【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌at HISTORY
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌 - 暇つぶし2ch44:日本@名無史さん
21/01/06 16:27:27.57 .net
五十猛と天香具山(大屋姫と兄弟の説もあるが基本的には各種系図を合わせると同じ大屋姫を奥さんに貰ってる)
五十猛命は素盞嗚尊と共に高天原から新羅の曽尸茂梨に降臨している。素盞嗚尊とともに高天原生まれの国津神であろうか。
天照大神と素盞嗚尊との誓約で生まれた神とすると、その神格から見ると天津日子根命か熊野樟日神のどちらかであろう。
天津日子根命は木の国の造の祖とされており、この木の国を紀の国とすれば、紀の国の大神とされた五十猛命に該当する。
大型家屋の神ともされる。
しかし紀の国造は天道根命の後裔の紀氏とされ、紀氏は五十猛命兄妹を祀る伊太祁曽神社を旧社地から山東の地に追いやり、さらに兄妹神を分遷を願い出ているところから五十猛命を祖神とはしていない氏族であると言える。
(前スレの古事記おじさんの引用でも紀に行ったとされている)
天津日子根命と同一神とする説は苦しいものと思われる。
尤も、紀氏は元々の紀の国名草の豪族であり、名草比売の後裔である由緒ある古い家系であるのを、大和朝廷との関連で、天道根命の後裔を名乗り、自らの由緒を捨ててしまったとする説もある。
古代において出世の為に祖神を捨てれるのか、あまりに現代的な解釈であろう。
また五十猛命は樹木神であり、素盞嗚尊の御子神であるとされている所から、熊野の熊野樟日神と同一神であるとの説がある。これは、現在の熊野本宮大社には五十猛命は祀られていないにもかかわらず、各地に勧請されている熊野神社の祭神に五十猛命が25社も祀られている所からも、ある程度の妥当性がある説と言える。 例えば名は熊野神社ではないが、摂津の証誠神社等の祭神は五十猛命である。なお熊野の名を持ち五十猛命を祭神とする神社は宮城県群馬県等全国で21座確認できる。 五十猛命と共に熊野神社に祀られている神々は、櫛御食野神10柱、素盞嗚尊、イザナミ尊格5柱となっているが、唯一宮崎の萩之嶺神社をのぞき熊野樟日神と共には祀られていない。
五十猛命を祀る神社参照。
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