20/10/21 09:47:46.05 .net
>>423 古いよ 昭和か
> 奈良県立橿原考古学研究所自体は築造時期を
> 280~300年(±10~20年)と推定しており、
> 卑弥呼の没年とは年代的に矛盾する。
> またC14炭素年代測定法による推定は100年程度古く
> 出ることがわかっており、この墓が卑弥呼の墓で
> ある可能性は低くなっている。
ヤマト王権とは何か 奈良県の坂さん、新説で迫る 2020年3月18日
URLリンク(www.asahi.com)
坂さんは長年、奈良県橿原(かしはら)市の県立橿原考古学研究所(橿考研)に勤め、
県内各地の遺跡の発掘調査にあたってきた。
新著では県内各地を中心とする発掘調査の成果を踏まえ、
考古学の立場からヤマト王権成立の謎に迫った。
近年、奈良盆地東南部に位置する纒向遺跡からは、
3世紀前半では国内最大規模とされる大型建物跡や、
木製仮面、ベニバナ花粉などの重要な発見が相次いでいる。
卑弥呼の墓との説もあり、最初に定型化された
大型前方後円墳とみられる箸墓(はしはか)古墳も遺跡内に位置する。
この纒向遺跡に、中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する
邪馬台国の政治中枢が置かれ、
それが発展して初期ヤマト王権が成立したとみる見方が、
考古学者を中心に強まっている。