司馬遼太郎被害者の会があったらat HISTORY
司馬遼太郎被害者の会があったら - 暇つぶし2ch282:日本@名無史さん
23/09/09 15:26:48.48 .net
いよう、征夷大将軍については田中光顕の証言?があるよ
しかし田中はこの場にはいなかったんだけどね

URLリンク(books.salterrae.net)

将軍は、七日参内。これまで通りに、政権の御委任があった。
つづいて、賀茂両社の行幸の御沙汰があったが、勤王党は、これによって皇室の尊厳を発揚しようと企てた。
有栖川宮(ありすがわのみや)、近衛前関白(このえさきのかんぱく)、公卿百官(くげひやくかん)、
雇従(こじゆう)し、将軍も、馬上にまたがり、諸侯をひきいて、前後を警衛した。
当時にあっては、非常な盛儀であって、吉村寅太郎の郷里に送った書面にも
「自然と涙にしずみ、ひたすら平伏し、つまびらかに存じ申さず、おいおい他人より、うけたまわり候えば、
玉簾《ぎよくれん》に天顔を拝し候趣き、この日御道筋へまかり出候老若男女四十万と申すことに御座候、
いずれも涙を流し申し候」とある。
この事実を見せつけられた群集には、君臣の別がハッキリと分かったに違いない。
いわば、この行幸は、庶民への実物教育である。
「いよう、征夷大将軍!」
高杉晋作がいきなり人ごみの間から大声をあげて、馬上の将軍を一|睨《げい》したのも、この時である。
陛下、御拝の間、親王将軍、みな階下のむしろの上に坐っていた。
おりあしく雨がふり出してきた。だが、将軍といえども、この場合、座を立ちのくことが出来ない。
衣冠束帯のまま、雨にぬれているしおしおとしている光景は、まことにこれ、天のなせる絶好の皮肉である。
天下に、公方よりほかにえらいものはないと思わせていた将軍の威厳も何もあったものでない。
「上さまは、京都で侮辱なされた」
関東では、留守居の閣老が、涙を流したといわるるが、あるいはそういうこともあったであろうと思われる。
そのうちに、江戸からは、急報がひんぴんと到来した。
というのは生麦事変のため、英国公使から厳重な談判をうけていた。
これは、前年八月薩摩の島津三郎のお伴さきを横切った英国人を藩士が斬殺した事件で、将軍上洛中の江戸市中は、
一般に不安な雰囲気につつまれて、今にも大事変が突発しそうな気配である。


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