源義経at HISTORY
源義経 - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
21/07/12 17:02:27.47 .net
ジンギスカンとなる

3:日本@名無史さん
21/07/12 22:51:34.93 .net
仕方ないから書き込んでやるか
義経の船頭殺しは見事なり

4:日本@名無史さん
21/07/12 22:54:59.33 .net
義経は残虐ファイター

5:日本@名無史さん
21/07/12 23:45:55.20 .net
牛若丸

6:日本@名無史さん
21/07/13 00:32:59.54 .net
頼朝を崇拝してた徳川家康は義経をどうおもってたのか?

7:日本@名無史さん
21/07/13 00:38:14.02 .net
豊臣秀吉が主催した能楽会で
徳川家康が演じた役がなんと源義経で周囲の武将からは大爆笑の渦に包まれたという

8:太国
21/07/13 13:06:37.88 .net
URLリンク(www.youtube.com)

9:日本@名無史さん
21/07/13 20:00:17.41 .net
ガチでチンギス・ハーンになったからな(笑)
ソースはアカシックレコード

10:日本@名無史さん
21/07/13 23:21:29.38 .net
大本教?

11:日本@名無史さん
21/07/13 23:21:30.22 .net
大本教?

12:日本@名無史さん
21/07/14 00:00:42.70 .net
源義経は何でもありの残虐ファイター

13:日本@名無史さん
21/07/15 08:44:17.23 .net
しずやしず しずのおだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな
吉野山 峰の白雪 踏み分けて 入りにし人の あとぞ恋しき
静御前

14:日本@名無史さん
21/07/15 20:30:05.60 .net
冷静に見ると梶原景時の方が正しい。

15:日本@名無史さん
21/07/15 23:49:54.43 .net
どこが?

16:日本@名無史さん
21/07/16 16:46:51.21 .net
源義経、北海道から樺太を通って大陸へ渡り
モンゴル高原の騎馬民族を纏めてチンギス・ハーンになりモンゴル帝国建国
モンゴル帝国が満洲近辺で使用されていた紙幣制度を導入
東欧のゲットーにてユダヤ人に紙幣を伝授し、ヨーロッパ方面の紙幣管理を委任
そのユダヤ人はヨーロッパでハーンと呼ばれ、後にロスチャイルドと名乗る

17:日本@名無史さん
21/07/16 21:52:27.39 .net
頼朝公=曹丕様の身内虐めは公私分別を武士層や名士層に示した政策だぞ。
空気読めない判官贔屓義経=七歩詩曹植のせいでお兄さんが悪役じゃないか。

18:日本@名無史さん
21/07/17 23:24:49.39 .net
義経の人気が頼朝lを上回ったのは明治からだな
それまでは頼朝の人気が上だった

19:日本@名無史さん
21/07/19 00:04:18.68 .net
牛若丸

20:日本@名無史さん
21/07/19 21:18:26.98 .net
明治維新実行した連中のバックがロスチャイルド家だから当たり前
自分を大富豪にしてくれたチンギス・ハーン=源義経への恩返しや

21:日本@名無史さん
21/07/19 23:57:42.40 .net
義経チンギスハン説に信憑性はいかに

22:日本@名無史さん
21/07/19 23:57:50.15 .net
義経チンギスハン説の信憑性はいかに

23:日本@名無史さん
21/07/20 00:47:49.97 .net
樋口季一郎陸軍中将がハバロフスクに駐在した際に発見した石碑に
源氏の家紋笹竜胆と漢文が刻まれていた
現地の住民はその石碑をチンギス・ハーンの墓と主張していた
その後、モスクワから来た共産主義パルチザンが石碑を破壊し
チンギス・ハーンの墓は現在も不明という扱いになっている

24:日本@名無史さん
21/07/20 00:58:38.20 .net
大本教じゃないか?

25:日本@名無史さん
21/07/20 01:40:26.78 .net
シーボルトさ

26:日本@名無史さん
21/07/20 03:30:46.25 .net
源頼朝の肖像画こそ日本史上最高

27:日本@名無史さん
21/07/21 07:04:16.45 .net
源頼朝は日本中の神社仏閣に巨額の寄進をしている
つまり精神的に病んでいた可能性がある

28:日本@名無史さん
21/07/25 15:47:57.92 .net
義経チンギスハン説の真相はいかに

29:日本@名無史さん
21/07/28 16:21:12.89 .net
モンゴル人に義経を言っても分からないだろう

30:日本@名無史さん
21/07/29 18:18:41.09 .net
逆張りが当たっただけの雑魚

31:日本@名無史さん
21/07/31 03:32:27.50 .net
平泉で死んだのか?

32:日本@名無史さん
21/08/03 02:54:55.87 .net
モンゴルです

33:日本@名無史さん
21/12/06 12:10:36.55 .net
発達障害だろ

34:日本@名無史さん
21/12/07 18:58:43.09 .net
>>18
嘘をつくなw
江戸時代の歌舞伎などでは義経が用もないのに出てくるくらいに義経はスーパーアイドルだぞ。
習字の教本も腰越状だったりする。

35:日本@名無史さん
21/12/07 21:24:37.04 .net


36:日本@名無史さん
21/12/07 21:32:52.38 .net
>>35
あのな、江戸時代にはいわゆる現代ものの演劇でも、なんの脈絡もなく義経が登場して、
挨拶だけして帰っていくとお客は大喝采だったの。
どこかの大店の子孫宅から腰越状が出てきて鑑定してもらったら、
それは江戸時代の子供の手習いで書かれたものだったという話もある。
義経関係の本を読んでればそのくらいの話は出てくるから少しは読書したほうがいいぞ。

37:日本@名無史さん
21/12/07 22:49:40.79 .net
>>3
いまだにそんなタワゴト信じてるやつがいるのが驚き

38:日本@名無史さん
21/12/09 23:23:25.64 .net
歌舞伎の勧進帳も知らないアホがいる

39:日本@名無史さん
21/12/11 14:02:57.13 .net
頼朝なんかさっさと見限ればよかったのにね
だれか強力なブレーンがいればよかったんだろうけど弁慶は博学だけどこの人も政治家タイプではなかった

40:日本@名無史さん
21/12/11 15:39:42.34 .net
頼朝は北条の操り人形。
頼朝は本当は弟二人を殺したくはなかったような気がする。

41:日本@名無史さん
21/12/11 16:12:59.85 .net
兄弟全員殺して相続する民族がいたんだね

42:日本@名無史さん
21/12/11 16:41:37.50 .net
源氏の血筋争いは八幡太郎義家の代から始まっている

43:日本@名無史さん
21/12/12 01:26:31.10 .net
弁慶なんて吾妻鏡には出てくるけど名前だけだ
そもそも吾妻鏡自体がずっとあとに書かれたものだから信憑性も乏しい
頼朝を見限ったところで義経には手勢がいないし戦いようもないだろ

44:日本@名無史さん
21/12/12 01:28:32.52 .net
なにそのツッコミ待ち感満載の書き込み

45:日本@名無史さん
21/12/12 12:49:40.75 .net
弁慶って何か実績あるの?

