【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌at HISTORY
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌 - 暇つぶし2ch245:日本@名無史さん
21/01/15 00:32:45.94 .net
中臣氏は東国にやってきて鹿島系の人と婚姻関係を結び、鹿島の宮司をやるようになった。(宮司家東実さん言)
それから鎌足の話になっていく。
九州の八耳の子孫には太臣氏があり、太安万侶と藤原不比等が親戚関係という話もここでも裏付けられる。
そして安曇の志賀海神社の「鹿つながり」
あの島には鹿が居なかったと早々に嘘をついてた人が居たがw「「昔は志賀島にも鹿がいて、江戸時代には鹿狩りも行われている。」
塩釜神社の元の祭神はナガスネヒコ
現在ではシオヅチ、ミカヅチ、フツヌシになっている。
塩釜神社が一之宮になる前はツツコワケ神社が一之宮になっていたが
両者とも江戸時代にアジスキタカヒコを当てることが流行ったようである。
上州側に行くと、なんと豊彦(豊鍬入彦)が合祀されている事が多い。
安曇族の拠点の隣は阿部系(ナガスネヒコ系)
安曇族が単独で王家だった話なんて何処にも伝わってない話ww
祖物部氏との関係は曖昧だけど、海部や出雲の血筋とは割合にはっきりしている。


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