【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌at HISTORY
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌 - 暇つぶし2ch850:日本@名無史さん
21/02/06 21:12:50.04 .net
>>780
それは住吉大社だけだろ
筑前住吉神社と風浪宮のソースはどうした

851:日本@名無史さん
21/02/06 21:13:04.51 .net
>>781
> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

852:日本@名無史さん
21/02/06 21:13:20.29 .net
>>782
現人神社まで海岸線が来ていたら博多遺跡群に弥生期のものがあることが説明できない
博多湾岸には他にも西新町遺跡や藤崎遺跡といった海沿いの遺跡が存在している
伝承がどうであろうと考古学はそれを否定している
URLリンク(inoues.net)
なお、奴国の都である須玖から1短里=75mで北西方向に逆算すると、100里ちょうどは天神あたり、山を避けて西新町遺跡まで行くと160里(12km)くらいある
誤差を許容してもこの辺が限度であり、西新町遺跡は伊都国の東端ということになるだろう
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

853:日本@名無史さん
21/02/06 21:13:32.40 .net
>>783
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

854:日本@名無史さん
21/02/06 21:13:50.71 .net
>>784
41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

855:日本@名無史さん
21/02/06 21:19:21.15 .net
.

◆中国の釜

中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用
新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用

アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww
URLリンク(search.yahoo.co.jp)
アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww
URLリンク(search.yahoo.co.jp)
アー タノシーデスネー 7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑!wwww
URLリンク(inoues.net)

.

856:日本@名無史さん
21/02/06 23:23:24.16 .net
>>795
糸島朝鮮人しつこ過ぎw
イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造
URLリンク(ja.wikipedia.org)
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。
糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。
URLリンク(i.imgur.com)

857:日本@名無史さん
21/02/06 23:23:35.79 .net
>>795
糸島朝鮮人しつこ過ぎw
イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造
URLリンク(ja.wikipedia.org)
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。
糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。
URLリンク(i.imgur.com)

858:日本@名無史さん
21/02/06 23:23:46.24 .net
>>796
糸島朝鮮人しつこ過ぎw
筑前住吉神社は現人神社が海から遠のいてしまったから冷泉津の岬(現在の住吉神社の地)に分社したと社伝に残しているんだから今の現人神社の地まで海岸線が伸びていたのは明白
さらに内陸の四王寺山(シオウジヤマ)が重箱読みになっている原因として、四王寺山の旧名は潮路見山(シオジミヤマ)だったからと分かっていることからも
2世紀の海岸線は我々の想像以上に内陸だったと地理学的に判明している

859:日本@名無史さん
21/02/06 23:23:59.21 .net
>>797
糸島朝鮮人は往生際が悪すぎw

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと
現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)
敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)
青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南
そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)
筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)
天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇
山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)
出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君
葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)
そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

860:日本@名無史さん
21/02/06 23:24:11.56 .net
>>798
糸島朝鮮人は往生際が悪すぎw
名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は那珂川市の現人神社だとしている

861:日本@名無史さん
21/02/06 23:24:31.96 .net
>>799
               ∩_
              〈〈〈 ヽ
      ____   〈⊃  }
     /⌒  ⌒\   |   |
   /( ●)  (●)\  !   !
  / :::::⌒(__人__)⌒:::::\|   l   
  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

862:日本@名無史さん
21/02/06 23:24:51.50 .net
郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。
【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。
URLリンク(i.imgur.com)

863:日本@名無史さん
21/02/06 23:25:04.16 .net
歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!
現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、


864:志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。 常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。 https://i.imgur.com/puurb8v



865:日本@名無史さん
21/02/06 23:25:16.57 .net
イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造
URLリンク(ja.wikipedia.org)
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。
糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。
URLリンク(i.imgur.com)

866:日本@名無史さん
21/02/06 23:25:33.27 .net
~糸島朝鮮人特有の三種の珍技~
∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)
∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)
∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)
URLリンク(i.imgur.com)

867:日本@名無史さん
21/02/06 23:25:46.73 .net
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!
~仲哀天皇八年一月~
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ~
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!
~現代~
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!
糸島朝鮮人の妄想がコチラ
URLリンク(i.imgur.com)
現実はコチラ
URLリンク(i.imgur.com)

868:日本@名無史さん
21/02/06 23:25:58.95 .net
朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白
五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう
五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。
にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している
五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る
「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

