20/09/30 00:29:01.03 .net
>>221
兄弟という意識はいつの時代でもあるものだが、卑弥呼の時代にはその意識が部族員意識を超えるものであったという保証はないね。
つまり、部族の利害を捨ててまで血縁の利害を優先させる社会構造であったかどうかというわけ。
血縁集団が社会の単位となっていた氏族社会は、血縁集団の利益を最大限に求めるものであって、こういう社会では兄弟の絆、親子の絆、血縁一族の絆が最大の価値を持つことになる。
中国の宗族社会はこうした血族意識が極端に嵩じた社会といえるだろう。
もちろん、血族社会でも、兄弟、親子、親戚などのせめぎ合いはあるが、いずれどちらかがその血族から排除されて消えて行くことになるのではないか。
そのような血縁意識は、卑弥呼の時代にはまだ存在しなかったと思うね。