邪馬台国畿内説 Part644at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part644 - 暇つぶし2ch449:日本@名無史さん
20/09/30 18:01:21.37 .net
>>242
この卑弥呼死去のあとに担ぎ出された男王の支持母体についての解釈の問題となるよ。
倭国乱は北部九州の玄界灘側の連合と筑紫平野側の連合とのぶつかり合いであったと思うね。
そして、筑紫平野側優勢で手打ちとなり、筑紫平野連合主導で倭国の王を出す成り行きとなり、邪馬台国の若い巫女であった卑弥呼が女王に擁立された。
そして、邪馬台国の南に位置する狗奴国が邪馬台国に攻め込むわけだが、このときに卑弥呼が急死し、邪馬台国弱体化のどさくさに紛れて、玄界灘側の連合が元のように男王を担ぎ出した。
で、再び倭国は内乱となり、そこで筑紫平野連合が主導する倭国を継続させることが魏の利益とみた張政が中に入って仲裁し、玄界灘側の男王を廃位させ、筑紫平野側から卑弥呼の跡継ぎを出す案を強力に主張した。
やはり、貿易の利が基盤の玄界灘側は魏の帯方郡との付き合いが大事なので、その案を呑む結果となり、筑紫平野側は卑弥呼の下にいた巫女集団から卑弥呼の跡を継ぐために養成されていた台与を担ぎ出したということが最も現実的だ。


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