声闘連投で精神勝利するしか能のないち糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してあげました
URLリンク(i.imgur.com)

869:日本@名無史さん
21/02/06 23:26:14.48 .net
糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。
声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 5ちゃんねるで言えば長文の連投と言えるだろう。
議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。
古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。
相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返す。
そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。
自分に非があっても決して認めず、大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ~!確定ニダ~!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。
URLリンク(i.imgur.com)

870:日本@名無史さん
21/02/06 23:27:48.77 .net
古代史関連スレの四大迷惑チョンの徳島朝鮮人、糸島朝鮮人、キナイコシ朝鮮人、在日ヒトモドキ朝鮮人
 
 
"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む徳島朝鮮人は巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
スレリンク(history板)
 
 
"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸島朝鮮人も巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
スレリンク(sf板)
 
 
何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナイコシ朝鮮人は首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキ朝鮮人はドブ川に身投げしろ
  
 
古代史関連スレの四大迷惑朝鮮人どもの得意技
こじつけ
思い込み
盲信
猿芝居
声闘
URLリンク(i.imgur.com)

871:日本@名無史さん
21/02/07 21:42:51.61 .net
>>801
> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

872:日本@名無史さん
21/02/07 21:43:10.32 .net
>>802
現人神社まで海岸線が来ていたら博多遺跡群に弥生期のものがあることが説明できない
博多湾岸には他にも西新町遺跡や藤崎遺跡といった海沿いの遺跡が存在している
伝承がどうであろうと考古学はそれを否定している
URLリンク(inoues.net)
なお、奴国の都である須玖から1短里=75mで北西方向に逆算すると、100里ちょうどは天神あたり、山を避けて西新町遺跡まで行くと160里(12km)くらいある
誤差を許容してもこの辺が限度であり、西新町遺跡は伊都国の東端ということになるだろう
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

873:日本@名無史さん
21/02/07 21:43:22.10 .net
>>803
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

874:日本@名無史さん
21/02/07 21:43:35.25 .net
>>804
41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

875:日本@名無史さん
21/02/07 21:44:55.87 .net
>>807
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw
日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
URLリンク(wi12000.starfree.jp)
君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならないう
結局キナイコシ君の発言には考古学的裏付けが全くありません、ただの嘘です

876:日本@名無史さん
21/02/07 21:45:07.42 .net
>>808
> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

877:日本@名無史さん
21/02/07 23:43:45.85 .net
>>814
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造
URLリンク(ja.wikipedia.org)
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。
糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。
URLリンク(i.imgur.com)

878:日本@名無史さん
21/02/07 23:44:17.69 .net
>>815
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
筑前住吉神社は現人神社が海から遠のいてしまったから冷泉津の岬(現在の住吉神社の地)に分社したと社伝に残しているんだから今の現人神社の地まで海岸線が伸びていたのは明白
さらに内陸の四王寺山(シオウジヤマ)が重箱読みになっている原因として、四王寺山の旧名は潮路見山(シオジミヤマ)だったからと分かっていることからも
2世紀の海岸線は我々の想像以上に内陸だったと地理学的に判明している

879:日本@名無史さん
21/02/07 23:44:40.82 .net
>>816
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと
現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)
敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)
青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南
そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)
筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)
天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇
山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)
出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君
葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)
そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

880:日本@名無史さん
21/02/07 23:45:01.08 .net
>>817
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は那珂川市の現人神社だとしている

881:日本@名無史さん
21/02/07 23:45:38.58 .net
>>818
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!
現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。
常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。
URLリンク(i.imgur.com)

882:日本@名無史さん
21/02/07 23:46:03.18 .net
>>819
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造
URLリンク(ja.wikipedia.org)
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。
糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。
URLリンク(i.imgur.com)

883:日本@名無史さん
21/02/11 01:26:17.56 .net
>>820
> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

884:日本@名無史さん
21/02/11 01:26:36.20 .net
>>821
現人神社まで海岸線が来ていたら博多遺跡群に弥生期のものがあることが説明できない
博多湾岸には他にも西新町遺跡や藤崎遺跡といった海沿いの遺跡が存在している
伝承がどうであろうと考古学はそれを否定している
URLリンク(inoues.net)
なお、奴国の都である須玖から1短里=75mで北西方向に逆算すると、100里ちょうどは天神あたり、山を避けて西新町遺跡まで行くと160里(12km)くらいある
誤差を許容してもこの辺が限度であり、西新町遺跡は伊都国の東端ということになるだろう
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

