20/02/07 20:45:17.32 .net
倭人伝を正しく読むと、外国目線の縄文弥生の謎にも迫るけどw
卑弥呼は190年辺りまでの倭国大乱後から247年迄の筑紫王ではある。
筑紫21国が共立した倭人地域国の半島の南、洲島の上(千里は対馬壱岐間)
周旋可5千里のそれぞれの国に大夫の在る地域国を治めていた女王。 と、言っている。
三国志の卑弥呼が大倭王だと言ってるのは、200年以前から日本は統一国だったという、
日本では、記紀が正史前提の畿内説だけの、ご都合の間違いなんじゃないのかな?
金印は、漢の委奴だし、筑紫の卑弥呼は親魏の倭王であって、
実際の列島統一倭国王は卑弥呼の247年以降で、軍事統一が成立し得る古墳発生の日本の歴史。
現実は半島利権を南朝に主張した400年倭の五王だし、
対外での日本国家成立宣言は、600年の聖徳太子でしょ?