20/10/21 16:45:15.82 .net
三角縁神獣鏡に関しては相当に昔の銅剣や銅鐸が溶かされて使われた可能性はあるよね
元々奈良の祭祀は銅鐸だったという点はみんなもある程度は認識してるんじゃないかと。
奈良に銅鏡が入った時期は、物部五瀬の最初の東征の時だったらしい。簡単に言うと宗教戦争が起きた。
銅鐸祭祀をいじめて回ったらしい。
これが大彦中心とするかなりの人たちの反感をかった。
結局、武内宿祢のおばあさんのように、奈良の政権に物部の姫様が嫁入りし、モモソ姫のあたりで銅鏡祭祀を落としどころで始めたようです
これで戦乱は一度収まった
故に、三輪山の西にある出雲屋敷と呼ばれた奈良の祭祀の聖地からも銅鏡が出土しています
つまりは、年数の書かれていない結婚してない卑弥呼の鬼道
それと、年数の書かれてる途中で没したトヨの前の卑弥呼(当然銅鏡貰ってるから)の鬼道
は、本当にごく短期間の事を指す記録の可能性がある。
旧家伝承の物部五瀬の東征は160年代。大彦が狗奴国になって敗退するのが180年代モモソ姫の時代
それから後の景初の卑弥呼なんて何百年の話じゃない。