【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾玖at HISTORY
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾玖 - 暇つぶし2ch133:日本@名無史さん
21/03/07 15:21:16.74 .net
「水行十日陸行一月」の距離も解決済み
三国志時代、使者は1日50里ほど歩いた
50里は、箱根駅伝のヒト区間=20キロちょい、いわゆる長里だ
陸行一月 = 30日×50里 = 1500里
自郡至女王國 萬二千餘里= 水行10000里+陸行1500里+余里
(本来は11500里だが、大月氏よりちょい長めの萬二千餘里に)
帯方郡から
狗邪韓国←7000里 水7日
對海国 ←1000里 水1日
一大国 ←1000里 水1日
末盧国 ←1000里 水1日
計   10000里 ◆水行十日
伊都国 ← 500里 歩10日
奴国  ← 100里 歩2日
不彌国 ← 100里 歩2日
残り    800里 歩16日
計    1500里 ◆陸行一月
よく残りの距離は1300里と言われるが、それだと陸行40日になってしまう
陸行一月その逆算から、残り800里と計算が出る(ただし、放射説であれば残り里は増える)
つまり、「水行十日陸行一月」は解釈としては合ってる
陳寿は長里と言う認識で書いたが、実際の距離は短里(約75メートル)だったと言うだけだ
参考 短里 約1500里 = 約112・5キロ
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