46:日本@名無史さん
21/12/12 15:11:14.94 .net
>>44
では史料をソースとするツッコミをお待ちしていますので。

47:日本@名無史さん
21/12/12 18:54:23.46 .net
>>41
最初から皆殺しにするつもりで頼朝や範頼を持ち上げてたんだから恐ろしい奴ら。
実際源氏は用済みになったら皆殺し。

48:太国
21/12/12 21:05:06.47 .net
笹竜胆
URLリンク(www.youtube.com)

49:日本@名無史さん
21/12/12 21:08:54.31 .net
「義経」愚将論
URLリンク(www.tokuma.jp)

50:日本@名無史さん
21/12/12 21:25:44.87 .net
義経が愚将なら日本の大半の武将は愚どころの話じゃないんだが
まるで舞の海の「白鳳に勝てない日馬富士は最低の横綱」みたいな発言

51:太国
21/12/12 22:03:17.52 .net
成吉思汗となりゃあ愚将とはいえないだろ。

52:日本@名無史さん
21/12/13 00:36:33.77 .net
・停戦協定を破っての奇襲
・包囲殲滅戦の戦略予定が抜け駆けで本隊を逃がす
・総大将が功名心から一兵卒気分で戦争目的の玉体を海に沈める
白鵬に勝てなくても優勝すればよいけど、1番1番勝つことが目的になって「何に?」

53:日本@名無史さん
21/12/13 18:35:34.44 .net
なにその妄想史観w

54:日本@名無史さん
21/12/13 20:03:14.04 .net
義経は戦の天才だったけど政治は素人だったということだろ
瀬戸内の豪族は平家か源氏かはあまり気にしてなかっただろうから頼る先はあったと思う

55:日本@名無史さん
21/12/13 21:11:00.38 .net
逆に言うと頼朝は政治の天才だが戦は無能だったわ
>>52の論法なら頼朝だって愚将だぜ
せっかくだから反論してあげるわ
>白鵬に勝てなくても優勝すればよいけど
日馬富士より白鵬から白星を挙げた上に同時代で優勝回数も重ねた力士はいないよな
朝青龍は少し前だし白鵬が絶対王者になった後は全く勝ててない
それでも舞の海のバカは日馬富士を最低横綱呼ばわりしてるんだぜ
しかし日馬富士よりも白鵬に歯が立たず優勝もできないうえに日馬富士にも勝てない稀勢の里を絶賛した
この矛盾をどう説明するのか

56:日本@名無史さん
21/12/13 21:11:21.33 .net
>停戦協定を破っての奇襲
一ノ谷でしか合戦がなかったと思ってる無知w
義経の奇襲の前に範頼がすでに合戦を始めているんだが
しかも平家側が合戦をしなかったのは停戦協定のためではなく清盛の追悼行事を優先したから
さらに言えば「鵯越」にこだわるとそこを攻撃したのは摂津源氏の行綱で義経の配下ではない
頼朝はこれで義経を咎めた様子もないし何が問題なのだろうか
>包囲殲滅戦の戦略予定が抜け駆けで本隊を逃がす
範頼が山陽道方面で惨敗してるんですけど
義経より範頼を優秀だと言いたいのかな
平家本体を逃がしたというより壇ノ浦に追い詰めたんだけどね
>戦争目的の玉体を海に沈める
仮に俺が平知盛で超天才武将ミスター52が安徳天皇と三種の神器まであと数メートルまで迫ったとして
俺は戦死するだろうが天皇も神器も奪われない自信はあるよ
目の前で「ざまあw」と言いながら海に投げ込むだけのこと
果たして誰があの乱戦の中で三種の神器を奪い返せるんだろうか
まあ超能力者じゃない限り無理だね

57:日本@名無史さん
21/12/13 22:40:49.13 .net
頼朝や範頼を超天才武将ミスターとして形容したことはないので、スルーするとして
頼朝は鎌倉に押し込められ、義経を総大将にせざるを得なかった政治の無能だろう
日馬富士にいたってはナンバー2に安住して、双羽黒や朝青龍でさえ侵さなかった刑事事件で有罪で廃業した。「最低」の形容は合ってる
乱戦の最中で奪い返そうという義経の作戦が無謀なんだって。だから陸地の屋島で包囲、交渉の余地だったろう
>目の前で「ざまあw」と言いながら海に投げ込むだけのこと
知盛等々を義経より無能に仕立て上げたら、愚将でなくなるとか妄想論法すごい。義経よりもっと愚将はいた論

58:日本@名無史さん
21/12/13 22:54:33.15 .net
ばーか
舞の海が日馬富士を叩いていたのは全盛時代だからw
>義経よりもっと愚将はいた論
それはすでに俺が50で書いているんだが
やっぱり頭の中身が空っぽなんですね
市谷に関する反論ができないようで
結局その程度なんだよあんたは
交渉でってw
俺はどちらかというと左翼だがあんたはパヨクだな
交渉すれば平家がすんなりと返すと思ってんのか
そして源平仲良く次の時代を築きましょうってか
現実が見えていないね

59:日本@名無史さん
21/12/13 23:08:01.41 .net
ナンバー2に安住した全盛時代?
>一ノ谷でしか合戦がなかったと思ってる無知w
>義経の奇襲の前に範頼がすでに合戦を始めているんだが
>しかも平家側が合戦をしなかったのは停戦協定のためではなく清盛の追悼行事を優先したから
>さらに言えば「鵯越」にこだわるとそこを攻撃したのは摂津源氏の行綱で義経の配下ではない
>頼朝はこれで義経を咎めた様子もないし何が問題なのだろうか
義経の話題がゼロだったから反論する余地がありませんね。
平氏の北条仲時が負けた時は、時の光厳天皇を源氏に渡しているよ。左翼でなければ、これが普通

60:日本@名無史さん
21/12/13 23:34:11.85 .net
>ナンバー2に安住した全盛時代?
全盛の意味も知らないバカw
ハルマ最強の時期って意味だろうが。
>北条仲時が負けた時は
少なくとも鎌倉北条と違い平家は降伏の意思は見せていないからね
むざむざと天皇を引き渡して皆殺しの道を選ぶってか
さすがパヨクだな

61:日本@名無史さん
21/12/13 23:42:43.33 .net
>>44
ツッコミ待ってんだけどさあ
早くしてくんない?

62:日本@名無史さん
21/12/14 08:55:55.28 .net
頼朝の政治力が強いんじゃなくて北条の政治力が強い。
義経や範頼は兄を慕ってる節があったし、特に範頼は柔順で殺す理由は皆無。
北条の根絶やし作戦なのに頼朝のせいにされている。

63:日本@名無史さん
21/12/24 19:36:38.98 .net
発達障害義経と北条の御輿の頼朝

64:日本@名無史さん
21/12/24 22:38:33.54 .net
>>18
室町時代から人気出てきたので楠木正成のように時差がある
両者ともに朝敵として死んだ最高峰の英雄
そう考えると朝敵・西郷隆盛の名誉回復はやたら早い

65:日本@名無史さん
21/12/24 23:02:12.96 .net
幕末維新の逆賊の名誉回復はやたら早い
第一次新選組ブームも明治中に起こってしまう

66:日本@名無史さん
21/12/31 14:05:59.18 .net
>>62
範頼の伊豆追放(及び殺害)を命じたのは頼朝
頼朝は頼家を溺愛していたから邪魔者は消しておきたかっただけじゃ

67:日本@名無史さん
21/12/31 17:19:36.86 .net
頼朝は元々猜疑心の強い性格だったし、叛意があろうと無かろうといずれ義経も範頼も消される運命なのは避けられなかった。
そもそも源氏という一族からして昔から兄弟や身内同士で食い合う事が珍しくなかったし、これも当然の帰結なのかもしれん。
義経が頼朝の元へ参じた時、かつて「後三年の役」で新羅三郎義光が奥州で苦戦の兄の義家の元へ救援に駆け付けた事に
なぞらえて喜んだ一方で、もう一つの事実も頭をよぎっている。
それは義光が義家の死後棟梁への野心を燃やして義家の後を継いだ義忠を殺した事。
つまり頼朝は最初から弟達に決して心を許してはいなかった。むしろ疑念に満ちた目で見ていたと言ってもいい。
『弟が駆け付けてくれたのはいいが、いつかはコイツも義光のように自分が死んだ途端本家を乗っ取ろうとするかもしれない』と。

68:日本@名無史さん
22/01/01 10:56:36.12 .net
>>67
それは北条の作り上げたストーリー

69:日本@名無史さん
22/01/01 10:59:50.14 .net
>>66
北条が範頼を排除しただけだよ。
範頼は義経と違い実直な性格で、謀反の危険は低い。
忠犬のような弟を殺す理由はない。

70:日本@名無史さん
22/01/25 07:15:43.86 .net
おまえらが頼朝の立場だったら義経になんらかの処分するだろう
頼朝より500倍は優しいおれでも討伐する
しなかったらただのアホ

