日本書紀は政治家の回顧録ー自己正当化の著作物at HISTORY
日本書紀は政治家の回顧録ー自己正当化の著作物 - 暇つぶし2ch1:日本@名無史さん
20/11/18 12:16:52.65 .net
政治家の回顧録は自身を正当化するものだ。
日本書紀は政治家が命じて作らせたので回顧録と似たものだ。
日本書紀は政治に都合よく書かれているので歴史書とはいいがたい。
真実の歴史は、長期的には辰王が300年かけて倭国に移り日本を作った。その概略は・・・・
高句麗が南下すると三韓にいた辰王が分裂した。
倭国に移った辰王は倭の五王となり倭国を統一し大王を称した。
残った辰王は百済をつくり辰朝を自任した。が、高句麗の圧迫で南下し続けた。
百済昆支王は倭国に南下し倭の五王の大王政権を襲った。
昆支系大王は百済の傀儡政権である。
アマタリシヒコ大王(=上宮法皇、昆支系)が100年ぶりに朝貢を再開したのは百済からの脱却の意味があり、不審な死を遂げた。
百済の翹岐王が入鹿を殺し、昆支系を一掃して、倭国を律令制で統一し、孝徳と呼ばれた。
その皇子が大海人と見られる。大海人は倭国王であり、百済残党に援軍を送ったが
白村江の敗北で百済はなくなり、大挙して百済は倭国に押し寄せ、扶余勇を中心に大宰府から近江にかけての政府「日本」を作った。
扶余勇はのちに天智天皇と呼ばれた。
百済人が倭号を乗っ取り日本国に変更した。
大海人は扶余勇の従兄弟で格上の扶余勇に従った。扶余勇崩御後壬申の乱を起こし統一した。ここに分裂した辰王は合流した。
天武は新羅に傾斜し、その後の政権は天平文化の洗礼を受けた。
詳しくは「国際的視点からの古代史考」を参照。
URLリンク(sites.google.com)


レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch