【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌at HISTORY
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌 - 暇つぶし2ch108:日本@名無史さん
21/01/10 09:15:01.64 .net
>>99
「加茂宮ノ前遺跡」(縄文時代)     令和2年6月12日 徳島新聞朝刊
阿南市加茂町の「加茂宮ノ前遺跡」は、那賀川中流域の右岸の自然堤防上にある。
標高は26m前後。
今回の調査では、縄文時代中~後期(約5500~3千年前)にかけての遺物の大きな成果が得られた。
確認されたのは、屋外炉や土坑、溝などの遺構だ。
期待した「竪穴式住居」の発見には至らなかったが、屋外炉や縄文土器を捨てた土坑などが見つかったことから、集落の一端を捉えた可能性が十分にある。
一方、遺物では装飾品類がたくさん出土した。
縄文土器のほか、玉斧や玦状耳飾り、耳栓などだ。
玦状耳飾りは7点、玉斧1点、垂飾1点。
深瀬遺跡(阿南市深瀬朝)の翡翠製丸玉、田井遺跡(美波町由岐)の玦状耳飾り、西原遺跡(東みよし町足代)の翡翠製大珠とを合わせて考えると、
県内の縄文時代の装飾品の多様性がうかがえる。
他方、「加茂宮ノ前遺跡」を特徴付ける水銀朱関連の遺物については、今回の縄文時代中期の層からの出土はなかった。
ここで水銀朱が使われ始めた時期が、縄文後期だと裏付けられた。
ただし、豊富な装飾品類が示す通り、日常生活の中で祭祀が行われていたことが十分うかがえ、
縄文後期までに、これまでに発見されている配石遺構(祭祀場)を築ける素地が出来上がっていたといえる。
2016年度に始まった発掘調査では、弥生時代~古墳時代の鍛冶遺構や水銀朱精製関連の遺物、縄文時代後期の「竪穴式住居」や円形配石遺構、
国内最古級の水銀朱関連の遺物が確認され、全国的に注目を集めた。(県埋蔵文化財センター専門研究員・田川憲)   @阿波  


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