71:日本@名無史さん
22/01/26 12:57:50.95 .net
>>67
幼時に一緒に育っていない範頼や義経のような異母兄弟は
頼朝にとって単なる遠縁みたいなもの
もし同母弟希義が生き残っていたら扱いはどうだったか
まあ先祖の義家と義綱は同母兄弟でも仲が悪かったのは歴史的事実だが

72:日本@名無史さん
22/01/26 22:06:51.18 .net
義経の同母兄だった全成をお忘れでしょうか

73:日本@名無史さん
22/01/27 00:36:48.76 .net
異母兄弟がー!とかじゃなくて政治目的一緒じゃないやつは
殺すか距離を置くが頼朝ってだけ
それわかってない義経がバカってだけ

74:日本@名無史さん
22/01/27 13:28:18.20 .net
義経の肖像画って幾つも存在してどれが本物かは分からないけど
共通してるのがどれも美青年要素が見当たらないただの髭のおっちゃんなんだよな
要するに義経=美青年は牛若丸伝説からきたもので実際はこんなもんだったんだろうな

75:太国
22/01/27 13:32:27.50 .net
蒙古 大力王の摩雲洞  牛魔王
 若いころから相撲が強い  牛若丸
 笹竜胆の紋所

76:太国
22/01/27 13:55:53.08 .net
URLリンク(www.youtube.com)

77:日本@名無史さん
22/01/27 21:02:02.31 .net
>>73
71の発言からそのご意見は見受けられませんけど

78:日本@名無史さん
22/01/28 01:49:19.35 .net
2/3まで
URLリンク(ebookjapan.yahoo.co.jp)

79:日本@名無史さん
22/02/01 05:30:34.74 .net
怒ったのは頼朝じゃなくて時政な

80:日本@名無史さん
22/02/01 18:43:25.05 .net
北条時政にしてみれば自分の外孫(頼家)を頼朝の後継者につけたいから、
頼朝の猶子になっていた義経は目の上のタンコブ。
北条と畠山は姻戚関係、義経と川越は姻戚関係、
そして畠山と川越は武蔵の領土を争うライバル。
いろんな意味で北条は義経を排除したくてたまらない。

81:日本@名無史さん
22/02/01 20:10:46.12 .net
というか当時の武士は満場一致でガイキチ義経いらねだもん
梶原景時の名誉回復を望む

82:日本@名無史さん
22/02/02 11:24:56.05 .net
>>81
梶原と義経の論争見てるとまともなのは梶原なんだよな。
義経は頭おかしい。

83:日本@名無史さん
22/02/02 22:16:17.78 .net
平家物語にみられるその論争は別に義経に肩入れしたものでもないんだが、
なぜか義経贔屓だと勘違いしてる人がいるんだよな。

84:日本@名無史さん
22/02/03 01:39:30.30 .net
肩入れとかどーでもよく義経は狂人であるということ

85:日本@名無史さん
22/02/03 21:02:19.96 .net
ある意味狂人でなければそれ相当の偉業は成し遂げられないってことはある
頼朝だって狂人っちゃ狂人
範頼は常識的だから優秀な軍人ではあっても英雄にはなれなかった

86:日本@名無史さん
22/02/03 22:29:53.81 .net
偉業と言うか
たまたま博打に買っただけみたいな感じ(笑)

87:日本@名無史さん
22/02/03 22:30:28.30 .net
「源平合戦」といわれる戦いの本質は、農場経営者として力を蓄えた関東武士団の「独立戦争」です。
ただ、それだと分かりづらい(一般ウケしない)ので、、「この戦いは、平家に親を殺された源頼朝公の
仇討である」という看板を掲げているに過ぎません。
実のところは、「頼朝の挙兵に関東武士が味方した」のではなく、「関東武士の挙兵に、頼朝が旗頭として担がれた」のです。
このことは関東武士団はもちろん、頼朝本人も、よく分かっていました。
ところが、これを全く誤解して、表看板の「仇討ちストーリー」をまるごと信じてしまっていた無邪気な男が、あとから参加してきた義経です。
彼は京都の貴族社会で育ち、「関東での生活経験」が全くないのだから、まあ仕方ないのですが、
最初から「平家を滅ぼすことが戦争の最終目的である」と勘違いしています。
頼朝の命令で義経に付けられた軍勢は、みんな「関東独立」を願う関東武士です。
当然、義経の「仇討ち」をお手伝いするために命がけで戦っているわけではありません。義経に忠義を尽くす理由は何もないのです。
義経は確かに天才的な軍事指揮官ですが、戦争目的を間違えていたのでは話になりません。

88:日本@名無史さん
22/02/03 22:30:36.31 .net
「関東独立」という大目標からすれば、平家が西国に落ちて勢力をなくしたのなら、
ムリして全滅させる、皆殺しにする必要なんてないんです、実は。
追い詰めたところで降伏させて、三種の神器と安徳(元)天皇を無傷で取り返したほうが、よっぽどいいに決まっています。
京都に恩を売れるし、なによりこっちも無傷で済みます。無駄に危険を冒すことはないでしょう。
ところが、この戦争を「仇討ち」だと信じる義経は、遮二無二平家を追っかけて無茶な作戦を繰り返していきます。
崖を馬で駆け下りろ? 逆櫓をつけるな? 何を無理ばっか言ってるんですか。死んだらどうすんですか。
義経は、関東武士たちを自分の「家来」だと思い、こき使います。家来が自分の指揮に従うのは当然だと
思い込んでいたでしょうが、これが典型的な「貴族の発想」です。
関東武士たちはうんざりしていたに違いありません。武士の根本原理は「御恩と奉公」なのに、義経はどうやらそれが全然分かっていないのです。
関東武士は、義経に従って戦って、平家の公達を皆殺しにして、大勝利して、大喜びしたか? 否です。
「別にそういうことのために戦ってるわけじゃない」からです。

89:日本@名無史さん
22/02/03 23:06:55.70 .net
>>86
お前はたまたまばくちに勝つこともないだろw

90:日本@名無史さん
22/02/03 23:44:27.94 .net
>>89
先週競輪で10万勝ったよ(笑)

91:日本@名無史さん
22/02/04 00:19:09.94 .net
彼らが「鎌倉殿」つまり頼朝の家来になったのは、頼朝を棟梁として「自分たちの権利を主張していく」ためです。
つまり真の敵は、後白河法王を頂点とする京都朝廷なのです。
関東武士を虫ケラと考えていて「黙って服従して年貢を送ってくればいいんだ」と考えている貴族たちです。
政治家・頼朝は、朝廷に対して「これからは、そうはいきませんよ」と軍事力を背景に強力に主張していかねばなりません。
若いときからずっと関東で武士に混じって暮らしていた頼朝は、自分が「担がれた身」であり、そうすることが自分の
存在意義であることを、いやというほど理解しています。
ところが義経は、自分勝手な戦争に勝っていい気になった挙句、こともあろうに、その「敵の巨魁」に丸め込まれ、
鎌倉の頼朝を無視して勝手に官位を貰い、搾取側の貴族の仲間に入れてもらって喜んでいます。頼朝が激怒するのは当然です。
本当の敵は平家ではなく朝廷なのに、それに丸め込まれて得意になっているのですから。
弟にコレをやられては、示しがつかない、どころの話ではないのです。
これじゃあ、武士を忘れて貴族になってしまった平家と同じだ、所詮は京都の貴族社会で育った御曹司、
こんな男に、協力するいわれはない、と、関東武士たちは皆、義経からソッポを向いてしまいます。当然です。
「弟だから偉い」というのは、まるきり「平家」の考え方、貴族の発想です。断じて許すわけにはいかないのです。
義経が「人気があった」と言われますが、それは京都の貴族や庶民の間で、です。
肝心の関東武士には「まるで不人気」だったというのは、当然だというのが分かります。
頼朝が、義経の人気に「嫉妬」したのだ、という人がいたら、それこそ「貴族の発想」です。関東武士の棟梁、
いや、関東独立国の王という、いまだかつて誰もやったことのない、もんのすごい難しい立場を
こなしていかなければならない頼朝が、義経を羨ましがる理由も、暇も、何もありません。
義経は当然のように、鎌倉から追討されます。関東武士は誰も義経の味方をしませんでした。
当たり前です。武士の権益を守ろうとしない義経が勝っても何もいいことはないし、
「戦う目的がまるで分かっていない」義経が勝つはずもないのです。馳せ参じる物好きはいません。
義経が孤立するのは、歴史の必然なのです。

92:日本@名無史さん
22/02/04 12:18:33.90 .net
戦に関しては平凡な範頼や梶原だけだったら逆に負けてた可能性もある。

93:日本@名無史さん
22/02/04 14:50:51.58 .net
なんか、東大にしても、慶應にしても、
悪霊側は一体その知識をどう応用するんだろうかと思う。
何の役に立つの?
答え 朝鮮の易

94:日本@名無史さん
22/02/04 14:53:02.45 .net
南北朝鮮騒乱の後の、
中国がニューニュークリアを討つと見せかけての、
ロシア戦争か

95:日本@名無史さん
22/02/04 14:55:44.43 .net
普通に、
ロシア、半島、大陸による三方ヶ原か
かんたんやね
年表見れば、
答えでちゃうね す・べ・て

96:日本@名無史さん
22/02/04 14:56:17.25 .net
だって、こちらとしては、
逆易算すればいいだけなんだよ?

97:日本@名無史さん
22/02/04 17:59:39.81 .net
義経はブレーンに恵まれなかったか

98:日本@名無史さん
22/02/05 02:31:02.77 .net
>>97
人間世界に履いていくのが苦手なだけです。
瓊瓊杵尊様にお願いしよう。
上皇陛下のご思案はいかが?

99:日本@名無史さん
22/02/05 15:44:14.35 .net
上司にしたなくない筆頭・義経
牟田口のほうがまし!

100:日本@名無史さん
22/02/05 20:28:36.78 .net
>>99
両方ひどい
どっちも嫌だ

101:日本@名無史さん
22/02/05 20:52:36.79 .net
安徳天皇を生きたまま奪還する、三種の神器を無傷で奪還する、
これがどんなに重要なことか、分からなければ日本人ではありません。
「平家を滅ぼす」なんてのは、義経の私怨、つまり、親の敵を討つという「わたくしごと」です。
そんなことのために「天皇家の正常な継承」という国家にとって最も重要なテーマを二の次にする馬鹿はいません。
いるはずないんです。そんなこと、誰が言わなくたった分かってなきゃダメです。
どうして、安徳天皇を生かして取り返させねばならないか。
それは「安徳天皇の手から、直々に、三種の神器を後鳥羽天皇に譲り渡す」という儀式をきちんとやって、
はじめて「誰にも文句の言われない継承」となり、「天皇家の神聖」が保たれるからです。
京都の後鳥羽天皇は、三種の神器がないため、まるで「仮の天皇」みたいにみられています。
これを本当の天皇にするには、どうすればいいか。
前の天皇を殺して、力づくで三種の神器を奪って持ってくればいいのか。
ダメです。それでは「覇道」になってしまいます。天皇位は、「王道」で継承されなければなりません。
もちろんあくまで形式の問題ですが、平和裏に、きちんと正式な手続きで譲位がなされて、はじめて「正統」といえるのです。

102:日本@名無史さん
22/02/05 20:54:13.74 .net
三種の神器も、天皇も、いわばサッカーやラグビーのボールみたいなものなんです。
何でもいいからゴールに叩き込めばいいわけではありません。途中でオフサイドの反則があったら、ゴールは無効です。
安徳天皇を、三種の神器と一緒に京都に連れ帰り、正式な譲位をさせなければいけません。
そのうえで出家させるなり幽閉するなり島流しにするなりすればいいのです。
「安徳天皇を殺して神器を強奪する」という結果は、最悪バッドエンドなんです。
そうならないように上手くやってこそ戦上手です、というか、最低限の義務です。
「私はまだ天皇だ」と言っている状態で死なせてしまうのが、どんだけマズイことか、分からない人間が戦争してはいけません。
平家一門だって、それが分かっていたから、幼い子供を巻き添えに海に叩き込んだんです。
つまり、あてつけです。「これでもう永久に天皇家はニセモノだ、さまあみろ」というわけです。
そうでなければ「この子の命だけは助けてください」というのが筋でしょう。
普通、そうすると思いませんか? 誰が好き好んで一族の幼子を無意味に殺します?
でも、殺さなきゃならなかった。何故なら、 「安徳天皇を生きて奪還させなければ、義経の負け、源氏の負け」だからです。
頼朝としては、安徳天皇を死なせたという失態で、御白河法皇に対して巨大な「借り」を作ってしまいました。
どうでもいいことではないんです。ここからは「政治」、かけひきの季節なんです。
義経は、そのことが全然分かっていなかった。壇ノ浦は、実は源氏にとって「大失敗」だったのです。
そのことが声高に語られないのは、「しょうがないから、みんなして、知らんぷりをすることに決めた」からに過ぎません。
「譲位の儀式はやんなくてもいいことにしよう、神器は作り直せばいいことにしよう」と、みんなで談合して決めたのです。オトナの解決策です。
だからって、義経の失態がチャラになるわけではありません。

103:日本@名無史さん
22/02/06 01:38:50.95 .net
へ~
じゃあ誰だったらそれを出来たんだろうね

104:日本@名無史さん
22/02/06 08:59:27.43 .net
平家物語での梶原の逆櫓ってそもそも何?
何かの装置なの?
逆櫓がかじを逆回転させて後進することなら
回頭する場所がないからそうするんであって
前提の屋島海戦では要らないと思う
壇ノ浦の海戦のことなら各水軍が入り乱れる中でバック走法は危ないよね
平家物語の逆櫓に関しては梶原が詭弁をふるってると思う

105:日本@名無史さん
22/02/06 10:50:20.91 .net
>>102
朝廷(民意)の最優先事項は短期決戦
さっさと平家をなんとかして戦をやめろ
三種の神器が失われる可能性があっても国外に持ち出されて国外勢力に使われるよりはマシ
短期決戦を優先する結論は義仲の時に朝廷の決議が出て慎重派の兼実もOK出してる
朝廷は剣がなくなったことで特に鎌倉方に処罰は出してない
三種の神器に関しては
平家の九州進出を防いだ緒方惟義の戦果を受けて
一ノ谷の戦果を受けて
都度の状況に応じて返還交渉は行われている
恐らく義経は平時忠に接触を図って交渉していたと思われる
そもそも今の時代に和平交渉の失敗を義経のせいにするのはナンセンスでは?
最終責任は後白河院>>源頼朝でしょ
和平交渉は政治マターの問題だから

106:日本@名無史さん
22/02/07 17:54:42.53 .net
神輿様の孤独は海より深く山より高く・・・頼朝にとって義経の到来は天恵
とびっきりのカード(奥州藤原という特級のコネ)が回ってきたと父子の契りを交わし
単細胞な御家人達も御曹司!御曹司!と大はしゃぎ
カードが宗盛の院宣でjokerに裏返った時、廃棄すればいい、義経が本当に粗大ごみなら
「吾妻鑑」は物語ってる・・・少なくとも北条より頼朝はこの弟を信用してた
頼朝の傍にはいつも義経がいて、弟は兄の期待を(御家人達の想像も)飛び越えていく
これが糞面白くねぇ!から馬引事件とか、、、無断任官とか、、、草草
官位の推挙は隔てなく、後白河の謀略とやらも有り得ず、「義経外し」なんて元々なかった
院宣騒動で義経は孤立したけど、あれだけハッキリ結果を出されたら連中だって嫌でも認めざるを得ない
だから北条は景時や範頼をダシにして遠回しにネチってるわけ
あいつ等あの世で笑いが止まらないよね、み~~んな釣り針に引っ掛かって思う壺過ぎて草

