【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌at HISTORY
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌 - 暇つぶし2ch849:日本@名無史さん
21/02/06 18:41:42.05 .net
不自然かつ難解な文章構成を読み解こう
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■魏志倭人伝は過去の記録に新たに得た情報を追加する形式で書かれている。
■中国側での伝承を書き写した部分
・帯方郡(ソウル)から南→東と海岸沿いに水行し狗邪韓国(釜山)までの距離が約7000里
・対馬→壱岐→北部九州上陸までの合計が約3000里
・上陸してから伊都国までが陸行およそ500里
・奴国、不彌国までがそれぞれ約100里
・これらを足し合わせ陳寿は帯方郡から女王の都までの総距離を合計12000里と見積もった
ただし、伝承では1里=75mだったが、陳寿は1里=435mという認識
■卑弥呼時代に朝貢に来た倭人による行程説明を追記した部分(日数表記の記録)
①帯方郡から
②南に船で20日→投馬国(狗邪韓国)
③南に船で10日→邪馬台国(女王国:北部九州)上陸
④女王の入国許可を伊都国で待つ
⑤倭人か客人の到着を女王に知らせに行く
⑥女王の使者が迎えに来る
⑦迎えに来た護衛とともに女王の都へ
■考えられること
・海洋民族である倭人は船で移動することを全て水行と表現していた
・倭人は対馬海峡を挟んで半島側を投馬国と呼び、北部九州側を邪馬壹(臺)国と呼んでいた
・倭人は距離単位の「里」を知らず「日」を使って表現していた(隋書倭国伝に記載あり)
・陸行一月は④~⑦女王のもとに到着するまでに一か月を要するという意味である
・陳寿は魏の里しか知らず倭は会稽東冶の東だと思ったので①を削除して連続行程とした
■結論
魏の時代の倭人は半島南部を投馬国、北部九州を邪馬台国と呼んでいただけのこと


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