885:日本@名無史さん
21/02/11 01:26:53.20 .net
>>822
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

886:日本@名無史さん
21/02/11 01:27:17.93 .net
>>823
41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

887:日本@名無史さん
21/02/11 01:28:03.44 .net
>>824
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw
日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
URLリンク(wi12000.starfree.jp)
君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならないう
結局キナイコシ君の発言には考古学的裏付けが全くありません、ただの嘘です

888:日本@名無史さん
21/02/11 01:28:19.18 .net
>>825
> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

889:日本@名無史さん
21/02/11 08:14:28.98 .net
>>826
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造
URLリンク(ja.wikipedia.org)
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。
糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。
URLリンク(i.imgur.com)

890:日本@名無史さん
21/02/11 08:15:12.46 .net
>>827
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
筑前住吉神社は現人神社が海から遠のいてしまったから冷泉津の岬(現在の住吉神社の地)に分社したと社伝に残しているんだから今の現人神社の地まで海岸線が伸びていたのは明白
さらに内陸の四王寺山(シオウジヤマ)が重箱読みになっている原因として、四王寺山の旧名は潮路見山(シオジミヤマ)だったからと分かっていることからも
2世紀の海岸線は我々の想像以上に内陸だったと地理学的に判明している

891:日本@名無史さん
21/02/11 08:15:24.84 .net
>>828
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと
現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)
敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)
青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南
そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)
筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)
天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇
山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)
出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君
葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)
そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

892:日本@名無史さん
21/02/11 08:15:39.59 .net
>>829
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は那珂川市の現人神社だとしている

893:日本@名無史さん
21/02/11 08:15:55.07 .net
>>830
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!
現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。
常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。
URLリンク(i.imgur.com)

894:日本@名無史さん
21/02/11 08:16:11.65 .net
>>831
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造
URLリンク(ja.wikipedia.org)
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。
糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。
URLリンク(i.imgur.com)

895:日本@名無史さん
21/02/11 08:16:51.49 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。
【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。
URLリンク(i.imgur.com)

896:日本@名無史さん
21/02/11 08:17:22.31 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
~糸島朝鮮人特有の三種の珍技~
∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)
∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)
∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)
URLリンク(i.imgur.com)

897:日本@名無史さん
21/02/11 08:18:08.64 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!
~仲哀天皇八年一月~
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ~
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!
~現代~
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!
糸島朝鮮人の妄想がコチラ
URLリンク(i.imgur.com)
現実はコチラ
URLリンク(i.imgur.com)

898:日本@名無史さん
21/02/11 08:18:31.01 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白
五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう
五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。
にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこ


899:れは誤りです。』と明言している 五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している 五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る 「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る 声闘連投で精神勝利するしか能のないち糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してあげました https://i.imgur.com/puurb8v



900:日本@名無史さん
21/02/11 08:18:53.14 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。
声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 5ちゃんねるで言えば長文の連投と言えるだろう。
議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。
古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。
相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返す。
そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。
自分に非があっても決して認めず、大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ~!確定ニダ~!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。
URLリンク(i.imgur.com)

901:日本@名無史さん
21/02/11 08:19:14.26 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ~
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ∥ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

902:日本@名無史さん
21/02/11 08:19:57.57 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

古代史関連スレの四大迷惑チョンの泡チョン、糸チョン、キナチョン、在日ヒトモドキ
 
"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む泡チョンは巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
スレリンク(history板)
 
"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸チョンも巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
スレリンク(sf板)
 
何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ
中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
 
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技
こじつけ
思い込み
盲信
猿芝居
声闘
URLリンク(i.imgur.com)

903:日本@名無史さん
21/02/13 19:26:35.12 .net
>>832
> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

904:日本@名無史さん
21/02/13 19:27:12.67 .net
>>833
現人神社まで海岸線が来ていたら博多遺跡群に弥生期のものがあることが説明できない
博多湾岸には他にも西新町遺跡や藤崎遺跡といった海沿いの遺跡が存在している
伝承がどうであろうと考古学はそれを否定している
URLリンク(inoues.net)
なお、奴国の都である須玖から1短里=75mで北西方向に逆算すると、100里ちょうどは天神あたり、山を避けて西新町遺跡まで行くと160里(12km)くらいある
誤差を許容してもこの辺が限度であり、西新町遺跡は伊都国の東端ということになるだろう
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