107:日本@名無史さん
22/02/07 18:09:31.32 .net
>「私はまだ天皇だ」と言っている状態で死なせてしまうのが、どんだけマズイことか、分からない人間が戦争してはいけません
私達が神だ!と、平家がそう言い張ってるだけだよね(なんて愚か)
裏切りが相次いだのは、安徳を「偽天子」と見る人も多かったからだよ

108:日本@名無史さん
22/02/07 19:18:17.66 .net
>>105
>>102は馬鹿だから理解してないと思うよ

109:日本@名無史さん
22/02/08 10:59:15.28 .net
良くも悪くも裏表のない純粋な子供が義経

110:日本@名無史さん
22/02/08 19:27:23.04 .net
頼朝の世間一般のイメージ
陰険で腹黒くて冷酷な政治家
実際は
陰険で腹黒くて冷酷な北条時政とその操り人形の頼朝

111:日本@名無史さん
22/02/15 10:23:38.62 .net
頼朝が範頼や義経を総大将にしてたのは関東武士より身内を信頼していた現れ。
頼朝の本心は周りを親族で固めたかったのではないか。
範頼も義経も政治的野心は薄いのだから殺す必要はない。

112:日本@名無史さん
22/02/16 23:20:17.01 .net
頼朝と義経の関係を劉邦と韓信に似ているといった人がいたけど、まさにその通りだと思った。

113:日本@名無史さん
22/02/17 06:35:06.51 .net
いや時政と義経の関係な。

114:日本@名無史さん
22/02/17 08:21:04.52 .net
範頼は能力が並で優等生タイプなので、平氏に対して苦戦
頼朝は戦争のセンスは皆無
義経は奇襲や裏技を兵器で使う発達障害 
勝てば何をやってもいいと考える池沼

115:日本@名無史さん
22/02/17 08:23:55.49 .net
韓信と義経は結果は似てるが、中身は全く違う
韓信は天才軍略家
義経は無謀なギャンブルでたまたま勝ち続けた男

116:日本@名無史さん
22/02/17 21:22:56.77 .net
義経の戦術はギャンブルではないんだが

117:日本@名無史さん
22/02/17 21:25:09.80 .net
停戦協定結んでおきながら背後の崖から襲う恥知らず

118:日本@名無史さん
22/02/17 21:29:09.22 .net
鵯越は義経ではなく源行綱だからね。

119:日本@名無史さん
22/02/17 21:54:27.86 .net
それにしても未だに壇ノ浦の舟の漕ぎ手狙い撃ちを信じている人がいることに衝撃を受けるわ
平家物語も読んでいないんだろうな

120:日本@名無史さん
22/02/21 15:12:58.82 .net
>>118
多田行綱の件知ってるやつが鵯越がどこにあるかわかってないのもシュールだな…

121:日本@名無史さん
22/02/22 22:00:34.22 .net
義経の逆落としを、スペインの騎兵を例にとって可能だと主張している男がいるけど、
あいつの本に載ってるスペインの騎兵がやってるのはせいぜい15メートルの断崖。
義経のほうは百メートルを超えるんだから、
仮にスペインの騎兵が一の谷でやろうとすれば加速度がついて全滅するわ。
そもそも日本の馬とスペインの騎兵が使う馬の違いも分かってないようだし。
>>120
お前こそわかってる?
義経が断崖から降りたとされる場所は鵯越じゃねえぞ。

122:日本@名無史さん
22/02/22 23:14:14.88 .net
一の谷の戦いにおける義経進軍ルートは、
湊川の戦における足利直義軍のルートと併せて考えると興味深い。

123:日本@名無史さん
22/02/23 18:23:54.28 .net
>>121
義経は鵯越の逆落しを本当にやったの?

124:日本@名無史さん
22/02/23 20:57:19.60 .net
そもそも鵯越と義経は関係ないし鉄拐山の断崖を駆け降りたという近藤説も嘘

125:日本@名無史さん
22/02/24 18:11:23.40 .net
>>124
タイムマシンに乗って見てきたのか?(笑)

126:日本@名無史さん
22/02/24 18:18:15.50 .net
>>124
どういうこと?
上の多田行綱は何をした人なの?

127:日本@名無史さん
22/02/24 19:03:01.80 .net
>>125
はいはいw
お前こそどうなんだよって聞きたいわwww
あらゆる歴史学者に同じ質問してみろよ

128:日本@名無史さん
22/02/24 20:19:19.33 .net
>>127
歴史学者がそちらと同じ回答をしたってこと?
具体的には誰だろうか?

129:日本@名無史さん
22/02/25 00:44:38.10 .net
>>119
漕ぎ手を集中して射るのって卑怯云々は置いておいて、特に有効な戦術とは思えないよね
先に攻撃要員と攻撃手段を潰すのがセオリーだと思う
射程距離はそう変わらないだろうから
漕ぎ手を狙ってる間に、自軍の弓兵を射られたら元も子もない
水軍それぞれ自分の港から出陣だろうし
平家方についた水軍の誰をどのタイミングで叩くかは、水軍の長や船頭の命令系統だろうから
命令系統的にもあまり有効とも思えない
元の論文を知らないんだけど、当時の河野水軍や熊野水軍などの戦闘法から検討した結論なのかな?

130:日本@名無史さん
22/02/25 21:05:37.40 .net
西国武士のほうが弓は強かったらしい
平家物語でも東国の強弓で鳴らした和田義盛が負けてる
平家物語で舟の漕ぎ手をなんちゃらってのは
ほぼ勝敗が決した時点で漕ぎ手もろとも皆殺しにあったことしか見られず
どこから義経の戦術なんて言われたのか全く不明なんだよね
司馬遼の小説あたりが勘違いされて史学のほうに逆輸入されたのかもしれない
少なくとも吉川英治の新平家に漕ぎ手狙いの話は見られない

131:日本@名無史さん
22/02/26 13:43:37.77 .net
>>128
まずは義経がスペイン騎兵のごとく断崖を駆け下りたかどうか近藤好和に聞いてみたらいいよ
近藤が「見ました」っていうならそれはそれでその証拠を見せてもわらないかんけどな
現段階では菱沼一憲の説が一の谷の合戦における最高の検証となっている
菱沼氏だって合戦の様子を見たとは思えないが近藤みたいな妄想とは違って地形その他を考慮してるから

132:日本@名無史さん
22/02/26 13:55:54.71 .net
>>126
  義経→ 一の谷 - 福原 - 生田 ←範頼
西の義経、東の範頼に攻撃を受けていて、中央部の福原の山手、鵯越の守りが手薄だった。
そこに行綱軍が襲撃してきたため平家軍は大混乱になり壊滅したというのが近年の説。
菱沼一憲氏の『源義経の合戦と戦略』を読んでいただきたい。
>>128
菱沼さんに「お前見て聞きたんか」と質問してください

133:日本@名無史さん
22/02/27 18:26:54.33 .net
>>104
亀だが、なかなかいいところに気づいてますね。
実はその屋島前の船出のところでの論争はなかったというのが定説。
逆櫓論争は壇ノ浦の時にあった可能性はあるが、
先陣争いもやってるところに別の議論まで持ち出すと口論の焦点がぼやけるから、
片方の議論は別のところに持っていこうって話になって屋島の前に移籍させられたそうだ。

134:日本@名無史さん
22/03/10 08:26:15.50 .net
菅田の義経は意外と実像に近いような気がする
頭のおかしいアスペ

135:日本@名無史さん
22/03/10 12:40:32.26 .net
実像かどうかは置いといて、最近では悲劇のヒーローとしての義経よりも、空気読まずに手っ取り早い手段で勝利する、粛清も残当な義経像のが人気あるのかなー、という印象だな。
確かにその方が面白いんだけどさ。

136:日本@名無史さん
22/03/10 13:02:47.63 .net
>>135
悲劇じゃなくて自業自得だからな。
勝てば頼朝が喜ぶという短絡的な思考はまさにアスペ。

