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頼朝は元々猜疑心の強い性格だったし、叛意があろうと無かろうといずれ義経も範頼も消される運命なのは避けられなかった。
そもそも源氏という一族からして昔から兄弟や身内同士で食い合う事が珍しくなかったし、これも当然の帰結なのかもしれん。
義経が頼朝の元へ参じた時、かつて「後三年の役」で新羅三郎義光が奥州で苦戦の兄の義家の元へ救援に駆け付けた事に
なぞらえて喜んだ一方で、もう一つの事実も頭をよぎっている。
それは義光が義家の死後棟梁への野心を燃やして義家の後を継いだ義忠を殺した事。
つまり頼朝は最初から弟達に決して心を許してはいなかった。むしろ疑念に満ちた目で見ていたと言ってもいい。
『弟が駆け付けてくれたのはいいが、いつかはコイツも義光のように自分が死んだ途端本家を乗っ取ろうとするかもしれない』と。