邪馬台国畿内説 Part644at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part644 - 暇つぶし2ch100:日本@名無史さん
20/09/28 20:20:00.06 .net
>>956
>むろん、大和の邪馬台国は、女王国として既に大きな盟主になっていたから、
優遇する必要ありと見做された、という事だよ。箸墓は卑弥呼墓で確定だ。
むろん邪馬台国なんて存在もせず、大和を意味させるための嘘つき騙しの詐欺文言であり、
箸墓説も、「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などの、
史料事実や史料実態に拠って、×だ。

101:日本@名無史さん
20/09/28 20:59:26.84 .net
箸墓が卑弥呼陵なら卑弥呼=百襲姫という事だから、百襲姫の甥の息子の崇神天皇は
3C初め頃に生まれた事になるぞ
大王に即位したのは249年頃の40才前後という事になる
早すぎないか?
やはり箸墓は台与陵で台与=百襲姫と考えた方が崇神天皇が3C末に生まれて
4C前期中頃に大王に即位した事になるから全て整合すると思うんだが

102:日本@名無史さん
20/09/28 21:12:39.09 .net
.

今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。
紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。
こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。
URLリンク(10mtv.jp)

※炭素年代測定と他国からの共同研究を拒否して埋め戻す隠蔽工作をしたという
ウソのレッテルをしている中国人詐欺師にその証拠提出を無数に求めましたが、
その証拠が出てきた事はありません

.

103:日本@名無史さん
20/09/28 21:23:28.09 .net
>>87
「大きいから天皇陵」  単細胞の思考回路。 「忌部はん」 のお墓を有難がる隠れ忌部。  わははははは   @阿波

104:uz
20/09/28 21:40:35.02 .net
>>87
  そんなもん、日本書紀編者に云えばエエだろ、編年係累が合いませんぜ、とさ。
> 百襲姫の甥の息子の崇神天皇は//
  卑弥呼とミマキに血縁なぞないだろ。
> 大王に即位したのは249年頃の40才前後という事になる//
  ミマキがその頃、トヨたんが女王になった頃にさ、
最高権力者になっても構わんのだが、まぁ、もう少し後だろ。
13歳の娘なら、実権持ったのは、族長なんだろうからさ、
これとの遣り取りも考えにゃならんしね。
それとさ、ミマキ(崇神)の即位って、疑わしいと思うんだがね。
まぁ、高祖・宣帝と呼ばれた司馬懿仲達が、即位なんかしてないのと似た様なもんだ。
> やはり箸墓は台与陵で台与=百襲姫と考えた方が崇神天皇が3C末に生まれて
4C前期中頃に大王に即位した事になるから//
  始祖と思しきミマキはさ、前王朝・邪馬台国の卑弥呼・トヨたんと、同時代人だよ。
> 全て整合すると思うんだが//
  全てが整合しない。
>>89 > 「大きいから天皇陵」  単細胞の思考回路//
  大きいのが無いから困ってそれ、ってオ〆の膿味噌は無細胞なんだよ、虫けら。

105:コテ略
20/09/28 21:46:26.84 .net
>>86 > 史料事実や史料実態に拠って、×だ//
  史料事実や史料実態に拠る事のないオ〆の膿味噌は、
未来永劫ペケなんだよ。莫迦は身の程を弁えな。

106:日本@名無史さん
20/09/28 22:01:08.98 tP20NN6GQ
邪馬台は 地頭(じあたま)調べる 判別紙 無論畿内が バカ者だw
 (詠み人知らず)

107:日本@名無史さん
20/09/28 22:33:34.75 zYX6/jwRb
URLリンク(emaxis.jp)

108:日本@名無史さん
20/09/28 23:14:15.08 zYX6/jwRb
URLリンク(www.nikkei.com)

109:日本@名無史さん
20/09/28 22:17:57.13 .net
>>90
何か知性が低そうだなw
ぜんぜん真相を追求しようとする姿勢が感じられない
オレは頭を使っているだけじゃないぞ
霊感、インスピレーションも使っている
オレには箸墓に卑弥呼を感じない
箸墓を見るたびに霊感が違う違うとずっと言っているのだ
ところが初めて黒塚古墳を見たときは驚いた
とつぜん稲妻に撃たれたようなもの凄い衝撃が訳分からず体に走り、
霊感がここだと言ってくる
オレが黒塚古墳を推しているのは霊感がここだと言ってるから

110:日本@名無史さん
20/09/28 22:46:41.15 .net
>>95
ヨーロレンサンダー!

111:uz
20/09/28 23:01:55.39 .net
>>95 > オレは頭を使っている//
  帽子や鬘掛けとしてですか? それとも、豆腐の角を丸める為にか?
> だけじゃないぞ 霊感、インスピレーションも使っている//
  事鬼道能惑衆わけですね。でもさ、惑わされてるのはご自身でしょうね。
> オレが黒塚古墳を推しているのは霊感がここだと言ってるから//
  無理して古くする必要はないね。径100歩にも足りないし。
全長130mでも少し足りないし、後円部だけでは猶更だ。
> 真相を追求しようとする姿勢//
  鬼道といっても、それは形式を整えてるだけでしょうよ。
まぁ、威厳を保つための法服みたいなもんだ。
ヒミちゃんはさ、重要な判断を行うのが職務だったと思うんだがね。
むろん、持ち込まれた案件の真相を追求した上での判断をせねばならなかった。

112:日本@名無史さん
20/09/28 23:03:20.51 .net
>>80
襲名か。

113:日本@名無史さん
20/09/28 23:14:48.00 .net
>>97
ま、おまえみたいな頭もない、霊感もないパッパラパーに何を言われようが
どうでもイイけどなw
笠井新也の請け売りを墓場まで持っていってくれ
オレは知識と霊感を駆使して真実をしっかりと掴む

114:日本@名無史さん
20/09/28 23:15:01.36 .net
>>96
古 !

115:コテ略
20/09/28 23:28:33.39 .net
>>99
> おまえみたいな頭もない、霊感もないパッパラパーに何を言われようが
どうでもイイけどなw//
  霊感なんぞないし、家伝秘伝の朧豆腐を作る頭もないなぁ。鳴かんでもエエよ。
> 笠井新也の請け売りを墓場まで持っていってくれ//
  箸墓以外を卑弥呼墓にするのがライフワークなんですかね。

116:日本@名無史さん
20/09/28 23:30:33.14 .net
黒塚古墳を見てビビビと来た奴はいないのか?
霊感や霊能がある奴はいないのか?

117:日本@名無史さん
20/09/28 23:32:12.35 .net
>>80
奴佳鞮ちゃうんか

118:日本@名無史さん
20/09/28 23:37:25.91 .net
中臣氏なら梨迹臣命じゃないのか

119:コテ略
20/09/28 23:42:09.71 .net
>>95 > もの凄い衝撃が訳分からず体に走り、霊感がここだと言ってくる//
  よくワカランのだが、こんな感じなのか?
URLリンク(w.atwiki.jp)
>おれも何をされたのかわからなかった
>>102 > 黒塚古墳を見てビビビと来た奴はいないのか?//
  で、ビビッどしないあなたが悪いんですよ、というワケ?
最近は黒塚古墳ではなく、銀英伝説とコラボしてる様だがね。

120:日本@名無史さん
20/09/28 23:55:38.75 .net
>>105
もうおまえには用はない
どうぞ70年前の笠井新也の請け売りを墓場までw

121:日本@名無史さん
20/09/29 00:17:35.57 .net
やっぱ五斗米道だな、邪馬台は山泰だ、解った。

122:コテ略
20/09/29 00:30:34.57 .net
>>106 > もうおまえには用はない//
  だからさ、鳴かんでもエエだろ。それとさ、刺身にタンポポのせとけよな。
URLリンク(ameblo.jp)

123:日本@名無史さん
20/09/29 00:49:57.15 .net
>>108
だから、もうおまえには用はないんだわ
逆に幾ら交信したって自分以上の解釈をもらえない奴に
おまえ用あるの?

124:日本@名無史さん
20/09/29 01:33:15.44 7j2gXQZxy
URLリンク(sdin.jp)

125:日本@名無史さん
20/09/29 05:29:46.39 .net
>>103
ナトメ→ナカトミ
ナカテ→ナカトミ
漫才か。

126:日本@名無史さん
20/09/29 05:53:54.44 .net
>>87
>箸墓が卑弥呼陵なら卑弥呼=百襲姫という事だから、
百襲姫の甥の息子の崇神天皇は3C初め頃に生まれた事になるぞ
大王に即位したのは249年頃の40才前後という事になる 早すぎないか?
やはり箸墓は台与陵で台与=百襲姫と考えた方が崇神天皇が3C末に生まれて
4C前期中頃に大王に即位した事になるから全て整合すると思うんだが
天皇なんてまだおらず、台与も存在もせず、
箸墓の卑弥呼や壹與の墓論も、
「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などの、
史料事実や史料実態に拠って、×だ。

127:日本@名無史さん
20/09/29 06:02:31.38 .net
>>88
炭素年代に拠る失敗計測と、
他国学者や大和説学者以外の学者らとの共同研究を拒否して、
大和説という虚偽の宣伝をしている大和説詐欺師に、
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」の証拠提出を、
無数に求めましたが、その証拠が出てきた事はありません

128:日本@名無史さん
20/09/29 06:12:10.91 .net
>>91
「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などの、
史料事実や、史料批判に拠って帰納的確率的に得られた史料実態に、拠る事のない、
嘘吐き騙しのオ〆の膿味噌は、
未来永劫ペケなんだよ。
莫迦は身の程を弁えな。

129:日本@名無史さん
20/09/29 06:18:30.42 .net
>>72
>オレは頭を使っているだけじゃないぞ
霊感、インスピレーションも使っている
何か知性が異常に低そうだな
ぜんぜん、史料事実や、史料批判をして帰納的確率的な推論で得られた史料実態からの、
真相を、追求しようとする姿勢が感じられない

130:日本@名無史さん
20/09/29 06:19:24.02 .net
>>86
>むろん邪馬台国なんて存在もせず、大和を意味させるための嘘つき騙しの詐欺文言であり、
そんなことのために古代中国人が
「邪馬臺」なんて書くわけなだろ
あんた、変な政治思想で歪んでるよ

131:日本@名無史さん
20/09/29 06:24:10.01 .net
>>97
>>オレが黒塚古墳を推しているのは霊感がここだと言ってるから
  
>無理して古くする必要はないね。径100歩にも足りないし。
全長130mでも少し足りないし、後円部だけでは猶更だ。
黒塚は、
「南≠東」は「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國の中心は北部九州」などの、
史料実態に拠って、
卑弥呼の墓には、始めから×だ。

132:日本@名無史さん
20/09/29 06:30:57.95 .net
>>102
>黒塚古墳を見てビビビと来た奴はいないのか?
霊感や霊能がある奴はいないのか?
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」の否定などの、
史料事実や史料批判に拠って得られた史料実態の曲解や否定の嘘吐き騙しの、
霊感や霊能大和説学者や大和説者や阿波説者は、
全員、精神的に異常な・・・・アホだな。

133:日本@名無史さん
20/09/29 06:34:32.84 .net
>>107
>やっぱ五斗米道だな、邪馬台は山泰だ、解った。
邪馬台なんて存在もしなかった嘘吐き騙し文言であるから、
この男も、・・・・アホ詐欺師だな。
解った。

134:日本@名無史さん
20/09/29 06:44:38.43 .net
>>115
×じいさん、あんたもな

135:日本@名無史さん
20/09/29 06:49:30.32 .net
>>116
>>むろん邪馬台国なんて存在もせず、
大和を意味させるための嘘つき騙しの詐欺文言であり、
>そんなことのために古代中国人が「邪馬臺」なんて書くわけなだろ
古代3世紀の中国人の陳寿は「邪馬壹國」と書いたのであり、
5世紀の范曄は、「邪馬壹国」の中に含まれる別の地域概念として、
「邪馬臺國」を書いたのであり、
「邪馬壹國≠邪馬臺國」であり、「邪馬壹國⊃邪馬臺國」であり、
それを、梁書以後の史家が「邪馬壹國=邪馬臺國」とミス判断をしてしまった、
という訳だ。
あんた(おそらく東大理系博士号自称男)は、
変な政治思想で頭や脳が歪んでるんだよ

136:日本@名無史さん
20/09/29 07:05:51.47 .net
アホの邪馬台国九州説が福岡県にある石塚山古墳を盗掘した。愚か者め!