137:日本@名無史さん
22/03/10 21:24:34.57 .net
それは後代が歴史の解答を知ってるから好き勝手に言えることで、
同時代の人たちがわかっていたかどうか。
そもそも頼朝が武家政権のトップに立つことすら想像できた人はいないだろうね。
義経が朝廷の中で重責を担うのが名誉だと思うのは当時なら当たり前のことだよ。

138:日本@名無史さん
22/03/11 12:42:42.15 .net
>>137
その通りだと思う
「京武者」として生きる武士が承久の乱ごろまではふつうにいたからね
義経の生き方(キャリアプラン)は特段間違ったものではない
あのまま生きていたら、義経は有力な院近臣になっていただろう

139:日本@名無史さん
22/03/11 22:29:04.39 .net
サンクス。
義経の失脚に関する逸話だってほとんどが『吾妻鏡』だからねぇ。
北条の血を引く頼家を頼朝の後継者にしたい北条にとっては、(実朝はまだ生まれていない)
頼朝が後継者にと目論んだ義経は目の上のたん瘤でしかない。
義経の妻は川越氏で、これは北条の女婿畠山重忠と領土問題を抱えた人物。
頼朝が義経を排除する羽目になったのはこういった背後関係があったことを無視できないよ。
『吾妻鏡』なんて北条にとって都合のいいことしか書かない大本営発表だし。

140:日本@名無史さん
22/04/01 02:15:22.65 .net
卑怯戦法ガー、アスベガー、とイイ気になるほどブーメランはでかいよ
残念ながら、北条が「公式」に白旗振ってるんで
義経が超ハイパーで、カッコ良すぎて、立場なくて、
くやしぃぃぃ~~くてっ!!・・・馬引かせちゃったのw

141:日本@名無史さん
22/04/04 16:14:21.32 .net
一ノ谷ってハンニバルのアルプス越えみたいなもんだろ
スケールは全然違うが・・

142:日本@名無史さん
22/04/04 19:09:41.15 .net
というか一の谷の断崖を駆け下りたことはすでに否定されているんだが
熱狂的に肯定してるのは近藤だけ
「スペインの騎兵ができるんだから義経もできる」
とか馬鹿かとアホかと

143:日本@名無史さん
22/04/06 03:55:03.67 .net
>>142
タイムマシンで見てきたのか?

144:日本@名無史さん
22/04/06 21:48:59.21 .net
>>142
近藤に聞けよ

145:日本@名無史さん
22/04/07 18:46:38.39 .net
歴史論議で論破されたバカの最後の砦「タイムマシン」


146:日本@名無史さん
22/04/07 23:18:29.61 .net
偉そうに断言するなよ
義経記に書いてあるだろ

147:日本@名無史さん
22/04/08 13:17:33.30 .net
>>136
青信号渡ってたのに、後白河の見切り発車と、頼朝の暴走車に撥ね飛ばされただけ
本来は戦要員じゃないし、本軍が使えないから、軍事も担当する羽目になった
敵の首を取ろうが朝廷とケッ躓いたらジ・エンド
中央と鎌倉のかすがいとして、頼朝が 正式 に派遣したのが義経だよ
結果、鎌倉株急上昇↑↑、コネクション拡大、すべてウィンウィン
軍略でもボロッ負けの御家人達では到底出来ない仕事だし、京の要石だったから西国遠征も外された
朝敵義朝の分子達は母体の立て直しと不名誉の払拭に倍々必死だった
義仲も欲した伊予守は清和源氏の代名詞、これを義経に授けられたら、源氏は鎌倉にあり!と堂々発信出来るんだよ
頼朝一門の未来が大きく開ける・・・・はずだったのに
後白河が義経LOVE過ぎて、頼朝をガン無視して、あんな大事故に(後白河ももっと上手くやれと)

148:日本@名無史さん
22/04/09 14:32:54.97 .net
吾妻鑑では壇ノ浦の平家側に筑前の山鹿秀遠と松浦党が書かれているようなので、水手・梶取もその郎党(従者)、郎党の親戚縁者や仲間という認識でいいのではないでしょうか。
船戦の作法はわかりませんが、遠ければ矢、近ければ矢と乗り込んだ武者同士の斬り合いだとすれば、水手・梶取は船を寄せて乗り込む武者の補助をするのも役割の1つだったかも知れません。
船の両舷に木の盾、または似た形の板を複数枚固定していた場合、その間を狙って直接射るのは近寄らないと難しいでしょう。
一方、弓の撃ち方が曲射ならば特定の範囲を狙うので、水手・梶取を狙ったとは言えなくなります。軽装でそもそもの人数が多い水手・梶取が多く倒れたことから狙ったという話になったのでしょうか。
もしかしたら戦場で源氏方を「漕ぎ手を狙っただろう。卑怯者」と罵った者がいたかも知れませんし、逃げ延びた者がそのようなことを言ったのが伝わったのかも知れません。
あと、潮の流れが変わったことで船が外海に流されてしまう可能性があったならば、飛び込んで近くの陸に泳ぎ着けなければ漂流することになるので、それを恐れて敗走しても不思議ではないように思います。

149:日本@名無史さん
22/04/09 18:00:03.20 .net
大河ドラマの義経、今のところものすごい極悪人のキチゲエに描いてるな
まだ天才的な戦の才能を発揮する前段階だけど

150:日本@名無史さん
22/04/09 22:31:49.45 .net
未だに漕ぎ手狙いを信じてる奴がいるのが笑えるわ

151:日本@名無史さん
22/04/10 11:14:04.27 .net
「決戦!源平の戦い」で紹介されていた海上保安庁の解析によると、当日の潮流の流れは合戦の間ずっと九州から瀬戸内海側に向かって流れていたとのこと。
従って九州から外海に流れることはないが、還流が門司港IC近くの田野浦に向かって流れていたので、それに乗って流された可能性はあったそうです。
源範頼らが壇ノ浦の九州側にいたとのことなので、範頼らが田野浦に向かえば、平家方は海の義経方と陸の範頼方から挟み撃ちにあうことになったかも知れません。

152:日本@名無史さん
22/04/11 15:07:26 .net
『金史別本』という書物に、中国の金朝(1115年~1234年)の頃に「源義経」という名の大将が存在したことが記されている。また、清朝(1644年~1911年)はまさに金朝の政治遺産を直接受け継いでおり、満州の貴族も自らを源義経の後代と認めている。たとえば、乾隆帝は『古今図書集成』中の『図書輯勘録』の自序において
「朕の姓は源なり、義経の後裔なり。源義経の出自は清和(天皇)なり、故に国号は清なり」と記している。しかし実際は、『金史別本』は偽書であり、まったく信用できない。それに、清代の文献には乾隆帝によるこのような話は残されていない。清朝史研究者の研究によれば、「大清」という国号の由来は
中国語の「清潔」や「清浄」といった概念とはまったく関係がなく、満州語のDaicing(Daicin)という言葉が重訳されたもので、「勇士」を意味する[7]。

『成吉思汗ハ源義経也』に集められたこれらの音声学や民俗学に基づく根拠の信頼性に議論の余地があることは、現在のわれわれには想像に難くない。しかし、このような推敲に耐えられないような説が広く言い伝えられたばかりでなく、繰り返し引用され、転載されたのはなぜだろうか。出版された年代から見れば、
1920年代は日本が海外に領土を積極的に拡張した時期で、モンゴル―満州の貴族は日本の武士と祖先を同じくしたという「東亜同源」に基づく学術的見解は、「満蒙の征服」を目指す当時の政治情勢や国家政策に迎合したものであり、出版されるやいなやベストセラーになったことは疑いがない。しかしながら、当時の学界の主流はこの見解に大反対であった

153:日本@名無史さん
22/04/11 15:07:58 .net
義経幻殺録。。。井沢元彦 
大正10年春、中国・上海。新進作家芥川龍之介は、源義経“清朝の祖”説を証明するという秘本を求め、上陸した
。ロシア・ロマノフ王家の秘宝・ペルテルブルクの星の行方は?清国再興をもくろむ日本陸軍の黒幕とは?連続殺人と歴史の謎に挑戦する芥川探偵の名推理。
歴史ミステリーの俊英井沢元彦の長編力作

