聖徳太子=阿毎多利思比孤at HISTORY
聖徳太子=阿毎多利思比孤 - 暇つぶし2ch150:日本@名無史さん
21/08/11 22:03:51.42 .net
三国志の記述によれば3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ
ところが記紀では入れ墨族は
「天孫族」とやらにひたすら殺戮されていくウホウホ蛮族扱い
「天孫族」と入れ墨族のハーフのイワレビコが
入れ墨族の小邑を配下にしたという記述はあるが
イワレビコの配下の入れ墨族もやっぱり他の入れ墨族を殺戮していく

151:日本@名無史さん
21/08/11 22:08:21.98 .net
日本書紀(7世紀)>>>>後進国朝鮮の三国史記(10世紀以降)www
日本の巨大古墳>>>>後進国朝鮮のショボい墓wwww
天皇(皇帝、エンペラー)>>>>属国朝鮮大王(酋長)www

152:日本@名無史さん
21/08/11 22:22:23.66 .net
古代朝鮮は長城以北の遼東遼西であって
百済はさらに漢四郡以南で韓。
現北朝鮮だの古代 高句麗は満州だろ?
なんで北京やハルピンが黄帝の子孫で中


153:華だよ? 漢四郡は公孫氏時代が半独立というより、 三国志分裂で宗主国の漢、中華自体が無い。 三国志時代の黄帝の子孫臣民って何? まあ、倭人には誰かが倭人は太伯の後、って入知恵が有ったみたいだがw 万世一系の天子思想は日本でしか生き残って無いんじゃないのかね? ほんとは、当然、神話でしか無いけど



154:日本@名無史さん
21/08/11 22:40:25.52 .net
>倭人伝によれば、246年馬韓の、韓王朝断絶。
これまで弁辰韓には倭人国が混ざり実態不明。
倭の五王は辰国系、503年の日十大王から百済系、人民は倭の五王の時から百済から多数来訪
>倭、日本国王は700年以降に一系で創設される。
天智天皇が百済人というのは、いつの百済人だ?
扶余勇(日本では善光ともいわれるが、別人)が白村江の戦にまけて多数の貴族と共に倭国に渡り、政権を作った。これを天智と呼んでいる
>350-500年の物部系の倭の五王、これは高句麗戦で百済新羅建国を後援。
この時、百済は王子を人質に差し出す。
人質は書紀の逗留型客人の呼び方と思った方がよい
>任那割譲500年以降の仏教伝来から隋唐台頭の600年は、蘇我系王朝。
この間傀儡立国の百済で、中華文明は隣国日本に横流しされた。
600年のタリシヒコは大王であり、日十大王の末裔で百済系である。500年から600年は蘇我(百済人貴族、木)に支えられた。
>天智天皇が、百済人を白村江に送ったのは、百済人はもう要らなくなったからだろ?
いいえ、百済人達が祖国を取り返すために援軍を送ったのです。

155:日本@名無史さん
21/08/12 01:20:19.00 .net
>>146
そもそも百済の王が百済人っていうのはただの思いこみだから。
例えば、第3代の新羅王は新羅人じゃなく倭人でしょ。
朝鮮半島の国々の国力が倭国よりも強くなった時代は一度もないし、どうやって朝鮮人が倭国を乗っ取るの?

156:日本@名無史さん
21/08/12 01:28:27.68 .net
>>145
そもそも聖徳太子の時代は「倭国」と呼ばれてないからな
「俀国(たいこく)」「俀王(たいおう))と書かれている。
「俀(たい)」は中国呉出身の王族(太伯など)の子孫であることを意味している

157:日本@名無史さん
21/08/12 01:32:08.99 .net
「俀王姓阿每,字多利思北孤」
俀王(たいおう)の姓は阿每(あま)、字は多利思北孤(たりしひこ?)

158:日本@名無史さん
21/08/12 01:39:15.90 .net
日本の歴史には残ってないが
聖徳太子は一時的に国名を「やまと」から「俀(たい)」変えてるはずだよ
倭国の王は、中国呉出身の王族(太伯など)の子孫であるから中国の皇帝と同格なのだという発想だね
中国も倭国の王は中国呉出身の王族(太伯など)の子孫であると信じていたこともわかる

159:日本@名無史さん
21/08/12 01:46:48.75 .net
聖徳太子の「太子(たいし)」も
俀(たい)の子が語源かもね

160:日本@名無史さん
21/08/12 01:51:25.72 .net
そう考えると「太子(たいし)」は皇太子という意味と思われてるが
実際には「俀子(たいし)」であり、呉の皇帝という意味になるから
「太子(たいし)」は皇太子じゃなく王でもおかしくないんだな

161:日本@名無史さん
21/08/12 04:35:10.07 .net
^ー

162:日本@名無史さん
21/08/12 05:29:08.02 .net
ヒノモトノヤマト国に百済は関係ないからどうでもいい

163:日本@名無史さん
21/08/12 07:21:23.85 .net
そもそも韓国人ら漢字文化と関係ないじゃん

164:日本@名無史さん
21/08/12 07:24:16.33 .net
150
そんな伝承ないだすだ

165:日本@名無史さん
21/08/12 07:43:11.51 .net
>そもそも百済の王が百済人っていうのはただの思いこみだから。
百済人とは百済の王の意味で使っています。
>朝鮮半島の国々の国力が倭国よりも強くなった時代は一度もないし、
倭国が大国と書いてあるのは「大国扱いしておけば玉などの珍しいものが手に入るので」といういみです。
倭国は503年以降百済の完全属国で中国に遣使すら出していなかった。
タリシヒコの遣隋使はその意味で属国の地位を破った反逆者と見える。
>そもそも聖徳太子の時代は「倭国」と呼ばれてないからな
「俀国(たいこく)」「俀王(たいおう))と書かれている。
「俀(たい)」は中国呉出身の王族(太伯など)の子孫であることを意味している
その詳細は解らない。
>聖徳太子の「太子(たいし)」も俀(たい)の子が語源かもね
いいえ、太子は王位を継ぐ予定のものという意味です。

166:日本@名無史さん
21/08/12 21:32:55.57 .net
これっぽっちの反論では終わらんだろう

167:日本@名無史さん
21/08/12 23:38:45.86 .net
日本の民族衣装は着物(呉服)だしね
8世紀の頃からは日本人は呉の服を着てた

168:日本@名無史さん
21/08/13 00:07:19.59 .net
そゆ級の無能のおもいつきw

169:日本@名無史さん
21/08/13 01:38:20.03 .net
銅鐸文化は呉と日本にしかないしね

170:日本@名無史さん
21/08/13 08:06:59.55 .net
伝来は古い。スレタイとの関係の説明を問う。

171:日本@名無史さん
21/08/13 09:39:08.08 .net
聖徳太子=精鋭ホモ部隊


172:リーダー



173:日本@名無史さん
21/08/13 09:39:45.90 .net
男装して戦った←ウソつけ!
オカマ野郎!

174:日本@名無史さん
21/08/13 11:08:56.80 .net
159
あーそゆことね
そんなん京都くらいだよ😑

175:日本@名無史さん
21/08/13 11:14:43.85 .net
記録は残っておるが東日本の関東あたりでは
酋長クラスが🐻の毛皮、卒兵らが🐗の毛皮を着とった
麻が栽培されるようになってから木綿の服が流行りだしたんだわな
これが800年ころから
あとは簡単な植物の蔓を組み合わせたのくらいしかなかったろ

176:日本@名無史さん
21/08/13 11:18:06.64 .net
植物類はよく使われたな
稲束、蓑、イラクサや木の皮を削った樹皮などを編んだものもあった
だいたいこんなとこや

177:日本@名無史さん
21/08/13 12:29:00.74 .net
百済建国で朝貢の有った350年辺り?まあ313年帯方郡撤退時として
この帯方郡以南には、95王国が存在した。 
ちな、250年時点なら馬韓54国弁辰韓24国で78国。
これらは、筑紫21国の女王国と同様で日本国内も同じだったのだが、
246年箕氏遺民の韓王馬王朝が廃絶されるまでは、統一の必要のない
小領主国による地形依存の分立状態であった。
この中の伯斉国が朝貢国の百済名を代表するという説が有力ではあるが、
この95国の統一には、対高句麗戦で漢4郡域を戦場として
対魏晋防衛で馬の移入、富国強兵政策を進める日本が大きく関わっている。
そもそも、弁辰韓には倭人国が相当数混ざっていたのである。
倭王武の奏上を見るなら、日本が承認した半島南部地域の当主国なのである。
漢四郡撤退以降、楽浪候、幽州刺史となった、高句麗の南進に耐えなければならない
百済国の王が人質以外で、日本に進出する理由などどこにもない。
百済成立期の歴史が直視されないのは、日本では記紀成立の為だが、
朝鮮では、日本の記紀がベースになっているっという現実以外に、
歴史認識の異常性と言うのがあり、日本史学会の現実以上に救いようがない
と、思われる。 
まず、日本の学者が、記紀の後つけ名やインチキ事績を捨てて、
時系列が正しい科学的事実、歴史の必然を認めろよ。

178:日本@名無史さん
21/08/13 14:11:18.72 .net
日本の学者が歴史の必然を認めるには、日本国が亡びる必要がある。
日本の認識など待たずともいくらでも手段はある。
百済は475年に蓋鹵王 が敗死し、漢城が落城した。蓋鹵王の子の文周王は熊津に南遷した。
文周王弟の昆支王は兄に同行し、内臣佐平を勤めたが477年に死亡した(百済紀)。
倭国には軍君(=昆支王)が来ており(雄略紀)、近つ飛鳥に昆支王を祭神とする飛鳥戸神社がある。
昆支王は河内に来ていた。
文周王に同行した貴族の木刕満致は半島での行跡が途絶え、蘇我満智が倭国に現れる(475年ころ)。
これが木刕満致だと考えられ、昆支王と木刕満致(=蘇我満智)という百済王族と貴族のペアが河内にできあがる。

179:日本@名無史さん
21/08/13 15:00:00.82 .net
673年沙宅紹明が死去したさい、天武は沙宅の故国百済の大佐平の位を与えた。
百済の大佐平なる貴族称号を日本王から与えられたとしても、もらった側はありがたくない。
大佐平追贈は百済王から頂いてこそ値打ちがある。天武は百済王なのである。
いくらでも崩せるだろう?w

180:日本@名無史さん
21/08/13 16:09:15.24 .net
漢城が落ちて熊津に遷都した時でも
熊津を取り戻して百済王に与えたのが日本の天皇
ってのは、どう見ても百済が日本の属国ってことだろ?
百済王は日本の傀儡とか天智が百済王を支配ってのは有りでも
百済王�


181:ェ天地に背のりってのは無理筋www ウリナラファンタジーの極致



182:日本@名無史さん
21/08/13 16:43:13.88 .net
>漢城が落ちて熊津に遷都した時でも
熊津を取り戻して百済王に与えたのが日本の天皇
ってのは、どう見ても百済が日本の属国ってことだろ?
まだ天皇称号はないが、どの王が取り戻したのか具体的にどうぞ

183:日本@名無史さん
21/08/13 16:52:07.65 .net
>>171>>170への反論をまずすべきだろう

184:日本@名無史さん
21/08/13 17:23:54.74 .net
天武が純粋な倭国王なら、天武が百済の大佐平を追贈したのは
大勲位菊花大綬章を韓国大統領が授与するようなものだw

185:日本@名無史さん
21/08/13 17:24:48.80 .net
大佐平授与はおまえらの日本書紀に書いてあるだろう

186:日本@名無史さん
21/08/13 17:45:06.81 .net
>673年沙宅紹明が死去したさい天武は沙宅の故国百済の大佐平の位 を与えた。
記紀ファンタジーベースのウリナラファンタジー、与太話に反論も無いが、
この時って既に、百済が無い。 ↓くだらない、禁止w
>大佐平追贈は百済王から頂いてこそ値打ちがある。天武は百済王なのである
というよりは、
百済人が日本の王から既に無い百済の冠位を受けた、というのは
日本の王は百済王への内政干渉を当然とする、百済王の上位に有る王だった、
という事の証明でしかない。
350年、百済建国時点で、王子を人質として差し出したのが百済国であり
朝貢で属国化して臣民教化のため下寵された博士や七支刀を日本に献上した、
というのは、百済が日本の防壁及び文明入手のための傀儡立国だったことを意味している。
中国は、対等以上に大きいかも知れない隣国に文明を与えるほど馬鹿ではない。
500年百済及び中華の衰退で、この価値が薄れた時、
日本は任那割譲で半島利権の放棄、自立国としての存続を求めた。
600年からは、韓はすっ飛ばして隋唐使時代で、百済再興のための
663年白村江敗戦処理に見るように、唐との開戦も恐れてはいないのである。
この、既視感の正体って。
日本が中華から大韓帝国を独立させて、
戦勝の米軍が日本に文明化させて植民地利権を得た。
米軍は今また中華再興で、めんどくさくなって撤退する。
白村江海戦はの再来は、亡国の韓民族の帰国で成立するのかな?
百済傀儡立国って、近現代の古代韓復興の歴史と完全に一緒だよね。

