19/12/23 21:45:27 .net
気多大社の謂れは興味深い。
孝元天皇の時代(台与の頃かな)オオナムチが化鳥、大蛇を退治して海路が開けたとある
倭国大乱の余波で日本海航路は安全が担保できない状況だったんだろうか?
◎興味深いのは孝元天皇とオオナムチが同時代の人と伝わっていること
四隅突出墳丘墓の分布
広島→岡山、島根、鳥取→石川、富山
舞鶴マイヅル、敦賀ツルガに無いのは興味深い
更に気多大菩薩は、孝元天皇の時代、従者を引き連れて渡来した異国の王子とある
オオナムチは朝鮮半島の勢力と手を組んで在地の勢力を倒したのだろうか?