邪馬台国畿内説 Part644at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part644 - 暇つぶし2ch219:日本@名無史さん
20/09/29 19:45:00.45 .net
この場合の宗女とは、
卑弥呼が主宰していた鬼道の集団に関連する一女という意味だったのではないか。

220:日本@名無史さん
20/09/29 19:51:26.36 .net
女王國東渡海(伊勢湾)千餘里復有國皆倭種→至狗奴国=久努国(くののくに)

馬鹿のおかげで狗奴国の場所が露わにwwww

221:日本@名無史さん
20/09/29 19:55:53.49 .net
各地に残る徐福伝説の一つ、熊野灘。
物部五瀬が第一次物部東征で、四国の阿波の物部川に停泊した次の地点が熊野灘。
思いっきり徐福伝説があるよな。
子孫は先祖を顕彰する物なのさ

222:日本@名無史さん
20/09/29 19:56:53.74 .net
>>202
その説が最も有力なように思われるが、東遷説、また大和説では血縁集団(氏族)が3世紀には成立していたとする考えが強いようにみえる。
この時代、まだ血縁氏族はないように思うけどね。

223:日本@名無史さん
20/09/29 20:00:09.50 .net
姓というもの自体がまだないだろ?

224:日本@名無史さん
20/09/29 20:04:26.84 .net
山幸彦の五十猛は、徐福の父親の徐猛から一字を取っている。
彼はカゴヤマと名前を変え、息子には天叢雲がいる。
これが初代神武系。
叢雲の剣は、奈良で王権就任の祝いに出雲王家から尾張家に贈られた物。

225:日本@名無史さん
20/09/29 20:09:04.07 .net
13歳の女子を皆が王と認めたくらいだから
王に擁立されるような一族の血筋だろう

226:longinus_bouz
20/09/29 20:10:50.75 .net
>>187 > 宗女は本家の女子という意味じゃないか?//
  私もそのように思います。
>>195 > 史記に「宗室之女(女児)」という意味で使っている//
  漢籍での用例は承知していませんが、直感的に、
宗家のお嬢さん、といった意味ではなかろうか、と考えていました。
養女といった意味はチョッと・・・倭人伝の正始8年条のクダリですが・・・
補足>>178 > 復立卑彌呼宗女壹與年十三爲王//
卑彌呼の宗女である壹與(年十三)を、王とした、なんて解する向きが多いようです。
つまり、「卑彌呼」は「宗女」に掛かってるんですね。
対して、「宗女」が「壹與」に掛かるとすれば、
宗家のお嬢さんであるトヨたんを王とした、で意味が通りますね。
では、「卑彌呼」は「宗女」ではなく、どこに掛かるのか?
また、宗家ってどういう血統?
皇室・ミマキ(崇神)の家系とは、私は考えていません。
>>142 > 神功皇后の実家の息長家も//
  違うでしょ。息長家って継体の実家じゃないの?
だからこそ息長家って、后をいっぱい輩出してるんでしょうよ、
葛城(襲津彦・円)、蘇我(例の4代)、藤原(不比等以降)と違って、
これといった著名人がいない家系なのにさ。
血縁があるから、同族婚をしてるんじゃないのか。
葛城・蘇我・藤原以上に后を輩出してるのは、皇室自体でしょうに。
なお、宗家っていうのは、息長じゃないほう、と考えています。
> 月読系の信仰だったと言われている//
  月読って、皇室の元々の氏神なんでしょうよ、影薄いけどさ。
アマテラスってのは移入品で、スサノオってのは追い出された、三輪から出雲へ。

227:uz
20/09/29 20:20:07.87 .net
>>185 > 卑彌呼宗女「壹與」と同世代である//
  だからさ、「宗女」はどっちに掛かるんだよアホ。
>>209 中段が関連投稿)
>>194 > 宗女の意味は祭事を司る女子であり//
  直感的にだが、「宗教」って単語は近代に出来て、日本特有だと思うがね。
つまり、宗には、宗教だの祭事なんて意味はないじゃないのかい。
だから、当時の人物が、祭事を司る女子を「宗女」と表記するのは矛盾する。
「真言宗所学経律論目録」ってさ、学経律論なんかがザっと列挙されてた書付に、
後世になってからさ、そういう名称を付しただけだと思うんだがね。
>>201 > 卑弥呼を出した血縁宗族(氏族)というものは
なかったと考えるのがよいと思われる//
  卑弥呼やトヨたんて、木の又とか、石から生まれたのか?
西遊記の三国志版なのかい。

228:日本@名無史さん
20/09/29 20:25:45.53 .net
北史倭国伝
「正始中、卑彌呼死、更立男王。國中不服、更相誅殺、復立卑彌呼宗女臺與為王。其後復立男王、並受中國爵命」
>正始中、卑彌呼死
「卑彌呼」とは「天照大御神=大宜都比売(阿波の神)」
>卑彌呼死、更立男王
その男王とは「須佐之男命」
>卑彌呼宗女臺與
その臺與とは「神武天皇」の祖母(または母)にあたる「豊玉比売命」
>其後復立男王
その男王とは「神武天皇」   
出雲狗奴国王「須佐之男命」 の息子「大国主命」は、卑彌呼宗女「壹與」と同世代である。   
これが魏志倭人伝と記紀との整合性。   @阿波

229:日本@名無史さん
20/09/29 20:27:24.15 .net
姓というものがないから、今よりも同族意識は希薄だったのではないか?

230:日本@名無史さん
20/09/29 20:34:00.56 .net
>>211
スサノオは出雲王家とは何の血縁もない。

231:日本@名無史さん
20/09/29 20:37:06.11 .net
>>213
>スサノオは出雲王家とは何の血縁もない。
出雲王家ってなに?  出雲忌部のことかい?  わははははは   @阿波

232:日本@名無史さん
20/09/29 20:37:52.11 .net
戸籍がなかったのだから、現代でいう姓はなかったかもしれないが、
一定の種族集団を呼ぶ名はあったのではないか、
ひげが黒いから黒髭族とか、脛が長いから長脛族とか、鼻の下が長いから鼻下長族とか・・、

233:日本@名無史さん
20/09/29 20:41:55.82 .net
「倭国(阿波)内 忌部一族主要氏族の本拠地」   @阿波
物部氏(後の忌部氏か) :: 旧麻植地域
葛城氏 : 鳴門北灘地域  
中臣氏 : 板野地域  
蘇我氏 : 石井地域

234:コテ略
20/09/29 20:45:51.15 .net
>>212
> 姓というものがないから、今よりも同族意識は希薄だったのではないか?//
  そりゃ>>210 末尾の、西遊記の三国志版、を意識してなのかね。
姓というものがないと、血縁関係がなくなるのかね。ハナシにならんのだよ。

235:日本@名無史さん
20/09/29 21:33:32.26 .net
.

◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。

「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
URLリンク(www.seibutsushi.net)
 

ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!

.

236:日本@名無史さん
20/09/29 21:58:36.31 .net
あっ

237:日本@名無史さん
20/09/29 22:00:38.57 .net
失礼、規制がハズレた

238:日本@名無史さん
20/09/29 22:32:56.52 .net
卑弥呼が女王の時代も血族の弟が佐すけて國を治めている

239:longinus_bouz
20/09/29 22:44:02.23 .net
>>211 > 北史倭国伝・・・復立卑彌呼宗女臺與為王。其後復立男王//
  「其後復立男王」ってさ、倭五王の事だよ。
中国史書に記載のある、女性とは明記されてない、日本領域の王ってさ、以下の通りだろ。
・57年 金印貰った倭の奴の国王
・107年 倭國王帥升
・2~3世紀 卑弥呼の前後の男王
 (トヨたん)
・5世紀 倭五王
・7世紀 アメタリシヒコ
卑弥呼の前に男王がいて、卑弥呼の後、トヨたんの前に男王がまた(復)立って、
トヨたんの後に、倭五王である男王達がまた(復)立ったで、矛盾ないだろ。
トヨたん以降、倭五王以前に、別の男王の存在なぞ妄想する必要はない。
>「卑彌呼」とは「天照大御神=大宜都比売(阿波の神)」//
  イザナギ・イザナミの国産み譚で、四国周辺島嶼が優先的に発生するのはさ、
国産み譚の元ネタ・原型がさ、鳴門の渦潮の由来譚だからなんだよ。
海をグルグル掻き混ぜたらさ、出来るのは渦だろが。
阿波の語源なんてさ、存外に、ウタカタの泡なの鴨試練ぞ。
邪馬台国とか、日本の初源国家の発生とは、何の関係もないんだよ。
莫迦宛ての投稿に書いても生姜ないが、莫迦宛てだからって、
莫迦しか読まないって訳じゃないんだろうから、書いとくか。
魏志倭人伝の謎 / 後漢書東夷伝の謎 (続く)

240:uz
20/09/29 22:47:26.55 .net
>>222 の続き
魏志倭人伝の謎
・奴国は魏志に登場してるのに、何で彼への金印紫綬のハナシがないのか?
(前時代の話だし、つい書き落とした、なんて答えはブ~)
後漢書東夷伝の謎
・5世紀の史書である後漢書は、魏志に書いてない金印紫綬のハナシをなぜ知った?
・魏志では時期不明の倭国大乱を、何で後漢書は桓霊の間、と特定したのか?
(いずれも、書庫の棚卸でとか、魏略みたいな散逸文書から、なんて答えはブ~)
・地域王である倭奴国王と違って、帥升のタイトルが倭國王なのは、なぜか?
(50年分のパワーアップ、なんて答えはブ~)
范曄の嘘松、大風呂敷、なんて答えもダメだね。勝海舟父子じゃないんだから。

241:uz
20/09/29 22:58:15.23 .net
補足>>222
> トヨたん以降、倭五王以前に、別の男王の存在なぞ妄想する必要はない//
崇神・垂仁~仁徳に相応する男王は、いたのだろうが、
中国側の史料に明記のない、男王の存在なぞ妄想する必要はない。
あ、応神仁徳を倭王讃とする向きもあるが、履中が倭王讃だと、私は考えている。

242:日本@名無史さん
20/09/29 23:03:06.04 .net
>>158
三角縁神獣鏡は魏の年号が彫ってあって素材の銅も魏鏡と同じものが使われている事が判明していて
当時魏の領域だった地域からも出土してるから魏鏡で確定してるよ