187:日本@名無史さん
21/08/13 18:20:47.93 .net
このトンチキな、歴史認識ウリナラファンタジーの成立は、
物の見方が180度違う、という事で理解が可能である。
何故、漢の四郡つまり紀元前から中華属国であった韓国?半島が
一度も中華に属した事のない日本の兄の国なんだ?
百済経由の日本への文明移行の手順と理由は示したが、それって兄の国か?
韓民族ってのは、ホントに日本での弥生人は絶対縄文混血
みたいに半島石器人、無文土器人と繋がってるのかな?
馬韓王は遼東遼西、中華貴族の箕氏の遺民だよ?
半島では民族のルーツを探す勇気がない?
日本では神話で当たり前に騙しちゃってて記紀の嘘を顕在化させたくない?
ここまで来ると、ものの味方が360度違うかもなwww

188:日本@名無史さん
21/08/13 18:31:35.18 .net
>百済人が日本の王から既に無い百済の冠位を受けた、というのは
日本の王は百済王への内政干渉を当然とする、百済王の上位に有る王だった、という事の証明でしかない。
貴族たちには倭国の官位を与えておきながら、今更百済の官位を与えることもなかろうに

>350年、百済建国時点で、王子を人質として差し出したのが百済国であり、朝貢で属国化して臣民教化のため下寵された博士や七支刀を日本に献上した、というのは、百済が日本の防壁及び文明入手のための傀儡立国だったことを意味している。
ひねくれた敗北百済人は滞在型客人を人質と呼ぶ
七支刀は中国からもらったものをコピーして年号を持たない未文明の倭国にわたした
503年以降、大王は百済昆支系であり、倭国は中国に朝貢すらせず百済の属国だった
>日本は任那割譲で半島利権の放棄、自立国としての存続を求めた。
503、属国となった倭国は所有していた任那を百済に献上させられた。
記紀に欽明のような悔しさが出ていないw
>600年からは、韓はすっ飛ばして隋唐使時代で、百済再興のための663年白村江敗戦処理に見るように、唐との開戦も恐れてはいないのである。
白村江敗戦で倭国酋長は封禅の儀に出席へw
扶余勇が唐に許しを請い倭国での政権をみとめられた
>この、既視感の正体って。
日本が中華から大韓帝国を独立させて、戦勝の米軍が日本に文明化させて植民地利権を得た。
米軍は今また中華再興で、めんどくさくなって撤退する。白村江海戦はの再来は、亡国の韓民族の帰国で成立するのかな?百済傀儡立国って、近現代の古代韓復興の歴史と完全に一緒だよね。
まさに敗北した百済が倭国に逃げ倭国を日本と称し


189:瀕死でもがいたことを 現近代(米国に敗北し半島を捨てさせられ島に閉じこもり大日本帝国を日本と改称し、安全保障を戦勝国にたよるという瀕死)に見る。同じ百済人だからw 白村江海戦再来があるとすれば(中国+韓)対(日本+米国)で米がベトナムやアフガンの場合のように撤退して日本が降伏。 さて、中国共産党下で王制はなかろう。



190:日本@名無史さん
21/08/13 18:34:55.35 .net
>>177
聖徳太子に関係のない話ばかりじゃないかw

191:日本@名無史さん
21/08/13 19:11:06.22 .net
503年の日本は統一国とは言えないな?
北部九州、日本海、瀬戸内海、美濃、東海程度の軍事での連立?
これは、239年公孫氏滅亡、246年韓王朝滅亡で始まった
対魏晋での富国強兵政策、豪族連合の古墳時代への移行である。
350年の牛馬の移入に伴う、百済新羅建国、対高句麗戦以降で
半島進出は後の物部大伴氏の権力内。 4~500年倭の五王に繋がる。
任那割譲は、独立か併合かで日本が独立を推奨した結果であって
百済は漢城から敗戦撤退している。
百済建国の理由は、文明移入の為の傀儡立国であるから
文明移入の博士招致や仏教伝来で、百済利権放棄は日本にとって瑕疵でもない。
この話が聖徳太子に関係ないのは、聖徳太子が記紀のでっち上げで、
歴史の話として適切とは言えないからだよ。
 
阿毎多利思比孤は600年の日本の王であって
現日本と通じる700年の史書が捏造した推古天皇は日本史に存在しない。

192:日本@名無史さん
21/08/13 19:25:35.66 .net
阿毎多利思比孤は実在している。このころの倭国を描写してみてくれ。
私の描写は「国際的視点からの古代史考」に詳しく出ている。

193:日本@名無史さん
21/08/13 19:30:45.70 .net
皇帝だから百済の官品与えて当然ニダ
でも日本国内じゃダサくて使わないニダ

194:日本@名無史さん
21/08/13 19:36:07.44 .net
属国の官位を宗主国の皇帝が授与するなんて皇帝の品位がねぇww

195:日本@名無史さん
21/08/13 19:40:47.95 .net
600年の、阿毎多利思比孤は実在している。
なら、倭の五王、倭王武500年から100年で斑鳩宮と法隆寺を建造している。
推古天皇は実在しない。 または、600年時点での後宮の女帝。
ここまでで、なんで没落まっしぐらの人質だった貧乏百済王が日本王朝で台頭できる?
実は、古墳時代というのは、台頭した王の遺産を次代に引き継がないシステムだよwww
記紀の後付けの嘘は喰えないけどw
歴史というものには、必然性が必要なんだよ。
ウリナラ、乙。

196:日本@名無史さん
21/08/13 19:48:58.87 .net
>>183
> 属国の官位を宗主国の皇帝が授与するなんて皇帝の品位がねぇww
これは、記紀であって、日本王朝の万世一系を捏造するための文献。
倭の五王の物部王朝や、聖徳太子までの蘇我王朝も神話で二重に忖度されてる
でしょ? 
ホントの事は言うべきだけど
推して知るのが、美徳かね?

197:日本@名無史さん
21/08/13 19:52:07.10 .net
>>600年の、阿毎多利思比孤は実在している。
>なら、倭の五王、倭王武500年から100年で斑鳩宮と法隆寺を建造している。
推古天皇は実在しない。 または、600年時点での後宮の女帝。
ここまでで、なんで没落まっしぐらの人質だった貧乏百済王が日本王朝で台頭できる?
503年以降倭国は百済の属国。証拠は中国への遣使がない。さらに、梁書では明らかに百済が重視されている。
百済没落まっしぐらとは、妄想。

198:日本@名無史さん
21/08/13 19:56:36.93 .net
>>183
むしろ百済王ごときが倭、日本の官品を使ったら不敬ニダよ?

199:日本@名無史さん
21/08/13 19:59:00.87 .net
倭国日本は勝者ニダ
<ヽ`∀´>だから倭国の為に百済三書、百済官位使い放題ニダ

200:日本@名無史さん
21/08/13 20:24:18.11 .net
>むしろ百済王ごときが倭、日本の官品を使ったら不敬ニダよ?
ところが、扶余勇は日本の官位を百済貴族にふるまってるんだなw
事前に大海に準備させておいてさw
>倭国日本は勝者ニダ
<ヽ`∀´>だから倭国の為に百済三書、百済官位使い放題ニダ
敗者の官位を勝者が使い放題なんてことはない。
米国が日本人に大勲位を与えるようなものだ。
米国は日本を叩きのめすためにも、大勲位は出さず、西洋系の勲位を出して引き入れようとするよバーカwwww

201:日本@名無史さん
21/08/13 20:27:28.29 .net
政治を考えてレスするように、君の総理大臣にも言っておいてくれw

202:日本@名無史さん
21/08/13 20:30:52.66 .net
>倭の五王の物部王朝や、聖徳太子までの蘇我王朝も神話で二重に忖度されてる
でしょ? 
ホントの事は言うべきだけど
推して知るのが、美徳かね?
あんたの日本語はぼけ老人か?

203:日本@名無史さん
21/08/13 20:36:33.13 .net
>>189
扶余勇って誰?天智天皇は倭王ニダよ。百済と倭の官品使っていいんだよ?ちゃんと百済が倭国を上司と崇める百済三書読むニダ。

204:日本@名無史さん
21/08/13 20:58:39.72 .net
>扶余勇って誰?天智天皇は倭王ニダよ。百済と倭の官品使っていいんだよ?ちゃんと百済が倭国を上司と崇める百済三書読むニダ。
扶余勇は百済の王子で白村江の戦で敗れて倭国に渡り大宰府を中心に朝鮮山城や水城や羅城を作り、日本国のもととなった。
白村江の戦以降の天智紀にかかれている天智のモデルとなった人物。
百済貴族をたくさん引き連れていて、朝鮮山城などを造営させた。
かれらに倭国の官位をふるまった。

205:日本@名無史さん
21/08/13 21:03:59.34 .net
アタシが、ぼけ老人の目線で言うとすると、
おい、馬鹿ちょん、おまえは完全に頭が壊れててるだろ?
阿毎多利思比孤は実在なんだから、記紀や三国史記は嘘八百。
推古天皇だの卑弥呼時代の女帝なんているわけが無い。
漢字が読めないで、漢文を現代中国語訳する馬鹿
とか、歴史を歴史認識という政治的弾圧の背景をもって読める馬鹿は
アタシ達日本の中高生の東亜の古代史の話に頑張って参加しないで良いんだよ。
香ばしい、百済? 扶余厨の出現だけど、
ウリナラと記紀厨、伊都厨?阿波厨とか土器厨の京大キッド、
キナイコシとかwwアラシの類は、日本史板にはもうイラネく、ないかね?

206:日本@名無史さん
21/08/13 21:20:56.38 .net
ぼけ老人の日本語でお褒めの言葉と解すw

207:日本@名無史さん
21/08/13 21:49:25.90 .net
天照大神が女であることに抵抗がなく、天皇の乳母ですら権力を持ってしまう大和民族に女帝がいないわけないだろw

208:日本@名無史さん
21/08/13 21:54:44.82 .net
記紀は歴史物語に過ぎない。史実を他で求めてから、参考にしましょう。

209:日本@名無史さん
21/08/13 22:15:16.15 .net
そうしたことを、そうしたなかにあって、ここはしっかりと百済=日本を注視していきたい

210:日本@名無史さん
21/08/13 22:15:23.32 .net
>>196
つまり歴史じゃなく、ただのおとぎ話だから、どーでも良いんだろ?

211:日本@名無史さん
21/08/13 22:31:17.42 .net
百済属国という中にあって、そこはしっかりと立場を踏まえながら、
百済から仏教を導入し、そうした中にあって、さらに仏教を求め
隋に遣使を派遣し、しっかりと躊躇なく仏教政治を学んだことを自己評価することは僭越だ。

212:日本@名無史さん
21/08/13 22:53:22.39 .net
源氏物語にも常世の歌がいくつか出てくる
心から常世を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな
常世出でて旅の空なるかりがねも列に遅れぬほどぞなぐさむ
あかりなくにかりの常世を立ち別れ花の都に道やまどはむ
明治天皇が詠まれた歌
人もわれも 道を守りてかはらずば この敷島の国はうごかじ
葦原のみづほの國の萬代もみだれぬ道は神ぞひらきし
月見れば 雁が飛んでゐる 水の中にも映るなりけり

213:日本@名無史さん
21/08/13 23:13:36.77 .net
源氏物語にあっては、百済の宮廷文化に、原典があったということで、
そこはしっかりと踏まえたうえで、日本古典文学の源流を追求することが望ましい

214:日本@名無史さん
21/08/13 23:38:43.15 .net
内容がなくても文章が作れるが、単調さが気になるがねw

215:日本@名無史さん
21/08/14 07:47:45.78 .net
>>177
>一度も中華に属した事のない日本の兄の国なんだ?
漢や魏の頃は金印を拝


216:受して倭王として冊封さらる属国であり朝貢国だったけど?



217:日本@名無史さん
21/08/14 09:04:45.59 .net
>>204
金印って他には当時超大国だったクシャーナ朝(インド)だからそういう扱い
普通の属国とは違う。

218:日本@名無史さん
21/08/14 14:07:45.22 .net
中国の立場としてはクシャナ朝も属国だよ。
漢倭奴国王印は、倭が漢の領土であることを明示している。

219:日本@名無史さん
21/08/14 19:13:56.95 .net
>>202
百済に女が活躍する社会はないから。女系の大和だけw
男尊女卑は武士から。

220:日本@名無史さん
21/08/14 21:19:38.37 .net
遼人による武士社会は男勝りのXX御前や北条政子を生んだ。
お前の歴史認識は間違っているから、百済に関しても出鱈目だろうww

221:日本@名無史さん
21/08/14 22:40:34.24 .net
シナチョンが大好きな男尊女卑の本格化は江戸時代以降なw

222:日本@名無史さん
21/08/15 08:55:42.24 .net
聖徳太子=阿毎多利思比孤を認めたのかい?

223:日本@名無史さん
21/08/16 14:01:04.94 .net
171
漢城が落ちたときにすべての遺民が移動しているわけよ

食料が足らなくなるってのは領地不足から
日本が支配しとったらしい半島西南部の土地を譲ってるだろ
つまりその遺民らが住み着いた土地となったわけ

224:日本@名無史さん
21/08/16 14:02:22.24 .net
人間らが残りそれを支配するってのはどちらかと言えば遊牧民的な考えなわけよ
負けると言うことは土地を失うに等しい
そこに住む者らはみな出ていかねばならなくなるわけ

225:日本@名無史さん
21/08/16 21:17:19.76 .net
昆支王が来たことは認めてるようだな
木刕満致(蘇我満智)も異論無しかな?

226:日本@名無史さん
21/08/16 22:18:42.37 .net
さあなんとも

227:日本@名無史さん
21/08/16 22:43:58.17 .net
物いうと追い詰められ苦しむ?

