暇つぶし2chat HISTORY
- 暇つぶし2ch428:日本@名無史さん
20/10/19 20:51:26.18 .net
>>386
神社の創建が早い遅いではなく、その神社のマウンドは殺牛農耕祭祀に関連したものじゃないの、というのよ。
それに、地図でみると、そこは平地だぞ。

429:日本@名無史さん
20/10/19 20:52:14.25 .net
>>393
>258年が終点と言うこともありうる以上
「(でないことも)ありうる」から「ではない」は出ない
布留0式古相258年は科学的に出された年代。
布留0式古相が248年というのは科学的に出されていない。
にもかかわらず
箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
同定してるお前が白痴で童貞。

430:日本@名無史さん
20/10/19 20:52:23.29 .net
>>394
>実際、この権現塚北遺跡からさほど離れていない祇園山では西新式の甕棺が出ているわけであり、
その西新式は4世紀まで使われているんだから
その末期型の技術で作られた祇園山の甕棺は4世紀のものだな

431:日本@名無史さん
20/10/19 20:56:25.84 .net
>>399
>その神社のマウンドは殺牛農耕祭祀に関連したものじゃないの、というのよ。
葛城の鴨族は出雲系で銅鐸族。
出雲大社荒垣外摂社で祀られてる神々と葛城の名神大社で祀られてる神々が一致する。
悪いが殺牛云々はかなり後の事だろう。

432:日本@名無史さん
20/10/19 20:57:08.92 .net
>>400
>布留0式古相258年は科学的に出された年代。
>布留0式古相が248年というのは科学的に出されていない。
>にもかかわらず
理化学的年代決定論は手段の一つだよ
オンリーワンだと思ってる学者は誰もいない
布留0式古相が3世紀半ばというのは考古学的年代決定論であって、多くの学者が唱えている

433:日本@名無史さん
20/10/19 20:58:40.78 .net
>この歌も天智天皇が亡くなったときに大后が詠んだ挽歌です。
>この大后は倭大后(やまとのおほきさき)のこと。淡海(琵琶湖)の海で鯨取りとは?
鯨魚(いさな)取り 淡海(あふみ)の海(うみ)を 沖放(さ)けて 漕(こ)ぎ来る船 辺(へ)附きて
漕ぎ来る船 沖つ櫂(かい) いたくな撥(は)ねそ 辺(へ)つ櫂 いたくな撥ねそ 
若草の 夫(つま)の 思ふ鳥立つ
鯨を取るような淡海の海を沖遠く漕ぎ来る船よ。岸辺に付きて漕ぎ来る船よ。
沖で櫂をそんなに撥ねないでください。岸辺で櫂をそんなに撥ねないでください。
若草のようだった夫が愛おしんだ鳥たちが驚いて飛び立ってしまいます。

434:日本@名無史さん
20/10/19 20:59:51.36 .net
>>397
>「247年は含まない」なんて情報は取れないのに
「卑弥呼の墓ではない」などと論理飛躍する
お前の脳がわからない
死後の腐敗が進んでいるのか?

「247年は含んでる」なんて情報は取れないのに
「卑弥呼の墓である」などと論理飛躍する
お前の脳がわからない
死後の腐敗が進んでいるのか?

435:日本@名無史さん
20/10/19 21:00:56.92 .net
鯨を取るような大きな淡海の海の沖や岸辺近くを行く船に向かって、
「そんなに櫂を撥ねないでください。天智天皇の愛しんだ鳥が飛び立ってしまいます。」
と訴えかけている内容がなんとも読む者のこころに響いてくるような長歌となっています。
ただ、この歌ももちろん、実際に舟の漕ぎ手に訴えているのではなく、
天智天皇の愛しんだ鳥たちを見ることで天皇の魂を近くに感じその魂に
いつまでも飛び去らないで側にいてほしいと訴えているわけですね。
今の世でも、亡くなった人の形見や大切にしていたものを見るとその人のことを思い出し
その人を近くに感じることがあることと思いますが、
万葉に時代の人々の感受性はさらにするどくその魂の存在を感じ取っていたのでしょう。
そんな、この時代の人々が死者の魂というものの存在をどれほど身近に感じていたかが
よく分かる一首だと思います。

436:日本@名無史さん
20/10/19 21:02:48.12 .net
>>398
>考古学の基本は、その遺跡の年代は最も新しいものに合わせるだから、
そういう機械的な考えは前世紀のものだ
どこまでを一括資料とするかは層位の判断によるしコンタミも考えねばならない
布留0古相の時間幅の中に258年があるという情報一つから「布留0古相は258年以降」と考える学者はいない

437:日本@名無史さん
20/10/19 21:03:59.79 .net
>>403
>理化学的年代決定論は手段の一つだよ
普通は年代幅のある放射性炭素測定より年輪年代を重視するけどね。
箸墓を卑弥呼墓にしたいがため逆にしてるのさ。
ま、たとえ何人が箸墓説を唱えようとも、
卑弥呼は記紀という文献に出てるし葛城で決定なので馬鹿を檻越しに覗いてる気分なのだが。

438:日本@名無史さん
20/10/19 21:05:35.77 .net
>>405
>「247年は含んでる」なんて情報は取れないのに
>「卑弥呼の墓である」などと論理飛躍する
年輪年代から「247年は含んでる」という情報を取った事実は無いのだから
結論「卑弥呼の墓である」は論理飛躍ではあり得ない

439:日本@名無史さん
20/10/19 21:05:58.35 .net
>>408
>「布留0古相は258年以降」と考える学者はいない
寺澤さんも石野さんも箸墓説を降りてるが?
とてもじゃないが布留0式古相が248年にはならないであろうということであろう。

440:日本@名無史さん
20/10/19 21:06:47.68 .net
大津京跡 大津京を偲ぶ史跡として
「近江大津宮錦織遺跡」(おうみおおつのみやに しこうりいせき)があります。
がこの地には後世、 源頼義の屋敷が有った所で
子の義光がここで元服し、新羅三郎義光となったそうです。 
ほんとに大津宮が有ったのか??

441:日本@名無史さん
20/10/19 21


442::08:02.23 .net



443:日本@名無史さん
20/10/19 21:08:19.55 .net
>>408
>>理化学的年代決定論は手段の一つだよ
>普通は年代幅のある放射性炭素測定より年輪年代を重視するけどね。
>箸墓を卑弥呼墓にしたいがため逆にしてるのさ。
放射性炭素測定も理化学的年代決定論の手段の一つなんだが
おまえは知能ゼロだな
かわいそうだ

444:日本@名無史さん
20/10/19 21:09:55.94 .net
.

中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。
あちらで皿は盤と呼びます。
ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。
日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。
中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。
その時代差、約5400年。
弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!

.

445:日本@名無史さん
20/10/19 21:11:08.25 .net
>>410>>407へのレスね。

446:日本@名無史さん
20/10/19 21:11:34.09 .net
>>412
>事実は無いのに何で同定してるの?
>かも知れないで止めておけばいいものを同定してるね、君。
年輪年代以外の情報から「247年は含んでる」と判断したからに決まってるだろ
そう書いてあるぞ
含んでなくても「卑弥呼の墓である」のは問題ないし

447:日本@名無史さん
20/10/19 21:14:27.61 .net
>>410
>寺澤さんも石野さんも箸墓説を降りてるが?
これもウソ
二人とも元から箸墓説でない
世代的に古いので保守的な年代観の人だ

448:日本@名無史さん
20/10/19 21:16:19.17 .net
>年輪年代以外の情報から「247年は含んでる」と判断したからに決まってるだろ
そう書いてあるぞ
年輪年代以外の情報って放射性炭素測定か?
あんなもの本来は100年、200年幅の大まかな年代しか分からない。
それを逆にして強引に比定しようとしてるだけ。
結論先にありきの石器捏造事件と根本は変わらない。

>含んでなくても「卑弥呼の墓である」のは問題ないし
箸墓には奴婢殉葬痕跡もないのに馬鹿なのか。

449:日本@名無史さん
20/10/19 21:17:32.04 .net
>二人とも元から箸墓説でない
賢明な学者さんだね、白石とは大違い。

450:日本@名無史さん
20/10/19 21:17:38.89 .net
あんなもの本来は100年、200年幅の大まかな年代しか分からない。
IntCal20への魂の叫びW

451:1◇n7jxAxKCBhb6
20/10/19 21:20:30.07 .net
>>416
箸墓はモモソ姫の墓です(日本国)

452:日本@名無史さん
20/10/19 21:21:04.36 .net
>>404
>鯨を取るような

「ような」とはなんだ! 小賢しい愚か者め。 
「阿波」の海で鯨を捕っていたに決まってるだろ!   @阿波

453:1◇n7jxAxKCBhb6
20/10/19 21:22:47.71 .net
誰が箸墓古墳を卑弥呼の墓だと言ってるの?

白石太一郎は「箸墓古墳が卑弥呼の墓であることの
可能性は低い、というよりは証明しがたい。」と述べる
石野博信は3世紀後半とすれば台与の墓、
箸墓を寿陵と考える寺沢薫は壹与の墓説やミマキイリヒコ
(崇神)などの男王の墓説も浮上してこようと評価している。
奈良県立橿原考古学研究所自体は築造時期を
280~300年(±10~20年)と推定しており、
卑弥呼の没年とは年代的に矛盾する。
またC14炭素年代測定法による推定は100年程度古く
出ることがわかっており、この墓が卑弥呼の墓で
ある可能性は低くなっている。

454:日本@名無史さん
20/10/19 21:24:43.83 .net
>>411
>ほんとに大津宮が有ったのか??
ない!  あったのは、鳴門市大津。   @阿波

455:日本@名無史さん
20/10/19 21:29:25.37 .net
発狂したか?
>これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。

456:日本@名無史さん
20/10/19 21:31:51.87 .net
>>338
>そもそも西新式は4段階の編年がある
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などの、
史料事実の曲解や否定をしているな嘘吐き騙しの大和説学者らの「編年」など、
全く信用出来ない。
>最初は平底の痕跡が残るタイプ
二段階目には山陰や畿内の影響が出て来る
三段階目は在来より外来の影響の方が強い
西新町は半島渡来民の生活痕跡があり、半島の影響が強く、山陰の影響はメインではなく、
畿内なんて存在もしな�


457:ゥった地域の影響がある訳もなく、 大和は、「東征毛人五十五國」の被征服地であるから、西新町が大和に影響を与えた方。 >四段階目は布留式の影響を受けている 布留の始まりは、米田の越前説と、筑紫説があるが、 年代的に筑紫が独力で始めた可能性の方が高い。 >祇園山の甕棺は4世紀初頭のもの 祇園山自体が、「土師器の古い方=庄内」や△の初期や須恵器があって、 3世紀前半末の卑弥呼の死の頃になる。



458:日本@名無史さん
20/10/19 21:31:53.78 .net
「天智天皇 淡海の大津宮」とは「淡海には、鯨魚(いさな)を漁る舟が見え、時には沖の波が荒れ、
多くの島々と湊(泊)があった古津神浦である鳴門市撫養町の木津金比羅宮なのである。
以前に紹介した鳴門市北灘に鎮座する葛城神社の隠された祭神が天智天皇であるように、
天智天皇は阿波の鳴門一帯を政治の拠点としていたのである。   @阿波

459:日本@名無史さん
20/10/19 21:32:10.43 .net
>>425
なにかご不満でも?

