20/10/13 07:55:16.41 .net
>>136
おい定型文はどうした?
サボってんじゃねえぞ糞ガイジ
151:日本@名無史さん
20/10/13 08:00:54.44 .net
>>1君の失敗は、卑弥呼もトヨも記紀に登場しないという近年の歴史学の常識を打ち破ることが出来なかった事。
卑弥呼もトヨも記紀に登場します。
登場するからその時代をとんでもない時代=BC660年に設定したのだ。
卑弥呼を隠すことは100年前の帥升=スサノオを隠すことでもあるからだ。
卑弥呼(Bei mei hu)とは比咩后(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ后である。
⑩崇神(310年頃 318年没)
⑨開化
⑧孝元
⑦孝霊
トヨ津 ⑥孝安 ⑤孝昭
トヨ津 (250年頃) ④懿徳
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 ③安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后 ②綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) ①神武
墓は高天原(=奈良県御所市高天)にしかない。
URLリンク(bbs10.aimix-z.com)
径百余歩の塚のとなりに土蜘蛛塚つまり殉葬奴婢の痕跡がある。
>>1は本当にアフォだ、アホアホアホォ~~!
152:日本@名無史さん
20/10/13 08:11:57.16 .net
>>80
>事実だろ 会稽郡内のどの場所だって足摺岬より南だ
史料事実や史料実態では、陳寿は、女王國や倭地の位置推定として、
「計其道里,當在會稽東治之東」と書いたのであり、
「会稽郡」なんてどこにも書いていないし、
勿論「会稽東治」とは、「会稽郡」である事を否定して、
「夏后少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害」のような、
会稽地域の中の海岸付近の事を意図している。
そして、それからの「之東」は、ほぼ九州島付近を相当し、
足摺岬の事など、特定していない。
大和説者や東大理系博士号自称男よ、詐欺するな
153:日本@名無史さん
20/10/13 08:15:12.46 .net
>>82
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘つき騙しの詐欺常習の大和説学者らは、
自分は決して詐欺師ではないという詐欺をする
154:日本@名無史さん
20/10/13 08:30:57.08 .net
>>86
>>東南は末盧國からの出発時点での出発方向であるから、
出発時点や途中では伊都国が見えず、間違いではない。
>間違いなんだよ
東南に出発したって道が北へとカーブしてるのも見えてんだから
途中までの道が見えていても、
その先のどの方向に伊都国があるのか?が見えていなければ、
伊都国の絶対方向など、判る筈がない。
そして、人類の「行程や旅程の説明法」の原則は、
「出発の説明→途中の説明→到着の説明」の順に説明するものだ、
という事であり、それは、人類に普遍的な原則であり、
だからこの行程説明の先頭の文言の「東南」は、出発時点での出発方向の説明であり、
目的地の伊都國の方向の説明ではない。
また、途中は、案内人や道標を頼りに進むものだ。
この投稿も、また、「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者らに、典型的な詐欺だ
155:日本@名無史さん
20/10/13 08:39:57.36 .net
また今日も1日逃げ惑うだけの奥山あわれ
156:日本@名無史さん
20/10/13 08:51:23.41 .net
>>142
>だからこの行程説明の先頭の文言の「東南」は、出発時点での出発方向の説明であり、
>目的地の伊都國の方向の説明ではない。
駅前ロータリーを東南に向けて発車し、ぐるっと回って北西方向へ向かうバスの行き先方角はどうなるのだ、
うそつき騙しのバスガイドするな!
157:日本@名無史さん
20/10/13 08:54:25.85 .net
>>87
>>伊都国は「臨津搜露」が出来る国であるから、前原や糸島水道付近の千戸の国であり、
奴國は伊都國の東南百里に入り口がある二万戸の国であるから、
日向峠の西麓の平野部~早良平野の国であり、
>糸島水道から古代の街道どおり真東の広石峠を抜けて早良だ
いや、「奴國」の説明文の「東南至奴國百里」も、(投馬國や邪馬壹國の説明と同じく)
「至の前には出発方向を示す東南しかなく、途中移動があった事を示す文言がない」から、
この場合も側副傍線の位置の説明であり、
魏氏らは、奴國へは行っておらず、
だから、伊都国の次の国は、「東行至不彌國百里」の不彌國になり、
この場合には「至」の前に「行」という途中移動を示す文言がきちんと書かれており、
だから、
「前原~糸島水道」の伊都國の出口から、
姪浜などの海岸沿いの「東行百里」をした小戸付近が、
不彌國の入り口付近になり、藤崎西新町付近が不彌國の中心部になるんだろう、
という事になる。
>明らかに「東の間違い」
間違っていない。
この大和説者らの解釈が、陳寿の説明が理解できないハクチであった、というだけ。
これも大和説学者や東大理系博士号らの詐欺
158:日本@名無史さん
20/10/13 09:10:58.34 .net
>>89
>>魏志倭人伝は方角がおかしい
>畿内説の魂の叫びwww
「畿内」なんても怪しい文言であり、
「方角がおかしい」というのも、人類の常識を否定する・・・・詐欺師の大和説者の、
狂気の魂の叫び。
・・・・は、怖い怖い。
159:日本@名無史さん
20/10/13 09:14:22.73 .net
.
五毛党(ごもうとう、英語: 50 Cent Party、拼音: wǔmáo dǎng)とは、
中華人民共和国における中国共産党配下のインターネット世論誘導集団を指す
ネットスラングである。正式名は網絡評論員(インターネットコメンテーター)
であり[1]、2005年ごろまでは書き込み1件当たり5毛(5角(=0.5元)を口語で
こう呼ぶ)が支払われていたことからこの蔑称が名づけられた。網軍[2][3]と
呼ばれることもある。
通常は一般人を装い、インターネット上のコメント欄や電子掲示板などに、
中国共産党政権に有利な書き込みをする。または共産党「それに関連する事」を
批判する人に対する集団攻撃をする。ネットを通じ、世論誘導をする役割を
担っている。2015年時点で、約1050万人程度いると見られている[4][5]。
中国政府が世論操作のためにSNSに投稿させている「やらせ書き込み」は、
年間で4億8800万件に上るという[6]。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
.
160:日本@名無史さん
20/10/13 09:48:43.54 .net
>>90
少しでも「魏志記載の方向や距離を否定」して大和に届くようにしようとしたり、
三雲の大きな遺跡が伊都国と奴國の境界地域であり、
双方の「クシフルの西麓」の共同墓地地域になる事や、
「伊都国の臨津搜露」も無視して、「糸島水道あたりの伊都国」を否定したり
無理を重ねる大和説学者やスレ主や東大理系博士号詐欺師男らの主張は
歴史学とはまったく別物だね
161:日本@名無史さん
20/10/13 10:31:53.06 .net
夜中にコッソリ罵倒レスするしかない引きこもり奥山あわれ
162:日本@名無史さん
20/10/13 11:32:33.39 .net
>>91
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定のウソをつき続ける大和説の醜い姿を見ちゃったら、
誰でも驚いて叫ぶさ
163:日本@名無史さん
20/10/13 11:38:12.05 .net
>>95
>西唐津から真東にトンボ山が見える
糸島への道はトンボ山を越えて北東へ北東へと続く
これが東南陸行というなら、倭人伝の方角は明らかにおかしい
旅程や紀行文の説明では、「出発の説明→途中の説明→到着の説明」を、
その順に記載するものである、という人類の常識が判らないらしい大和説者は、
どう見ても、明らかに脳がおかしい。
164:日本@名無史さん
20/10/13 12:02:23.37 .net
.
日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の
中国とは全く
165:違ったものが伝わっている。 と言うか、当時の中国の耕作用農具が日本最古の稲作遺構には一つも伝わっていないのだ。 ◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》 ◆同期する中国の耕作用農具 → 耜、鋤、犂 《すべて石刃》 クワ、エブリに該当する耕作用農具が当時の中国にない! 耜、鋤、犂に該当する耕作用農具が日本最古の稲作遺構にない! 伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。 ◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ ◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの 稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です! .
166:日本@名無史さん
20/10/13 12:03:35.66 .net
>>151
>旅程や紀行文の説明では、「出発の説明→途中の説明→到着の説明」を、
>その順に記載するものである、
倭人伝においてもそのとおりだ。男はだまって東南へ行け。、
167:日本@名無史さん
20/10/13 12:08:14.23 .net
>>99
>これも水行十日陸行一月を隠してて詐欺
九州説って詐欺
数量説明文言は、
「千里馬」などのような流行語的な形容詞として、
対象文言の前に冠する場合以外は、原則は、
対象文言の後に付加する形での叙述をするもの。
だから、「水行十日陸行一月」という数量説明は、
その前の文言である「女王之所都」に関する説明文言であり、
(更にその前の邪馬壹國の数量説明文言ではない)事になり)
その「日数の大量さ」などに拠っても、邪馬壹國からの所要日数ではなく、
行程の出発点の「帯方郡」から女王之所都への所要日数である、
という事になる。
大和説者って、全員、・・・・アホ詐欺師。
168:日本@名無史さん
20/10/13 12:36:53.47 .net
そもそも大率というのは張政達の為にある訳でも無く半島の鉄やらの為の割には末羅は前が見えんような所で港や津とは言えんから流されたかわざと迂回してるわね。
169:日本@名無史さん
20/10/13 13:18:33.44 .net
>末盧国の港付近は、草ボウボウで前を行く人が見えなかったとある。
それは、末盧国(福津市辺り・万津浦) から 伊都国(直方辺り)へ向かう道中の峠越えの場面だよ。
こういう詳しい説明が出来るのは、倭国(阿波)への行程だけ。 わははははは @阿波
170:日本@名無史さん
20/10/13 13:39:52.30 .net
そうか、
まるで阿波の頭のようにボウボウぼさぼさだったのか、、、
171:日本@名無史さん
20/10/13 13:42:39.04 .net
「卑弥呼以死 大作冢 径百歩」~卑弥呼は直径(円墳)百歩(140m)の冢を大いに作(るを以)って死んだ~ のカラクリ
①曹魏から禅譲を受け、呉を平定し中国を再統一。280年頃、再び天下に平和と繁栄をもたらした西晋の功績を後世に書き残すための正史「三国志」を編集中、30年前の魏使の報告書「径百尺」を見た陳寿は、当時の倭国はすでに古墳時代に突入し、王墓だけはやたらと長大という情報を、官僚だけに読み知っていた。
②(膨大な餓死者を出しておきながら黄巾の乱を放置した後漢皇帝たちの厚葬に呆れた)曹魏の薄葬令に従ったのだろう卑弥呼でも、「径百尺」の墓ではいくらなんでも小さすぎる。地方豪族級の小さい墓しか作れない倭王に明帝曹叡が親魏倭王の金印を授けるはずがない。
③「径百歩」の誤りであろう。ついでに「以+【大】作冢」と補足しておこう。
こうして陳寿は仕方なく、形◎や数値「百」はそのままに、単位「尺(25cm)→歩(1.4m)」だけ替えた。
(もし誰かが気付いたとしても誤記と言い逃れればよい。少なくとも倭国にわざわざ渡海してまで確かめようとする者ももはやいまいw)
そして時は流れ、1740年後の日本…
当然のことながら、祇園山古墳(九州説)も箸墓(大和説)も「径百歩」に該当せず、短里だ長里だ、南だ東だと無意味な論争が永続中!
もしも箸墓が卑弥呼の冢だったら、、、
魏使「卑弥呼以死 作【大冢】 長二百歩」と記録→陳寿は魏志倭人伝にそのまま転載(×不正解)
もしも祇園山古墳が卑弥呼の冢だったら、、、
魏使「卑弥呼以死 作冢 径百尺」と記録→陳寿は「卑弥呼以死 【大】作冢 径百【歩】」と盛る→魏志倭人伝(○正解)
「殉葬者奴婢百人」は、魏の薄葬令に従いつつも、死後の孤独に怯えた卑弥呼の面従背腹であろう。
面白いのでそのまま転載しよう(陳寿、心の声)w
172:日本@名無史さん
20/10/13 13:47:08.54 .net
箸墓は魏の薄葬令から解放されたからこそ、突然巨大化した。
つまり西晋朝成立266年以降の築造ということ。
173:日本@名無史さん
20/10/13 14:11:10.68 .net
>>159
薄葬令なんてもともと存在してないので、妄想
174:日本@名無史さん
20/10/13 14:50:00.94 .net
>>106
>東冶と東治は同じ場所
東冶は、元は会稽郡に属していて、260年の分郡後は建安郡になった町の地名の固有名詞。
東治は、地名ではなく、
「夏后少康之子封於會稽」の会稽の、東の治「=東方の治所」という、
普通名詞が二つの連結語であり、
同じ場所ではない。
175:日本@名無史さん
20/10/13 14:59:02.68 .net
>>108
>会稽郡でないところに会稽の名を冠する場所なんて無いんだよ
会稽は、
陳寿は、「夏后少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害」の会稽の意味に使っているが、
会稽郡は、時代が変われば、合併や分郡などがあったりして、
幾らでも支配管轄地域が変わった事がある「地域が不確定」な文言であり、
だから陳寿も、「会稽郡」は使い難い呼称なんだよ。
いつまでバレバレの詐欺やり続ける気だ大和説は
176:日本@名無史さん
20/10/13 15:04:18.01 .net
>>152
お前は三世紀の議論のスレッドで紀元前10世紀の話をしにくんなや
おかしいのは顔だけにしておけ
177:日本@名無史さん
20/10/13 15:09:01.94 .net
>>115
大和説学者らが、
史料の信頼性の史料批判もせずに、
3世紀の同時代の魏の役人らに拠る実地の見聞計測の記録である魏志を抹殺して、
後代史家の「自己解釈に拠る書き換えを実行している」半分偽書の記載を採用して、
自分の説に都合の悪い事が書いてある魏志記載を罵るだけで、
記事を無視できると思うのは
間違い
178:日本@名無史さん
20/10/13 15:12:18.59 .net
>>118の訂正
>>978
>現実に見つかっている魏で使われていたモノサシと
九州説の言う里歩系の尺度が関係ないというのなら
里歩系という尺度は現実には存在しなかったという事になる
ならん。
魏朝の長さの記録では、殆どが魏朝の「里歩系の長さ単位」の使用である。
>いっぽう普通の里は見つかっている魏のモノサシによって
1尺が24cmで律歴志に書いてある魏で使われていた尺度1里=300歩=1800尺に当てはめて
1歩が144cmで1里は約430mだったという事が解明されている
明帝の「(遼東の)征伐四千里」や、韓の「方可四千里」や、
倭人伝の里記載や、天柱山や、如淳注など、1里≒76.5mの記録である。
179:日本@名無史さん
20/10/13 15:13:20.55 .net
.
日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。
◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕
◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット
鼎は穀物を煮炊きする三足と双つの直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。
鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。
甑と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。
釜が伝わったのは古墳期の5C頃。
稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
.
180:日本@名無史さん
20/10/13 15:14:05.74 .net
南を東に置き換えただけだろ?南にそんな場所ないだろ、必然だよ
181:日本@名無史さん
20/10/13 15:18:01.95 .net
>>128
>>会稽東治の東つまり「ほぼ九州島付近」と書いてあるので
>それが、誰が見ても瞬時にわかる真っ赤なウソなので
九州説はまた信用を失なうのだった
これは、誰が見ても瞬時にわかる史料実態であったので
大和説はまた信用を失なうのだった
182:日本@名無史さん
20/10/13 15:25:52.15 .net
>>131
もう、
「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や、
「正北抵新羅の倭國の中心は北部九州」などの史料事実や史料実態に拠って、
気のふれた・・・・アホ詐欺の大和説の狂人が
同じ事をくり返してるだけだな
183:日本@名無史さん
20/10/13 15:28:30.50 .net
>>135
昔話の繰り返しばかりで新しいことは耳に入らない、
もうろく大和説老人だらけの特養スレ、悲し
184:日本@名無史さん
20/10/13 15:35:08.72 .net
>>139
>卑弥呼(Bei mei hu)とは比咩后(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ后である。・・・
墓は高天原(=奈良県御所市高天)にしかない。
「南≠東」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などに拠って、×。
185:日本@名無史さん
20/10/13 15:45:29.40 .net
>>144
>だからこの行程説明の先頭の文言の「東南」は、出発時点での出発方向の説明であり、
目的地の伊都國の方向の説明ではない。
>駅前ロータリーを東南に向けて発車し、ぐるっと回って北西方向へ向かうバスの行き先方角はどうなるのだ、
うそつき騙しのバスガイドするな!
当然、出発方向が「東南」であり、
その後に向かった「北西」は途中の移動になる。
186:日本@名無史さん
20/10/13 15:48:47.76 .net
>>145の訂正
>>87
>>伊都国は「臨津搜露」が出来る国であるから、前原や糸島水道付近の千戸の国であり、
奴國は伊都國の東南百里に入り口がある二万戸の国であるから、
日向峠の西麓の平野部~早良平野の国であり、
>糸島水道から古代の街道どおり真東の広石峠を抜けて早良だ
いや、「奴國」の説明文の「東南至奴國百里」も、(投馬國や邪馬壹國の説明と同じく)
「至の前には出発方向を示す東南しかなく、途中移動があった事を示す文言がない」から、
この場合も側副傍線の位置の説明であり、
魏使らは、奴國へは行っておらず、
だから、伊都国の次の国は、「東行至不彌國百里」の不彌國になり、
この場合には「至」の前に「行」という途中移動を示す文言がきちんと書かれており、
だから、
「前原~糸島水道」の伊都國の出口から、
姪浜などの海岸沿いの「東行百里」をした小戸付近が、
不彌國の入り口付近になり、藤崎西新町付近が不彌國の中心部になるんだろう、
という事になる。
>明らかに「東の間違い」
間違っていない。
この大和説者らの解釈が、陳寿の説明が理解できないハクチであった、というだけ。
これも大和説学者や東大理系博士号らの詐欺
187:日本@名無史さん
20/10/13 15:50:43.55 .net
>>104
部分的にはそうした省略がみられるが、文章全体の構文は倭人伝のそれと同じなので、品質が低いとは決して言えんな。
188:日本@名無史さん
20/10/13 15:59:27.86 .net
>>174
また九州説が無知を晒して恥かいたか
189:日本@名無史さん
20/10/13 16:09:13.06 .net
大倭と邪馬台がひとつの構文の中に見えるのは、後漢書の「大倭王居邪馬臺国」だけだからな。
大倭(ダイワ)をヤマトと読むようになったのは、後漢書の大倭王から王を取り除き、邪馬臺国から国を取り除いて、
大倭=邪馬臺とし、奈良の知識人がこの邪馬臺(ヤマド)をヤマトと奈良弁で発音したのが大倭=ヤマトなのよ。
ヤマトの呼称の成立の経緯がこのようなものだったので、奈良には元々からヤマトの地名はなかったことが分かる。
したがって、奈良は倭人伝の邪馬臺臺の地ではない以上、卑弥呼も奈良にはいなかったことになる。
もう、大和邪馬台国説者は、廃業してはどうか。
190:日本@名無史さん
20/10/13 16:10:49.41 .net
いわゆる徐福のいた頃の山東省・田斉(前386年 - 前221年)戦国期
首都は姜斉の時と変わらず臨淄
三足式土器、鼎に関しては生活用具としての鬲,甗などの三足土器は「戦国時代に入ると急激に減少する」
田斉で盛んだった産業は、「漁業、製塩、製鉄業、絹織物」
弥生時代が始まり水田稲作が開始されて後の約600年後、中国東北系の鋳造鉄器が紀元前3世紀に北部九州に持ち込まれたことで日本に於ける本格的鉄器使用が始まる。
前3世紀以降には朝鮮系の鎌などの小鉄器鍛造品も出現する。
徐福の前2世紀以降には北部九州で鉄斧や鉄製鍬先や鋤先など農工具の鉄器化が進んだことによって耕地開発が進んだ。
弥生時代の3世紀までに鉄器が普及していたのは北部九州地域に限られており、日本のその他の地域から出土する鉄器は僅かである
三足式土器 おそらく徐福嫌いの彼が主張する鼎的なモノはこういうものを指すと思われるが、最も隆盛を極めたのは竜山文化時代ですごく古い。
大陸においては、コレが原型になって後に青銅器に移行する。青銅器のほうが後という事だ
縄文晩期には既に青森まで伸張している。鼎的なモノの流入が徐福到来の指標にはならない。
縄文人がワンタンをすでに食べていた可能性があるという話は別に置いておくw
遮光土偶で有名な亀ヶ岡式土器は後に九州にまで影響を及ぼし、その後稲作伝播と同じくして次第に逆方向に押し返されていく。
一説には銅鐸の模様の原型ではという説もある
亀ヶ岡式土器の影響は沖縄にまで及んでおり、九州は青森よりも遅い時期の出土となっている
191:日本@名無史さん
20/10/13 16:11:10.82 .net
>>177
刀銭:田斉では利用されているが、日本での出土は少ないので、コレが出ればある程度の指標にはなる
しかし吉野ヶ里遺跡においては形の似ている鉄製の刀子が燕製であることが分かっており、輸入という視点においては
これまでの定説よりも約250年前の紀元前4世紀中頃、すでに燕国や東方の遼寧地域との間に直接的な交流があったことと現在では判断されている。
URLリンク(material.miyazaki-c.ed.jp)
つまり、国内での本格的鉄器製造が、徐福以降ではないかという事だな。
話は逸れるが、古代製鉄という観点からは日本の歴史は古く。福岡県の曲がり田遺跡の出土品はAMS法分析では紀元前900年となっており
中国最古の西周末から出土した鉄剣より古い者が出ており、一部で中国伝来ではないのではないかとの議論が出ている。
褐鉄鋼を利用した製鉄なら、長持ちはしないが800度くらいで可能だからね。
徐福時代の北九州には実用的な製鉄、海童のイメージからくる造船、特に青銅器と織物の伝播が一大イベント
青銅器は合金の技術だったからね。製鉄より新しい技術だったという事ではなかろうかね
192:日本@名無史さん
20/10/13 16:29:09.15 .net
福岡県の曲り田遺跡の注釈
URLリンク(ito-denki.biz)
曲り田遺跡の鉄器は公式には紀元前3~4になっている。
(註)夜ゆ臼うす式土器 福岡市の板付遺跡で1979年、それまで縄文土器に分類されていた夜臼式土器とともに水田の遺構が発見され、弥生時代が早まると考えるべきか、縄文時代に稲作が始まったと考えるべきかで論争が続いている。ただし、福岡県二丈町の曲がり田遺跡では弥生早期の鉄器が出土しており、これが紀元前9-8世紀となれば中国で本格的に鉄器が普及する前に日本に鉄器が存在していたことになってしまう。
193:日本@名無史さん
20/10/13 16:33:12.55 .net
破綻した畿内説が奥山を解雇したので奥山が破産するかもとの情報有りあわれ
194:日本@名無史さん
20/10/13 16:35:03.58 .net
>>177-178
あのな、バカ中卒チンコロ
搬入した楽浪帯方文物などの搬入文物なんかどーだってイイんだわ
縄文弥生を通して日本列島には中国系の衣食住に関する生活痕遺構がないの
古代中国大陸人が住んでいた事が証明できる中国大陸系の衣食住に関する生活痕遺構がないの
だから徐福やら呉王夫差の後裔やら呉越人やらの渡来定着なんてあり得んの
つか、五毛チンコロは日本のサイトに来るなバカ!死ね!
195:日本@名無史さん
20/10/13 16:40:57.09 .net
>>158
>280年頃、再び天下に平和と繁栄をもたらした西晋の功績を後世に書き残すための正史「三国志」を編集中、
30年前の魏使の報告書「径百尺」を見た陳寿は、
当時の倭国はすでに古墳時代に突入し、王墓だけはやたらと長大という情報を、
官僚だけに読み知っていた。
この時点で、この男も×だな。
陳寿は、既に、
明帝の「(遼東)征伐四千里」の発言や、、
韓の方可四千里や、倭地への行程記載や、天柱山の高さなどの、
短里での記載をしており、
1里=300歩に拠って、「1歩≒25.5m」位の短里も知っていた事になる。
また、卑弥呼の墓の説明は、
「径百尺」ではなく、「径百余歩」だな。
196:日本@名無史さん
20/10/13 16:41:19.22 .net
>>162
>会稽は、
>陳寿は、「夏后少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害」の会稽の意味に使っているが、
>会稽郡は、時代が変われば、合併や分郡などがあったりして、、、、
陳寿が記して云う会稽東治の東とは、夏后少康之子封於會稽の時代の会稽のことである。
後世の「時代が変われば、合併や分郡などがあったりして、、、、」などと関係のない時代を云々する必要はない。
197:日本@名無史さん
20/10/13 16:42:01.69 .net
弥生開始時代と、鉄器の話
URLリンク(www2u.biglobe.ne.jp)
日本最古の佐賀の水稲遺跡は朝鮮半島の最古の遺跡と同時期
しかし、そのころの朝鮮半島においては鉄器が出ていない
だから半島経由ではないね。半島が日本と同時期に開始されたというだけで
198:日本@名無史さん
20/10/13 16:43:51.28 .net
>>181
>縄文弥生を通して日本列島には中国系の衣食住に関する生活痕遺構がないの
へーほー?wwwそんあ研究結果が一切ないのだが?
どうしてすぐにばれる嘘を書くの?wwwワンタンマン君w
199:日本@名無史さん
20/10/13 16:46:10.81 .net
まーだやってらっしゃるのか
卑弥呼陵 ← 黒塚古墳(天理市)
卑弥弓呼陵 ← 高尾山古墳(沼津市)
ハイ終了
解散!
200:日本@名無史さん
20/10/13 16:48:35.07 .net
>>181
田斉で盛んだった産業は、「漁業、製塩、製鉄業、絹織物」
ねーねー、何で徐福が来てない証拠とかに、中国の中粒種とかの嘘を書いちゃったの?ねーねーww
201:日本@名無史さん
20/10/13 16:53:52.92 .net
>>181
>古代中国大陸人が住んでいた事が証明できる中国大陸系の衣食住に関する生活痕遺構がないの
ねーねー、土井ケ浜遺跡の話読んだ?どうして嘘を書いちゃうの~?ねーねーwww
202:日本@名無史さん
20/10/13 16:54:39.38 .net
>>160
>薄葬令なんてもともと存在してないので、妄想
親魏倭王を拝命した卑弥呼の墓を、難升米や掖邪狗らが、
文帝の指示に逆らって、
曹操や文帝や明帝の墓よりも厚葬墓に出来る筈がない。
また、卑弥呼の宗女で王になった壹與の遺族も、
壹與の墓を厚葬墓に出来る筈がない。
厚葬墓や前方後円墳に出来るのは、
西晋武帝の天円地方を教わって、壹與も亡くなって、影響が無くなってから。
203:日本@名無史さん
20/10/13 16:55:34.62 .net
>>172
>当然、出発方向が「東南」であり、
>その後に向かった「北西」は途中の移動になる。
「東南」が出発方向だというなら、
それに続く「途中移動の方向」も「到着の方向」も書かなくては、どっちへ行ったらよいかわからぬだろうが、、
「途中」及び「到着」のそれぞれはどの方向で、其の里数はいかほどか追加説明せよ。
204:日本@名無史さん
20/10/13 17:04:49.31 .net
石器が淘汰されるのは言わゆる邪馬台国時代。
URLリンク(www.hitachi-metals.co.jp)
稲作の事でいろいろコピーを書いてる人が居るだが、確かに朝鮮半島伝来ではないと思われる。
何故かと言えば、水稲が日本と同時期に開始されていながら朝鮮半島においては鉄器の使用が確認されていない
それも、鉄鉱石が産出される朝鮮半島においては不自然な事であり、鉱石の発見そのものが後世のモノだったからとしか考えられない
205:日本@名無史さん
20/10/13 17:05:26.21 .net
>>1こと奥山君の失敗は、卑弥呼もトヨも記紀に登場しないという近年の歴史学の常識を打ち破ることが出来なかった事。
卑弥呼もトヨも記紀に登場します。
登場するからこそ、その時代がとんでもない時代=BC660年に設定されてるのだ。
卑弥呼を隠すことは、卑弥呼より100年前の倭国王帥升=スサノオを隠すことでもあるからだ。
卑弥呼(Bei mei hu)とは比咩后(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ后である。
⑩崇神(310年頃 318年没)
⑨開化
⑧孝元
⑦孝霊
トヨ津 ⑥孝安 ⑤孝昭
トヨ津 (250年頃) ④懿徳
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 ③安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后 ②綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) ①神武
墓は高天原(=奈良県御所市高天)にしかない。
URLリンク(bbs10.aimix-z.com)
径百余歩の塚のとなりに土蜘蛛塚つまり殉葬奴婢の痕跡がある。
>>1は本当にアフォだ、アホアホアホォ~~!
206:日本@名無史さん
20/10/13 17:09:47.70 .net
>>187
徐福集団は五穀を持ってきたんだよな?
実際は徐福集団の時代よりも700年以上前には既に日本列島に五穀はあった訳だが、
徐福集団の五穀のイネには中粒種が3割近く混ざっていたはずだろ
なぜなら、その1000年後に来日した鑑真が持ってきた正倉院に
収められているイネには中粒種が17%含まれていたんだから
207:日本@名無史さん
20/10/13 17:20:53.41 .net
>>193
今現在でも稲って一種類だけ?
古代米だっていくつも種類あるでしょ
中粒種かどうかなんて指標にはならない
208:日本@名無史さん
20/10/13 17:21:05.64 .net
>>188
で、土井ヶ浜遺跡が古代中国大陸人が生活した中国大陸系の衣食住に関する
生活痕遺構だとギャグ飛ばしてる頭の中がジュリアナ東京な考古学者の論文は?
209:日本@名無史さん
20/10/13 17:22:07.25 .net
>>189
>厚葬墓や前方後円墳に出来るのは、
>西晋武帝の天円地方を教わって、壹與も亡くなって、影響が無くなってから。
まったく九州説は妄想ばっかりだな
魏と同じく、晋でも薄葬の終制が続いてる事をまったく知らないとか
九州説ってホント、ばかだよね
210:日本@名無史さん
20/10/13 17:24:55.12 .net
>>195
さっさと自分で調べに行け。
DNA分析の結果だよ
お前が認める指標など、お前個人の思い込みに過ぎない。
おこちゃまは、まずはお勉強が先だ
211:日本@名無史さん
20/10/13 17:25:21.83 .net
>>191
中国大陸から鉄器が伝わったのなら、漢字の銘入りの金文だらけのはずだろがパッパラパーチンコロ
212:日本@名無史さん
20/10/13 17:28:06.48 .net
>>198
なんだ、朝鮮人だったのかw
徐福が朝鮮に行ってなくて残念だったなw
213:日本@名無史さん
20/10/13 17:30:06.19 .net
弥生時代の九州の人口爆上げについて
URLリンク(www.fengxian-urawa.com)
北九州って昔から大都会かと思ってたら極端に人口が少なかった時期があるらしいね。
出雲族がバイカル湖経由で日本に来たという伝承があるが、それとも一致するかもしれない
214:日本@名無史さん
20/10/13 17:30:06.76 .net
>>189
魏志倭人伝には卑弥呼の死で大きな径百歩の墓を作ると書いてあるので
卑弥呼は薄葬ではなかった事が伺われる
215:日本@名無史さん
20/10/13 17:30:56.51 .net
>>197
で、土井ヶ浜遺跡が古代中国大陸人が生活していた中国大陸系の衣食住に関する
生活痕遺構だとギャグ飛ばしてる頭の中がジュリアナ東京な考古学者の論文は?
早く持ってこいよ五毛ブタニグチンコロのおまえ
216:日本@名無史さん
20/10/13 17:32:20.52 .net
>>202
お勉強が先だと言ったろ嘘つき朝鮮人w
大陸の権威まで参加して結論出してるだろ?
朝鮮人の癖に宗主国様に逆らうなよwwww
217:日本@名無史さん
20/10/13 17:36:22.33 .net
鉄器と徐福は関係ない
中部ベトナムのサーフィン文化では甕棺に鉄器が入れてある
218:日本@名無史さん
20/10/13 17:37:01.14 .net
>>165
魏の長さの証拠は
1尺24cmの尺定規と
魏の度量衡が書いてある律歴志から1尺=300里=1800尺が使われていて
1里430mほどだったというものが唯一だよ
219:日本@名無史さん
20/10/13 17:39:33.59 .net
>>204
サーフィン文化
青銅器文化wwwwwww
220:日本@名無史さん
20/10/13 17:43:45.21 .net
>>175
>(翰苑などの後代史書の魏志の内容紹介)
部分的にはそうした省略がみられるが、文章全体の構文は倭人伝のそれと同じなので、
品質が低いとは決して言えんな。
また大和説が、無知を晒して、恥かいたか
221:日本@名無史さん
20/10/13 17:44:59.78 .net
>>199
生粋の日本人だバカブタニガー
じゃあ、鉄器が中国大陸から伝わったなんてギャグ飛ばしてる頭の中が
エキセントリックワールドな考古学者の論文は?
222:日本@名無史さん
20/10/13 17:46:59.93 .net
>>191
大和説者にいわせると、鉄器は土中で溶けて跡形もなくなるらしいから、朝鮮半島でも溶けたのかもな~♪
223:日本@名無史さん
20/10/13 17:56:24.23 .net
>>208
いやいや、どう考えても朝鮮人
先祖や親せきに必ずいるわ
どう考えても日本人離れしているか、もう精神の抑制の無くなった老人としか思えない
224:日本@名無史さん
20/10/13 18:05:38.68 .net
>>210
じゃあ日本の考古学者は全員朝鮮人じゃねえかバカブタニガー
で、土井ヶ浜遺跡が古代中国大陸人が生活していた中国大陸系の衣食住に関する
生活痕遺構だとギャグ飛ばしてる頭の中がジュリアナ東京な考古学者の論文は?
で、鉄器が中国大陸から伝わったなんてギャグ飛ばしてる頭の中が
メルヘンファンタジーな考古学者の論文は?
早く持ってこいよ五毛ブタチックプノンペピーノ
225:日本@名無史さん
20/10/13 18:07:10.99 .net
>>211
慈悲の心で、調べようと思えば調べれるとまで言ってるのにw
朝鮮人は結論を先に決めてものをいうから、証拠があっても全く意味がなく、会話そのものが無駄に終わると言われているが
正にその通りw
226:日本@名無史さん
20/10/13 18:09:32.16 .net
>>212
んなコト聞いてねえんだバカブタセロイピーノ
で、土井ヶ浜遺跡が古代中国大陸人が生活していた中国大陸系の衣食住に関する
生活痕遺構だとギャグ飛ばしてる頭の中がジュリアナ東京な考古学者の論文は?
で、鉄器が中国大陸から伝わったなんてギャグ飛ばしてる頭の中が
メルヘンファンタジーな考古学者の論文は?
早く持ってこいよ持ってこいよ持ってこい!五毛ブタチックプノンペピーノ
227:日本@名無史さん
20/10/13 18:19:37.27 .net
>>213
ねーねー、徐福の時代より前から大陸との交流があったのになんで鼎が徐福渡来のこんきょになるって嘘かいちゃったのー?
ねーねーなんで?www
228:日本@名無史さん
20/10/13 18:25:17.20 .net
>>214
じゃあ、徐福集団はどんな調理器を使って主食の蒸し餃子やワンタンスープを作ってたの?
で、土井ヶ浜遺跡が古代中国大陸人が生活していた中国大陸系の衣食住に関する
生活痕遺構だとギャグ飛ばしてる頭の中がジュリアナ東京な考古学者の論文は?
で、鉄器が中国大陸から伝わったなんてギャグ飛ばしてる頭の中が
メルヘンファンタジーな考古学者の論文は?
早く持ってこいよ持ってこいよ持ってこい!五毛ブタチックプノンペピーノ
229:日本@名無史さん
20/10/13 18:31:24.32 .net
>>198
弥生中期からの鉄は、燕とかそのあたりのくず鉄が輸入されたのだろう。
そのくず鉄輸入ルートで、中華本土の中古鉄器も取り引きされたのじゃあるまいか。
230:日本@名無史さん
20/10/13 18:41:27.59 .net
檄を飛ばすというのは、矢文のことではないぞ。
檄文を相手に届けるについて、早く着くことを願って鳥の羽を付けて送った。
鳥が早く運んでくれるという縁起担ぎであるし、受け取る相手も差出人の気持ちを知ることができた。
つまり、檄文を鳥に運ばせるという意味で檄を飛ばすと洒落たわけだ。
231:日本@名無史さん
20/10/13 18:44:17.67 .net
>>216
漢字の銘入りの金文鉄器が一つも出土しとらんだろ
燕から直接はないな
出雲は朝鮮東北部の高句麗から鉄を輸入していた
それを狙ってフトニ(孝霊天皇)が侵略した吉備から出雲の侵略を開始
このとき出雲軍とフトニ軍の双方に多くの死者が出たという
これが卑弥呼の次の国中不服の相誅殺男王の全容
232:日本@名無史さん
20/10/13 18:45:54.53 .net
>>215 ねーねー何で徐福集団の主食が蒸し餃子やワンタンスープって嘘書いちゃったのー?ww ねーねー何で?w
234:日本@名無史さん
20/10/13 18:46:58.35 .net
奥山並みの妄想やなw
235:日本@名無史さん
20/10/13 18:48:35.06 .net
ま、土井ケ浜人類ミュージアムに関しては、調査結果がすでに公表され
頭の向いている方向が中国大陸で、他の遺跡と違う点に関してはもう報告書がまとまってるよ
朝鮮人にはありかは教えないが、実際に存在するwww面白いからぜってー教えねぇーww
236:日本@名無史さん
20/10/13 18:52:27.26 .net
>>219
炭水化物をオカズに炭水化物を食うのかよバカブタニガー
で、徐福集団はどんな調理器を使って主食の蒸し餃子やワンタンスープを作ってたの?
で、土井ヶ浜遺跡が古代中国大陸人が生活していた中国大陸系の衣食住に関する
生活痕遺構だとギャグ飛ばしてる頭の中がジュリアナ東京な考古学者の論文は?
で、鉄器が中国大陸から伝わったなんてギャグ飛ばしてる頭の中が
メルヘンファンタジーな考古学者の論文は?
早く持ってこいよ持ってこいよ持ってこい!五毛ブタチックプノンペピーノ
237:日本@名無史さん
20/10/13 18:53:28.97 .net
梯儁や張政が来たのは明らかだし、
本国ならずとも楽浪人だって大勢来たのに、
別に風俗が大きく変わったりしていない。
238:日本@名無史さん
20/10/13 18:58:34.66 .net
>>222
ねーねー、何で道教の方士である徐福と全く無関係な出雲の龍蛇信仰を結び付けて嘘かいちゃったのー?ww
君が根拠としたものってすべてが嘘だったんだけど何で嘘書いちゃったのーーー?w
239:日本@名無史さん
20/10/13 18:59:16.16 .net
>>222
で、ほぼすべてが嘘なのに、君の残った突破口がなんでワンタンなのーーー?wwwww
240:日本@名無史さん
20/10/13 19:03:13.08 .net
北から魏軍👹
東から邪馬台国軍🔥
これで呉を滅ぼす計画
241:日本@名無史さん
20/10/13 19:04:40.60 .net
邪馬台国は台湾のこと
あそこを拠点として海から呉を攻めるための計画
魏の方が先に滅んじゃった🥺
242:日本@名無史さん
20/10/13 19:04:51.45 .net
>>222
ねーねー、臨淄集団と、徐福期の人骨DNAが極めて近かったという調査結果
人類学ミュージアムの松下さんと、中国人の人類学者さんの韓さんの共同研究結果、まだ見つからないのーーー?www
何の根拠もないのになんで嘘つくのーーーー?資料教えられても何でこんな大事なこと裏付けとらないのーーー?www
243:日本@名無史さん
20/10/13 19:12:26.99 .net
邪馬台国は北部九州のこと
あそこを拠点として全日本からキナイコシを攻めるための計画
畿内説の方が先に滅んじゃった🥺
244:日本@名無史さん
20/10/13 19:13:15.86 .net
天のホヒ、千家が先遣隊として出雲にやってきたのは伝承によれば219年とされる。
当初から徐福の移住許可願を出してたらしい。
銅鐸の元になるものは既にその時差し出していたとのことである。
245:日本@名無史さん
20/10/13 19:15:11.65 .net
>>123
周旋可五千餘里も行や至などの移動を表す文言がついてないので
邪馬台国までの行程ではなくて倭国のだいたいの大きさを推定して書いたもの
246:日本@名無史さん
20/10/13 19:19:46.65 .net
>>228
ねーねー、言ってる事が意味不明なんだが知能指数80ないバカ五毛の華南ブタニグロなの?
で、徐福集団はどんな調理器を使って主食の蒸し餃子やワンタンスープを作ってたの?
で、土井ヶ浜遺跡が古代中国大陸人が生活していた中国大陸系の衣食住に関する
生活痕遺構だとギャグ飛ばしてる頭の中がジュリアナ東京な考古学者の論文は?
で、鉄器が中国大陸から伝わったなんてギャグ飛ばしてる頭の中が
メルヘンファンタジーな考古学者の論文は?
早く持ってこいよ持ってこいよ持ってこい!五毛ブタチックプノンペピーノ
247:日本@名無史さん
20/10/13 19:24:47.46 .net
>>232
君の次節は願望に近く、その投影が今の妄言なんだろうな
お前は論文があっても絶対に見に行かないし意見も替えない朝鮮人だよwww
論文はある。たがお前の様な40過ぎにもなって小僧レベルの知識しかない奴には絶対に教えないwwwそのほうが面白いから
248:日本@名無史さん
20/10/13 19:29:17.36 .net
さてお口直しに、弩の話にしようか
まず弩だが、秦時代にも使われており、大陸の史記にも出ているよな
始皇帝本紀
そこにモロに徐福が弩を使う話をしている描写がある
出雲でも出てるんだよな。
ちょっと変わった人が居て修理して引き金を引いたら動いちゃったという話がある
ワンタンなんかよりは万倍有力なものになるだろうなw
249:日本@名無史さん
20/10/13 19:34:22.35 .net
出雲ではヤマタノオロチの伝説にあるように
人身御供を行っていたらしき痕跡がある
中国でも古代道教は川の神や土地の神に人身御供をする習慣があった事が
古文献にも出てくる
出雲地方は徐福伝説とまでは行かないけれど
想像される以上に古代中国文化と関わりは深かったのかも知れない
250:日本@名無史さん
20/10/13 19:36:42.76 .net
人身御供なんて古代なら全世界共通文化じゃないの?
251:日本@名無史さん
20/10/13 19:38:22.38 .net
>>234
ねーねー、で、徐福集団が作った在地産の弩は?
で、徐福集団はどんな調理器を使って主食の蒸し餃子やワンタンスープを作ってたの?
で、土井ヶ浜遺跡が古代中国大陸人が生活していた中国大陸系の衣食住に関する
生活痕遺構だとギャグ飛ばしてる頭の中がジュリアナ東京な考古学者の論文は?
で、鉄器が中国大陸から伝わったなんてギャグ飛ばしてる頭の中が
メルヘンファンタジーな考古学者の論文は?
早く持ってこいよ持ってこいよ持ってこい!五毛インドシナ華南ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇ニガー
252:日本@名無史さん
20/10/13 19:41:21.55 .net
>>234
弩は製法が高度なので、
徐福が持ってきて継続的に作られたのなら、
日本の職人に技術の継承がなされて、時代をまたいで複数の弩が見つかったり、工房が見つかったりしなければならない。
単品が見つかっただけなら、その時いた有力者一人だけの元に、単なる交易品として一つだけあるいはごく少数が輸入されただけだろう。
253:日本@名無史さん
20/10/13 19:42:32.19 .net
>>238
まずは背景から
始皇帝は海神と闘う夢を見たので、弩(ど。射撃武器)を持って海に臨み、之罘(しふ)という場所で大鮫魚(だいこうぎょ。古代中国の伝説の魚)を射抜いたそうな。
これは徐福が、「蓬莱の不老不死の薬を得られないのは大鮫魚に妨げられているからだ」と言ったのがきっかけなんじゃないのーってお話。
254:日本@名無史さん
20/10/13 19:44:57.47 .net
>>235
ねーねー、出雲地方の古代中国系の衣食住に関する生活痕を遺した中国系生活遺構は?
で、徐福集団が作った在地産の弩は?
で、徐福集団はどんな調理器を使って主食の蒸し餃子やワンタンスープを作ってたの?
で、土井ヶ浜遺跡が古代中国大陸人が生活していた中国大陸系の衣食住に関する
生活痕遺構だとギャグ飛ばしてる頭の中がジュリアナ東京な考古学者の論文は?
で、鉄器が中国大陸から伝わったなんてギャグ飛ばしてる頭の中が
メルヘンファンタジーな考古学者の論文は?
早く持ってこいよ持ってこいよ持ってこい!五毛インドシナ華南ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇ニガー
255:日本@名無史さん
20/10/13 19:45:34.58 .net
>>236
古墳に奴婢の殉葬をする習慣というのは出雲地方が中心だった可能性があるよ
特殊器台という特殊壺を載せる古い時代の古墳に据え付けられていた祭器は
出雲地方で発達したようで古いものが見つかる
中国の殷王朝では人身御供として奴婢の血を器に盛って捧げる祭式があったそうだから
もしかして特殊器台と特殊壺はそうした用途に使われていたのかも
256:日本@名無史さん
20/10/13 19:47:14.30 .net
>>231
>周旋可五千餘里も行や至などの移動を表す文言がついてないので
>邪馬台国までの行程ではなくて倭国のだいたいの大きさを推定して書いたもの
その通り。
参問するに倭地は5千里・・・、となっているので、倭国+狗奴国=倭地(九州島)のだいたいの大きさ(南北長)を書いたのであろう。
ちなみに、九州島北端の香椎あたりから、薩摩・大隅の南端までがおよそ5千里だ。
なお、対馬は方可400里、壱岐は方可300里と、既に大体の大きさがかかれているので、その残りの九州島のみとなる。。
257:日本@名無史さん
20/10/13 19:48:09.54 .net
>>240
落ち着け
折れはお前がレスバしている相手とは違うから
中国系生活遺構はと言われてもわからん
258:日本@名無史さん
20/10/13 19:52:35.34 .net
>>241
そういえば、殉葬をやめてはいかがでしょうと建議したのは野見宿祢だったという。
その野見宿祢は、出雲大社所縁の者だった。
259:日本@名無史さん
20/10/13 19:52:57.60 .net
>>238
1999年に発見された弩は木製
姫原西遺跡
難しいモノなら余計に徐福時代の伝来の可能性がw
平成になってからの復元品
島根県立古代出雲歴史資料館
検索画面で「ど」を入力するべし
260:日本@名無史さん
20/10/13 19:54:16.13 .net
>>240
>で、徐福集団が作った在地産の弩は?
徐福集団が作ったなどとはひとことも言ってねぇ
お前、本当のバカだなw
261:日本@名無史さん
20/10/13 19:55:44.96 .net
>>238
弩は意外にも古代律令時代の兵士も装備してたらしいぞ
長弓の性能向上と馬上から打てないという弱点で次第に廃れたらしいけど
262:日本@名無史さん
20/10/13 19:56:37.18 .net
>>245
日本国には在地産の弩がないだろ
だから単なる搬入された楽浪文物だよ
263:日本@名無史さん
20/10/13 19:58:49.56 .net
>>235
出雲風土記にはヤマタノオロチの話はない
264:日本@名無史さん
20/10/13 19:59:07.38 .net
>>245
徐福が来たかどうかと、出雲の弩は関係ないと思うよ。
点と点で繋がりが見えない。
まだ貨泉とかのがありそう。
265:日本@名無史さん
20/10/13 19:59:14.01 .net
>>238
ほい
URLリンク(lunabura.exblog.jp)
そういや、何かの天皇と弓矢の話の逸話って記紀にもあったね
まさか弩の事だったりしてw
>>238
お前には話しかけてねぇ。
さっさと論文調べる宿題を済ませろ、小僧www
266:日本@名無史さん
20/10/13 20:00:20.36 .net
>>249
ヤマタノオロチははるか昔の出雲の話で、
出雲風土記の今の出雲には無かった場所の話だからね。
267:日本@名無史さん
20/10/13 20:01:19.31 .net
>>250
>徐福が来たかどうかと、出雲の弩は関係ないと思うよ。
そのとおり。ワンタンよりは有力であろうという位かw
268:日本@名無史さん
20/10/13 20:04:24.61 .net
>>244
>その野見宿祢は、出雲大社所縁の者だった
ゆかりどころか、杵築大社を作った一族ですよ。東出雲王家の向家の先祖ですよ
千家は出雲大社の所有者ではありません。資金の大半は向家。敷地と資材は神門臣家といって西出雲王家側が負担してます。
大社のカギは神門臣家の分家である別火家で管理しており、千家は許可がないと大社には入れませんでした
269:日本@名無史さん
20/10/13 20:05:53.34 .net
>>244
日本書紀では垂仁天皇が殉葬の代わりに象形埴輪を埋めたとなってたな
それで実際に象形埴輪が見られるより前の古墳には
代わって特殊器台と特殊壺があるらしい
270:日本@名無史さん
20/10/13 20:07:00.51 .net
>>238
弩の発射装置は青銅で作られる
木製の弩はその後、見よう見まねで模倣したものの可能性が高いとされるもので
弥生期のものです
271:日本@名無史さん
20/10/13 20:09:31.40 .net
そもそも沖縄でも古代ローマのコインが見つかってるからな
古代にローマと沖縄は交易をしていた
272:日本@名無史さん
20/10/13 20:11:53.98 .net
>>238
島根県立古代出雲歴史資料館では、復元品の木製の弩と
伝統的な青銅の射出部分の収蔵が確認できます
URLリンク(www.izm.ed.jp)
ここで「ど」と入力
273:日本@名無史さん
20/10/13 20:13:41.15 .net
>>252
>ヤマタノオロチははるか昔の出雲の話で、
その通り。 「阿波」の海岸地域の話だ。 @阿波
274:日本@名無史さん
20/10/13 20:14:55.22 .net
>>259
阿波には弩はでないからもうこの辺でサヨウナラ
275:日本@名無史さん
20/10/13 20:15:41.94 .net
>>254
いずれにせよ、出雲忌部の話だ。 @阿波
276:日本@名無史さん
20/10/13 20:16:43.68 .net
>>261
じゃあ千家は要らないから阿波にプレゼントするねw
277:日本@名無史さん
20/10/13 20:18:54.72 .net
幻の阿波台国
278:日本@名無史さん
20/10/13 20:19:46.81 .net
>>260
>阿波には弩はでないから
そんなもの、目じゃないよ。 「丹」で腹いっぱい。 わははははは @阿波
279:日本@名無史さん
20/10/13 20:21:03.95 .net
阿波台国はなかった
280:日本@名無史さん
20/10/13 20:21:38.72 .net
>>264
「弩」を持った数人の兵によって阿波は制圧されて「丹」を掘らされてたんだろう
281:日本@名無史さん
20/10/13 20:23:22.53 .net
幻想の阿波大台国
282:日本@名無史さん
20/10/13 20:25:59.61 .net
何でもかんでも阿波のものにする歴史のブラックホール、それが阿波
奥様も「驚きの吸引力」である。
283:日本@名無史さん
20/10/13 20:26:09.83 .net
いくら駄々をこねても、「阿波」で決着済みなんだから、君が間違いだってこと!
阿波「邪馬臺国」の決定的証拠 : 「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」
異論が有ればどうぞ。 わははははは @阿波
284:日本@名無史さん
20/10/13 20:30:28.33 .net
>>268
>何でもかんでも阿波のものにする
何でもかんでも阿波のものにしたい訳じゃないんだが、
稲作でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
海人でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波
※何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着いてしまうんだよ。 ごめんね。 @阿波
285:日本@名無史さん
20/10/13 20:30:51.75 .net
>>270
おま、何でもかんでもじゃねぇかwww
286:日本@名無史さん
20/10/13 20:31:34.47 .net
よしわかった、せっかくだからワンタンも受け取ってやれ。
二人で仲良くしろw
287:日本@名無史さん
20/10/13 20:33:04.01 .net
>>271
>おま、何でもかんでもじゃねぇかwww
こればっかりは、どうしようもない。 真実は曲げられないからね。 @阿波
288:日本@名無史さん
20/10/13 20:34:20.09 .net
投馬国(ダウマコク)は岡山にあった「たまのくに」
都は倉敷市と岡山市の中間あたりに位置する上東遺跡あたり
当時はヤマトに奈良という呼称がまだなかったように吉備という呼称もまだない
玉や玉島など、当時の「たまのくに」という呼称の名残というか残骸が周辺に
残っている
投馬国の場合、当時は穴海になっていて海岸線が今よりもはるかに内陸にあったため、
都である中心港の遺構がかなり内陸にあったのだ
今の倉敷市と岡山市の大部分は当時はまだ海の底だったのである
郡使は今の岡山の玉に寄港したのではなく、今では内陸になってしまった当時の
たまのくにの中心港だった上東遺跡に寄港したのである
URLリンク(stat.ameba.jp)
289:日本@名無史さん
20/10/13 20:34:46.12 .net
>>273
どうでもいいからワンタンだけは引き取れ。あとはどうでもいい
290:日本@名無史さん
20/10/13 20:43:18.45 .net
ペテン邪馬台国畿内説史
ノーベル賞を連続受賞してきた日本、何故いつも研究能力低下が問題になるのか?
~ 中国メディア
URLリンク(news.nicovideo.jp)
コメント欄
○よく調べもしない情報弱者が、マスコミの受け売りに共感して
「日本はエンジニアを軽視~」「海外流出~」と、大嘘を流布してるからだろ。
○特定の業種だけ特別扱いして堪るかっつのよ。なお青色ダイオードの「中村修二」は
とっくにペテン師として浸透してる。
「 中村修二 ペテン師 」で検索しろよ情報弱者のクズ達
○中村修二の裁判内容が自分たちの思惑と異なってきたとたんに放送しなくなったもんな
マスゴミは。
○中村修二を、「日本の企業叩き」の道具にしようと群がったマスコミだったが
中村がマスコミを裁判で利用(世論誘導)してるのを、読売がスッパ抜き
青ダイ特許を詳しく調べた結果、大嘘のペテン師だと知り、マスコミ連中も一斉に掌返しした。
その後、たまに日本叩きの記事に使われたり、情報弱者のクズが引き合いに出す。
291:日本@名無史さん
20/10/13 20:44:01.06 .net
305 学究学士 2020/08/08(土) 22:13:35.970
>>209
マスコミによる大衆世論誘導は戦前から行われてきたから
知を振りかざすジャーナリズムによる思い込みの読者誘導記事は別に驚くに値しない
具体的なニュースで代表的パターンを紹介すると
共同通信による伝説の卑弥呼の墓モドキの発信ニュース記事だけど
学術記事を飛ばして読む傾向のある一般大衆に
見出しだけで大衆に強くに印象を植え付ける為
「卑弥呼の墓」を素粒子で探査 奈良・箸墓古墳の内部
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
と奈良・箸墓古墳は卑弥呼の墓と断定しながら冒頭記事では
「卑弥呼の墓」の可能性が指摘される奈良県桜井市の前方後円墳・箸墓古墳
と可能性が指摘されるとトーンダウン
つまり共同通信社にとって邪馬台国奈良説を押す為に
見出しタイトル・テクニックで邪馬台国は奈良に存在したと
共同通信いち押しの間違った知識を大衆に植え付けることなんかもしている
新聞社、報道機関による戦前の大翼賛による戦争煽り記事は有名だけど
文章操作を屈指して現在もなおマスコミは一方的な世論誘導してるのには注意が必要
URLリンク(this.kiji.is)
292:日本@名無史さん
20/10/13 20:44:12.65 .net
>>242
倭地というてるのだから、倭種の人民が住んでるところの意味だ。
倭国はその倭種の人民の国の中の一つ。
で、その倭地のぐるりが五千余里というわけだから、魏里(1里=434m)でみれば、ちょうど九州、四国と伊勢鳥羽までの紀伊半島の範囲だ。
ぴつたり五千余里となる。
293:日本@名無史さん
20/10/13 20:54:07.65 .net
>>277
「文章操作を屈指して」
「文章操作を駆使して」だよ。 @阿波
294:日本@名無史さん
20/10/13 21:01:46.08 .net
所謂、邪馬台国が自分の国をヤマトと偽ることができたのか?
伊都国は奈良ヤマトの出先機関、後の言う大宰府のような処だったのだが
何と築秦国から発展した後の筑前の物部氏が伊都国の長官になっていた。
爾支と出ている名前。饒速日のニギ
295:日本@名無史さん
20/10/13 21:11:16.12 .net
>>269
ナメるな
296:日本@名無史さん
20/10/13 21:17:49.91 .net
.
日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。
◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕
◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット
鼎は穀物を煮炊きする三足と双つの直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。
鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。
甑と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。
釜が伝わったのは古墳期の5C頃。
稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
.
297:日本@名無史さん
20/10/13 21:21:37.67 .net
>>249
>出雲風土記にはヤマタノオロチの話はない
そう、出雲風土記にはヤマタノオロチのくだりはなかったと記憶する。
その代わり、肥後地方に同様の言い伝えがあるという。
肥後の川上のヤマタノオロチが、古事記・日本書紀では、いつの間にか出雲の簸之川上(肥伊川
298:→斐伊川)のヤマタノオロチにすり替えられているらしい。
299:日本@名無史さん
20/10/13 21:22:12.90 .net
阿波さんも食わない毒まんじゅう。それがワンタンw
300:日本@名無史さん
20/10/13 21:23:42.86 .net
きっとワンタンのタンは水銀の丹だよ。
ほぉらぁ~阿波さん、ワンタンほしくなってきたぁ~www
301:日本@名無史さん
20/10/13 21:28:17.14 .net
泡は足元を見られ、すっかり遊ばれてしまってるな
302:日本@名無史さん
20/10/13 21:28:32.01 .net
>>285
>ほぉらぁ~阿波さん、ワンタンほしくなってきたぁ~www
「阿波」の真正「丹」で腹いっぱいなんだよ。 そんなの要らないよ。 わははははは @阿波
303:日本@名無史さん
20/10/13 21:32:27.00 .net
>>146
>怖い怖い徳島にはコンプライアンスも存在しないw
島勝さんは自信があるから、晒してるんだよ。 トンデモの九州説や畿内説と違ってね。 わははははは @阿波
304:日本@名無史さん
20/10/13 21:35:05.16 .net
>>287
ちくしょぉおおwww(セル)
変わり者同士仲良くしろよぉwwwww
305:日本@名無史さん
20/10/13 21:36:48.23 .net
>>289
で、徐福集団はどんな調理器を使って主食の蒸し餃子やワンタンスープを作ってたの?
で、土井ヶ浜遺跡が古代中国大陸人が生活していた中国大陸系の衣食住に関する
生活痕遺構だとギャグ飛ばしてる頭の中がジュリアナ東京な考古学者の論文は?
で、鉄器が中国大陸から伝わったなんてギャグ飛ばしてる頭の中が
メルヘンファンタジーな考古学者の論文は?
早く持ってこいよ持ってこいよ持ってこい!五毛インドシナ華南ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇ニガー
306:日本@名無史さん
20/10/13 21:40:34.35 .net
>>290
じゃ、あとは阿波さんに任せました。
おれワン丹要らねw
口から出まかせばかりで何の裏付けも取らない奴に資料など出すわけがねぇwww
307:日本@名無史さん
20/10/13 21:40:58.11 .net
>>290
ところで君は、半島渡来人なわけ? @阿波
308:日本@名無史さん
20/10/13 21:42:19.73 .net
>>292
きっと朝鮮半島ではワンタン食べてたんですよ
いや、そのうちワンタンは朝鮮から世界に広がった事になるでしょうw
309:日本@名無史さん
20/10/13 21:47:03.30 .net
>>292
生粋のジャポネーゼの土器キッドだが何か?
310:日本@名無史さん
20/10/13 21:48:07.46 .net
>>293
ところで君は、中国帰化人なわけ? @阿波
311:日本@名無史さん
20/10/13 21:49:20.19 .net
>>295
いいや、さすがに日本人ですよ、阿波原人さん
312:日本@名無史さん
20/10/13 21:50:14.10 .net
>>294
>生粋のジャポネーゼの土器キッドだが何か?
なんでそんなに、半島推しなんだい? @阿波
313:日本@名無史さん
20/10/13 21:51:33.12 .net
>>296
>いいや、さすがに日本人ですよ、阿波原人さん
なんでそんなに、大陸推しなんだい? @阿波
314:日本@名無史さん
20/10/13 21:51:44.36 .net
>>297
わはははは はどうした?
さては貴様偽物だな
315:日本@名無史さん
20/10/13 21:53:18.60 .net
>>298
別に利害関係がないので淡々と遺跡の出土物。
人口分泌の推移
旧家の伝承
自分で歩いて回った神社
それらを書いてるだけですよ。徐福アレルギーがないというだけの日本人ですわ
316:日本@名無史さん
20/10/13 21:54:38.27 .net
>>299
ですよね、どう考えても日本人の思考ではないですよねw
まるで朝鮮人。これで日本人だったら、親の顔が見てみたいw
相当に不幸な生い立ちとしかw
317:日本@名無史さん
20/10/13 21:54:55.42 .net
>>299
心配ご無用。 本物だよ。 いや、ふたりがいつも争ってるから、ふしぎにおもっていたからさ。 わはははははを付けないときもあるよ。 わははははは @阿波
318:日本@名無史さん
20/10/13 21:55:12.88 .net
>>297
考古事実だから仕方がねえじゃん
京大で 徐福ガーーーーーー なんて言ってたら単位貰えんぞw
319:日本@名無史さん
20/10/13 21:59:01.88 .net
>>300
>徐福アレルギーがないというだけの日本人ですわ
徐福について、知らないし興味もないんだけれど、
徐福と「邪馬臺国」って、関係あるの? まず、それが分からん。 @阿波
320:日本@名無史さん
20/10/13 22:01:08.73 .net
>>303
それワンタンになる理由は徐福よりも奇想天外だという事がまだ認識できないらしい
山東の主要産業まで前振りで出してやり、餃子に必要な小麦粉が普及しておらず、一部の人間しか食べてなかった餃子が徐福のベンチマークだなんて言ったら
まだ徐福単体で議論を展開する方がまともなのにw
小麦粉なんて明代になるまでまともに大量には供給できなかったのによw
時代考証からやり直せ京大www
URLリンク(www.epochtimes.jp)
どうせ共産系の何年も留年して卒業しねぇ特定の寮に居たやつだろw
321:日本@名無史さん
20/10/13 22:02:44.14 .net
徐福が紀元前に来てて里を知らないなんて無いんだよ、布教活動は無知を相手にしてくれ
322:日本@名無史さん
20/10/13 22:03:00.91 .net
>>302
なにコイツきんもー
323:日本@名無史さん
20/10/13 22:05:30.65 .net
>>304
初代神武であり、山幸彦である尾張氏、海部氏の先祖
山幸彦である物部氏の共通の先祖が
センダイクジホンギに出ているアメノホアカリニギハヤヒだからです。
彼は別人ではなく、一人の人間で徐福とされています。
千家はスサノオ
丹波の国のホアカリ
築秦国においてはニギハヤヒ
熊野系の物部氏は速玉の命
庶子である秦氏はハタツミ
筑紫舞の源流翁
すべて同一人物
324:日本@名無史さん
20/10/13 22:05:46.53 .net
>>303
>考古事実だから仕方がねえじゃん
しかし、どんなに逆立ちしても、「阿波」の遺跡や神社などによる裏付けには太刀打ちできないとは思わないのかね? マジで聞いてみる。 @阿波
325:日本@名無史さん
20/10/13 22:06:39.00 .net
>>309
ワンタンがありゃ何とかなると思ってるらしいぞ?
326:日本@名無史さん
20/10/13 22:09:37.10 .net
>>308
>すべて同一人物
結局、「忌部一族」なんだよ。 徐福もいいけど。 @阿波
327:日本@名無史さん
20/10/13 22:14:46.57 .net
>>305
バーカ
秦から前漢初めには点心はもう一般化してるんだよ
紀元前206~220年(漢代)
小麦食が一般化し、点心が小麦の食べ方の一つとして根付く。
URLリンク(www.moranbong.co.jp)
328:日本@名無史さん
20/10/13 22:16:50.15 .net
奈良、平安時代以前はみんな仲良く「忌部一族」。
後にも先にも、「阿波」から出ていった「忌部一族」しかいないの! @阿波
329:日本@名無史さん
20/10/13 22:17:00.39 .net
ちなみに、布津主の、徐市の市から来ている。
徐福が出港した地域はかつては千童県と言われており、漢書の地理史にも書かれているが
約370年その地名は続く。
そののち、地名が変わる。饒の字がつくんだよね。
唐代の書である書物に、「饒安県はもと漢の千童県で、徐福が~」との記述がある
京大程度の人間でも事実として調べれるだろうさw
330:日本@名無史さん
20/10/13 22:18:23.43 .net
>>314
徐福が二度目に日本に来て和名のニギハヤヒを名乗ったのはその地名からともいわれている
331:日本@名無史さん
20/10/13 22:19:11.53 .net
その後、東征毛人五十五国… 東は毛人西は衆夷、北は無し、卑弥呼の国東渡海倭種、陳寿ですら倭人と呼ぶのに毛人、倭人が支配者では無いんだよ。
332:日本@名無史さん
20/10/13 22:21:40.96 .net
>>312
だから、山東の産業構造では合わないって最初に書いただろw
たしか、結構後の大陸の書物でも、小麦は富裕層の食べ物でめったに口にはできないって書かれてる
餃子のホームページじゃなくてもっと真面な書物を出してこいやwwwww
正月料理で年に数度の事で出てくるレベルの時代の話を餃子屋のHPでご紹介かよwwww
333:日本@名無史さん
20/10/13 22:24:13.82 .net
>>312
でさ、徐福の子分の千家が出雲に来たのは前219年(紀元前218年)だろ?
普及が一番遅かったのが海産と製鉄、機織りの山東省
お前自分で紀元前206~220年(漢代)って書いてておかしいとは思わないのか?www
334:日本@名無史さん
20/10/13 22:28:56.42 .net
ねえ阿波さん、今からどこかに移住するのにタピオカ持っていきます?
335:日本@名無史さん
20/10/13 22:31:26.47 .net
>>176
ちょっとだけ違うな。
中国での「大王」とは、原則は「複数以上の国や王」を従える王であり、
後漢書の「大倭王」は、范曄の「自己解釈に拠る書き換え」文言であった可能性が高く、
列島での「大倭」は、「國有市,交易有無,使大倭監之」の「大倭」であり、
古事記の欠史八代の内の4人にだけ付けられた「大倭」の事。
そして、大和の「大倭」の継体が、九州倭國に反乱を起こして勝利して、
九州倭国の王家の一員になり、
更に開皇末に隋に日本國としての独立を求めたが失敗し、
白村江の後頃に、「大倭」を「大和」に変えた、という事になる。
336:日本@名無史さん
20/10/13 22:40:06.49 .net
>>190
>「東南」が出発方向だというなら、
それに続く「途中移動の方向」も「到着の方向」も書かなくては、どっちへ行ったらよいかわからぬだろうが、
魏使らの場合は、原則として、案内人がいて、案内してくれる。
337:日本@名無史さん
20/10/13 22:43:04.04 .net
>>312
あとさ紀元前206~220年(漢代)って「手作り餃子のHPww」で書いてるけどさ
時系列で分かりやすく書くと紀元前220~206年とかの書き方になるんじゃね?
そうすると既に徐福が居なくなってる感じなんだがwwww
京大って中卒やFラン以下の大学の認識しかないわけ?
338:日本@名無史さん
20/10/13 22:43:04.32 .net
>>191
>何故かと言えば、水稲が日本と同時期に開始されていながら、
朝鮮半島においては鉄器の使用が確認されていない
ふーん。
339:日本@名無史さん
20/10/13 22:45:14.45 .net
>>323
同じく台湾においても稲作と鉄器で判断すれば、もう徐福の行き先は消去法になるかもしれませんよ
340:日本@名無史さん
20/10/13 22:49:49.56 .net
>>192
>卑弥呼(Bei mei hu)とは比咩后(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ后である。
・・・墓は高天原(=奈良県御所市高天)にしかない。
「南≠東」や「正北抵新羅の倭國の中心は北部九州」などに拠って、×。
341:日本@名無史さん
20/10/13 22:51:51.28 .net
>>325
「×さん」ちょっとワンタンにトドメ刺してやってくれませんか?w
342:日本@名無史さん
20/10/13 22:55:42.36 .net
>>323
まあ、日本でも鉄器が出始めるのは弥生前期末頃からだから、
水稲栽培が始まった3000年前頃には、鉄器はまだもたらされてないけどね。
343:日本@名無史さん
20/10/13 22:55:53.93 .net
>>196
>>厚葬墓や前方後円墳に出来るのは、
西晋武帝の天円地方を教わって、壹與も亡くなって、影響が無くなってから。
>まったく九州説は妄想ばっかりだな
魏と同じく、晋でも薄葬の終制が続いてる事をまったく知らないとか
西晋になれば、魏の薄葬令の制約がとれ、
倭國も「天円地方墓」を開始出来る。
大和説学者らってホント、ばかだよね
344:日本@名無史さん
20/10/13 23:01:33.77 .net
>>317
>>324
いいや、徐福は餃子もワンタンも食ってるよ
主食でな(嘲笑
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その衣食住に関する生活痕たる中国系生活文物と中国系住居である
三足や耳の付いた中国系生活土器の炊飯器や調理器である鬲や鼎と
竈や釜や甑や皿や大きな双耳の付いた壺と
石刃や鉄刃の中国系耕作用農具の耜や鋤と
中粒種の中国系イネと 瓦屋根に土壁の中国系住居と
漢服と木沓と 龍信仰と亀卜と
渡来時に伝わった中国系言語の単語と
原始漢字の文章を記した金石文や木簡や竹簡や経木や筆や墨や硯と
山東省生まれの蒸し餃子やワンタンは?
で、徐福集団が渡来定着したとギャグ飛ばしてる頭の中がエレクトリカルパレードな
考古学者の論文は?
.
345:日本@名無史さん
20/10/13 23:02:19.24 .net
>>320
倭人伝の大倭は意味不明の語彙であり、誤記の可能性もある。
一方、後漢書の大倭王は、(倭国のおおいなる王)と意味ははっきりしている。
倭人伝の大倭と後漢書の大倭王を同列にとらえるのは、躊躇されるよ。
346:日本@名無史さん
20/10/13 23:07:47.39 .net
>>329
そこまで言うんなら自分で書いた紀元前206~220年(漢代)と徐福の書かれた年代をきちんと整合性とって説明しろよww
自分で言った言葉だぞ?
人に論文をとか抜かす割に、餃子屋のHPを出してくるその性格が朝鮮人呼ばわりされる理由ww
こりゃ、日常生活でも相当な支障が出てるなww
歳は70からどんなに若くとも45歳
仕事はしてないかもしれない。日常生活においても落としどころを作るのが苦手で他社批判が多く
それゆえに周辺との調和がとれなくなり、孤独な人物像が浮かぶw
配偶者や子供が居るとすれば、自らの不幸な生い立ちと重なる冷たい家庭になってるだろうな。
少なくとも彼女は居ないw
347:日本@名無史さん
20/10/13 23:08:41.98 .net
>>201
>魏志倭人伝には卑弥呼の死で大きな径百歩の墓を作ると書いてあるので
卑弥呼は薄葬ではなかった事が伺われる
「大作冢」は、「冢を大いに作る」であって、「大きな冢を作る」ではなく、
「径百余歩」は、25.5~30m位の「大きくない」墓であるから、
この大和説男が、×。
348:日本@名無史さん
20/10/13 23:10:17.69 .net
>意味不明の語彙であり、
>誤記の可能性もある。
んなこと言ったらなんでも
「意味不明の語彙であり、誤記の可能性もある。」
で否定できるなw
349:日本@名無史さん
20/10/13 23:10:50.33 .net
>>329
>石刃や鉄刃の中国系耕作用農具の耜や鋤と
そういや日本刀の技術に特徴的な「芯鉄」の技術が使われた農機具の刃先部分が出土したって最近のニュースであったな
探してはいるんだがどうしても見つからない
あれの出土も九州だったら、九州最強だなw
350:日本@名無史さん
20/10/13 23:13:59.47 .net
>>331
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その衣食住に関する生活痕たる中国系生活文物と中国系住居である
三足や耳の付いた中国系生活土器の炊飯器や調理器である鬲や鼎と
竈や釜や甑や皿や大きな双耳の付いた壺と
石刃や鉄刃の中国系耕作用農具の耜や鋤と
中粒種の中国系イネと 瓦屋根に土壁の中国系住居と
漢服と木沓と 龍信仰と亀卜と
渡来時に伝わった中国系言語の単語と
原始漢字の文章を記した金石文や木簡や竹簡や経木や筆や墨や硯と
山東省生まれの蒸し餃子やワンタンは?
で、徐福集団が渡来定着したとギャグ飛ばしてる頭の中がエレクトリカルパレードな
考古学者の論文は?
早く持ってこいよチンコロ
351:日本@名無史さん
20/10/13 23:15:25.91 .net
>>205
>魏の長さの証拠は
1尺24cmの尺定規と
魏の度量衡が書いてある律歴志から1尺=300里=1800尺が使われていて
1里430mほどだったというものが唯一だよ
魏朝は、周朝の周髀算経の一寸千里の「短里」の度量衡であったが、
魏の一般住民は、「短里」と「始皇帝の長里」の混在だよ。
352:日本@名無史さん
20/10/13 23:19:54.99 .net
>>335
219年に出向して210年にもう一度大陸に戻ってきた徐福
220~206年の間に徐福が主食で餃子を食ってたというなら証拠と論文を出せよ京大www
お前、もう一度言うが、何故他のものに目を付けずに私がワンタンに突っ込みを入れたのかまだ分からないのか?
どこまで仮説を立てられ、どこまで読まれてたのかまだ分からないのか?www
353:日本@名無史さん
20/10/13 23:22:25.41 .net
>>337
餃子ワンタンは徐福の故郷の山東省生まれだ馬鹿チンコロw
徐福のソウルフードだぞ(嘲笑
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その衣食住に関する生活痕たる中国系生活文物と中国系住居である
三足や耳の付いた中国系生活土器の炊飯器や調理器である鬲や鼎と
竈や釜や甑や皿や大きな双耳の付いた壺と
石刃や鉄刃の中国系耕作用農具の耜や鋤と
中粒種の中国系イネと 瓦屋根に土壁の中国系住居と
漢服と木沓と 龍信仰と亀卜と
渡来時に伝わった中国系言語の単語と
原始漢字の文章を記した金石文や木簡や竹簡や経木や筆や墨や硯と
山東省生まれの蒸し餃子やワンタンは?
で、徐福集団が渡来定着したとギャグ飛ばしてる頭の中がエレクトリカルパレードな
考古学者の論文は?
早く持ってこいよ中卒チンコロw
354:日本@名無史さん
20/10/13 23:23:33.63 .net
>>338
355:紀元前の数え方すら知らない京大って初めてみたわ~www
356:日本@名無史さん
20/10/13 23:29:05.74 .net
>>339
BC6Cに徐福の故郷の山東省で食われていたものがBC3Cの徐福が
食ってない訳ねえだろ馬鹿チンコロw
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その衣食住に関する生活痕たる中国系生活文物と中国系住居である
三足や耳の付いた中国系生活土器の炊飯器や調理器である鬲や鼎と
竈や釜や甑や皿や大きな双耳の付いた壺と
石刃や鉄刃の中国系耕作用農具の耜や鋤と
中粒種の中国系イネと 瓦屋根に土壁の中国系住居と
漢服と木沓と 龍信仰と亀卜と
渡来時に伝わった中国系言語の単語と
原始漢字の文章を記した金石文や木簡や竹簡や経木や筆や墨や硯と
山東省生まれの蒸し餃子やワンタンは?
で、徐福集団が渡来定着したとギャグ飛ばしてる頭の中がエレクトリカルパレードな
考古学者の論文は?
早く持ってこいよ持ってこいよ持ってこい! 中卒チンコロw
357:日本@名無史さん
20/10/13 23:29:46.05 .net
>>330
倭人伝の「大倭」は、「収租賦有邸閣。国国有市、交易有無。使大倭監之」にみえる大倭のこと。
この倭の字は、前後の文脈からみて意味不明だ。
管理監督の意味においては委の字が適当であり、委には「隅々までつまびらかにする」という意味があり、委吏は「穀物の倉庫の管理をする役人」のことだ。
この隅々まで管理する者という意味で大倭の字が使われているのであれば、この倭の字は委の字の誤記だろう。
本来は「使大委監之」が正しいと思われる。
そうすると、倭人伝の大倭は大委に置き換えられるべきであり、その大委は当然大倭王とは発音が異なるので、同じに扱うことができなくなる。
358:日本@名無史さん
20/10/13 23:50:31.81 .net
>>308
徐福と邪馬台国の関係ですが
海幸彦のほうの家系は、海部(天になる)家と書きましたが
彼の孫が神武、村雲の命だから、バッチリ関係してきます。
徐福の子供は父親の除猛から五十猛(後の天香具山)
記紀にも出てくる人なので、邪馬台国が畿内なのか、九州かの議論には本来欠かせない人物
160年代の九州物部東征(黒潮・和歌山ルート)の五瀬の兄弟がウマシマジ(架空の人物)
実はウマシマジは、第二次物部東征、邪馬台国事件での武内宿祢の弟の甘内宿祢(後の額田宿祢)をもじったと言われている
名草姫に殺された五瀬の後を継いで物部軍の指揮を執った人間が、記紀の作者は分からず兄弟の誰かをウマシマジに比定した
道案内をしたとされる珍彦はタカクラジの子孫で物部勢を攻撃した人物。
160年代の東征は、葛城国から吉備国が分裂し、出雲勢力が分断された事による東征
だから吉備を通るルートが物部勢は使えなかった。
熊野本宮大社は五瀬の陣地があったところ。
記紀では、二回にわたる物部東征を神武の前にもってきているから、時代的には徐福時代にもかかってる話なんだよね
359:日本@名無史さん
20/10/13 23:54:25.78 .net
>>340
お前は自分で一般化したのが220~206って書いてるだろw
山東省は農業に向かず、製塩、製鉄、織物の工業国家だったんだよ
そもそもが日本に持ってく下地はないんだよ。バッカじゃねーの?ww
360:日本@名無史さん
20/10/13 23:55:36.29 .net
>>333
余裕の>>341だな。
361:日本@名無史さん
20/10/13 23:58:30.97 .net
>>332
九州にあるのは25.5~30m位の「大きくない」墓なので
魏志倭人伝に径百歩の大きなものと書いてある卑弥呼の墓はないということ
362:日本@名無史さん
20/10/14 00:02:19.99 .net
>>308
五瀬の命の親族は、彼の死後、少数のみが残って墓守になります。
墓守たちは竈山神社の旧社家になる。五瀬の直系の子孫は現在でも和歌山に存名。
現在でも歴史を伝承している。
更に攻撃した珍彦、紀伊國国造家と五瀬家は近くに住んでいたこともあり後に婚姻関係が生まれる。
紀伊家は日前神社を立て、五瀬家は後に�
363:サの横に国懸神宮を立て、五瀬を祭った。
364:日本@名無史さん
20/10/14 00:02:37.57 .net
>>336
魏では文帝による度量衡の統一令があったので
短里と長里の混在はなかったという事になる
当時の尺定規などの現存で使われていた証拠があるのは長里
365:日本@名無史さん
20/10/14 00:10:59.76 .net
>>343
少なくともBC6Cには既に徐福の故郷の山東省で食われていたものが、
BC3Cの徐福が食ってない訳ねえだろが馬鹿チンコロw
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その衣食住に関する生活痕たる中国系生活文物と中国系住居である
三足や耳の付いた中国系生活土器の炊飯器や調理器である鬲や鼎と
竈や釜や甑や皿や大きな双耳の付いた壺と
石刃や鉄刃の中国系耕作用農具の耜や鋤と
中粒種の中国系イネと 瓦屋根に土壁の中国系住居と
漢服と木沓と 龍信仰と亀卜と
渡来時に伝わった中国系言語の単語と
原始漢字の文章を記した金石文や木簡や竹簡や経木や筆や墨や硯と
山東省生まれの蒸し餃子やワンタンは?
で、徐福集団が渡来定着したとギャグ飛ばしてる頭の中がエレクトリカルパレードな
考古学者の論文は?
早く持ってこいよ持ってこいよ持ってこい! 中卒チンコロw