154:日本@名無史さん
22/04/11 17:28:13 .net
いまどき井沢元彦なんて読んでたら馬鹿だと思われるぞw

155:太国 ◆ZgyHKik.H2
22/04/11 17:44:05 .net
『清』って清和源氏からとった名だと「成吉思汗の秘密」:高木彬光作 に
載ってたな。

156:太国
22/04/11 17:48:11.92 .net
笹竜胆の紋所
URLリンク(www.youtube.com)

157:太国 ◆ZgyHKik.H2
22/04/11 17:55:52 .net
等号論はまず成立しないが、例外があって成吉思汗は源義経で決まり。

158:日本@名無史さん
22/04/21 03:28:21.20 .net
チンギスハンとかいってるやつは、義経のことなんて何も分ってない
何も分ってないからこそ、その人気だけを切り取り、散々悪用してきたんだよね、こういうヴァカ達が
失せな ヴァ~カ

159:太国
22/04/21 08:39:11.54 .net
成吉思汗は源義経で決まり。

160:日本@名無史さん
22/04/21 09:35:11.61 .net
>>140
義時いれば~源氏も安泰!とセット販売<馬引き事件

161:日本@名無史さん
22/04/22 07:53:37.18 .net
やはり、源義経は、成吉思汗の参謀になったのかな?

162:日本@名無史さん
22/04/23 07:32:21 .net
義経は参謀タイプじゃないだろ
遊撃隊の隊長が一番似合う

163:太国
22/04/23 08:03:38.57 .net
言霊の置換をすれば
チンギスハーン→チンハスギーン(朕は杉陰)
朕は杉の蔭だよという示唆。
杉は杉目とかいう名の義経の影武者の暗示。
テムジンは同様に置換し、ジンムテとなる。神武天皇の名の詰まり。
天皇じゃないから後の音を欠けさせている。

164:日本@名無史さん
22/04/23 08:47:05.61 .net
こいつ、本気で西シベリアの「ハンチマンシー民族自治区」の名前の由来を「八幡氏」とか主張しそう。
八幡はもちろん源氏の守り神である八幡宮からとったものであることは言うまでもない。


俺が義経=ジンギスカンの証拠をさらに加えてどうすんねん

165:太国
22/04/23 09:39:18.74 .net
タクラマカン:多鞍馬汗

166:日本@名無史さん
22/04/23 11:00:40.18 .net
今昔物語にある、安部頼時の話に出てくる大河がアムール河だとすれば、
義経が大陸に渡るルートのヒントとして考えられなくもないな。
さらにいうと「御曹司島渡」でも義経は北海道に行ってるんだよな。

167:日本@名無史さん
22/04/26 03:24:22 .net
三谷幸喜の脚本うざい義経はもっとおとなしい人だったと思う
戦以外のことはいつも弁慶に相談してるみたいな

168:日本@名無史さん
22/04/26 18:07:11.17 .net
現実の義経がどんな人かは知らんが少なくとも弁慶に相談することはなかっただろうな

169:太国
22/04/26 20:42:53.62 .net
いま5chでやってるな。w 静御前か。

170:太国
22/04/26 20:44:26.41 .net
ジンギスカン説を否定してるが、彼は義経だよ。
否定の事由を言わない。ただ否定している。

171:日本@名無史さん
22/04/27 03:04:50.21 .net
弁慶は学者タイプの人物で妖怪のような奴ばかりといわれた
義経の軍団を取り仕切っていた

172:太国
22/04/27 08:24:36.64 .net
今夜10時か、1chで放送があるなぁ。歴史探偵。

173:太国
22/04/27 22:32:46.65 .net
いまNHK1chでやってるな。鵯越えか。

174:日本@名無史さん
22/04/27 22:39:25.14 .net
鵯越から攻め込んだのは義経ではない

175:日本@名無史さん
22/04/27 22:55:53.69 .net
的が動かない流鏑馬は軍事訓練としてあまり役に立たなかったので、
鎌倉武士が騎射術を極めるには、起伏のある山野を自由自在に愛馬を馳せながら狩りを行うか、実戦で敵を射落とすか以外になかったのよな。
だから京都在住で本物の騎射を学ぶ機会のない平家武者は弱かったし、源頼光の「矢を上手く射当てる自信がない」発言にもつながる。
頼光は簡単な歩射での「自信がない」発言だから、よりハードルの高い騎射の技量はたかが知れたものと推測できる。
常日頃の鍛練が必要な騎射の習得は京武者にとって極めて難易度の高い技術なんよな。

176:太国
22/04/27 22:58:00.56 .net
義経役は日ごろ女の髪型をやってるSというやつか?w CMでよく出るな。

177:太国
22/04/27 23:05:00.80 .net
義経は出っ歯だったのか?

178:太国
22/04/27 23:28:16.42 .net
>>174
多田という男だといってたな。

179:日本@名無史さん
22/04/27 23:34:14.36 .net
コロナだからまともな戦闘シーンを撮れないというが日本の俳優ではコロナじゃなくても徒歩武者のせこいチャンバラしか撮れない

180:日本@名無史さん
22/04/28 00:03:13.63 .net
義経って史実を見ても少し頭おかしい

181:日本@名無史さん
22/04/28 20:43:30.58 .net
京都の治安維持に努めていたことを知らないとそんな感想しかないだろうな

182:日本@名無史さん
22/04/28 21:42:29.46 .net
我こそはって名乗るのが常識で奇襲戦法は邪道だったのか?
でも勝利がすべてだからな

183:日本@名無史さん
22/04/28 22:03:58.91 .net
>>181
凶悪犯罪者だってたまにはいいことするぜ

184:日本@名無史さん
22/04/29 17:54:13.64 .net
肖像画だと北条義時の兄弟に見えてくる
伝()頼朝像偽物説のせいもあるかもしれないが

185:日本@名無史さん
22/05/01 15:11:10 .net
伝頼朝坐像と比べると義経のほうかイエメンに見える

186:日本@名無史さん
22/05/06 12:15:49.28 .net
詳しい人、教えてください。
今、義経記を読んでるんだけど、
義経記ってどのくらいの信憑性があるですかね。
弁慶の立ち往生なんて現実あったとも思えないし、
他にも創作っぽいのがいろいろあるんだけどあまり詳しくなくて。

187:日本@名無史さん
22/05/06 12:49:58 .net
弁慶と真田十勇士は完全に創作だろう?
真田幸村自体が忍者の心得があったんだろうけど
弁慶はそもそもいたのか?

188:日本@名無史さん
22/05/06 13:00:33.64 .net
一応、吾妻鏡には弁慶の名前はあるらしいです。
でも義経記は義経が死んだ後200年後に書かれたらしいので、信憑性どうなんだろう。というか内容からして作り話っぽくて。
「牛若丸」という名前は義経記だと牛若としか書いてなくて。
誰かが「丸」をつけたんですかね。
もう本当にいろいろ変えられてり盛られたりしてるんでしょうね。

189:日本@名無史さん
22/05/06 18:28:29.28 .net
義経記は完全な創作ですね
義経が記録にないところに話を作ったというのが義経記なんですわ

190:日本@名無史さん
22/05/06 20:16:24.31 .net
天狗から修行つけてもらったんだとw
天狗は中央アジアのテングリに通じるし
そこからチンギス・ハーン伝説も出たのかもねw

191:日本@名無史さん
22/05/06 20:17:44.16 .net
弁慶は実在したけどほとんどは創作なのは大昔から常識だぞ
鎌倉殿のごり押しが酷くて源平の争乱ニワカがすげえ増えてるんだよな

192:日本@名無史さん
22/05/06 20:21:54.18 .net
義経ブームで日本人に判官びいきを根付かせて日本人を弱くする政策なんだろうなNHKらしいわ
海外じゃ敗者は敗者
誰も敗者を評価しない
何が何でも勝つ
これが戦争
日本人の美学「いさぎよさ」は戦争では弱点になる

193:日本@名無史さん
22/05/06 20:26:58.41 .net
鎌倉殿なんて誰が見てるんだろ?
余程の歴史ニワカか腐女子共ぐらいしか見ないと思うんだが

194:日本@名無史さん
22/05/06 20:31:46.93 .net
>>193
大河が史実だと思って見てる人はいないよ
あれはあれとして楽しめばいいんだよ
マウント取りのドヤ顔マンの方がずっとみっともないよ

195:日本@名無史さん
22/05/06 20:36:38.66 .net
>>194
そういう台詞は何が一体楽しいのか具体的に説明証明してからにしてくれ

196:日本@名無史さん
22/05/06 20:40:42.14 .net
>>195
好きな人は見ればいいし嫌いな人は見なければいい、それだけのこと
それを見下す人間性がどうしようもないだけ
人をニワカだの言うならここでグダグダ言わないで歴史学者にでもなればいいよ

197:日本@名無史さん
22/05/06 20:41:57.69 .net
>>192
今回の義経どころか平成の信長ブームなんて最たるものだろ
あんな負け犬を極度に持ち上げて
「本能寺の変がなかったら」みたいに酒飲んで愚痴ってるオッサン思考を根付かせた
ちなみに信長ブームは小泉ブーム韓流ブームと時代が同じ

198:日本@名無史さん
22/05/06 20:43:16.47 .net
>>196
お前は何のためにここにいるんだ?

199:日本@名無史さん
22/05/06 20:45:08.06 .net
なお判官びいきが日本独特化のいい方はバカ井沢の本に毒されたかな?
中国の三国志なんて敗者側を主人公にしたんだが
イギリスのシェークスピアだって敗者を主人公とした四大悲劇が名作とされている

200:日本@名無史さん
22/05/06 20:45:27.31 .net
いずれにせよ今回の大河の義経は大げさな感じで戦基地外を演じてるわな
いくらなんでもあれは

201:日本@名無史さん
22/05/06 20:45:54.08 .net
結局源氏で最大の勝ち組は頼義義家親子か?

202:日本@名無史さん
22/05/06 20:55:10.18 .net
一寸法師信仰とか「柔よく剛を制す」とか判官びいきとか
弱者応援の風潮やめてほしいわ

203:日本@名無史さん
22/05/06 20:57:58.74 .net
判官贔屓なんて今や都市伝説だろ
そんなもんが今でも存在するのなら学校の虐めも増えないはず

204:日本@名無史さん
22/05/06 21:28:39.31 .net
>>202
そうやって「肉屋を支持する豚」が現政権を支持してるのなw

205:日本@名無史さん
22/05/06 22:06:28.83 .net
判官びいきを否定するってことは
もう引退してるけど白鵬と稀勢の里だったら当然白鵬を応援したんだよね?

206:日本@名無史さん
22/05/07 04:10:58.77 .net
昔民放でだが、
意図的に日本を源平それぞれの世に源平自体がしたとやってたな
平家じゃない平氏はまともな皇族だろうしね

207:日本@名無史さん
22/05/07 12:05:04.65 .net
平家は滅亡したと言いながらもその後も平姓は点在していた
逆に源氏は滅亡後源姓はほぼ消滅
といっても枝分かれして源平各々子孫だらけなんだけどね家康も一応源氏の流れらしいし

208:日本@名無史さん
22/05/07 16:26:26.04 .net
>>203
イジメは判官贔屓大全盛期の昭和の頃からあっただろ
それとこれとは違うんだよ

209:日本@名無史さん
22/05/08 15:39:04.37 .net
>>205
朝青龍と白鵬を応援していた。
白鵬バッシングは異常極まりなかった。

210:日本@名無史さん
22/05/08 19:53:17.08 .net
判官贔屓というのは、負けてる方を応援してしまう日本人特有の慈悲深い性質のことだよ
平家より源氏を応援しがちだけど、それは源氏の方が人間的に優れてる武将が多かったわけでも何でもない

211:日本@名無史さん
22/05/10 04:10:44.34 .net
>>207
それテレビ番組で見た
平家と平氏は違うということ
平家とは平清盛の一族のこと

212:日本@名無史さん
22/05/10 07:34:26.21 .net
平清盛はやっぱり悪人ですか?

213:日本@名無史さん
22/05/21 09:49:28.13 .net
関東東北での判官人気は絶大
東北では義経・弁慶>伊達政宗

214:日本@名無史さん
22/05/23 12:29:23.84 .net
>>211
狭義の意味ではそうなりますが、ちと違う

215:日本@名無史さん
22/06/06 12:42:46 .net
大きな流れが変わるには3代かかるんだな
最初の一人目はぶっ飛んでる必要があって、その分だいたい維持できない。
でもいなけりゃ残りの2代はなにものでもなかったわけで、
信長も義経もお疲れ様。

216:日本@名無史さん
22/06/15 18:14:05.86 .net
【2022年大河ドラマ鎌倉殿の13人】
船上で役立つ遠矢は九州や瀬戸内四国の戦法で
馬上戦は日々の狩猟や相撲で鍛え上げた関東武士得意の戦法
結局近畿周辺の都会の弱兵武士にはなんもないんだよなあ
京文化を模倣し平和ボケ、騎馬戦術を忘れた平泉武士の幕切れもあっけなかった
かつて弓馬の戦闘は夷狄のものと恐れられ、源義家などより強かった頃の東北騎馬軍の面影無し、
東北一の勇将・国衡ですら相模武士和田義盛の弓射に怯え逃げたところを武蔵武士畠山重忠(の配下)に討ち取られるという情けなさ

217:日本@名無史さん
22/06/15 18:19:01.44 .net
重忠ら坂東軍は、木曽勢や平家を撃破してきたばかりの歴戦の武者であった。実戦を知らない東北軍を攻めるなど、赤子の手を捻るようなものであったかもしれない。
それにしても、鎌倉勢の目に勇者の戦いとしてうつったのは金剛別当の子で僅か13歳の下須房太郎秀方の防戦だけであって、高楯黒と呼ばれる駿馬に乗った国衡でさえ、馳射の伝統はどこへやら、義盛に応射もせず逃げるのみであった。
最後はその名馬が柴田郡で深田に踏み込み動きが取れないということになるのである。豪勇という印象のある国衡さえこの有様であった。
(新野直吉秋田大学長、文学博士)

218:日本@名無史さん
22/11/08 01:06:47.82 .net
>>212
神戸においては歴史上の大人物です。
みなと神戸の礎を作った。

219:日本@名無史さん
22/11/13 02:52:25.79 .net
>>207
源氏滅亡後ってのが頼朝の子孫断絶後ってことなら
普通に足利とか新田とかがいて
元々源氏も平氏も頼朝や清盛の家系以外にも
もっと前の世代から枝分かれしまくって沢山いる

220:日本@名無史さん
22/11/13 02:54:00.83 .net
でも源家と平家、頼朝の子孫と清盛の子孫でいうと
頼朝は女系すら断絶したのに清盛は女系で残ってるな
まあ頼朝の弟妹の子孫は結構残ってるけど
頼朝の子孫の将軍断絶後の鎌倉将軍も頼朝妹の子孫だし

221:日本@名無史さん
23/01/25 16:06:40.18 .net
源義経って歳は離れてるけど
同時期にもう一人いるんだよね
源義光の子孫だけど

222:日本@名無史さん
23/03/10 23:35:40.85 .net
>>70
さすがに脅威だよなあ

223:日本@名無史さん
23/03/19 05:11:37.57 .net
船が難破せずに緒方三郎と九州に渡っていれば日本の歴史は大きく変わっていただろうな

224:日本@名無史さん
23/03/26 23:36:42.98 .net
>>207
義朝系統でも二家系は存続したでしょ
義平
朝長
頼朝
義門
希義→土佐吉良氏
範朝
全成→阿野氏
円済
義経


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