460:日本@名無史さん
20/10/19 21:34:21.95 .net
>>426
>祇園山自体が、「土師器の古い方=庄内」や△の初期や須恵器があって、
>3世紀前半末の卑弥呼の死の頃になる。
祇園山が「土師器の古い方=庄内」という情報はない
須恵器があって3世紀前半末とか、あり得ない


461:日本@名無史さん
20/10/19 21:36:10.58 .net
本来、「淡海」とは「阿波海」のこと。
そもそも通説とされる滋賀県の「大津」は平安遷都の際に「大津」の地名が誕生している。
よって天智天皇の時代には滋賀県(近江)に「大津」の地名は存在しおらず、現在の通説では不都合が生じてしまう。
「山背を山城と改め新京を平安京と名付ける、また近江の古津を大津と称する」とあり、
天智天皇が六六七年に、淡海の大津宮を拓いた当時、滋賀県大津はまだ存在していない。
近江=「淡海」とされているが、これは後世の解釈によって踏襲されているだけ。
本居宣長も、「あふみ(淡海?近江)は「阿波宇美(あわうみ)が切(つづ)ま」ったものと説き、 
また記紀にみえる淡洲(あわのしま)・阿波国(あわのくに)・淡島・阿波島(あわしま)の用例や、
淡路島の名の由来が阿波への道(阿波に至る途中の島)の意味から、「淡海」は「阿波海」が転記されたもの。   @阿波

462:日本@名無史さん
20/10/19 21:36:44.50 .net
>>423
>白石太一郎は「箸墓古墳が卑弥呼の墓であることの
可能性は低い、というよりは証明しがたい。」と述べる
そうなん?
俺が聞いたのはもはや箸墓以外にないという話だったが俺が古いのか。
ま、どっちにしても、
>奈良県立橿原考古学研究所自体は築造時期を
280~300年(±10~20年)と推定しており、
卑弥呼の没年とは年代的に矛盾する。
よしよしw

463:日本@名無史さん
20/10/19 21:37:14.06 .net
>>423
>白石太一郎は「箸墓古墳が卑弥呼の墓であることの
>可能性は低い、というよりは証明しがたい。」と述べる
ニセ情報

>奈良県立橿原考古学研究所自体は築造時期を 280~300年(±10~20年)と推定しており、
ニセ情報

>またC14炭素年代測定法による推定は100年程度古く 出ることがわかっており
素人の主張

464:日本@名無史さん
20/10/19 21:37:41.83 .net
壬申の乱は梅の歌序のこの部分だろう
曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封□而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈
朝庭に新しい蝶が舞い、鴈は(巣へ)帰っていった
花札の世界
牡丹に蝶
山とススキに鴈

465:日本@名無史さん
20/10/19 21:38:32.13 .net
例えば「万葉集(巻二ー 一五三)の大后の御歌では
鯨魚(いさな)取り 近江(淡海)の海を 沖放(さ)けて 漕ぎ来る舟 辺(へ)付きて 漕ぎ来る舟
沖つ櫂(かい) いたくなはねそ 辺つ櫂 いたくなはねそ 若草の 夫(つま)の 思ふ鳥立つ
ここで歌われている「いさな」とは鯨の古称。鯨が滋賀県大津に隣接する琵琶湖に生息しているのだろうか。
ここの「近江(淡海)」とは紀伊水道の「淡海(阿波海)」なのである。   @阿波

466:日本@名無史さん
20/10/19 21:40:47.77 .net
倭国大乱も壬申の乱も同じ構図かな
東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
真十鏡 可照月乎 白妙乃 雲香隠流 天津霧鴨

467:日本@名無史さん
20/10/19 21:47:34.35 .net
>>340
>>その平坦面の下方向にもう一つテラス部分があって、
この墳裾は二段重ねだと宝賀という人が言っていますね。
>学者は誰も言わない 自然の山だから
発掘の標高地図を見れば、「四隅円弧に類角錐台」の下の不定形の基盤面が、
少し(山頂方向からの傾斜を持って)偏在的に存在し、
その基盤台の周囲にも、また等高線が狭くなった急斜面部分が多く見られ、
その周りにまた少し平坦面的な部分も見られ、
だから、基盤台が「二段」的になっているようだ、という事になる。

その縁部に、また傾斜面が

468:日本@名無史さん
20/10/19 21:50:19.43 .net
卑弥呼墓=箸墓論者
大和盆地をザッと見渡して150mほどの墳墓が箸墓円墳部しか見当たらない。
しかも箸墓の年代が微妙に卑弥呼死亡時期に近づいてきた。
もはや間違いない、決定だ!
これはここのアホの>>1と同じく、ルアーに食らいついたアホなブラックバスと同じw
崇神が4世紀初頭から前半なのはもはや疑いがない。
ならばトヨが数十年先にいることになる。
その時代の最高位のトヨは4代懿徳天皇の后・トヨ津媛しかいない。
しかも国宝中平銘鉄刀の和邇氏の祖・孝昭天皇の母親である。
この時点で邪馬台国論争は終わり。
邪馬台国は九州でも纏向でもない、トヨ津媛の住んだ葛城である。

469:日本@名無史さん
20/10/19 21:50:35.95 .net
「壬申の乱」での大海人皇子 吉野挙兵行軍
・奈良吉野の宮→→岐阜県不破関(吉野の険しい山越えで、しかも女人連れ)4日間で170km走破 
・4日間で手勢30人→3万人に急増兵」
常識的に考えて、これは不可能である!
ちなみに、16世紀の整備された主要街道行軍の「秀吉中国大返し」ですら「備中高松城→山城国山崎 230km 10日」である。  
壬申の乱の舞台も、もちろん「阿波」での出来事。
こういう単純素朴な指摘が出来るのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波

470:日本@名無史さん
20/10/19 21:53:27.15 .net
>>436
>だから、基盤台が「二段」的になっているようだ、という事になる。
自然の山だから冢じゃないぞ

471:日本@名無史さん
20/10/19 21:57:50.11 .net
>>343
>>つまり対馬←→壱岐の位置関係が南北と記載されているので、
>そこからもう倭人伝に載ってる方位は間違ってるわけだね
「南」だけ盲信してたらダメってことが
ダメだ。
狗邪韓国の真南はほぼ平戸付近であり、東南が関門海付近であるから、
その間の末盧國~不彌國付近は、「南~東南」の範囲内になり、
「東」には全くならず、「ほぼ南方向」でよい。
従って、「南→東」とした大和説はバツだ。

472:日本@名無史さん
20/10/19 21:59:30.53 .net
この和歌も壬申の乱の頃かな
にほ鳥の息長川は絶えぬとも君に語らむ言尽きめやも
 群れで水面を泳ぎ回るカモ類の隙間に、時々現れてはさっと消えてしまう、小さなカイツブリの姿も見られます。
いつの間にか現れ、気がつくと消えて、別のところにまた現れ、まるで忍者のように群れの隙間に出没します。
潜ってから数十秒以上は出てきませんし、思わぬところに浮いてきてはすぐ潜ってしまいますから、じっくりと観察するのはとても大変です。
「にほとり(におとり)」は、カイツブリの古名です。
にほ鳥は鳰鳥
【鳰の海】は【琵琶湖】の別名

473:日本@名無史さん
20/10/19 22:03:36.07 .net
>>352
>投馬国(ダウマコク)は岡山にあった「たまのくに」・・・
「南≠東」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などの史料実態に拠って、バツ。

474:日本@名無史さん
20/10/19 22:04:46.75 .net
大津皇子の辞世の句2つ
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
金烏臨西舎 鼓声催短命 
泉路無賓主 此夕離家向

475:日本@名無史さん
20/10/19 22:06:37.91 .net
>>353
つまり、倭人伝の東西南北の方位はほぼ正しく、
東西南北程度の方向を把握が出来る人が書いたということだな
ならば「南→東」の方位を盲信する大和説は
間違いということだ

476:日本@名無史さん
20/10/19 22:08:03.02 .net
奈良の当麻と投馬は似ているな
因みに当麻寺は牡丹の名所
九州南部の投馬国、霧島、天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊

477:日本@名無史さん
20/10/19 22:12:12.40 .net
>>354
魏志倭人伝の行程情報を書いたのは、同時期に倭國に来て、
実地に見聞計測した事を記録した梯儁らや張政らやその部下らだ。
それが判らん大和説のおまえは、真性のバカか?

478:日本@名無史さん
20/10/19 22:15:49.76 .net
>>358
おやおや、また大和説さんが発狂した
陳寿が何の資料も見ず、誰の報告も読まずにに倭人伝を書いたとでも?
元の情報が間違っていなかっただけですよ
倭人伝の記事は明らかに現実の地理に「ほぼ合っている」。

479:日本@名無史さん
20/10/19 22:16:35.41 .net
>>446
それ、なんか根拠でも?

480:日本@名無史さん
20/10/19 22:30:57.54 .net
>>360
>>言えることは布留0式古相は258年の土器と併行するということだけ。
>間違いだな 布留0式古相の使われていた時間幅の中に
258年という1点が存在するという情報になるんだよ
間違いだな。
「南→東」や「冢→前方後円墳」などの嘘吐き騙しの大和説学者らが判定した、
布留0式古相や「258年の土器」とが、たまたま「同時期的に思えた」、
というだけの事だよ。
だから、その情報だけからでは
布留0式古相が240~260なのか、250~270なのかは、勿論判別ができない
昭和の例をよく考えてみるんだね
理解できたかな?
大和説の白痴くんには無理かな?

481:日本@名無史さん
20/10/19 22:44:40.62 .net
>>449
だからヤマトにも卑弥呼は居たんだって~
大陸の制度は男系社会
当時の日本の王家以外は女系社会だったのよ~
だから妻問いという習慣があったのよ

482:日本@名無史さん
20/10/19 22:45:28.73 .net
だから、王と巫女制は、当時の日本では落とし所の制度だったのよ~

483:日本@名無史さん
20/10/19 22:51:56.43 .net
>>370
確率的なデータを元にして、置き換えるとどう解決するかとかを言い出した時点で、
もう説明不能に陥ってるんだろ
そういうのを「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などと同じような、、
大和説学者的思考停止というんだ
また、1964年が昭和だったという、たったひとつの情報で
1964年の歴史事実や昭和全体を語ったら、現代史が崩壊するだろ
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などの、
史料事実の曲解や否定の嘘吐き騙しの数多くの大和学者らの提示した年代データを、
絶対的な「基点」にするなど、ナンセンスも甚だしい
それが思考停止なんだよ

484:日本@名無史さん
20/10/19 22:55:36.96 .net
>>382
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘吐き騙しの大和説学者らは、
倭人伝も無視?
それはいけないねえ

485:日本@名無史さん
20/10/19 22:57:52.36 .net
一年365日、朝昼晩このスレに張り付いて、
その結果間違えていた>>1君の人生大惨敗の原因は、
卑弥呼もトヨも記紀に登場しないという近年の歴史学の常識を打ち破ることが出来なかった事。

卑弥呼もトヨも記紀に登場します。
登場するからその時代をとんでもない時代=BC660年に設定したのだ。
卑弥呼を隠すことは卑弥呼か、卑弥呼から100年前の帥升=スサノオを隠すことでもあるからだ。
また女王国であった事実を神武東征紀という武勇伝で男王国のように塗り替えた。
卑弥呼(Bei mei hu)とは比咩后(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ后である。
⑩崇神(310年頃 318年没)
⑨開化
     ⑧孝元
          ⑦孝霊   
トヨ津          ⑥孝安 ⑤孝昭
トヨ津       (250年頃) ④懿徳 
ヒメ(踏鞴五十鈴)后        ③安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后       ②綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) ①神武 
墓は高天原(=奈良県御所市高天)にしかない。
URLリンク(bbs10.aimix-z.com)

径百余歩の塚のとなりに土蜘蛛塚つまり殉葬奴婢の痕跡がある。
>>1は本当にアフォだ、アホアホアホォ~~!

486:日本@名無史さん
20/10/19 22:59:21.81 .net
>>373
>・・・卑弥呼(Bei mei hu)とは比咩后(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ后である。
・・・墓は高天原(=奈良県御所市高天)にしかない。
「南≠東」や「正北抵新羅」や「冢≠前方後円墳」などの史料事実や史料実態に拠って、
バツ。

487:日本@名無史さん
20/10/19 22:59:34.59 .net
× 卑弥呼を隠すことは卑弥呼か、卑弥呼から100年前の帥升=スサノオを隠すことでもあるからだ
〇 卑弥呼を隠すことは卑弥呼から100年前の帥升=スサノオを隠すことでもあるからだ

488:日本@名無史さん
20/10/19 23:03:39.69 .net
>>375
>証明されたら畿内説一発確定なんでね
「畿内」なんて存在もしなかった嘘吐き騙しであるから、一発バツ。
>こっちは状況証拠の積み上げで畿内説が最有力というか
確信に足るという現状を説明してるだけ
いくら確率の殆どない状況証拠を積み上げても、絶対的な論拠にならず、バツ。

489:日本@名無史さん
20/10/19 23:11:36.57 .net
>>376
>昭和という何時から何時までなのか分かってる例を、何時から何時までか分からない話の例えにするな。
年輪年代は科学的な手法なので
「数多くの学者の提示した年代史料を無視しての「基点」などナンセンスも甚だしい」とはならない。
この基点258年を無視してるほうがよほど非科学的でナンセンス。
年輪年代の非絶対性は、もう何度も示してあり、
その258年というのも、全く絶対性がない。
勿論「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などの、
事実の曲解や否定の嘘吐き騙しの大和説学者らの論なども、全く論拠にならない。
だから、それらを基点にした論を立てた時点で、この男もバツ。

490:日本@名無史さん
20/10/19 23:13:43.36 .net
霊感で見えたものはおまえらと全然違うわ

卑弥呼陵←黒塚古墳だと言ってる
狗奴国←静岡のクノだと言ってる
投馬国←岡山のタマだと言ってる
箸墓←臺与だと言ってる

491:日本@名無史さん
20/10/19 23:20:55.96 .net
>>384
>科学的な手法である年輪年代で出た数字258年は庄内と布留の境目布留0式古相の年代で有り基点である。
年輪年代は、基準木と検体木との気温変化や降水量や日射時間数などの、
幾つも差異や非論理があり、絶対年代決定にはなっていない。

492:日本@名無史さん
20/10/19 23:23:12.82 .net
>>460
このように九州説はあらゆる科学を認めない

493:日本@名無史さん
20/10/19 23:25:14.91 .net
正北抵新羅とか言っているが、新羅の真南は五島列島である。愚か者め!

494:日本@名無史さん
20/10/19 23:31:38.28 .net
>>401
>その西新式は4世紀まで使われているんだから
その末期型の技術で作られた祇園山の甕棺は4世紀のものだな
その「末期型の技術で造られた」という事の根拠が必要だな。

495:日本@名無史さん
20/10/19 23:35:14.20 .net
>>402
>葛城の鴨族は出雲系で銅鐸族。
出雲大社荒垣外摂社で祀られてる神々と葛城の名神大社で祀られてる神々が一致する。
「出雲系で銅鐸族」であるんなら、
「南≠東」や「正北抵新羅の倭國の中心は北部九州」などに拠って、
葛城説は、またバツだな。

496:日本@名無史さん
20/10/19 23:41:48.34 .net
名草戸畔のトベって言葉があるでしょ
昔の女系の習慣だよね。
『日本書紀』の神武天皇紀には、天皇に服従しない紀ノ川河口の名草戸畔(ナグサトベ)
熊野地方の丹敷戸畔(ニシキトベ)、および
「大和国」層富県(そほのあがた) の新城(磯城?)戸畔(ニキトベ)という首長の名が残されている。
それが蘇我の始まり、継体のことなら刀自とじ、女主人
物部五瀬の東征の時は、磯城家に物部の姫を二人嫁がせたけど、卑弥呼にはなれなかった。
一般人が従わなかったから、結局磯城家に取り込まれてグダグダで終わった。
その反省を踏まえ、九州物部氏は宇佐の女主人、ウサツ姫に手を伸ばした。
宇佐家の伝承にも、ウサツ彦がウサツ姫を物部に献上するシーンが描かれる。
更に念には念を入れ、出雲系の血が濃くなり、隠然たる力を持つ副王、加茂家の事もあり
東征に際して出雲も滅ぼすことにした。それが二回目の東征。

497:日本@名無史さん
20/10/19 23:43:02.23 .net
>>464
センダイクジホンギには、磯城家の家系まできちんと書かれてるじゃん。
物部氏がぶっ倒した相手の家系を残すくらいの事だとは認識したほうが良いよ

498:日本@名無史さん
20/10/19 23:43:34.90 .net
>>403
>理化学的年代決定論は手段の一つだよ
オンリーワンだと思ってる学者は誰もいない
当然の事だ。年輪年代も土器編年も絶対性はない。
>布留0式古相が3世紀半ばというのは考古学的年代決定論であって、
多くの学者が唱えている
その「多くの学者」というのが、
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘吐き騙しの大和説学者らであるから、
根拠にならず、バツである。

499:日本@名無史さん
20/10/19 23:51:05.58 .net
>>407
>布留0古相の時間幅の中に258年があるという情報一つから
「布留0古相は258年以降」と考える学者はいない
「布留0古相の時間幅の中に258年がある」という論自体が、
既に始めから、確率的であり、
庄内1の石塚が3世紀末になる、という事との矛盾があって、否定的だ。

500:日本@名無史さん
20/10/20 00:00:41.96 .net
もはや畿内説学者からも見捨てられてしまった奥山の妄想作文>>1あわれ

501:日本@名無史さん
20/10/20 00:03:17.82 .net
>>436の訂正
>>340
>>その平坦面の下方向にもう一つテラス部分があって、
この墳裾は二段重ねだと宝賀という人が言っていますね。
>学者は誰も言わない 自然の山だから
>その縁部に、また傾斜面が
発掘の標高地図を見れば、「四隅円弧に類角錐台」の下の不定形の基盤面が、
少し(山頂方向からの傾斜を持って)偏在的に存在し、
その基盤台の周囲にも、また等高線が狭くなった急斜面部分が多く見られ、
その周りにまた少し平坦面的な部分も見られ、
だから、基盤台が「二段」的になっているようだ、という事になる。

502:日本@名無史さん
20/10/20 00:11:47.62 .net
>>459
>霊感で見えたものはおまえらと全然違うわ
卑弥呼陵←黒塚古墳だと言ってる
狗奴国←静岡のクノだと言ってる
投馬国←岡山のタマだと言ってる
箸墓←臺与だと言ってる
「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などの、
史料事実や史料実態や、
「臺与」なんて存在もしなかった嘘吐き騙し文言であるから、バツ。

503:日本@名無史さん
20/10/20 00:18:04.11 .net
宇那比姫の宇那比とは畝傍山と似てるが何か関係があるのだろうか?

504:日本@名無史さん
20/10/20 00:21:17.91 .net
魏志を読む限り九州以外あり得ないのに
畿内説は魏志から「邪馬台国」「卑弥呼」の固有名詞だけパクって、それ以外の記述全部無視する

505:日本@名無史さん
20/10/20 00:21:48.84 .net
狗奴国との勝敗は残されてはいないが男王が一時立った所を考えると狗奴国に交代したのかな?ならば30か国外の狗奴国なら狗奴国のある場所が都だろ?そうは書かれていない、狗奴国は女王国連合体河内。

506:日本@名無史さん
20/10/20 01:07:59.09 .net
畿内説を取る人でも、村雲が神武であることを不審に思う人も多いのにはちょっとびっくり。
センダイクジホンギには、尾張氏の家系がきちんと出てるよね。
そこから奥さんの家系三代が、出雲系のお嫁さん。
ヤマトの歴史がどれだけ古いのか、きちんと畿内派の人には認識してほしい。
そして何故記紀作成者が万世一系を目的としながら、それでも尾張、海部氏を重要視し残したかを理解するべき。
並べてみる
続きはCMの後で

507:日本@名無史さん
20/10/20 01:08:20.34 .net
天孫本記に出てくる名前がまずは
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 初期の天照は男神だった。 天照国照彦、天火明、櫛玉(命)、饒速日尊は同一人物
次が、ホアカリの父親である除猛からとった、五十猛

(徐猛+万幡豊秋津師姫栲幡千々姫命)→(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊+宗像の高照姫:天道姫ともいう)
→(五十猛(大和入りしてからは天香語山命)+大屋姫と、もうひとり穂屋姫)→天村雲と、天御陰
・ここで天孫本記:天香語山命(あまのかごやまのみこと)は、異腹の妹の穂屋姫(ほやひめ)を妻として、一男をお生みになった。
・穂屋姫は、物部系の祖である天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と、宗像の市杵姫との間の娘。
・大屋姫系の子供が、紀伊家のタカクラジになり、子孫の珍彦が五瀬を撃退する、
・穂屋姫系の子供が天村雲。これが尾張氏の始まり。弟に、天御陰がおり、海部家は村雲の兄弟の家系。(ただし海部家の系譜では天御陰は村雲の子供になってる)
・尾張氏→熱田神宮
・海部氏→現在の丹後の籠神社宮司(秘密の社殿に出雲の大神を祭る)
→①(天村雲(神武)+タタライスズヒメ(事代主の本妻の三島家の娘。タテミナカタの異母兄妹)
・村雲王は別名天五多手(イタテは、もうイソタケ系の名前だよね)
→②(沼名川耳・本記では天忍人命(綏靖)+イズズヨリヒメ)
・この命は異腹の妹の角屋姫(つぬやひめ)、またの名は葛木(かずらき)の出石姫(いずしひめ)を妻として、二男をお生みになった。
・他の皇子に、八井耳。古事記編纂に関わった太安万侶の先祖
→③(玉手看(安寧)磯城津彦ともいう+ヌナゾコ姫)
三代目の磯城津彦の時に、尾張家と関係が悪化し、尾張家は村雲の剣を大王に渡さなくなった。

508:日本@名無史さん
20/10/20 01:11:46.41 .net
狗奴国は東海地方を勢力圏に収めていた…

509:日本@名無史さん
20/10/20 01:13:43.86 .net
そこで母系社会の伝統だ。
古代日本は母系家族制なので、生まれた子どもたちは母の実家で育ちます。
なのでDNAだけでなく、女性側の文化の影響が強くなる。
磯城津彦は出雲の分家、登美家で育てられるようになった。故に、尾張家との関係が悪化した

510:日本@名無史さん
20/10/20 01:15:23.58 .net
磯城王朝とは、三代目の磯城津彦から始まる。葛城国ともいう。
五瀬が来る前からの古い歴史が近畿の歴史。ちゃんと覚えたほうがいい。すごく立派なものではないか?

511:日本@名無史さん
20/10/20 01:17:44.58 .net
タタライスズヒメが三輪山祭祀の本当の最初の姫巫女(卑弥呼)
巻向遺跡が出来る前の話だよ

512:日本@名無史さん
20/10/20 01:22:09.94 .net
んでセンダイクジホンギから分かるように、九州にも同じ血筋が根付くことになる。
これが九州物部氏。イチキシマヒメと、饒速日の家系
つまりは、物部イクメは、竜宮の乙姫と弁天様の血筋なのだ。
九州と近畿にはほぼ同時に日本の歴史の萌芽があったのだよ。
だから、魏書の景初3年の卑弥呼と、それより前に出てる年号のない卑弥呼は別の卑弥呼。
姫巫女職=卑弥呼だから、どっちにも卑弥呼が居たというのはそういう事。
出土する遺物、青銅器生産にかかわる錫、水銀砂の一ランク上の精錬技術は、祖が同じだから出来たこと。
青銅製品の分布からも、近畿と奈良には同時に大きな勢力があった。

513:日本@名無史さん
20/10/20 01:34:14.59 .net
重要なのは五十猛が、異母兄弟で結婚しているという事。
物部家の祖になる彦ホホデミの妹だか、お姉さんだかを妻にしてるので
「両者はどう考えても自分らが親戚の家だと認識してた」だろうね。

514:日本@名無史さん
20/10/20 02:02:27.76 .net
だから
血筋上の①神武、②記紀上、学説上の神武、③最後の東征の神武(崇神)は別のものとして考えるべきだよ~
②、③を消すと尾張氏と、竜宮神話が消えて無くなる。
記紀は①を消し去ったが、竜宮神話で籠神社に関連する記述が出てくる。
そういう考えが詰まったものが記紀

515:日本@名無史さん
20/10/20 02:13:20.39 .net
上記の事柄を前提とした場合に導かれる後漢書の「帥升」は誰か?
どっちの政権か?
帥升
107年だと、第六代孝安天皇こと、国押人。
日本語のシヒにアクセントがあるのを、大陸の人が短く行書で「帥升」とした。
記紀が最も嫌ったのは魏書だが、まあこういう話も記紀的状況なわけでなんとか誤魔化すことにした。
日本書紀に出てくる大王ヤマトタラシヒコと、その兄アマタラシヒコ
古事記では国押人は一人で兄が居るとは書かれていない
そして兄の国押人が使いとして後漢に行ったことにした。
まあ、海幸彦も山幸彦もスサノオの子孫だから当たらずとも遠からずという事で。

516:日本@名無史さん
20/10/20 02:14:05.19 .net
近畿のヤマトが九州より先に朝貢してたのは事実だよ~

517:日本@名無史さん
20/10/20 02:16:20.66 .net
>>467
>当然の事だ。年輪年代も土器編年も絶対性はない。
この無知後期高齢者さん、絶対性って言葉の意味を知らないんじゃ・・?

518:日本@名無史さん
20/10/20 02:31:22.06 .net
>>484
という事で現在でも籠神社の社宝が、前漢鏡(約二千年前)、後漢鏡(約1950年前)になってる。
中津鏡、辺津鏡と名前がついている内行花文鏡
それと元伊勢である籠神社だが、ヤマト姫が太陽と月の女神を奉じてと書いたが
あの神社には、外宮元宮もある。それが奥社の眞名井神社
雄略天皇の時代に伊勢の下宮に遷宮したというのが籠神社の説明

519:日本@名無史さん
20/10/20 02:35:19.34 .net
>>471
投馬国が都万国だよ~

520:日本@名無史さん
20/10/20 05:03:23.01 .net
大津宮があったのかって?
なら魏志倭人伝なんかも記事には書かれているが遺跡がでないからほんとにあったのか?って疑うレベルの話やで

521:日本@名無史さん
20/10/20 05:11:57.84 .net
>>471
>・・・狗奴国は女王国連合体河内。
「南≠東」や「正北抵新羅の倭國の中心は北部九州」などに拠って、バツ。

522:日本@名無史さん
20/10/20 05:21:55.52 .net
>>477
>狗奴国は東海地方を勢力圏に収めていた…
「南≠東」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などに拠って、バツ。

523:日本@名無史さん
20/10/20 05:26:12.74 .net
>>480
>タタライスズヒメが三輪山祭祀の本当の最初の姫巫女(卑弥呼)
巻向遺跡が出来る前の話だよ
「南≠東」や「正北抵新羅の倭國の中心は北部九州」であるから、バツ。

524:日本@名無史さん
20/10/20 05:26:51.33 .net
いくらお経を唱えても、死んだ九州説は生き返らないよ

525:日本@名無史さん
20/10/20 05:33:19.88 .net
>>481
>・・・九州と近畿にはほぼ同時に日本の歴史の萌芽があったのだよ。
出雲が先に「国引き」建国をしており、
それから九州倭國の「東征毛人五十五國」が始まる事になるから、バツ。
>だから、魏書の景初3年の卑弥呼と、それより前に出てる年号のない卑弥呼は別の卑弥呼。
歴代中国史書群では、
卑弥呼は一人だ、として書かれているから、バツ。

526:日本@名無史さん
20/10/20 05:42:34.01 .net
>>483
>だから
血筋上の①神武、②記紀上、学説上の神武、③最後の東征の神武(崇神)は別のものとして考えるべきだよ~
神武は、大和の始祖として記紀に描かれており、一人だから、バツだよ。

527:日本@名無史さん
20/10/20 06:32:56.38 .net
卑弥呼はヒメミコでは無いだろ、卑弥弓呼素はヒメ弓呼素じゃないだろ?30か国の共立国だが首都は男王立つで同じ畿内だろ、新たな教団の内輪揉め、五斗米道と太平道。箸墓と河内

528:日本@名無史さん
20/10/20 06:34:57.05 .net
>>480
>タタライスズヒメが三輪山祭祀の本当の最初の姫巫女(卑弥呼)
巻向遺跡が出来る前の話だよ
十数年前からヒミコ=ヒメ(蹈鞴五十鈴)后といってるわしはもちろん賛成なんだが、
三輪山というのは古来から三角錐の典型的神南備で信仰対象であったと思うが、
崇神以降、その信仰の形を変え大物主を祀ってるだろ。
それはそれまでの「主=大物主=阿田賀田須」を崇神が殺したからだ。
その怨霊封じのために大神神社が建てられる。
崇神は大物主の怨霊が怖いのか、手元にあった鏡を放逐、
それが今も20年に一度「式年遷宮」という形で彷徨い続けるのが伊勢神宮。
また山陰出雲では出雲振根が殺されその怨霊封じのために出雲大社が建てられる。
そして出雲の神宝が奪われる。
それが今も皇室に受け継がれる三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉」だ。

529:日本@名無史さん
20/10/20 06:58:48.55 .net
>>497
妄想を垂れる前に、その妄想に見合う「集落遺跡」を示せ! アンポンタン。   @阿波

530:日本@名無史さん
20/10/20 07:16:23.18 .net
「壬申の乱」での大海人皇子 吉野挙兵行軍
・奈良吉野の宮→→岐阜県不破関(吉野の険しい山越えで、しかも女人連れ)4日間で170km走破 
・4日間で手勢30人→3万人に急増兵」
常識的に考えて、これは不可能である!
ちなみに、16世紀の整備された主要街道行軍の「秀吉中国大返し」ですら「備中高松城→山城国山崎 230km 10日」である。  
壬申の乱の舞台も、もちろん「阿波」での出来事。
こういう単純素朴な指摘が出来るのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波

531:日本@名無史さん
20/10/20 07:31:57.14 .net
>>493
>いくらお経を唱えても、死んだ九州説は生き返らないよ
おいキナイコシ、勘違いするな。
お経というのは生き返らせないために唱えるのだww
神社のしめ縄もそうだ。祀っている神々の亡霊が、生き返って出てこないことを願って張り巡らす


532:のだww



533:日本@名無史さん
20/10/20 07:57:41.28 .net
「万葉集(巻二ー 一五三)の大后の御歌では
鯨魚(いさな)取り 近江(淡海)の海を 沖放(さ)けて 漕ぎ来る舟 辺(へ)付きて 漕ぎ来る舟
沖つ櫂(かい) いたくなはねそ 辺つ櫂 いたくなはねそ 若草の 夫(つま)の 思ふ鳥立つ

ここで歌われている「いさな」とは鯨の古称。鯨が滋賀県大津に隣接する琵琶湖に生息しているのだろうか。
ここの「近江(淡海)」とは紀伊水道の「淡海(阿波海)」なのである。   @阿波

534:日本@名無史さん
20/10/20 08:09:33.81 .net
本来、「淡海」とは「阿波海」のこと。
そもそも通説とされる滋賀県の「大津」は、平安遷都の際に「大津」の地名が誕生している。
よって天智天皇の時代には滋賀県(近江)に「大津」の地名は存在しおらず、現在の通説では不都合が生じてしまう。
「山背を山城と改め新京を平安京と名付ける、また近江の古津を大津と称する」 とあり、
天智天皇が六六七年に淡海の大津宮を拓いた当時、滋賀県大津はまだ存在していない。
近江=「淡海」とされているが、これは後世の解釈によって誤認されているだけ。
本居宣長も、「あふみ(淡海・近江)は「阿波宇美(あわうみ)が切(つづ)ま」ったものと説き、 
また記紀にみえる淡洲(あわのしま)・阿波国(あわのくに)・淡島・阿波島(あわしま)の用例や、
淡路島の名の由来が、阿波への道(阿波に至る途中の島)の意味から、「淡海」は「阿波海」が転記されたもの。   @阿波

535:日本@名無史さん
20/10/20 08:18:31.90 .net
>>485
どこの地球にお住まいですか?w

536:日本@名無史さん
20/10/20 08:24:01.40 .net
>>484
>上記の事柄を前提とした場合に導かれる後漢書の「帥升」は誰か?
どっちの政権か?
帥升 107年だと、第六代孝安天皇こと、国押人。・・・
帥升は、九州の倭國王であったように書かれており、
また「天皇」なんて、全く存在していなかった時期だから、
大和の「第六代孝安天皇こと、国押人」の比定は、バツ。

537:日本@名無史さん
20/10/20 08:28:31.37 .net
>>485
>近畿のヤマトが九州より先に朝貢してたのは事実だよ~
大和は、元は毛人縄文人と出雲銅鐸祭祀系との混合地であったのであり、
それを、九州倭國の「国生み神話」や「東征毛人五十五國」に拠って征服されて、
旧小国の附庸國になっていたのであるから、
「ヤマトが九州より先に朝貢してた」は、バツ。

538:日本@名無史さん
20/10/20 08:35:13.22 .net
>>487
>現在でも籠神社の社宝が、前漢鏡(約二千年前)、後漢鏡(約1950年前)になってる。
中津鏡、辺津鏡と名前がついている内行花文鏡
それと元伊勢である籠神社だが、ヤマト姫が太陽と月の女神を奉じてと書いたが
あの神社には、外宮元宮もある。それが奥社の眞名井神社
ふーん。
「元伊勢」の「伊勢」は、やはり、伊都国の糸島の「伊勢」だったんだろうなあ。
雄略天皇の時代に伊勢の下宮に遷宮したというのが籠神社の説明

539:日本@名無史さん
20/10/20 08:36:06.14 .net
だから書記なんかに書かれている場所には武家の連中らが積極的に進出して占領したんだって
後世な

540:日本@名無史さん
20/10/20 08:39:03.78 .net
吉備なんかは渡来人伝承があるから亡命者らの渡来地として選ばれたし源氏の東国の拠点となった八幡庄は古代東国の拠点やし出雲は嵯峨源氏が抑えたし

541:日本@名無史さん
20/10/20 08:39:38.86 .net
>>493
いくら史料事実や史料実態を否定抹殺して、
皇国史観宗教的なお経を唱えても、
死んだ大和説は生き返らないよ

542:日本@名無史さん
20/10/20 08:40:25.68 .net
九州八幡宮があるとこには信濃源氏の小笠原氏が配置されてるし名所はすべて抑えていた

543:日本@名無史さん
20/10/20 08:42:31.42 .net
伊勢神宮は起源書かれとるで

544:日本@名無史さん
20/10/20 08:44:39.17 .net
>>496
>卑弥呼はヒメミコでは無いだろ、卑弥弓呼素はヒメ弓呼素じゃないだろ?
30か国の共立国だが 首都は男王立つで同じ畿内だろ、
新たな教団の内輪揉め、五斗米道と太平道。箸墓と河内
「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や、
「正北抵新羅の倭國は北部九州」などの史料実態に拠って、バツ。

545:日本@名無史さん
20/10/20 08:49:09.56 .net
>>497
>>タタライスズヒメが三輪山祭祀の本当の最初の姫巫女(卑弥呼)
巻向遺跡が出来る前の話だよ
>十数年前からヒミコ=ヒメ(蹈鞴五十鈴)后といってるわしはもちろん賛成なんだが、・・・
「南≠東」や「正北抵新羅の倭國の中心は北部九州」などの史料実態に拠って、
「卑弥呼、大和説」はバツ。

546:日本@名無史さん
20/10/20 08:52:52.05 .net
>>506の訂正
>>487
>現在でも籠神社の社宝が、前漢鏡(約二千年前)、後漢鏡(約1950年前)になってる。
中津鏡、辺津鏡と名前がついている内行花文鏡
それと元伊勢である籠神社だが、ヤマト姫が太陽と月の女神を奉じてと書いたが
あの神社には、外宮元宮もある。それが奥社の眞名井神社
雄略天皇の時代に伊勢の下宮に遷宮したというのが籠神社の説明
ふーん。
「元伊勢」の「伊勢」は、やはり、伊都国の糸島の「伊勢」だったんだろうなあ。

547:日本@名無史さん
20/10/20 09:13:06.89 .net
>>505
先代旧事本紀読みましょうね?いい子だからw

548:日本@名無史さん
20/10/20 09:35:02.74 .net
「皇祖に係わる大女王 豊玉比賣命」
御毛沼命(三毛入野命)は鵜草葺不合命の息子で、神武天皇の兄にあたる。
御毛沼命の母:玉依姫神 姨:豊玉姫 父:鵜草葺不合命 弟:神倭伊波礼琵古命(神武天皇)
御祭神を豊玉姫命とする豊玉姫神社(とよたまひめじんじゃ)は、各地に鎮座しているが、
同名の延喜式式内社は全国で唯一、阿波国のみにある。
式内社「豊玉比賣神社」が阿波だけにあることから分かるように、もちろん豊玉比賣は阿波の神である。
他国には、豊玉比賣の名を冠する式内社はないにもかかわらず、
阿波には「和多都美豊玉比賣神社」「天石門別豊玉比賣神社」と、二社もある。
古事記にも、皇祖に係わる大女王として豊玉比賣の物語がはっきり記述されている。   @阿波

549:日本@名無史さん
20/10/20 09:45:26.05 .net
全国で唯一、饒速日命の孫「天村雲」を祀る「阿波国式内社 天村雲神社」(徳島県旧麻植郡)。
延喜式神名帳には麻植郡天村雲神伊自波夜比売神社二座とある。
その論社が徳島県旧麻植郡山川町村雲にある「天村雲神社」である。
祭神は,「天村雲命」と「伊志波夜比女命(いしはやひめ)」の二柱である。   @阿波

550:日本@名無史さん
20/10/20 09:48:35.71 .net
伊勢神宮で天皇皇后両陛下の「親謁の儀」が外宮で執り行われた。 翌日、内宮で執り行われる。
やはり、外宮が優先か。
「神道五部書」の『豊受皇太神御鎮座本記』の内容を「国史大系」の第七巻から見てみると
「天村雲命伊勢大神主上祖也。神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也」
阿波國に座す二社(忌部神社、天村雲神社)が皇祖皇統の正統なる末裔であると記している。   @阿波

551:日本@名無史さん
20/10/20 09:49:16.62 .net
>>514
またデタラメ言ってるのか

552:日本@名無史さん
20/10/20 09:52:15.41 .net
阿波忌部が伊勢神宮(少なくとも外宮の)の正統なる祭祀者であり、伊勢神宮は阿波忌部の上祖(天日鷲命)を祀っているのである。
内宮、外宮、両宮の御鎮座当初より忌部氏が祭祀を司っていたのはまぎれもない事実であり、
6世紀に中臣氏に取って代わられるまでその地位は安泰だった。   @阿波

553:日本@名無史さん
20/10/20 09:54:36.58 .net
「伊勢大神」というのは「天照大神」を指していて、
穀物神である豊受大神を祭神とする外宮「豊受大神宮」の記録 『豊受皇太神御鎮座本記』に、
この「伊勢大神」=「天照大神」の記述があるのは、非常に不自然である。
つまり、「豊受大神」(外宮)=「伊勢大神」=「天照大神」(内宮)ということか。   
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。   @阿波

554:日本@名無史さん
20/10/20 09:57:35.61 .net
>>494
出雲が先なのはあってるが、国譲り事件はその後でしょ。意味わかってないで書いてるだろ

555:日本@名無史さん
20/10/20 09:58:34.56 .net
>>495
記紀での神武は別だと書いてるだろ
その回答が記紀にはって頭おかしいとしか。
人間の会話になっていない

556:日本@名無史さん
20/10/20 09:59:40.38 .net
>>496
卑弥弓呼素
開化天皇の息子の代のヒコイマスと言われてる。
漢の人。
もちろん卑弥呼ではない。

557:日本@名無史さん
20/10/20 10:21:58.18 .net
>>515
>先代旧事本紀読みましょうね?いい子だからw
先代旧事本紀は、後代の記紀や他の旧家の伝承や系図と同じく、どうしても、
魏志などのような「同時代の中国の役人らに拠る実地の見聞計測の記録」よりも、
客観性や信頼性が落ち、確率が低い「半分バツ書」的である場合が多く、
若い頃は「いつかは読もう」と思った事もあるが、
後期高齢の今となっては、そんな時間も暇も気力も体力もなく、
もう読む事はないだろう、と思う。

558:日本@名無史さん
20/10/20 10:48:32.95 .net
>>497
三輪山祭祀は元々出雲の太陽の女神と、事代主が祀られていました。
そこから女神が移動して、事代主のみ残りました。
戦乱が治まった後は太田氏が祭祀を再開します。
だから今現在は事代主が大物主に変えられ、男神のみになっています。
アタカタスは、国引き神話の第6代大国主オミツヌの次男で、宗像家の祖です。
物部氏はアタカタスを無くしたりはしません。
三輪山は怨霊の神様ではありませんよ。
出雲大社の前身の杵築大社は、国造職が廃止され、失職を恐れた千家が東西出雲王家に頼んで作ってもらった神社。
資金の大半は東出雲王家。
敷地と資材は西出雲王家


559:。 上官職筆頭は西出雲王家。 千家は雇われる神主でした。 神話だと立派な社を作ってくれば黄泉の国を管理しますとなってるけど、自分たちで作った神社。 三刀屋神社に祀ってた大国主をあそこに移した。 出雲大社は怨霊じゃないよ。 怨霊に感じるのは悪さをした一部の人たち。殆どの人には関係ない。 千家にとったら怨霊だということだろうね。



560:日本@名無史さん
20/10/20 10:50:23.80 .net
>>504
伊都国が太宰府と同じでヤマトの出先機関だろ
今更ナニを?w

561:日本@名無史さん
20/10/20 10:52:43.85 .net
>>508
先代の出雲伝承者は、出雲と吉備戦争を、葛城とヒボコの朝鮮系が習合した勢力だとしていたが、時間的にそんな余裕はないから基本的には吉備単独の戦争。
ヒボコは、それからスサ族と習合が進んだ。

562:日本@名無史さん
20/10/20 10:54:01.46 .net
>>516
起源説の朝鮮人、阿波ww

563:日本@名無史さん
20/10/20 10:58:29.24 .net
>>529
何でも奈良起源にしたがる畿内説w

564:日本@名無史さん
20/10/20 11:00:06.58 .net
>>504

天皇呼称なんて後からつけてものだろ。そんなこと分かり切ってることだろ。
系譜が後から作られたからそれに当てはめてるだけ。
あなた大丈夫か?

565:日本@名無史さん
20/10/20 11:08:18.94 .net
>>524
間違えた
漢の人。 →男の人。男と入れると漢が出ちゃう

566:日本@名無史さん
20/10/20 11:10:03.93 .net
>>525
それ読んでからじゃないと無理。
インターネットに原文と読み下し文くらいあるから読まないのは✖
物部氏が尾張家など、一般論から外れるけど、他の家の家系図を残していること自体が重い。

567:日本@名無史さん
20/10/20 11:10:48.34 .net
出雲地方には生馬神が祀られている
生馬神社境内には「牛荒神の大木」と呼ばれる木があり木に藁が巻き付けられている
出雲風土記かな、生馬神の子はもう荒ぶらないと言ったとか
火の神っぽい
生駒の神と同じじゃないか

568:日本@名無史さん
20/10/20 11:11:48.93 .net
>>527
だから国押人は、九州の人ではない。
その出先機関から大陸に渡った。
この時点で一応、名目上はヤマトがキチンと国の代表を公式にはやってる訳だ

569:日本@名無史さん
20/10/20 11:12:58.77 .net
>>534
生馬神って、物部イクメに見えちゃいますね

570:longinus_bouz
20/10/20 11:16:17.47 .net
>>504 > 帥升は、九州の倭國王であったように書かれており//
  頓珍漢な返信なぞ付してないで、少しはモノを考えな。
フリーメーソンを九州王朝国に置き換えてるだけのオカルト莫迦には無理だろうがね。
・魏志では時期不明の倭国大乱を、何で後漢書は桓霊の間、と特定したのか?
・地域王である倭奴国王と違って、帥升のタイトルが倭國王なのは、なぜか?
スレリンク(history板:219番)
>「天皇」なんて、全く存在していなかった時期だから//
  ならば、どういう家柄が存したと書かれてるかでも考えな。

571:日本@名無史さん
20/10/20 11:17:58.08 .net
>>517
饒速日命の孫「天村雲」って書いてる時点で先代旧事本紀。語るに落ちてる。
阿波には独自の歴史を残す視点が全く欠けており、後出しジャンケンで吠えてるだけ。
朱砂ですら大和とは千年の差があるのに、ウリたちが一番最初ニダとか言ってる。
この方向性は@阿波だけじゃないんだよなw

572:日本@名無史さん
20/10/20 11:19:22.87 .net
繁栄を極めていた島根の神庭地方の遺跡は、紀元前後に営みを終焉
加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸が畿内各地で出ている
神庭地方の人々を追いやった集団がいたんじゃないのかな?
イザナギなのかイザナミが産んだ火の神なのか

573:日本@名無史さん
20/10/20 11:19:34.26 .net
>>537
ふ、フリーメーソン?お、おう・・
頑張りなw

574:日本@名無史さん
20/10/20 11:25:15.06 .net
途轍もなく高い社を建てたり、20年に一度建て替えたり
その地域の人に莫大な負担がかかる
荒魂を鎮魂する為に科せられた労働、罪滅ぼしかもしれん
想像だが

575:日本@名無史さん
20/10/20 11:28:38.39 .net
>>538
>独自の歴史を残す視点が全く欠けており
トンデモ畿内説は、独自の妄想を垂れる才能が備わっている。  わははははは   @阿波

576:コテ略
20/10/20 11:29:42.30 .net
>>540 > ふ、フリーメーソン?お、おう・・//
  九州王朝ヨタって、要するにそれでしょ。
邪馬台国も何でもかんでもが、九州王朝のやってる事だ、てんだからさ。

577:日本@名無史さん
20/10/20 11:53:36.66 .net
鎮火祭
高天原に神留り坐す皇親神漏義・神漏美の命持ちて、
皇御孫命は豊葦原乃水穂国を安国と平けく知食せと、天下寄さし奉りし時に、
事寄さし奉りし天都詞太詞事を以て申さく、
 神伊佐奈伎・伊佐奈美乃命、妹背二柱嫁継ぎ給ひて、国の八十国・嶋の八十嶋を生み給ひ、八百万神等を生み給ひて、
麻奈弟子に火結神を生み給ひて、美保止焼かえて石隠り坐して、
夜は七夜昼は七日、吾をな見給ひそ、吾が奈^背乃命と申し給ひき。
此の七日には足らずて、隠り坐す事奇しとて、見そなはす時に、火を生み給ひて、御保止を焼かえ坐しき。
如是る時に、吾が名^背乃命の吾を見給ふなと申すを、吾を見阿波多志給ひつと申し給ひて、吾が名^背能命は上津国を知食すべし。
吾は下津国を知らむと白して、石隠り給ひて、与美津枚坂に至り坐して思食さく、吾が名^背命の知食す上津国に、心悪しき子を生み置きて来ぬと宣りたまひて、返り坐して、更に子を生みたまふ。
水神・匏・川菜・埴山姫、四種の物を生み給ひて、此の心悪しき子の心荒びそば、水神匏、埴山姫川菜を持ちて鎮め奉れと事教へ悟し給ひき。
 此に依りて称辞竟へ奉らば、皇御孫の朝廷に御心一速び給はじと為て、進る物は、明妙・照妙・和妙・荒妙・五色物を備へ奉りて、
青海原に住む物は、鰭広物・鰭狭物、奥津海菜・辺津海菜に至るまでに、御酒は�辺高知り、�腹満て雙べて、
和稲・荒稲に至るまでに、横山の如く置き高成して、天津祝詞の太祝詞事以て、称辞竟へ奉らくと申す。

578:日本@名無史さん
20/10/20 11:56:37.51 .net
埴山姫は河内の姫か
武埴安彦の母と関係あるのかな
下津国の与美津枚坂
大体どの辺りか見当はつくが

579:日本@名無史さん
20/10/20 12:01:02.88 .net
>>545
>埴山姫は河内の姫か

もちろん、「阿波」。
【日本一社 阿波國美馬郡 延喜式式内社 波尓移麻比祢(ハニヤスヒメ」神社】
鎮座地 徳島県美馬市脇町北庄
御祭神 埴山姫神
イザナミから生まれた神様です!!
イザナミがカグツチを生んで「みほとを焼かれ」死の間際に生み出した土を司る女神であり、
『古事記』では「波邇夜須毘売神」、『日本書紀』では「埴安神」と表記する。
この神社は全国でここだけ・・・「土の神様」を祭っています!!   @阿波
URLリンク(sueyasumas.exblog.jp)

580:日本@名無史さん
20/10/20 12:04:35.89 .net
かたや「水の神様」も「阿波」。
【日本一社 阿波國美馬郡 延喜式式内社 弥都波能賣(ミツハノメ)神社】
「八坂神社(論社)」
鎮座地 徳島県美馬市美馬町字滝ノ宮231
御祭神 素盞嗚命
創立年代不詳
弥都波能売神は、古事記の神産みにおいて、カグツチを生んだため陰部を火傷し苦しむ。
亡くなる間際のイザナミの命の尿から、和久産巣日(ワクムスビ)神とともに生まれたとしている。
すなわち代表的な「水神」である。
この「八坂神社」は、式内社「弥都波能賣神社」論社の一社。
比定社は他にも美馬市脇町拝原にある「八大龍王神社」、美馬市脇町猪尻の「建神社」、三好市井川町井内「武大神社」などがある。
「武大神社」は、「八坂神社」の鎮座地名と同じ「滝宮」と称されており、御祭神も「八坂神社」と同じく「素盞嗚尊」。
「建神社」の御祭神も「素盞嗚尊」で、それぞれの論社に共通点がある。
神名そのままの「弥都波能賣神社」という式内社は、日本で唯一阿波にしかない。   @阿波
URLリンク(momijiaoi.net)

581:日本@名無史さん
20/10/20 12:13:53.46 .net
阿波の大麻比古神社
忌部氏の祖、大麻比古祀る
かつてはサルタヒコを祀っていたようだ
阿波とサルタヒコ、どう関係するのか?
出雲地方でオオナムチの前に信仰されていたサルタヒコ

582:日本@名無史さん
20/10/20 12:22:25.01 .net
>>548 日本@名無史さん ▼ New! 2020/10/20(火) 12:13:53.46 [0回目]
>阿波とサルタヒコ、どう関係するのか?

「猿田彦大神」と「天鈿女命」とは夫婦であることは、日本神話に詳しい人はご存知だろう。
徳島県鳴門市にある「大麻比古神社」の祭神は「猿田彦大神」とされている。
その大麻比古神社背後の大麻山には「猿田彦」を祀る祠があったという。
実はこの大麻山の隣には峰続きで「天円山(あまがつぶやま)」がある。
そして、この天円山山頂には「天鈿女命」を祀る「天ヶ津神社」が鎮座している。
「猿田彦大神」と「天鈿女命」両神は、仲良く阿波国鳴門の「大麻比古神社」背後の「大麻山」・「天円山」に祀られている。   
阿波って実に面白いところである。   @阿波

583:日本@名無史さん
20/10/20 12:22:53.88 .net
毎日いともたやすく論破され引きこもるだけのキナイコシあわれ

584:日本@名無史さん
20/10/20 12:31:41.22 .net
>>547

水銀の文化と関係するミズハメを恥ずかしくもなく出してくるとはwww
流石ペテンの阿波

585:日本@名無史さん
20/10/20 12:32:30.14 .net
まあ壱輿が豊玉姫は悪くないよね、この時重要なのは桃と青白玉と朱位だろうから宇和の白玉の支配拠点として宇佐はあるからな、不弥国が宇佐に繋がる所かな?。ところで不弥は文かね?

586:日本@名無史さん
20/10/20 12:33:07.34 .net
>>549
天細女がトヨである事すら伝わってない阿波w
そのうちキリストの墓もできる事だろう

587:日本@名無史さん
20/10/20 12:37:06.56 .net
>>548
猿田彦は古くは出雲西出雲王家、神門臣家で中心的に祀られていた。
出雲の神奈備神社とかが麓にある北山山地。
そこの鼻高山に鎮座する。
大山がクナトの大神
三瓶山が幸姫の命
御子神が猿田彦。鼻高山。
これを幸の神三神と言います。
諏訪大社も、奥出雲の熊野大社も、そして杵築大社も、これを祀ってました。
阿波は全く関係なしw

588:日本@名無史さん
20/10/20 12:38:16.38 .net
>>553
>天細女がトヨである事すら伝わってない阿波w

なにをどう勘違いしたらそんな自分勝手読みができるんだい?  
最早、歴史学ではなく、小説の世界だな。  わははははは   @阿波

589:日本@名無史さん
20/10/20 12:40:15.34 .net
>>545
三輪山の南側、ダンノダイラ


590:の北側、荒神社の近くが埴山と呼ばれていて、岩に丸の穴が空いたものが今でも残ってる。 兵主神社の管理する白石の神域のもう少し奥にある。 埴輪の土が取れたらしい。



591:日本@名無史さん
20/10/20 12:41:31.14 .net
>>554
なにをどう勘違いしたらそんな妄想が湧いてくるんだい?   
最早、歴史学ではなく、小説の世界だな。  わははははは   @阿波

592:日本@名無史さん
20/10/20 12:43:00.76 .net
>>555
イヤイヤホント、歴史泥棒の気質は@阿波だけじゃないよね
阿波の遺跡や歴史を書いてるやつ、おんなじ方向性のペテン師が多いじゃん
それも大和より1000年も遅い水銀の遺跡を最古級とか平気で吠えてる
もは虚言癖のレベル。自分の嘘を嘘と認識できないレベル。
まさに朝鮮人w

593:日本@名無史さん
20/10/20 12:45:02.17 .net
クナトの神は高天之原に事始めた、道饗祭の神さま
道と言えば黄泉に行ったイザナミは道敷大神として黄泉の主祭神となった
サルタヒコの母、出雲の姫神の幸神と関係あるかもな
道饗祭
高天之原に事始めて、皇御孫之命と称辞竟へ奉る、大八衢に湯津磐村の如く塞り坐す皇神等の前に申さく、
  八衢比古・八衢比売・久那斗と御名は申して辞竟へ奉らくは、
根国底国より麁び疎び来む物に、相率り相口会ふ事無くて、下より行かば下を守り、上より往かば上を守り、夜の守・日の守に守り奉り斎ひ奉れと、
進る幣帛は、明妙・照妙・和妙・荒妙に備へ奉り、御酒は・辺高知り、・腹満て雙べて、汁にも穎にも、
山野に住む物は、毛の和物・毛の荒物、青海原に住む物は、鰭の広物・鰭の狭物、奥津海菜・辺津海菜に至るまでに、
横山の如く置き足らはして進る宇豆の幣帛を、平けく聞食して、
大八衢に湯津磐村の如く塞り坐して、皇御孫命を堅磐に常磐に斎ひ奉り、茂御世に幸へ奉り給へと申す。
  又親王・王等・臣等・百官人等、天下の公民に至るまでに、平けく斎ひ給へと、神官、天津祝詞の太祝詞事を以て、称辞竟へ奉らくと申す。

594:日本@名無史さん
20/10/20 12:46:47.50 .net
明治天皇が詠まれた歌にも道が出てくる
人もわれも 道を守りてかはらずば この敷島の国はうごかじ
葦原のみづほの國の萬代もみだれぬ道は神ぞひらきし

595:日本@名無史さん
20/10/20 12:48:27.20 .net
>>525
そもそもが日本書紀と古事記が内容違うからね。
あれだけだと確度が低くなる。
ほぼ同じ側の人間たちが作ったものだからね

596:日本@名無史さん
20/10/20 12:55:09.55 .net
道の神、道祖神はお地蔵さんと集合
近畿地方はお地蔵さんだらけ
村の辻々、都会の道路の片隅、何処にでもお地蔵さんがある
出勤前に通学途中で皆手を合わせる
地蔵盆は今でも子どもの祭として受け継がれている
お地蔵さんほど信仰を集めている存在はない

597:日本@名無史さん
20/10/20 12:59:42.84 .net
>>559
2回目の物部東征の際に出雲は滅びますが、松江市の王庭の東出雲王宮は、物部トオチネによって体制側の拠点にされます。
地名は神社と違って中々変わりません。淡路島の古い地名の残存率は9割を超え、四国は6割と言われていますので、@阿波がナニを言おうがすぐに嘘ばバレるくらい。
時代が変わり、物部が体制側から転落すると、秋上氏と名前を変えた物部氏は王宮を出雲側に返還すると申し出ますが、向家はそれを固辞。
過去を乗り越えてこ


598:れからは協力していこうと申し出ます。 今の神魂神社は、元のフツノミツタマを近くの剣神社に移し、出雲の幸神を名前を変えて祀ることにします。それがイザナミ、イザナギ。 記紀の話はその後にとってつけられた後付けのお話です。 剣神社の千木は友好の証であることを示し、本殿の千木が、半分が出雲縦削ぎ、半分が物部の横削ぎになってるとても珍しい神社。 よく様式を今に伝えてくれたと思う。 神魂神社はイザナギ、イザナミの一番最初の神社。 阿波がまた何か言ってきそうだが歴史は変わらない



599:日本@名無史さん
20/10/20 13:08:22.59 .net
>>563
>阿波がまた何か言ってきそうだが
畿内説や九州説がいくらウダウダ言っても、「阿波」にとっては相手にならない戯言。  わははははは    @阿波

600:日本@名無史さん
20/10/20 13:27:00.69 .net
>>564
なら、他所にいけば?

601:日本@名無史さん
20/10/20 13:31:46.13 .net
>>565
>なら、他所にいけば?
もはや「勝者の貫録」も消え失せてしまったようだ。  わははははは   @阿波

602:日本@名無史さん
20/10/20 13:38:40.50 .net
.

日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の
中国とは全く違ったものが伝わっている。
と言うか、当時の中国の耕作用農具が日本最古の稲作遺構には一つも伝わっていないのだ。

◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》
◆同期する中国の耕作用農具 → 耜、鋤、犂 《すべて石刃》

クワ、エブリに該当する耕作用農具が当時の中国にない!
耜、鋤、犂に該当する耕作用農具が日本最古の稲作遺構にない!

伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。

◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ
◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの

稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
.

603:日本@名無史さん
20/10/20 13:44:19.33 .net
そおいうことなんだね😑
系図が残ってれば勝ち
後期武家政権時代の連中らが尊重してくれるからね

604:日本@名無史さん
20/10/20 14:02:25.52 .net
>>566
自分のスレでやればいいのに

605:日本@名無史さん
20/10/20 14:06:23.19 .net
>>568

先代旧事本紀は、尾張家の家系を書いたげど、実は同じ家の先祖の家系を書いたもの。
だから書かれた

606:日本@名無史さん
20/10/20 14:11:29.78 .net
>>570
もちろん、先代旧事本紀は「忌部一族」の家系を書いたもの。   @阿波

607:日本@名無史さん
20/10/20 15:28:26.63 .net
>>496
その大和の卑弥呼は、倭人伝が書いている倭国の卑弥呼じゃないんだよ。
倭国の卑弥呼は北部九州。
山門・八女に邪馬台国があったの。
くどいようだけど、大和の卑弥呼は魏志倭人伝の卑弥呼とは別なの。

608:日本@名無史さん
20/10/20 15:41:34.23 .net
法則;トンデモは理由が言えない

609:日本@名無史さん
20/10/20 15:44:30.60 .net
法則;トンデモは妄想を理由と呼ぶ

610:日本@名無史さん
20/10/20 15:50:40.69 .net
>>572
このことからして、大和説の学者らが箸墓は卑弥呼の墓だろうと臭わしてもかまわんが、
それはあくまで大和の卑弥呼であって、北部九州にあった魏志倭人伝の倭国の卑弥呼とは別ものということだよ。
魏に朝貢したのはこの北部九州の倭国の使節であって大和の卑弥呼は使節を送っていないからね。

611:日本@名無史さん
20/10/20 16:53:49.68 .net
『記紀は、4世紀ころ天皇が自ら遠征して、ヤマト軍と九州軍がさかんに戦ったことを描いています。
もし邪馬台国が畿内にあったなら、すでに2世紀末には、伊都国や奴国など北九州の主要国家も、
邪馬台国の傘下に置かれているはずなのに、なぜ敵として戦うのでしょう?矛盾してますよね?』
だそうです

612:日本@名無史さん
20/10/20 16:55:04.94 .net
>>498
>妄想を垂れる前に、その妄想に見合う「集落遺跡」を示せ! アンポンタン。
伊勢神宮の成り立ち、大神神社、出雲大社の成り立ちで崇神による易姓革命を十分説明できるが。

613:日本@名無史さん
20/10/20 16:57:09.61 .net
自分の妄想を「でした」で片づけるなボケ。

614:日本@名無史さん
20/10/20 17:00:17.37 .net
まーだやってらっしゃるのか

卑弥呼陵 ← 黒塚古墳(天理市)
卑弥弓呼陵 ← 高尾山古墳(沼津市)

ハイ終了
解散!

615:日本@名無史さん
20/10/20 17:01:43.07 .net
一年365日、朝昼晩このスレに張り付いて、
その結果間違えていた>>1君の人生大惨敗の原因は、
卑弥呼もトヨも記紀に登場しないという近年の歴史学の常識を打ち破ることが出来なかった事。

卑弥呼もトヨも記紀に登場します。
登場するからその時代をとんでもない時代=BC660年に設定したのだ。
卑弥呼を隠すことは、卑弥呼から100年前の倭国王帥升=スサノオを隠すことでもあるからだ。
また女王国であった事実を神武東征紀という武勇伝で男王国のように塗り替えた。
そして女王と婿の関係を新称号「天皇・皇后」で男王優位に置き換えた。
卑弥呼(Bei mei hu)とは比咩后(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ后である。
⑩崇神(310年頃 318年没)
⑨開化
     ⑧孝元
          ⑦孝霊   
トヨ津          ⑥孝安 ⑤孝昭
トヨ津       (250年頃) ④懿徳 
ヒメ(踏鞴五十鈴)后        ③安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后       ②綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) ①神武 
墓は高天原(=奈良県御所市高天)にしかない。
URLリンク(bbs10.aimix-z.com)
径百余歩の塚のとなりに土蜘蛛塚つまり殉葬奴婢の痕跡がある。
>>1は本当にアフォだ、アホアホアホォ~~!

616:日本@名無史さん
20/10/20 17:09:41.30 .net
>>580
1ってあんまりいない
一年365日、朝昼晩このスレに張り付いて荒らしてるのがお前

617:日本@名無史さん
20/10/20 17:46:26.75 .net
>>527
大和は、伊都国や太宰府などからの旧小国の附庸國であり、出先機関だろ
今更ナニを?

618:日本@名無史さん
20/10/20 17:54:46.03 .net
出先機関だったら鉄器が分布してるだろが
お前だって電化製品すらない未開の土地に赴任させられたらイヤだろ

619:日本@名無史さん
20/10/20 18:01:41.50 .net
>>470
さすがに、慧眼。
この墳裾が「二段」的になってることは、これまで誰も指摘しなかったもの。
そして、この二段墳裾こそ、卑弥呼の寿陵である瀬高坂田の権現塚のコピーであることを示している。
卑弥呼は、この墳裾の最も上の方墳を載せている平坦面に葬られているだろう。
方墳はあとから付け足したものと思われる。

620:日本@名無史さん
20/10/20 18:06:35.18 .net
徐福伝説を信じてるのは呉の人だぞ
魏も西晋も否定はしてないように感じる
呉書・孫権伝抜粋
二年(略)
遣將軍衞温・諸葛直將甲士萬人浮海求夷洲及亶洲。
亶洲在海中、長老傳言
秦始皇帝遣方士徐福將童男童女數千人入海、 ←徐福
求蓬?神山及仙藥、止此洲不還。
世相承有數萬家、
其上人民、時有至會稽貨布、
會稽東縣人海行、
亦有遭風流移至亶洲者。
所在絶遠、卒不可得至、
但得夷洲數千人還。
呉の黄龍二年(230)(略)
将軍衛温・諸葛直に甲士万人を率いて浮海して夷洲および亶洲を求めさせた。
亶洲は海中に在り、長老が伝え言うには
秦始皇帝が方士徐福に童男童女数千人を率いて入海させ、
蓬?の神山および仙薬を求めさせ、この洲に止まって還らなかったと。
世々に相い継承して数万家があり、その上の人民は時に会稽に至って布を貨(あきな)う者があり、
会稽の東の県の人が海に行き、
亦た風に遭って流移して亶洲に至る者もあった。
所在は絶遠であって卒(つい)に至る事が出来ず、
ただ夷州の数千人を得て帰還した。

621:日本@名無史さん
20/10/20 18:11:00.15 .net
徐福が引き連れた数千人の子供たちが
亶洲(琉球列島?)に住み着いた伝説が
3世紀の中国でよく言われていたんじゃないか

622:日本@名無史さん
20/10/20 18:14:28.36 .net
>>533
>それ読んでからじゃないと無理。
卑弥呼の時代の文献情報でもなく、はるか後代の卑弥呼に関係のない文書いようだし、
読む必要がない。
>インターネットに原文と読み下し文くらいあるから読まないのは✖
私は、インターネットもほぼ素人。
>物部氏が尾張家など、一般論から外れるけど、他の家の家系図を残していること自体が重い
遥か後代の文書であれば、半分位価値がないもの。

623:日本@名無史さん
20/10/20 18:16:36.73 .net
結局わからなくて殺されとるだろ将軍わ

624:日本@名無史さん
20/10/20 18:16:46.94 .net
>>587
>>物部氏が尾張家など、一般論から外れるけど、他の家の家系図を残していること自体が重い
>遥か後代の文書であれば、半分位価値がないもの。

はい、松野連系図は半分も価値なし

625:日本@名無史さん
20/10/20 18:34:20.13 .net
徐福の2回目の出航(紀元前210年 同年始皇帝崩御)で
亶洲(琉球?)に行きは徐福に連れられた子供たち数千人が住み着く
(派遣から440年経って)亶洲(琉球?)には代々継承して数万の家がある
亶洲(琉球?)の人の中には会稽に来て布を売る人もいるし
会稽の人が漂流して亶洲(琉球?)にたどり着くこともあった
呉の将軍の衛温と諸葛直は亶洲(琉球?)にはたどり着けなかったが
夷州(台湾?)の数千人を得て帰還した。

これを魏志倭人伝と組み合わせる
徐福に同行した子孫の数万の家がある亶洲(琉球?) → 投馬国 5万戸
数千人を連れ帰った夷州(台湾?) → 邪馬台国 7万戸

626:日本@名無史さん
20/10/20 18:38:03.65 .net
おそらく3世紀の中国人は邪馬台国が台湾にあると信じてた

627:日本@名無史さん
20/10/20 18:40:02.16 .net
>>537
>・魏志では時期不明の倭国大乱を、何で後漢書は桓霊の間、と特定したのか?
倭国大乱なんて存在せず、後漢書の「自己解釈による誇大な表現」であり、
「桓霊の間」も、後漢書の自己解釈による失敗記載。

>・地域王である倭奴国王と違って、帥升のタイトルが倭國王なのは、なぜか?
それぞれ、倭地からの遣使が「倭奴國」と名乗り、
「倭國王」と名乗った者もいたから。

628:日本@名無史さん
20/10/20 18:52:42.41 .net
三国志(歴史書)全65巻で記述に矛盾が生じないように
3世紀当時の中国人の常識に当てはめたと思われる
亶洲(琉球?) → 投馬国 5万戸
夷州(台湾?) → 邪馬台国 7万戸
とりあえずひとつ言える事は
対馬や壱岐や唐津や糸島市や福岡市と
この周辺から陸行一月でいける距離に邪馬台国はない
てことが三国志(歴史書)には書かれていると言うこと

629:コテ略
20/10/20 18:58:07.25 .net
>>592 > 失敗記載 乗った者もいたから//
  そんな頓珍漢ではどう仕様もないよ、阿呆。

630:日本@名無史さん
20/10/20 19:14:34.18 .net
徐福だ!松野だ!
一気に中卒パッパラパーの世界へGO!GO!

631:日本@名無史さん
20/10/20 19:20:14.98 .net
>>579
基本的なデータ収集でミスしてる。
黒塚古墳からは刀や槍、鏃などが出ていて、これらの副葬品は被葬者が男性であることを示している。
卑弥呼は女性だから、黒塚は無理。
また、高尾山古墳は沼津にあり、大和の纏向には東海と関東の土器が多数出土しているので、大和の連合に加盟している東海の国である沼津の高尾山の古墳被葬者が大和に攻め込むストーリーは、無理。

632:日本@名無史さん
20/10/20 19:25:49.56 .net
>>596
霊感が言ってる答えがそれだから仕方がない
あきらめなさ�


633:「



634:日本@名無史さん
20/10/20 19:26:09.39 .net
女王國東渡海(伊勢湾)千餘里復有國皆倭種 → 至狗奴国 = 久努国(くののくに)

久 努 国 ( く の の く に )

久 努 国 ( く の の く に )

馬鹿のおかげで狗奴国の場所が露わにwwww

635:日本@名無史さん
20/10/20 19:31:12.00 .net
>>596
奈良県天理市の黒塚古墳は、「三角縁神獣鏡」や「水銀朱」などの副葬品から、倭国(阿波)の「忌部はん」のお墓だと一発で分かる。  
静岡県沼津市の高尾山古墳は、「蛇紋岩製勾玉」や「水銀朱」などの副葬品から、倭国(阿波)の「忌部はん」のお墓だと一発で分かる。   @阿波

636:日本@名無史さん
20/10/20 19:34:00.23 .net
投馬国がどこなのかでセンスが問われる

637:日本@名無史さん
20/10/20 20:01:01.89 .net
>>600
おっしゃる通り
霊感を使っても一番難しかったのが投馬国
オレも最初はみんなが言ってる鞆か出雲かと思ってたんだよ
ところが霊感が言ってくるのは岡山のタマ、タマ・・・
何度聞いても頑なに、岡山のタマ、タマ、そればかり
だから地図で岡山の玉を見てみたんだが、近くにそれらしい遺跡がないんだよね
霊感が何が言いたいのか半年くらい分からなかったんだよ
で、神様のお導きなのか昔の岡山の海岸線の地図を見つけて、
ようやく霊感の言っている意味が分かったという訳
投馬国は本当に難しかった

638:日本@名無史さん
20/10/20 20:19:47.23 .net
三国志(歴史書)の呉書と照らし合わせると
魏志倭人伝は連続説で書かれていることがわかる
連続でないと夷州(台湾?)に着かないし
>その道里を計るに、まさに会稽、東冶の東に在るべし。
これにも合致しない
なので放射説は否定されて
邪馬台国が九州北部てのだけは否定できる

639:日本@名無史さん
20/10/20 20:24:37.57 .net
【佐賀】鏡から探る邪馬台国の謎…吉野ヶ里歴史公園フォーラムで3氏講演、討論 「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」
スレリンク(newsplus板)

640:日本@名無史さん
20/10/20 20:31:40.27 .net
>>599
阿波さんそろそろいい加減にしたら?
誰も幸せにならない嘘ばかり。世の中に悪意を振り撒くのやめたら?人間のすることじゃないよ
三角縁神獣鏡は、武内宿禰が絡んで日本国内で、呉の三角縁仏獣鏡の技術を使って、国内生産で大型化を実現した和鏡。
畿内で爆発的に発掘されるが阿波は数枚しか出てこないだろ

641:日本@名無史さん
20/10/20 20:33:25.63 .net
>>587
記紀だと作為が大きすぎるからダメだって話なのに、記紀の内容を出すだけならここにいる必要ないだろww

642:日本@名無史さん
20/10/20 20:34:56.28 .net
>>583
だから、朝貢の時の伊都の長官は地元の物部氏じゃん

643:日本@名無史さん
20/10/20 20:36:16.71 .net
>>595
激怒先生、今日はまだ私は徐福ってませんww

644:日本@名無史さん
20/10/20 20:38:17.05 .net
>>570
ホォ、なるほど、徐福は忌部だったのかw

645:日本@名無史さん
20/10/20 20:40:42.18 .net
>>562
お地蔵さんや道祖神と習合していったとする話は、出雲本を書いた人も言ています。
凄いですね、どうやったらそこまで見当つけれるんですか?

646:日本@名無史さん
20/10/20 21:05:08.98 .net
>>584
倭人伝は、卑弥呼の殉葬者を百余人としており、祇園山では60余人の墓が見つかっているそうだ。
その差し引き約40人はどこに消えたか。
祇園山の方墳があとから造られたものだとすれば、残りの約40人はその方墳の下にあると考えることが可能だ。
とすると、卑弥呼の棺はその方墳の下の中心点あたりにあると考えられるから、
残りの殉葬者約40人はその卑弥呼の棺の周りにびっしりと取り巻くように埋められていることもあり得る。
こうしたことを考えると、祇園山古墳の実に壮観な一大パノラマ状の卑弥呼の墓が浮かび上がってくるな。

647:日本@名無史さん
20/10/20 21:05:47.61 .net
んなら徐福集団が居着いたのが阿波か?
なんせ忌部発祥の地やけ

648:日本@名無史さん
20/10/20 21:10:42.45 .net
.

日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の
中国とは全く違ったものが伝わっている。
と言うか、当時の中国の耕作用農具が日本最古の稲作遺構には一つも伝わっていないのだ。

◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》
◆同期する中国の耕作用農具 → 耜、鋤、犂 《すべて石刃》

クワ、エブリに該当する耕作用農具が当時の中国にない!
耜、鋤、犂に該当する耕作用農具が日本最古の稲作遺構にない!

伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。

◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ
◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの

稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
.

649:日本@名無史さん
20/10/20 21:13:50.69 .net
>>610
祇園山は卑弥呼の墓なら20m程度と小さすぎ
周りの墓も年代がバラバアrで複数の時代に跨って徐々に埋葬されたものと判明してるので
殉葬の跡とは見なされてないね

650:日本@名無史さん
20/10/20 21:18:16.23 .net
>>581
>1ってあんまりいない
嘘をつけw

651:日本@名無史さん
20/10/20 21:19:47.93 .net
>>1は反論できないと相手を荒らし呼ばわりするらしい

652:日本@名無史さん
20/10/20 21:22:46.66 .net
>1ってあんまりいないと言い、
まるで自分が>>1ではないかのように装いながら、
>>580に即レスwww

653:日本@名無史さん
20/10/20 21:49:27.32 .net
>>601
投馬国がどこか、そうむずかしく考えなくても正解は簡単。
有明海を南下して二十日舟で行くのだから、
おおむね薩摩の阿多が投馬国。
投は殺の誤字だとすれば、殺馬は薩摩。
ぴったんこじゃん。

654:日本@名無史さん
20/10/20 21:51:08.83 .net
>>616
葛城先生は、>>1ほど理屈ぽくないよ。

655:日本@名無史さん
20/10/20 21:54:28.27 .net
>>613
須恵器などはさすがに後の代のものだけど、棺はおおむね3世紀だろうね。
20m程度の方墳は、後に付け足したものじゃないの。
三角縁云々の話あるしね。

656:日本@名無史さん
20/10/20 22:11:10.31 .net
>>619
九州説は夢みすぎ
>>619

657:日本@名無史さん
20/10/20 22:17:56.58 .net
九州の伊都がさ、後の大宰府のようにヤマトの出先機関であったことはまあ、他の方にもある程度の認識としてあるわけだよな?
じゃあ、どういう事か少し考えたらって事で。
・九州都万にヤマトの出先機関があった。
つまり、朝貢の出先の拠点なわけで、この時点でもうヤマトが先に朝貢してるって事じゃん。
・大陸の史書にあるように都万の長官「ニギ」が居た。
つまり、ヤマトは物部氏だろうが何だろうが、使える奴は採用して仕事をさせてたって事じゃん。
雇ってる主体はヤマトでしょ。
九州はヤマトの朝貢を真っ先に知ることができる立場だよな?
なんせ、物部氏の長官に段取りさせてるわけだから、真っ先に情報が物部氏に入る。
・九州物部はヤマトと敵対してなかったし、大和側も疑いもしなかった。
・更に魏に朝貢した際の返礼品の受領は本人が必ず来るしきたりになってた。
だから、ヤマトの人間のお偉いさん本人を迎えて大陸の使者にあったのは都万だよな?
情報のみならず、物部氏の目の前でお偉いさんを見てきてるわけだw
物部氏が東征を行う際に行った朝貢、使った拠点も当然、都万になるわな?
じゃなきゃ邪馬台国なんて書かれないよ。ほかの処からくるわけには行かない。
都万は、本土防衛のために、外国人が好き勝手に王都に入らないようにした、まさに大宰府。
ここから大陸に行かなきゃ意味がない。
物部氏はヤマトの対外政治の動向を真っ先に知りうる立場にあったのだよ。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch