:10.07 .net
^ー

162:日本@名無史さん
21/08/12 05:29:08.02 .net
ヒノモトノヤマト国に百済は関係ないからどうでもいい

163:日本@名無史さん
21/08/12 07:21:23.85 .net
そもそも韓国人ら漢字文化と関係ないじゃん

164:日本@名無史さん
21/08/12 07:24:16.33 .net
150
そんな伝承ないだすだ

165:日本@名無史さん
21/08/12 07:43:11.51 .net
>そもそも百済の王が百済人っていうのはただの思いこみだから。
百済人とは百済の王の意味で使っています。
>朝鮮半島の国々の国力が倭国よりも強くなった時代は一度もないし、
倭国が大国と書いてあるのは「大国扱いしておけば玉などの珍しいものが手に入るので」といういみです。
倭国は503年以降百済の完全属国で中国に遣使すら出していなかった。
タリシヒコの遣隋使はその意味で属国の地位を破った反逆者と見える。
>そもそも聖徳太子の時代は「倭国」と呼ばれてないからな
「俀国(たいこく)」「俀王(たいおう))と書かれている。
「俀(たい)」は中国呉出身の王族(太伯など)の子孫であることを意味している
その詳細は解らない。
>聖徳太子の「太子(たいし)」も俀(たい)の子が語源かもね
いいえ、太子は王位を継ぐ予定のものという意味です。

166:日本@名無史さん
21/08/12 21:32:55.57 .net
これっぽっちの反論では終わらんだろう

167:日本@名無史さん
21/08/12 23:38:45.86 .net
日本の民族衣装は着物(呉服)だしね
8世紀の頃からは日本人は呉の服を着てた

168:日本@名無史さん
21/08/13 00:07:19.59 .net
そゆ級の無能のおもいつきw

169:日本@名無史さん
21/08/13 01:38:20.03 .net
銅鐸文化は呉と日本にしかないしね

170:日本@名無史さん
21/08/13 08:06:59.55 .net
伝来は古い。スレタイとの関係の説明を問う。

171:日本@名無史さん
21/08/13 09:39:08.08 .net
聖徳太子=精鋭ホモ部隊


172:リーダー



173:日本@名無史さん
21/08/13 09:39:45.90 .net
男装して戦った←ウソつけ!
オカマ野郎!

174:日本@名無史さん
21/08/13 11:08:56.80 .net
159
あーそゆことね
そんなん京都くらいだよ😑

175:日本@名無史さん
21/08/13 11:14:43.85 .net
記録は残っておるが東日本の関東あたりでは
酋長クラスが🐻の毛皮、卒兵らが🐗の毛皮を着とった
麻が栽培されるようになってから木綿の服が流行りだしたんだわな
これが800年ころから
あとは簡単な植物の蔓を組み合わせたのくらいしかなかったろ

176:日本@名無史さん
21/08/13 11:18:06.64 .net
植物類はよく使われたな
稲束、蓑、イラクサや木の皮を削った樹皮などを編んだものもあった
だいたいこんなとこや

177:日本@名無史さん
21/08/13 12:29:00.74 .net
百済建国で朝貢の有った350年辺り?まあ313年帯方郡撤退時として
この帯方郡以南には、95王国が存在した。 
ちな、250年時点なら馬韓54国弁辰韓24国で78国。
これらは、筑紫21国の女王国と同様で日本国内も同じだったのだが、
246年箕氏遺民の韓王馬王朝が廃絶されるまでは、統一の必要のない
小領主国による地形依存の分立状態であった。
この中の伯斉国が朝貢国の百済名を代表するという説が有力ではあるが、
この95国の統一には、対高句麗戦で漢4郡域を戦場として
対魏晋防衛で馬の移入、富国強兵政策を進める日本が大きく関わっている。
そもそも、弁辰韓には倭人国が相当数混ざっていたのである。
倭王武の奏上を見るなら、日本が承認した半島南部地域の当主国なのである。
漢四郡撤退以降、楽浪候、幽州刺史となった、高句麗の南進に耐えなければならない
百済国の王が人質以外で、日本に進出する理由などどこにもない。
百済成立期の歴史が直視されないのは、日本では記紀成立の為だが、
朝鮮では、日本の記紀がベースになっているっという現実以外に、
歴史認識の異常性と言うのがあり、日本史学会の現実以上に救いようがない
と、思われる。 
まず、日本の学者が、記紀の後つけ名やインチキ事績を捨てて、
時系列が正しい科学的事実、歴史の必然を認めろよ。

178:日本@名無史さん
21/08/13 14:11:18.72 .net
日本の学者が歴史の必然を認めるには、日本国が亡びる必要がある。
日本の認識など待たずともいくらでも手段はある。
百済は475年に蓋鹵王 が敗死し、漢城が落城した。蓋鹵王の子の文周王は熊津に南遷した。
文周王弟の昆支王は兄に同行し、内臣佐平を勤めたが477年に死亡した(百済紀)。
倭国には軍君(=昆支王)が来ており(雄略紀)、近つ飛鳥に昆支王を祭神とする飛鳥戸神社がある。
昆支王は河内に来ていた。
文周王に同行した貴族の木刕満致は半島での行跡が途絶え、蘇我満智が倭国に現れる(475年ころ)。
これが木刕満致だと考えられ、昆支王と木刕満致(=蘇我満智)という百済王族と貴族のペアが河内にできあがる。

179:日本@名無史さん
21/08/13 15:00:00.82 .net
673年沙宅紹明が死去したさい、天武は沙宅の故国百済の大佐平の位を与えた。
百済の大佐平なる貴族称号を日本王から与えられたとしても、もらった側はありがたくない。
大佐平追贈は百済王から頂いてこそ値打ちがある。天武は百済王なのである。
いくらでも崩せるだろう?w

180:日本@名無史さん
21/08/13 16:09:15.24 .net
漢城が落ちて熊津に遷都した時でも
熊津を取り戻して百済王に与えたのが日本の天皇
ってのは、どう見ても百済が日本の属国ってことだろ?
百済王は日本の傀儡とか天智が百済王を支配ってのは有りでも
百済王�


181:ェ天地に背のりってのは無理筋www ウリナラファンタジーの極致



182:日本@名無史さん
21/08/13 16:43:13.88 .net
>漢城が落ちて熊津に遷都した時でも
熊津を取り戻して百済王に与えたのが日本の天皇
ってのは、どう見ても百済が日本の属国ってことだろ?
まだ天皇称号はないが、どの王が取り戻したのか具体的にどうぞ

183:日本@名無史さん
21/08/13 16:52:07.65 .net
>>171>>170への反論をまずすべきだろう

184:日本@名無史さん
21/08/13 17:23:54.74 .net
天武が純粋な倭国王なら、天武が百済の大佐平を追贈したのは
大勲位菊花大綬章を韓国大統領が授与するようなものだw

185:日本@名無史さん
21/08/13 17:24:48.80 .net
大佐平授与はおまえらの日本書紀に書いてあるだろう

186:日本@名無史さん
21/08/13 17:45:06.81 .net
>673年沙宅紹明が死去したさい天武は沙宅の故国百済の大佐平の位 を与えた。
記紀ファンタジーベースのウリナラファンタジー、与太話に反論も無いが、
この時って既に、百済が無い。 ↓くだらない、禁止w
>大佐平追贈は百済王から頂いてこそ値打ちがある。天武は百済王なのである
というよりは、
百済人が日本の王から既に無い百済の冠位を受けた、というのは
日本の王は百済王への内政干渉を当然とする、百済王の上位に有る王だった、
という事の証明でしかない。
350年、百済建国時点で、王子を人質として差し出したのが百済国であり
朝貢で属国化して臣民教化のため下寵された博士や七支刀を日本に献上した、
というのは、百済が日本の防壁及び文明入手のための傀儡立国だったことを意味している。
中国は、対等以上に大きいかも知れない隣国に文明を与えるほど馬鹿ではない。
500年百済及び中華の衰退で、この価値が薄れた時、
日本は任那割譲で半島利権の放棄、自立国としての存続を求めた。
600年からは、韓はすっ飛ばして隋唐使時代で、百済再興のための
663年白村江敗戦処理に見るように、唐との開戦も恐れてはいないのである。
この、既視感の正体って。
日本が中華から大韓帝国を独立させて、
戦勝の米軍が日本に文明化させて植民地利権を得た。
米軍は今また中華再興で、めんどくさくなって撤退する。
白村江海戦はの再来は、亡国の韓民族の帰国で成立するのかな?
百済傀儡立国って、近現代の古代韓復興の歴史と完全に一緒だよね。

187:日本@名無史さん
21/08/13 18:20:47.93 .net
このトンチキな、歴史認識ウリナラファンタジーの成立は、
物の見方が180度違う、という事で理解が可能である。
何故、漢の四郡つまり紀元前から中華属国であった韓国?半島が
一度も中華に属した事のない日本の兄の国なんだ?
百済経由の日本への文明移行の手順と理由は示したが、それって兄の国か?
韓民族ってのは、ホントに日本での弥生人は絶対縄文混血
みたいに半島石器人、無文土器人と繋がってるのかな?
馬韓王は遼東遼西、中華貴族の箕氏の遺民だよ?
半島では民族のルーツを探す勇気がない?
日本では神話で当たり前に騙しちゃってて記紀の嘘を顕在化させたくない?
ここまで来ると、ものの味方が360度違うかもなwww

188:日本@名無史さん
21/08/13 18:31:35.18 .net
>百済人が日本の王から既に無い百済の冠位を受けた、というのは
日本の王は百済王への内政干渉を当然とする、百済王の上位に有る王だった、という事の証明でしかない。
貴族たちには倭国の官位を与えておきながら、今更百済の官位を与えることもなかろうに

>350年、百済建国時点で、王子を人質として差し出したのが百済国であり、朝貢で属国化して臣民教化のため下寵された博士や七支刀を日本に献上した、というのは、百済が日本の防壁及び文明入手のための傀儡立国だったことを意味している。
ひねくれた敗北百済人は滞在型客人を人質と呼ぶ
七支刀は中国からもらったものをコピーして年号を持たない未文明の倭国にわたした
503年以降、大王は百済昆支系であり、倭国は中国に朝貢すらせず百済の属国だった
>日本は任那割譲で半島利権の放棄、自立国としての存続を求めた。
503、属国となった倭国は所有していた任那を百済に献上させられた。
記紀に欽明のような悔しさが出ていないw
>600年からは、韓はすっ飛ばして隋唐使時代で、百済再興のための663年白村江敗戦処理に見るように、唐との開戦も恐れてはいないのである。
白村江敗戦で倭国酋長は封禅の儀に出席へw
扶余勇が唐に許しを請い倭国での政権をみとめられた
>この、既視感の正体って。
日本が中華から大韓帝国を独立させて、戦勝の米軍が日本に文明化させて植民地利権を得た。
米軍は今また中華再興で、めんどくさくなって撤退する。白村江海戦はの再来は、亡国の韓民族の帰国で成立するのかな?百済傀儡立国って、近現代の古代韓復興の歴史と完全に一緒だよね。
まさに敗北した百済が倭国に逃げ倭国を日本と称し


189:瀕死でもがいたことを 現近代(米国に敗北し半島を捨てさせられ島に閉じこもり大日本帝国を日本と改称し、安全保障を戦勝国にたよるという瀕死)に見る。同じ百済人だからw 白村江海戦再来があるとすれば(中国+韓)対(日本+米国)で米がベトナムやアフガンの場合のように撤退して日本が降伏。 さて、中国共産党下で王制はなかろう。



190:日本@名無史さん
21/08/13 18:34:55.35 .net
>>177
聖徳太子に関係のない話ばかりじゃないかw

191:日本@名無史さん
21/08/13 19:11:06.22 .net
503年の日本は統一国とは言えないな?
北部九州、日本海、瀬戸内海、美濃、東海程度の軍事での連立?
これは、239年公孫氏滅亡、246年韓王朝滅亡で始まった
対魏晋での富国強兵政策、豪族連合の古墳時代への移行である。
350年の牛馬の移入に伴う、百済新羅建国、対高句麗戦以降で
半島進出は後の物部大伴氏の権力内。 4~500年倭の五王に繋がる。
任那割譲は、独立か併合かで日本が独立を推奨した結果であって
百済は漢城から敗戦撤退している。
百済建国の理由は、文明移入の為の傀儡立国であるから
文明移入の博士招致や仏教伝来で、百済利権放棄は日本にとって瑕疵でもない。
この話が聖徳太子に関係ないのは、聖徳太子が記紀のでっち上げで、
歴史の話として適切とは言えないからだよ。
 
阿毎多利思比孤は600年の日本の王であって
現日本と通じる700年の史書が捏造した推古天皇は日本史に存在しない。

192:日本@名無史さん
21/08/13 19:25:35.66 .net
阿毎多利思比孤は実在している。このころの倭国を描写してみてくれ。
私の描写は「国際的視点からの古代史考」に詳しく出ている。

193:日本@名無史さん
21/08/13 19:30:45.70 .net
皇帝だから百済の官品与えて当然ニダ
でも日本国内じゃダサくて使わないニダ

194:日本@名無史さん
21/08/13 19:36:07.44 .net
属国の官位を宗主国の皇帝が授与するなんて皇帝の品位がねぇww

195:日本@名無史さん
21/08/13 19:40:47.95 .net
600年の、阿毎多利思比孤は実在している。
なら、倭の五王、倭王武500年から100年で斑鳩宮と法隆寺を建造している。
推古天皇は実在しない。 または、600年時点での後宮の女帝。
ここまでで、なんで没落まっしぐらの人質だった貧乏百済王が日本王朝で台頭できる?
実は、古墳時代というのは、台頭した王の遺産を次代に引き継がないシステムだよwww
記紀の後付けの嘘は喰えないけどw
歴史というものには、必然性が必要なんだよ。
ウリナラ、乙。

196:日本@名無史さん
21/08/13 19:48:58.87 .net
>>183
> 属国の官位を宗主国の皇帝が授与するなんて皇帝の品位がねぇww
これは、記紀であって、日本王朝の万世一系を捏造するための文献。
倭の五王の物部王朝や、聖徳太子までの蘇我王朝も神話で二重に忖度されてる
でしょ? 
ホントの事は言うべきだけど
推して知るのが、美徳かね?

197:日本@名無史さん
21/08/13 19:52:07.10 .net
>>600年の、阿毎多利思比孤は実在している。
>なら、倭の五王、倭王武500年から100年で斑鳩宮と法隆寺を建造している。
推古天皇は実在しない。 または、600年時点での後宮の女帝。
ここまでで、なんで没落まっしぐらの人質だった貧乏百済王が日本王朝で台頭できる?
503年以降倭国は百済の属国。証拠は中国への遣使がない。さらに、梁書では明らかに百済が重視されている。
百済没落まっしぐらとは、妄想。

198:日本@名無史さん
21/08/13 19:56:36.93 .net
>>183
むしろ百済王ごときが倭、日本の官品を使ったら不敬ニダよ?

199:日本@名無史さん
21/08/13 19:59:00.87 .net
倭国日本は勝者ニダ
<ヽ`∀´>だから倭国の為に百済三書、百済官位使い放題ニダ

200:日本@名無史さん
21/08/13 20:24:18.11 .net
>むしろ百済王ごときが倭、日本の官品を使ったら不敬ニダよ?
ところが、扶余勇は日本の官位を百済貴族にふるまってるんだなw
事前に大海に準備させておいてさw
>倭国日本は勝者ニダ
<ヽ`∀´>だから倭国の為に百済三書、百済官位使い放題ニダ
敗者の官位を勝者が使い放題なんてことはない。
米国が日本人に大勲位を与えるようなものだ。
米国は日本を叩きのめすためにも、大勲位は出さず、西洋系の勲位を出して引き入れようとするよバーカwwww

201:日本@名無史さん
21/08/13 20:27:28.29 .net
政治を考えてレスするように、君の総理大臣にも言っておいてくれw

202:日本@名無史さん
21/08/13 20:30:52.66 .net
>倭の五王の物部王朝や、聖徳太子までの蘇我王朝も神話で二重に忖度されてる
でしょ? 
ホントの事は言うべきだけど
推して知るのが、美徳かね?
あんたの日本語はぼけ老人か?

203:日本@名無史さん
21/08/13 20:36:33.13 .net
>>189
扶余勇って誰?天智天皇は倭王ニダよ。百済と倭の官品使っていいんだよ?ちゃんと百済が倭国を上司と崇める百済三書読むニダ。

204:日本@名無史さん
21/08/13 20:58:39.72 .net
>扶余勇って誰?天智天皇は倭王ニダよ。百済と倭の官品使っていいんだよ?ちゃんと百済が倭国を上司と崇める百済三書読むニダ。
扶余勇は百済の王子で白村江の戦で敗れて倭国に渡り大宰府を中心に朝鮮山城や水城や羅城を作り、日本国のもととなった。
白村江の戦以降の天智紀にかかれている天智のモデルとなった人物。
百済貴族をたくさん引き連れていて、朝鮮山城などを造営させた。
かれらに倭国の官位をふるまった。

205:日本@名無史さん
21/08/13 21:03:59.34 .net
アタシが、ぼけ老人の目線で言うとすると、
おい、馬鹿ちょん、おまえは完全に頭が壊れててるだろ?
阿毎多利思比孤は実在なんだから、記紀や三国史記は嘘八百。
推古天皇だの卑弥呼時代の女帝なんているわけが無い。
漢字が読めないで、漢文を現代中国語訳する馬鹿
とか、歴史を歴史認識という政治的弾圧の背景をもって読める馬鹿は
アタシ達日本の中高生の東亜の古代史の話に頑張って参加しないで良いんだよ。
香ばしい、百済? 扶余厨の出現だけど、
ウリナラと記紀厨、伊都厨?阿波厨とか土器厨の京大キッド、
キナイコシとかwwアラシの類は、日本史板にはもうイラネく、ないかね?

206:日本@名無史さん
21/08/13 21:20:56.38 .net
ぼけ老人の日本語でお褒めの言葉と解すw

207:日本@名無史さん
21/08/13 21:49:25.90 .net
天照大神が女であることに抵抗がなく、天皇の乳母ですら権力を持ってしまう大和民族に女帝がいないわけないだろw

208:日本@名無史さん
21/08/13 21:54:44.82 .net
記紀は歴史物語に過ぎない。史実を他で求めてから、参考にしましょう。

209:日本@名無史さん
21/08/13 22:15:16.15 .net
そうしたことを、そうしたなかにあって、ここはしっかりと百済=日本を注視していきたい

210:日本@名無史さん
21/08/13 22:15:23.32 .net
>>196
つまり歴史じゃなく、ただのおとぎ話だから、どーでも良いんだろ?

211:日本@名無史さん
21/08/13 22:31:17.42 .net
百済属国という中にあって、そこはしっかりと立場を踏まえながら、
百済から仏教を導入し、そうした中にあって、さらに仏教を求め
隋に遣使を派遣し、しっかりと躊躇なく仏教政治を学んだことを自己評価することは僭越だ。

212:日本@名無史さん
21/08/13 22:53:22.39 .net
源氏物語にも常世の歌がいくつか出てくる
心から常世を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな
常世出でて旅の空なるかりがねも列に遅れぬほどぞなぐさむ
あかりなくにかりの常世を立ち別れ花の都に道やまどはむ
明治天皇が詠まれた歌
人もわれも 道を守りてかはらずば この敷島の国はうごかじ
葦原のみづほの國の萬代もみだれぬ道は神ぞひらきし
月見れば 雁が飛んでゐる 水の中にも映るなりけり

213:日本@名無史さん
21/08/13 23:13:36.77 .net
源氏物語にあっては、百済の宮廷文化に、原典があったということで、
そこはしっかりと踏まえたうえで、日本古典文学の源流を追求することが望ましい

214:日本@名無史さん
21/08/13 23:38:43.15 .net
内容がなくても文章が作れるが、単調さが気になるがねw

215:日本@名無史さん
21/08/14 07:47:45.78 .net
>>177
>一度も中華に属した事のない日本の兄の国なんだ?
漢や魏の頃は金印を拝


216:受して倭王として冊封さらる属国であり朝貢国だったけど?



217:日本@名無史さん
21/08/14 09:04:45.59 .net
>>204
金印って他には当時超大国だったクシャーナ朝(インド)だからそういう扱い
普通の属国とは違う。

218:日本@名無史さん
21/08/14 14:07:45.22 .net
中国の立場としてはクシャナ朝も属国だよ。
漢倭奴国王印は、倭が漢の領土であることを明示している。

219:日本@名無史さん
21/08/14 19:13:56.95 .net
>>202
百済に女が活躍する社会はないから。女系の大和だけw
男尊女卑は武士から。

220:日本@名無史さん
21/08/14 21:19:38.37 .net
遼人による武士社会は男勝りのXX御前や北条政子を生んだ。
お前の歴史認識は間違っているから、百済に関しても出鱈目だろうww

221:日本@名無史さん
21/08/14 22:40:34.24 .net
シナチョンが大好きな男尊女卑の本格化は江戸時代以降なw

222:日本@名無史さん
21/08/15 08:55:42.24 .net
聖徳太子=阿毎多利思比孤を認めたのかい?

223:日本@名無史さん
21/08/16 14:01:04.94 .net
171
漢城が落ちたときにすべての遺民が移動しているわけよ

食料が足らなくなるってのは領地不足から
日本が支配しとったらしい半島西南部の土地を譲ってるだろ
つまりその遺民らが住み着いた土地となったわけ

224:日本@名無史さん
21/08/16 14:02:22.24 .net
人間らが残りそれを支配するってのはどちらかと言えば遊牧民的な考えなわけよ
負けると言うことは土地を失うに等しい
そこに住む者らはみな出ていかねばならなくなるわけ

225:日本@名無史さん
21/08/16 21:17:19.76 .net
昆支王が来たことは認めてるようだな
木刕満致(蘇我満智)も異論無しかな?

226:日本@名無史さん
21/08/16 22:18:42.37 .net
さあなんとも

227:日本@名無史さん
21/08/16 22:43:58.17 .net
物いうと追い詰められ苦しむ?

228:日本@名無史さん
21/08/17 14:19:44.57 .net
さあなんとも

229:日本@名無史さん
21/08/17 16:12:42.50 .net
倭国優位説おじさん(>>180)はいつの間にか百済の属国説に敗れたようだなw

230:日本@名無史さん
21/08/17 20:03:25.36 .net
<#`Д´>ウリナラは日唐の公式蕃国ニダ!

231:日本@名無史さん
21/08/17 20:11:22.00 .net
そこは悲しきウヨの独り言
なぶり・・・が待っているw

232:日本@名無史さん
21/08/17 21:43:01.49 .net
さあなんとも

233:日本@名無史さん
21/08/17 22:07:48.88 .net
言うことがなくなって試合放棄だなwwww

234:日本@名無史さん
21/08/17 22:19:16.36 .net
さあなんとも

235:日本@名無史さん
21/08/17 22:29:12.91 .net
アナウンサー「グロッキーですドクターストップ」wwww
観客「やってしまえ!!!!」

236:日本@名無史さん
21/08/17 22:30:16.53 .net
これがウヨの知能の限界www

237:日本@名無史さん
21/08/17 22:33:13.27 .net
観客「やってしまえ!!!!!」
レフリー「ファイティングポーズ! 1,2,3,4,5,6,7,8,9,10」
金連打の音wwww

238:日本@名無史さん
21/08/18 10:40:33.19 .net
話が通じない、問題が虚構上の空論だろ?
250年から350年で九州北部、日本海、瀬戸内海豪族間の連携。
350年対高句麗戦、百済朝貢の成立、百済新羅建国の史実。
400年から500年の物部系、倭の五王王朝
500から600年の蘇我系王朝
遣隋使、大化の改新時代から
白村江を経て700年記紀の成立。
ここで、万世一系の思想が生まれたんだから
馬鹿ちょんが、聖徳太子というファンタジーに背乗りしても
王族としての継続性は担保されて無いだろ?
歴史の話をしたいなら、記紀に裏付けされる三国史記や
記紀とは別の科学的史実に背乗りしないと意味がない。
朝鮮古墳でも掘ってろよw

239:日本@名無史さん
21/08/18 10:54:05.98 .net
オタクがよく使う背乗りの意味が通じないので、
>ここで、万世一系の思想が生まれたんだから
>馬鹿ちょんが、聖徳太子というファンタジーに背乗りしても
>王族としての継続性は担保されて無いだろ?
の意味が解らない。もっと一般的な用語を使ってほしい。
>科学的史実に背乗りしないと
もわかりませんね、一般的な言葉でお願いします。

240:日本@名無史さん
21/08/18 11:53:30.84


241: .net



242:日本@名無史さん
21/08/18 12:28:15.16 .net
日本人は歴史認識を改める必要がある。
古代韓は百済新羅であるが、313年漢四郡撤退後に
対高句麗戦、高句麗馬移入時の日本の後援によって朝貢が成り建国された。
これの故事にちなんで大日本帝国は中華属国だった大韓帝国の独立を為した。
これによって古代韓は、現代史に繋がったように見えた。
ところが最近、半島人は古代韓民族とは無関係という結論が出ている。
この歴史は、いったいなんなんだろうか?
その上、何故か朝鮮人は朝鮮が日本の兄の国だという?
もちろん伊弉諾伊弉冉以来の記紀神話はファンタジーだが、
朝鮮には何故かこの日本の歴史修正主義の正史を継承している史書が有る。
何がどうなると兄だ?
後付けの諱を年号にした虚構の事績を歴史として再構築する
そんなご都合主義の歴史は要らないのに、
半島人はさらにその上で意味不明な嘘のパズルを構築している。
話が通じない理由は、ここに有る。

243:日本@名無史さん
21/08/18 12:56:02.74 .net
あいかわらず論旨不明
スレタイ「聖徳太子=阿毎多利思比孤」を論じている
聖徳太子≠阿毎多利思比孤というのなら科学的な反証を願う
近現代の思想とは無関係

244:日本@名無史さん
21/08/18 16:22:23.05 .net
同じだと言う根拠を示せよ。
違う名前で、内容も全く違う。
聖徳太子は斑鳩宮に数百人の女性を囲っていたのか?

