20/01/31 04:25:34 .net
考古学的に見ても海人族が邪馬台国のメインプレーヤーだったのは間違いないよ
三世紀までは奈良盆地内には鉄器がほとんど存在しない一方で、北部九州には鉄器が豊富なのは有名だが
この頃の本州の鉄鍛冶工房は北部九州の海人族が進出していた場所ばかりだ
弥生時代の鉄鍛冶工房の分布が海人の高位の者が身につけたとされるゴホウラ貝輪の分布とほぼ完全に一致しており、鉄加工の技術は
半島からの鉄材料とともに海人族が各地に進出した際に広めたものだと分かる
そしてゴホウラ貝輪の分布が最も多いのは海人族の本拠地である玄界灘沿岸ではなく、有明海の東岸、いわゆる筑後の山門のあたりで
そこが弥生時代の鉄鍛冶工房の分布の中心地でもある
ここが伊都国の海人族が臣従した邪馬台国の場所だと考えるのが自然だろう
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