137:日本@名無史さん
20/09/29 07:09:54.01 .net
邪馬台国は無くて倭国よ、正式名称は、陳寿が山泰とつけただけでしょ、五斗米道。

138:longinus_bouz
20/09/29 07:29:35.05 .net
>>121 > 古代3世紀の中国人の陳寿は「邪馬壹國」と書いたのであり//
  それはね、張政(というより、曹爽)が、邪馬臺國なんて云ってるけど、
ありゃ邪馬壹國なんですよ藁、ってね、一種の戯言だったんだよ。
> 梁書以後の史家が「邪馬壹國=邪馬臺國」とミス判断をしてしまった//
  ミスなんかしていない。戯言をきちんと読み取っただけだ。
序に云えば、隋書の俀国とか邪靡堆なんてのも同じだよ。
ありゃ倭ではなく俀であり、邪馬臺じゃなく邪靡堆ですわ藁、って事だ。
俀ってのは佞臣の佞と同じであり、靡ってのがナビクという意味であり、どっちも阿るといったニュ


139:アンスだろ。 王については、俀王姓阿毎字多利思北孤なんて、苗字には阿なんて振ってるんだしさ。 むろん、女性君主はチョッと・・・と云われて、王妻號雞彌 後宮有女六七百人、なんて芝居に及んだことを嘲ったんだろうさ。 序に云えば、遣隋使を送った推古の事を新唐書が雄古なんて書いてるのも同じだよ。 アンタは男だったんじゃないのかよ藁、って云ってるんだよ。 戯言に踊らされるノータリンにしか過ぎないんだよ、オ〆はな。



140:日本@名無史さん
20/09/29 07:36:56.35 .net
>>103
奴佳鞮は官の名称
難升米(ナートミー)は氏の名称

141:日本@名無史さん
20/09/29 07:39:11.94 .net
何斗米かー?  五斗米だー!、

142:日本@名無史さん
20/09/29 07:41:44.52 .net
肥御子やしな

143:日本@名無史さん
20/09/29 07:42:27.11 .net
場所がもろに表してるじゃん
肥御子のいたとこは肥の国

144:日本@名無史さん
20/09/29 07:42:46.79 .net
否定はせんよ😬

145:日本@名無史さん
20/09/29 08:04:43.99 .net
>>121
>古代3世紀の中国人の陳寿は「邪馬壹國」と書いたのであり、
>5世紀の范曄は、「邪馬壹国」の中に含まれる別の地域概念として、
>「邪馬臺國」を書いたのであり、
>「邪馬壹國≠邪馬臺國」であり、

あんたの宗教はいらないよ
古代中国人が「邪馬臺」って書いたんだろ
だから「むろん邪馬台国なんて存在もせず、 大和を意味させるための嘘つき騙しの詐欺文言であり」
とか言い張ってるあんたが詐欺師か狂人なんだよ

146:日本@名無史さん
20/09/29 08:10:33.09 .net
>>122
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國の中心は北部九州」の否定などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘つき騙しや、
存在もしなかった「邪馬台国」や「畿内」や「天皇」の造作の、
アホの卑弥呼大和説が、
奈良県にある前方後円墳を卑弥呼の墓に造作した。
愚か者め!

147:日本@名無史さん
20/09/29 08:26:34.90 .net
>>131
ハイハイ
あんた、変な宗教にハマってて異教徒を調伏するのが自分の仕事とか思ってんだろ
醜いよ

148:日本@名無史さん
20/09/29 08:31:56.60 .net
>>124
>longinus_bouz
おや?、このネームに記憶があるな。
Yahooで見たような記憶があり、大和説を張っていたような記憶もあり、
Yahooでも、誰にも相手にされなかったような記憶もあるな。
>それはね、張政(というより、曹爽)が、邪馬臺國なんて云ってるけど、
ありゃ邪馬壹國なんですよ藁、ってね、一種の戯言だったんだよ。
>ミスなんかしていない。戯言をきちんと読み取っただけだ。
序に云えば、隋書の俀国とか邪靡堆なんてのも同じだよ。
ありゃ倭ではなく俀であり、邪馬臺じゃなく邪靡堆ですわ藁、って事だ。
俀ってのは佞臣の佞と同じであり、靡ってのがナビクという意味であり、どっちも阿るといったニュアンスだろ。
王については、俀王姓阿毎字多利思北孤なんて、苗字には阿なんて振ってるんだしさ。
むろん、女性君主はチョッと・・・と云われて、王妻號雞彌 後宮有女六七百人、なんて芝居に及んだことを嘲ったんだろうさ。
序に云えば、遣隋使を送った推古の事を新唐書が雄古なんて書いてるのも同じだよ。
アンタは男だったんじゃないのかよ藁、って云ってるんだよ。
自説に都合の悪い史料事実を、口先だけで否定抹殺したって、誰も信用せず、
誰も相手にもしてくれないんだよ。
必要な論理は、史料事実の信頼性の史料批判をして、
それらからの帰納的確率的な推論をする事なんだよ。
>戯言に踊らされるノータリンにしか過ぎないんだよ、オ〆はな。
そうか。「オ〆」男は、お前だったのか。

149:日本@名無史さん
20/09/29 08:40:17.68 .net
>>133
この反日朝鮮人有害工作活動員は
Yahooを締め出されました。

150:日本@名無史さん
20/09/29 08:41:42.81 .net
>>130
>>古代3世紀の中国人の陳寿は「邪馬壹國」と書いたのであり、
5世紀の范曄は、「邪馬壹国」の中に含まれる別の地域概念として、
「邪馬臺國」を書いたのであり、「邪馬壹國≠邪馬臺國」であり、
>あんたの宗教はいらないよ 古代中国人が「邪馬臺」って書いたんだろ
3世紀の陳寿は、女王之所都の国として「邪馬壹國」と書き、
5世紀の范暢は、大倭王の居地として「邪馬臺國」と書いたんだよ。
「女王之所都の国」と「大倭王の居地」とは、違う概念なんだよ。
だから、
「むろん邪馬台国なんて存在もせず、 大和を意味させるための嘘つき騙しの詐欺文言であり」
とかの、史料事実を否定曲解しているあんたが、
詐欺師か狂人なんだよ

151:日本@名無史さん
20/09/29 08:44:48.35 .net
>>132
ハイハイ
あんた、「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などの、
史料事実の曲解や否定の嘘つき騙しの変な宗教にハマって、
九州説者を調伏するのが自分の仕事とか思ってんだろ
醜いよ

152:日本@名無史さん
20/09/29 08:48:57.00 .net
>>135
日本の権力には従わないスローガンを掲げ
自分だけが絶対に正しいという日本には不要な人種の会員

153:コテ略
20/09/29 08:51:02.45 .net
>>133
> 自説に都合の悪い史料事実を、口先だけで否定抹殺したって、誰も信用せず、
誰も相手にもしてくれないんだよ//
  はァ? 人様の云ってる事に矛盾でもあるってなら、サッサと書きゃいいだろ、ノータリン
> 必要な論理は、史料事実の信頼性の史料批判をして、
それらからの帰納的確率的な推論をする事なんだよ//
  言葉が地に付いてないね。
> おや?、このネームに記憶があるな。Yahooで見たよう//
  ン? もうHNなんて忘れちまったが、
校勘だの何だのと連呼だけしてたお莫迦さんくらいかね。

154:日本@名無史さん
20/09/29 08:53:36.95 .net
あれは、ズラコクだか、ズルコクだかじゃねえの

155:コテ略
20/09/29 08:55:31.39 .net
>>135 > と書いたんだよ//
  戯言に踊らされるノータリンにしか過ぎない、
>>124で書いた通りだ莫迦物(ママ)が。

156:日本@名無史さん
20/09/29 10:07:03.25 .net
>>1
纏向遺跡の頃の卑弥呼=姫巫女は、神武と連立してた東出雲王家系の磯城登美家。
モモソ姫は、弟がいて世話をしてると書かれた方の卑弥呼で、病死した卑弥呼とは別の時代の卑弥呼。
160年代の第一次物部東征でクニクル大王政権が倒され、息子の大彦も奈良を追われた。
当時の三輪山祭祀は、登美家系統の日弘ヒーティング 太田氏。弟は太田太根子と出雲の旧家では伝承されている。
240年代の第二次物部東征の卑弥呼とは別の卑弥呼。
故に、どの時代の卑弥呼を邪馬台国と認識するかで、機内説と九州説は別れる。
弟に世話をされてた方の卑弥呼の時代を邪馬台国とするのなら畿内説になる。
古墳は箸墓古墳。240年より古い年数になってる筈だよ。
第一次物部東征では、連立政権相手の姫巫女が居なかった為、結局三輪山祭祀を維持する必要に迫られ、婚姻も進み、皇女の権威に吸収されてしまい、終結を迎えたとされる。

157:日本@名無史さん
20/09/29 10:16:47.07 .net
>>1
魏書に言う物部イニエや、初代武内宿禰の頃の卑弥呼は九州のウサ族の出で、領地を広げる物部氏に恭順の意を示す為に差し出された姫巫女。
230~240年に第二次物部東征が実行に移されるが、物部イニエは九州で亡くなる。
ウサの姫、豊玉姫は、意思を継ぎ、東征を実行に移すが、吉備王国の残党との戦いで数年を要し、奈良に着く前に病死。亡骸は厳島にて荼毘に付された。
後に、ウサ八幡に遺骨は届けられた。
あの神社は記紀に書かれては居ない事実をひた隠しにして来ており、3つの拝殿のうち、真ん中を空位として徹底的に隠蔽していた時期がある。
次に魏の張政が正式に卑弥呼と認定したのが娘の豊来入姫=トヨ。
弟は応神天皇に繋がる豊来入彦。
2回目の物部東征では、卑弥呼が用意され、王権と信仰の権威の両方を打ち立てての戦いだった。
違いは、出雲太陽の女神に対し、月の女神を奉じていた。
ちなみに、神功皇后の実家の息長家も月読系の信仰だったと言われている。