245:日本@名無史さん
21/08/18 17:44:17.10 .net
阿毎多利思比孤が有るなら推古天皇、さらに言うなら
日出処天子の日本国王に女帝が存在したなどというマヌケな話は無い。
阿毎多利思比孤は、兄弟で国を治めた。
これは日出処天子である処の天津宮多利思比孤王と
仏教国としての上宮法皇の重複存在を示唆している。
当然、法隆寺を建造したのは法皇、斑鳩宮に在ったのは多利思比孤。
記紀はこの歴史を消すために、推古天皇を捏造して聖徳太子を作った。
聖徳太子が諡号でうまやどが歴史名とか、日本の歴史屋は頭がおかしい。
それに輪をかけておかしい頭なのが、
聖徳太子=阿毎多利思比孤だの天智天皇=渡来人説の馬鹿ちょんなのである。

246:日本@名無史さん
21/08/18 18:20:04.68 .net
天津宮多利思比孤王ってなんですか?
兄弟で国を治めたとは何故解るのですか?
阿毎多利思比孤が出家して上宮法皇と呼ばれた
そう判断するに至った論理は「国際的視点からの古代史考」にありますが・・・

247:日本@名無史さん
21/08/18 19:33:56.28 .net
中国文献だけでも国際的視点で読めるならば判るんじゃないかな?
何故わからないのかな??

248:日本@名無史さん
21/08/18 19:59:48.13 .net
阿毎のと同じ読み方をするならそれは天のとなる
神官家の人でないんかな?
国造創設と同時にその当主には神としての名が与えられとるわけ
天御中主神というのがおるが読み方を向こうに教えたなら
阿毎(あめ)のみなかぬしのかみ
となる

249:日本@名無史さん
21/08/18 20:03:30.41 .net
忌名(実名)神名(法名)みたいなもん
神名を中国の皇帝に名乗ったんじゃねえの?

250:日本@名無史さん
21/08/18 20:05:01.73 .net
裴世清の目には阿蘇山が見えていたのであった
インチキ近畿史感には呆れてものが言えない

251:日本@名無史さん
21/08/18 20:06:07.96 .net
天津宮多利思比孤王ってなんですか?
アホですか「天為兄,以日為弟」から兄弟を思いついた?、解りません!
阿毎多利思比孤が出家して上宮法皇と呼ばれたについてはどうですか?

252:日本@名無史さん
21/08/18 20:08:54.17 .net
寺院の宗主となったんでしょ
まだ神社⛩制度始まっとらんからねえ
天武天皇の時代に始まったの

253:日本@名無史さん
21/08/18 20:09:21.19 .net
阿蘇を見たからといって、都が九州とは限らない 
中国人は火山を見ないから、ついでに紹介されたこともありうる

254:日本@名無史さん
21/08/18 20:09:43.66 .net
祖先神となるものは国造家当主となったものを初代として数え始めてるわけだよ

255:日本@名無史さん
21/08/18 20:10:03.06 .net
そゆはだまっておれ

256:日本@名無史さん
21/08/18 20:18:02.52 .net
聖徳太子は西突厥からの難民で百済と


257:は何の関係もない むしろ新羅との関係が強いだろう 四天王寺や厳島神社で太子が舞った舞は 登場する動物などから西アジア由来以外のなにものでもない 幼少時の太子の肖像画にある髪の色や皮膚の色を見れば一目瞭然



258:日本@名無史さん
21/08/18 20:34:29.36 .net
西突厥では何と呼ばれていたんですか?
どんな動物が登場するのですか、不勉強ですみません
幼少時の太子の肖像画ってどれですか

259:日本@名無史さん
21/08/18 20:40:47.51 .net
不勉強なら自分で勉強しよう!

260:日本@名無史さん
21/08/18 20:42:34.59 .net
聖徳太子と西突厥でググると小林恵子が言ってるようですが、オタクは商売ですか?ここは学問スレですが・・・

261:日本@名無史さん
21/08/18 20:43:52.43 .net
インチキじゃない?ちゃんと説明してよ

262:日本@名無史さん
21/08/18 20:46:10.82 .net
根拠のない当て推量で素人に媚びを売ってるんですよバーカ

263:日本@名無史さん
21/08/18 20:47:33.71 .net
>>246
百済押しつけのが商売っぽいっす

264:日本@名無史さん
21/08/18 20:48:35.06 .net
よくも、いけしゃあしゃあと漢4郡とか言えたね、笑っちゃうよw
アホなんじゃない、騙されやすいんじゃない、突飛が好きなんでしょwwww

265:日本@名無史さん
21/08/18 20:49:10.03 .net
俺金儲けなんかしてないもんw

266:日本@名無史さん
21/08/18 20:53:36.74 .net
俺金儲けなんかしてないもんw

267:日本@名無史さん
21/08/18 20:54:19.56 .net
>>250
漢4郡とか言ってねえよ
聖徳太子の幼少時の肖像画も見たことも無知が
百済ねえこと言うんじゃないよw

268:日本@名無史さん
21/08/18 20:54:31.96 .net
信じるものは救われないw

269:日本@名無史さん
21/08/18 20:55:24.69 .net
百済教

270:日本@名無史さん
21/08/18 20:55:24.99 .net
御伽噺は幼児に語れwww

271:日本@名無史さん
21/08/18 20:56:34.33 .net
お前の文章は論旨がないと思ったぜwwww
wwww

272:日本@名無史さん
21/08/18 20:57:38.76 .net
半島しか見えてないのになんで国際的?

273:日本@名無史さん
21/08/18 20:58:53.80 .net
小林恵子って誰?

274:日本@名無史さん
21/08/18 21:00:46.80 .net
上宮は九州
伊予温泉は近いから行幸しただけなのさ

275:日本@名無史さん
21/08/18 21:01:30.25 .net
>>239
王家に仏教の法皇が生まれちゃうようなら、
記紀が成立しないと、豪族が朝廷から貰った氏姓の氏神とか
派生する土地、海山の神々への信仰の求心力は無い、
ってことは、わかるよね。
まあ、この時は、明治の神仏分離、廃仏毀釈のような、
最悪の間違いは犯していないけれど。
日本文明最悪の文明棄損は、他でもない明治政府が行っている。
大和朝廷の成立は、2600年前じゃなくて、記紀の成立時でも
充分に日本古代史から武家政治への移行、現代の日本に貢献している。
だけど、廃仏毀釈、王政復古というより
明らかな記紀の嘘強要は、冗談でも日本文明、歴史、真実に対する犯罪だ。

276:日本@名無史さん
21/08/18 21:11:44.97 .net
学問と歴史小説の違いをまず学びましょうね、坊や

277:日本@名無史さん
21/08/18 21:16:53.88 .net
アタシが日本の中学生高校生の歴女の代表だって
やっとわかってくれたのか?
お前ら、嘘っこ諡号の聖徳太子は厩戸が正式名とか
意味不明根拠で、マヌケな教科書作ってんじゃねーぞwww

278:日本@名無史さん
21/08/18 21:44:13.43 .net
歴史についての思考力ができる前から歴史通です? 
馬鹿ですか?wwww

279:日本@名無史さん
21/08/18 21:48:33.52 .net
日本の未来は輝いてたよ、50年前はw
みんな文科省が悪い、縛りが強すぎるんだよw
だから歴女とかいうんだろ、おかしくってw

280:日本@名無史さん
21/08/18 23:51:21.62 .net
どのみち紆余曲折を経て国作りの時代、神代のありように不完全だが戻ったからいいではないか

281:日本@名無史さん
21/08/19 08:55:20.08 .net
なんのために戻した?

282:日本@名無史さん
21/08/21 03:49:52.83 .net
金を信仰していたやつらが歴史や宗教も商材にし始めたからだろ

283:日本@名無史さん
21/08/23 20:45:46.03 .net
>>260
福岡にも伊豫があるんやで

284:日本@名無史さん
21/08/23 20:48:46.96 .net
証明や反証を知らない高卒または文系w

285:日本@名無史さん
21/08/23 22:56:12.21 .net
叡福寺の聖徳太子廟にお参りしましょう

286:日本@名無史さん
21/08/29 17:45:10.67 .net
叡福寺の聖徳太子廟は改葬された
なぜなら
棺台の周辺では夾紵棺(きょうちょかん、乾漆棺)片の散乱が認められ、
夾紵棺は、飛鳥時代当時では相当な高位の人物にのみ使用された棺とされ、
安福寺(柏原市、叡福寺古墳数キロ北)は叡福寺北古墳の棺と推定される夾紵棺片を所蔵している。
この夾紵棺片は45枚もの絹を重ねて製作されたもので、現在の残存片は長さ94センチメートル、
幅47.5センチメートル、厚さ3センチメートルで、残存縁辺から棺身の小口部分に相当するとされる。
さて何故改葬されたかですね。

287:日本@名無史さん
21/08/29 18:42:35.21 .net
岩屋山式古墳が7世紀後半であり622の死から離れており改葬されている
夾紵棺でも絹を使ったものは聖徳太子廟のみで最高の王すなわち
アマタリシヒコ大王と見てよい
9世紀から17世紀にかけて天皇古墳と目されるものは検証されなかったが、
太子廟は近世まで叡福寺に守られて晒されていた。その結果棺が壊れた?
つまり、天武はアマタリシヒコを天皇から排除した。
けれど、天武が最高の夾紵棺にして改葬したのは
信仰対象にするためではないか?夾紵技術は仏像技術であるからだ。

288:日本@名無史さん
21/08/29 21:23:01.63 .net
なんで皇太子に厩戸王に最高の絹の夾紵棺を施すわけ?

289:日本@名無史さん
21/08/29 23:07:57.84 .net
うるし技術は倭国にもあったが7世紀に半島等から流入したうるし技術が主になった。
百済から仏教を取り入れたアマタリシヒコの頃だろうと思う。
当時としては、自由に形を作れる硬化剤として、また装飾を施せる工芸技術として、
非常に目新しいものだったに違いない。

290:日本@名無史さん
21/08/30 05:31:32.68 .net
大王すか?
推古女帝の時代やけどね

291:日本@名無史さん
21/08/30 05:34:13.41 .net
その聖徳太子の息子が上宮王
天皇位を争い殺されたの

292:日本@名無史さん
21/08/30 08:02:35.33 .net
>>1で聖徳太子=タリシヒコ=上之宮法皇を説明し、証明は「国際的視点からの古代史考」にある
絹の夾紵棺よっても、聖徳太子廟は最高位の人物が被葬者であることが示された。
聖徳太子廟は上之宮法皇=タリシヒコの古墳である。
国際的には倭国王タリシヒコの時代であり、推古は存在しても倭国王ではない。

293:日本@名無史さん
21/08/30 12:07:51.19 .net
推古天皇や聖徳太子がいた畿内政権と、中国が相手にしていたタリシヒコが治める倭国は別だったと考えるしかない。
倭国には阿蘇山の記述はあっても富士山の記述がないし。

294:日本@名無史さん
21/08/30 12:53:04.02 .net
畿内への道中、どれどれと見に寄ったんじゃないかね

295:日本@名無史さん
21/08/30 16:26:06.82 .net
>>279
裴世清は推古にも会ってる
盗まれたというが国書は持って行ったのだから、
隋書に2国なけりゃおかしい

296:日本@名無史さん
21/08/30 18:43:25.43 .net
キナイコシの言い訳が見苦しくて腹が捻れるw

297:日本@名無史さん
21/08/30 20:24:03.07 .net
反論できないと腹がよじれるのかw

298:日本@名無史さん
21/08/30 21:23:46.47 .net
日本で女帝が立つ場合は後継者として適当なのがおらず皇族全ての推挙がなければ女帝になれないからな
言ってみりゃその時点でその一族の長老格の女性が天皇位に付く

299:日本@名無史さん
21/08/30 21:25:34.00 .net
蘇我氏滅亡のときは斉明女帝やからの

300:日本@名無史さん
21/08/30 21:27:56.42 .net
古代においては天皇位を継ぐ者が継承したのが摂政らしいからの
関白ってのはすでに成人天皇がおる場合に皇族の中より選ばれる
藤原が踏襲するもんじゃねえんだよ本来な

301:日本@名無史さん
21/08/30 21:28:44.62 .net
だから明治のときに藤原から取り上げたわけだろ
皇族に戻したんだよどちらもな

302:日本@名無史さん
21/08/30 21:51:21.08 .net
太政官にしろ初期の名称は太政官知事やからな

303:日本@名無史さん
21/08/30 21:53:00.15 .net
そゆの御託は脳内事実
なんの検証もできないw

304:日本@名無史さん
21/08/30 21:56:32.34 .net
脳内ではないよ
否定するやつらの方が怪しい!ってことになるぞ

305:日本@名無史さん
21/08/30 21:57:38.18 .net
余程の皇族ファンなんだ、迷うことがなくって楽だろう、臣従を誓えば安心かw

306:日本@名無史さん
21/08/30 22:03:12.36 .net
なんで、太政官とか明治とか関白とかがこのスレに出てくるのか
脳内がむにゃむにゃそうなってるからだろう

307:日本@名無史さん
21/08/30 22:04:18.66 .net
日本の歴史的評価も知らんのか?たわけ

308:日本@名無史さん
21/08/30 22:11:07.83 .net
日本の歴史的評価とは? 知りませんな

309:日本@名無史さん
21/08/30 22:20:43.39 .net
そゆ君の脳内価値感なんぞ知るべくもあらずw

310:日本@名無史さん
21/08/30 22:48:27.97 .net
そゆ君の発言は日本の歴史的価値からきているようだが、
発言内容がもう一つ吞み込めないのは彼の日本の歴史的価値観
が解らないからであろう。

311:日本@名無史さん
21/08/30 23:06:06.97 .net
脳内事実である「男系男子が連綿と続いてきた」が踏みにじられる思いなんだ
こんなうぶな考えをお持ちの方がこの現代にいらっしゃることが天然記念物w

312:日本@名無史さん
21/08/31 06:12:34.04 .net
あ~なるほどね
きみらの意見は認められませんな~

313:日本@名無史さん
21/08/31 08:09:01.91 .net
>あ~なるほどね
言い当てられて投げやりになるなんて結構おさないですねw
>きみらの意見は認められませんな~
意見ではありません、論理的帰結です。ですから拒否ではなく反論を!

314:日本@名無史さん
21/08/31 18:33:37.78 .net
太政官とか時代錯誤すぎて話にならんわ。

315:日本@名無史さん
21/08/31 20:19:44.72 .net
王室を信奉し尊敬する人の頭は、古代と明治時代がタイムトンネルなんですw

316:日本@名無史さん
21/09/12 03:08:58.95 .net
厩戸王だから王と書いても間違いじゃない、問題ないな

317:日本@名無史さん
21/09/15 05:34:43.38 .net
いねえだのほざいたバカや蘇我大王節だの唱えたキチガイも現れたからな
相当なバカだよそのクズ

318:日本@名無史さん
21/09/15 13:09:14.53 .net
厨子王も王様だなww
現代我々が使う「王」とは違う意味で日本の古代は王を使っていたんだよ
公,候、君もあるが、君は朝鮮系かな?

319:日本@名無史さん
21/09/18 17:41:46.17 .net
反応がないな、なあんだもう負けたか?

320:日本@名無史さん
21/09/21 13:25:11.89 .net
漢王の可能性があるんだわ
本人らの証言だとその阿毎たら一族な
天皇家とはどうみても別ルート

321:日本@名無史さん
21/09/21 13:26:38.08 .net
聖徳太子一族か?
漢王なら中国姓を取るなら劉〇〇やぞ
納得いかねえのそこなの

322:日本@名無史さん
21/09/21 14:15:58.70 .net
>>306
「天の」何某なら明らかに天皇家。

323:日本@名無史さん
21/09/21 19:23:42.96 .net
>>306
天皇系列は阿毎の時代には存在しない
阿毎が漢王の可能性はない、なぜなら、蘇我がおつきの貴族だからだ
蘇我が奉じる王は半島から渡ってきた昆支王だから、阿毎は昆支王系だと断定する
漢王だというのなら、根拠を示せ

324:日本@名無史さん
21/09/21 20:55:10.62 .net
>>306~308
その程度の知識で漢王とか当て推量しとるんかい?
お前の西洋史もそんなものだろうwww

325:日本@名無史さん
21/09/22 06:30:03.39 .net
>>310
アホと一緒にするなよ。

326:日本@名無史さん
21/09/22 16:32:47.73 .net
310
日本史の文献よく読め

327:日本@名無史さん
21/09/23 13:44:19.48 .net
なぜか7世紀以前に国内で書かれた文献が残っていないんだよね。
謎だよね。

328:日本@名無史さん
21/09/23 13:49:13.30 .net
そもそもタラシヒコなら皇統譜に何人もいるのに、なぜ無視をする?
歴代の和風諡号を見てみろよ。

329:日本@名無史さん
21/09/23 1


330:7:57:53.70 .net



331:日本@名無史さん
21/09/23 18:05:20.87 .net
タリシヒコよりずっと後で書かれた記紀なる創作文献は使えないw

332:日本@名無史さん
21/09/23 18:17:46.92 .net
天皇の皇太子がもともと摂政に付くと聞いたが?

333:日本@名無史さん
21/09/23 18:19:07.61 .net
それにさあ、書紀の天皇の順を中国に説明した時に、
タリシヒコはどれだと聞かれて、用明(587年没)だと言ってるが、
用明じゃ600年に遣使できないんだよ
いい加減な創作文献は使えないねwwwwwww

334:日本@名無史さん
21/09/23 18:22:48.31 .net
タラシヒコとか名前が似ているだけが根拠で筋書き作ってもどうしようもないじゃないかw

335:日本@名無史さん
21/09/23 18:23:48.48 .net
バカじゃないの?

336:日本@名無史さん
21/09/23 18:24:01.77 .net
聖徳太子の叔母が推古天皇やろ
聖徳太子の息子が上宮王やぜ
皇位継承権は当然持っていたが殺されたんやろ

337:日本@名無史さん
21/09/23 18:29:30.47 .net
崇峻天皇も殺されたしなあ
この崇峻天皇殺害実行犯が渡来人の東漢駒(やまとのあやのこま)
その子孫が天武天皇のときにおまえの祖先は天皇殺しやっのるやろが(・∀・)って散々脅されたんだとさ
そのあと桓武天皇のときに征夷大将軍に任命されたのがこの子孫
嫁さんが渡来人の末裔だから桓武天皇の時代だけ渡来人優遇がおきたんだね

338:日本@名無史さん
21/09/23 18:31:24.49 .net
その時代は渡来人らみな蘇我氏の配下だったんだね
蘇我氏は天智天皇の時代に滅ぼされとるからの(・∀・)

339:日本@名無史さん
21/09/23 18:33:08.93 .net
用明天皇は聖徳太子の父親やろが(・∀・)
だから時代を考えて聖徳太子がアメタラナンタラになったんだろ

340:日本@名無史さん
21/09/23 18:33:54.47 .net
320
おれに言っとるんかね?
皇族摂政も知らんのかよ

341:日本@名無史さん
21/09/23 18:50:08.78 .net
阿毎多利思北狐は中国の方の文献にしか出てこねえんだよ

342:日本@名無史さん
21/09/23 19:19:41.28 .net
大足彦はタラシでもタラシでも読めるし、ホコはヒコに好字である北を当てただけ。
多利思比孤は、和風諡号がタラシヒコの天皇を指しているはず。

343:日本@名無史さん
21/09/23 19:48:26.22 .net
>>325
>おれに言っとるんかね?
御名算
>皇族摂政も知らんのかよ
皇族摂政なんて知らん 
アマタリシヒコは天皇称号が始まる前の人
アマタリシヒコは法隆寺釈迦三尊像にでる法興年号の時の人
法興年号を否定する日本史学ではアマタリシヒコは存在してはいけないww
悪い信仰だ、屁垂蛮君wwww

344:日本@名無史さん
21/09/23 19:50:21.22 .net
天智天皇=扶余勇で負けたから、ここでも負けるよwwwww

345:日本@名無史さん
21/09/23 20:45:15.66 .net
>>324
>だから時代を考えて聖徳太子がアメタラナンタラになったんだろ
「時代を考えて」とは誰が?
「聖徳太子がアメタラナンタラになったんだろ」とは投げやりな
アメタリシヒコを認めないと言ってるだな
すでに敗北しているwwwwww

346:日本@名無史さん
21/09/23 20:45:55.93 .net
負ける為に参戦とはバカの極みww

347:日本@名無史さん
21/09/23 21:56:42.22 .net
無知よの~(・∀・)

348:日本@名無史さん
21/09/23 21:58:45.39 .net
天王(天皇)と呼んでいたのは蘇我だけやからな
大王(とおきみ)と呼んだのは物部だアホ(・∀・)

349:日本@名無史さん
21/09/23 22:00:21.33 .net
天智が母親の天皇のまえで蘇我を斬り殺したとき蘇我は天皇~天皇~(>人<;)と泣き叫んでるのや

350:日本@名無史さん
21/09/23 22:01:19.80 .net
だから書いたろ
天王と呼ばれたのは主に渡来人らから天王と呼ばれとる

351:日本@名無史さん
21/09/23 22:03:14.99 .net
その呼�


352:フがそのまま天皇となった 天皇に仕えた豪族連の物部からは大王としか呼ばれとらん



353:日本@名無史さん
21/09/23 22:10:31.15 .net
海外史書との整合性も取らず、書紀の中で夢でも見ておれw

354:日本@名無史さん
21/09/23 22:12:04.09 .net
井の中の屁垂蛮w

355:日本@名無史さん
21/09/23 22:13:40.94 .net
おみゃあ様は法興年号について語らないねw

356:日本@名無史さん
21/09/23 22:15:36.37 .net
東大寺僧はタリシヒコはどれだと聞かれて聖徳太子とは言わんかったぞw

357:日本@名無史さん
21/09/23 22:50:51.84 .net
天を兄とし、日を弟とした。天が明けぬうち出てあぐらをかいて座り政務し、日が出ると政務をやめ弟にゆだねた。隋の高祖は義理がないとしてこれを改めさせたという。
天とは天王のことでは
兄と弟と枝わけするのは北方系の可能性が高いね

358:日本@名無史さん
21/09/23 23:28:41.67 .net
結論が出ないところをほじくるのが好きだねえw

359:日本@名無史さん
21/09/24 04:45:31.86 .net
アメタリシヒコ大王なんておらんがな

360:日本@名無史さん
21/09/24 04:46:21.69 .net
結論はでとるよ
出てないように見えるのは読み取れないからだろおまえがな

361:日本@名無史さん
21/09/24 08:27:28.41 .net
>>343
皇統譜を見直せば?

362:日本@名無史さん
21/09/24 08:29:11.74 .net
>>341
兄弟で分割統治するのは、アマテラスとスサノオ、海幸彦山幸彦など、記紀にも類例が見られますね。
倭国の古い伝統です。

363:日本@名無史さん
21/09/24 08:40:47.25 .net
>>343
お前は中国史書のタリシヒコ大王を認めたら日本史が崩壊するから認められないだけ
タリシヒコに対応する人物は日本の歴史の中で発見されなければならないというのが俺の立ち位置

364:日本@名無史さん
21/09/24 15:30:46.17 .net
聖徳太子=阿毎多利思比孤 という設定が馬鹿ちょん丸出しであって。
阿毎多利思比孤が600年辺りの王であったなら、推古天皇は必要ない。
さらに、用明天皇も同類。 なら、聖徳太子ってなんだよ? 
うその塗り重ね。
蘇我系王朝は、任那割譲の500~百済滅亡の660年 
記紀データだから、だいたいだけど・・・
系譜の諡号で言うなら
継体天皇ー欽明天皇ー敏達天皇ー押坂彦人大兄皇子ー舒明天皇ー天智天皇
の 男子直系で普通に成立する。
600年は、この押坂太子彦が王で聖徳に当たる法隆寺の法皇が居た。
これが、隋唐書に記録されている。
暗殺横行時代なんで、ごたごたはあって、
どうせ、女帝は傀儡や、尊属暗殺を伏せる捏造だろうと・・・

365:日本@名無史さん
21/09/24 17:42:50.91 .net
>>348
中国側は「アハケミ」と読める文字を表した。これは「オオキミ」(=大王)であろう。「大王」は称号と考えられる。
書紀ではオオキミは単なる敬称に使っているので、書紀でオオキミ称号を持つ人物を探しても見当たらない。
ここで、書紀を離れざるを得なくなる。
金石文で「大王」称号を探すと、存在する。
稲荷山鉄剣と江田船山の鉄剣に「大王」が出る。
それと隅田八幡の人物画像鏡にも「大王」称号がでる。
これら大王たちが誰なのかの詮索はしないが、大王系列というものが隠されていることがわかるわけだ。

366:日本@名無史さん
21/09/24 18:19:23.15 .net
アハケミ=オオキミ=大王が称号と考えられる理由
音で中国側が確認したわけだから「アハケミ」と倭国使者が発音したわけだ。
使者が自分の最高位のものを尊称や敬称で呼ぶことははありえない、必ず称号を用いる。

367:日本@名無史さん
21/09/24 18:22:07.59 .net
>>349
ご教示、ありがとうございます。
稲荷山鉄剣と江田船山の鉄剣 の大王は470年辺りの雄略なんで物部の王、
隅田八幡(忍坂)の人物画像鏡は、500年辺りで継体なんで蘇我系だけど、
豪族の本家惣領は、オオキミという事かな?
阿毎多利思比孤=押坂彦人大兄皇子 は、忍坂=隅田八幡、天の香具


368:山方面の宮 天の宮の太子彦 という事で解釈が可能です。



369:日本@名無史さん
21/09/24 19:55:56.48 .net
隅田八幡の人物画像鏡 
に、ついては、どれだけ有るのか知りませんが?
諱に「斯麻」を持つ百済の武寧王が、王子時代の在日時の帰国に際して
日本王に送った、で良いのでは?
百済戦乱期の王子時期は日本に居て、
日本の世継ぎの継体に鏡を贈って帰国した。
武寧王の、帰国後の国交のニュアンスだと、
物部の雄略が、送還してくれた、なのかな?
記紀を信じないと、歴史の話も出来ない、記紀しかない、
500年から700年の方が日本史の空白だろ?

370:日本@名無史さん
21/09/24 20:04:38.73 .net
>>351
大王を称号と考えると金石文に大王がでている。となると、国内で「大王」さまがいたことになる。
記紀にはなぜ大王称号の人物がいないのだろうか?
記紀から抹消されたのか、大王は天皇称号に変えられたのだろうか?
アマタリシヒコ大王が史書に出ないことからすると、天皇称号に変えられたのではなく、むしろ王としては消去されたとかんがえるべきではないか?


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