243:日本@名無史さん
20/09/29 23:05:32.13 .net
>>223
後漢書は5世紀に編集されたからと言って内容が5世紀のものとは限らない
後漢時代に遡る1世紀ぐらいの漢と倭奴国の朝貢記録が参照されているのだろう

244:日本@名無史さん
20/09/29 23:12:30.86 .net
>>223
>・奴国は魏志に登場してるのに、何で彼への金印紫綬のハナシがないのか?
金印の委奴國≠奴國だから。
>・5世紀の史書である後漢書は、魏志に書いてない金印紫綬のハナシをなぜ知った?
范曄は、後漢代の記録を見る事が出来たから。
>・魏志では時期不明の倭国大乱を、何で後漢書は桓霊の間、と特定したのか?
魏志には「倭國亂」と書かれているのであり、
「倭国大乱」など存在もしなかった文言であるから、
范曄の「自己解釈に拠る書き換え」である可能性が高く、
「桓霊の間」も、范曄の「自己解釈に拠る記載」である可能性が高い。

245:日本@名無史さん
20/09/29 23:14:33.26 .net
>>225
同じ型で国産の三角と一緒に作られていました
原料は大陸産かもしれませんが、製作地は国内ですね

246:日本@名無史さん
20/09/29 23:19:13.54 .net
>>224
>あ、応神仁徳を倭王讃とする向きもあるが、履中が倭王讃だと、私は考えている。
応神仁徳履中は、一応半分偽書の記紀の大和の王名であり、
倭王讃は、九州倭國の王であるから、「私の考え」とかが×。

247:日本@名無史さん
20/09/29 23:29:00.37 .net
>>228
国内で作られた鏡は三角縁神獣鏡や魏鏡と違った銅が使われている
という測定結果が出ている

248:日本@名無史さん
20/09/29 23:39:35.63 .net
>>225
>三角縁神獣鏡は魏の年号が彫ってあって
 
三角縁や神獣鏡は呉系の鏡であり、
列島の三角縁や神獣鏡には、
「海東」鏡や呉年号鏡のような呉付近の鏡師の渡来を示す鏡もあり、
△には、陳氏のように「吏人や母人」も伴った鏡もあり、
△は洛陽からは0~1枚しか出土せず、楽浪から幾つも出土しており、
列島の500枚以上の△は、
(魏の楽浪帯方攻撃戦争から避難渡来して来た)呉系楽浪鏡師らの、
関与に拠って造られた鏡であった事になる。
>素材の銅も魏鏡と同じものが使われている事が判明していて
素材の銅の成分が近似していても、
それは材料銅に同じ地域の銅が混在していた、というだけの事であり、
渡来の呉系楽浪鏡師らの手持ちの銅材料や、列島の銅剣銅矛銅鐸銅鏡などの材料銅が、
同じような材料銅であった事を示す、というだけ。
>当時魏の領域だった地域からも出土してるから魏鏡で確定してるよ
洛陽から0~1枚の出土では、列島の500枚以上の△の説明が全く出来ず、
その事を伏せて隠しているこの男は、×人間。

249:日本@名無史さん
20/09/29 23:48:46.88 .net
>>231
>列島の500枚以上の△の説明が全く出来ず
ひとの説明聞いてないだけじゃん

250:日本@名無史さん
20/09/29 23:51:45.05 .net
>>229
>倭王讃は、九州倭國の王であるから、「私の考え」とかが×。
こういう「俺が正しいから、お前は間違ってる」式の思考してる限り
九州説は永遠に学問になれない

251:日本@名無史さん
20/09/29 23:51:46.30 .net
>>230
>国内で作られた鏡は三角縁神獣鏡や魏鏡と違った銅が使われている
という測定結果が出ている
違うな。
国内の鏡の大多数が△なのであり、だから、この男らが、
「国内で作られた鏡」から、大多数の△を省く、
というインチキをしている。

252:日本@名無史さん
20/09/29 23:52:58.97 .net
>>234
そんな証拠は無いから、インチキはあんた

253:日本@名無史さん
20/09/29 23:55:14.16 .net
>>210
>宗には、宗教だの祭事なんて意味はないじゃないのかい
宗女という語彙はないと考え、それで周代の宗伯、宗官は祭事などを行う職務だったことから、宗女は祭事を行う女のことだろうとしたが、
宗女の語彙が史記にみられ、その意味は君主の一族の娘であることが分かっことから、宗女=祭事を行う女という解釈は誤っていたことになった。
>卑弥呼やトヨたんて、木の又とか、石からうまれたのか?
人間は女の又から生まれるのは古今東西同じであるが、その生まれた人間が所属する集団に対する認識はいろんな形がある。
血縁による所属意識よりも部族集団への帰属意識の高い場合もあれば、特定の血縁祖先から続く血縁集団への帰属意識が強いケースもあり、
さらにまた親と子の血縁関係にのみ帰属意識を持つ場合もあるなどというのが歴史的な諸層のひとコマだろう。
で、考古学による3世紀頃についての知見からすると、日本ではこの時代にはまだ特定の血縁祖先から続く血縁集団である氏族が社会の単位集団となる社会形態は存在していなかったと考えられているようだ。
なので、卑弥呼を出した特定の氏族というものはなく、卑弥呼を出した部族が存在するのみだったと考えるわけ。

254:日本@名無史さん
20/09/29 23:55:14.21 .net
>>228

同じ型で国産の三角と一緒に作られていました

「国産の三角」説が否定された

255:uz
20/09/30 00:00:11.31 .net
>>227 > 金印の委奴國≠奴國だから//
  委の奴の国=倭の奴の国=奴国、だよ。
志賀の島から出た金印は、邪馬台国の時代には既に埋没史料となっていた。
にもかかわらず、倭奴国が金印を受けたと史料に記載され、
江戸時代に日の目を見た金印が、委奴国と刻印されてるんだからさ、
委=倭なのであり、委奴国なんてものを妄想する事は出来んだろ。
> 范曄は、後漢代の記録を見る事が出来たから//
  書庫の棚卸だね。ブ~だよ、普通にな。
范曄が見たのは、同時代人から見せられたのは、別のものだ。
> 魏志には「倭國亂」と書かれているのであり、
「倭国大乱」など存在もしなかった//
  結果、卑弥呼が立って収束した乱なんだから、同じ乱だよアホ。
> 范曄の「自己解釈に拠る書き換え」である可能性が高く、
「桓霊の間」も、范曄の「自己解釈に拠る記載」である可能性が高い//
  嘘松、大風呂敷も普通にブ~だアホウ。

256:uz
20/09/30 00:02:09.23 .net
>>229 > 九州倭國の王であるから//
  そんなモノは無い。別種ってのは、同国別種だ。
むろん、俀だの靡なんて国が、ある訳ないだろ、>>124 後段記載の通りだ、エテ公。
序に云えば、アメタリシヒコ=メタリシヒコだよ、当たり前だがな。
隋書には、姓阿毎 字多利思北孤、なんて書いてあるが、中国では一字姓が一般的だ。
だから新唐書では、姓は阿で、字は目多利思比孤だね、なんて戯言書いたんだよ。
一種の、弁慶なぎなた読みだ。毎を目で、北を比で置き換えたのも、
これは戯言ですよと、ことわってるんだよ。
オ〆はな、戯言に踊るノータリンでしかない。

257:日本@名無史さん
20/09/30 00:05:46.62 .net
>>231
楽浪も三角縁神獣鏡の作られた頃の景初三年には魏の領地
楽浪から数枚三角縁神獣鏡が見つかっているというのなら
それは魏で見つかったのと同じ
三角縁神獣鏡と魏鏡の銅に含まれる不純物の数値は全く同じ
国内で作られた鏡はそれとは違った数値が出た
つまり三角縁神獣鏡と魏鏡は同じ銅が使われていて
国内で作られた鏡はそれらとは違う銅で作られていると判明した
三角縁神獣鏡は洛陽からも見つかっているし
魏の領地だった帯方からも出土している

258:日本@名無史さん
20/09/30 00:06:49.12 .net
>>234
中国のとくに北方系の鏡は
斜縁神獣鏡など縁が三角になっているのが特徴

259:日本@名無史さん
20/09/30 00:21:10.97 .net
>>236
社会の諸層の話ではなくて、女王卑弥呼の後の男王に國中不服状態の時に
どういう理由で13歳の女子を擁立するのかということ

260:日本@名無史さん
20/09/30 00:29:01.03 .net
>>221
兄弟という意識はいつの時代でもあるものだが、卑弥呼の時代にはその意識が部族員意識を超えるものであったという保証はないね。
つまり、部族の利害を捨ててまで血縁の利害を優先させる社会構造であったかどうかというわけ。
血縁集団が社会の単位となっていた氏族社会は、血縁集団の利益を最大限に求めるものであって、こういう社会では兄弟の絆、親子の絆、血縁一族の絆が最大の価値を持つことになる。
中国の宗族社会はこうした血族意識が極端に嵩じた社会といえるだろう。
もちろん、血族社会でも、兄弟、親子、親戚などのせめぎ合いはあるが、いずれどちらかがその血族から排除されて消えて行くことになるのではないか。
そのような血縁意識は、卑弥呼の時代にはまだ存在しなかったと思うね。

261:日本@名無史さん
20/09/30 00:45:55.54 .net
>>243
その部族の中のどういう素性のお嬢ちゃんが選ばれたの?

262:日本@名無史さん
20/09/30 00:50:16.20 .net
>>206
姓というものは、自分が所属する血族と他の血族を区別するために設ける表象の一つだとみなすことができる。
そこで、血縁で構成する集団がない以上、区別のための姓を設ける必要がないことになるから、
倭人伝のように登場人物には姓に当たるような呼称が見当たらないことになる。
この点からみても、3世紀はまだ部族社会であったとみなすのがいいように思う。

263:日本@名無史さん
20/09/30 00:55:12.59 .net
壱輿は卑弥呼系教団で五斗米道、山泰。狗奴国は太平系で河内。

264:日本@名無史さん
20/09/30 00:57:13.09 .net
>>246
シオタクン!?

