【福岡・大分】邪馬台国北部九州説【佐賀・長崎】 2at HISTORY
【福岡・大分】邪馬台国北部九州説【佐賀・長崎】 2 - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
20/10/31 04:08:23.23 .net
邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
これを押さえておかないと正解には辿り着かない
【用例】
通鑑釋文辯誤卷六
URLリンク(www.kanripo.org)
>沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣
江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける
【嘉興府志】
URLリンク(wenku.baidu.com)
>{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう
また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし

3:日本@名無史さん
20/10/31 04:09:34.38 .net
>>2により邪馬台国までの所要時間は水行ならば10日、陸行ならば一ヶ月であると確定したが、
同時に行程が放射読みで書かれていることも導かれる
なぜなら前段に書かれている投馬国へは水行20日とあるので、連続読みならば、訪問者は投馬国に着いた時点で必ず船に乗っていることになる
20日間も船に乗って投馬国まで来たのに、そこからわざわざ船を乗り捨てて3倍も時間の掛かる陸路を選ぶ理由が存在しない
そのままあと10日船で行けば済む話であるから、もし連続読みで記載しているのならば投馬国からの陸路なんて記載する必要が無い
そうではなく、行程が放射読みで書かれているため、伊都国を経由して邪馬台国へ行こうとする中国人への道案内のための文章としては
彼らが船を確保できていないケースも想定しなければならない
なぜなら末廬国から伊都国までは陸行だと書いてある以上、伊都国に到着する中国人は船に乗っていないわけだからな
そのため時間さえかければ陸路でも行けることを併記する必要があった
つまり邪馬台国の場所は伊都国と地続きの範囲、すなわち九州内に限られる
水行のみで行ける場所なので海か大河のほとりであり、かつ陸行も可能なので伊都国との間に通行不能な山塊などは存在しない地域、となる

4:日本@名無史さん
20/10/31 04:17:27.07 .net
BS-TBSの諸説あり!の映像らしいが、弥生時代の鉄鏃が大量に出土した場所が九州を横断するように存在している
どう見てもここが邪馬台国と狗奴国が戦闘してた戦線=国境ライン
URLリンク(i.imgur.com)
熊本も菊池川より北側あたりは女王国に属していたようだ
これは免田式土器の分布とも一致する
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

5:日本@名無史さん
20/10/31 04:20:10.17 .net
383 :日本@名無史さん :2020/05/28(木) 00:59:58.44
さて、こうして狗奴国の領域を考古学的に検証してみると
以前作ったこの地図はかなり正しいように思えるな
309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

当時はまだ免田式土器の知識が足りなかったから狗奴国に阿蘇地域を含めていないなどの欠点はあるが
邪馬台国の位置検討の上では支障無いだろう

6:日本@名無史さん
20/10/31 04:35:05.41 .net
>>1
> 北部九州説論を語り合いましょう。
> 前スレ
> 【福岡・大分】邪馬台国北部九州説【佐賀・長崎】
> スレリンク(history板)
> 邪馬台国九州説 Part.5
> スレリンク(history板)
>
> ※他説を貶したり、貶めることは九州説の裏付けにはならないのでやめましょう。
> ※しかし、前スレは荒らしや叩きなど醜いレスバに邪魔され続けて住人たちがまともに議論し合えなかったという経緯があります。
> ※同じ轍を踏まないためにも、このスレでは伊都ネタ、阿波ネタ、オクキョンネタを禁じます。
> ※ 伊 都 ネ タ 、 阿 波 ネ タ 、 オ ク キ ョ ン ネ タ は 禁 止 で す !
>
> 必須NGワード:@阿波、オクキョン、五十迹手、伊都
>
> 伊都国王=海人族だと言い張る人はコチラ↓に移動
> 伊都国王は五十猛で阿曇磯良で伊都国は邪馬台国
> スレリンク(history板)
>
> 伊都国=邪馬台国だと言い張る人はコチラ↓に移動
> 女王國=伊都國=邪馬台国の首都 Part.2
> スレリンク(history板)
> or
> 邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)
> スレリンク(history板)
>
> 倭国=阿波だと言い張る人はコチラ↓に移動
> 「邪馬臺国」は阿波だった Part.8
> スレリンク(history板)
>
> オクキョン?遺跡が名畑遺跡より古いと言い張る人はコチラ↓に移動
> 日本に対する朝鮮起源説を真面目に考えるスレ
> スレリンク(history板)

7:日本@名無史さん
20/10/31 04:36:35.15 .net
>>4
お前か

8:日本@名無史さん
20/10/31 04:38:10.82 .net
海洋民族の定義が曖昧なんだよな
例えば海の民や倭寇なんかは拠点は持ちつつも基本的には陸地生活者を襲って文化や遺伝子も引っくるめて略奪するために海を使ってるわけだ
一方の海人族はといえば農耕民族だった百越が農地(安住の地と言っても良いだろう)を求めて移動するために海を使ったに過ぎない
海人族=海洋民族って思考は乱暴過ぎる

9:日本@名無史さん
20/10/31 04:40:29.95 .net
海人族
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
※海洋民族とは定義が異なります

10:日本@名無史さん
20/10/31 04:40:34.27 .net
>
> 海洋民族の定義が曖昧なんだよな
> 例えば海の民や倭寇なんかは拠点は持ちつつも基本的には陸地生活者を襲って文化や遺伝子も引っくるめて略奪するために海を使ってるわけだ
> 一方の海人族はといえば農耕民族だった百越が農地(安住の地と言っても良いだろう)を求めて移動するために海を使ったに過ぎない
> 海人族=海洋民族って思考は乱暴過ぎる
>
引用元:【福岡・大分】邪馬台国北部九州説【佐賀・長崎】
スレリンク(history板:898番)

11:日本@名無史さん
20/10/31 04:41:46.95 .net
>>8
>>10
うざい
簡潔に9でWikipedia提示してるだろうに
オレオレしすぎ

12:日本@名無史さん
20/10/31 04:43:24.07 .net
>
> 実際問題として先駆海人族はみんなが想像するような航海術を持っていなかった可能性だってある
>
> 例えば4世紀以降に活躍した宗像はその主祭神を島と岬とやや川を昇った所に置いている
> 明確な航海術を持っていた証拠と言えると思う
>
> しかし先駆海人族である阿曇の末裔が祀る志賀海神社の主祭神や住吉神社の主祭神は海底と水面とその中間に置かれている
>
> 後期海人族である宗像は海上移動(横移動)しているが、初期海人族である綿津見と住吉は海中移動(縦移動)してると言い換えることが出来る
> これは魏志倭人伝の示す倭人の生活様式である「好捕魚鰒、水無深淺、皆沈没取之」に相当する
>
> つまり初期海人族は海を渡ってきたことに間違いはないが、今日日イメージされるほど舟は使っていなかったのではないか?
>
引用元:【福岡・大分】邪馬台国北部九州説【佐賀・長崎】
スレリンク(history板:899番)

13:日本@名無史さん
20/10/31 04:50:33.31 .net
文明は日進月歩発達する。
後の方が技術的に高いのは当たり前。
ルーツの問題
悔しかったら宗像族はその時代の技術で、現代の米海兵隊を負かせたまへ。

14:日本@名無史さん
20/10/31 04:54:50.65 .net
権威主義者の宗像族の沽券にかかわるんだろうな。
そういう無駄なプライドが国を衰退させる。

15:日本@名無史さん
20/10/31 05:05:22.30 .net
独り言が始まった

16:日本@名無史さん
20/10/31 05:14:04.99 .net
>>9
>海人族(かいじんぞく、あまぞく)、海神族(わたつみぞく)は弥生文化前期の主力を担ったもので、
>航海、漁労など海上において活動し、のちには海上輸送で力をつけることとなった集団である[1]。
どうみても海洋民のようだが

17:日本@名無史さん
20/10/31 05:14:51.36 .net
>>10-12
こっちに引用してるのは書いた本人?それとも赤の他人が勝手にコピペしてるだけ?

18:日本@名無史さん
20/10/31 05:16:11.37 .net
>>12
安曇由来の地名が日本全国に広がっている時点でその理論は成立しない
近江あたりは3世紀以前だし
URLリンク(4.bp.blogspot.com)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
> 高島市(たかしまし)は、滋賀県の西部、琵琶湖北西に位置する市。市の面積は県下一である。
>
> 古代の弥生時代の3世紀以前に古代日本を代表する有力氏族である安曇族が定着した。
> 高島の一級河川の安曇川の名称は安曇族に由来する。県名の滋賀県も安曇族に由来すると言われている。(滋賀郡の郡名の由来を参照)

19:日本@名無史さん
20/10/31 05:16:12.40 .net
>>16
前スレからの引用を見る限り似て非なるものだな
> 例えば海の民や倭寇なんかは拠点は持ちつつも基本的には陸地生活者を襲って文化や遺伝子も引っくるめて略奪するために海を使ってるわけだ
> 一方の海人族はといえば農耕民族だった百越が農地(安住の地と言っても良いだろう)を求めて移動するために海を使ったに過ぎない
> 海人族=海洋民族って思考は乱暴過ぎる

20:日本@名無史さん
20/10/31 05:17:35.97 .net
>>19
そんな妄想を根拠にされても
>>18の通り安曇は全国展開だし

21:日本@名無史さん
20/10/31 05:17:41.12 .net
本人じゃないの

22:日本@名無史さん
20/10/31 05:18:38.80 .net
>>18
大洋航海、狭水道航海、沿岸航海を知らないのかい?

23:日本@名無史さん
20/10/31 05:18:53.88 .net
>>20
この人、他のスレでも色んな角度から突っ込まれてるのにマトモな返答できてないよ
画像コピペしてれば妄想どおりになると思い込んでるヤバイ人

24:日本@名無史さん
20/10/31 05:19:16.77 .net
解散解散

25:日本@名無史さん
20/10/31 05:19:31.88 .net
>>20
どこが妄想?
百越は認めたくないってスタンス?

26:日本@名無史さん
20/10/31 05:20:22.51 .net
たまにちゃんとした知識人もいるんだよな
長文コピペの人だけNGしたいからコテつけてほしい

27:日本@名無史さん
20/10/31 05:20:39.89 .net
>>23-24
※しかし、前スレは荒らしや叩きなど醜いレスバに邪魔され続けて住人たちがまともに議論し合えなかったという経緯があります。
※同じ轍を踏まないためにも、このスレでは伊都ネタ、阿波ネタ、オクキョンネタを禁じます。
※ 伊 都 ネ タ 、 阿 波 ネ タ 、 オ ク キ ョ ン ネ タ は 禁 止 で す !

28:日本@名無史さん
20/10/31 05:22:40.79 .net
>>25
百越であるというソースが無ければ認められないだろ普通

29:日本@名無史さん
20/10/31 05:23:05.81 .net
>>23
こいつ他スレめっちゃ荒らしてたよ
思い出したらリンク貼るね

30:日本@名無史さん
20/10/31 05:23:06.28 .net
南から(今は海)歩いてきた宗像族(南九州人)が、安曇族にコンプ抱いているとしか思えない(笑)
野蛮だったのは南から歩いてきた人たちでしょ。

31:日本@名無史さん
20/10/31 05:23:53.52 .net
でしょ君

32:日本@名無史さん
20/10/31 05:23:54.76 .net
>>4
北部九州で決まりだな
畿内説は死んだ

33:日本@名無史さん
20/10/31 05:24:03.35 .net
>>29
頼むからダラダラと駄レスのコピペを延々と貼るのはやめてくれ

34:日本@名無史さん
20/10/31 05:24:38.66 .net
>>29
荒らし乙

35:日本@名無史さん
20/10/31 05:24:49.89 .net
>>28
どんだけ偏った知識に凝り固まってるんだよ君は・・・

36:日本@名無史さん
20/10/31 05:25:04.49 .net
>>33
だらだら貼ってないけど

37:日本@名無史さん
20/10/31 05:25:27.64 .net
>>34
バレたら困るもんね

38:日本@名無史さん
20/10/31 05:25:55.46 .net
>>30
は?宗像は出雲系だぞ
何言ってんだお前は

39:日本@名無史さん
20/10/31 05:26:42.53 .net
>>36
貼らなくて良いってこと
自分の頭で考えて自分の言葉で書くなら全然良いぞ

40:日本@名無史さん
20/10/31 05:26:48.99 .net
>>35
ソース出せないの?
じゃあ君の負けだね

41:日本@名無史さん
20/10/31 05:26:57.09 .net
同じ土俵に降りて戦うべき相手かね
みんなソース出そうよ

42:日本@名無史さん
20/10/31 05:27:05.33 .net
あはは 必死だねぇ

43:日本@名無史さん
20/10/31 05:28:03.88 .net
>>40
おいおい
そもそもお前の連投する話がソースなしだろ

44:日本@名無史さん
20/10/31 05:28:16.16 .net
ソースが無ければ駄目
それが匿名掲示板のルール

45:日本@名無史さん
20/10/31 05:28:52.51 .net
要は唯伊都主義者がいろんなスレに書き殴った駄レスをしつこくコピペするのはこのスレの趣旨に反してるってことを言いたいわけね。

46:日本@名無史さん
20/10/31 05:28:56.65 .net
>>43
どれのこと?

47:日本@名無史さん
20/10/31 05:28:57.34 .net
>>43
どれのこと?

48:日本@名無史さん
20/10/31 05:29:49.65 .net
>>44
賛成!
そしてソースはこじつけや思い込みではなく客観的なものに限るってことで

49:日本@名無史さん
20/10/31 05:30:16.88 .net
>>46-47
朝っぱら興奮しすぎだ猿

50:日本@名無史さん
20/10/31 05:31:18.40 .net
宗像、厳島の世界遺産→権威主義者のやりそうなこと
志賀海→本当の聖地だから権威付けは必要無し

51:日本@名無史さん
20/10/31 05:32:33.52 .net
何と戦ってるのか理解できない

52:日本@名無史さん
20/10/31 05:32:52.73 .net
>>46
すべて

53:日本@名無史さん
20/10/31 05:33:17.72 .net
別に宗像を上げたいわけでも下げたいわけでもないでしょ
シンプルに前期と後期と区別してるだけ

54:日本@名無史さん
20/10/31 05:33:28.61 .net
>>33
スレ立てた人に言えよ

55:日本@名無史さん
20/10/31 05:34:09.50 .net
>>54
※他説を貶したり、貶めることは九州説の裏付けにはならないのでやめましょう。
※しかし、前スレは荒らしや叩きなど醜いレスバに邪魔され続けて住人たちがまともに議論し合えなかったという経緯があります。
※同じ轍を踏まないためにも、このスレでは伊都ネタ、阿波ネタ、オクキョンネタを禁じます。
※ 伊 都 ネ タ 、 阿 波 ネ タ 、 オ ク キ ョ ン ネ タ は 禁 止 で す !
必須NGワード:@阿波、オクキョン、五十迹手、伊都
伊都国王=海人族だと言い張る人はコチラ↓に移動
伊都国王は五十猛で阿曇磯良で伊都国は邪馬台国
スレリンク(history板)
伊都国=邪馬台国だと言い張る人はコチラ↓に移動
女王國=伊都國=邪馬台国の首都 Part.2
スレリンク(history板)
or
邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)
スレリンク(history板)
倭国=阿波だと言い張る人はコチラ↓に移動
「邪馬臺国」は阿波だった Part.8
スレリンク(history板)
オクキョン?遺跡が名畑遺跡より古いと言い張る人はコチラ↓に移動
日本に対する朝鮮起源説を真面目に考えるスレ
スレリンク(history板)

56:日本@名無史さん
20/10/31 05:34:16.87 .net
天皇家の沽券にかかわるからな 宗像押しはそういう権威主義者と既得権益層の塊。

57:日本@名無史さん
20/10/31 05:34:27.84 .net
907 日本@名無史さん 2020/10/31(土) 05:16:42.15
ごちゃんのルール的にはここ埋めるべき
次スレ消費してる奴は荒らし

58:日本@名無史さん
20/10/31 05:35:09.04 .net
レスバって
Twitterから流れてきたやつ?

59:日本@名無史さん
20/10/31 05:35:51.10 .net
>>26
同意

60:日本@名無史さん
20/10/31 05:36:01.49 .net
>>57
何でいつまで経っても誰にでも解かりやすい、引用元を参照しやすいコピペが出来ないかねぇ・・・

61:日本@名無史さん
20/10/31 05:36:29.72 .net
また天皇家の敗北か(笑)

62:日本@名無史さん
20/10/31 05:36:59.51 .net
>>60
リンク貼ってくださいとお願いしたら?
そんなルール無いんだから

63:日本@名無史さん
20/10/31 05:37:24.40 .net
掲示板でカッコワライ

64:日本@名無史さん
20/10/31 05:37:43.62 .net
>>60
三点リーダくらい出せないのかよ

65:日本@名無史さん
20/10/31 05:37:49.09 .net
天皇家云々は今は不要な思い込みだな
> 別に宗像を上げたいわけでも下げたいわけでもないでしょ
> シンプルに前期と後期と区別してるだけ
>>53

66:日本@名無史さん
20/10/31 05:38:08.11 .net
>>60
出たマイルール教養

67:日本@名無史さん
20/10/31 05:38:19.83 .net
>>62
何でいつまで経っても誰にでも解かりやすい、引用元を参照しやすいコピペが出来ないかねぇ・・・

68:日本@名無史さん
20/10/31 05:38:43.70 .net
>>60
どう見ても前スレだけど、検索できない初心者?

69:日本@名無史さん
20/10/31 05:39:06.17 .net
>>67
必要ある?

70:日本@名無史さん
20/10/31 05:39:17.06 .net
>>66
ここは皆で議論する場所なんだから出典元も分からないコピペは無用だという意味が理解できないの?

71:日本@名無史さん
20/10/31 05:39:33.91 .net
飛ぶの面倒だから張ればいい

72:日本@名無史さん
20/10/31 05:40:17.91 .net
>>057が常習犯だから注意してるんだぞ

73:日本@名無史さん
20/10/31 05:40:41.75 .net
煽ったらすぐに出てくるわかりやすい南九州土人の宗像族(笑)
伊都を出雲に捏造したりと何かと大変ですな。

74:日本@名無史さん
20/10/31 05:40:44.85 .net
>>52
>>2,4などにソースがあるからただの言いがかりだな

75:日本@名無史さん
20/10/31 05:41:03.04 .net
>>70
前スレ埋めるという2ちゃんのルールに、何の出典元が要るの?前スレ見てないの?専ブラ入れてないの?

76:日本@名無史さん
20/10/31 05:41:10.60 .net
>>71
それは猿理屈
その前後を確認したい住人を無視した猿よがりでしかない

77:日本@名無史さん
20/10/31 05:42:01.11 .net
>>057が常習犯だから注意してるんだぞ(二度目)

78:日本@名無史さん
20/10/31 05:42:32.28 .net
俺らも住人なんだが
お前一人の欲求に付き合えと言われても

79:日本@名無史さん
20/10/31 05:42:55.91 .net
コピペ禁止と書かなかった>>1が悪いってことかwww

80:日本@名無史さん
20/10/31 05:43:06.24 .net
>>77
2ちゃんのルールスレ張ればいいか?

81:日本@名無史さん
20/10/31 05:43:22.55 .net
>>77
は?

82:日本@名無史さん
20/10/31 05:43:42.94 .net
前スレってあのまま放置なん?

83:日本@名無史さん
20/10/31 05:44:31.02 .net
ここまでマトモな議論無し

84:日本@名無史さん
20/10/31 05:44:44.08 .net
>>78
お前は住人同士で対話すること相互理解することが目的ではないのか?
突然貼られたコピペの前後を確認したい他の住人を無視した猿よがりはやめろと言っている

85:日本@名無史さん
20/10/31 05:44:55.23 .net
そもそもスレ立てのタイミングが早すぎたのが諸悪の根源
>>1は反省しろ

86:日本@名無史さん
20/10/31 05:46:03.25 .net
>>84
知りたかったら簡単に検索できるのに?
はいどうぞ?
そんなに無能とはね?
スレリンク(history板:907番)

87:日本@名無史さん
20/10/31 05:46:11.31 .net
>>85
同意

88:日本@名無史さん
20/10/31 05:47:06.61 .net
>>84
スレタイに関係ない話なのに粘着しすぎ

89:日本@名無史さん
20/10/31 05:47:16.80 .net
猿同士のマウント合戦か(笑)  南九州人にはお似合いだよ。
さて寝るか

90:日本@名無史さん
20/10/31 05:47:43.61 .net
>>86
常習犯だから注意してるんだぞ(三度目)
反省して以後は気をつけるように

91:日本@名無史さん
20/10/31 05:47:51.10 .net
(笑) ←おじいちゃんか?

92:日本@名無史さん
20/10/31 05:48:39.22 .net
>>90
常習って何だ?それしか貼ってないぞ?誰と勘違いしてんだよ

93:日本@名無史さん
20/10/31 05:49:26.60 .net
住人同士で対話すること相互理解することが目的じゃないならノートパッドにでも書いてろよというry)

94:日本@名無史さん
20/10/31 05:50:18.69 .net
>>92
なら初心者だったんだな
反省して以後は気をつけるように

95:日本@名無史さん
20/10/31 05:51:51.40 .net
>>94
え?このスレのローカルルールなのか?>>1にも明記されてないのに?

96:日本@名無史さん
20/10/31 05:52:49.44 .net
取り敢えず皆落ち着いて前スレから消化しましょう
ってことで前スレ終わるまでこっちには書き込みしないように

97:日本@名無史さん
20/10/31 05:53:09.49 .net
>>95
住人同士で対話すること相互理解することが目的じゃないならノートパッドにでも書いてろよというry)

98:日本@名無史さん
20/10/31 05:53:27.24 .net
>>95
他の板に行ったことないんじゃ

99:日本@名無史さん
20/10/31 05:53:55.02 .net
>>98
住人同士で対話すること相互理解することが目的じゃないならノートパッドにでも書いてろよというry)

100:日本@名無史さん
20/10/31 05:54:30.70 .net
猿連呼してるやつが一番の猿だったな

101:日本@名無史さん
20/10/31 05:54:30.67 .net
取り敢えず皆落ち着いて前スレから消化しましょう
ってことで前スレ終わるまでこっちには書き込みしないように

102:日本@名無史さん
20/10/31 05:54:37.35 .net
>>95
ここの主はそこ神経質だから仕方ない

103:日本@名無史さん
20/10/31 05:55:04.92 .net
>>100
NGワードが増えるわ

104:日本@名無史さん
20/10/31 05:55:21.12 .net
5chに主とかいねえよw

105:日本@名無史さん
20/10/31 05:55:30.82 .net
>>100
語尾にキキーッとかウッキーって書かないと理解できないなら次からそうするよ伊都猿君

106:日本@名無史さん
20/10/31 05:56:08.53 .net
※他説を貶したり、貶めることは九州説の裏付けにはならないのでやめましょう。
※しかし、前スレは荒らしや叩きなど醜いレスバに邪魔され続けて住人たちがまともに議論し合えなかったという経緯があります。
※同じ轍を踏まないためにも、このスレでは伊都ネタ、阿波ネタ、オクキョンネタを禁じます。
※ 伊 都 ネ タ 、 阿 波 ネ タ 、 オ ク キ ョ ン ネ タ は 禁 止 で す !
必須NGワード:@阿波、オクキョン、五十迹手、伊都
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107:日本@名無史さん
20/10/31 05:58:12.53 .net
>>104
>>1が主とかいう概念は5ch以外ではよく見るからどっか他の掲示板から流れてきたんだろうな

108:日本@名無史さん
20/10/31 05:59:28.63 .net
>>100
まさしく

109:日本@名無史さん
20/10/31 06:00:20.48 .net
> 取り敢えず皆落ち着いて前スレから消化しましょう
>
> ってことで前スレ終わるまでこっちには書き込みしないように

110:日本@名無史さん
20/10/31 06:00:54.73 .net
>>108
語尾にキキーッとかウッキーって書かないと理解できないなら次からそうするよ猿芝居しか出来ない伊都猿君

111:日本@名無史さん
20/10/31 06:01:05.50 .net
> 取り敢えず皆落ち着いて前スレから消化しましょう
>
> ってことで前スレ終わるまでこっちには書き込みしないように

112:日本@名無史さん
20/10/31 06:01:11.98 .net
> 取り敢えず皆落ち着いて前スレから消化しましょう
>
> ってことで前スレ終わるまでこっちには書き込みしないように

113:日本@名無史さん
20/10/31 06:10:47.01 .net
議論が盛り上がってるのかと思ったら荒らししかいない

114:日本@名無史さん
20/10/31 06:12:24.73 .net
精々、司馬懿君の影響力化の伝記でごときで、いつまでも猿”しばい”をしているがいいさ。
死せる仲達、生ける日本土人を走らす(笑)

115:日本@名無史さん
20/10/31 06:17:41.54 .net
>>113
> 取り敢えず皆落ち着いて前スレから消化しましょう
>
> ってことで前スレ終わるまでこっちには書き込みしないように

116:日本@名無史さん
20/10/31 08:52:35.83 .net
>>11
引用くらいしろよ。
無能

117:日本@名無史さん
20/10/31 08:55:07.04 .net
>>38
>>30
>は?宗像は出雲系だぞ
>何言ってんだお前は
出雲とも血縁があったということだが、明らかに宗像は出雲を下した筑紫の側。

118:日本@名無史さん
20/10/31 09:01:00.02 .net
>>89
正論を吐いている伊都宗像安曇が気に食わなくて、半島だとか南九州だとか、捏造に忙しいことだな。

119:日本@名無史さん
20/10/31 09:35:31.63 .net
>>117
宗方家は、第6代オミツヌの子供の次男の方で、アタカタスが始祖。
初代神武と婚姻した磯城家の家系に間違って誤記されて登場する。
ただし九州物部とはズブズブだから下した側に付いていたと言われても仕方がない立場ではある。

120:日本@名無史さん
20/10/31 09:46:21.95 .net
賀茂家までの出雲系の家系図を書いてみる。
事代主と三島の姫がクシヒカタを生む。
初代:1天日方クシヒカタ→2健飯勝(磯城登美家)→3健甕槌→4豊御気主→5大神饌主→6大神饌持→7加茂建津乃身(八咫烏:加茂家)→8建魂依彦→9(五十手見と、分家の大田田根子)
正式には、2健飯勝が磯城家初代となるから、記紀だと実質代6代の加茂建津乃身:八咫烏が道案内したとされるから、この時点で家系図上の初代神武は東征をしてないことが分かる。
更に、大田田根子は第8代の加茂家の分家にあたる。
天皇家の系譜で8代だと丁度クニクル。フトニの後の孝元天皇。この時代の皇子が大彦とモモソ姫の時代。
磐余彦神武が大和入りしたのがこの代になる。東征だな。
魏書の卑弥呼の二代前の時代だな。倭人伝の崇神神武は景初年間だからもう少し後。 ヤマト入りした垂仁のイクメ王は魏書に載ったからこれは確定。
(ここでは尾張氏、磯城家、海部氏の、家系図上の神武を初代神武(村雲王)。記紀上の神武を磐余彦神武、学説上の神武を崇神神武とする)
どうする九州説さん。少なくとも最低でも7代までの全てが九州に無ければ畿内説はその時点で成立するぞ?
それだけのものが既に九州にあるのなら陵墓から何から全部現時点で比定されてなければ説明すらおぼつかないはず。
倭人伝の距離の話なんてしてる暇はないぞ?

121:日本@名無史さん
20/10/31 10:07:33.48 .net
補足
クシヒカタの妹がタタライスズ姫。
そこから三代続けて出雲系から神武の尾張家に嫁さんが入っている。
三代目の天皇の又の名は磯城津彦。

122:日本@名無史さん
20/10/31 10:47:44.14 .net
>>121
大和での話はこじつけっぽい。
本来は父親がわからないのを三輪山の神と言うことにしたようにも読める。

123:日本@名無史さん
20/10/31 10:49:35.45 .net
>>120
神武の世代を勝手にすり替えた詐欺。
何が「学問上の神武」だよ。

124:日本@名無史さん
20/10/31 10:52:12.52 .net
【賀茂一族の系譜】
畿内を開拓した古代氏族の系譜。三輪高宮家系譜などに資料が残されている。
新撰姓氏録には山城国の神別、天神とある。
天神玉命(天活玉命、伊久魂命)ー天櫛玉命(神櫛玉命、天押立命)ー加茂建角身命(八咫烏、陶津耳命)ー鴨建玉依彦命(玉依彦命)ー五十手美命(生玉兄日子命)
ただし先代旧事本紀には、筑紫から大和に天降った饒速日に随伴した天櫛玉命が鴨県主の祖、天神魂命が葛野鴨県主の祖とあり、それぞれが別の鴨族とされている。
賀茂建角身命はまたの名を八咫烏、八咫烏鴨武角身命、三嶋湟咋、三島溝咋、三島溝橛耳神、陶津耳命、陶津耳、天日方奇日方武茅淳祇という。
賀茂建角身命と大山祇を祭るのは伊予国大三島の大山祇神社、土佐の溝咋神社、摂津の三島鴨神社、京都の上賀茂神社と下鴨神社、奈良の天理三島神社などである。
神武を助けた八咫烏の正体が賀茂建角身命とされている。
賀茂建角身命は大和の葛木山から山代の岡田の賀茂(岡田鴨神社がある)に至り、葛野河(高野川)と賀茂河(鴨川)が合流する地点(下鴨神社がある)に鎮まったとされる。
賀茂建角身命の息子である建玉依比古が賀茂県主の祖である。
賀茂建角身命の娘である活玉依姫(玉櫛媛、勢夜陀多良比売)が鴨川で拾った(山城国風土記逸文による)丹塗矢で懐妊して産んだ息子が賀茂別雷命、または天日方奇日方(櫛御方、鴨主)であり、娘が後に神武の妃となるイスケヨリ姫(媛蹈鞴五十鈴姫)である。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子、イスケヨリ姫の次男が綏靖天皇である。

125:日本@名無史さん
20/10/31 10:52:28.23 .net
賀茂氏の系譜はもう一つある。
大己貴神と宗像の田心姫の間に生まれた味耜高彦根命と下照姫を祖とする賀茂氏である。大和葛城を拠点としていたが、新撰姓氏録では大和国の神別、地祇とされている。
同じ新撰姓氏録が山城国の賀茂族を天神、大和国葛城の賀茂氏を地祇としているので、別の氏族である可能性がある。
ただし天神であるイスケヨリ姫の父については古事記が美和之大物主神、日本書紀が大三輪神としており、いずれも大和の神であることから、異同について議論がある。
これらの神々は、溝杭耳の名に象徴されるように、稲作を伝えた筑紫からの開拓者の首長層であろう。
耳は九州の王族の称号として知られていて、列島への稲作伝来の地である筑紫から来たことは明白である。
記紀や先代旧事本紀などの歴史書は、筑紫を起点に稲作を広めた倭国の首長層の名前をちきんと伝えている。
それは、彼らが後の天皇家や主な豪族の祖先であることを考えれば当然だろう。
それらの書が伝える神代の王権の所在地は、筑紫の日向すなわち福岡県西部の博多湾沿岸であり、紀元前から三種の神器の様式が副葬された王墓があった地である。
特に銅鏡は魏志倭人伝にもあるように中国皇帝から冊封された倭王の象徴であった。
それは卑弥呼が亡くなった3世紀中頃まで畿内にはほとんど流入していない。

126:日本@名無史さん
20/10/31 11:23:37.58 .net
>>125
>特に銅鏡は魏志倭人伝にもあるように中国皇帝から冊封された倭王の象徴であった。

魏の水銀朱が使われた萩原古墳群出土の画文帯神獣鏡
同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群出土の斜縁二神二獣鏡
この画文帯神獣鏡か斜縁二神二獣鏡 このどちらかだろうね 魏から下賜された鏡は。   @阿波

127:日本@名無史さん
20/10/31 12:51:09.95 .net
>>123
学説上の神武は崇神天皇でしょう?
諡号がハツクニシラスだから。
だから天皇架空説があるんじゃん

128:日本@名無史さん
20/10/31 12:51:52.09 .net
>>122
確か、記紀でも最初の奥さんは出雲系から3人嫁さんもらってる内容だったかと

129:日本@名無史さん
20/10/31 12:53:28.86 .net
>>123
記紀が編纂された頃なんて数百年前の話でしかないでしょ。
神話に感じるのは現代の我々の感覚。

130:日本@名無史さん
20/10/31 12:57:36.59 .net
>>125
耳が王族関係の名前とか、すごいことご存知ですな。
高鴨氏と加茂市は婚姻関係がありますから確かに曖昧ではありますね。
葛城国と、葛城氏(長江襲津彦)の曖昧さに似ている。

131:日本@名無史さん
20/10/31 13:01:37.98 .net
>>123
先代旧事本紀で、尾張家の家系。
海部氏の家系図で2代目綏靖からの天御蔭近辺の先祖の系譜
そして三島系の加茂氏の系譜があると、天叢雲が神武になる事がわかる。
BC2~BC1
倭国大乱期の160年近辺が八咫烏の時代。180近辺が太田タネコの時代

132:日本@名無史さん
20/10/31 13:10:37.62 .net
九州は、イツセの入ってきた磐余彦の代を八咫烏にする訳ですから、それまでの拠点が全て九州辺りになり、狗奴国は東だから日向辺りにないとやばいんじゃないかと思うんですが

133:日本@名無史さん
20/10/31 13:16:36.30 .net
九州説の東征ってどんなルートの予定なんでしょう?

134:日本@名無史さん
20/10/31 13:49:59.68 .net
>>119
このスレを使うなら>>1のテンプレくらい読んでおこうな
※他説を貶したり、貶めることは九州説の裏付けにはならないのでやめましょう。
※しかし、前スレは荒らしや叩きなど醜いレスバに邪魔され続けて住人たちがまともに議論し合えなかったという経緯があります。
※同じ轍を踏まないためにも、このスレでは伊都ネタ、阿波ネタ、オクキョンネタを禁じます。
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135:日本@名無史さん
20/10/31 13:51:22.86 .net
>>126
泡チヨンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チヨンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ~?
無能すぎるじょ~~~wwwww
   ∩∩∩    .    ∩∩∩
  .∩_:||_:|_:|        |_:||_:|_:∩
  │ ___  つ      ⊂  ___ │
   ヽ   ノ  ___   ヽ  ノ
  / /  /_ノ  ヽ、_\   ヽ \ ギャハハハハハハ
  (  く   o゚((●)) ((●))゚o   > )
  \ `/::::::⌒(__人__)⌒:::::\' /
    ヽ|     |r┬-|     |/
      \    | |  |     /
          | |  |
           `ー'´

136:日本@名無史さん
20/10/31 14:03:38.38 .net
>>127
>学説上の神武は崇神天皇でしょう?
そういうことを言う人もいる、という程度だよ。

137:日本@名無史さん
20/10/31 14:05:08.18 .net
前スレが埋まってからコチラを使いましょうよ

138:日本@名無史さん
20/10/31 14:06:11.03 .net
>>132
九州説では狗奴国は南とするのが定番。

139:日本@名無史さん
20/10/31 14:06:35.23 .net
前スレが埋まってからコチラを使いましょうよ

140:日本@名無史さん
20/10/31 14:08:47.14 .net
>>130
他にも曖昧なのは長髄彦の登美の一族の位置付けで、実は鴨の一族と同族なのではないかと思うけど、どうなのかね。
このあたり、記紀はあえて書かないようにしている節がある。

141:日本@名無史さん
20/10/31 14:11:21.56 .net
>>131
その辺りの家系図は異同の判断が難しいですよ。
安易にこの人物とこの人物が同一人物と言い切るのは危ういです。
こんなのもある。
宋史日本国伝
其《年代紀》所記云:
初主號天御中主。
次曰天村雲尊,其後皆以『尊』爲號。
次天八重雲尊,次天彌聞尊,次天忍勝尊,次瞻波尊,次萬魂尊,次利利魂尊,
次國狹槌尊,次角龔魂尊,次汲津丹尊,次面垂見尊,次國常立尊,次天鑒尊,次天萬尊,次沫名杵尊,
次伊奘諾尊,次素戔烏尊,次天照大神尊,次正哉吾勝速日天押穗耳尊,次天彥尊,次炎尊,次彥瀲尊,
凡二十三世,並都於築紫日向宮。
彥瀲第四子號神武天皇,自築紫宮入居大和州橿原宮,即位元年甲寅,當周僖王時也。

142:日本@名無史さん
20/10/31 14:14:58.14 .net
>>140
前スレが埋まってからコチラを使いましょうよ

143:日本@名無史さん
20/10/31 14:15:06.32 .net
>>141
前スレが埋まってからコチラを使いましょうよ

144:日本@名無史さん
20/10/31 14:51:42.21 .net
>>140
他にも申し上げたいこともございますが、長髄彦は、鴨一族と集合が進んだ、尾張家であります。
出雲系の血が濃くなったことにより出雲本家の富姓を使ったとされます。

145:日本@名無史さん
20/10/31 14:57:21.22 .net
>>144
前スレが埋まってからコチラを使いましょうよ

146:日本@名無史さん
20/10/31 15:39:21.55 .net
>>144
これはまた珍説ですが、出雲の王家は富氏と申し上げたのでございましょうか?

147:日本@名無史さん
20/10/31 15:42:44.21 .net
>>146
前スレが埋まってからコチラを使いましょうよ

148:日本@名無史さん
20/10/31 16:20:50.16 .net
>>146
すみませんwwww
出雲王家は、富家と、神門臣家です。
富家は向家ともいい、杵築大社上官職筆頭、神門臣家は杵築大社のお抱えの宮大工でした。
トビとも読みます。
登美は富から来ています。
奈良に行ってからは磯城家とも、磯城登家とも呼ばれました

149:日本@名無史さん
20/10/31 16:26:01.35 .net
>>148
前スレが埋まってからコチラを使いましょうよ

150:日本@名無史さん
20/10/31 16:29:33.24 .net
>>149
承知しました

151:日本@名無史さん
20/10/31 20:26:20.08 .net
前スレが埋まったのでこのスレの趣旨>>1のおさらい
北部九州説論を語り合いましょう。
※他説を貶したり、貶めることは九州説の裏付けにはならないのでやめましょう。
※しかし、前スレは荒らしや叩きなど醜いレスバに邪魔され続けて住人たちがまともに議論し合えなかったという経緯があります。
※同じ轍を踏まないためにも、このスレでは伊都ネタ、阿波ネタ、オクキョンネタを禁じます。
※ 伊 都 ネ タ 、 阿 波 ネ タ 、 オ ク キ ョ ン ネ タ は 禁 止 で す !
必須NGワード:@阿波、オクキョン、五十迹手、伊都
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女王國=伊都國=邪馬台国の首都 Part.2
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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)
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倭国=阿波だと言い張る人はコチラ↓に移動
「邪馬臺国」は阿波だった Part.8
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152:日本@名無史さん
20/10/31 20:32:23.36 .net
>>151
ところで、君の北部九州説では、「卑彌呼」の王都遺跡って示しているのかね?   @阿波

153:日本@名無史さん
20/10/31 20:37:28.49 .net
>>148
衝撃的。
実は登美の長髄彦は出雲王家の富家の流れだったということですか。

154:日本@名無史さん
20/10/31 20:50:47.26 .net
>>153
あくまで妄想という事でお願いいたします。
最近その手の本も出版され、影響は広がっており、方々でHPを開設される方も多いです。
要所で出てくる言葉を使って検索すれば容易にその手のHPにはたどり着けます。
記紀に比定される神武は、各系図から導き出せるのは海幸彦の天村雲になります
大国主と、事代主は、出雲の国の八千鉾(西)、八重波津身(東)になります。
事代主さんは、第八代での国譲り事件で八千鉾さんと同時にお隠れになります。
事代主の息子の天クシヒカタは、摂津の三島家の姫の子供だったので、彼の死後、実家に帰る母上に一緒に摂津についていきました。
故に、その子孫の加茂氏の祖である八咫烏には、二つ名で三島や、ミソグイ的な名前になっているのです。
古事記に出るように神武さん(尾張家)は事代主とクシヒカタさんから実際にはお嫁さんを貰うのです。
この家が磯城家。登美家と呼ばれ、後に加茂氏と加茂氏の分家、太田氏を輩出します。
神武さんは大王となり、葛城国と呼ばれるようになります。
三代も出雲系からお嫁さん貰ったので出雲の血が濃くなり、磯城王朝ともカテゴライズされています。
大彦は、第八代クニクルこと孝元天皇の皇子で、この時代に磐余彦(五瀬の九州物部勢)
五瀬が物部であるという点が超妄想部分だとご理解ください。
系図は日向神話の日向三代に出ております。五瀬以外の兄弟の誰かが磐余彦になります。

155:日本@名無史さん
20/10/31 20:59:27.06 .net
>>151
これ↓ 北部九州ネタだよ。
 
ところで、君の北部九州説では、「卑彌呼」の王都遺跡って示しているのかね?   阿波

156:日本@名無史さん
20/10/31 21:00:37.60 .net
この五瀬が熊野から入ってきた時期で、魏書の倭国大乱期にあたります。景初の少し前です。
記紀はすべてのもめごとを一つの事件にしてまとめてBC660にもってきています
なので、景初の年数なのかな?というところに神功皇后が来ているはずです。

157:日本@名無史さん
20/10/31 21:02:33.11 .net
>>153
杵築大社(今の出雲大社)は、やられちゃった側が自分たちで作った神社という事になります。
神話とだいぶ違っております。

158:日本@名無史さん
20/10/31 21:05:16.66 .net
.



◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。

「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
URLリンク(www.seibutsushi.net)
 

ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!


.

159:日本@名無史さん
20/10/31 21:09:23.55 .net
>>125
>「賀茂氏の系譜はもう一つある。
大己貴神と宗像の田心姫の間に生まれた味耜高彦根命と下照姫を祖とする賀茂氏である。大和葛城を拠点としていたが、新撰姓氏録では大和国の神別、地祇とされている。」
こちらが遅れてきて奈良入りした西の神門臣家ですね。こちらは正確には「高鴨氏」になります。
鴨氏と、加茂氏は若干違うわけです(婚姻関係を結ぶのと、王家や「東征」を論じるのにあまり影響がない)
124と125は大変勉強になりました。八咫烏の二つ名に父方のクシヒカタまで出ていたんですね。驚きました。

160:日本@名無史さん
20/10/31 21:29:27.85 .net
>>122
妄想でございます。
神武さんの奥さん(家によって名前が変わります)タタライスズヒメ。クシヒカタの妹
子供の二番目の大王、沼川耳が、タタライスズヒメの妹、五十鈴依姫を奥さんにします。
子供の三番目の大王、玉手看が、クシヒカタと、アジスキタカヒコの妹、高鴨家のミラ姫の間の子であるヌナゾコ姫を貰います。
玉手看のもう一人の子供が八井耳て、多氏になり、太安万侶に繋がる家になります。
沼川耳の兄弟が、天御蔭で、海氏「海部氏」になっていきます。
ヌナゾコ姫の兄弟、クシヒカタの子供が、建飯勝で、この家が磯城登美家の祖になります。
大王家が「尾張氏」
クシヒカタの家系が「登美家」や「加茂氏」になります。
クシヒカタの代で高鴨家と習合しているので区別が曖昧になるのです。
センダイクジホンギでは、五十猛(天香具山)→天村雲を海幸彦としています。
物部氏でありながらセンダイクジホンギに尾張家系譜がでるのはこういう事情
それと、山幸彦の先祖が一人になって書かれているところが重要でございます。
アメノホアカリニギハヤヒ。これがゲフンゲフンシークレットなのです。

161:日本@名無史さん
20/10/31 21:36:20.51 .net
記紀では登美家を隠すために、三代の出雲の姫を合体したような変な名前になっているはずです。
所謂、九州物部氏は一般にも知られていますが、記紀の神代の部分の物部氏の系譜が、九州の各士族、神社などが秘密にしてきた部分になります。
この部分が邪馬台国と景初の危機に登場した人物になります。
朝貢の歴史を隠すために秘密にされました。
高良大社文書の『高良記』
「玉垂命が物部であることは「秘すべし」とあり、もし外部に知れたなら「全山滅亡」」とまで記されていました。
妄想にするしかないのでございます。

162:日本@名無史さん
20/10/31 21:41:10.05 .net
「耳」という字が王族関係の字だと書かれているのをみて驚いたのはこういう事情でございました。

163:日本@名無史さん
20/10/31 21:54:49.17 .net
神功皇后と行動を共にした、武内ソツ彦が、後に葛城の長江に住んだので、葛城氏になりましたが実際には「尾張氏の葛城国」とは時代が違います。
神功皇后が景初の卑弥呼っぽく書かれた時期。同じ時期の人物ソツ彦はとても記紀から見れば都合がよく、葛城氏の祖に彼が収まった事で
上手いこと葛城国(磯城王朝、尾張家)が隠されることになりました。
なので登美家も3人の姫様の名前が圧縮されたような感じになったのです。
記紀の神代に何があったかは、順番が消されていない、尾張、海部、登家(加茂家)の家系図でバッチリ記紀の作為の年号が分かってしまうのです。

164:日本@名無史さん
20/10/31 22:26:31.39 .net
ありがとうございました。
情報量が膨大なのでじっくり読ませていただきます。
登美家や物部氏など、いくつかの氏族は記紀だけでは系譜が追えないように隠されているようですね。
特に神武と敵対した登美家が只者ではないと思っていましたが、正体が見えたようで納得です。
ただ、それが邪馬台国と関係するかと言えば、個人的には難しいようにも思います。
耳の話はこのジャンルを関わっていると、半ば共通認識かと思っておりました。

165:日本@名無史さん
20/10/31 22:28:40.09 .net
そういうわけで、伊都国の話ばかりをしているわけではないのです。
他の話をしている時は気がつかないだけ。
アレルギーを起こす方がどうかしている。

166:日本@名無史さん
20/10/31 23:00:48.25 .net
>>164
はい、切り込む前に妄想の序章をご説明いたしました。
海部氏側の「勘注系図」
「豊玉姫は火明命に妹の玉依姫をつかわし助け、武位起命が生まれた。その児、宇豆彦命、云々」とあります。
これを記紀にすり合わせると、武位起命は彦渚武ウガヤフキアエズノ命となります。その子が神武ですので、
「海部氏系図」では天村雲となります。つまり海部氏は記紀における初代天皇神武を、本来は天村雲であると示している訳です。
旧事本紀。
URLリンク(cdn-ak.f.st-hatena.com)
この中で豊玉姫側を省けば、海部氏のいうところと全く同じになりなす。
さらっと、ゲフンゲフンさんの息子が五十猛(天香具山)と妄想を書きましたが
旧事本紀では村雲の亦の名を天五多手イタテとしています。他より一世代ずれています。
勘注系図にも村雲の亦の名を「天五十楯天香語山命」とうまいこと隠して書いています。
各書物や家系図が、単独では分からないように書いてるんですね。
故に、尾張氏系譜、海部氏の国宝家系、登美家の家系が必要になります。
登美家の家系が最後のピース、最近の一部で盛り上がってる書籍の情報になります。
アタカタスまでは書いてある情報がある筈ですが、これは「宗像三女神」の奸計を暗示する細工で、アタカタスは宗像三女神のお父さんになります。
さて、一番関係なさそうが豊玉姫がまずいところになります。

167:日本@名無史さん
20/10/31 23:24:20.67 .net
物部氏の古い系譜は
ゲフンゲフン(アメノホアカギニギハヤヒ)さんの子供、彦ホホデミ→→彦渚武→(シークレットA)
旧事本紀に出てくる豊玉姫は山幸彦と結婚して、子供を産みますが、実際の子供の名前はトヨ彦と、トヨ姫で系図には出てません。
彼ら兄妹は、後にヤマトで豊来入彦、豊来入姫と呼ばれ、最終的に豊鍬入彦、豊鍬入姫に変えられます。豊姫は更に天鈿女にされます。
豊玉姫がさらっと出てきますが、記紀では日向神話のお姫様です。
日向三代の家系図
URLリンク(ja.wikipedia.org)
この日向三代の系図は、「豊玉姫の実家の家系図」と、物部氏の家系図を合わせたごまかしの家系図です。
豊玉姫を固定します(旦那さんは魏書にも書かれた人でシークレット)
そうすると息子の豊彦がウガヤフキアエズに変えられていることが分かります
今度は物部側を固定します。火折尊は彦ホホデミ。子供が彦渚武
つまり、息子の彦渚武がウガヤフキアエズに変えられている事になります。
ウガヤフキアエズの名前は、ヒコナギサタケウガヤフキアエズ。
何が言いたいかというと、日向神話は熊野入りした人シークレットA五瀬兄弟が物部氏であるという事が分かっちゃう仕組みになっているのです。
豊玉姫は景初の朝貢した姫様です。やっと妄想が、お題に追いつきました。

168:日本@名無史さん
20/10/31 23:27:35.55 .net
>>164
>「特に神武と敵対した登美家が只者ではないと思っていましたが、正体が見えたようで納得です。」
はい、登美家と敵対した神武は、物部五瀬、磐余彦になるという事です。
初代神武家、村雲家(尾張家)とは親戚でした。

169:日本@名無史さん
20/10/31 23:40:46.41 .net
歴史とは、考古学だけではわからない部分が多い。
婚姻関係による王朝のパワーバランスなどは特にそうです。
古代の日本列島には、各地に王族がいたわけです(倭人の国は100ほどあり、皆が大夫を自称したと)。
しかし歴史に名がかろうじて残るのは、いずれも博多湾沿岸から播種した氏族ばかりのようです。
物部氏や賀茂氏、尾張氏など。
しかし中国の立場からはそれらを王とは呼ばず、常に博多湾沿岸にいた首長だけを倭王と冊封したわけです。
では博多湾沿岸にいたのは誰か。
安曇や住吉や宗像などになるが、時代により王座は入れ替わっていた。
その中でも、魏志倭人伝や後漢書に書かれている時代は、志賀島の海神と伊都の天孫族(当時の実名が伝えられていない、または彦火々出見、日向王家とも)がそれぞれ女系相続と男系相続でペアを組んでいた。
同じことは奈良盆地でも、天皇家と鴨氏や三輪氏、物部氏などの間でも繰り返され、さらには蘇我氏や藤原氏、平氏らも同じことを繰り返していた。
これが日本史の基本フォーマットなのです。
それなのに、伊奘諾、天照、邇邇芸、神武、神功皇后、崇神、応神、天智、蘇我、物部、饒速日、尾張、中臣らの間に勝手に境界線を引いて、やれファンタジーだ創作だと非難する。
そんな輩には日本史は理解できないでしょうね。

170:日本@名無史さん
20/10/31 23:41:05.26 .net
しかも卑弥呼のように、明らかに歴史上長期間にわたって君臨していたのに省略されている「倭王」までいる。
記紀の編纂者は、神世の話も創作だとは思っていない。
年代はいじっているし、都合の悪いことは書かない。
では記紀の編纂者にとって都合が悪いこととは何か。
それは物部や尾張や登美、鴨、安曇など、天皇家の直系でないのに天皇家と並ぶ勢力が多数存在していたこと。
特に、倭王に冊封された博多湾沿岸勢力の中にも天皇家と直結していない倭王がいたことでしょう。
その多くは、大国主や長髄彦、後の物部氏のように、歴史上の敗者となった者かもしれない。
それらの実在を否定することは、天皇家の万世一系にとってはますます都合が良い。
物部氏の実在を認めながらその祖である饒速日を否定したり、蘇我氏の実在を認めながらその祖である武内宿禰を否定するのに至っては、ヒトが木の股から自然発生するのかと噴飯ものです。
志賀島の安曇や伊都の天孫族、出雲の登美、関西の三輪物部尾張海部などをファンタジーとして顧みないのは、天皇家の万世一系というファンタジーに無意識に加担していることと同じです。
まして、伊都に三種の神器を保有する古代氏族がいたことは考古学的な事実なのですから、あなた方はそれらの氏族をなんと呼ぶつもりなのか?
さて、そうすると卑弥呼が記紀に登場しないのも、おそらくは後に敗者となる氏族だったからではないかと考えるのは、自然なことです。
北部九州説に立てば、北部九州にあって歴史的敗者となった重要な氏族がありますね?
そう、熊襲です(熊襲タケルの屋敷は肥前佐賀川上にあった)。
卑弥呼は肥国熊襲から倭王に共立されて、倭王である条件として博多湾沿岸にいて筑紫の天孫族(当時は伊都の官)のさらに上位に君臨したわけです。

171:日本@名無史さん
20/10/31 23:44:17.99 .net
>>168
訂正します
はい、尾張氏と敵対した神武は、物部五瀬、磐余彦になるという事です。
初代神武家、村雲家(尾張家)と登美家は親戚でした。
登美家は尾張家の連立相手で、うまいこと立ち回って磐余彦が来た後も奈良で生き残ります。
大彦は尾張家(磯城王朝の家)ですが、出雲をとても尊敬してたようでその名前を名乗ったとされています。
彼は後に阿部に名前を変えてヤマトから去ることになります。これが狗奴クナト国(クナ国)になります(九州説の方ごめんなさい)。

172:日本@名無史さん
20/10/31 23:50:02.50 .net
>>168
途中経過まではいいのですが、結論はやはり納得がいかない部分がある。
大和に入った磐余彦は饒速日と対峙しているからです。
その饒速日は村雲だったということ?
しかもそれが五十猛なりイタテであれば、この人物はやはり福岡にいなければいけないのではないか?

173:日本@名無史さん
20/10/31 23:50:24.12 .net
>>169
>「それぞれ女系相続と男系相続でペアを組んでいた。」
さらっと重要な事をwww
では私も妄想の続きを
豊玉姫は、宇佐の八幡宮に秘密として伝わっていた、宇佐津姫です。
彼女は物部側に差し出され、魏書に載った物部の王の後妻になりました。
昔は争いごとの解決方法の一つに「習合」がありました。
最高の恭順を表す行為の様ですね。
宇佐出身の彼女は、政治のシンボル、男王のペア、魏書の景初の卑弥呼であります。
ああ・・やっちまった・・

174:日本@名無史さん
20/10/31 23:52:15.44 .net
>>170
記紀の最大の目的は万世一系ですが、現在考えられているような「おっかない」目的ではありませんでした。
記紀は漢文で書かれました。つまり大陸に我が国の歴史を示すためのモノだったのです。

175:日本@名無史さん
20/10/31 23:55:39.67 .net
>>172
面白くなってきてるんだからNGワード使って口を挟むな

176:日本@名無史さん
20/11/01 00:01:02.86 .net
>>166
>登美家の家系が最後のピース、最近の一部で盛り上がってる書籍の情報になります。
そうですよね。
ここに畿内で登美家とほぼ同じ領域を支配していたことになる三島鴨族が気になるのです。
同じ時代に重複して支配していたとは考えにくい。
饒速日というスーパースターの下で実質的に畿内を開拓した氏族なわけですから。
すると鴨族の系譜が最後のピースそのものなのではないか?
それが高天原に降伏した出雲の末裔なら納得がいきます。
大国主を下して最初に即位したのが天照国照天孫饒速日な訳ですから、主従関係が畿内にまで持ち込まれただけということになる。
そして、筑紫に降臨したもう1人の天孫が邇邇芸になるわけです。
三輪山の饒速日は登美一族と、高祖山の邇邇芸は安曇一族と婚姻するわけですが、両者が混同されたか、実は同じ話なのか、よくわからないけれども、相似形で話が進んでいく。

177:日本@名無史さん
20/11/01 00:03:38.63 .net
>>172
倭に入った磐余彦さんは、饒速日とか、ニニギさんとは戦っておりません。
しかし「海幸彦、山幸彦の共通の先祖の子孫」なので、その投影と思われます。
和名ホアカリは、出雲に現在の出雲大社宮司、千家の手引きで出雲に上陸(今の五十猛海岸)高照姫を貰います。そして一時帰国。大陸の皇帝に言い訳をします。
和名ニギハヤヒは、帰ってきたゲフンゲフンさんで、事代主のお父さんからお嫁さん、イチキシマヒメを貰います。
福岡に居た人は帰国後のゲフンゲフンさんです。
なので、物部氏が作ったクジホンギに、繋がった名前の一人の人物で書かれている訳です。
そんな事と、五瀬が物部氏である事は絶対に記紀には書けません。妄想中の妄想でございます。
五十猛、イタテなどが海幸彦→初代神武さん
ホホデミ(ホオリ)が九州物部氏で山幸彦→五瀬兄弟

178:日本@名無史さん
20/11/01 00:05:47.17 .net
>>171
>彼は後に阿部に名前を変えてヤマトから去ることになります。これが狗奴クナト国(クナ国)になります(九州説の方ごめんなさい)。
いえいえ、構いませんよ。
狗奴国というか、肥国王家(卑弥呼の出身?)の出自はまだ謎なんです。
九州説の中ではやはり海神の一派だとか、大陸から来たゲフンゲフンの末裔だとか呉のゲフンゲフンの末裔だとかいう論者もいるけれども、決め手に欠ける(否定しているわけではない)。
ただ大彦では若干時代が後すぎるような気がしますね。

179:日本@名無史さん
20/11/01 00:06:42.60 .net
以上の事から、ヤマトと九州には、大きな勢力、政治的なニュアンスの王国が同時にあったという事ですね。
お父さん一緒だから仕方がないのです。

180:日本@名無史さん
20/11/01 00:08:17.49 .net
>>175
本質に迫る単語をNGワードにしているのはあなたの勝手です。
口を挟んでいるのはそっちですよ。

181:日本@名無史さん
20/11/01 00:10:56.80 .net
>>173
>豊玉姫は、宇佐の八幡宮に秘密として伝わっていた、宇佐津姫です。
まあ、豊玉姫は志賀島の海神の姫ですが、豊国王家は志賀島を離れて東へ移動し、宇佐に鎮座したので、間違いではないでしょう。
宇佐津姫は代々の名前でしょうけど。
>宇佐出身の彼女は、政治のシンボル、男王のペア、魏書の景初の卑弥呼であります。
うーん、そこに落ち着きましたか。

182:日本@名無史さん
20/11/01 00:17:48.79 .net
>>177
>倭に入った磐余彦さんは、饒速日とか、ニニギさんとは戦っておりません。
いや、そこは古事記上巻のまさにクライマックスなのに、なかったことにするのはいけないのでは?
磐余彦と饒速日は、矢を見せ合って同族であることを確かめたと書かれています。
考古学的にも、鏃は地域や部族により明確に様式の違いがあるとされており、記紀の記述を裏付けることができます。
その戦いや会談がなかったというのは無理がある。

183:日本@名無史さん
20/11/01 00:18:01.92 .net
>>178
>ただ大彦では若干時代が後すぎるような気がしますね。
はい、大彦さんは、実は、八咫烏の時に磐余彦と戦った人で、和国大乱(147~188)時期の人です。
記紀の時代より大幅に後の方です。
クニクル大王こと孝元天皇はこの頃の人なので、記紀の作為がここである程度補正できます。
記紀は物部勢の攻撃の歴史を消していますので、BC2~BC1に最初から居た神武さんと、大乱期の磐余彦さんを同一人物にしています。
なので、冒頭の方で、磐余彦(物部五瀬)より前の少なくとも7代が九州に居たことにしないとまずいのでは?と申し上げました。
第八代クニクルとその息子である大彦と、磯城家第八代八咫烏は同時期の人たちです。
ヤマトと九州の争いがあったので、九州説の方の中で、ヤマト侵攻が無かった派の方々には影響が大きいと判断しました。

184:日本@名無史さん
20/11/01 00:22:39.22 .net
>>182
>「磐余彦と饒速日は、矢を見せ合って同族であることを確かめたと書かれています。」
はい、そこがとても重要な事なのであります。
物部を隠したい記紀なので実際にはこうなります。
「磐余彦(山幸彦)と、ホアカリ(海幸彦)矢を見せ合って同族であることを云々」

185:日本@名無史さん
20/11/01 00:26:37.62 .net
>>177
>五十猛、イタテなどが海幸彦→初代神武さん
海幸は海の向こうに去ってしまったわけですが、それを神武が投影されていると?
ただ、筑紫と大和だけでなく、九州の中にも相似がありますよね。
筑紫の日向と日向国です。
海幸は隼人の祖ということなので、この人物は東征していない。
南九州にとどまっている。
これが魏志倭人伝の邪馬台国(北部九州、こう書かないと怒られるw)と投馬国(南部九州)にするしかない。
まして五十猛は天孫より前の時代、おそらく志賀島が倭王だった時代です。
神武に絡めるのは無理がある。

186:日本@名無史さん
20/11/01 00:30:10.67 .net
一度神武さんに戻ります。
神武さんはゲフンゲフン→父親の名前一文字を取って五十猛→天村雲
実は、五十猛の奥さんが問題です。
ゲフンゲフンさんには二人の奥さんが居ました。高照姫とイチキシマヒメ。
ゲフンゲフン+高照姫→五十猛(天香具山)
ゲフンゲフン+イチキシマヒメ→物部氏祖と、穂屋姫
五十猛と穂屋姫が結婚して天村雲wwwwwwww腹違いの御兄妹。
たしか、似たような話が記紀かクジホンギに書いてあったと思われます。
九州勢と、物部勢は、お互いが親戚であることを認識していました。wwww
もうみなさん御免なさい、本に書いてある事のご紹介で本当に妄想扱いしてくださいwww

187:日本@名無史さん
20/11/01 00:32:57.93 .net
記紀は、本来の目的が大陸に対する独立性、日本の歴史を示すためのモノだったので、国内の分かる人には分かるように復元が出来るよう、たとえ話などを多く取り込んでいます。

188:日本@名無史さん
20/11/01 00:35:08.25 .net
>>180
このスレ使うなら>>1のテンプレくらい目を通そうね。

189:日本@名無史さん
20/11/01 00:38:15.86 .net
ごめんなさい訂正です
九州勢と、物部勢は、お互いが親戚であることを認識していました。

九州勢と大和勢はお互いが親戚であることを認識していました。
これが記紀の記述の暗喩している事なのだと個人的に解釈しております。

190:日本@名無史さん
20/11/01 00:39:05.38 .net
>>186
いろいろ誤って習合してしまった部分があるのではないでしょうか?
年代補正は必要だとしても、世代関係が大きく前後するのは問題があります。
とは言え、いろいろ面白い話をどうもありがとうございました。

191:日本@名無史さん
20/11/01 00:40:35.18 .net
記紀は奈良でまとめられましたので何となくメジャーになり情報量に偏りがありますが
九州王(朝)説は本物です。
同じ人が始祖でありましたので。

192:日本@名無史さん
20/11/01 00:41:13.21 .net
>>190
おやすみなさい。

193:日本@名無史さん
20/11/01 03:24:38.87 .net
>>162
邪馬台国以外の官名は全て記紀の神に付いてたと思うよ、耳だけじゃなくて

194:日本@名無史さん
20/11/01 10:22:20.46 .net
北海道は明治以降に日本人が入植したので日本固有の領土ではない。日本人が戦前に入植した場所も日本固有の領土だと主張するならボリビアやペルーも日本固有の領土になる。

195:日本@名無史さん
20/11/01 13:47:47.63 .net
.



日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では7000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約5500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。


.

196:日本@名無史さん
20/11/01 14:09:10.39 .net
発作か?スレチなんだが

197:日本@名無史さん
20/11/01 14:09:18.89 .net
>>194
ポツダム宣言受諾で戦前に獲得した新しい領土すなわち外地は放棄しなくてはいけなかったはずなのにね。

198:日本@名無史さん
20/11/01 14:42:46.17 .net
(帯方)郡より女王国に至る。万二千余里。
(帯方)郡から倭に至るには、北岸の狗邪韓国に到着する。七千余里。
狗邪韓国より末盧国に至る。三千余里。
(末盧国から)東南に陸上を五百里行くと伊都国に到着する。
(伊都国から)東南、奴国に至る。百里。
(奴国から)東に行き不弥国に至る。百里。
(不弥国から)女王国まで、一千三百余里。つまり九州の外はあり得ない。

199:日本@名無史さん
20/11/01 15:28:32.66 .net
>>195
               ∩_
              〈〈〈 ヽ
      ____   〈⊃  }
     /⌒  ⌒\   |   |
   /( ●)  (●)\  !   !
  / :::::⌒(__人__)⌒:::::\|   l   
  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

200:日本@名無史さん
20/11/01 16:36:29.53 .net
  【山門(やまと)の地名の由来】
みやま市瀬高町、山門と邪馬台は「ヤマト」として古代からの地名として呼ばれ同一性がある。
山門やまとという地名を探ってみる。
710年に出来た『日本書記』神功記には「轉至山門縣、則誅土蜘蛛田油津媛」とあり、
(神功皇后が)山門県に転至ましして、即ち土蜘蛛田油津媛たぶらつひめを誅殺したとある。
ほかにもある。.藤原忠平、紀長谷雄たちが勅命によって、927年(延長5)にまとめあげた
『延喜式えんぎしき』という古文書がある。
宮中の年中儀式、百官の儀、作法から諸国のことなど記した書に
「山門五郷、大江、鷹尾、山門、草壁、大神」となっている。
草壁が大草に変わったが他の4地名は今も残っている。
では山門をヤマトと呼んでいいのだろうか。
931年~939年に日本最初の漢和辞典『倭名類聚妙わみょうるいじゅしょう』の中に、
つぎの注釈がある。「山門郷 夜万止(やまと)と訓む、草壁 久佐加部(くさかべ)と訓む、
大神 於保美和(おおみわ)と訓む、、、、」
つまり、.『日本書記』『延喜式』『倭名類聚妙』の三古文書をつなげば、.神功皇后のころから、
山門の地名はあり、夜万止(やまと)と呼ばれたことになる。
つまり卑弥呼から百年位のちの時代、.すでに「やまと」と呼ばれていたことになる。
山門郡は弥生時代の後期、「やまと」と呼ばれいたのだ。
.この点でも、邪馬台国は、このあたりにあり山門郡に位置していたことになる。

201:日本@名無史さん
20/11/01 16:41:52.96 .net
>>194
そんなこと言ったら日本は渡来人のものですらない事になるな

202:日本@名無史さん
20/11/01 16:42:43.73 .net
 【卑弥呼の死】
  卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 [扁犬旁旬]葬者奴婢百餘 人
(現代文解釈)卑弥呼は既に死去しており、大きな墓を作る。直径は百余歩、殉葬する奴婢は百余人。
 (解説) 卑弥呼の死亡年は通説では正始9年(248)またはその前後とされている。
仮に卑弥呼が184年に20歳で倭王に共立されたとするならば、
64年間248-184=64)も在位したことになる。.20歳で倭王に推戴されたとしても
84歳まで生きたことになり、当時としては考えられないほど長寿だったことになる。
死亡原因は老衰や卑弥呼の霊力が衰えたため殺されたと推察する。.
 卑弥呼の墓は筑後・山門の地の女山の麓に展開する権現塚ごんげんつかや
堤集落の10ヶ所もある巨石(支石墓)群や神籠石(山城)内の古墳群が点在するが、
いまだ考古学的調査が行き届いていない。

203:日本@名無史さん
20/11/01 16:46:39.41 .net
>>202
つまり景初の年号が割り当てられた卑弥呼が死んだ後に張政が来た事になるんだな。

204:日本@名無史さん
20/11/01 16:46:54.21 .net
  【卑弥呼の墓】
紀元248年頃の邪馬台国と狗奴国の戦乱時に卑弥呼は死んだ。.
魏志倭人伝に「卑弥呼以て死す。大いに塚を作る。径は百余歩、徇葬せし者奴婢百余人。」とある。
山門郡には多くの塚があるが、女山から程近い田んぼに囲まれた山門の堤集落には、
径が200mの小高い塚の上に50戸ほどの民家が移り住んでいる。
ここには謎の巨石をもつ古墳が12基ある。
10号墳の巨石は径3m程が埋まり地下4,5mまで掘り下げても石の根に届かないほどの
大きさである。
この何㌧もある重さの石を神籠石同様どんな手段で持ち込んだか謎の巨石群である。.
また近年、堤集落人により金環やなど発見されているが病人が絶ゆることなく、
掘り起こせば「タタリ」があるとして戻され巨石は代々祀られている。

205:日本@名無史さん
20/11/01 16:50:16.03 .net
>>202
ちょうど倭国大乱の終結期、180年代であれば、クニクル事孝元天皇の治世。
この時は磐余彦のイツセの軍が来た時のお話になりますね。
そうするとモモソヒメ説になってくるんですよね。
つまりは景初の年号が割り当てられる以前の記述の卑弥呼が別人の卑弥呼ではないかとする説です。

206:日本@名無史さん
20/11/01 16:50:29.59 .net
私はここを邪馬台国式の王家の巨石墓と推測し、卑弥呼もここに眠っていると確信する。
隣に接する山川町にも同様の邪馬台国式の大古墳が34箇所ある。
卑弥呼らの王に従った最高の有力者的首長、あるいは豪族の大古墳とみられ
地方を固めていたことが窺われる。
堤の巨石群はまだ発掘調査が行われていないが昭和40年頃に訪れた松本清張は
巨石をドルメン(支石墓群)ではないか書いている。
ドルメンとはヨーロッパや韓国の紀元前の遺跡に数多く分布しており、
墓あるいは祭事を司る場所と推測されている。
よって堤の巨石は国の祀りごとをやる神霊的存在を予感させる聖地で王達の霊を慰めたであろう。
東に位置する所には東山連山を眺めれる古代からの宮(堤大国玉神)がある。
古代から部落の周りには湧き水が出でて小川ではホタルの乱舞が見れる精霊的古里であった。

207:日本@名無史さん
20/11/01 16:59:16.59 .net
 【邪馬台国の女王たち】
卑弥呼の死後のことを魏志倭人伝には「さらに男王を立てしも国中服せず。
さらに相誅殺せり。また卑弥呼の宗女壱与、年13なるを立てて王と為し、国中遂に定まれり。」とある。
卑弥呼のあと壱与(台与?)、−田油津姫、−玖津目、−白熊鷹、たちの女王国が
続いたであろう。 紀元413年までの倭(やまと)のことは中国の文献に姿を見せない。
その後邪馬台国は北九州を治めさらに東征して大和連合政権の時代を迎える。
九州では矢部川上流の八女に本拠地をもつ磐井が勢力をもち九州を治めていた。
西暦527年に、大和政権に不満を持った磐井がふたたび九州王朝をねらったことも、
この地が国の発祥地で在るがゆえの「磐井の乱」であったかも、
この時代建造された女山の神籠石は語らない。  神籠石の謎

208:日本@名無史さん
20/11/01 17:16:51.37 .net
ドルメンと言ったら志賀島にもあった
江戸時代に島の南西で小さな箱型ドルメンが発掘され、頂部の大石を取り除いたところ金印が出土した

209:日本@名無史さん
20/11/01 17:45:27.47 .net
福岡県みやま市山川町清水面の上
古代の清水集落は、有明海の海岸線が深く入り込んだ海岸であったろう。
ここに住んでいた古代人は、樹木に覆われた山川町の台地を「面」と呼んでいたであろう。
清水から竹林が覆いる切通しの坂道がある。
今でも地元では台地に上がる坂道の麓ふもと付近を「面の口」、
長い坂道を「面の坂」坂の頂上を「面の上」と呼ぶ。
坂の途中にはクスワン塚古墳、面の上古墳、などがあり、
東側には河原内かわはらうちの九折つづら大塚古墳が存在している。
『後漢書』東夷伝に「安帝あんていの時代である永初元年(紀元107年)、
倭の国王帥升すいしょう等、生口せいこう(奴隷の意)百六十人を献上し、
安帝に謁見えっけん(目上の人にお目にかかる)をお願いした。
桓帝、霊帝の時代(146〜189年)の間、倭国は大いに乱れ、さらに互いに攻め合い、,
何年も王がいなかった。」とある。
 薩摩街道沿いには、古代遺跡の多い現在の河原内・清水・尾野地区一帯に
邪馬台国成立以前の「倭の面上国」の所在地ではと、郷土史家の村山健治氏らは推理している。,
面上国とは邪馬台国の卑弥呼の時代より130年程さかのぼる時代に存在した国である。

210:日本@名無史さん
20/11/01 17:55:20.37 .net
> 邪馬台国の可能性がある、みやま市山川町の字に「面の上」「面上国」があった。
> 倭の国王帥升すいしょう等、生口せいこう(奴隷の意)百六十人を献上した
> 薩摩街道沿いには、古代遺跡の多い現在の河原内・清水・尾野地区一帯に
> 邪馬台国成立以前の「倭の面上国」の所在地ではと、
> 面上国とは邪馬台国の卑弥呼の時代より130年程さかのぼる時代に存在した国である。
面の坂古墳群 - 山歩き 古墳巡り
riki82.blog78.fc2.com › blog-entry-447
2012/12/15 — みやま市山川町清水 面の坂古墳群 面の上古墳群の
西側の竹林の中に5基の古墳がありました。 面の坂1号墳 西側はずれにあり、
面の坂古墳群中では最大ですが、一部削平されています。
面の坂1号墳 (2) 墳頂 面の坂1号墳 ...

211:日本@名無史さん
20/11/01 18:25:29.02 .net
 面の上古墳   *古墳時代前期
 URLリンク(geo.d51498.com)
旧道(太閣道)と国道443号が交差する地点にあります。
洪積期こうせききに形成された扇状地せんじょうちの台地上にあり、
まわりには20〜30基ぐらいの古墳があったと想定される場所です。
これまで三基が確認されており2号墳からは、石棺、人骨、鉄剣、鏡かがみ、
釧くし(首や臂(ひじ)につける輪状のかざり)などが発見され、
特に人骨の左手に長さ61.8cmの両刃の剣が副えられており、
その柄の部分は、貴人しか持つことができない“鹿角装ろうがくせいの剣”の特徴があり、
身分の高い人の墳墓ではないかといわれています。
また1号墳は四匹の獣じゅうの形を肉彫りにした、
古い時代の銅鏡(直径12cm)が人骨の手の間に伏せてありました。
これは“四獣鏡しじゅうきょう”と呼ばれ、
よく知られている“三角縁神獣鏡ぶちしんじゅうきょう”よりも古い時代のもので、
船山や沖ノ島から出土した鏡と同じ貴重なものです。.
この古墳は副葬品などから、古墳時代の前期のもので、
山門郡のなかでも古いものと考えられます。
 だが現在1、3号墳は消滅しており唯一、2号.だけが跡を残して公園整備化された。
そのほか付近には古墳の積み土が観察できる面の口古墳、蛇谷古墳、
竪穴系横口式石室の裏山古墳などがある。.  (山川町教育委員会資料参考)

212:日本@名無史さん
20/11/01 18:33:39.80 .net
永初元年(紀元107年)、倭の国王帥升すいしょう
「倭の面上国王」の孫世代が邪馬台国、山門郡、の「卑弥呼」だったと成るな。

213:日本@名無史さん
20/11/01 20:02:39.31 .net
やはり、みやま市
でも卑弥呼より古い時代だろうな

214:日本@名無史さん
20/11/01 20:08:43.88 .net
だから山門は卑弥呼の故郷(本拠地)だけど、倭王即位後の卑弥呼は博多湾沿岸にいたんだよ。

215:日本@名無史さん
20/11/01 20:11:49.43 .net
>>214
当時の大宰府は海が見えたらしいな

216:日本@名無史さん
20/11/01 20:25:13.49 .net
>>5現在より海抜5Mも上げたら九州福岡は、ほとんど海や入り江だらけ
見渡し良いのは直方か川崎か苅田

217:日本@名無史さん
20/11/01 20:42:18.69 .net
たった800年前でさえ福岡市の中央区や博多区の北半分が海の底だから1,600年前の海岸線はもっともっと内陸側
URLリンク(i.imgur.com)
さらに遡って3500年前は大宰府あたりで有明海と博多湾が繋がってた
URLリンク(i.imgur.com)

218:日本@名無史さん
20/11/01 21:22:59.79 .net
.



日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では7000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約5500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。


.

219:日本@名無史さん
20/11/01 21:52:30.79 .net
柳川・西蒲池池淵遺跡、ト骨県内初の出土
URLリンク(mytown.asahi.com)
柳川市西蒲池の西蒲池池淵(にし・かま・ち・いけ・ぶち)遺跡で、
弥生時代終末~古墳時代初め(3世紀ごろ)の占いに使った骨「卜骨(ぼっ・こつ)」が、
県内で初めて見つかった。九州歴史資料館(九歴、小郡市三沢)が29日、
調査報告会で明らかにした。
卜骨は当時の日本の様子を記す中国の史書「魏志倭人伝」にも記録されており、
邪馬台国時代の県内でもこの風習が行われていたことを裏付ける。
見つかった卜骨はシカ3点、イノシシ1点の計4点。いずれも肩甲骨で、
最大のものは長さ17センチ、幅8センチ。
表面に複数の焼けた穴が並んでいる。集落跡の穴から土器と一緒に出土した。
卜骨は、獣の骨に火のついた棒を押し当て、そこにできたひびの形で吉凶を占う
中国由来の占いに用いられ、 倭人伝には「骨を灼(や)いて卜し、吉凶を占い」などとある。
全国では鳥取県の青谷上寺地(あお・や・かみ・じ・ち)遺跡など約40遺跡での発見例があり、
九州では倭人伝記載のクニ「一支(い・き)国」があった壱岐の原の辻遺跡など長崎県や
佐賀県で見つかっている。しかし、「奴(な)国」や 「伊都(い・と)国」などの有力な
クニグニがあったとされる福岡県内ではこれまで確認されていなかった。
西谷正・九歴館長は「卜骨の占いは特定のクニだけではなく、
当時のクニグニで広く一般的に行われていたことがわかる」 と話している。

220:日本@名無史さん
20/11/01 21:54:19.55 .net
>>209
確か明治の頃から、古事記が一般化して研究が始まった頃は、孝安天皇(記紀が後でつけた名前)が朝貢したのではないかと言われていた時期がありますね。だから大陸の皇帝と同じ様な名前になったとも。
彼の諡号がクニオシヒト
倭の国クニ王オ帥シ升ヒ等ト
漢から奴国が金印をもらったのが約五十年前。
卑弥呼の数倍の生口を献上して、大王自ら朝貢してる大事件のに、なーんにも貰った形跡はなく、実に冷たい内容になっている。
ヤマトが既に朝貢してる九州の国を滅ぼしたとか、そんな事情を想像する人たちもいますね。

221:日本@名無史さん
20/11/01 22:14:26.21 .net
>>214
そう、これは今の筑紫平野に確実に山門郡 夜万止(やまと)なる地名があって
永初元年(紀元107年)、倭国王、帥升の「倭面上国」がみやま市山川町にあり、
卑弥呼伝承地のみやま市界隈には巨大な塚(支石墓)も多く出身地ではと言う事で、
共立されてからは姿を見なかったと言うから別の場所に移った可能性がある。
931年~939年に日本最初の漢和辞典『倭名類聚妙わみょうるいじゅしょう』の中に、
つぎの注釈がある。「山門郷 夜万止(やまと)と訓む、草壁 久佐加部(くさかべ)と訓む、
大神 於保美和(おおみわ)と訓む、、、、」

222:日本@名無史さん
20/11/01 22:20:08.20 .net
>>221
それ何気に凄そうなお話ですね。
ヤマトとオオミワ呼称なら実にポイントを抑えている

223:日本@名無史さん
20/11/01 22:29:43.92 .net
クニオシヒトが朝貢したとする論者が注目してるのは正に面上国の記述
「安帝の永初元年、倭の国王帥升等」の部分が、『翰苑』所引の『後漢書』には「倭面上国王帥升」とあり、唐類函・変塞部倭国の条所引の『通典』には「倭面土地王帥升」とあり、北宋版『通典』には「倭面土王帥升」とある。
面土になると、蝦夷とかと同じで蔑称になり、ベトナムとかあの辺りを指す言葉になるそうです。
金印まで授けて大陸が承認した国にちょっかいを出して、慌てて釈明に行ったのではという説ですね。

224:日本@名無史さん
20/11/01 22:33:53.28 .net
>>221
>共立されてからは姿を見なかったと言うから別の場所に移った可能性がある。
年代的には平原遺跡が一番近い王墓になるわけで...

225:日本@名無史さん
20/11/01 23:16:05.39 .net
ここに、何か色々と謂れが調査されてますね。
URLリンク(ameblo.jp)
福岡県みやま市瀬高町山門堤集落に
堤大国玉神=大国主が「大国魂神」として祀られているのです。
『筑後国高良神名帳』の山門郡二十六前の神々に、「堤大国玉神」が記載されている。
「大国玉神」とは「大国魂神」のことであり、
国家に寄与した古代の神に付けられる名前です。今までに3例見かけています。
倭大国魂神:大幡主、第7代孝霊天皇  (孝安天皇が第6代で倭面土王帥升の説あり)
武蔵大国魂神:大国主

226:日本@名無史さん
20/11/01 23:28:42.90 .net
このみやま市瀬高町辺りは大国主との関わりが深そうで、
瀬高の地名に因幡地区もあり 
鳥取県楽楽福(ささふく)神社の由緒にあり、孝霊天皇が伊豫皇子、
家臣(大矢口、大水口)、の大矢口・大水口などの地名もある。
物部一族も良く出てくる、吉野ヶ里も側に物部関連の遺跡があったはず。


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