228:日本@名無史さん
21/08/17 14:19:44.57 .net
さあなんとも

229:日本@名無史さん
21/08/17 16:12:42.50 .net
倭国優位説おじさん(>>180)はいつの間にか百済の属国説に敗れたようだなw

230:日本@名無史さん
21/08/17 20:03:25.36 .net
<#`Д´>ウリナラは日唐の公式蕃国ニダ!

231:日本@名無史さん
21/08/17 20:11:22.00 .net
そこは悲しきウヨの独り言
なぶり・・・が待っているw

232:日本@名無史さん
21/08/17 21:43:01.49 .net
さあなんとも

233:日本@名無史さん
21/08/17 22:07:48.88 .net
言うことがなくなって試合放棄だなwwww

234:日本@名無史さん
21/08/17 22:19:16.36 .net
さあなんとも

235:日本@名無史さん
21/08/17 22:29:12.91 .net
アナウンサー「グロッキーですドクターストップ」wwww
観客「やってしまえ!!!!」

236:日本@名無史さん
21/08/17 22:30:16.53 .net
これがウヨの知能の限界www

237:日本@名無史さん
21/08/17 22:33:13.27 .net
観客「やってしまえ!!!!!」
レフリー「ファイティングポーズ! 1,2,3,4,5,6,7,8,9,10」
金連打の音wwww

238:日本@名無史さん
21/08/18 10:40:33.19 .net
話が通じない、問題が虚構上の空論だろ?
250年から350年で九州北部、日本海、瀬戸内海豪族間の連携。
350年対高句麗戦、百済朝貢の成立、百済新羅建国の史実。
400年から500年の物部系、倭の五王王朝
500から600年の蘇我系王朝
遣隋使、大化の改新時代から
白村江を経て700年記紀の成立。
ここで、万世一系の思想が生まれたんだから
馬鹿ちょんが、聖徳太子というファンタジーに背乗りしても
王族としての継続性は担保されて無いだろ?
歴史の話をしたいなら、記紀に裏付けされる三国史記や
記紀とは別の科学的史実に背乗りしないと意味がない。
朝鮮古墳でも掘ってろよw

239:日本@名無史さん
21/08/18 10:54:05.98 .net
オタクがよく使う背乗りの意味が通じないので、
>ここで、万世一系の思想が生まれたんだから
>馬鹿ちょんが、聖徳太子というファンタジーに背乗りしても
>王族としての継続性は担保されて無いだろ?
の意味が解らない。もっと一般的な用語を使ってほしい。
>科学的史実に背乗りしないと
もわかりませんね、一般的な言葉でお願いします。

240:日本@名無史さん
21/08/18 11:53:30.84


241: .net



242:日本@名無史さん
21/08/18 12:28:15.16 .net
日本人は歴史認識を改める必要がある。
古代韓は百済新羅であるが、313年漢四郡撤退後に
対高句麗戦、高句麗馬移入時の日本の後援によって朝貢が成り建国された。
これの故事にちなんで大日本帝国は中華属国だった大韓帝国の独立を為した。
これによって古代韓は、現代史に繋がったように見えた。
ところが最近、半島人は古代韓民族とは無関係という結論が出ている。
この歴史は、いったいなんなんだろうか?
その上、何故か朝鮮人は朝鮮が日本の兄の国だという?
もちろん伊弉諾伊弉冉以来の記紀神話はファンタジーだが、
朝鮮には何故かこの日本の歴史修正主義の正史を継承している史書が有る。
何がどうなると兄だ?
後付けの諱を年号にした虚構の事績を歴史として再構築する
そんなご都合主義の歴史は要らないのに、
半島人はさらにその上で意味不明な嘘のパズルを構築している。
話が通じない理由は、ここに有る。

243:日本@名無史さん
21/08/18 12:56:02.74 .net
あいかわらず論旨不明
スレタイ「聖徳太子=阿毎多利思比孤」を論じている
聖徳太子≠阿毎多利思比孤というのなら科学的な反証を願う
近現代の思想とは無関係

244:日本@名無史さん
21/08/18 16:22:23.05 .net
同じだと言う根拠を示せよ。
違う名前で、内容も全く違う。
聖徳太子は斑鳩宮に数百人の女性を囲っていたのか?

245:日本@名無史さん
21/08/18 17:44:17.10 .net
阿毎多利思比孤が有るなら推古天皇、さらに言うなら
日出処天子の日本国王に女帝が存在したなどというマヌケな話は無い。
阿毎多利思比孤は、兄弟で国を治めた。
これは日出処天子である処の天津宮多利思比孤王と
仏教国としての上宮法皇の重複存在を示唆している。
当然、法隆寺を建造したのは法皇、斑鳩宮に在ったのは多利思比孤。
記紀はこの歴史を消すために、推古天皇を捏造して聖徳太子を作った。
聖徳太子が諡号でうまやどが歴史名とか、日本の歴史屋は頭がおかしい。
それに輪をかけておかしい頭なのが、
聖徳太子=阿毎多利思比孤だの天智天皇=渡来人説の馬鹿ちょんなのである。

246:日本@名無史さん
21/08/18 18:20:04.68 .net
天津宮多利思比孤王ってなんですか?
兄弟で国を治めたとは何故解るのですか?
阿毎多利思比孤が出家して上宮法皇と呼ばれた
そう判断するに至った論理は「国際的視点からの古代史考」にありますが・・・

247:日本@名無史さん
21/08/18 19:33:56.28 .net
中国文献だけでも国際的視点で読めるならば判るんじゃないかな?
何故わからないのかな??

248:日本@名無史さん
21/08/18 19:59:48.13 .net
阿毎のと同じ読み方をするならそれは天のとなる
神官家の人でないんかな?
国造創設と同時にその当主には神としての名が与えられとるわけ
天御中主神というのがおるが読み方を向こうに教えたなら
阿毎(あめ)のみなかぬしのかみ
となる

249:日本@名無史さん
21/08/18 20:03:30.41 .net
忌名(実名)神名(法名)みたいなもん
神名を中国の皇帝に名乗ったんじゃねえの?

250:日本@名無史さん
21/08/18 20:05:01.73 .net
裴世清の目には阿蘇山が見えていたのであった
インチキ近畿史感には呆れてものが言えない

251:日本@名無史さん
21/08/18 20:06:07.96 .net
天津宮多利思比孤王ってなんですか?
アホですか「天為兄,以日為弟」から兄弟を思いついた?、解りません!
阿毎多利思比孤が出家して上宮法皇と呼ばれたについてはどうですか?

252:日本@名無史さん
21/08/18 20:08:54.17 .net
寺院の宗主となったんでしょ
まだ神社⛩制度始まっとらんからねえ
天武天皇の時代に始まったの

253:日本@名無史さん
21/08/18 20:09:21.19 .net
阿蘇を見たからといって、都が九州とは限らない 
中国人は火山を見ないから、ついでに紹介されたこともありうる

254:日本@名無史さん
21/08/18 20:09:43.66 .net
祖先神となるものは国造家当主となったものを初代として数え始めてるわけだよ

255:日本@名無史さん
21/08/18 20:10:03.06 .net
そゆはだまっておれ

256:日本@名無史さん
21/08/18 20:18:02.52 .net
聖徳太子は西突厥からの難民で百済と


257:は何の関係もない むしろ新羅との関係が強いだろう 四天王寺や厳島神社で太子が舞った舞は 登場する動物などから西アジア由来以外のなにものでもない 幼少時の太子の肖像画にある髪の色や皮膚の色を見れば一目瞭然



258:日本@名無史さん
21/08/18 20:34:29.36 .net
西突厥では何と呼ばれていたんですか?
どんな動物が登場するのですか、不勉強ですみません
幼少時の太子の肖像画ってどれですか

259:日本@名無史さん
21/08/18 20:40:47.51 .net
不勉強なら自分で勉強しよう!

260:日本@名無史さん
21/08/18 20:42:34.59 .net
聖徳太子と西突厥でググると小林恵子が言ってるようですが、オタクは商売ですか?ここは学問スレですが・・・

261:日本@名無史さん
21/08/18 20:43:52.43 .net
インチキじゃない?ちゃんと説明してよ

262:日本@名無史さん
21/08/18 20:46:10.82 .net
根拠のない当て推量で素人に媚びを売ってるんですよバーカ

263:日本@名無史さん
21/08/18 20:47:33.71 .net
>>246
百済押しつけのが商売っぽいっす

264:日本@名無史さん
21/08/18 20:48:35.06 .net
よくも、いけしゃあしゃあと漢4郡とか言えたね、笑っちゃうよw
アホなんじゃない、騙されやすいんじゃない、突飛が好きなんでしょwwww

265:日本@名無史さん
21/08/18 20:49:10.03 .net
俺金儲けなんかしてないもんw

266:日本@名無史さん
21/08/18 20:53:36.74 .net
俺金儲けなんかしてないもんw

267:日本@名無史さん
21/08/18 20:54:19.56 .net
>>250
漢4郡とか言ってねえよ
聖徳太子の幼少時の肖像画も見たことも無知が
百済ねえこと言うんじゃないよw

268:日本@名無史さん
21/08/18 20:54:31.96 .net
信じるものは救われないw

269:日本@名無史さん
21/08/18 20:55:24.69 .net
百済教

270:日本@名無史さん
21/08/18 20:55:24.99 .net
御伽噺は幼児に語れwww

271:日本@名無史さん
21/08/18 20:56:34.33 .net
お前の文章は論旨がないと思ったぜwwww
wwww

272:日本@名無史さん
21/08/18 20:57:38.76 .net
半島しか見えてないのになんで国際的?

273:日本@名無史さん
21/08/18 20:58:53.80 .net
小林恵子って誰?

274:日本@名無史さん
21/08/18 21:00:46.80 .net
上宮は九州
伊予温泉は近いから行幸しただけなのさ

275:日本@名無史さん
21/08/18 21:01:30.25 .net
>>239
王家に仏教の法皇が生まれちゃうようなら、
記紀が成立しないと、豪族が朝廷から貰った氏姓の氏神とか
派生する土地、海山の神々への信仰の求心力は無い、
ってことは、わかるよね。
まあ、この時は、明治の神仏分離、廃仏毀釈のような、
最悪の間違いは犯していないけれど。
日本文明最悪の文明棄損は、他でもない明治政府が行っている。
大和朝廷の成立は、2600年前じゃなくて、記紀の成立時でも
充分に日本古代史から武家政治への移行、現代の日本に貢献している。
だけど、廃仏毀釈、王政復古というより
明らかな記紀の嘘強要は、冗談でも日本文明、歴史、真実に対する犯罪だ。

276:日本@名無史さん
21/08/18 21:11:44.97 .net
学問と歴史小説の違いをまず学びましょうね、坊や

277:日本@名無史さん
21/08/18 21:16:53.88 .net
アタシが日本の中学生高校生の歴女の代表だって
やっとわかってくれたのか?
お前ら、嘘っこ諡号の聖徳太子は厩戸が正式名とか
意味不明根拠で、マヌケな教科書作ってんじゃねーぞwww

278:日本@名無史さん
21/08/18 21:44:13.43 .net
歴史についての思考力ができる前から歴史通です? 
馬鹿ですか?wwww

279:日本@名無史さん
21/08/18 21:48:33.52 .net
日本の未来は輝いてたよ、50年前はw
みんな文科省が悪い、縛りが強すぎるんだよw
だから歴女とかいうんだろ、おかしくってw

280:日本@名無史さん
21/08/18 23:51:21.62 .net
どのみち紆余曲折を経て国作りの時代、神代のありように不完全だが戻ったからいいではないか

281:日本@名無史さん
21/08/19 08:55:20.08 .net
なんのために戻した?

282:日本@名無史さん
21/08/21 03:49:52.83 .net
金を信仰していたやつらが歴史や宗教も商材にし始めたからだろ

283:日本@名無史さん
21/08/23 20:45:46.03 .net
>>260
福岡にも伊豫があるんやで

284:日本@名無史さん
21/08/23 20:48:46.96 .net
証明や反証を知らない高卒または文系w

285:日本@名無史さん
21/08/23 22:56:12.21 .net
叡福寺の聖徳太子廟にお参りしましょう

286:日本@名無史さん
21/08/29 17:45:10.67 .net
叡福寺の聖徳太子廟は改葬された
なぜなら
棺台の周辺では夾紵棺(きょうちょかん、乾漆棺)片の散乱が認められ、
夾紵棺は、飛鳥時代当時では相当な高位の人物にのみ使用された棺とされ、
安福寺(柏原市、叡福寺古墳数キロ北)は叡福寺北古墳の棺と推定される夾紵棺片を所蔵している。
この夾紵棺片は45枚もの絹を重ねて製作されたもので、現在の残存片は長さ94センチメートル、
幅47.5センチメートル、厚さ3センチメートルで、残存縁辺から棺身の小口部分に相当するとされる。
さて何故改葬されたかですね。

287:日本@名無史さん
21/08/29 18:42:35.21 .net
岩屋山式古墳が7世紀後半であり622の死から離れており改葬されている
夾紵棺でも絹を使ったものは聖徳太子廟のみで最高の王すなわち
アマタリシヒコ大王と見てよい
9世紀から17世紀にかけて天皇古墳と目されるものは検証されなかったが、
太子廟は近世まで叡福寺に守られて晒されていた。その結果棺が壊れた?
つまり、天武はアマタリシヒコを天皇から排除した。
けれど、天武が最高の夾紵棺にして改葬したのは
信仰対象にするためではないか?夾紵技術は仏像技術であるからだ。

288:日本@名無史さん
21/08/29 21:23:01.63 .net
なんで皇太子に厩戸王に最高の絹の夾紵棺を施すわけ?

289:日本@名無史さん
21/08/29 23:07:57.84 .net
うるし技術は倭国にもあったが7世紀に半島等から流入したうるし技術が主になった。
百済から仏教を取り入れたアマタリシヒコの頃だろうと思う。
当時としては、自由に形を作れる硬化剤として、また装飾を施せる工芸技術として、
非常に目新しいものだったに違いない。

290:日本@名無史さん
21/08/30 05:31:32.68 .net
大王すか?
推古女帝の時代やけどね

291:日本@名無史さん
21/08/30 05:34:13.41 .net
その聖徳太子の息子が上宮王
天皇位を争い殺されたの

292:日本@名無史さん
21/08/30 08:02:35.33 .net
>>1で聖徳太子=タリシヒコ=上之宮法皇を説明し、証明は「国際的視点からの古代史考」にある
絹の夾紵棺よっても、聖徳太子廟は最高位の人物が被葬者であることが示された。
聖徳太子廟は上之宮法皇=タリシヒコの古墳である。
国際的には倭国王タリシヒコの時代であり、推古は存在しても倭国王ではない。

293:日本@名無史さん
21/08/30 12:07:51.19 .net
推古天皇や聖徳太子がいた畿内政権と、中国が相手にしていたタリシヒコが治める倭国は別だったと考えるしかない。
倭国には阿蘇山の記述はあっても富士山の記述がないし。

294:日本@名無史さん
21/08/30 12:53:04.02 .net
畿内への道中、どれどれと見に寄ったんじゃないかね

295:日本@名無史さん
21/08/30 16:26:06.82 .net
>>279
裴世清は推古にも会ってる
盗まれたというが国書は持って行ったのだから、
隋書に2国なけりゃおかしい

296:日本@名無史さん
21/08/30 18:43:25.43 .net
キナイコシの言い訳が見苦しくて腹が捻れるw

297:日本@名無史さん
21/08/30 20:24:03.07 .net
反論できないと腹がよじれるのかw

298:日本@名無史さん
21/08/30 21:23:46.47 .net
日本で女帝が立つ場合は後継者として適当なのがおらず皇族全ての推挙がなければ女帝になれないからな
言ってみりゃその時点でその一族の長老格の女性が天皇位に付く

299:日本@名無史さん
21/08/30 21:25:34.00 .net
蘇我氏滅亡のときは斉明女帝やからの

300:日本@名無史さん
21/08/30 21:27:56.42 .net
古代においては天皇位を継ぐ者が継承したのが摂政らしいからの
関白ってのはすでに成人天皇がおる場合に皇族の中より選ばれる
藤原が踏襲するもんじゃねえんだよ本来な

301:日本@名無史さん
21/08/30 21:28:44.62 .net
だから明治のときに藤原から取り上げたわけだろ
皇族に戻したんだよどちらもな

302:日本@名無史さん
21/08/30 21:51:21.08 .net
太政官にしろ初期の名称は太政官知事やからな

303:日本@名無史さん
21/08/30 21:53:00.15 .net
そゆの御託は脳内事実
なんの検証もできないw

304:日本@名無史さん
21/08/30 21:56:32.34 .net
脳内ではないよ
否定するやつらの方が怪しい!ってことになるぞ

305:日本@名無史さん
21/08/30 21:57:38.18 .net
余程の皇族ファンなんだ、迷うことがなくって楽だろう、臣従を誓えば安心かw

306:日本@名無史さん
21/08/30 22:03:12.36 .net
なんで、太政官とか明治とか関白とかがこのスレに出てくるのか
脳内がむにゃむにゃそうなってるからだろう

307:日本@名無史さん
21/08/30 22:04:18.66 .net
日本の歴史的評価も知らんのか?たわけ

308:日本@名無史さん
21/08/30 22:11:07.83 .net
日本の歴史的評価とは? 知りませんな

309:日本@名無史さん
21/08/30 22:20:43.39 .net
そゆ君の脳内価値感なんぞ知るべくもあらずw

310:日本@名無史さん
21/08/30 22:48:27.97 .net
そゆ君の発言は日本の歴史的価値からきているようだが、
発言内容がもう一つ吞み込めないのは彼の日本の歴史的価値観
が解らないからであろう。

311:日本@名無史さん
21/08/30 23:06:06.97 .net
脳内事実である「男系男子が連綿と続いてきた」が踏みにじられる思いなんだ
こんなうぶな考えをお持ちの方がこの現代にいらっしゃることが天然記念物w

312:日本@名無史さん
21/08/31 06:12:34.04 .net
あ~なるほどね
きみらの意見は認められませんな~

313:日本@名無史さん
21/08/31 08:09:01.91 .net
>あ~なるほどね
言い当てられて投げやりになるなんて結構おさないですねw
>きみらの意見は認められませんな~
意見ではありません、論理的帰結です。ですから拒否ではなく反論を!

314:日本@名無史さん
21/08/31 18:33:37.78 .net
太政官とか時代錯誤すぎて話にならんわ。

315:日本@名無史さん
21/08/31 20:19:44.72 .net
王室を信奉し尊敬する人の頭は、古代と明治時代がタイムトンネルなんですw

316:日本@名無史さん
21/09/12 03:08:58.95 .net
厩戸王だから王と書いても間違いじゃない、問題ないな

317:日本@名無史さん
21/09/15 05:34:43.38 .net
いねえだのほざいたバカや蘇我大王節だの唱えたキチガイも現れたからな
相当なバカだよそのクズ

318:日本@名無史さん
21/09/15 13:09:14.53 .net
厨子王も王様だなww
現代我々が使う「王」とは違う意味で日本の古代は王を使っていたんだよ
公,候、君もあるが、君は朝鮮系かな?

319:日本@名無史さん
21/09/18 17:41:46.17 .net
反応がないな、なあんだもう負けたか?

320:日本@名無史さん
21/09/21 13:25:11.89 .net
漢王の可能性があるんだわ
本人らの証言だとその阿毎たら一族な
天皇家とはどうみても別ルート

321:日本@名無史さん
21/09/21 13:26:38.08 .net
聖徳太子一族か?
漢王なら中国姓を取るなら劉〇〇やぞ
納得いかねえのそこなの

322:日本@名無史さん
21/09/21 14:15:58.70 .net
>>306
「天の」何某なら明らかに天皇家。

323:日本@名無史さん
21/09/21 19:23:42.96 .net
>>306
天皇系列は阿毎の時代には存在しない
阿毎が漢王の可能性はない、なぜなら、蘇我がおつきの貴族だからだ
蘇我が奉じる王は半島から渡ってきた昆支王だから、阿毎は昆支王系だと断定する
漢王だというのなら、根拠を示せ

324:日本@名無史さん
21/09/21 20:55:10.62 .net
>>306~308
その程度の知識で漢王とか当て推量しとるんかい?
お前の西洋史もそんなものだろうwww

325:日本@名無史さん
21/09/22 06:30:03.39 .net
>>310
アホと一緒にするなよ。

326:日本@名無史さん
21/09/22 16:32:47.73 .net
310
日本史の文献よく読め

327:日本@名無史さん
21/09/23 13:44:19.48 .net
なぜか7世紀以前に国内で書かれた文献が残っていないんだよね。
謎だよね。

328:日本@名無史さん
21/09/23 13:49:13.30 .net
そもそもタラシヒコなら皇統譜に何人もいるのに、なぜ無視をする?
歴代の和風諡号を見てみろよ。

329:日本@名無史さん
21/09/23 1


330:7:57:53.70 .net



331:日本@名無史さん
21/09/23 18:05:20.87 .net
タリシヒコよりずっと後で書かれた記紀なる創作文献は使えないw

332:日本@名無史さん
21/09/23 18:17:46.92 .net
天皇の皇太子がもともと摂政に付くと聞いたが?

333:日本@名無史さん
21/09/23 18:19:07.61 .net
それにさあ、書紀の天皇の順を中国に説明した時に、
タリシヒコはどれだと聞かれて、用明(587年没)だと言ってるが、
用明じゃ600年に遣使できないんだよ
いい加減な創作文献は使えないねwwwwwww

334:日本@名無史さん
21/09/23 18:22:48.31 .net
タラシヒコとか名前が似ているだけが根拠で筋書き作ってもどうしようもないじゃないかw

335:日本@名無史さん
21/09/23 18:23:48.48 .net
バカじゃないの?

336:日本@名無史さん
21/09/23 18:24:01.77 .net
聖徳太子の叔母が推古天皇やろ
聖徳太子の息子が上宮王やぜ
皇位継承権は当然持っていたが殺されたんやろ

337:日本@名無史さん
21/09/23 18:29:30.47 .net
崇峻天皇も殺されたしなあ
この崇峻天皇殺害実行犯が渡来人の東漢駒(やまとのあやのこま)
その子孫が天武天皇のときにおまえの祖先は天皇殺しやっのるやろが(・∀・)って散々脅されたんだとさ
そのあと桓武天皇のときに征夷大将軍に任命されたのがこの子孫
嫁さんが渡来人の末裔だから桓武天皇の時代だけ渡来人優遇がおきたんだね

338:日本@名無史さん
21/09/23 18:31:24.49 .net
その時代は渡来人らみな蘇我氏の配下だったんだね
蘇我氏は天智天皇の時代に滅ぼされとるからの(・∀・)

339:日本@名無史さん
21/09/23 18:33:08.93 .net
用明天皇は聖徳太子の父親やろが(・∀・)
だから時代を考えて聖徳太子がアメタラナンタラになったんだろ

340:日本@名無史さん
21/09/23 18:33:54.47 .net
320
おれに言っとるんかね?
皇族摂政も知らんのかよ

341:日本@名無史さん
21/09/23 18:50:08.78 .net
阿毎多利思北狐は中国の方の文献にしか出てこねえんだよ

342:日本@名無史さん
21/09/23 19:19:41.28 .net
大足彦はタラシでもタラシでも読めるし、ホコはヒコに好字である北を当てただけ。
多利思比孤は、和風諡号がタラシヒコの天皇を指しているはず。

343:日本@名無史さん
21/09/23 19:48:26.22 .net
>>325
>おれに言っとるんかね?
御名算
>皇族摂政も知らんのかよ
皇族摂政なんて知らん 
アマタリシヒコは天皇称号が始まる前の人
アマタリシヒコは法隆寺釈迦三尊像にでる法興年号の時の人
法興年号を否定する日本史学ではアマタリシヒコは存在してはいけないww
悪い信仰だ、屁垂蛮君wwww

344:日本@名無史さん
21/09/23 19:50:21.22 .net
天智天皇=扶余勇で負けたから、ここでも負けるよwwwww

345:日本@名無史さん
21/09/23 20:45:15.66 .net
>>324
>だから時代を考えて聖徳太子がアメタラナンタラになったんだろ
「時代を考えて」とは誰が?
「聖徳太子がアメタラナンタラになったんだろ」とは投げやりな
アメタリシヒコを認めないと言ってるだな
すでに敗北しているwwwwww

346:日本@名無史さん
21/09/23 20:45:55.93 .net
負ける為に参戦とはバカの極みww

347:日本@名無史さん
21/09/23 21:56:42.22 .net
無知よの~(・∀・)

348:日本@名無史さん
21/09/23 21:58:45.39 .net
天王(天皇)と呼んでいたのは蘇我だけやからな
大王(とおきみ)と呼んだのは物部だアホ(・∀・)

349:日本@名無史さん
21/09/23 22:00:21.33 .net
天智が母親の天皇のまえで蘇我を斬り殺したとき蘇我は天皇~天皇~(>人<;)と泣き叫んでるのや

350:日本@名無史さん
21/09/23 22:01:19.80 .net
だから書いたろ
天王と呼ばれたのは主に渡来人らから天王と呼ばれとる

351:日本@名無史さん
21/09/23 22:03:14.99 .net
その呼�


352:フがそのまま天皇となった 天皇に仕えた豪族連の物部からは大王としか呼ばれとらん



353:日本@名無史さん
21/09/23 22:10:31.15 .net
海外史書との整合性も取らず、書紀の中で夢でも見ておれw

354:日本@名無史さん
21/09/23 22:12:04.09 .net
井の中の屁垂蛮w

355:日本@名無史さん
21/09/23 22:13:40.94 .net
おみゃあ様は法興年号について語らないねw

356:日本@名無史さん
21/09/23 22:15:36.37 .net
東大寺僧はタリシヒコはどれだと聞かれて聖徳太子とは言わんかったぞw

357:日本@名無史さん
21/09/23 22:50:51.84 .net
天を兄とし、日を弟とした。天が明けぬうち出てあぐらをかいて座り政務し、日が出ると政務をやめ弟にゆだねた。隋の高祖は義理がないとしてこれを改めさせたという。
天とは天王のことでは
兄と弟と枝わけするのは北方系の可能性が高いね

358:日本@名無史さん
21/09/23 23:28:41.67 .net
結論が出ないところをほじくるのが好きだねえw

359:日本@名無史さん
21/09/24 04:45:31.86 .net
アメタリシヒコ大王なんておらんがな

360:日本@名無史さん
21/09/24 04:46:21.69 .net
結論はでとるよ
出てないように見えるのは読み取れないからだろおまえがな

361:日本@名無史さん
21/09/24 08:27:28.41 .net
>>343
皇統譜を見直せば?

362:日本@名無史さん
21/09/24 08:29:11.74 .net
>>341
兄弟で分割統治するのは、アマテラスとスサノオ、海幸彦山幸彦など、記紀にも類例が見られますね。
倭国の古い伝統です。

363:日本@名無史さん
21/09/24 08:40:47.25 .net
>>343
お前は中国史書のタリシヒコ大王を認めたら日本史が崩壊するから認められないだけ
タリシヒコに対応する人物は日本の歴史の中で発見されなければならないというのが俺の立ち位置

364:日本@名無史さん
21/09/24 15:30:46.17 .net
聖徳太子=阿毎多利思比孤 という設定が馬鹿ちょん丸出しであって。
阿毎多利思比孤が600年辺りの王であったなら、推古天皇は必要ない。
さらに、用明天皇も同類。 なら、聖徳太子ってなんだよ? 
うその塗り重ね。
蘇我系王朝は、任那割譲の500~百済滅亡の660年 
記紀データだから、だいたいだけど・・・
系譜の諡号で言うなら
継体天皇ー欽明天皇ー敏達天皇ー押坂彦人大兄皇子ー舒明天皇ー天智天皇
の 男子直系で普通に成立する。
600年は、この押坂太子彦が王で聖徳に当たる法隆寺の法皇が居た。
これが、隋唐書に記録されている。
暗殺横行時代なんで、ごたごたはあって、
どうせ、女帝は傀儡や、尊属暗殺を伏せる捏造だろうと・・・

365:日本@名無史さん
21/09/24 17:42:50.91 .net
>>348
中国側は「アハケミ」と読める文字を表した。これは「オオキミ」(=大王)であろう。「大王」は称号と考えられる。
書紀ではオオキミは単なる敬称に使っているので、書紀でオオキミ称号を持つ人物を探しても見当たらない。
ここで、書紀を離れざるを得なくなる。
金石文で「大王」称号を探すと、存在する。
稲荷山鉄剣と江田船山の鉄剣に「大王」が出る。
それと隅田八幡の人物画像鏡にも「大王」称号がでる。
これら大王たちが誰なのかの詮索はしないが、大王系列というものが隠されていることがわかるわけだ。

366:日本@名無史さん
21/09/24 18:19:23.15 .net
アハケミ=オオキミ=大王が称号と考えられる理由
音で中国側が確認したわけだから「アハケミ」と倭国使者が発音したわけだ。
使者が自分の最高位のものを尊称や敬称で呼ぶことははありえない、必ず称号を用いる。

367:日本@名無史さん
21/09/24 18:22:07.59 .net
>>349
ご教示、ありがとうございます。
稲荷山鉄剣と江田船山の鉄剣 の大王は470年辺りの雄略なんで物部の王、
隅田八幡(忍坂)の人物画像鏡は、500年辺りで継体なんで蘇我系だけど、
豪族の本家惣領は、オオキミという事かな?
阿毎多利思比孤=押坂彦人大兄皇子 は、忍坂=隅田八幡、天の香具


368:山方面の宮 天の宮の太子彦 という事で解釈が可能です。



369:日本@名無史さん
21/09/24 19:55:56.48 .net
隅田八幡の人物画像鏡 
に、ついては、どれだけ有るのか知りませんが?
諱に「斯麻」を持つ百済の武寧王が、王子時代の在日時の帰国に際して
日本王に送った、で良いのでは?
百済戦乱期の王子時期は日本に居て、
日本の世継ぎの継体に鏡を贈って帰国した。
武寧王の、帰国後の国交のニュアンスだと、
物部の雄略が、送還してくれた、なのかな?
記紀を信じないと、歴史の話も出来ない、記紀しかない、
500年から700年の方が日本史の空白だろ?

370:日本@名無史さん
21/09/24 20:04:38.73 .net
>>351
大王を称号と考えると金石文に大王がでている。となると、国内で「大王」さまがいたことになる。
記紀にはなぜ大王称号の人物がいないのだろうか?
記紀から抹消されたのか、大王は天皇称号に変えられたのだろうか?
アマタリシヒコ大王が史書に出ないことからすると、天皇称号に変えられたのではなく、むしろ王としては消去されたとかんがえるべきではないか?

371:日本@名無史さん
21/09/24 20:13:41.63 .net
>>352
人物画像鏡の冒頭に「癸未年八月日十大王年」とあります。
この書き方は干支を定め、誰の御代であったかを言ってるわけです。「日十」という大王の御代です。
この御代において、斯摩(武寧王)が男弟王(=継体)に鏡に文言を書き付け送ったのです。
従って、男弟王は日十大王の下にあり、継体は大王ではありません。

372:日本@名無史さん
21/09/24 20:28:20.06 .net
ここで鏡の性質について考えなければなりません。鏡は威信財です。
他国(百済)の王が倭国王を通り越して下位の王に直接鏡を送るなど
倭国王を無視した失礼千万の行為となります。なぜこのようなことができるのでしょう?
しかし、事実はそうであったのですから、
日十倭国王は武寧王の非礼を許さざるを得ない状況であったと考えられるのです。
つまり、日十倭国王は武寧王に頭が上がらない状況であった。

373:日本@名無史さん
21/09/24 20:57:36.49 .net
武寧王の非礼を日十大王が許すのは、形の上でも属国だからです。
宗主国の王が属国の外交権を奪い、直接介入している状況が鏡でうかがえます。
血縁も関係あるでしょうが、血縁だけでは属国には成りえません。
日十大王に武寧王ににぎられた弱みがあったのでしょう。
ここで「鏡」文面を改めて読みますと「長寿を祈る」と言っています。
ある種の脅迫文ではないかと想像できるのです。継体が日十を襲うなら武寧王は容赦しないと。
この解釈なら、日十大王も鏡が自分を通り越して継体に送られたことを容認できます。
継体は相当な実力者であったことが伺えますと同時に日十は弱い大王でもあったと思えます。

374:日本@名無史さん
21/09/24 21:10:29.08 .net
人物画像鏡は503年でこの年日十大王がうまれました。その根拠は
稲荷山の鉄剣から471年の倭国王は獲加多支鹵大王で、
503年は人物画像鏡から日十大王であるから、
502年の武(梁書「高祖卽位(502年),進武號征東將軍」)も大王としてよい。
503年に大王は武から日十大王に交代した。
次に大王争いが日十と継体の間にあって継体がやぶれたと思えます。その根拠は
書紀に書かれているように継体王が捜し求められたのは武に後裔がいなかったからである。
503年、継体王は意柴沙加宮(大和の忍坂宮)で大王が変わる場面に遭遇している。
継体王は北陸から中央政界に出ていたのである(53歳位)。
継体王が淀川水系の王となったのは、507年の樟葉宮(淀川)、511年の筒城宮(木津川)、518年の弟国宮(桂川)から、
人物画像鏡が贈られた後である。継体王は大王が日十大王に代わってから淀川水系の王となった。
これらの状況から、敗れた継体が日十に対して軍�


375:枕s動に出るのを諫めた鏡ではないかと・・・。



376:日本@名無史さん
21/09/24 21:50:32.09 .net
人物画像鏡から継体よりうえに大王がいたことがわかります。
このような継体を天皇に据えるのは大王政権を無視する行為です。
以降の大王も記紀に登場するわけにはいかないのです、系譜が違いますから。
相当苦しいし史実づくりだと思います。

377:日本@名無史さん
21/09/24 22:00:13.70 .net
こういった金石文の解釈を踏まえ、書紀がどのように作られたかを考えつつ、
アメタリシヒコがどのような人物であったかを探る必要があります。
いずれにしても、名前の類似や時代が一致するなどのことなど表面的な事象だけで
歴史を語る軽挙妄動は慎むべきであります。ウヨ諸君!

378:日本@名無史さん
21/09/25 08:26:13.72 .net
>>353
あなた、記紀を読んだことがないのですね。

379:日本@名無史さん
21/09/25 09:04:55.84 .net
どの点をとらえて読んだことがないと仰るのですか

380:日本@名無史さん
21/09/25 09:09:44.11 .net
>>349の繰り返しになりますが、
書紀の中では大王は敬称としてしか使われていないのです。
大王称号の人物を記紀で探すことはできませんからね。

381:日本@名無史さん
21/09/25 09:29:51.31 .net
>>360
そうか、>>349以降の完璧な論理に反論できず、誹謗に頭が走った。
けれど、書紀を詳しく読んでいるかどうかの勝負は論点ずらしw

382:日本@名無史さん
21/09/25 11:00:22.00 .net
なんか香ばしいのはアレだけど・・・
癸未年八月 日十大王年 男弟王 在 意柴沙加宮 時 斯麻 念 長寿
遣 開中費直 穢人 今州利 二人等 取 白上同 二百旱 作 此 竟
この意柴沙加宮 によって、蘇我政権の祖ともいえる継体が押坂の宮にあったことで
押坂彦人大兄皇子=阿毎多利思比孤 天の地に宮を構えた太子彦であることを確信した。
記紀を信じない立場でこれを見れば、継体は蘇我系の皇太子時から奈良に居た。
日十大王はこの時の記紀に無い王であって、
後の百済王 斯麻 は、この日十大王の皇太子ヲホドに賄賂を贈った。
これによって、百済王に即位できたわけで、
百済が日本の一地方領主国であった事実も理解できた。
馬鹿ちょんには無理な、歴史の話をするならば、
これは、磐井の乱の直前の話であって、独立運動中の新羅に対抗する為
百済王属が奈良、押坂=天つ宮の継体に賄賂を贈ったのである。
磐井の乱は、この謀反の主、新羅王が同じく地方領主、
隣の筑紫王を抱き込んだために起きた征伐であって
物部勢力が半島政策失敗で衰退して、蘇我系王朝が始まるという事の証明でもある。
記紀厨は、考古学に触れば、畿内説のように、怪我をするから止めて桶。
馬鹿ちょんが、歴史の話をすると可哀そうで泣けるから口を出すな。
考古学者が漢文読めない?読まないのはかまわないが、記紀に添わせて嘘いうなw
以上である。

383:日本@名無史さん
21/09/25 11:49:01.68 .net
日十大王が記紀に無い王であると認めたな。前進した。
日十が記紀にない王であるのにヲホドがその皇太子であると何故わかったか根拠を述べてほしい。

384:日本@名無史さん
21/09/25 12:23:21.56 .net
ヲホドがその大王の皇太子なのは、ヲホドは即位前の継体の名前であって
記紀が継体を天皇の系図にゴリ押し出来たんだから、逆にあたりまえの事。
万世一系では無いなら
物部の王、大伴の王、蘇我の王・・・
筑紫の王、出雲の王、阿波路の王、近江の王、百済の王、美濃の王・・・
これらは並列してて、日本の各地方領主国の王である。
姫も当然、都に上がらなければならない。
だから、女御更衣あまたさぶらい給いける中での、後宮での勢力争いが有る。
まつりごとにおいては、忙しくて神功皇后が戦争行く暇など有るわけが無いのである。
記紀は、まぬけ。 記紀に無い豪族の大王など、いくらでもいる。
これは、奈良�


385:フ話であるが、313年の漢四郡撤退以降で400~500年の物部系 倭の五王時代は、半島進出が忙しく、まだ都は摂津大阪湾に有った。 また、有力な豪族の姫、女や皇太子、嫡男でもなければ、 ヘタレて外敵の侵攻を内地の宮で避ける必要も無かったので、 ヲホドのいた奈良の奥地、天の香具山方面、押坂は後宮の地であったと考える。



386:日本@名無史さん
21/09/25 12:50:46.63 .net
統合失調症の言うことはすべて脳内事実脳内根拠w

387:日本@名無史さん
21/09/25 13:08:13.50 .net
癸未年八月 日十大王年 男弟王 在 意柴沙加宮 時 斯麻 念 長寿
遣 開中費直 穢人 今州利 二人等 取 白上同 二百旱 作 此 竟
癸未年八月日十大王年、である以上、年号は日十大王のものである。
その大王年号によって、皇太子である継体に取り入って百済の戦況への協力を求めている。
これは漢城を奪われた百済王、王族が日本の王にへつらい後援を求めた事実であって
斯麻は、使いの百済人、今州利を穢人とすら言い、へりくだっている。
君が拾いだしてくれたのは、
白村江後の百済 禰軍 墓誌も出たけど、
于時 日本 餘噍 拠 扶桑 以 逋誅 風谷 遺甿 負 盤桃 而 阻固
日本による古代半島統治の確証になる金石文なんだよ。
涙、拭けよ・・・

388:日本@名無史さん
21/09/25 13:32:10.53 .net
穢人は韓穢多

389:日本@名無史さん
21/09/25 13:39:40.49 .net
統合失調症にささげる5チャンネルかなw
精神病の思考の記録が残るだけwwwwww

390:日本@名無史さん
21/09/26 21:34:14.91 .net
そりゃてめえが病気なんだわ(・∀・)

391:日本@名無史さん
21/09/26 21:37:13.64 .net
万世一系唱えたのは北畠だからな~
しかも仏教から繋がるような言い回ししとる
仏教徒だったんかな?

392:日本@名無史さん
21/09/26 22:14:31.37 .net
お久しぶり、統合失調症のご同類様w
>>349以降はまだ冷めてないよ。ご感想をどうぞ

393:日本@名無史さん
21/09/26 22:22:22.15 .net
>>349以降、お前は逃げた。敗北だ。敗北が嫌なら、反論せよ。

394:日本@名無史さん
21/09/26 22:26:23.40 .net
>アメタリシヒコ大王なんておらんがな
に対して丁寧な説明をしたが、反論がないのは納得したんだなw

395:日本@名無史さん
21/09/26 22:30:21.11 .net
ほとぼりが冷めた頃に素知らぬ顔で出てくるウヨは卑怯な統合失調症w

396:日本@名無史さん
21/09/26 22:56:11.51 .net
万世一系が北畠の創作なら、万世一系でないと認めたんだな。
アメタリシヒコは存在したんだな。
存在した大王を書紀は王として記さなかったんだな。

397:日本@名無史さん
21/09/27 15:16:25.68 .net
大王はオホド大王だよ

398:日本@名無史さん
21/09/27 15:58:01.57 .net
>>377
>存在した大王を書紀は王として記さなかったんだな。
正解だと思う。
書かれていない大王は何人もいそうだ。

399:日本@名無史さん
21/09/27 18:14:04.57 .net
人物画像鏡では日十大王のもとの男弟王は大王ではないが、オホドをなぜ大王と懲りずに言うのか?

400:日本@名無史さん
21/09/27 18:32:14.66 .net
あ~、河内直出てくるね~
阿直岐(東漢氏)のこったよ

401:日本@名無史さん
21/09/27 18:32:55.99 .net
へ~、穢人も来てたんか~

402:日本@名無史さん
21/09/27 18:44:27.46 .net
斯麻 は百済皇太子で、日本に有る時、
奈良で、後の継体天皇ヲホドに賄賂を贈った。
で、任那四郡を得て、百済復興に成功した。
継体が奈良に居たんだから記紀は、嘘を書いている。
しかし、百済王という王号は、筑紫の君同様、日本の一地方領主の証で行かない。
これが、日本の朝廷の歴史である。

403:日本@名無史さん
21/09/27 19:31:28.73 .net
>>383
統合失調症を治してから参加するように要請する
斯麻が日本にいたという事実は書紀以外にあるか知らない。
武寧王は502年に百済王になっている。
503年は百済王であるので威信財の鏡を送った。
任那四郡の扱いは倭国王の主権であり、            
奈良に出てきた越前王の継体が処分する権限を持つことはない。

404:日本@名無史さん
21/09/27 21:33:19.45 .net
百済は自ら扶余族出身と記録残しておるからの

405:日本@名無史さん
21/09/27 21:34:02.18 .net
扶余は匈奴の一部族だったやつらや

406:日本@名無史さん
21/09/28 15:20:31.8


407:4 .net



408:日本@名無史さん
21/09/28 15:28:08.03 .net
日本の地方領主国、百済と日本に国境は無かった、と言ってるのであって
斯麻その他の皇太子にしても、人質などではなく政務で奈良と百済を往来している。
遣 開中費直 これは、百済王室に派遣された日本氏族の政務官だろが。 
斯麻に至っては、意味不明の、日本生まれだしw 
日本国籍が出生で取れたかwww
記紀厨ではない立場なので、503年の日十大王は、倭王武である。
百済目線から言うと禰軍 墓誌同様に、単に宗主国の日本大王の意かも知れない。
新羅の独立運動対応に失敗して、王権は物部系から蘇我系に移る。
記紀は、これを消す工作で継体の出自を偽っている。
つまり、日十大王は物部、男弟王は蘇我である。
記紀厨でも馬鹿ちょんでも無いなら、
百済王も筑紫王も出雲王も全部日本の王で、何が都合悪い?
百済王斯麻 は、そもそも奈良の後宮に居た次の蘇我の大王継体に
人物画像鏡を贈る事によって、新羅高句麗戦の後援と任那割譲への道をつけた。
後の歴史で、明瞭な史事である。

409:日本@名無史さん
21/09/28 17:30:34.35 .net
>>388 統合失調症を治す方が先だと思う
>百済と日本に国境は無かった、
百済国と属国倭の間に国境はないかもしれない
>遣 開中費直 これは、百済王室に派遣された日本氏族の政務官だ 
鏡の文の構成から開中費直は百済人
>503年の日十大王は、倭王武である。
継体王が探し求められた挿話から日十大王は武ではないだろう。
>百済目線から言うと禰軍 墓誌同様に、単に宗主国の日本大王の意かも知れない。
日十を日本と読むのは知能が低い。日十は昆支王の可能性が高い。昆支王は477年に死亡したとされるが、軍君(=昆支王)が来ており(雄略紀)、昆支王を祭神とする飛鳥戸神社がある。木刕満致は半島での行跡が途絶え、蘇我満智が倭国に現れる(475年ころ)。これが木刕満致。昆支王と木刕満致(=蘇我満智)の百済王族貴族ペアが河内にできあがる(477年ころ)。100年後は、アマタリシヒコ大王(=聖徳太子)・蘇我馬子ペア。王と支える貴族の関係は不滅であるから、アマタリシヒコ大王は昆支王系、日十大王も昆支王系。
>百済王も筑紫王も出雲王も全部日本の王で、何が都合悪い?
都合ではなく真実を求めている。
>百済王斯麻 は、そもそも奈良の後宮に居た次の蘇我の大王継体に
人物画像鏡を贈る事によって、新羅高句麗戦の後援と任那割譲への道をつけた。
継体が大王である根拠は?

410:日本@名無史さん
21/09/28 17:44:17.51 .net
大丈夫か?

411:日本@名無史さん
21/09/28 18:04:26.71 .net
感じ入ったようだなw

412:日本@名無史さん
21/09/28 18:27:16.68 .net
>百済と日本に国境は無かった、
倭と地方領主国の間に国境はない
>遣 開中費直 これは、百済王室に派遣された日本氏族の政務官だ 
開中費は知らんし、誰の名でも良いけど、直は日本の姓で、王族に会うには仲介人
>503年の日十大王は、倭王武である。
継体王が探し求められた挿話は記紀ファンタジーで 
503年倭王武は中国史書の記録
>百済目線から言うと禰軍 墓誌同様に、単に宗主国の日本大王の意かも知れない。
実は人物画像鏡の検証はしていないが、禰軍 墓誌の日本の本は傘に十だったかと?
>継体が大王である根拠は?
記紀の話だが、天皇の諡号で継体の名前が、ヲホドだから
乎弟は、百済王なら知っていたであろう継体天皇の生前の名前だろ?
↑大丈夫か? の人が、キムチ脳の蛆を心配して、言ってる意味の詳細 多分だけど?
人物画像鏡って、白上同 二百旱 作 此 竟  だけど、いくつあるんだろう?

413:日本@名無史さん
21/09/28 18:45:48.63 .net
梁書「高祖卽位(502年),進武號征東將軍」はみるが、
中国史書に503年の武の記録は何処に?

414:日本@名無史さん
21/09/28 18:52:53.79 .net
文字を合成する黙示を古代人がしたw

415:日本@名無史さん
21/09/28 19:07:31.48 .net
人物画像鏡が、癸未年 八月 日十大王年 (百済王は倭王を年号に使う。)
で、503年なら、継体は倭王武の次で、普通に奈良の後宮から出てるだろ?
隙間の数年に誰か立っても、任那との百済史とは、あまり関係ない。
金石文によって、記紀は?(記紀から作った百済記も)修正されなければならない。
古代史の事実は、ほぼ明らかなんだが? 
高祖卽位(502年),進武號征東將軍 が読めたなら
なんで、知らんの?
古代漢文は、写真で訳を見ないか(疑いつつ)読んだ方が良いよ。
記紀は固有名詞も万葉化しつつあって、実はちゃんと漢字で読めないから嫌いw
句読点の有る、現代中国語のやつは、便利だが、全く表意文字の漢文とは言えない。

416:日本@名無史さん
21/09/28 19:39:24.53 .net
統合失調症を相手にするのは大変だ。文章が解らないので苦労する。
>人物画像鏡が、癸未年 八月 日十大王年 (百済王は倭王を年号に使う。)
で、503年なら、継体は倭王武の次で、普通に奈良の後宮から出てるだろ?
隙間の数年に誰か立っても、任那との百済史とは、あまり関係ない。
誰かこの文章を訳してほしいw
>金石文によって、記紀は?(記紀から作った百済記も)修正されなければならない。
古代史の事実は、ほぼ明らかなんだが? 
記紀は修正すべきだと言ってるのかねw
>高祖卽位(502年),進武號征東將軍 が読めたなら
なんで、知らんの?
中国史書は503年のことは書いてないがと言ってるのだが(統失は細かい違いが解らない)w
>古代漢文は、写真で訳を見ないか(疑いつつ)読んだ方が良いよ。
記紀は固有名詞も万葉化しつつあって、実はちゃんと漢字で読めないから嫌いw
句読点の有る、現代中国語のやつは、便利だが、全く表意文字の漢文とは言えない。
好きっとか、嫌いっとかいわれてもなw

417:日本@名無史さん
21/09/28 20:01:32.59 .net
理解できない理由は判るんだよ。
君たちが、可哀そうで泣ける。 同情する。
でも、歴史は科学や事実の積み重ねであって、
脳内ファンタジーで作れる正義や認識とは別の話なんだよ。
声闘というのは、子供が言い張るのと同じでしか無いから、
たぶん、一言一句も、判らないんだと思うよ。

418:日本@名無史さん
21/09/28 20:31:41.84 .net
君はえらいんだねw

419:日本@名無史さん
21/09/28 20:32:42.81 .net
偉い人は庶民にわかるように解説することもできるよねw

420:日本@名無史さん
21/09/28 20:34:24.84 .net
はやく病気を成すことだわ

421:日本@名無史さん
21/09/28 21:06:36.17 .net
日十大王を合成して日本王と読むと503年時点で「日本」が存在することになる。
502と503を同一視するとか、200年後の禰軍墓誌をもってくるとか、
この統合失調症さんは、時間の観念がないんだね。
時間間隔障害を重点的に治療してもらうといいよwwww

422:日本@名無史さん
21/09/29 10:07:47.97 .net
ご指導に感謝する。 馬鹿ちょんなどと言った非礼は詫びる。
ただ、ちょん君先生の発想法や認識が馬鹿に見えただけの事で他意は無い。
画像鏡の写真画像も参照してみたが
おかげで、七支刀、人物画像鏡、禰軍墓誌等、多数の疑問も解決した。
癸未年八月 日十大王年 男弟王 在 意柴沙加宮 時 斯麻 念 長寿
遣 開中費直 穢人 今州利 二人等 取 白上同 二百旱 作 此 竟
意訳
>日十大王年男弟王=日本の大王がオホド王の(になった)年 
*ご指導の通りで、大王は一人です。
在 意柴沙加宮 時 斯麻 念 長寿 ー遣使、後記ー 取 白上同 二百旱 作 此 竟
押坂宮に王宮を定めたと知り、斯麻は大王の世の長寿を念じ、上質の銅二百旱でこの鏡を作り
*斯麻は日本で生まれた百済王で、日本の地方領主であって臣下。
 王子を身ごもった母が日本に送られるのは謎だが、百済人は日本生まれの親日である
 ことが自慢になるらしいが。 神功皇后が三韓征伐に行くより、トンチキな話。
*百済人は列島を日の下と言っていた。下の卑字、を避け十とした。
*これは、日本名称の語源であるが、百済や中国から見た場合が
 太陽が出る国であって、日本からだと太陽は海から上がる。
>遣 開中費直 穢人 今州利 二人等=使者二人に託し、奉納いたします。
*開中 費 直、開中は百済王室に派遣された官吏の役職名、名は費、かばねが直。
 百済人だけの使者で、禁中に上がることをためらい、日本の官僚を仲介した。
*今州利は、百済人だが、穢人とへりくだっている。
先生のレスは、何行も読めていませんが、完全解決です。
なので、話は通じないと思いますが、ありがとうございました。

423:日本@名無史さん
21/09/29 11:13:47.32 .net
時間感覚障害君、病気を治せ!
鏡には「日本」などとどこにも書いてないが・・・・
 

424:日本@名無史さん
21/09/29 12:47:41.24 .net
こうして402は落ちてゆくのか、統合失調


425:の上、引きこもり症状も見られるからしかたないな。



426:日本@名無史さん
21/09/29 20:28:55.62 .net
>>402
自分の見解は間違っていても信じると言ってるんだから敗北だね。これが日本人さwwww

427:日本@名無史さん
21/09/30 10:59:43.31 .net
結論は503年当時大王が一人いた。
かつ称号としての大王は記紀に書かれていない。
それは何故なのか?

