20/10/21 13:20:24.45 .net
>>730
魏志倭人伝に倭人が「鉄のやじり」を使っている記述があり、この時代の日本には既に鉄器文化が到来していたことがわかります。
また、『3世紀の中国の歴史書「魏志東夷伝弁辰条(ぎしとういでんべんしんのじょう)」には、朝鮮半島南部の地域に鉄が多く出て、「韓、注意1(ワイ)、倭みなしたがってこれをとる。
諸市買うにみな鉄をもちい、中国の銭をもちうるがごとし」と記されています。
鉄を求めて、弥生人がさかんに朝鮮半島南部に出かけていった様子が描かれています。』
よって弥生時代の鉄器の出土量が多い地域が、当時の倭人達の経済共同体であったと見なせます。
弥生時代の鉄器出土量
URLリンク(i.imgur.com)
史書によると、倭はもともと100国あったが魏が交流できたのは30国とのこと。
鉄器の出土量が多い北側が「邪馬台国連合=女王国、その南側が邪馬台国と敵対していた「狗奴国」の領域と思われます。
URLリンク(i.imgur.com) ※丸で囲まれた地域が狗奴国