任那日本府は実在したat HISTORY
任那日本府は実在した - 暇つぶし2ch110:日本@名無史さん
20/09/27 18:54:43.72 .net
郷土愛に狂う糸クズを筆頭に、思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。
無論だが、女王国は「九州」である。
【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

111:日本@名無史さん
20/09/27 18:56:34.29 .net
~朝鮮ヒトモドキに倭人様とクダラない百済の前身である馬鹿んヒトモドキの文明格差を自覚させよう♪~
魏書馬韓伝
其衣有上無下、略如裸勢。 
上着だけ身にまとい下半身は丸出しで裸同然の馬鹿ンヒトモドキ
其俗少綱紀 國邑雖有主帥 邑落雑居不能善相制御。 不知乗牛馬、牛馬盡、於送死。 
規律が少なく、統治者はいるが法はないので統率が取れない。 牛馬に乗ることも出来ず、死ぬまで酷使する馬鹿ンヒトモドキ
居處作草屋土室、形如家、其戸在上、擧家共在中、無長幼男女之別。 其葬有棺無槨.。
入り口が上にある塚を掘っただけの家とは言えない穴に草の蓋をしただけの住居に老若男女入り乱れて住む。 
埋葬は棺がなく地面の槨に収める馬鹿ンヒトモドキ
其遠處直如囚徒奴婢相聚。無他珍寶、禽獸草木略與中國同。
馬鹿ンヒトモドキは囚人や奴隷のごとく礼俗をわきまえない。 また宝と言えるものが一切ない。 なお動植物は中国と同じ
魏書東夷伝倭人条
男子皆露?、以木緜頭。其衣橫幅、但結束相連、略無縫。婦人被髪屈?、作衣如單被、穿其中央、貫頭衣之。
倭人は男子は皆髷をし、木綿布を頭に巻いている。 衣服は幅広い布を結び合わおり、縫われていない。 
婦人は髪に被り物をし、後ろで束ねており、衣服は単衣のように作られた貫頭衣である
不?忌。不盗竊、少諍訟。其犯法、輕者没其妻子、重者滅其門戸及宗族。
盗みはなく争いもない倭人。 法を犯すと軽いものは妻子を没収し、重い者は家族を皆殺しにする。
有屋室、父母兄弟臥息異處。 其死、有棺無槨、封土作冢。
家には部屋があり、家族の寝室が別にある。 人が死ぬと槨のない塚に棺を納める倭人。
其風俗不淫。婦人不淫、
その風俗は淫らではない。 女は慎み深く嫉妬しない倭人。
このように四世紀にはすでに倭人と馬鹿ンヒトモドキには文明人とムシケラほどの格差があったのです。

112:日本@名無史さん
20/09/27 18:57:42.56 .net
~半島はもともと農耕民族化した縄文人に支配統治された地域だった♪~
朝鮮半島南部は紀元前から菜畑・板付・金隈と同族の農耕縄文人が征服し、大陸からは辰国と認識されていました。
根拠として挙げられるのが、
①朝鮮半島最古の住居遺構である松菊里(ソングリ or ソングンニ)住居跡が日本の竪穴式住居の劣化コピーであること
②朝鮮半島の水田遺構である芋田里(ウジェオンリ or ウジェオンニ)遺跡遺跡の温帯ジャポニカ米が九州島由来であること
なお北部は遼河文明領域でありウラル系やツングース系が住んでいたことも判明しています。
寒さに弱い農耕縄文人を尻目に、半島の北緯36度線以北にウラル系や後には漢族系などが流入し、
弥生人(元縄文人)国家である辰国の技術指導を受け入れながら形成されたのが馬韓・辰韓・弁韓・狗邪韓国です。
北緯36度線の壁によって
倭人(元弥生人)の影響を直接受けなかったツングース系・穢族・プヨ族を併合して高句麗に、
漢族系であった馬韓は百済に、
辰韓と弁韓が併合して倭種の国新羅に、
狗邪韓国が倭人の国として伽耶を含む任那に移行しました。
URLリンク(i.imgur.com)
百済は元漢民族であったにもかかわらず、倭国本土に媚を売り続けたため、中華化した新羅から大いに反感を買い、
唐と組んで逐滅(現代語 絶滅)させられました。
高句麗も滅亡し、任那は本土に撤退、統一新羅になったのですが、
白村江の戦いは朝鮮半島から倭人や倭種の引き揚げが目的だったのだろうと推察できます。
その新羅も高麗に滅ぼされ、民族としての倭種の国は半島から消滅してしまいました。
高麗はモンゴル帝国の侵略を受けツングース系とモンゴル系のハイブリッド国家へと変貌を遂げ、現在に至っているのです。

113:日本@名無史さん
20/09/27 21:22:36.28 .net
>>110
>一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。
倭の北限は狗邪韓国、南限は倭奴国と後漢書にある。
筑紫は女王国の南限であり、それより南は狗奴国となる。

114:日本@名無史さん
20/09/27 21:25:09.76 .net
弥生初期
九州 イザナギにより能古島で倭国建国、稲作拡大
本州 スサノオが日本海から全国へ農業を広める
弥生中期
九州 大山祇らによる倭奴国の最盛期、前漢に朝貢し内行花文鏡をもらう
本州 大山祇の子である三島溝杭耳らにより瀬戸内から近畿の稲作が拡大、出雲に大山祇の曽孫の大国主が日本海を支配
弥生後期
九州 伊都に遷都した天孫ニニギらが後漢に朝貢し金印と内行花文鏡をもらう
本州 大国主は失脚、三島溝杭耳の末裔である鴨一族と天孫ニギハヤヒの王権
弥生末期
九州 倭国は乱れ天孫族が九州を脱出、収拾のため伊都で共立された卑弥呼が、滅亡した漢王朝のかわりに国産の内行花文鏡である平原遺跡の八咫鏡を製作
本州 ニギハヤヒの物部王朝に神武が合流して大和王権の基礎となる
古墳時代初期
九州 再びの乱を収拾するため壹與共立へ、続いて八咫鏡を継承した神夏磯姫が景行と共闘、沖ノ島の合同祭祀の規模拡大へ
本州 崇神により大和王権は拡大征服路線へ、八咫鏡を宮から追放し伊勢へ
古墳時代前期
九州 仲哀が筑紫に迎えられるが崩御、神功皇后が神夏磯姫の末裔の田油津姫を倒し筑紫を統一へ
本州 神功皇后の子で筑紫倭王であった応神による統一王朝へ

115:日本@名無史さん
20/10/02 07:26:03.62 .net
宋書には、倭王武(=ワカタケル=雄略)が、朝鮮半島の95国を平定したが高句麗が従わない、と書いてある
これは、好太王碑の記述とも一致する


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