428:日本@名無史さん
21/09/30 11:09:13.17 .net
金石文の解明については、百済=日本の地方領主説で解決する。
では、人物画像鏡から、>>402
癸未年八月 日十大王年男弟王 在 意柴沙加宮 時 斯麻 念 長寿
遣 開中費直 穢人 今州利 二人等 取 白上同 二百旱 作 此 竟
これ及び宋書、によって、日本王朝は、
502年、倭王武=ワカタケル王=諡号雄略天皇。
503年 ヲホド王=諡号継体天皇
で、王位継承が成立していることになる。
つまり、雄略~継体即位間の、記紀の記述は物語でしかない。
同様に応仁以前の神話は無理筋だが、嫡男直系の皇室で可能性のある系譜では、
ー応仁ー仁徳ー允恭ー雄略ー継体ー欽明ー敏達ー押坂彦人ー舒明ー天智ー(天武)
である。 
雄略ー継体で、物部蘇我の交替が有るが、所詮は後宮での話である。
同様に兄弟継承についても、争いが絶えない事実は記紀が参考にはなるw
そこで、もう一度整理するならば
本スレ、阿毎多利思比孤=聖徳太子は、没論で
阿毎多利思比孤=押坂彦人大兄論 の存在によって、
記紀の用明、推古、聖徳、崇峻の系統は無用な装飾物語となる。
記紀は修正成長させなければ、日本の古代史の復活は無い。

429:日本@名無史さん
21/09/30 12:01:24.18 .net
癸未年日十大王年の訳は?

430:日本@名無史さん
21/09/30 22:41:04.88 .net
また、時間感覚障害がみられるなwww
投降をやめると言ってやめられないのも統合失調症wwww

431:日本@名無史さん
21/10/01 01:32:03.91 .net
統合失調症よ、威信財は上位から下位に送るw

432:日本@名無史さん
21/10/01 07:48:24.78 .net
<ヽ`∀´>本蕃百済は西皇帝と東天皇の板挟みニダ。

433:日本@名無史さん
21/10/01 10:39:25.92 .net
武寧王は中国皇帝には遣使するが、倭国には威信財を送るwwwww
七支刀もそうだった。
中国から拝領して、そのコピーを倭国に送り、倭国はありがたがって神社にたてまつったwwww

434:日本@名無史さん
21/10/01 12:27:47.75 .net
七支刀銘文
(表)泰和四年五月十六日丙午正陽 造百練鋼 七支刀 㠯辟百兵 宜供供侯王 永年大吉祥
(裏)先世以来 未有此刀 百濟王世子奇生 聖帝 故為 倭王 旨造傳示 後世
表は晋で書かれている。 供供侯王は、百済近肖古王、余句である。
朝貢によって百済候となったから晋帝は百済王を侯王と呼んだのである。
この侯王というのは百済王しかない。
名前の字がおかしいのは百済音の漢字変換だからである。
この時、晋王は漢時を伝えるための博士を送っている。
裏は百済で書かれた。 聖帝は370年諡号仁徳の在位当時での称号である。
百済王が世子を倭王に委ねるのに際して、
晋王から下寵された刀の由来を示し忠誠の証として献上している。
和音、ひじりのみことに、聖帝の字を当てたのは、
百済王を日本の帝の下位に置くための謙譲である。
だから、百済が日本の一領主国であったことで、
金石文は解明できたと言っているのである。
ちゃんと読めば370年の百済の朝貢が傀儡建国だったことが判る。
>倭国はありがたがって神社にたてまつったwwww
仁徳から雄略は物部の王であって、七支刀を物部の氏神、
石上神宮に保存して、蘇我の王には伝えなかった。

435:日本@名無史さん
21/10/01 17:18:43.81 .net
一つづつ片付ける。人物画像鏡について
>金石文の解明については、百済=日本の地方領主説で解決する。
下位の位の者が威信財を上位の者に送り、言葉を添えるのは不遜である。このような例を他にあれば示してほしい。 <


436:br> >これ及び宋書、によって、日本王朝は、 502年、倭王武=ワカタケル王=諡号雄略天皇。 503年 ヲホド王=諡号継体天皇 で、王位継承が成立していることになる。 502年は梁書によって倭王は武であるが、武がワカタケル王であり、雄略天皇(まだ天皇称号はないが)である証拠を示してほしい。 503年は日十大王と書かれているにもかかわらず、ヲホド王とする根拠を示してほしい。



437:日本@名無史さん
21/10/01 19:27:22.49 .net
歴史認識がおかしいか、勉強不足か知らんけど
何言ってるか判ってない、教えて君とは話にならない。
当分、ロムってなさい。

438:日本@名無史さん
21/10/01 21:16:32.76 .net
私はトピ主ですからね、はき違えないように・・・。日本人も落ちたものだ。
>百済=日本の地方領主説で解決する
は自分自身で説だと言ってますね。地方領主と見れば何が解決するのか知りませんけれど。
地方領主なら、王より下位の者です。下位の者が威信財を上位の者に送り、言葉を添えるのは不遜です。でしょう?。
不遜でないのなら、このような例を他に示してほしいといってるわけで、答えられないのは、武寧王は下位じゃないのですよ。
地方領主説は間違っているのですよ。

439:日本@名無史さん
21/10/01 21:21:56.30 .net
再び問います
>これ及び宋書、によって、日本王朝は、
502年、倭王武=ワカタケル王=諡号雄略天皇。
503年 ヲホド王=諡号継体天皇
で、王位継承が成立していることになる。
XX年日十大王年男弟王在XXで日十大王と男弟王は別人物であることは誰でもわかります。
日十大王を放置してなぜ王位継承したと言えるのですか?統合失調症を感じます。

440:日本@名無史さん
21/10/01 21:26:27.46 .net
おめえの願望を書いても取り合うやつなんぞいねえだろ

441:日本@名無史さん
21/10/01 21:56:48.47 .net
日十大王を解決してからものを言うのが筋だろうw

442:日本@名無史さん
21/10/01 22:45:33.90 .net
>>418
他のスレで取り合ってもらえないからここでなwww

443:日本@名無史さん
21/10/02 18:35:13.78 .net
何が威信材だよ? 
七支刀
(表)泰和四年五月十六日丙午正陽 造百練鋼 七支刀 ?辟百兵 宜供供侯王 永年大吉祥
七支刀の表は、皇帝が百済王の朝貢で、百済王を臣下の百済候に任命した文面。
(裏)先世以来 未有此刀 百濟王世子奇生 聖帝 故為 倭王 旨造傳示 後世
裏は、この経緯を、倭王に説明して、王子を人質に出してまで忠誠を誓ってるだろ?
世子を預けた百済王が、百済王の倭王への忠誠を、諡号仁徳天皇、聖帝に、後世にも伝えてください、
って言ってんだよ。
人物画像鏡
癸未年八月 日十大王年 男弟王 在 意柴沙加宮 時 斯麻 念 長寿
遣 開中費直 穢人 今州利 二人等 取 白上同 二百旱 作 此 竟
百済王が日本の年号が男弟王になって押坂への遷宮のお祝いの品と言っている。
自分を 日本生まれの斯麻 と言い、自国の使者を穢人 今州利と言っている。
どこが、威信材だよ? 
数が多そうな画像鏡はともかく
日本の大王が、墓に持ってくかよ?
 
言ってることは理解できないし、漢字も読めないんだろ?
まず、読めるようになってから、なぜ判らなかったかを、反省しなさい。
質問は、それからにしてネ。

444:日本@名無史さん
21/10/02 19:25:57.65 .net
はあ?、威信財をまだ理解していないのかいw

445:日本@名無史さん
21/10/02 19:34:44.37 .net
すいません。 421のは >>416 屁のレスです。
スレの師匠のようですが、
残念ながら今のところ話は通じません。
記紀厨の回避で話が通じた気がしたけど
朝鮮史は、記紀からうまれたんですか?
もちろん、スレ主のチョン君先生のおかげで、
人物画像鏡や百済墓誌を学びました。 大師匠です
スレ主ではない、レスに真実が有り、投稿してますが?
日本の古代史に係わる諸先生は
学生論文のソースには、難ありですがw
てか、どうも、チョン君先生のスレですが、?
 
高校生ですが、全ては、ここで学んだことです。
チラシの裏で使わせてくださいください。
ご教示、ご鞭撻を、よろしくお願い申し上げます。

446:日本@名無史さん
21/10/02 19:47:04.90 .net
病がひどくなったようだな!
病をひどくしないためには、レスは短く、関連することを書かないことだな。

447:日本@名無史さん
21/10/02 22:02:52.58 .net
チョーセンの威信財はウンコニダ
数えきれないウンコを異民族に配ったニダ

448:日本@名無史さん
21/10/02 22:45:29.02 .net
平安貴族の樋箱の中身は威信財w

449:日本@名無史さん
21/10/04 20:43:09.11 .net
じゃあ、盛り上がらないんで半島の話にしようか?
七支刀の銘文が、百済建国の経緯だという事が判らないなら、話は通じないよ。
370年、七支刀銘文
(表)泰和四年五月十六日丙午正陽 造百練鋼 七支刀 㠯辟百兵 宜供供侯王 永年大吉祥
(裏)先世以来 未有此刀 百濟王世子奇生 聖帝 故為 倭王 旨造傳示 後世
で、人物画像鏡が503年。
人物画像鏡
癸未年八月 日十大王年 男弟王 在 意柴沙加宮 時 斯麻 念 長寿
遣 開中費直 穢人 今州利 二人等 取 白上同 二百旱 作 此 竟
両方


450:とも、百済王が日本王に上納した献上品の銘文だろ? 威信材? 何を言いたいのか?  古代漢文には、日本語訳は要らない。 人物画像鏡 癸未年八月 日十大王年 男弟王 在 意柴沙加宮 時 斯麻 念 長寿 遣 開中費直 穢人 今州利 二人等 取 白上同 二百旱 作 此 竟 百済王は、269年? とか 270? 泰和年間か、次に朝貢した。 返礼で七支刀が来たので、仁徳天皇への忠誠を誓い、 晋帝からの、下寵の七支刀の由来を伝え王子を差し出した。 他に有るか?  これが、宜供供侯王 による百済建国の由来である。 313年までは、漢四郡があって半島には王は居ない。 漢四郡の中に有った、濊百は、漢四郡撤退後は、南部韓の先進国。 246年に滅びた韓では、313年以降で、 韓王は漢四郡から帰った先進文明の、濊百の王に変わったんだろ? これが、謎の読めない、百済という国名の由来だろ? まあ、確かに、久多良ね~なwww



451:日本@名無史さん
21/10/04 20:45:15.07 .net
そして誰もいなくなった

452:日本@名無史さん
21/10/04 20:52:20.53 .net
スレチ

453:日本@名無史さん
21/10/05 16:15:43.11 .net
聖帝って呼ばれたの仁徳天皇じゃん
応神天皇のあとに天皇についたとされる伝説の天皇や

454:日本@名無史さん
21/10/05 16:16:48.27 .net
聖帝の時代に大坂平野の開墾や川の治水工事が行われて人が住めるようになったらしいからな

455:日本@名無史さん
21/10/05 16:18:54.18 .net
そのまんまじゃ誰も住めないんだよ

456:日本@名無史さん
21/10/05 21:31:12.90 .net
うっそうと茂る樹木を切り倒し、沼地を排水し、堀を作り、川の流れを変える。
こうして、耕地を作るのだが大事業だが、鉄器がなけりゃできない。
鉄を扱う奴が侵入した。

457:日本@名無史さん
21/10/05 23:38:33.40 .net
アホか

458:日本@名無史さん
21/10/06 16:34:54.11 .net
>>430
何をもって伝説と呼ぶのか。
記紀が全て伝説扱いなら、聖徳太子も伝説か?
まあ、それならそれで一貫しているが、一部だけ取り出して伝説呼ばわりするのはおかしいぞ?

459:日本@名無史さん
21/10/06 16:40:52.20 .net
鉄器は誰かが技術を持ち込まない限り存在しない。
だが、それは仁徳天皇の時代ではなく、もっと前だ。
畿内に王国を建設したのは饒速日だし、その下で実際に開拓をしたのは三島溝杭耳らだ。
少なくともその頃には畿内に鉄器が持ち込まれたのだろう。
だたし開拓の中心は瀬戸内海の海運に有利な大阪湾や淀川沿いであっただろう。
摂津三島神社や京都の賀茂神社は三島溝杭耳(鴨族)の足跡に他ならない。

460:日本@名無史さん
21/10/06 18:00:59.83 .net
古墳上は鉄器は4世紀後半だから、倭の五王の時代に鉄器が入ったと考えられ、
大阪平野の開拓は倭の五王だと思う

461:日本@名無史さん
21/10/07 11:44:41.73 .net
反論なし?

462:日本@名無史さん
21/10/07 13:01:56.03 .net
>>437
古墳以外から鉄器が出ていたはずだが?

463:日本@名無史さん
21/10/07 13:13:23.64 .net
その鉄器の農耕具は何時頃のものか?
大阪の堀江の掘削(河内湖の排水)は考古学的には何時なのか?

464:日本@名無史さん
21/10/07 18:01:23.05 .net
鉄器が伝わったのは弥生時代だよ

465:日本@名無史さん
21/10/07 18:21:00.15 .net
盛り上がってるなw
倭人伝では、日本に馬が無い。
鉄器も国内生産はほぼ無い。
でも、同時代の、馬韓辰韓にはほぼ無い。
つまり、公孫氏までの漢四郡以南に
中国文化は伝わっていなかったのである。
高句麗、扶余は、濊百以降の中国国司を、迎え入れた国家だが、
韓が、王朝を廃止されたのは246年である。
この後に、百済は、晋への朝貢で建国したわけだが?
神話ではない、歴史は必要なのかな?
日本人は、韓国人の歴史が、カワイソすぎて、
言いたくないと思うぞ。

466:日本@名無史さん
21/10/07 18:23:23.03 .net
大規模な灌漑に鉄は必要条件に過ぎない。
堀江の掘削は労働力の統�


467:ヲ力が必要だ。 測量や計画性もなければならない。 4世紀後半の古墳に鉄テイという威信財が大量にでる古墳が大阪付近にある。 その他の地方ではほとんど出ない。 これは鉄を管理して国を率いた王がいたということだ。 こういう王なら堀江の掘削もできようと思うのだが・・・ 堀江の掘削は考古学的には何時なのだ。



468:日本@名無史さん
21/10/07 18:34:57.31 .net
その前に日本が欲しかった馬は、どうして日本に来たかな?
運べる方法や船を作ったのは、どっち?

469:日本@名無史さん
21/10/07 19:33:36.10 .net
それがなにか?

470:日本@名無史さん
21/10/07 19:38:20.58 .net
泳いできたんじゃね?
馬も泳げるんやぞ

471:日本@名無史さん
21/10/07 19:39:44.86 .net
動物らが海を泳いでくる光景はよく見るからの
大量のイノシシの渡海もあるんやで

472:日本@名無史さん
21/10/09 20:08:18.34 .net
聖徳太子=阿毎多利思比孤でいいんだなwww

473:日本@名無史さん
21/10/09 20:12:57.73 .net
>>443
古墳の中だけに限定してなにがしたいの?
大規模な鉄工房遺跡が各地で見つかってるでしょうに

474:日本@名無史さん
21/10/09 20:44:01.52 .net
鉄の技術が古くからあるが、
大阪平野など灌漑がいつ行われたかを知りたいのだが。

475:日本@名無史さん
21/10/09 20:54:22.98 .net
>>448
阿毎多利思比孤という日本語の実在人物を後世に命名して、
おとぎ話で物語にしたモモタロウやかぐや姫等と同一視するのは、
ウリナラファンタジ―的で、今どきの日本古代史業界では歓迎されない。

476:日本@名無史さん
21/10/09 21:15:09.38 .net
統失ですか?

477:日本@名無史さん
21/10/10 10:17:12.75 .net
記紀にタラシヒコ系の諡号の天皇はたくさんいるのに、そうではない聖徳太子にこじつけるのは意味不明。

478:日本@名無史さん
21/10/10 11:42:20.12 .net
以下を読んだら意味不明で無くなりますが、ちょっとおたくの知能では無理ですかね?
URLリンク(sites.google.com)

479:日本@名無史さん
21/10/11 19:50:07.94 .net
堀江の掘削の時期について、考古学が、まさか、書紀に書いてあるからと、
その天皇の算出される在任期間を参考にするということはないだろうねw

480:日本@名無史さん
21/10/12 00:21:42.17 .net
文献に書かれとることではっきりした遺物がでとるの飛鳥宮だけだっけ?

481:日本@名無史さん
21/10/12 17:38:12.38 .net
どれが何宮かどうしてわかるんですか?もし書いた物でも出なければ適当でしょう。
書紀が作りものである以上、出てくる書いた物の全公開は恐怖じゃないですか?w

482:日本@名無史さん
21/10/12 18:13:58.53 .net
不思議な力のおかげだよ

483:日本@名無史さん
21/10/19 11:38:47.50 .net
聖徳太子=タリシヒコ
太子は王を継ぐ人の意味だから、それで終わったと印象操作している書紀。
書紀って印象操作なんだよね。
そういう意味ではウヨの言葉は真実でなく主張だから印象操作中心なんだよね。
見透かされば、敗退せざるを得ないのだがwwww

484:日本@名無史さん
21/10/19 15:08:10.84 .net
上宮太子でしょ

485:日本@名無史さん
21/10/19 17:57:28.99 .net
上宮法皇は金石文にあるが、上宮太子は何処に書かれていますか?

486:日本@名無史さん
21/10/20 04:28:06.65 .net
でたらめ創作しすぎ

487:日本@名無史さん
21/10/20 08:32:57.85 .net
誹謗だけでどこがでたらめか指摘しないと議論にならないじゃないか

488:日本@名無史さん
21/10/20 20:05:13.71 .net
>>461
故稱其名謂上宮廐戸豊聰耳太子
日本書紀

489:日本@名無史さん
21/10/20 22:47:00.44 .net
日本書紀は金石文じゃないから、参考意見だな。

490:日本@名無史さん
21/10/21 13:14:44.49 .net
法皇は政治家の最高位のものが出家した時の称号であることは
当時も変わらないだろう。
厩戸の皇子あたりの分際で�


491:@皇は無理がある。 法王帝切は親と嫁を同一視することから始めたが破綻した。 逆に上宮法皇≠厩戸が確定した、私的にはw



492:日本@名無史さん
21/10/21 20:11:42.52 .net
上宮法皇≠厩戸で話を進めよう。

493:日本@名無史さん
21/10/21 20:54:25.46 .net
そもそも上宮とはどういう意味?
それも固有名詞ではないのでは?

494:日本@名無史さん
21/10/21 21:17:46.05 .net
固有名詞かどうかは解らない。ただ、母親、妻の名があるのだから個人を特定している。

495:日本@名無史さん
21/10/22 06:51:34.82 .net
>>468
上殿
宮の建物の一つの名称

496:日本@名無史さん
21/10/22 08:50:05.10 .net
上殿がどうかしました?上宮のままじゃ思考ができないのですか?
「上宮法皇≠厩戸」に影響しますか?

497:日本@名無史さん
21/10/22 09:01:22.65 .net
思考力がない人は、名前や姻戚関係に興味を持っておぼれてゆくのですw
あなたの場合は上殿があるから上宮=上殿と決めつけて、上殿から解釈をしようとしていますね。
しかし上宮=上殿はあなたの想像ですよね。
知っている上殿を根拠にしようとしています。これでは新しい発見は出来ません。
あなたの頭の中にあるものに脈絡付けるだけでしかないことが、すでに読み取れます。
バカです。

498:日本@名無史さん
21/10/22 13:47:24.37 .net
>>470
父天皇愛之令居宮南上殿、故稱其名謂上宮廐戸豊聰耳太子。
上殿から名前をとって上宮だとさ

499:日本@名無史さん
21/10/22 17:52:43.94 .net
書紀には嘘が書かれていることが「天智天皇=扶余勇 Part4」で実証された。
そのようなものを一義の根拠に研究すれば間違うもと。あくまで参考。
お前さんは書紀を知っているから「上宮」が固有名詞か普通名詞かと言い始めたのだ。
「天智天皇=扶余勇」では国家の根幹となる事象が隠されていたことが露呈した。
上宮法皇だってそういうことがあるかもしれないから、書紀から入ってはだめなんだ。

500:日本@名無史さん
21/10/22 18:48:46.32 .net
>>474
日本書紀のすべてが正しいなんて誰も思っちゃいないが、都合よく間違いだと言うなら根拠を示せばいいよ

501:日本@名無史さん
21/10/22 19:22:54.86 .net
>>473


502:日本@名無史さん
21/10/22 19:48:50.33 .net
隋書に有るように、この時、二人の王が立っていたと見るべき。
上宮法皇と倭王、阿毎多利思比孤は、同じ後宮から出た兄弟である。
上宮法皇=聖徳である可能性が高いが、であれば
阿毎多利思比孤=押坂大兄の太子彦である。
記紀は日本神道、万世一系の王朝の為のバイブルであるから
日本に法皇が立った歴史は残せなかったのである。
伊勢を親とする各地領主の神々は、その氏神社に仏教寺院を持てばよい。
これが、古墳時代以降の仏教である。
推古含む女帝はすべて記紀の目くらましでの傀儡であって
蘇我系王朝は、継体-欣明-敏達-押坂彦人大兄-舒明-天智-天武 である。
天智は、押坂彦人大兄が皇祖だと断言している。
記紀は、修正されねばならない。

503:日本@名無史さん
21/10/22 20:56:05.59 .net
>>475
そう、誰も思っちゃいない。
けれど、書紀から始めたら、何時書紀から抜け出るんだい?

504:日本@名無史さん
21/10/22 20:59:18.59 .net
書紀が間違っていると、書紀から初めてどうしてできるんだい?
君は既に上宮を上殿と言い始めたじゃないか、知っているのを自慢のように。
>都合よく間違いだと言うなら根拠を示せばいいよ
この君の言葉は既に書記側に建ってしまっているじゃないか?

505:日本@名無史さん
21/10/22 21:00:53.91 .net
書紀が間違っている証拠は書紀にではなく、外にあるんだよ!

506:日本@名無史さん
21/10/22 21:02:30.86 .net
>>477は統失の発言記録を精神病医のために残しているのか?

507:日本@名無史さん
21/10/22 22:55:02.42 .net
書紀以外で聖徳太子に関連する文字史料は案外多いが、
聖徳太子死後、ずいぶん時間の経ったものや、
コピー(再作成)されたりしていて、信用できるものとなると限られてくる。

508:日本@名無史さん
21/10/23 09:13:47.45 .net
>>477
ちょっと弱い説だな。
法皇だけ隠せばいい。


509:阿毎多利思比孤=押坂彦人大兄を女帝をでっち上げてまで 隠す理由がない。これは、忍坂が即位したと言ってるの? 〉天智は、押坂彦人大兄が皇祖だと断言している。 確かに強大な権力がうかがえるが「皇祖大兄」だろ?即位はしてないと見るべきでは? 結果的に次代に連なる天皇たちの祖の位置になっただけでは?



510:日本@名無史さん
21/10/23 09:15:41.65 .net
たとえば、丈六光銘はコピー(再作成したもの)だ。原典はない。
銘文は矩形に収めるルールがあるが、丈六光銘コピーはそうでない。
だから、元の丈六光銘とは内容が異なるあやしさがのこっている。
コピーでは天皇名で時代を表しているが、天皇称号は天武以降ということは確定しており、明らかに改ざんされている。
その他の銘文も、必ず、天皇名が入っており、時代的にありえない。歴史そのものを改ざんしているのである。
その意味では、法隆寺釈迦三尊像光背銘は現物が残っていて、金石文である。
釈迦三尊像光背銘と他のコピーが矛盾するなら、釈迦三尊像光背銘を取らざるを得ない。

511:日本@名無史さん
21/10/23 09:37:14.16 .net
>>478
抜け出ることが妥当だと証明できれば、いつでも抜け出せばいいと思うよ
空想を積み重ねるのは思考ゲームとしては面白いけど、ただそれだけの不毛なラノベに等しい

512:日本@名無史さん
21/10/23 09:41:06.00 .net
>>479
日本書紀には間違いがあるとは言われるが、そこを都合よく使い過ぎてんだよ
困ったら何でも陰謀史観でごまかせると勘違いしてるからな

513:日本@名無史さん
21/10/23 10:19:02.20 .net
御託はいい。もう、解説は始まっている。
>>484
法隆寺釈迦三尊像光背銘は信用できる金石文となる。
この銘文が他と異なるところは時代を元号と干支で書いている。
他の銘文はすべて天皇名が入っているが、この銘文には天皇名がない。
すなわち、この銘文が書かれた623当時の法隆寺に関係する世界は天皇の時空ではなかった。

514:日本@名無史さん
21/10/23 11:17:56.80 .net
>>487
法隆寺釈迦三尊像光背銘は丈六光銘より新しい。
丈六光銘には天皇名が入っているのに、法隆寺釈迦三尊像光背銘にはない。
上宮法皇が厩戸(天皇の皇子)なら、釈迦三尊像光背天皇名が入らねばならない。がない。
これからも、上宮法皇≠厩戸は明らかなのだ。

515:日本@名無史さん
21/10/23 11:51:08.44 .net
>>488
法隆寺釈迦三尊像光背銘には天皇名がない。
天皇がいれば、天皇によって時代を画すというのが、他の史料からわかるから、
法隆寺釈迦三尊像光背銘のころには天皇は存在しない。
では、それ以前の丈六光銘になぜ天皇名が入っているのか?それはコピーなのだ。
丈六光銘オリジナルには天皇名は入っている筈がないのである。
コピーにある天皇名廣庭・止與彌擧哥斯岐移比彌天皇は付け加えられたと推定される。

516:日本@名無史さん
21/10/23 12:24:11.79 .net
>>473
書紀から入っても、天皇の不存在という結論には至らない。
484,487,488,489によって法隆寺釈迦三尊像光背銘と丈六光銘だけからでも、
天皇は存在したとは言えないことがわかるだろう。

517:日本@名無史さん
21/10/23 13:23:23.31 .net
暫らく天皇の不存在について意見を交わそうか?w

518:日本@名無史さん
21/10/23 14:23:00.34 .net
>>483
聖徳太子、推古天皇記は
記紀による天皇制成立以前の系譜を創作している。
嫡男直系で、蘇我系王朝は継続しているのである。
つまり「皇祖大兄」という表現は正しい。
神代から万世一系の天皇制確立の前に法皇と王が並立する試みが有った。
聖徳太子の膨大な事績を、摂政皇子の仕事とするには
「皇祖大兄」を記紀で立ててしまうより、推古女帝にしといた方が良かった。
むしろ、藤原系にそそのかされて、尊属暗殺から
白村江での滅亡後の百済に、百済人、王子の強制送還を実行した、
天智の方こそ、歴史から消しとくべきだったと思うね。
まあ、この戦犯王を隠しちゃったら、
唐外交での白村江の言い訳にはならない訳だけどwww
天皇制の構想は、上宮法皇と並立していた。
記紀では皇祖�



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