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福岡県みやま市山川町清水面の上
古代の清水集落は、有明海の海岸線が深く入り込んだ海岸であったろう。
ここに住んでいた古代人は、樹木に覆われた山川町の台地を「面」と呼んでいたであろう。
清水から竹林が覆いる切通しの坂道がある。
今でも地元では台地に上がる坂道の麓ふもと付近を「面の口」、
長い坂道を「面の坂」坂の頂上を「面の上」と呼ぶ。
坂の途中にはクスワン塚古墳、面の上古墳、などがあり、
東側には河原内かわはらうちの九折つづら大塚古墳が存在している。
『後漢書』東夷伝に「安帝あんていの時代である永初元年(紀元107年)、
倭の国王帥升すいしょう等、生口せいこう(奴隷の意)百六十人を献上し、
安帝に謁見えっけん(目上の人にお目にかかる)をお願いした。
桓帝、霊帝の時代(146〜189年)の間、倭国は大いに乱れ、さらに互いに攻め合い、,
何年も王がいなかった。」とある。
薩摩街道沿いには、古代遺跡の多い現在の河原内・清水・尾野地区一帯に
邪馬台国成立以前の「倭の面上国」の所在地ではと、郷土史家の村山健治氏らは推理している。,
面上国とは邪馬台国の卑弥呼の時代より130年程さかのぼる時代に存在した国である。