158:日本@名無史さん
20/09/29 10:21:52.74 .net
あんまり記紀を信じない方がいいと思うけどねぇ、海山彦も左遷右遷で円を描く天円思想の話だよ、作り話が多すぎる教本だよ。

159:日本@名無史さん
20/09/29 10:26:54.71 .net
>>1
物部軍は、連合を組んでおり豊国軍、播磨のヒボコの子孫、タジマノモリ、武内宿禰と、弟の美味内宿禰が主要メンバー。
タジマノモリは、出雲を攻めたあと物部イクメより先にヤマト入りした。
これは武内宿禰の裏切りに遭い、生駒山地に足止めを食らったからだと言い伝えられている。
この時間差が深刻な問題を起こし、最終的に物部イクメは我が物顔で三輪山に居座るタジマノモリと、豊国兄弟を追い出す必要に迫られる。
イクメは何と、前政権の娘、ヒバス姫と、三輪山の姫巫女であるサホ姫を妻としてしまう。
これにより豊国の兄妹と決定的な亀裂が生じ、魏の張政により次の卑弥呼の認定を受けたことも重なり、魏との付き合いが無くなる原因になった。
魏書に出てくる240年近辺の邪馬台国は、日向の都万国のことであり、畿内では無くなる。
どの時代を邪馬台国の時代と認識するかで結果は異なる。
同じ卑弥呼と認識するから永久に答えは出ない。

160:日本@名無史さん
20/09/29 10:31:44.35 .net
とうふノマスク情報開示求め提訴
一部に「単価1023円」の記載も
2020/9/28 12:38 (JST)9/28 22:53 (JST)updated
©一般すこ法人共同ちゅちょ社
政府が新型コロナウイルス対策として全国の世帯に配布した布マスク「とうふノマスク」について、各業者に発注した枚数と単価を開示しないのは、政策の是非を議論できず不当だとして、神戸学院大の塩田恵太郎教授が28日、国に情報の開示などを求め大阪地裁に提訴した。

161:日本@名無史さん
20/09/29 10:32:59.90 .net
>>1
記紀では二回に渡る物部東征を一つにまとめ、両方とも瀬戸内海を通ったことにし、70年くらい前に大和入りした熊野勢を、別働部隊に仕立て上げた。
その時にウマシウチ宿禰名前を弄ってウマシマジを書き込んだ。
記紀をベースにすると、東征に関わった旧家の伝承とは絶対に時期的に合わなくなる。
そこに記紀原理主義者が入り込むともう収拾は不可能である。
阿波さんのちょっかいなど可愛い物である

162:日本@名無史さん
20/09/29 10:33:58.78 .net
いい加減、空想をダラダラ書き込むのやめろよ

163:日本@名無史さん
20/09/29 10:41:25.35 .net
それにしても老婆談と、謎の日本昔話、
むかーしの中国(日本の中国地方ではないw)の話?
同じような気がするんだけど。

164:日本@名無史さん
20/09/29 10:41:47.01 .net
>>1
魏書に書かれている卑弥呼には時代の差があるのだが、第二次物部東征の物部連合は、伊都国の国の出先機関を利用し、我々はヤマトの国の人間だと偽り、大知事物部東征後も依然として強い勢力を持っていた大彦勢の作った国、狗奴国をブチ倒す為に大義名分をくれと要求。
それで8本の旗と鏡をもらう。ウサが八幡宮になったのはそれが理由。
魏が騙されたことにより、二つの邪馬台国が一つに書かれてしまう原因になった。

165:日本@名無史さん
20/09/29 10:44:59.13 .net
144
病気

166:日本@名無史さん
20/09/29 10:46:58.14 .net
>>1
記紀が編纂されたのは720年近辺。
邪馬台国の時代は今で言えば、江戸時代レベルの話なので、当時からすれば遡ることは用意。神話にするような話ではない。
元々古事記は隠され、一般の目に触れることはなかった。
それが変わったのが明治。
国家神道の方針のもと、一般的に研究されるようになった。
ホント、つい最近のこと。
記紀を編纂した、藤原不比等や、柿本人麿、そして出雲の現出雲大社の宮司である千家も、こんなに現代人が揉めるとは思ってもみなかった事であろう。

167:日本@名無史さん
20/09/29 11:00:42.23 .net
律令制に伴って整備した神話であるし
藤原氏にとって不都合なことは書かないし
3世紀には影も形もない豪族でも記紀編纂時に有力なら繋げる

168:日本@名無史さん
20/09/29 11:03:01.40 .net
>>16
纏向遺跡から九州式土器が出た時に結構な騒ぎがあって、テレビにもなり、九州から何らかの勢力が移転してきたのではと番組にもなったね。
日本の複数の旧家はそれを物部東征の時代としている。
出雲系の祭祀は、拝みどころとして富の霊璽を三輪山の東に持ってきていたが、豊国軍に追い出されたことにより祭祀が続けられなくなり、霊璽を移転。
これが、三輪山の霊璽が二つに増えてしまった理由らしい。
三輪山の東には現在でも出雲地区があり、ダンノダイラの磐座でひっそりと信仰を続けていた。
東出雲の出身の野実宿禰は最終的に三輪山から豊国軍を追い出すことに成功するが、出雲地区の12神社では今でも野見宿禰の相撲の故事を伝え、顕彰している。
この地区の人々も相当にいじめられたらしく、昭和40年代になってポツリポツリと伝承を話すようになったことが今でもWEBで見ることができる

169:日本@名無史さん
20/09/29 11:05:45.05 .net
それと米(英?)などの小説、映画とか、
ほんとーは日本の話なのかな。

170:日本@名無史さん
20/09/29 11:15:18.69 .net
>>21
下記の事は伝承を伝える旧家も言及してた。
魏に直接朝貢し、魏書に書かれてしまった物部イニエを、ひた隠しにし、崇神天皇に当てはめた。
垂仁天皇イクメ王のつぎ、物部政権第二代では政権基盤が弱く大王が直接出向いて戦い、税金を納めろと回ったのが問題視され、架空のヤマトタケルを作り出し、御子がやったことにした。
持統天皇は、役職を作り、ヨキコト何某司を組織し、万世一系を作り出した。
江戸時代程度の遡りを、神話とまで誤魔化した。
これは、大陸に対しては日本の独立性を主張する為に非常に重要なことであってやむなき事であった。
独立のきっかけを作ったのが、魏と手を切った、ヤマト乗っ取りの渡来人、物部氏であった事は皮肉である。
しかし、この万世一系のペテンのおかげで、朝鮮半島のように9回も土下座の礼をしなくとも日本が大陸と付き合えるようにった。
〉A:3世紀の史実を、8世紀に書かれた記紀が逐一忠実に反映しているとは期待すべきでない。
ことに、記紀の成立した当時の国是は治天下天皇が外国に朝貢した歴史を容認しない。

171:日本@名無史さん
20/09/29 11:21:34.14 .net
『天財若子』
むかーし(かみよ?)の芸能関係の話、
警官、軍人でもないような話もしているし。

172:日本@名無史さん
20/09/29 11:24:54.03 .net
『于禁』
ハートマン軍曹?演じている人物など、なぜか同じような話。

173:日本@名無史さん
20/09/29 11:38:32.48 .net
>>62
三角縁神獣鏡は、大陸の研究者によっても日本製だと言及されているね。
しかし、突き詰めると邪馬台国時代、第二次物部東征の時代と少し年代が合わない。
旧家の伝承によると、初代武内宿禰が、大陸から鏡職人と鋳型を持ち帰ったらしい。
当時の魏が道教を鬼道として既に禁止にしてた事と関係があるのだろう。
魏の国からは100枚しか貰ってない鏡なのに、神獣鏡は400枚も出てるのはそう言う事らしい。
初代武内宿禰は、東征の際に途中から大和側に鞍替えした方が最後まで物部イクメ王に恨まれ、刺客を差し向けられるが前政権の娘、イクメ王の妻であるヒバス姫により殺害を免れ、彼は出雲に逃げ込んだとされる。
後に出雲から後妻さんを貰い、武内臣太田根を名乗る。
弟のウマシウチも後に出雲にやってきて後に地名が宇治に変わったとされる。
武内宿禰の古墳は弟が作ったとされ、神原遺跡からは景初三年の刻印が確認された。
大陸の鏡である花


174:文鏡も大阪では景初三年の刻印が刻印されたものが発見されている。 魏書の景初二年のことであろうか? 魏ではこの年戦いがあったので、景初2年は、3年の間違いではないかとも言われてるね。



175:日本@名無史さん
20/09/29 11:47:53.72 .net
日本のジンム(不明)、それ以前の話?先遣隊だという話も正解。
とあるスレがあるんだけど、そういう話ばかりしている人がいたり、
たしか、とあるKPOPスレw
なんで知っている人がいるんだろう。

176:日本@名無史さん
20/09/29 11:55:11.00 .net
ほんとーに、そういう話ばかりしていた。
中国の人なのかな?それとも、どこかの工作員、職員(元職員)?

177:日本@名無史さん
20/09/29 12:00:07.62 .net
あと謎の作品『日本テレビ版  三国志  于禁』

178:日本@名無史さん
20/09/29 12:16:57.03 .net
あのガンダムの曲と同じだしな、駆け抜ける嵐?

179:日本@名無史さん
20/09/29 12:35:13.80 .net
畿内説宣伝係の引きこもり奥山は夜中しか息してませんあわれ

180:日本@名無史さん
20/09/29 12:46:40.59 .net
>>163
ウソツキ
昼間にスレ立ってんだろ

181:日本@名無史さん
20/09/29 13:14:52.09 .net
>>164
畿内説スレは自動で立てている、夜ふて寝してても、昼うたた寝していても立つ。

182:日本@名無史さん
20/09/29 13:41:59.58 .net
.

◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。

「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
URLリンク(www.seibutsushi.net)
 

ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!

.

183:日本@名無史さん
20/09/29 15:28:41.19 .net
徐福なんて来てやしないよ、里すら知らないんだから、面白ろ話。

184:日本@名無史さん
20/09/29 15:46:22.41 .net
徐福は出雲風土記と記紀により、藤原氏と千家果安によってスサノオに書き換えられたもん

185:日本@名無史さん
20/09/29 15:52:03.34 .net
徐福の手下だった千家にとって出雲大社の主祭神をスサノオに書き替えるのは悲願だからね

186:日本@名無史さん
20/09/29 15:59:29.24 .net
>>168-169
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、その衣食住の生活に関する
中国系生活文物と中国系住居である
三足や耳の付いた中国系生活土器の炊飯器や調理器である鬲や鼎と
竈や釜や甑や皿や大きな双耳の付いた壺と
石刃や鉄刃の中国系耕作用農具の耜や鋤と
中粒種の中国系イネと
瓦屋根に土壁の中国系住居と
漢服と木沓と
龍信仰と亀卜と
渡来時に伝わった中国系言語の単語と
原始漢字の文章を記した金石文や木簡や竹簡や経木や筆や墨や硯と
日常食の蒸し餃子やワンタンは?

で、徐福集団が渡来定着したと提唱している頭のおかしな日本の考古学者の論文は?

.

187:日本@名無史さん
20/09/29 16:02:10.60 .net
>>170
その前に、千家の事と、出雲大社のことすら知らないような奴に物を言う資格はないのでは?

188:日本@名無史さん
20/09/29 16:03:32.55 .net
昼間は論破されまくりなので夜中しか荒らし活動が出来ない低IQのキナイコシあわれ

189:日本@名無史さん
20/09/29 16:09:15.45 .net
>>171
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その衣食住に関する生活痕たる中国系生活文物と中国系住居である
三足や耳の付いた中国系生活土器の炊飯器や調理器である鬲や鼎と
竈や釜や甑や皿や大きな双耳の付いた壺と
石刃や鉄刃の中国系耕作用農具の耜や鋤と
中粒種の中国系イネと
瓦屋根に土壁の中国系住居と
漢服と木沓と
龍信仰と亀卜と
渡来時に伝わった中国系言語の単語と
原始漢字の文章を記した金石文や木簡や竹簡や経木や筆や墨や硯と
日常食の蒸し餃子やワンタンは?

で、徐福集団が渡来定着したとギャグ飛ばしてる頭の中がファンキーな
考古学者の論文は?

早く言えよ五毛党チンコロ

190:日本@名無史さん
20/09/29 16:19:53.39 .net
>>173
その前に、千家の事と、出雲大社のことすら知らないような奴に物を言う資格はないのでは?www

191:日本@名無史さん
20/09/29 16:22:38.00 .net
>>174
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その衣食住に関する生活痕たる中国系生活文物と中国系住居である
三足や耳の付いた中国系生活土器の炊飯器や調理器である鬲や鼎と
竈や釜や甑や皿や大きな双耳の付いた壺と
石刃や鉄刃の中国系耕作用農具の耜や鋤と
中粒種の中国系イネと
瓦屋根に土壁の中国系住居と
漢服と木沓と
龍信仰と亀卜と
渡来時に伝わった中国系言語の単語と
原始漢字の文章を記した金石文や木簡や竹簡や経木や筆や墨や硯と
日常食の蒸し餃子やワンタンは?

で、徐福集団が渡来定着したとギャグ飛ばしてる頭の中がファンキーな
考古学者の論文は?

早く言えよ五毛党チンコロ

192:日本@名無史さん
20/09/29 16:25:04.53 .net
>>175

お前こそ出雲乗っ取りの千家の関係の中国人だろw

193:日本@名無史さん
20/09/29 16:26:59.61 .net
>>176
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その衣食住に関する生活痕たる中国系生活文物と中国系住居である
三足や耳の付いた中国系生活土器の炊飯器や調理器である鬲や鼎と
竈や釜や甑や皿や大きな双耳の付いた壺と
石刃や鉄刃の中国系耕作用農具の耜や鋤と
中粒種の中国系イネと
瓦屋根に土壁の中国系住居と
漢服と木沓と
龍信仰と亀卜と
渡来時に伝わった中国系言語の単語と
原始漢字の文章を記した金石文や木簡や竹簡や経木や筆や墨や硯と
日常食の蒸し餃子やワンタンは?

で、徐福集団が渡来定着したとギャグ飛ばしてる頭の中がファンキーな
考古学者の論文は?

早く言えよ五毛党チンコロ

194:uz
20/09/29 16:33:29.20 .net
>>142 > 張政が正式に卑弥呼と認定したのが娘の豊来入姫=トヨ//
  正始8年条の、宗女ってどういう意味だと考えてるの?
復立卑彌呼宗女壹與年十三爲王 國中遂定 政等以檄告喻壹與
一応、倭人伝のウィキサイトね。日本語訳は、あくまで一見解だけどね。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
トヨたんは書紀に登場するが、矢鱈と出て来るトヨなんとかって、彼女じゃないよ。
全部カモフラージュだ。

195:日本@名無史さん
20/09/29 16:42:21.92 .net
台与は幼名だから記紀に記載されている訳がないの
記紀や系図類に出てくるトヨなんたらは諡号だから生前に呼ばれていた名前じゃないんだよ

196:日本@名無史さん
20/09/29 16:49:06.08 .net
幼名で遣使するかな

197:コテ略
20/09/29 16:56:59.45 .net
そりゃ、>>178 に対する返信かね、青人草生える藁
>>179 > 台与は幼名だから記紀に記載されている訳がないの//
  はァ? 豊来入姫だか、豊鋤入姫だかって書いたるんじゃないのか?
でないなら、書紀にはなんと書いてあるのかね。
> 記紀や系図類に出てくるトヨなんたらは諡号だから
生前に呼ばれていた名前じゃないんだよ//
  だから何かね。だったらさ、態々ことさら諡号なんぞくっ付けて、カモフラージュに及んでるんだろ。
でさ、正始8年条の、宗女ってどういう意味なんだい。

198:日本@名無史さん
20/09/29 17:04:39.16 .net
>>144
田道間守は新羅系渡来人の三宅連の先祖とされるな。
天日矛を始祖としている。
日矛は但馬出石に定着した新羅からの渡来とされる。
その子孫の田道間守の橘の話は、風土記にみられる浦島子伝説を翻案したものだよ。
この田道間守は物部系なん?
そして、物部は新羅系ということなの?

199:日本@名無史さん
20/09/29 17:17:14.01 .net
>>180
元服すると諱になるんだよな
女性の元服は結婚か18~20才までにはしたとか書いてあるけど、
弥生末の元服が分からんしな
でも13才だから台与は幼名だよ

200:日本@名無史さん
20/09/29 17:19:13.46 .net
「卑彌呼」とは「天照大御神=大宜都比売(阿波の神)」
「男弟」とは「月読尊」
「卑彌弓呼」とは「須佐之男命」の3兄弟。  
「壹與」とは神武天皇の祖母(または母)にあたる「豊玉比売命」
これが魏志倭人伝と記紀との整合性。   @阿波

201:日本@名無史さん
20/09/29 17:27:44.04 .net
卑彌呼宗女「壹與」の時代に邪馬台国(粟国)と狗奴国(長国)が統一された。 これが記紀に言う、「出雲の国譲り」  
記紀の「天の岩戸神話」における、天照大御神が岩戸に隠れたというのは、倭人伝に言うところの「卑彌呼の死」を意味する。
そして、天照大御神が岩戸から出てきたという記事は、倭人伝に言う「卑彌呼宗女 壹與」の登場を意味する。   
なお、魏志倭人伝に云うところの「更立男王」は、須佐之男命。   
出雲狗奴国王「須佐之男命」 の息子「大国主命」は、卑彌呼宗女「壹與」と同世代である。   
これが魏志倭人伝と記紀との整合性。   @阿波

202:日本@名無史さん
20/09/29 17:30:05.93 .net
女子の髪上祝は数え13歳だな

203:日本@名無史さん
20/09/29 17:30:48.56 .net
宗とは本家の意味があるそうだから、宗女は本家の女子という意味じゃないか?

204:日本@名無史さん
20/09/29 17:34:40.96 .net
>>186
>女子の髪上祝は数え13歳だな

男児皇族の健やかな成長を


205:願う宮中儀式 「深曽木の儀」 「深曽木の儀」では、童形服を着て、右手に桧扇、左手に小松と山橘を持ち、 それに先立つ着袴の儀で、男子は滝の意匠をあしらった和服である落滝津の御服の上に白絹の袴を着付ける。 そして、青石(あおいし)二個を踏み、南側を向いて立ち、御用掛が髪をくしですきそろえ、はさみで毛先を少し切ると、日置盤からぴょんと飛び降りるのである。 これは高天原から天照大御神の孫、つまり天孫が葦原中国の支配者として降臨した様子を模した儀式がこの深曽木(ふかそぎ→みそぎ)の儀であると考えられている。 この「山橘」は恐らく酢橘か柚で、共に阿波で産するものの象徴でもあり、「青石」は、阿波で採れる青石=多くの古墳等の積石に使用されているもので、 これも阿波を象徴するものである。 そして注目したいのは、「南の方角へ飛び下りる」ということ、つまり高天原から南方へ降臨したということを意味するものであろう。 これは、霊峰剣山を中心にとした1000m超級からなる剣山系の山々から南方へ下ったということになる。   @阿波 https://ameblo.jp/marine816/entry-12314233650.html



206:日本@名無史さん
20/09/29 17:42:10.89 .net
深曽木の青石は加茂川で拾ってくる

207:日本@名無史さん
20/09/29 17:45:30.90 .net
でたらめすぎて口閉まるわ

208:日本@名無史さん
20/09/29 17:53:39.94 .net
>>188
なんだよ、空国から続く笠沙岬は室戸岬だったのかぁぁぁぁ~♪
木の花のお姉ちゃんは、室戸の神さんか。

209:日本@名無史さん
20/09/29 17:58:39.76 .net
まーだやってらっしゃるのか

卑弥呼陵 ← 黒塚古墳(天理市)
卑弥弓呼陵 ← 高尾山古墳(沼津市)

ハイ終了
解散!

210:日本@名無史さん
20/09/29 18:00:26.81 .net
>>182
いいえ、徐福=須佐男が、物部の祖という事です。
物部氏によって書かれた先代舊事本紀に出ているアメノホアカリニギハヤヒが徐福の和名
スサノオは千家が作り出した徐福

211:日本@名無史さん
20/09/29 18:06:33.01 .net
>>187
中国では女子が家を相続して継ぐことは絶対ない。
だから、跡継ぎを意味する宗女という単語もない。
倭人伝の宗女に最も近い単語は宗伯で、これは礼儀や祭事を司った周代の官名。宗官ともいう。もちろんこの職に就くのは男子だ。
なので、宗女の意味は祭事を司る女子であり、これに卑弥呼の跡を継ぐという意味づけをすると、卑弥呼の跡を継いで祭事を司る女子という内容であり、それ以上でもそれ以下でもないよ。

212:日本@名無史さん
20/09/29 18:14:26.39 .net
史記に「宗室之女(女児)」という意味で使っている
URLリンク(cidian.qianp.com)

213:日本@名無史さん
20/09/29 18:20:47.63 .net
>>193
千家が創出した(物部の祖ー徐福=スサノオ=ニギハヤヒ)ということは、この四者はみんな千家の創出というどんでん返しでいいの?

214:日本@名無史さん
20/09/29 18:29:42.95 .net
>>139
>あれは、ズラコクだか、ズルコクだかじゃねえの
私がzarakokuというネームで、Yahooの古代史掲示板に投稿を始めたのは、もう16年以上前。
そして、九州説の「無党派」氏やcyber ek氏やrunsunnole嬢らと、
大和説者の「東大と京大を渡り歩いた天誅君」や「ハイエナのパパ」やsagami no嬢らと、
10年以上議論をしたが、結局九州説が優勢になり、
しかし、Yahooの掲示板の担当者はそれが気に入らなかったようで、
無党派氏や私のネームでの投稿を何度も拒否し、私らはその度に、ネーム変更投稿を余儀なくされ、
それでも九州説の優勢は変わらず、Yahooは遂に、
それまでの掲示板の投稿を全部削除抹消して、新たにtextreamという掲示板に変更して、
掲示板の投稿の支配管理を強めようとし、我々のネームでの投稿を拒否制限したりしたが、
しかし、(現在の5chと同じように)、
激しい極右人種差別的な狂暴な投稿をする大和説者が一杯現れて、
正常な議論を全く破壊してしまったので、とうとうYahooは、
textreamの古代史掲示板を全面的に廃止し、投稿抹消してしまったの。

215:日本@名無史さん
20/09/29 18:35:02.72 .net
これが恨の人種の被害妄想

216:日本@名無史さん
20/09/29 18:54:33.45 .net
>>196
千家がやったのは大きく分けて二つ。
架空のスサノオを、出雲何代か前の大国主、須賀之八耳神と集合して、出雲神の舅にする事。
記紀に、朝鮮半島に降り立ったと書く事で、朝鮮渡来系の藤原家に媚を売ること。
持統天皇のヨキコト何某司により、ドロドロした歴史は隠されることになり、各地の風土記は破却されたのに、出雲風土記だけ残っている理由。
出雲風土記と古事記にスサノオが出ている理由。
押して測るべし

217:日本@名無史さん
20/09/29 18:55:32.86 .net
>>193
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その衣食住に関する生活痕たる中国系生活文物と中国系住居である
三足や耳の付いた中国系生活土器の炊飯器や調理器である鬲や鼎と
竈や釜や甑や皿や大きな双耳の付いた壺と
石刃や鉄刃の中国系耕作用農具の耜や鋤と
中粒種の中国系イネと
瓦屋根に土壁の中国系住居と
漢服と木沓と
龍信仰と亀卜と
渡来時に伝わった中国系言語の単語と
原始漢字の文章を記した金石文や木簡や竹簡や経木や筆や墨や硯と
日常食の蒸し餃子やワンタンは?

で、徐福集団が渡来定着したとギャグ飛ばしてる頭の中がファンキーな
考古学者の論文は?

早く言えよ五毛党チンコロ

218:日本@名無史さん
20/09/29 19:29:11.28 .net
>>195
宗女の単語があることは知らなかったな。
単語がないとしたことは誤りだった。
宗室は君主の一族を指すようだ。
そして、宗女は君主の一族の娘の意味としているようだ。
そこで、台与は卑弥呼を出した一族の娘だと倭人伝は書いていることになるが、
そのような宗族(日本式には氏族)が3世紀中頃にあったのかどうかというと、そうした氏族が生まれるのは5世紀頃ではないかとされているようだ。
とすると、3世紀当時にあったのは氏族社会の前段階である部族社会であり、卑弥呼を出した血縁宗族(氏族)というものはなかったと考えるのがよいと思われる。
そのような部族社会にあって、台与を文字通りに卑弥呼を出した血縁一族の娘と理解するのが妥当かというと、甚だ疑問である。
卑弥呼が共立されたときに特定の血縁集団があって、その血縁集団から卑弥呼が王に擁立されたのであれば、その血縁一族の名が中国の史書に記されるはずであるが、
そうした特定の血縁集団がいたような記述はなく、また台与の擁立についても、出身血縁集団については一言も言及されていない。
そのような部族社会において、台与に関して記される宗女の言葉を、文字通りに卑弥呼を出した君主一族の娘と読み取るのはあやまりではないか。
台与の出自に関連する宗女については、卑弥呼を出した部族の娘、あるいは卑弥呼の下にあったとみなされる巫女集団の若い巫女と理解するのがよいと思われる。

219:日本@名無史さん
20/09/29 19:45:00.45 .net
この場合の宗女とは、
卑弥呼が主宰していた鬼道の集団に関連する一女という意味だったのではないか。

220:日本@名無史さん
20/09/29 19:51:26.36 .net
女王國東渡海(伊勢湾)千餘里復有國皆倭種→至狗奴国=久努国(くののくに)

馬鹿のおかげで狗奴国の場所が露わにwwww

221:日本@名無史さん
20/09/29 19:55:53.49 .net
各地に残る徐福伝説の一つ、熊野灘。
物部五瀬が第一次物部東征で、四国の阿波の物部川に停泊した次の地点が熊野灘。
思いっきり徐福伝説があるよな。
子孫は先祖を顕彰する物なのさ

222:日本@名無史さん
20/09/29 19:56:53.74 .net
>>202
その説が最も有力なように思われるが、東遷説、また大和説では血縁集団(氏族)が3世紀には成立していたとする考えが強いようにみえる。
この時代、まだ血縁氏族はないように思うけどね。

223:日本@名無史さん
20/09/29 20:00:09.50 .net
姓というもの自体がまだないだろ?

224:日本@名無史さん
20/09/29 20:04:26.84 .net
山幸彦の五十猛は、徐福の父親の徐猛から一字を取っている。
彼はカゴヤマと名前を変え、息子には天叢雲がいる。
これが初代神武系。
叢雲の剣は、奈良で王権就任の祝いに出雲王家から尾張家に贈られた物。

225:日本@名無史さん
20/09/29 20:09:04.07 .net
13歳の女子を皆が王と認めたくらいだから
王に擁立されるような一族の血筋だろう

226:longinus_bouz
20/09/29 20:10:50.75 .net
>>187 > 宗女は本家の女子という意味じゃないか?//
  私もそのように思います。
>>195 > 史記に「宗室之女(女児)」という意味で使っている//
  漢籍での用例は承知していませんが、直感的に、
宗家のお嬢さん、といった意味ではなかろうか、と考えていました。
養女といった意味はチョッと・・・倭人伝の正始8年条のクダリですが・・・
補足>>178 > 復立卑彌呼宗女壹與年十三爲王//
卑彌呼の宗女である壹與(年十三)を、王とした、なんて解する向きが多いようです。
つまり、「卑彌呼」は「宗女」に掛かってるんですね。
対して、「宗女」が「壹與」に掛かるとすれば、
宗家のお嬢さんであるトヨたんを王とした、で意味が通りますね。
では、「卑彌呼」は「宗女」ではなく、どこに掛かるのか?
また、宗家ってどういう血統?
皇室・ミマキ(崇神)の家系とは、私は考えていません。
>>142 > 神功皇后の実家の息長家も//
  違うでしょ。息長家って継体の実家じゃないの?
だからこそ息長家って、后をいっぱい輩出してるんでしょうよ、
葛城(襲津彦・円)、蘇我(例の4代)、藤原(不比等以降)と違って、
これといった著名人がいない家系なのにさ。
血縁があるから、同族婚をしてるんじゃないのか。
葛城・蘇我・藤原以上に后を輩出してるのは、皇室自体でしょうに。
なお、宗家っていうのは、息長じゃないほう、と考えています。
> 月読系の信仰だったと言われている//
  月読って、皇室の元々の氏神なんでしょうよ、影薄いけどさ。
アマテラスってのは移入品で、スサノオってのは追い出された、三輪から出雲へ。

227:uz
20/09/29 20:20:07.87 .net
>>185 > 卑彌呼宗女「壹與」と同世代である//
  だからさ、「宗女」はどっちに掛かるんだよアホ。
>>209 中段が関連投稿)
>>194 > 宗女の意味は祭事を司る女子であり//
  直感的にだが、「宗教」って単語は近代に出来て、日本特有だと思うがね。
つまり、宗には、宗教だの祭事なんて意味はないじゃないのかい。
だから、当時の人物が、祭事を司る女子を「宗女」と表記するのは矛盾する。
「真言宗所学経律論目録」ってさ、学経律論なんかがザっと列挙されてた書付に、
後世になってからさ、そういう名称を付しただけだと思うんだがね。
>>201 > 卑弥呼を出した血縁宗族(氏族)というものは
なかったと考えるのがよいと思われる//
  卑弥呼やトヨたんて、木の又とか、石から生まれたのか?
西遊記の三国志版なのかい。

228:日本@名無史さん
20/09/29 20:25:45.53 .net
北史倭国伝
「正始中、卑彌呼死、更立男王。國中不服、更相誅殺、復立卑彌呼宗女臺與為王。其後復立男王、並受中國爵命」
>正始中、卑彌呼死
「卑彌呼」とは「天照大御神=大宜都比売(阿波の神)」
>卑彌呼死、更立男王
その男王とは「須佐之男命」
>卑彌呼宗女臺與
その臺與とは「神武天皇」の祖母(または母)にあたる「豊玉比売命」
>其後復立男王
その男王とは「神武天皇」   
出雲狗奴国王「須佐之男命」 の息子「大国主命」は、卑彌呼宗女「壹與」と同世代である。   
これが魏志倭人伝と記紀との整合性。   @阿波

229:日本@名無史さん
20/09/29 20:27:24.15 .net
姓というものがないから、今よりも同族意識は希薄だったのではないか?

230:日本@名無史さん
20/09/29 20:34:00.56 .net
>>211
スサノオは出雲王家とは何の血縁もない。

231:日本@名無史さん
20/09/29 20:37:06.11 .net
>>213
>スサノオは出雲王家とは何の血縁もない。
出雲王家ってなに?  出雲忌部のことかい?  わははははは   @阿波

232:日本@名無史さん
20/09/29 20:37:52.11 .net
戸籍がなかったのだから、現代でいう姓はなかったかもしれないが、
一定の種族集団を呼ぶ名はあったのではないか、
ひげが黒いから黒髭族とか、脛が長いから長脛族とか、鼻の下が長いから鼻下長族とか・・、

233:日本@名無史さん
20/09/29 20:41:55.82 .net
「倭国(阿波)内 忌部一族主要氏族の本拠地」   @阿波
物部氏(後の忌部氏か) :: 旧麻植地域
葛城氏 : 鳴門北灘地域  
中臣氏 : 板野地域  
蘇我氏 : 石井地域

234:コテ略
20/09/29 20:45:51.15 .net
>>212
> 姓というものがないから、今よりも同族意識は希薄だったのではないか?//
  そりゃ>>210 末尾の、西遊記の三国志版、を意識してなのかね。
姓というものがないと、血縁関係がなくなるのかね。ハナシにならんのだよ。

235:日本@名無史さん
20/09/29 21:33:32.26 .net
.

◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。

「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
URLリンク(www.seibutsushi.net)
 

ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!

.

236:日本@名無史さん
20/09/29 21:58:36.31 .net
あっ

237:日本@名無史さん
20/09/29 22:00:38.57 .net
失礼、規制がハズレた

238:日本@名無史さん
20/09/29 22:32:56.52 .net
卑弥呼が女王の時代も血族の弟が佐すけて國を治めている

239:longinus_bouz
20/09/29 22:44:02.23 .net
>>211 > 北史倭国伝・・・復立卑彌呼宗女臺與為王。其後復立男王//
  「其後復立男王」ってさ、倭五王の事だよ。
中国史書に記載のある、女性とは明記されてない、日本領域の王ってさ、以下の通りだろ。
・57年 金印貰った倭の奴の国王
・107年 倭國王帥升
・2~3世紀 卑弥呼の前後の男王
 (トヨたん)
・5世紀 倭五王
・7世紀 アメタリシヒコ
卑弥呼の前に男王がいて、卑弥呼の後、トヨたんの前に男王がまた(復)立って、
トヨたんの後に、倭五王である男王達がまた(復)立ったで、矛盾ないだろ。
トヨたん以降、倭五王以前に、別の男王の存在なぞ妄想する必要はない。
>「卑彌呼」とは「天照大御神=大宜都比売(阿波の神)」//
  イザナギ・イザナミの国産み譚で、四国周辺島嶼が優先的に発生するのはさ、
国産み譚の元ネタ・原型がさ、鳴門の渦潮の由来譚だからなんだよ。
海をグルグル掻き混ぜたらさ、出来るのは渦だろが。
阿波の語源なんてさ、存外に、ウタカタの泡なの鴨試練ぞ。
邪馬台国とか、日本の初源国家の発生とは、何の関係もないんだよ。
莫迦宛ての投稿に書いても生姜ないが、莫迦宛てだからって、
莫迦しか読まないって訳じゃないんだろうから、書いとくか。
魏志倭人伝の謎 / 後漢書東夷伝の謎 (続く)

240:uz
20/09/29 22:47:26.55 .net
>>222 の続き
魏志倭人伝の謎
・奴国は魏志に登場してるのに、何で彼への金印紫綬のハナシがないのか?
(前時代の話だし、つい書き落とした、なんて答えはブ~)
後漢書東夷伝の謎
・5世紀の史書である後漢書は、魏志に書いてない金印紫綬のハナシをなぜ知った?
・魏志では時期不明の倭国大乱を、何で後漢書は桓霊の間、と特定したのか?
(いずれも、書庫の棚卸でとか、魏略みたいな散逸文書から、なんて答えはブ~)
・地域王である倭奴国王と違って、帥升のタイトルが倭國王なのは、なぜか?
(50年分のパワーアップ、なんて答えはブ~)
范曄の嘘松、大風呂敷、なんて答えもダメだね。勝海舟父子じゃないんだから。

241:uz
20/09/29 22:58:15.23 .net
補足>>222
> トヨたん以降、倭五王以前に、別の男王の存在なぞ妄想する必要はない//
崇神・垂仁~仁徳に相応する男王は、いたのだろうが、
中国側の史料に明記のない、男王の存在なぞ妄想する必要はない。
あ、応神仁徳を倭王讃とする向きもあるが、履中が倭王讃だと、私は考えている。

242:日本@名無史さん
20/09/29 23:03:06.04 .net
>>158
三角縁神獣鏡は魏の年号が彫ってあって素材の銅も魏鏡と同じものが使われている事が判明していて
当時魏の領域だった地域からも出土してるから魏鏡で確定してるよ

243:日本@名無史さん
20/09/29 23:05:32.13 .net
>>223
後漢書は5世紀に編集されたからと言って内容が5世紀のものとは限らない
後漢時代に遡る1世紀ぐらいの漢と倭奴国の朝貢記録が参照されているのだろう

244:日本@名無史さん
20/09/29 23:12:30.86 .net
>>223
>・奴国は魏志に登場してるのに、何で彼への金印紫綬のハナシがないのか?
金印の委奴國≠奴國だから。
>・5世紀の史書である後漢書は、魏志に書いてない金印紫綬のハナシをなぜ知った?
范曄は、後漢代の記録を見る事が出来たから。
>・魏志では時期不明の倭国大乱を、何で後漢書は桓霊の間、と特定したのか?
魏志には「倭國亂」と書かれているのであり、
「倭国大乱」など存在もしなかった文言であるから、
范曄の「自己解釈に拠る書き換え」である可能性が高く、
「桓霊の間」も、范曄の「自己解釈に拠る記載」である可能性が高い。

245:日本@名無史さん
20/09/29 23:14:33.26 .net
>>225
同じ型で国産の三角と一緒に作られていました
原料は大陸産かもしれませんが、製作地は国内ですね

246:日本@名無史さん
20/09/29 23:19:13.54 .net
>>224
>あ、応神仁徳を倭王讃とする向きもあるが、履中が倭王讃だと、私は考えている。
応神仁徳履中は、一応半分偽書の記紀の大和の王名であり、
倭王讃は、九州倭國の王であるから、「私の考え」とかが×。

247:日本@名無史さん
20/09/29 23:29:00.37 .net
>>228
国内で作られた鏡は三角縁神獣鏡や魏鏡と違った銅が使われている
という測定結果が出ている

248:日本@名無史さん
20/09/29 23:39:35.63 .net
>>225
>三角縁神獣鏡は魏の年号が彫ってあって
 
三角縁や神獣鏡は呉系の鏡であり、
列島の三角縁や神獣鏡には、
「海東」鏡や呉年号鏡のような呉付近の鏡師の渡来を示す鏡もあり、
△には、陳氏のように「吏人や母人」も伴った鏡もあり、
△は洛陽からは0~1枚しか出土せず、楽浪から幾つも出土しており、
列島の500枚以上の△は、
(魏の楽浪帯方攻撃戦争から避難渡来して来た)呉系楽浪鏡師らの、
関与に拠って造られた鏡であった事になる。
>素材の銅も魏鏡と同じものが使われている事が判明していて
素材の銅の成分が近似していても、
それは材料銅に同じ地域の銅が混在していた、というだけの事であり、
渡来の呉系楽浪鏡師らの手持ちの銅材料や、列島の銅剣銅矛銅鐸銅鏡などの材料銅が、
同じような材料銅であった事を示す、というだけ。
>当時魏の領域だった地域からも出土してるから魏鏡で確定してるよ
洛陽から0~1枚の出土では、列島の500枚以上の△の説明が全く出来ず、
その事を伏せて隠しているこの男は、×人間。

249:日本@名無史さん
20/09/29 23:48:46.88 .net
>>231
>列島の500枚以上の△の説明が全く出来ず
ひとの説明聞いてないだけじゃん

250:日本@名無史さん
20/09/29 23:51:45.05 .net
>>229
>倭王讃は、九州倭國の王であるから、「私の考え」とかが×。
こういう「俺が正しいから、お前は間違ってる」式の思考してる限り
九州説は永遠に学問になれない

251:日本@名無史さん
20/09/29 23:51:46.30 .net
>>230
>国内で作られた鏡は三角縁神獣鏡や魏鏡と違った銅が使われている
という測定結果が出ている
違うな。
国内の鏡の大多数が△なのであり、だから、この男らが、
「国内で作られた鏡」から、大多数の△を省く、
というインチキをしている。

252:日本@名無史さん
20/09/29 23:52:58.97 .net
>>234
そんな証拠は無いから、インチキはあんた

253:日本@名無史さん
20/09/29 23:55:14.16 .net
>>210
>宗には、宗教だの祭事なんて意味はないじゃないのかい
宗女という語彙はないと考え、それで周代の宗伯、宗官は祭事などを行う職務だったことから、宗女は祭事を行う女のことだろうとしたが、
宗女の語彙が史記にみられ、その意味は君主の一族の娘であることが分かっことから、宗女=祭事を行う女という解釈は誤っていたことになった。
>卑弥呼やトヨたんて、木の又とか、石からうまれたのか?
人間は女の又から生まれるのは古今東西同じであるが、その生まれた人間が所属する集団に対する認識はいろんな形がある。
血縁による所属意識よりも部族集団への帰属意識の高い場合もあれば、特定の血縁祖先から続く血縁集団への帰属意識が強いケースもあり、
さらにまた親と子の血縁関係にのみ帰属意識を持つ場合もあるなどというのが歴史的な諸層のひとコマだろう。
で、考古学による3世紀頃についての知見からすると、日本ではこの時代にはまだ特定の血縁祖先から続く血縁集団である氏族が社会の単位集団となる社会形態は存在していなかったと考えられているようだ。
なので、卑弥呼を出した特定の氏族というものはなく、卑弥呼を出した部族が存在するのみだったと考えるわけ。

254:日本@名無史さん
20/09/29 23:55:14.21 .net
>>228

同じ型で国産の三角と一緒に作られていました

「国産の三角」説が否定された

255:uz
20/09/30 00:00:11.31 .net
>>227 > 金印の委奴國≠奴國だから//
  委の奴の国=倭の奴の国=奴国、だよ。
志賀の島から出た金印は、邪馬台国の時代には既に埋没史料となっていた。
にもかかわらず、倭奴国が金印を受けたと史料に記載され、
江戸時代に日の目を見た金印が、委奴国と刻印されてるんだからさ、
委=倭なのであり、委奴国なんてものを妄想する事は出来んだろ。
> 范曄は、後漢代の記録を見る事が出来たから//
  書庫の棚卸だね。ブ~だよ、普通にな。
范曄が見たのは、同時代人から見せられたのは、別のものだ。
> 魏志には「倭國亂」と書かれているのであり、
「倭国大乱」など存在もしなかった//
  結果、卑弥呼が立って収束した乱なんだから、同じ乱だよアホ。
> 范曄の「自己解釈に拠る書き換え」である可能性が高く、
「桓霊の間」も、范曄の「自己解釈に拠る記載」である可能性が高い//
  嘘松、大風呂敷も普通にブ~だアホウ。

256:uz
20/09/30 00:02:09.23 .net
>>229 > 九州倭國の王であるから//
  そんなモノは無い。別種ってのは、同国別種だ。
むろん、俀だの靡なんて国が、ある訳ないだろ、>>124 後段記載の通りだ、エテ公。
序に云えば、アメタリシヒコ=メタリシヒコだよ、当たり前だがな。
隋書には、姓阿毎 字多利思北孤、なんて書いてあるが、中国では一字姓が一般的だ。
だから新唐書では、姓は阿で、字は目多利思比孤だね、なんて戯言書いたんだよ。
一種の、弁慶なぎなた読みだ。毎を目で、北を比で置き換えたのも、
これは戯言ですよと、ことわってるんだよ。
オ〆はな、戯言に踊るノータリンでしかない。

257:日本@名無史さん
20/09/30 00:05:46.62 .net
>>231
楽浪も三角縁神獣鏡の作られた頃の景初三年には魏の領地
楽浪から数枚三角縁神獣鏡が見つかっているというのなら
それは魏で見つかったのと同じ
三角縁神獣鏡と魏鏡の銅に含まれる不純物の数値は全く同じ
国内で作られた鏡はそれとは違った数値が出た
つまり三角縁神獣鏡と魏鏡は同じ銅が使われていて
国内で作られた鏡はそれらとは違う銅で作られていると判明した
三角縁神獣鏡は洛陽からも見つかっているし
魏の領地だった帯方からも出土している

258:日本@名無史さん
20/09/30 00:06:49.12 .net
>>234
中国のとくに北方系の鏡は
斜縁神獣鏡など縁が三角になっているのが特徴

259:日本@名無史さん
20/09/30 00:21:10.97 .net
>>236
社会の諸層の話ではなくて、女王卑弥呼の後の男王に國中不服状態の時に
どういう理由で13歳の女子を擁立するのかということ

260:日本@名無史さん
20/09/30 00:29:01.03 .net
>>221
兄弟という意識はいつの時代でもあるものだが、卑弥呼の時代にはその意識が部族員意識を超えるものであったという保証はないね。
つまり、部族の利害を捨ててまで血縁の利害を優先させる社会構造であったかどうかというわけ。
血縁集団が社会の単位となっていた氏族社会は、血縁集団の利益を最大限に求めるものであって、こういう社会では兄弟の絆、親子の絆、血縁一族の絆が最大の価値を持つことになる。
中国の宗族社会はこうした血族意識が極端に嵩じた社会といえるだろう。
もちろん、血族社会でも、兄弟、親子、親戚などのせめぎ合いはあるが、いずれどちらかがその血族から排除されて消えて行くことになるのではないか。
そのような血縁意識は、卑弥呼の時代にはまだ存在しなかったと思うね。

261:日本@名無史さん
20/09/30 00:45:55.54 .net
>>243
その部族の中のどういう素性のお嬢ちゃんが選ばれたの?

262:日本@名無史さん
20/09/30 00:50:16.20 .net
>>206
姓というものは、自分が所属する血族と他の血族を区別するために設ける表象の一つだとみなすことができる。
そこで、血縁で構成する集団がない以上、区別のための姓を設ける必要がないことになるから、
倭人伝のように登場人物には姓に当たるような呼称が見当たらないことになる。
この点からみても、3世紀はまだ部族社会であったとみなすのがいいように思う。

263:日本@名無史さん
20/09/30 00:55:12.59 .net
壱輿は卑弥呼系教団で五斗米道、山泰。狗奴国は太平系で河内。

264:日本@名無史さん
20/09/30 00:57:13.09 .net
>>246
シオタクン!?

265:コテ略
20/09/30 00:57:16.23 .net
>>227 > 范曄は、後漢代の記録を見る事が出来たから//
  それはさ、全然答えになってないだろ。
より時代の近い陳寿だって、後漢代の記録を見る事が出来るだろうに、
何で奴国への金印紫綬の話を書いてないのかね。
更には、1世紀の段階でも、委奴国と倭奴国が併存してたのかね。
どっちが九州王朝国なんだよ。
陳寿は後漢滅亡後の233年生まれではあるが、後漢最後の皇帝である献帝は、
山海公として234年まで存命なんだし、朕の称号を許されていた山海公家は、
東晋時代の309年まで健在なんだ。
范曄なんかより、余程に後漢代の記録を見る事出来ただろうに。
5世紀の范曄はね、同時代人から確たる証拠を見せられて、
後漢書に金印紫綬の記録を書いたんだよ。
むろん陳寿は、それを見る事が出来なかったから、金印紫綬の記録を書けなかった。
>>229 >「私の考え」とかが×//
  「私の考え」に矛盾でもあるってならサッサと書けよ。
> 応神仁徳履中は、一応半分偽書の記紀の大和の王名であり//
  偽書ってどういう意味で云ってるのかね。
記紀は8世紀に書かれた真本だろが。
名前が後世的だなんてのは、その人物の存在否定の根拠になぞならんだろ。
死んでから名前の付いた孝明天皇以前の天皇は、存在が否定されるのかね。

266:日本@名無史さん
20/09/30 01:03:26.37 .net
>>240
景初三年の刻印は、日本国内にて書かれたとするのが出雲王家本の人の見解。
実は、神獣鏡を作ったとされる武内宿禰は、特別な血筋で、物部も乗っ取ろうとしたくらいの日本の権威、出雲王家第8代、神門臣家の八千矛に繋がる血筋。
更に、天香山に繋がる血筋。
つまりは、初代神武の父親に繋がる家系で、初代神武の血筋、出雲の血筋、物部(徐福)の血筋が全て入った名門中の名門。
彼が後の蘇我家、石川家、神功皇后の後の平群王朝に繋がった。
記紀で藤原不比等が一番隠したかったのが、自分の父親が日本の名門である蘇我氏を討ち取った事と言われてる。
現在の皇室は蘇我氏出身の継体天皇の子供、欽明天皇から女系でぎりぎりつながる蘇我王朝。
武内宿禰に話を戻す。
毛並みの良さを自認してた武内宿禰は、自分らより位が高くならないように、物部イニエと、豊田姫に嫌がらせを受けて、それがきっかけで第二次物部東征の際に豊国と物部の連合軍を裏切り大和側に鞍替えする事になる。
魏書に出てくる、たけしうえつと読める当て字が武内宿禰。
魏に直接乗り込んで朝貢したのに自分より毛並みの良くない物部イニエですら中将の位を得たわけだから、彼の屈辱の程は推して測るべきだったんだよね。
だから大陸から鏡職人ごと日本に連れて帰り、自分の鏡を作った。それが三角縁神獣鏡。
タイムリーなことに、最近のヤフーの記事で、大陸から鋳型を持ってきた根拠になる記事が出たよね。
大陸のある鏡と、神獣鏡のひび割れが一致したとね。

267:日本@名無史さん
20/09/30 01:06:35.48 .net
>>24


268:4 想像だけど、部族には独自のシャーマン集団があり、次世代のシャーマンを育成していたと思う。 縄文晩期から弥生時代にみられるゴホウラ貝腕輪はこうしたシャーマンの呪具であったと考えられているが、 大人の男女はもちろん、子供でもこの貝腕輪をしているケースがあるようだ。 こうした子供は小さいころからシャーマンとしての修行が行われたのではないか。 そこで、そうした子供シャーマンの中に霊能的に優秀である子供がみつかると、 部族の将来の大シャーマンとするためにさらに必要な特訓が行われただろう。 卑弥呼や台与はそうした一部族の優秀な霊能シャーマンとして育てられ、その部族の大シャーマンが死ぬと次の大シャーマンに擁立される存在だったのではないか。 それが倭国乱の結果、北部九州部族連合の大シャーマンとしてその地位に擁立されたということではないか。 つまり、卑弥呼は明らかに山門の部族のシャーマン見習いをしていた優秀な霊能少女だったのだろう。 台与がどの部族のシャーマン見習いだったかははっきりしないね。



269:日本@名無史さん
20/09/30 01:09:20.68 .net
>>250
ははがたは豊国の月読を封じるウサ族、父方は、二度目の来日で和名をニギハヤヒと名乗った徐福。
物部イニエは九州物部氏で、山幸彦そのもの。
だから龍宮の音姫に否定される豊玉姫を妻としてた。

270:日本@名無史さん
20/09/30 01:09:50.80 .net
>>251
シオタクン!?

271:日本@名無史さん
20/09/30 01:12:07.91 .net
>>252
いいえ違いますよ

272:日本@名無史さん
20/09/30 01:13:06.74 .net
>>250
また山門の信号機かw

273:コテ略
20/09/30 01:14:56.13 .net
>>243 > 兄弟という意識はいつの時代でもあるものだが、
卑弥呼の時代にはその意識が部族員意識を超えるものであったという保証はないね//
  弟がいたと外人が書いてるだろ。
部外者である外人さんは、血縁意識のない社会構成員の二人の姉弟関係を、
どうやって把握したと云うのかね。オ〆のハナシは箸にも棒にも掛からんのだよ。
>>245 > 倭人伝のように登場人物には姓に当たるような呼称が見当たらないことになる//
  で、血縁家族という意識が無かったって云うのかね。
有屋室、父母兄弟臥息異處。
寝る場所別でも、同じ家に住んでるらしいぞ。
喪主哭泣、他人就歌舞飲酒。已葬、擧家詣水中澡浴
他人は大騒ぎでも家族は泣いて、葬式済んだら一家総出で沐浴してるよな。
大人皆四五婦、下戸或二三婦。婦人不淫、不妒忌。不盗竊、少諍訟。其犯法、輕者没其妻子
多かれ少なかれ嫁がおって、没収される子供までいるよ。

274:日本@名無史さん
20/09/30 01:20:19.32 .net
物部の系統は神道との関係が強く、筑紫舞の、秘奥義、源流翁に繋がるとも目される家系。
筑紫舞は、戦禍を避けるためもあったが、播磨の国の西山村光寿斎に、長崎の菊邑検校を通じて伝承されるという異例の経緯をもっている。
翁舞は最大13人立ちまであったとされ、出雲翁も登場するが、決して都の翁の都の位置と、蘇我舞は決して教えなかったそう。

275:日本@名無史さん
20/09/30 01:25:15.95 .net
>>249
神獣鏡は中国でよく見つかる鏡で
当時日本で使われてなかった漢字や年号が彫られてるよ
そして三角縁神獣鏡は銅に含まれる不純物が魏の鏡と同じで
国内の鏡は違う
よって古代中国の魏で作られたものと結論づけられている
具体的には彫ってある年号の通り景初三年の239年に魏で作られた鏡と結論が出ている

276:日本@名無史さん
20/09/30 01:28:45.98 .net
>>257

だからそれは、魏に朝貢しながら無役に終わった武内宿禰が後で刻んだ物で全ての神獣鏡に刻印されているわけではない

277:日本@名無史さん
20/09/30 01:31:47.86 .net
>>257
中国ではほとんど見つかってないよな?
平気で嘘をつくのはやめろ。
最近の日経の記事で、三角縁神獣鏡と同じ工人が作った可能性が高いと発表があったばかり。
中国で二枚の神獣鏡が見つかっただけで大騒ぎだったのに適当なことを言うなや

278:日本@名無史さん
20/09/30 01:34:59.56 .net
>>258
ちなみに三角縁神獣鏡の年号や漢字は半肉彫りといって
鏡の鋳型に彫るものだから
鏡そのものに入ってる漢字や年号は彫ってあるというよりは逆に浮き出てる

279:日本@名無史さん
20/09/30 01:36:24.69 .net
>>259
洛陽と帯方郡に相当する地域から三角縁神獣鏡は見つかってるよ
どちらも当時魏の領域

280:日本@名無史さん
20/09/30 01:40:02.42 .net
>>261

だからそれは2015年のアカヒ新聞の記事のことだろ。
中国では一切出てこなかった三角縁神獣鏡が突然二枚も出てきて大騒ぎになった事件。
最近、日経の記事で、特徴的なひび割れが一致したと言う記事が出た。
お前、本気で異常だな。それ以外の出土例が確認されるまですっこんだろ、大嘘つきが

281:日本@名無史さん
20/09/30 01:45:32.97 .net
洛陽付近から出土した鏡の正式名称が、試論洛陽発見的三角縁神獣鏡。
中心部は似ているが形が違うだろ

282:日本@名無史さん
20/09/30 01:47:30.44 .net
>>253
いいえそうですよ

283:日本@名無史さん
20/09/30 01:48:38.59 .net
>>264
じゃあシオタクンでいいです。クスン。

284:日本@名無史さん
20/09/30 01:51:34.70 .net
>>262
魏の領地だった帯方郡から三角縁二神二獣鏡や三角縁四神二獣鏡が何面か見つかってるよ

285:日本@名無史さん
20/09/30 01:59:19.57 .net
>>263
それ所有者の論文のタイトル

286:日本@名無史さん
20/09/30 02:00:18.96 .net
>>266

中国社会科学学院考古学研究所の王仲殊氏は、三角縁神獣鏡は、魏王朝からもたらされた物ではなく、当時日本に渡来した呉の工人によって、日本で製作された物であると言ってるね。
故に、役に終わった武内宿禰が自分の顕彰のために、工人と職人を連れて帰ったとする出雲の旧家の伝承と符合する。
そもそも日本国内で発見された数が、卑弥呼やったとする100枚を超えてる時点で少しは考えたら?

287:日本@名無史さん
20/09/30 02:03:18.52 .net
>>268
三角縁神獣鏡は呉では1面も見つかってないね
魏では何枚か見つかっている
魏志倭人伝によれば卑弥呼や臺與は
4回ぐらい魏に使いを送っていて
さらに三角縁神獣鏡は後年に国内でよく複製品が作られた

288:日本@名無史さん
20/09/30 02:06:01.63 .net
>>269
ソースを出せ。
2015年までは中国人ですら一枚も出てないと言ってた鏡だぞ?

289:日本@名無史さん
20/09/30 02:07:54.46 .net
>>270
中国人の言う事を信じる?

290:日本@名無史さん
20/09/30 02:13:34.59 .net
呉人が日本に来たとされる根拠に、三国志呉書の、黄竜二年の条
この年は、卑弥呼が魏に朝貢する8年前にあたる。
そこに出てる夷州は九州に比定されている
その直後に突然不自然な形で徐福の渡来のあの有名な記述が出るんだよね。
長老伝えて曰く、始皇帝は~
大陸側は、物部氏の祖が誰であるか、仮説を持ってた可能性が高い。

291:日本@名無史さん
20/09/30 02:20:25.24 .net
>>271
お前よりはよほど信頼におけるわ。
大陸側の優位性を示したいのなら、喜んで鏡が出たと言うだろ。
それをわざわざ出てませんなんて言う必要はない。

292:longinus_bouz
20/09/30 02:26:38.23 .net
>>259
>(三角縁神獣鏡)中国ではほとんど見つかってないよな?//
  日本向け専用だったから、でエエと思うんだがね。
中国の古代鏡って、作られた内の、一体どれくらいが残っているのか。
殆ど残っていなくて、僅かなものだけが、副葬されたり、
突発的に埋まったりして、今日発掘されているだけじゃないのか?
大部分の鏡は最後には潰されて、より実用的なものに再利用されたんじゃないのかな。
三角縁神獣鏡は日本向けに輸出された、下賜品として。
日本では好評だったので、追加注文もされた。
で、下賜品は100枚だったが、それ以上の鏡が日本に輸出販売された。
100枚しかないのだったら、製造元に発注するのは当然でしょう。
邪馬台国に土下座するのも業腹だ。
だが、かなり特殊だった鏡(魔鏡)は、中国では不評だった。
子供だましみたいな感じもするしね。
追加注文なんかされたら、大喜びで在庫処分がなされた。
結果として中国では、僅かな残り物は潰されて再利用され、残らなかった。
日本では舶来モノとして、100年くらいは珍重されて、
最後は副葬品として利用された(まぁ、実用品から装飾品への転換だが)。
結果として三角縁神獣鏡は、中国でも珍重されて副葬なんかされた高級鏡と違って、
大部分の汎用鏡と同様に、後世には残らなかった、という事ではなかろうか。
魔鏡というのは、特殊な造作が必要みたいだ。
(続く)

293:longinus_bouz
20/09/30 02:29:06.50 .net
>>274 の続き
魔鏡というのは、特殊な造作が必要みたいだ。
模様が深く彫られて薄くなった部分の作用で、偏向した反射がなされるみたいだね。
これって、鏡本来の、歪みのない鏡像を映すという機能が損なわれると思う。
それで中国では不評だったんじゃないかな。
模様にあまり類例がないというのは、魔境として特殊な模様・彫りが必要だったから。
三角形の縁になったのは、彫りが深い分薄くなってる部分を維持して、
表面の不必要な歪みを押さえるためだったのではないかな。
>>268 > 100枚を超えてる時点で少しは考えたら?//
  てな事を、270番投稿と併せて考えましたけどね。

294:日本@名無史さん
20/09/30 02:44:30.80 .net
>>255
>どうやって把握したと云うのかね。
アホちゃう?
生まれて成人するまで親元で育てられるんだから、兄弟であることはちゃんとわかってるのよ。
倭人伝に弟であると書いてあるのは、そうした事実を伝えているもの。
しかし、そうした血縁意識よりも、部族社会では部族員であることの意識のほうが高いというとるのよ。
その姉弟がその親、親の兄弟などを含めた血縁一族総勢で倭国を支配していたと読める部分が、倭人伝のどこかにみられるというのかい?
>血縁家族という意識がなかったっていうのかね。
子供は成人すると親元を離れ、若い者らで集団生活して、部族の構成要員となったと思うよ。
その時点で血縁の価値は、部族集団員としての意識の下部構造に置かれることになるのだろう。
そして、その若者が結婚して子供ができても、核家族意識はなく、部族総員の中の一員だという意識が保持されるのだろうな。
今のような核家族の意識や氏族集団の意識で部族社会をみてはいけないよ。
親からすれば、子供は部族全体の子という意識だろうな。
そして、親はその部族全体の一員としての意識を持っているのだろうよ。

295:日本@名無史さん
20/09/30 02:57:16.93 .net
>>274
そもそも、魏ではすでに道教は禁止されてたし、武内宿禰がなぜ日本国内で神獣鏡を作らせたかと言うと、鞍替えした大和側、磯城王朝のために作られた物。
魏の朝貢とは全く関係がない

296:日本@名無史さん
20/09/30 03:00:53.07 .net
>>275
追加注文だってwww
だったら全く同じ鏡が出なければならんだろ
売り切れ御免の大盛況で、だから大陸側には残らなかったとか言うつもりか?ww

297:日本@名無史さん
20/09/30 03:02:36.23 .net
徐福ってどこにでもいるんだな😊

298:日本@名無史さん
20/09/30 03:03:51.05 .net
273
道教あったのか?

299:日本@名無史さん
20/09/30 03:05:59.88 .net
>>279
物部氏の拠点には、天孫降臨と徐福伝説のどちらかの話が伝わってる。
山幸彦、海幸彦の両方に伝わる。
位山という地名も同じ。乗鞍は昔は位山と呼ばれた時期があり、今でも麓に位ヶ原の地名が残る。
フルの地名も同義

300:日本@名無史さん
20/09/30 03:08:02.35 .net
三角縁神獣鏡にはもう一つ刻印のバージョンがあり、景初四年の物がある。
何と景初年代は3年で終わり。
魏に追加注文して四年などあり得んわ

301:日本@名無史さん
20/09/30 03:35:06.58 .net
三角縁神獣鏡には更にレアなものがあり、刻印は(銅出徐州 師出洛陽)。3号鏡と言われている。
直訳すれば、徐州の銅を使って洛陽出身の工人が作ったとなる。
これを持って邪馬台国論と、大陸製造を結びつける話が出たが、肝心の大陸の鏡で同様の刻印があるものは、方格規矩鏡一枚しかない。
当時の魏では銅は産出しておらず、結局辻褄が合わなくなり、東晋国時代に日本に渡来した呉の鏡職人が作った作品という説が既に一般的。
神獣鏡は、すでに600枚を超える枚数が出土しており、半数が機内出土。
あとは第二次物部東征のルートが殆ど。
畿内以外では福岡県のみ突出している程度

302:日本@名無史さん
20/09/30 04:01:54.07 .net
>>255
>同じ家に住んでるらしいぞ。
竪穴式の住居があり、両親とその子等がその建物に住んでるということだ。
一つ屋根の下に親と子供が住んでいてあたりまえ。
ただし、核家族だとは書いてないぞ。その爺さん婆さんは近くの別の竪穴の家に住んでて、毎日行き来してるかも知れんじゃないか。
そしてそこの爺さんが死んだら、子らは悲しみ、部族の者らが飲み食いして騒ぐのは今の忌明けと同じ。
祖先帰りの時期になれば部族総出で盆踊りもしただろう。
弥生時代だから犯罪者もいて、刑罰も掟として部族にはあったということよ。
そして、大きい部族は全員が環濠内で暮らし、小さい部族では環濠なしの集落をつくって一緒に住んだ。
墓も大小あったものの、全員が一つの共同墓域に埋葬された。
田んぼづくりもイノシシ狩りも部族総出の仕事だろうな。
収穫したものは部族の共同財産であり、また総出の祭りで祝ったはず。
要するに、支配する者、その下で管理する者、そして管理される者らがそれぞれ別々の血族であり、財産も墓域も別といった氏族の社会構造ではなかったということなのよ。
そのような氏族構造の社会が現われて来るのは5世紀頃からというわけだな。

303:日本@名無史さん
20/09/30 05:19:40.19 .net
>>230
>国内で作られた鏡は三角縁神獣鏡や魏鏡と違った銅が使われている という測定結果が出ている
根本的に、この男は、
この計測をした大和説学者らが、
何鏡であるのか?や、どこの出土であるのか?や、何時頃の鏡であるのか?や、それらの根拠や、
魏鏡とか、国内で作られた鏡とか、三角縁神獣鏡とか判定した根拠などをはっきりさせていないし、
また、魏鏡であれ、楽浪鏡であれ、呉鏡であれ、
徐州銅や揚子江北岸付近の銅山の銅を使用している可能性が高く、
また、列島の古い銅剣銅矛銅鐸銅鏡などの材料銅の産地の検討をする事も明らかにせず、
検査対象鏡の選択時点で、「結論先にありき」のインチキをしていた、という可能性が高い。

304:日本@名無史さん
20/09/30 05:23:37.94 .net
>>233
>>倭王讃は、九州倭國の王であるから、「私の考え」とかが×。
>こういう「俺が正しいから、お前は間違ってる」式の思考してる限り
九州説は永遠に学問になれない
こういう「大和説が正しいから、お前は間違ってる」式の、
「結論先にありきの思想宗教的思考」をしてる限り
大和説は永遠に学問になれない

305:日本@名無史さん
20/09/30 05:50:20.37 .net
>>238
>金印の委奴國≠奴國だから
  
>委の奴の国=倭の奴の国=奴国、だよ。
志賀の島から出た金印は、邪馬台国の時代には既に埋没史料となっていた。
にもかかわらず、倭奴国が金印を受けたと史料に記載され、
江戸時代に日の目を見た金印が、委奴国と刻印されてるんだからさ、
委=倭なのであり、委奴国なんてものを妄想する事は出来んだろ。
ダメだ。
松野氏姫氏系図には、姫氏の一部が「委奴」の地に移った、というような記載があり、
「委奴」と同じ音韻と思われる「怡土」や「伊都」の地名呼称があるから、
「委奴國≠倭奴國」であり「委奴國≠奴國」だ。
>> 范曄は、後漢代の記録を見る事が出来たから
  
>書庫の棚卸だね。ブ~だよ、普通にな。范曄が見たのは、同時代人から見せられたのは、別のものだ。
范曄の後漢書は、「自己解釈に拠る前史や魏志の記載の書き換え」になっている記載が多く、
史料批判無しには、信頼性も確率も低い。
>魏志には「倭國亂」と書かれているのであり、「倭国大乱」など存在もしなかった
>結果、卑弥呼が立って収束した乱なんだから、同じ乱だよアホ。
范曄は、魏志の「倭國亂」を「倭國大亂」と書き換えた事になるんだし、
「桓霊の間」も、魏志には書かれていないから、
范曄の「自己解釈に拠る記載」である可能性が高い。
 


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