905:日本@名無史さん
21/02/13 19:27:38.23 .net
>>834
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

906:日本@名無史さん
21/02/13 19:27:58.33 .net
>>835
41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

907:日本@名無史さん
21/02/13 19:28:35.47 .net
>>836
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw
日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
URLリンク(wi12000.starfree.jp)
君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならないう
結局キナイコシ君の発言には考古学的裏付けが全くありません、ただの嘘です

908:日本@名無史さん
21/02/13 19:29:08.59 .net
>>837

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

909:日本@名無史さん
21/02/14 00:27:09.85 .net
>>793
「陸行一月」はどこいった?

910:日本@名無史さん
21/02/14 00:36:37.53 .net
>>845
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造
URLリンク(ja.wikipedia.org)
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。
糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。
URLリンク(i.imgur.com)

911:日本@名無史さん
21/02/14 00:36:48.08 .net
>>846
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
筑前住吉神社は現人神社が海から遠のいてしまったから冷泉津の岬(現在の住吉神社の地)に分社したと社伝に残しているんだから今の現人神社の地まで海岸線が伸びていたのは明白
さらに内陸の四王寺山(シオウジヤマ)が重箱読みになっている原因として、四王寺山の旧名は潮路見山(シオジミヤマ)だったからと分かっていることからも
2世紀の海岸線は我々の想像以上に内陸だったと地理学的に判明している

912:日本@名無史さん
21/02/14 00:37:01.46 .net
>>847
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと
現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)
敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)
青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南
そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)
筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)
天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇
山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)
出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君
葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)
そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

913:日本@名無史さん
21/02/14 00:37:12.02 .net
>>848
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は那珂川市の現人神社だとしている

914:日本@名無史さん
21/02/14 00:37:23.21 .net
>>849
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!
現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。
常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。
URLリンク(i.imgur.com)

915:日本@名無史さん
21/02/14 00:37:35.38 .net
>>850
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造
URLリンク(ja.wikipedia.org)
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。
糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。
URLリンク(i.imgur.com)

916:日本@名無史さん
21/02/14 00:38:02.97 .net
>>851糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。
【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。
URLリンク(i.imgur.com)

917:日本@名無史さん
21/02/14 00:38:27.42 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
~糸島朝鮮人特有の三種の珍技~
∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)
∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)
∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)
URLリンク(i.imgur.com)

918:日本@名無史さん
21/02/14 00:38:48.03 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白
五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう
五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。
にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している
五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る
「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

声闘連投で精神勝利するしか能のないち糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してあげました
URLリンク(i.imgur.com)

919:日本@名無史さん
21/02/14 00:39:16.28 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!
~仲哀天皇八年一月~
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ~
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!
~現代~
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!
糸島朝鮮人の妄想がコチラ
URLリンク(i.imgur.com)
現実はコチラ
URLリンク(i.imgur.com)

920:日本@名無史さん
21/02/14 00:39:39.62 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。
声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 5ちゃんねるで言えば長文の連投と言えるだろう。
議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。
古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。
相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返す。
そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。
自分に非があっても決して認めず、大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ~!確定ニダ~!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。
URLリンク(i.imgur.com)

921:日本@名無史さん
21/02/14 00:40:11.08 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ~
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ∥ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

922:日本@名無史さん
21/02/14 00:41:13.71 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの泡チョン、糸チョン、キナチョン、在日ヒトモドキ
 
"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む泡チョンは巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
スレリンク(history板)
 
"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸チョンも巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
スレリンク(sf板)
 
何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ
中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技
こじつけ
思い込み
盲信
猿芝居
声闘
URLリンク(i.imgur.com)
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

923:日本@名無史さん
21/02/14 08:41:49.02 .net
>>851
書いてるだろ
URLリンク(i.imgur.com)
■魏志倭人伝は過去の記録に新たに得た情報を追加する形式で書かれている。
■中国側での伝承を書き写した部分
・帯方郡(ソウル)から南→東と海岸沿いに水行し狗邪韓国(釜山)までの距離が約7000里
・対馬→壱岐→北部九州上陸までの合計が約3000里
・上陸してから伊都国までが陸行およそ500里
・奴国、不彌国までがそれぞれ約100里
・これらを足し合わせ陳寿は帯方郡から女王の都までの総距離を合計12000里と見積もった
ただし、伝承では1里=75mだったが、陳寿は1里=435mという認識
■卑弥呼時代に朝貢に来た倭人による行程説明を追記した部分(日数表記の記録)
①帯方郡から
②南に船で20日→投馬国(狗邪韓国)
③南に船で10日→邪馬台国(女王国:北部九州)上陸
④女王の入国許可を伊都国で待つ
⑤倭人か客人の到着を女王に知らせに行く
⑥女王の


924:使者が迎えに来る ⑦迎えに来た護衛とともに女王の都へ ■考えられること ・海洋民族である倭人は船で移動することを全て水行と表現していた ・倭人は対馬海峡を挟んで半島側を投馬国と呼び、北部九州側を邪馬壹(臺)国と呼んでいた ・倭人は距離単位の「里」を知らず「日」を使って表現していた(隋書倭国伝に記載あり) ・陸行一月は④~⑦女王のもとに到着するまでに一か月を要するという意味である ・陳寿は魏の里しか知らず倭は会稽東冶の東だと思ったので①を削除して連続行程とした ■結論 魏の時代の倭人は半島南部を投馬国、北部九州を邪馬台国と呼んでいただけのこと



925:日本@名無史さん
21/02/14 19:10:20.82 .net
なるほど
だんだん分かってきた
日本に出迎えた!なんて言う天皇だの言う存在いるわけねえからなw

926:日本@名無史さん
21/02/14 21:59:54.57 .net
薩長閥の主、倭王阿度部磯良。
主君の遠い子孫が日乃本一長期政権首相。もともと日乃本将軍だった。

927:日本@名無史さん
21/02/14 22:12:12.70 .net
.

◆中国の釜

中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用
新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用

アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww
URLリンク(search.yahoo.co.jp)
アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww
URLリンク(search.yahoo.co.jp)
アー タノシーデスネー 7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑!wwww
URLリンク(inoues.net)

.

928:日本@名無史さん
21/02/15 01:01:06.71 .net
>>852
> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

929:日本@名無史さん
21/02/15 01:01:24.44 .net
>>853
現人神社まで海岸線が来ていたら博多遺跡群に弥生期のものがあることが説明できない
博多湾岸には他にも西新町遺跡や藤崎遺跡といった海沿いの遺跡が存在している
伝承がどうであろうと考古学はそれを否定している
URLリンク(inoues.net)
なお、奴国の都である須玖から1短里=75mで北西方向に逆算すると、100里ちょうどは天神あたり、山を避けて西新町遺跡まで行くと160里(12km)くらいある
誤差を許容してもこの辺が限度であり、西新町遺跡は伊都国の東端ということになるだろう
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

930:日本@名無史さん
21/02/15 01:01:42.44 .net
>>854
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

931:日本@名無史さん
21/02/15 01:02:02.31 .net
>>855
41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

932:日本@名無史さん
21/02/15 01:02:56.35 .net
>>856
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw
日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
URLリンク(wi12000.starfree.jp)
君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

933:日本@名無史さん
21/02/15 01:03:17.43 .net
>>857

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

934:日本@名無史さん
21/02/15 01:04:06.41 .net
結局、>>576の事実には何ら反論出来ないキナイコシくんなのでしたw

935:日本@名無史さん
21/02/15 01:19:20.42 .net
>>869
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造
URLリンク(ja.wikipedia.org)
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。
糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。
URLリンク(i.imgur.com)

936:日本@名無史さん
21/02/15 01:19:32.40 .net
>>870
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
筑前住吉神社は現人神社が海から遠のいてしまったから冷泉津の岬(現在の住吉神社の地)に分社したと社伝に残しているんだから今の現人神社の地まで海岸線が伸びていたのは明白
さらに内陸の四王寺山(シオウジヤマ)が重箱読みになっている原因として、四王寺山の旧名は潮路見山(シオジミヤマ)だったからと分かっていることからも
2世紀の海岸線は我々の想像以上に内陸だったと地理学的に判明している

937:日本@名無史さん
21/02/15 01:19:44.43 .net
>>871
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと
現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)
敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)
青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南
そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)
筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)
天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇
山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)
出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君
葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)
そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

938:日本@名無史さん
21/02/15 01:19:54.40 .net
>>872
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は那珂川市の現人神社だとしている

939:日本@名無史さん
21/02/15 01:20:06.59 .net
>>873
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!
現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。
常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。
URLリンク(i.imgur.com)

940:日本@名無史さん
21/02/15 01:20:16.13 .net
>>874
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造
URLリンク(ja.wikipedia.org)
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。
糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。
URLリンク(i.imgur.com)

941:日本@名無史さん
21/02/15 01:20:52.03 .net
>>875
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
~糸島朝鮮人特有の三種の珍技~
∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)
∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)
∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)
URLリンク(i.imgur.com)

942:日本@名無史さん
21/02/15 01:21:22.83 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。
【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。
URLリンク(i.imgur.com)

943:日本@名無史さん
21/02/15 01:21:46.58 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
~糸島朝鮮人特有の三種の珍技~
∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)
∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)
∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)
URLリンク(i.imgur.com)

944:日本@名無史さん
21/02/15 01:22:09.34 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白
五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう
五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。
にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している
五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る
「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

945:日本@名無史さん
21/02/15 01:22:30.04 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!
~仲哀天皇八年一月~
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ~
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!
~現代~
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!
糸島朝鮮人の妄想がコチラ
URLリンク(i.imgur.com)
現実はコチラ
URLリンク(i.imgur.com)

946:日本@名無史さん
21/02/15 01:22:54.06 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。
声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 5ちゃんねるで言えば長文の連投と言えるだろう。
議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。
古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。
相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返す。
そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。
自分に非があっても決して認めず、大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ~!確定ニダ~!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。
URLリンク(i.imgur.com)

947:日本@名無史さん
21/02/15 01:23:17.17 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ~
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ∥ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

948:日本@名無史さん
21/02/15 01:23:59.35 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの泡チョン、糸チョン、キナチョン、在日ヒトモドキ
"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む泡チョンは巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
スレリンク(history板)
"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸チョンも巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
スレリンク(sf板)
何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ
中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  


949: 糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww 古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技 こじつけ 思い込み 盲信 猿芝居 声闘 https://i.imgur.com/faTpmpq 糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww



950:日本@名無史さん
21/02/15 02:25:36.27 .net
>>865
半島南西部の古墳がたくさんあった地域って政治的に
どういう地域だったのかよく分からん。
魏志韓伝の馬韓の記述では北部と南部でかなり違うように
書かれていたりと一貫性がないんだけど、南部についてもう少し
詳しく書いて欲しかったところ。
宋書夷蛮伝で「百済、新羅、任那、秦韓、慕韓」と5つに
区分されているけど、新羅と秦韓が区別されて、慕韓が追加
されてあったりするけど、慕韓が馬韓としても百済と区別
されているので南西部が慕韓なんだろうと思うけど、政治的に
慕韓がどういう地域なのかが不明だが、南西部に何らかのものが
あったとは思うんだよね。
投馬国はよく宮崎と比定されるけど、宮崎は遺跡が多くて人口が
多く見積もられているわりには政治的なものが弱い。古代の宮崎は
実際は人口あんま多くない辺境地域だったんじゃないかと思う。
とにかく、投馬国を半島南西部に比定する考え方は面白いが、
何らかの証拠が欲しい。

951:日本@名無史さん
21/02/15 09:59:42.42 .net
>>890
慕韓は馬韓のことじゃないかという説もある
後の五王時代など考えると倭と半島とは密接な関係にあったと思う
半島南部が倭だったとした方が何かと辻褄が合う

952:日本@名無史さん
21/02/15 10:37:39.87 .net
五王の正体もまだ分かっとらんよ
讃だから応神天皇だな説があるだけでな

953:日本@名無史さん
21/02/15 10:38:03.85 .net
あくまであれは説なん

954:日本@名無史さん
21/02/15 12:31:11.85 .net
.


(8)蒸して食べる
7000年前 中国に起源
最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。
この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。
蒸し調理の起源は、今から6000~7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。
日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。
しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。
今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 URLリンク(www.nabunken.go.jp)

.

955:日本@名無史さん
21/02/15 12:33:27.00 .net
.


7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。
6000年前には鬲も登場して、甑を鬲にセットして蒸し上げるという炊飯方法も加わる。
ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎�


956:琺ュも甑も何一つ伝えなかった。 弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。 中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。 甑と同時に伝わった同じく中国には7000年前からある竈もそれまで知らなかった。 釜に至っては5Cまで待たなければならない。 弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。 ◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑 http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html .




次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch