20/10/18 22:50:52.93 .net
>>201
でもって、この崇神(神武)の前には、祭祀場のあった纏向周辺に5基の大墳丘墓があって、これらの墓は連合有力国から持ち回りで派遣された代表シャーマンの墓であるので、180年頃から247年頃まで生きた卑弥呼が入る寿陵の余地はどこにもない。
卑弥呼は北部九州の倭国の女王なのでこれは当然のことであるが、大和説者はこの5基の大墳墓のどれに卑弥呼を入れるつもりなのだろうか。
まあ、あまり混乱するようなことをいうつもりはないが、卑弥呼を大和に設定するのは、そもそも無理ということだね。