265:コテ略
20/09/30 00:57:16.23 .net
>>227 > 范曄は、後漢代の記録を見る事が出来たから//
  それはさ、全然答えになってないだろ。
より時代の近い陳寿だって、後漢代の記録を見る事が出来るだろうに、
何で奴国への金印紫綬の話を書いてないのかね。
更には、1世紀の段階でも、委奴国と倭奴国が併存してたのかね。
どっちが九州王朝国なんだよ。
陳寿は後漢滅亡後の233年生まれではあるが、後漢最後の皇帝である献帝は、
山海公として234年まで存命なんだし、朕の称号を許されていた山海公家は、
東晋時代の309年まで健在なんだ。
范曄なんかより、余程に後漢代の記録を見る事出来ただろうに。
5世紀の范曄はね、同時代人から確たる証拠を見せられて、
後漢書に金印紫綬の記録を書いたんだよ。
むろん陳寿は、それを見る事が出来なかったから、金印紫綬の記録を書けなかった。
>>229 >「私の考え」とかが×//
  「私の考え」に矛盾でもあるってならサッサと書けよ。
> 応神仁徳履中は、一応半分偽書の記紀の大和の王名であり//
  偽書ってどういう意味で云ってるのかね。
記紀は8世紀に書かれた真本だろが。
名前が後世的だなんてのは、その人物の存在否定の根拠になぞならんだろ。
死んでから名前の付いた孝明天皇以前の天皇は、存在が否定されるのかね。

266:日本@名無史さん
20/09/30 01:03:26.37 .net
>>240
景初三年の刻印は、日本国内にて書かれたとするのが出雲王家本の人の見解。
実は、神獣鏡を作ったとされる武内宿禰は、特別な血筋で、物部も乗っ取ろうとしたくらいの日本の権威、出雲王家第8代、神門臣家の八千矛に繋がる血筋。
更に、天香山に繋がる血筋。
つまりは、初代神武の父親に繋がる家系で、初代神武の血筋、出雲の血筋、物部(徐福)の血筋が全て入った名門中の名門。
彼が後の蘇我家、石川家、神功皇后の後の平群王朝に繋がった。
記紀で藤原不比等が一番隠したかったのが、自分の父親が日本の名門である蘇我氏を討ち取った事と言われてる。
現在の皇室は蘇我氏出身の継体天皇の子供、欽明天皇から女系でぎりぎりつながる蘇我王朝。
武内宿禰に話を戻す。
毛並みの良さを自認してた武内宿禰は、自分らより位が高くならないように、物部イニエと、豊田姫に嫌がらせを受けて、それがきっかけで第二次物部東征の際に豊国と物部の連合軍を裏切り大和側に鞍替えする事になる。
魏書に出てくる、たけしうえつと読める当て字が武内宿禰。
魏に直接乗り込んで朝貢したのに自分より毛並みの良くない物部イニエですら中将の位を得たわけだから、彼の屈辱の程は推して測るべきだったんだよね。
だから大陸から鏡職人ごと日本に連れて帰り、自分の鏡を作った。それが三角縁神獣鏡。
タイムリーなことに、最近のヤフーの記事で、大陸から鋳型を持ってきた根拠になる記事が出たよね。
大陸のある鏡と、神獣鏡のひび割れが一致したとね。

267:日本@名無史さん
20/09/30 01:06:35.48 .net
>>24


268:4 想像だけど、部族には独自のシャーマン集団があり、次世代のシャーマンを育成していたと思う。 縄文晩期から弥生時代にみられるゴホウラ貝腕輪はこうしたシャーマンの呪具であったと考えられているが、 大人の男女はもちろん、子供でもこの貝腕輪をしているケースがあるようだ。 こうした子供は小さいころからシャーマンとしての修行が行われたのではないか。 そこで、そうした子供シャーマンの中に霊能的に優秀である子供がみつかると、 部族の将来の大シャーマンとするためにさらに必要な特訓が行われただろう。 卑弥呼や台与はそうした一部族の優秀な霊能シャーマンとして育てられ、その部族の大シャーマンが死ぬと次の大シャーマンに擁立される存在だったのではないか。 それが倭国乱の結果、北部九州部族連合の大シャーマンとしてその地位に擁立されたということではないか。 つまり、卑弥呼は明らかに山門の部族のシャーマン見習いをしていた優秀な霊能少女だったのだろう。 台与がどの部族のシャーマン見習いだったかははっきりしないね。



269:日本@名無史さん
20/09/30 01:09:20.68 .net
>>250
ははがたは豊国の月読を封じるウサ族、父方は、二度目の来日で和名をニギハヤヒと名乗った徐福。
物部イニエは九州物部氏で、山幸彦そのもの。
だから龍宮の音姫に否定される豊玉姫を妻としてた。

270:日本@名無史さん
20/09/30 01:09:50.80 .net
>>251
シオタクン!?

271:日本@名無史さん
20/09/30 01:12:07.91 .net
>>252
いいえ違いますよ

272:日本@名無史さん
20/09/30 01:13:06.74 .net
>>250
また山門の信号機かw

273:コテ略
20/09/30 01:14:56.13 .net
>>243 > 兄弟という意識はいつの時代でもあるものだが、
卑弥呼の時代にはその意識が部族員意識を超えるものであったという保証はないね//
  弟がいたと外人が書いてるだろ。
部外者である外人さんは、血縁意識のない社会構成員の二人の姉弟関係を、
どうやって把握したと云うのかね。オ〆のハナシは箸にも棒にも掛からんのだよ。
>>245 > 倭人伝のように登場人物には姓に当たるような呼称が見当たらないことになる//
  で、血縁家族という意識が無かったって云うのかね。
有屋室、父母兄弟臥息異處。
寝る場所別でも、同じ家に住んでるらしいぞ。
喪主哭泣、他人就歌舞飲酒。已葬、擧家詣水中澡浴
他人は大騒ぎでも家族は泣いて、葬式済んだら一家総出で沐浴してるよな。
大人皆四五婦、下戸或二三婦。婦人不淫、不妒忌。不盗竊、少諍訟。其犯法、輕者没其妻子
多かれ少なかれ嫁がおって、没収される子供までいるよ。

274:日本@名無史さん
20/09/30 01:20:19.32 .net
物部の系統は神道との関係が強く、筑紫舞の、秘奥義、源流翁に繋がるとも目される家系。
筑紫舞は、戦禍を避けるためもあったが、播磨の国の西山村光寿斎に、長崎の菊邑検校を通じて伝承されるという異例の経緯をもっている。
翁舞は最大13人立ちまであったとされ、出雲翁も登場するが、決して都の翁の都の位置と、蘇我舞は決して教えなかったそう。

275:日本@名無史さん
20/09/30 01:25:15.95 .net
>>249
神獣鏡は中国でよく見つかる鏡で
当時日本で使われてなかった漢字や年号が彫られてるよ
そして三角縁神獣鏡は銅に含まれる不純物が魏の鏡と同じで
国内の鏡は違う
よって古代中国の魏で作られたものと結論づけられている
具体的には彫ってある年号の通り景初三年の239年に魏で作られた鏡と結論が出ている

276:日本@名無史さん
20/09/30 01:28:45.98 .net
>>257

だからそれは、魏に朝貢しながら無役に終わった武内宿禰が後で刻んだ物で全ての神獣鏡に刻印されているわけではない

277:日本@名無史さん
20/09/30 01:31:47.86 .net
>>257
中国ではほとんど見つかってないよな?
平気で嘘をつくのはやめろ。
最近の日経の記事で、三角縁神獣鏡と同じ工人が作った可能性が高いと発表があったばかり。
中国で二枚の神獣鏡が見つかっただけで大騒ぎだったのに適当なことを言うなや

278:日本@名無史さん
20/09/30 01:34:59.56 .net
>>258
ちなみに三角縁神獣鏡の年号や漢字は半肉彫りといって
鏡の鋳型に彫るものだから
鏡そのものに入ってる漢字や年号は彫ってあるというよりは逆に浮き出てる

279:日本@名無史さん
20/09/30 01:36:24.69 .net
>>259
洛陽と帯方郡に相当する地域から三角縁神獣鏡は見つかってるよ
どちらも当時魏の領域

280:日本@名無史さん
20/09/30 01:40:02.42 .net
>>261

だからそれは2015年のアカヒ新聞の記事のことだろ。
中国では一切出てこなかった三角縁神獣鏡が突然二枚も出てきて大騒ぎになった事件。
最近、日経の記事で、特徴的なひび割れが一致したと言う記事が出た。
お前、本気で異常だな。それ以外の出土例が確認されるまですっこんだろ、大嘘つきが

281:日本@名無史さん
20/09/30 01:45:32.97 .net
洛陽付近から出土した鏡の正式名称が、試論洛陽発見的三角縁神獣鏡。
中心部は似ているが形が違うだろ

282:日本@名無史さん
20/09/30 01:47:30.44 .net
>>253
いいえそうですよ

283:日本@名無史さん
20/09/30 01:48:38.59 .net
>>264
じゃあシオタクンでいいです。クスン。

284:日本@名無史さん
20/09/30 01:51:34.70 .net
>>262
魏の領地だった帯方郡から三角縁二神二獣鏡や三角縁四神二獣鏡が何面か見つかってるよ

285:日本@名無史さん
20/09/30 01:59:19.57 .net
>>263
それ所有者の論文のタイトル

286:日本@名無史さん
20/09/30 02:00:18.96 .net
>>266

中国社会科学学院考古学研究所の王仲殊氏は、三角縁神獣鏡は、魏王朝からもたらされた物ではなく、当時日本に渡来した呉の工人によって、日本で製作された物であると言ってるね。
故に、役に終わった武内宿禰が自分の顕彰のために、工人と職人を連れて帰ったとする出雲の旧家の伝承と符合する。
そもそも日本国内で発見された数が、卑弥呼やったとする100枚を超えてる時点で少しは考えたら?

287:日本@名無史さん
20/09/30 02:03:18.52 .net
>>268
三角縁神獣鏡は呉では1面も見つかってないね
魏では何枚か見つかっている
魏志倭人伝によれば卑弥呼や臺與は
4回ぐらい魏に使いを送っていて
さらに三角縁神獣鏡は後年に国内でよく複製品が作られた

288:日本@名無史さん
20/09/30 02:06:01.63 .net
>>269
ソースを出せ。
2015年までは中国人ですら一枚も出てないと言ってた鏡だぞ?

289:日本@名無史さん
20/09/30 02:07:54.46 .net
>>270
中国人の言う事を信じる?

290:日本@名無史さん
20/09/30 02:13:34.59 .net
呉人が日本に来たとされる根拠に、三国志呉書の、黄竜二年の条
この年は、卑弥呼が魏に朝貢する8年前にあたる。
そこに出てる夷州は九州に比定されている
その直後に突然不自然な形で徐福の渡来のあの有名な記述が出るんだよね。
長老伝えて曰く、始皇帝は~
大陸側は、物部氏の祖が誰であるか、仮説を持ってた可能性が高い。

291:日本@名無史さん
20/09/30 02:20:25.24 .net
>>271
お前よりはよほど信頼におけるわ。
大陸側の優位性を示したいのなら、喜んで鏡が出たと言うだろ。
それをわざわざ出てませんなんて言う必要はない。

292:longinus_bouz
20/09/30 02:26:38.23 .net
>>259
>(三角縁神獣鏡)中国ではほとんど見つかってないよな?//
  日本向け専用だったから、でエエと思うんだがね。
中国の古代鏡って、作られた内の、一体どれくらいが残っているのか。
殆ど残っていなくて、僅かなものだけが、副葬されたり、
突発的に埋まったりして、今日発掘されているだけじゃないのか?
大部分の鏡は最後には潰されて、より実用的なものに再利用されたんじゃないのかな。
三角縁神獣鏡は日本向けに輸出された、下賜品として。
日本では好評だったので、追加注文もされた。
で、下賜品は100枚だったが、それ以上の鏡が日本に輸出販売された。
100枚しかないのだったら、製造元に発注するのは当然でしょう。
邪馬台国に土下座するのも業腹だ。
だが、かなり特殊だった鏡(魔鏡)は、中国では不評だった。
子供だましみたいな感じもするしね。
追加注文なんかされたら、大喜びで在庫処分がなされた。
結果として中国では、僅かな残り物は潰されて再利用され、残らなかった。
日本では舶来モノとして、100年くらいは珍重されて、
最後は副葬品として利用された(まぁ、実用品から装飾品への転換だが)。
結果として三角縁神獣鏡は、中国でも珍重されて副葬なんかされた高級鏡と違って、
大部分の汎用鏡と同様に、後世には残らなかった、という事ではなかろうか。
魔鏡というのは、特殊な造作が必要みたいだ。
(続く)

293:longinus_bouz
20/09/30 02:29:06.50 .net
>>274 の続き
魔鏡というのは、特殊な造作が必要みたいだ。
模様が深く彫られて薄くなった部分の作用で、偏向した反射がなされるみたいだね。
これって、鏡本来の、歪みのない鏡像を映すという機能が損なわれると思う。
それで中国では不評だったんじゃないかな。
模様にあまり類例がないというのは、魔境として特殊な模様・彫りが必要だったから。
三角形の縁になったのは、彫りが深い分薄くなってる部分を維持して、
表面の不必要な歪みを押さえるためだったのではないかな。
>>268 > 100枚を超えてる時点で少しは考えたら?//
  てな事を、270番投稿と併せて考えましたけどね。

294:日本@名無史さん
20/09/30 02:44:30.80 .net
>>255
>どうやって把握したと云うのかね。
アホちゃう?
生まれて成人するまで親元で育てられるんだから、兄弟であることはちゃんとわかってるのよ。
倭人伝に弟であると書いてあるのは、そうした事実を伝えているもの。
しかし、そうした血縁意識よりも、部族社会では部族員であることの意識のほうが高いというとるのよ。
その姉弟がその親、親の兄弟などを含めた血縁一族総勢で倭国を支配していたと読める部分が、倭人伝のどこかにみられるというのかい?
>血縁家族という意識がなかったっていうのかね。
子供は成人すると親元を離れ、若い者らで集団生活して、部族の構成要員となったと思うよ。
その時点で血縁の価値は、部族集団員としての意識の下部構造に置かれることになるのだろう。
そして、その若者が結婚して子供ができても、核家族意識はなく、部族総員の中の一員だという意識が保持されるのだろうな。
今のような核家族の意識や氏族集団の意識で部族社会をみてはいけないよ。
親からすれば、子供は部族全体の子という意識だろうな。
そして、親はその部族全体の一員としての意識を持っているのだろうよ。

295:日本@名無史さん
20/09/30 02:57:16.93 .net
>>274
そもそも、魏ではすでに道教は禁止されてたし、武内宿禰がなぜ日本国内で神獣鏡を作らせたかと言うと、鞍替えした大和側、磯城王朝のために作られた物。
魏の朝貢とは全く関係がない

296:日本@名無史さん
20/09/30 03:00:53.07 .net
>>275
追加注文だってwww
だったら全く同じ鏡が出なければならんだろ
売り切れ御免の大盛況で、だから大陸側には残らなかったとか言うつもりか?ww

297:日本@名無史さん
20/09/30 03:02:36.23 .net
徐福ってどこにでもいるんだな😊

298:日本@名無史さん
20/09/30 03:03:51.05 .net
273
道教あったのか?

299:日本@名無史さん
20/09/30 03:05:59.88 .net
>>279
物部氏の拠点には、天孫降臨と徐福伝説のどちらかの話が伝わってる。
山幸彦、海幸彦の両方に伝わる。
位山という地名も同じ。乗鞍は昔は位山と呼ばれた時期があり、今でも麓に位ヶ原の地名が残る。
フルの地名も同義

300:日本@名無史さん
20/09/30 03:08:02.35 .net
三角縁神獣鏡にはもう一つ刻印のバージョンがあり、景初四年の物がある。
何と景初年代は3年で終わり。
魏に追加注文して四年などあり得んわ

301:日本@名無史さん
20/09/30 03:35:06.58 .net
三角縁神獣鏡には更にレアなものがあり、刻印は(銅出徐州 師出洛陽)。3号鏡と言われている。
直訳すれば、徐州の銅を使って洛陽出身の工人が作ったとなる。
これを持って邪馬台国論と、大陸製造を結びつける話が出たが、肝心の大陸の鏡で同様の刻印があるものは、方格規矩鏡一枚しかない。
当時の魏では銅は産出しておらず、結局辻褄が合わなくなり、東晋国時代に日本に渡来した呉の鏡職人が作った作品という説が既に一般的。
神獣鏡は、すでに600枚を超える枚数が出土しており、半数が機内出土。
あとは第二次物部東征のルートが殆ど。
畿内以外では福岡県のみ突出している程度

302:日本@名無史さん
20/09/30 04:01:54.07 .net
>>255
>同じ家に住んでるらしいぞ。
竪穴式の住居があり、両親とその子等がその建物に住んでるということだ。
一つ屋根の下に親と子供が住んでいてあたりまえ。
ただし、核家族だとは書いてないぞ。その爺さん婆さんは近くの別の竪穴の家に住んでて、毎日行き来してるかも知れんじゃないか。
そしてそこの爺さんが死んだら、子らは悲しみ、部族の者らが飲み食いして騒ぐのは今の忌明けと同じ。
祖先帰りの時期になれば部族総出で盆踊りもしただろう。
弥生時代だから犯罪者もいて、刑罰も掟として部族にはあったということよ。
そして、大きい部族は全員が環濠内で暮らし、小さい部族では環濠なしの集落をつくって一緒に住んだ。
墓も大小あったものの、全員が一つの共同墓域に埋葬された。
田んぼづくりもイノシシ狩りも部族総出の仕事だろうな。
収穫したものは部族の共同財産であり、また総出の祭りで祝ったはず。
要するに、支配する者、その下で管理する者、そして管理される者らがそれぞれ別々の血族であり、財産も墓域も別といった氏族の社会構造ではなかったということなのよ。
そのような氏族構造の社会が現われて来るのは5世紀頃からというわけだな。

303:日本@名無史さん
20/09/30 05:19:40.19 .net
>>230
>国内で作られた鏡は三角縁神獣鏡や魏鏡と違った銅が使われている という測定結果が出ている
根本的に、この男は、
この計測をした大和説学者らが、
何鏡であるのか?や、どこの出土であるのか?や、何時頃の鏡であるのか?や、それらの根拠や、
魏鏡とか、国内で作られた鏡とか、三角縁神獣鏡とか判定した根拠などをはっきりさせていないし、
また、魏鏡であれ、楽浪鏡であれ、呉鏡であれ、
徐州銅や揚子江北岸付近の銅山の銅を使用している可能性が高く、
また、列島の古い銅剣銅矛銅鐸銅鏡などの材料銅の産地の検討をする事も明らかにせず、
検査対象鏡の選択時点で、「結論先にありき」のインチキをしていた、という可能性が高い。

304:日本@名無史さん
20/09/30 05:23:37.94 .net
>>233
>>倭王讃は、九州倭國の王であるから、「私の考え」とかが×。
>こういう「俺が正しいから、お前は間違ってる」式の思考してる限り
九州説は永遠に学問になれない
こういう「大和説が正しいから、お前は間違ってる」式の、
「結論先にありきの思想宗教的思考」をしてる限り
大和説は永遠に学問になれない

305:日本@名無史さん
20/09/30 05:50:20.37 .net
>>238
>金印の委奴國≠奴國だから
  
>委の奴の国=倭の奴の国=奴国、だよ。
志賀の島から出た金印は、邪馬台国の時代には既に埋没史料となっていた。
にもかかわらず、倭奴国が金印を受けたと史料に記載され、
江戸時代に日の目を見た金印が、委奴国と刻印されてるんだからさ、
委=倭なのであり、委奴国なんてものを妄想する事は出来んだろ。
ダメだ。
松野氏姫氏系図には、姫氏の一部が「委奴」の地に移った、というような記載があり、
「委奴」と同じ音韻と思われる「怡土」や「伊都」の地名呼称があるから、
「委奴國≠倭奴國」であり「委奴國≠奴國」だ。
>> 范曄は、後漢代の記録を見る事が出来たから
  
>書庫の棚卸だね。ブ~だよ、普通にな。范曄が見たのは、同時代人から見せられたのは、別のものだ。
范曄の後漢書は、「自己解釈に拠る前史や魏志の記載の書き換え」になっている記載が多く、
史料批判無しには、信頼性も確率も低い。
>魏志には「倭國亂」と書かれているのであり、「倭国大乱」など存在もしなかった
>結果、卑弥呼が立って収束した乱なんだから、同じ乱だよアホ。
范曄は、魏志の「倭國亂」を「倭國大亂」と書き換えた事になるんだし、
「桓霊の間」も、魏志には書かれていないから、
范曄の「自己解釈に拠る記載」である可能性が高い。
 

306:日本@名無史さん
20/09/30 05:57:30.26 .net
>>239
>隋書には、姓阿毎 字多利思北孤、なんて書いてあるが、中国では一字姓が一般的だ。
だから新唐書では、姓は阿で、字は目多利思比孤だね、なんて戯言書いたんだよ。
一種の、弁慶なぎなた読みだ。毎を目で、北を比で置き換えたのも、
これは戯言ですよと、ことわってるんだよ。
オ〆はな、戯言に踊るノータリンでしかない。
ダメだ。
新唐書日本伝の始めの説明で「其王姓阿每氏」とし、
「阿毎」で姓になっている、とはっきり書かれている。

307:日本@名無史さん
20/09/30 06:36:50.72 .net
規制すんなよ、徐福は絵空事、来てれば度量衡が残るし技術者が中国の痕跡を残す。あり得ない

308:日本@名無史さん
20/09/30 06:44:19.30 .net
江戸時代の国学者は邪馬台国が大和である事、また帥升がスサノオであることも知っていた。
なぜわかったか。
帥升がスサノオであればその約100年後(約5世代後)にヒミコがいるからである。
夫の神武に先立たれたその姿は「年すでに長大、夫婿なし」であり、
「唯有男子一人、給飲食、傳辭出入」の記述が、
のちに結婚するタギシミミだと分るからである。
しかしその事実はとても公表できるものではなかった。
日本の歴史がAD107年の中華皇帝への土下座から始まるからである。
世界のどこに外国王への土下座から始まる国史があろうか。
残念ながらわが日本はそうだったのである。
だから新井白石はわざと邪馬台国は九州だと言って「論争」を創作した。
九州説とは所詮その程度の根無し草(デラシネ)なのである。

309:日本@名無史さん
20/09/30 06:46:50.17 .net
>>285


310: >この計測をした大和説学者らが、 >何鏡であるのか?や、どこの出土であるのか?や、何時頃の鏡であるのか?や、それらの根拠や、 >魏鏡とか、国内で作られた鏡とか、三角縁神獣鏡とか判定した根拠などをはっきりさせていないし、 「はっきりさせてない」って証拠は? あんたが頑として知ろうとしないだけじゃないの?



311:日本@名無史さん
20/09/30 06:57:05.26 .net
    事代主
     ┣━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)媛━神武
     ┣━━━━┓
    建飯勝    渟名底仲媛━ 安寧
     ┃           ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津媛━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主            孝昭
     ┃             ┃
    阿田賀田須       天足彦国押人命
                  ┃
                和邇日子押人命

この私が示す系図ではトヨ津媛の3世代前に 比咩后(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、ヒメ后=卑弥呼(Bei mei hu)がいる。
そしてそのトヨ津媛の1世代前に建甕尻ことタケミカツチがいる。
手前味噌ですが卑弥呼→男王→トヨをこれほど明確に示してる系図はないと思ってます。
もちろん私が勝手に創作したものではなく、富士山本宮浅間大社・和邇氏系図と日本書紀と先代旧事本紀・地祇本紀を合成したものです。
なにより国宝中平銘鉄刀の和邇氏と卑弥呼がつながっていることが分る。

312:日本@名無史さん
20/09/30 07:01:31.33 .net
「邪馬臺国」の「卑彌呼」とは、「天照大御神=大宜都比売(阿波の神)」
「有男弟佐治國」の「男弟」とは、「月読尊」
「狗邪國男王」の「卑彌弓呼」とは、「須佐之男命」の3兄弟。  
「卑彌呼宗女」の「壹與」とは、神武天皇の祖母(または母)にあたる「豊玉比売命」
これが魏志倭人伝と記紀との整合性。   @阿波

313:日本@名無史さん
20/09/30 07:46:21.81 .net
>>240
>楽浪も三角縁神獣鏡の作られた頃の景初三年には魏の領地
魏の楽浪帯方攻撃戦争は、景初二年6月以前であり、それまでは公孫氏の支配下。
列島の景初三年鏡は、その戦争から避難流浪して列島へやって来た渡来の呉系楽浪鏡師らの製作鏡。
>楽浪から数枚三角縁神獣鏡が見つかっているというのならそれは魏で見つかったのと同じ
実質、(魏に敵対して呉と友好的であった)公孫氏時代の鏡。
>三角縁神獣鏡と魏鏡の銅に含まれる不純物の数値は全く同じ
銅に含まれる不純物的な微量元素の比率の類似であっただけであり、
材料銅が近縁であった、というだけ。
勿論、魏鏡という選定も怪しかったし、△は始めから列島の鏡であったもの。
>国内で作られた鏡はそれとは違った数値が出た
つまり三角縁神獣鏡と魏鏡は同じ銅が使われていて
国内で作られた鏡はそれらとは違う銅で作られていると判明した
これがインチキ。△は、国内で造られた鏡。
>三角縁神獣鏡は洛陽からも見つかっているし
0~1枚では、列島の500枚以上の△の根拠にならない。
>魏の領地だった帯方からも出土している
帯方は、呉系の神獣鏡も三角縁も△も出土しており、列島の500枚以上の△の発現した地。
渡来の呉系楽浪鏡師らが△技術を列島に持ち込んで、その製作に関与した。

314:日本@名無史さん
20/09/30 07:51:24.39 .net
>>241
>中国のとくに北方系の鏡は
斜縁神獣鏡など縁が三角になっているのが特徴
ダメだ。斜縁は、華中や揚子江流域から華南が中心であり、華北は少なく、
「北方系の鏡」とは言えない。

315:日本@名無史さん
20/09/30 08:02:11.61 .net
>>265
ちゅちょちぇ~?👶

316:日本@名無史さん
20/09/30 08:21:32.95 .net
>>245
>倭人伝のように登場人物には姓に当たるような呼称が見当たらないことになる。
それほどでもない。
「難」氏は、中国の河南省や元馬韓や百済の地付近に本貫の地があったそうであり、
近年、両者の合同の「祖先の供養」があったらしいし、
「卑」という苗字は、中国にもあるようであり、
また「姫(キ)」氏は、「紀」や「木」や「貴」などの文字も使われて残っていたらしいし、
「阿毎(天や海のアマ+イ)」氏も、
「イ=伊、壹、委、冶、倭、五、糸、井」などの文字が使われた氏族であったらしい。

317:日本@名無史さん
20/09/30 08:23:50.67 .net
>>246
>狗奴国は太平系で河内
「南≠東」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などの史料実態に拠って、×。

318:日本@名無史さん
20/09/30 08:35:06.01 .net
>>293
>「卑彌呼宗女」の「壹與」とは、神武天皇の祖母(または母)にあたる「豊玉比売命」
ならば邪馬台国宮崎説じゃないかw
いつ宗旨変えしたんだい?w

319:日本@名無史さん
20/09/30 08:40:22.65 .net
>>245
>血縁で構成する集団がない以上、区別のための姓を設ける必要がないことになるから、
倭人伝のように登場人物には姓に当たるような呼称が見当たらないことになる
卑弥呼を生んだその王族、彼らは同じ血縁の支配階級であるため、
自分たちで姓を名乗ることはなかったと思う。
しかし平民からは何と呼ばれていたか。
「王族」ではない。
「神」や「神々」だ。
後に鴨氏となる。

320:日本@名無史さん
20/09/30 08:43:46.60 .net
>>248
>より時代の近い陳寿だって、後漢代の記録を見る事が出来るだろうに、
何で奴国への金印紫綬の話を書いてないのかね。
魏代には後漢代の「委奴國」の呼称が無くなっていたから。
おそらく、伊都國と奴國と邪馬壹國などに分裂していた。
>更には、1世紀の段階でも、委奴国と倭奴国が併存してたのかね。どっちが九州王朝国なんだよ。
当然、同時代の金印の記載の「委奴國」の方が、後代の後漢書の記載よりも信頼出来る。
>陳寿は後漢滅亡後の233年生まれではあるが、後漢最後の皇帝である献帝は、
山海公として234年まで存命なんだし、朕の称号を許されていた山海公家は、
東晋時代の309年まで健在なんだ。范曄なんかより、余程に後漢代の記録を見る事出来ただろうに。
情報提供、有難う。しかし、陳寿は魏志を書いたのであり、後漢書を書いたのではない。
>5世紀の范曄はね、同時代人から確たる証拠を見せられて、後漢書に金印紫綬の記録を書いたんだよ。むろん陳寿は、それを見る事が出来なかったから、金印紫綬の記録を書けなかった。
陳寿は、同時代の魏志や三国志を書いたのであり、後漢書を書いたのではない。
おかしな書き方をしたのは、「後代の自己解釈に拠る書き換え」の多い范暢。
>> 応神仁徳履中は、一応半分偽書の記紀の大和の王名であり
  
>偽書ってどういう意味で云ってるのかね。記紀は8世紀に書かれた真本だろが。
名前が後世的だなんてのは、その人物の存在否定の根拠になぞならんだろ。
死んでから名前の付いた孝明天皇以前の天皇は、存在が否定されるのかね。
倭國の別種分家の旧小国の附庸國であった大和日本國の記紀が、
倭國の存在や歴史を隠蔽盗用造作しているから、半分偽書。

321:日本@名無史さん
20/09/30 08:45:17.28 .net
>>276
それは縄文時代の集落

322:日本@名無史さん
20/09/30 09:00:56.14 .net
>>256
>筑紫舞は、戦禍を避けるためもあったが、播磨の国の西山村光寿斎に、長崎の菊邑検校を通じて伝承されるという異例の経緯をもっている。
翁舞は最大13人立ちまであったとされ、出雲翁も登場するが、決して都の翁の都の位置と、蘇我舞は決して教えなかったそう。
ふーん。

323:日本@名無史さん
20/09/30 09:07:04.83 .net
若狭湾に漂着した半島人によって近畿や東日本で独自に発展した文化がのちの古墳時代である。
乾燥耳垢は半島系
URLリンク(i.imgur.com)
対馬海峡~北部九州~山陰で発展した文化が弥生時代である。
弥生時代の鉄器出土量=経済共同体
URLリンク(i.imgur.com)
これが科学的事実である。

324:日本@名無史さん
20/09/30 09:13:49.36 .net
>>257
>神獣鏡は中国でよく見つかる鏡で、当時日本で使われてなかった漢字や年号が彫られてるよ
呉付近や揚子江流域でよく見つかる鏡。
>そして三角縁神獣鏡は銅に含まれる不純物が魏の鏡と同じで国内の鏡は違う
よって古代中国の魏で作られたものと結論づけられている
その△は、列島から500枚以上出土の最多の鏡であり、
魏の洛陽から出土は0~1枚であり、魏の鏡ではなく、
楽浪からかなり出土していて、
列島には、陳氏の「吏人」や「母人」を伴って来た、という記銘鏡もあり、
呉年号鏡や「海東浮由」鏡もあるから、
列島の△などは、魏の楽浪帯方攻撃戦争から逃避流浪して来た渡来の呉系楽浪鏡師らの関与鏡。
>具体的には彫ってある年号の通り景初三年の239年に魏で作られた鏡と結論が出ている
列島の景初三年鏡は、陳氏の鏡であり、
景初二年12月に既に明帝の詔書に書かれた「銅鏡百枚」ではない。

325:日本@名無史さん
20/09/30 09:15:36.53 .net
>>259
>最近の日経の記事で、三角縁神獣鏡と同じ工人が作った可能性が高いと発表があったばかり。
ふーん、成程。

326:日本@名無史さん
20/09/30 09:17:24.56 .net
>>299
>ならば邪馬台国宮崎説じゃないかw
宮崎に「豊玉比売命」に纏わる物ってあるの? 
「壹與」とは神武天皇の祖母(または母)にあたる「豊玉比売命」   
出生地はもちろん「阿波」
天孫三代目、彦穂々出見命(=山幸彦)の后・「豊玉比売命」を祀る二社が、全国唯一、阿波国にのみ配祀されている。
豊玉比売命は海神(わだつみのかみ)の娘で、神武天皇の祖母(または母)にあたるが、
当該二社の式内社は、神武天皇の出生地が阿波であることを強く伝えている。
一社は「和多都美豊玉比売神社」で、夫となる天孫彦穂々出見命(=山幸彦)と出逢った和多都美宮の井の上の地(旧井上郷・現徳島県国府町和田)が鎮座地。
もう一社は徳島城城山の東斜面に鎮座する豊玉比売命の葬場「天石門別豊玉比売神社」である。   @阿波

327:日本@名無史さん
20/09/30 09:17:54.60 .net
>>260
>ちなみに三角縁神獣鏡の年号や漢字は半肉彫りといって
鏡の鋳型に彫るものだから
鏡そのものに入ってる漢字や年号は彫ってあるというよりは逆に浮き出てる
ふーん。

328:日本@名無史さん
20/09/30 09:22:21.01 .net
>>261
>洛陽と帯方郡に相当する地域から三角縁神獣鏡は見つかってるよ どちらも当時魏の領域
洛陽からは0~1枚であり、楽浪からも少なく、
いずれにしても、列島の500枚以上の△の根拠にならず、
列島の△は、渡来の呉系楽浪鏡師らの関与鏡。

329:日本@名無史さん
20/09/30 09:25:24.00 .net
>>307
>天孫三代目、彦穂々出見命(=山幸彦)の后・「豊玉比売命」を祀る二社が、全国唯一、阿波国にのみ配祀されている。
後付けwww

330:日本@名無史さん
20/09/30 09:26:29.49 .net
>>268
>中国社会科学学院考古学研究所の王仲殊氏は、三角縁神獣鏡は、魏王朝からもたらされた物ではなく、
当時日本に渡来した呉の工人によって、日本で製作された物であると言ってるね。
故に、役に終わった武内宿禰が自分の顕彰のために、工人と職人を連れて帰ったとする出雲の旧家の伝承と符合する。
そもそも日本国内で発見された数が、卑弥呼やったとする100枚を超えてる時点で少しは考えたら?
ふーん、成程。

331:日本@名無史さん
20/09/30 09:29:03.46 .net
「皇祖に係わる大女王 豊玉比賣命」
御毛沼命(三毛入野命)は鵜草葺不合命の息子で、神武天皇の兄にあたる。
御毛沼命の母:玉依姫神 姨:豊玉姫 父:鵜草葺不合命 弟:神倭伊波礼琵古命(神武天皇)
御祭神を豊玉姫命とする豊玉姫神社(とよたまひめじんじゃ)は、各地に鎮座しているが、
同名の延喜式式内社は全国で唯一、阿波国のみにある。
式内社「豊玉比賣神社」が阿波だけにあることから分かるように、もちろん豊玉比賣は阿波の神である。
他国には、豊玉比賣の名を冠する式内社はないにもかかわらず、
阿波には「和多都美豊玉比賣神社」「天石門別豊玉比賣神社」と、二社もある。
古事記にも、皇祖に係わる大女王として豊玉比賣の物語がはっきり記述されている。   @阿波

332:日本@名無史さん
20/09/30 09:32:13.31 .net
>>310
>後付けwww
仮に百歩譲って後付けとして、なんで式内社二社が「阿波」のみにあるんだい? 
悔しいだろうが、現実を観よ!  わははははは   @阿波

333:日本@名無史さん
20/09/30 09:33:21.43 .net
「伊豆毛(いづも)の国の伯母御の宗女、御年十三ならせます、こくちは壱字とおたしなむ」
延喜式内社です。神代文字も残されており、なんだかすごい神社です??
「イザナギノ命・イザナミノ命が生まれる前に生まれた神(大苫邊尊)を祀る阿波」
延喜式内社で「大苫邊尊」を祀っているのは、全国でただ1社、阿波国の延喜式内社「意富門麻比売神社」(「宅宮神社」)だけ。
祭神の「大苫邊尊(おおとまべのみこと)」は、「古事記」にイザナギノ命・イザナミノ命が生まれる前に生まれた神。
「古事記」の舞台はまさに「阿波」だった凄い事実。   @阿波
URLリンク(sueyasumas.exblog.jp)
URLリンク(engishiki.org)

334:日本@名無史さん
20/09/30 09:35:52.99 .net
>>313
気のせいです

335:日本@名無史さん
20/09/30 09:35:53.69 .net
畿内説や九州説がいくらウダウダ言っても、「阿波」にとっては相手にならない戯言。   @阿波

336:日本@名無史さん
20/09/30 09:39:33.36 .net
>>269
>三角縁神獣鏡は呉では1面も見つかってないね
近年、見つかった、という情報があったが、斜縁と少し紛らわしい、というような話もあった。
いずれにしても、三角と斜縁は近縁。
>魏では何枚か見つかっている
これも、はっきりしていたのは0~1枚であり、残りは斜縁と紛らわしい鏡。
>魏志倭人伝によれば卑弥呼や臺與は、
魏志の記載は「壹與」であるから、×。
>4回ぐらい魏に使いを送っていて
銅鏡の記載があったのは、最初の「梯儁等奉詔書印綬詣倭國」の時だけ。
>さらに三角縁神獣鏡は後年に国内でよく複製品が作られた
渡来の呉系楽浪鏡師らの関与鏡。

337:日本@名無史さん
20/09/30 09:48:22.61 .net
>>312
その豊玉姫ってオバハンが魏志倭人伝のトヨなら3世紀第二四半期になる。
ならば孫の神武は4世紀初頭くらいで崇神と同じ時代になる。
崇神=神武説かな?
ならばその墓は行灯山で決まり。
ならばそれ以前の纏向古墳群、箸墓や勝山やを誰の墓か説明できなくなる。
まさかウガヤフキアエズが纏向にいたなんてバカ説を支持するのかな?

338:日本@名無史さん
20/09/30 09:49:45.20 .net
倭国とは古の倭奴国なりって書いてなかったか?
大国日本の中に倭国と言う小国があったよ~な記載は日本文献の中にもある😃
それは認めてやろ~

339:日本@名無史さん
20/09/30 09:51:52.39 .net
倭地方ってのがあったんだろうなあ😬
ちょい話し合うか?

340:日本@名無史さん
20/09/30 09:52:07.79 .net
>>318
>ならば孫の神武は4世紀初頭くらいで崇神と同じ時代になる。
崇神天皇は、神武天皇の十代後。 なに考えてんの?  わははははは   @阿波

341:日本@名無史さん
20/09/30 09:57:52.62 .net
>>320
とうふさんはすこか?☺

342:日本@名無史さん
20/09/30 10:00:55.90 .net
>>275
>>00枚を超えてる時点で少しは考えたら?
  
>てな事を、270番投稿と併せて考えましたけどね。
明帝の下賜の「銅鏡百枚」に対して追加発注をした、というような、
不謹慎で不作法な事をした、というような妄想をするんでは、
そりゃアホか・・・・か?、だろうね。
それに「海東・・・浮由」鏡や、呉年号鏡の存在や、
陳氏の鏡の「吏人や母人」の記載の説明も出来ない。

343:とうふさん
20/09/30 10:37:39.71 .net
>>275
働けってこと?

344:日本@名無史さん
20/09/30 10:38:55.04 .net
>>321
>崇神天皇は、神武天皇の十代後。 なに考えてんの?  わははははは   @阿波
ならば崇神は5世紀前半になるね。
全然時代が合わないでやんのwwww

345:とうふさん
20/09/30 10:40:42.62 .net
>>325
須古天皇は神武天皇の1023代前
すこここここここの
@とうふ

346:とうふさん
20/09/30 10:41:35.75 .net
>>312
長すぎて読めないんんだけど
@とうふ

347:日本@名無史さん
20/09/30 10:56:14.14 .net
>>325
>全然時代が合わないでやんのwwww
なにに合わないんだい?   @阿波

348:とうふさん
20/09/30 11:02:02.41 .net
>>328
ちゅちぇちょ?👶

349:日本@名無史さん
20/09/30 11:12:02.92 .net
>>322
おもんな~😬

350:日本@名無史さん
20/09/30 11:16:27.05 .net
>>328
5世紀前半は仁徳の時代、百舌鳥古市古墳群の時代。
崇神の時代は4世紀前半。
全然合わない。
阿波ないwww

351:とうふさん
20/09/30 11:17:22.56 .net
>>330
とうふさんはおもんなくない😭

352:日本@名無史さん
20/09/30 11:53:31.69 .net
>>331
>5世紀前半は仁徳の時代、百舌鳥古市古墳群の時代。

仁徳天皇と百舌鳥古市古墳群は無関係。  
百舌鳥古市古墳群は、河内忌部のお墓群。  よって意味なし!   @阿波

353:日本@名無史さん
20/09/30 12:10:13.29 .net
>>290
>江戸時代の国学者は邪馬台国が大和である事、また帥升がスサノオであることも知っていた。
「南≠東」や「正北抵新羅の倭國の中心は北部九州」などの史料実態に拠って、×である。

354:日本@名無史さん
20/09/30 12:12:53.94 .net
>>291
>>この計測をした大和説学者らが、
何鏡であるのか?や、どこの出土であるのか?や、何時頃の鏡であるのか?や、それらの根拠や、
魏鏡とか、国内で作られた鏡とか、三角縁神獣鏡とか判定した根拠などをはっきりさせていないし、
>「はっきりさせてない」って証拠は?
あんたが頑として知ろうとしないだけじゃないの?
「あんたが書いていななかった」という事が証拠なの。

355:日本@名無史さん
20/09/30 12:18:35.25 .net
>>292
>この私が示す系図ではトヨ津媛の3世代前に
比咩后(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、ヒメ后=卑弥呼(Bei mei hu)がいる。
これでは、卑弥呼を大和の女王に比定している事になり、
「南≠東」や「正北抵新羅の倭國の中心は北部九州」などの、
史料事実や史料実態に違反しており、×です。

356:日本@名無史さん
20/09/30 12:25:12.90 .net
>>293
阿波説も、「南≠東」や「正北抵新羅の倭國の中心は北部九州」や、
「鏡片出土」などに史料事実や史料実態に違背し、
「邪馬臺國」などの存在もしなかった国名を称するなどの嘘つき騙しに拠って、
×です。

357:日本@名無史さん
20/09/30 12:30:13.83 .net
>>273
さあね
中国は畿内説が何か都合悪いんじゃないの
そして三角縁神獣鏡は文様や年号や文献などから魏鏡という事は早くから確定的だった
なので畿内説にとって中国から見つかったというのはオマケに過ぎない

358:日本@名無史さん
20/09/30 12:31:28.57 .net
>>282
景初四年は使われていた可能性が高いよ
テンプレのほうにも書いてある

359:日本@名無史さん
20/09/30 12:33:44.35 .net
壹與は宗女であって卑弥呼の教団でお勉強をしていた共立国の姫かもしれないから他国の出身者かもしれんから比定は難しいよ。阿房かもしれん

360:日本@名無史さん
20/09/30 12:39:19.88 .net
>>305
三角縁神獣鏡が見つかっているのは洛陽と帯方郡
どちらも魏の領域
明帝の出したのは詔書なので景初二年12月に倭国を招いたということ
そこから鏡を作れば出来上がるのはどうしても景初三年以降

361:日本@名無史さん
20/09/30 12:41:14.72 .net
>>309
呉からの発見は0であり
楽浪は邪馬台国が魏に朝貢した頃は帯方郡で魏の領土なので
三角縁神獣鏡は呉系楽浪鏡師の関与鏡というのは全く根拠がない

362:日本@名無史さん
20/09/30 12:48:31.84 .net
呉は孫権の命でも将軍が失敗してる位だから倭の位置を把握して無いよ

363:日本@名無史さん
20/09/30 13:12:47.01 .net
.

日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では7000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約5500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

.

364:日本@名無史さん
20/09/30 13:14:27.37 .net
つまり、邪馬台国畿内説は完全に破綻したのだね。

365:uz
20/09/30 13:16:21.05 .net
>>307
> 天孫三代目、彦穂々出見命(=山幸彦)の后・「豊玉比売命」を祀る二社が、
全国唯一、阿波国にのみ配祀されている。
豊玉比売命は海神(わだつみのかみ)の娘で、神武天皇の祖母(または母)にあたるが、
当該二社の式内社//
それってさ、単なる癖でしょ、ネーミングについての、阿波国のさ。
このサイトは、阿波の延喜式内社一覧。各国一覧はウィキなんかにもあるが、
上位カテのindex頁では、各国の社数が併記されてて興味深いので、ここを選んだ。
URLリンク(engishiki.org)
ざっと見て他国と比較すると、阿波では、地名とかではなく、
祭神名を冠した神社が多いね。祭神ってのはむろん、記紀の登場人物だ。
要するに、地域性をアピールせずに、中央志向が強かった、という事だね。
有名人を祀ってますよ、なんて強烈にアピールしてたんだろうな。
地域としての特長に欠ける、なんて負い目が背景にあったという事だ。
まぁ、そういった村興しは悪いと云わないし、むしろ、積極性は評価すべきだが・・・
>「壹與」とは神武天皇の祖母(または母)にあたる「豊玉比売命」   
出生地はもちろん「阿波」//
> 神武天皇の出生地が阿波であることを強く伝えている//
そういった妄想に塗れたコドオジとして生きていくって、悲しい事だぞ。
歪んだナショナリズムからは、何も生まれはしない。
国産み譚で、四国周辺島嶼が優先的に発生するのはさ、>>222 後段で書いた通りで、
国産み譚の元ネタ・原型がさ、鳴門の渦潮の由来譚だからなんだよ。
阿波ってのは、邪馬台国とか、日本の初源国家の発生とは、何の関係もないんだよ。

366:日本@名無史さん
20/09/30 13:18:26.36 .net
>>345
頭の悪いプロ固定が、5ちゃんねるを活発化させるために、完全に破綻してしまっている邪馬台国畿内説について、嘘の意見を発表しているのではないのかな。

367:コテ略
20/09/30 13:24:07.98 .net
>>347 > 完全に破綻してしまっている邪馬台国畿内説//
  云い貼るだけじゃどうしようのないだろ。オ〆は随分とアタマ割るそうだな。
なお、>>1については常日頃、クイズ番組じゃないんだからさ、
当たってりゃエエってもんではないと、訓戒してるだろ、莫迦なオ〆と違ってさ。

368:日本@名無史さん
20/09/30 13:29:26.66 .net
「頭の悪いプロ固定が、5ちゃんねるを活発化させるために、完全に破綻してしまっている邪馬台国畿内説について、嘘の意見を発表しているのではないのかな。」という真実の意見に対して、焦ってしまった、奥山氏という韓国人の頭の悪いプロ固定が、卑劣な嘘を言い放ってきたな。
344コテ略2020/09/30(水) 13:24:07.98
>>347 > 完全に破綻してしまっている邪馬台国畿内説//
  云い貼るだけじゃどうしようのないだろ。オ〆は随分とアタマ割るそうだな。
なお、>>1については常日頃、クイズ番組じゃないんだからさ、
当たってりゃエエってもんではないと、訓戒してるだろ、莫迦なオ〆と違ってさ。

369:コテ略
20/09/30 13:33:17.61 .net
>>349 > という真実の意見に対して//
  そういった能餓鬼を垂れる莫迦が真実を語った試しがない。

370:日本@名無史さん
20/09/30 13:34:45.71 .net
@阿波ふさんとかいうガチガイジ怖すぎなんだ😰

371:日本@名無史さん
20/09/30 13:34:54.00 .net
>>349
5ちゃんねるを活発化させるために、完全に破綻してしまっている邪馬台国畿内説について、嘘の意見を発表している、韓国人の奥山氏は、一人で、幾つものキャラクターを演じ分けることを、貴方は知っているのですね。

372:日本@名無史さん
20/09/30 13:35:23.01 .net
>>352
シオタクン!?

373:日本@名無史さん
20/09/30 13:38:37.05 .net
5ちゃんねるを活発化させるために、完全に破綻してしまっている邪馬台国畿内説について、嘘の意見を発表している、韓国人の奥山氏が、訳の分からないことを言い放っているな。
349日本@名無史さん2020/09/30(水) 13:35:23.01
>>352
シオタクン!?

374:日本@名無史さん
20/09/30 13:40:20.60 .net
>>346
>阿波では、地名とかではなく、祭神名を冠した神社が多いね。祭神ってのはむろん、記紀の登場人物だ。
>要するに、地域性をアピールせずに、中央志向が強かった、という事だね。
>有名人を祀ってますよ、なんて強烈にアピールしてたんだろうな。
>地域としての特長に欠ける、なんて負い目が背景にあったという事だ。
>>346は、倭国(阿波)に対して、何一つ論理的な反論ができないw    @阿波

375:日本@名無史さん
20/09/30 13:58:44.14 .net
>>355
あ、阿波ふさんだ🤗

376:日本@名無史さん
20/09/30 14:05:29.97 .net
昭和初期は日本列島に人が住むようになったのは縄文時代からで
各地で火山の噴火が激しかった旧石器時代の日本に
人はいないと考えられていたよ
だから考古学者たちは縄文時代の遺跡が出たら
そこより下を掘ろうとしなかったよ
だがしかし考古学が好きなだけのただの素人の相沢忠洋が
昭和24年に群馬の岩宿遺跡で黒曜石の打製石器を発見するよ
これをきっかけに日本で旧石器時代の発掘がはじまるよ
ただの素人が常識を打ち破ったよ

377:日本@名無史さん
20/09/30 14:12:03.83 .net
太陽が地球の周りを回っていると信じられていた天動説の時代には、地動説は異端だった。
ことほどさように、支配的な意見が必ずしも正しいとは限らない。  人間は完全ではないのである。

378:日本@名無史さん
20/09/30 14:13:17.90 .net
「教科書に書いてあることを信じないこと  常に疑いを持って自分の目でものを見ること」
ノーベル医学・生理学賞受賞 本庶佑(京都大学特別教授)   @阿波

379:日本@名無史さん
20/09/30 14:27:15.28 .net
>>292
阿田賀田須は、出雲王家第六代の次男だかで、宗像氏の祖だよ。
徐福との婚姻が、九州物部氏の源流

380:コテ略
20/09/30 14:28:29.91 .net
>>359
  先ずはモノを見る目を養う事だ。
歪んだナショナリズムからは、何も生まれはしない。>>346記載の通りだよ。

381:コテ略
20/09/30 14:32:16.06 .net
>>355 > 何一つ論理的な反論ができないw    @阿波//
  鳴きながら自嘲しても惨めなだけだろ。
歪んだナショナリズムからは、何も生まれはしない。>>346記載の通りだよ。
>>361と纏めて書いた方がよかったんだろうけどね。

382:日本@名無史さん
20/09/30 14:35:59.31 .net
>>361
>先ずはモノを見る目を養う事だ。

383:r> それより先に、先ずは見るべき「物証」が有るかどうかだ。   碌な神社や弥生集落遺跡や資源の無い九州・畿内に、「邪馬臺国」など興る訳がない。  なにを考えているんだか。   @阿波



384:コテ略
20/09/30 14:39:58.46 .net
>>363 > それより先に、先ずは見るべき「物証」が有るかどうかだ//
  モノを見る目が無いから何もかもが妄想の物証にしか見えんのだよ。

385:日本@名無史さん
20/09/30 14:40:18.95 .net
>>362
>歪んだナショナリズムからは、何も生まれはしない。
歪んだ妄想からは、何の「物証」も出てこない。  わははははは   @阿波

386:日本@名無史さん
20/09/30 14:43:44.51 .net
稲作でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
海人でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波

※何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。   @阿波

387:日本@名無史さん
20/09/30 14:43:57.91 .net
>>357
相沢は実際に発見したからね
その後も芹沢(後の東北大学教授)のアドバイスを受けて地道に研究を続けた
毎日5chで妄想と学者の悪口を言うのとは大違い

388:コテ略
20/09/30 14:44:25.53 .net
>>365
>歪んだ妄想からは、何の「物証」も出てこない  わははははは//
  >>364記載の通りだよ、愚図。

389:日本@名無史さん
20/09/30 14:45:22.35 .net
太陽が地球の周りを回っていると信じられていた天動説の時代には、地動説は異端だった。
ことほどさように、支配的な意見が必ずしも正しいとは限らない。  人間は完全ではないのである。   @阿波

390:コテ略
20/09/30 14:46:37.05 .net
>>366 > 何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く//
  >>364記載の通りだよ、愚図。

391:日本@名無史さん
20/09/30 14:49:09.41 .net
>>370
少し分けようか? そんなに羨ましいなら。  わははははは   @阿波

392:コテ略
20/09/30 14:49:47.38 .net
>>369
> 太陽が地球の周りを回っていると信じられていた天動説の時代には、
地動説は異端だった//
  アンタが天動説に入れ揚げてるだけだ。
歪んだナショナリズムからは、何も生まれはしない。>>346記載の通りだよ。

393:コテ略
20/09/30 14:51:18.53 .net
>>371 > 少し分けようか? そんなに羨ましいなら。  わははははは//
  人に羨まれているという妄想が惨めだね。

394:日本@名無史さん
20/09/30 14:54:22.45 .net
>>373
>人に羨まれているという妄想が惨めだね。
これだけ煽られても、一つも「物証」を挙げられないのが惨めだね。  わははははは   @阿波

395:コテ略
20/09/30 14:57:33.68 .net
>>374 > 一つも「物証」を挙げられないのが惨めだね//
  >>364記載の通りだよ、エテ公。

396:日本@名無史さん
20/09/30 15:01:59.00 .net
莫迦・愚図・エテ公  次はなに?  負け犬の遠吠え、捨て台詞。 わははははは   @阿波 

397:日本@名無史さん
20/09/30 15:05:58.43 .net
>>358
そんなに見栄を切らんでも。

398:日本@名無史さん
20/09/30 15:12:45.74 .net
>>209
神功皇后の名前は、オキナガタラシヒメですよ。
蘇我氏は紀伊国国造系統の家で息長家とは無関係の古い家系。
武内宿禰も和歌山で生まれましたよ。
月読と、三輪山の太陽の女神は、両方とも今は伊勢神宮に鎮座してます。
内宮は出雲系で、下宮が豊国の系統
だから内宮と下宮で千木の削ぎが違う。

399:コテ略
20/09/30 15:12:52.64 .net
>>376 > 負け犬の遠吠え、捨て台詞。 わははははは//
  自嘲してても死沼で莫迦は治らんだろ。
> 次はなに?//
  はァ? オ〆に次なぞないだろ。死沼で妄想に耽ってるだけなんだシネ。

400:日本@名無史さん
20/09/30 15:20:19.35 .net
>>366
あ、阿波ふさんだ😏

401:日本@名無史さん
20/09/30 15:28:25.52 .net
傍ら国に阿波らしい国無いもんね、ひょっとしたら阿波なのか?ねぇ阿波先生。

402:塩田恵太郎
20/09/30 15:31:16.35 .net
>>376
すこ・ちゅちょ・ドゥジョヴェ  次はなに?  オケラの遠吠え、捨て台詞。 すここここ   @とうふ 

403:日本@名無史さん
20/09/30 15:32:29.77 .net
しっかし、畿内説の拠り所の一部が三角縁神獣鏡ということなのはわかったが、それにしても出てもいない鏡が中国から出たと嘘を言い切ってしまうほど重症とは思わなかったなw
三角縁神獣鏡は、大陸とは製法が異なり、同じ県から何枚かを作る方式だった。
2015年の記事の事件が衝撃的だったのが、三種類に分類されてきた神獣鏡だが、舶来か?と思われたものと、鋳型を使った国内産と判断されてきた鏡が、同じ鋳型から作られたものだったと発表されたから。
神獣鏡の分類が意味をなくす大事件だったんだよな

404:日本@名無史さん
20/09/30 15:33:06.82 .net
東韓て新羅のこっちゃねえのか?
百済の連中らが呼んだんだろ?

405:塩田恵太郎
20/09/30 15:34:03.39 .net
>>376
すこ・ちゅちょ・ドゥジョヴェ  次はなに?  オケラの遠吠え、捨て台詞。 すここここ   @とうふ 

406:日本@名無史さん
20/09/30 15:34:04.94 .net
>>381

そもそもが、八神郡の指定も受けてない四国阿波w
千葉の安房よりも格下なのに、全ては四国阿波から始まったとする無理筋の必死さが笑えます

407:塩田恵太郎
20/09/30 15:34:07.22 .net
>>376
すこ・ちゅちょ・ドゥジョヴェ  次はなに?  オケラの遠吠え、捨て台詞。 すここここ   @とうふ 

408:日本@名無史さん
20/09/30 15:36:13.35 .net
377
傍国なんてねえもんよ😃

409:日本@名無史さん
20/09/30 15:38:28.76 .net
阿波ふさんどこ行っただ

410:日本@名無史さん
20/09/30 15:48:33.27 .net
崇神天皇が4C前半の人物なら記紀に崇神天皇とのエピソードが数々書かれている
百襲姫は卑弥呼ではあり得ないね
卑弥呼は3C半ばには他界しているのだから
崇神天皇は百襲姫の甥の息子
百襲姫とは少なくとも40年以上の年の差がある
ここから逆算してみても百襲姫は3C後半からの人物という事になり、
台与の時代にピッタリと重なるのである
百襲姫は台与だと考えられる事はあっても卑弥呼だとはまず考えられないね
ゆえに箸墓が百襲姫の陵なら、台与陵だと考えられる事はあっても卑弥呼陵だとは
まず考えられないのである

411:日本@名無史さん
20/09/30 16:04:34.09 .net
>>300
一人の始祖から始まった血縁集団(血族)がいるなら、
その始祖とは別の者が始祖となった血縁集団(血族)もあるのは当然。
この始祖を異にする別々の血族が相手の血族と血を同じくしていないことを明らかにしているのが姓の役割であるので、
血縁集団を社会の単位集団とする社会では、姓のない血族というのは存在しないことになる。
一方、日本の天皇には姓にあたる血族標識がない。
これは、日本に血縁集団(血族=氏族)が誕生する前の血族のない、つまり姓のない部族社会の遺風を残すものであり、天皇のルーツが極めて古い部族社会につながっていることを示していると思われる。
そして天皇が姓を持たないことは、その血統が汎用性を持ち、その限定されない汎用性が至高の価値を持ったということではないか。
鴨氏も元々は部族シャーマンであり、姓を持たなかったと思われるが、後に地域豪族として氏族化し、その血族の標識として姓を持つことになったと思われる。

412:日本@名無史さん
20/09/30 16:07:36.21 .net
>>318
>その豊玉姫ってオバハンが魏志倭人伝のトヨなら3世紀第二四半期になる。
魏志倭人伝に「トヨ」なんておらず、
「壹與」の事なら3世紀後半半ば過ぎに亡くなった事になるから、
この大和説男が×。

413:日本@名無史さん
20/09/30 16:08:34.70 .net
>>383
その研究だと、三角以外の、従来後漢鏡といわれていたものや、
後漢鏡をまねた国産だと言われていた鏡も、同類となるよ
つまり、それらが全部中国産か、あるいは全部国産かの二択になった

414:日本@名無史さん
20/09/30 16:11:09.56 .net
>>319
>倭国とは古の倭奴国なりって書いてなかったか?
大国日本の中に倭国と言う小国があったよ~な記載は日本文献の中にもある😃
それは認めてやろ~
(大和)日本國は、倭國から分かれた別種の旧小国であったんだから、
この男も×。

415:日本@名無史さん
20/09/30 16:20:10.80 .net
■旧唐書より
※倭国と日本(ヤマト政権)が別記されている。
URLリンク(i.imgur.com)
<倭国伝>
倭国(九州)は古の倭奴国なり。
※漢委倭奴国王の金印は福岡で発見された
<日本伝>
日本国(ヤマト)は倭国の別種なり。
■表記事例
<高麗伝>
高麗は出自、扶余の別種なり。
<百済伝>
百済国の本も亦た、扶余の別種。
■結論
・畿内ヤマトと倭国は別の国(連合国)だった

416:日本@名無史さん
20/09/30 16:25:08.08 .net
>>338
>そして三角縁神獣鏡は文様や年号や文献などから魏鏡という事は早くから確定的だった
そして、列島の大量の三角縁神獣鏡は、
「吏人」や「母人」の記銘文や、神獣文様や、呉年号鏡の存在や、
「海東・・・浮由」鏡の存在や、
最も古い紀年が、魏の楽浪帯方攻撃戦争の景初二年の翌年の景初三年である事などから、
渡来の呉系楽浪鏡師らの関与鏡という事は、
早くから確定的だった、

417:日本@名無史さん
20/09/30 16:27:50.34 .net
>>297
「難」氏は…両者の合同の「祖先供養」があったらしい。
中国や百済に難氏があって、その中国難氏と百済難氏の祖先合同供養が行われたことと、
難升米の難がその中国難氏の子孫だという証拠はないわけだし。
倭人伝の登場人物の名前の頭字が漢音の姓だとすると、難升米とともに魏の都に詣でた都市牛利の都市も漢音の姓だとしなければならないが、中国に都市の二文字を姓とする例はあるのかということになる。
また、第二次遣使の掖邪狗はどうよ。掖という姓が中国にあるのかということになるよね。

418:日本@名無史さん
20/09/30 16:36:43.69 .net
>>339
>景初四年は使われていた可能性が高いよ
テンプレのほうにも書いてある
魏の正式年号では、景初三年十二月の次は「景初三年後十二月」になり、
その次の月を(正始元年一月を無い事にして)「正始元年二月」から始まる事にして、
正始年号を開始した事にしたから、
正始四年はなかった事になっていたの。
そして、列島で「正始四年」鏡を造った渡来の呉系楽浪鏡師の陳氏らは、
魏の「景初三年の後十二月」情報が入らず、
ついうっかり、「景初四年」鏡を造ってしまったの。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch