20/10/20 02:13:20.39 .net
上記の事柄を前提とした場合に導かれる後漢書の「帥升」は誰か?
どっちの政権か?
帥升
107年だと、第六代孝安天皇こと、国押人。
日本語のシヒにアクセントがあるのを、大陸の人が短く行書で「帥升」とした。
記紀が最も嫌ったのは魏書だが、まあこういう話も記紀的状況なわけでなんとか誤魔化すことにした。
日本書紀に出てくる大王ヤマトタラシヒコと、その兄アマタラシヒコ
古事記では国押人は一人で兄が居るとは書かれていない
そして兄の国押人が使いとして後漢に行ったことにした。
まあ、海幸彦も山幸彦もスサノオの子孫だから当たらずとも遠からずという事で。