【福岡・大分】邪馬台国北部九州説【佐賀・長崎】 2at HISTORY
【福岡・大分】邪馬台国北部九州説【佐賀・長崎】 2 - 暇つぶし2ch170:日本@名無史さん
20/10/31 23:41:05.26 .net
しかも卑弥呼のように、明らかに歴史上長期間にわたって君臨していたのに省略されている「倭王」までいる。
記紀の編纂者は、神世の話も創作だとは思っていない。
年代はいじっているし、都合の悪いことは書かない。
では記紀の編纂者にとって都合が悪いこととは何か。
それは物部や尾張や登美、鴨、安曇など、天皇家の直系でないのに天皇家と並ぶ勢力が多数存在していたこと。
特に、倭王に冊封された博多湾沿岸勢力の中にも天皇家と直結していない倭王がいたことでしょう。
その多くは、大国主や長髄彦、後の物部氏のように、歴史上の敗者となった者かもしれない。
それらの実在を否定することは、天皇家の万世一系にとってはますます都合が良い。
物部氏の実在を認めながらその祖である饒速日を否定したり、蘇我氏の実在を認めながらその祖である武内宿禰を否定するのに至っては、ヒトが木の股から自然発生するのかと噴飯ものです。
志賀島の安曇や伊都の天孫族、出雲の登美、関西の三輪物部尾張海部などをファンタジーとして顧みないのは、天皇家の万世一系というファンタジーに無意識に加担していることと同じです。
まして、伊都に三種の神器を保有する古代氏族がいたことは考古学的な事実なのですから、あなた方はそれらの氏族をなんと呼ぶつもりなのか?
さて、そうすると卑弥呼が記紀に登場しないのも、おそらくは後に敗者となる氏族だったからではないかと考えるのは、自然なことです。
北部九州説に立てば、北部九州にあって歴史的敗者となった重要な氏族がありますね?
そう、熊襲です(熊襲タケルの屋敷は肥前佐賀川上にあった)。
卑弥呼は肥国熊襲から倭王に共立されて、倭王である条件として博多湾沿岸にいて筑紫の天孫族(当時は伊都の官)のさらに上位に君臨したわけです。


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