【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾at HISTORY
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾 - 暇つぶし2ch410:日本@名無史さん
19/12/20 17:49:11.66 .net
(8)蒸して食べる
7000年前 中国に起源
最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。
この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。
蒸し調理の起源は、今から6000~7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。
日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。
しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。
今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 URLリンク(www.nabunken.go.jp)

◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の甑

URLリンク(inoues.net)
.

411:日本@名無史さん
19/12/20 17:49:47.02 .net
7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈のセットで炊く、鼎で炊く、
さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。
ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も甑も何一つ伝えなかった。
弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。
中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。
弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。

412:日本@名無史さん
19/12/20 17:57:13.21 .net
ま~たその話題か、
畿内説が瀕死に陥ると現れる弥生オタク、つまり弥生倭種は天から下ってきたと云いたいのだろうな・・・、

413:日本@名無史さん
19/12/20 19:05:24 .net
縄文稲については、文化庁系は何が出ようともイチャモンつけて、縄文稲を葬るつもりだろう。
邪馬台国大和説者が、鉄が出なくても、いや鉄はあった、錆びて溶けてしまったのだと言い張るのと同じで、文化庁の背後にはコメの統制で権力を維持している勢力が幅広くあるのではないか。

414:日本@名無史さん
19/12/20 19:17:24 .net
>>392

その部族をまとめたのが大国主だろ。

415:日本@名無史さん
19/12/20 19:19:48 .net
>>402

問題は稲作があったかどうかではなく、それが社会の形態を変えるような位置づけとなっていたかどうかだ。
弥生時代は権力構造を含めた社会全体が稲作を中心としていた。

416:日本@名無史さん
19/12/20 19:39:49 .net
二千数百年前、
(縄文人ではなく)古弥生人の祖が稲穂を携えて天から降臨して以来、我が豊葦原瑞穂の国を制してきたと云いたいのだろう。

神話を奉り、利益を期待する者にとっては、縄文の時代から稲穂・イネ粒があったのでは困るからな。
ま、そんな程度さ。

417:日本@名無史さん
19/12/20 19:53:32.07 .net
>>404
稲作ってさ、紀元前10世紀に九州に上陸後日本列島を北上していったわけだが
紀元前3世紀には畿内まで、ADが始まる頃には本州最北端まで伝わったと言われてるんだぜ?

418:日本@名無史さん
19/12/20 20:03:08.43 .net
畿内には前7世紀頃

419:日本@名無史さん
19/12/20 20:25:54 .net
縄文焼き畑(稲作・穀物作)に比べ、
並外れて生産力の高い弥生式稲作社会を統率していった者(氏族)が居たのだろう、
銅鐸銅剣を奉る大国主もその一族だったが・・、

まもなく、鉄製農具を大量に供給できる巨大氏族が渡来してきた、
その氏族こそが大国主らを服従させ、やがては古墳文化を構築し、ヤマトに都のようなものを建てることに成功したのではないか。

420:日本@名無史さん
19/12/20 20:28:21 .net
越の国だよ。
出雲よりさらに古い倭国の最大勢力だった。
倭国の中枢である福岡に次々に新しい勢力が成立した結果、古い勢力は日本海沿岸を東に追いやられていった。

421:日本@名無史さん
19/12/20 20:29:30 .net
>>408
概ね正しい。
その氏族が天津神、天孫族だ。

422:日本@名無史さん
19/12/20 20:44:16 .net
縄文稲作なんかない。

菜畑遺跡より前のイネの証拠現物(稲籾、籾殻、炭化米)が一粒もない。

423:日本@名無史さん
19/12/20 21:09:02 .net
>>403
そう、部族連合の大部族長だな。
出雲山陰が本領で、北陸が属領。
近江、大和はアメリカのフロンティアみたいなものだった。
しかし、これ弥生後期では列島最大の部族連合だった。
それに反旗をひるがえして大和に結集した他の部族連中が、大国主に国譲りさせて後の大和の王権へとつながった。
出雲にとって痛手だったのは北陸が大国主から離脱して、大和へ集まったこと。
冬には雪が積もる出雲自体は今と変わらぬ人口過疎地帯なので、連合大和に太刀打ちできなかったのだ。

424:日本@名無史さん
19/12/20 21:37:33 .net
畿内厨はもはや根拠ゼロの妄想を並べることしか出来なくなったのか
哀れな・・・

425:日本@名無史さん
19/12/20 21:52:25 .net
>>413

根拠を示せるのは、九州厨も含めて倭国(阿波)だけだよ!   @阿波

426:日本@名無史さん
19/12/20 23:45:56 .net
>>412
出雲、筑紫は記紀に詳しいが、越は記述が少ない。
これは越がさらに古い勢力だったからではないか。
香椎が越から転じたという説もあるくらいで、そもそもは日本海沿岸は福岡まで含めて越だったのではないか?
そして政権は出雲、豊、筑紫と変遷し、前政権は次々に東に追いやられ、地層のように重なって律令時代の国割りとなったのだろう。

427:日本@名無史さん
19/12/20 23:53:42.61 .net
>>412
>冬には雪が積もる出雲自体は今と変わらぬ人口過疎地帯なので、連合大和に太刀打ちできなかったのだ。
日本海は大陸との広範囲の交易で栄えた土地だ。
弥生時代前期には水稲栽培は日本海沿岸を東北まで到達していたから、筑紫平野から筑後平野まで達する越は豊かな国だったろう。
山間部の後進国の大和など、名もなき寒村だったろう。
しかし弥生時代にそのような広域を統合することは困難で、王都福岡に新たな政権が成立するとあっけなく越は東方に追いやられた。
続いて出雲が西日本を治めたが、高天原は国を譲るように強要し、後漢代に筑紫政権が誕生した。

428:日本@名無史さん
19/12/21 01:41:56.25 .net
>>416
大和に各地の勢力が集まって連合政権を置いたのは弥生終末期。
このすぐあとが古墳時代。
この連合大和が古墳時代を開いたのだよ。
この時期、卑弥呼と台与は九州だからね。
大和は倭種の国。
魏略倭国伝の冒頭を飾っているくらいだ。

429:日本@名無史さん
19/12/21 01:49:46.14 .net
>>411
菜畑や板付で籾圧痕のついた土器が出ているが、この籾圧痕にはノギがついてるんだろうな。

430:日本@名無史さん
19/12/21 02:11:07.20 .net
>>414
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れってば

431:日本@名無史さん
19/12/21 20:37:08 .net
魏略や倭人伝の前に成立したとされる謝承の後漢書には「楽浪郡儌去其国萬二千里」と書かれている。
倭人伝の萬二千余里が魏使による実測だと胸を張っても、
この萬二千里はすでに後漢時代に定着していた観念の可能性もあるからなぁ。

432:日本@名無史さん
19/12/21 20:51:05.00 .net
>>420
>魏略や倭人伝の前に成立したとされる謝承の後漢書には「楽浪郡?去其国萬二千里」と書かれている。
帯方郡(平壌)→女王国(阿波)万二千里( 直線距離 900km)1里=75m
∴1里=70mは、概ね妥当。   
狗邪韓国(順天)は、豊臣秀吉の死後、小西行長らが朝鮮脱出の出航地でもある。
因みに、釜山は対馬海流を利用して渡った、対馬からの着岸地である。   @阿波

433:日本@名無史さん
19/12/21 20:51:15.96 .net
ウソ

434:日本@名無史さん
19/12/21 20:54:39.65 .net
>>420
>魏略や倭人伝の前に成立したとされる謝承の後漢書には「楽浪郡?去其国萬二千里」と書かれている。

帯方郡(平壌)→女王国(阿波)万二千里( 直線距離 900km)1里=75m
∴1里=70mは、概ね妥当。   
狗邪韓国(順天)は、豊臣秀吉の死後、小西行長らが朝鮮脱出の出航地でもある。
因みに、釜山は対馬海流を利用して渡った、対馬からの着岸地である。   @阿波

435:日本@名無史さん
19/12/21 22:43:09.76 .net
>>423
この謝承の後漢書では萬二千里となっていて、魏略と倭人伝では萬二千余里と書かれている。
とすると、魏略がもっともらしく萬二千余里と書き、倭人伝もそれを踏襲したことが考えられる。
余があるから実測だと胸張っていた短里説者は顔色をなくすね。

436:日本@名無史さん
19/12/21 22:45:05.03 .net
ウソ

437:日本@名無史さん
19/12/21 22:48:46.22 .net
>>415
いくら筑紫東遷の根拠が薄いからと言って、出雲からトコロテン式に元筑紫が大和へ押し出されたなんて、よくも考えたもんだ。

438:日本@名無史さん
19/12/21 22:51:14.58 .net
>>425
力なくウソて、へたれた爺さんかよ。

439:日本@名無史さん
19/12/22 00:17:40.25 .net
>>426
大和はまた別の話
きちんと整合性があるのは日本海側だけ
大和はもっと後の話

440:日本@名無史さん
19/12/22 00:47:00 .net
>>421
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ~?
無能すぎるじょ~~~wwwww

441:日本@名無史さん
19/12/22 00:47:14 .net
>>423
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ~?
無能すぎるじょ~~~wwwww

442:日本@名無史さん
19/12/22 02:48:52.22 .net
>>424
もはや虚偽を並べるしかなくなった畿内厨アワレwww
どうせそんなマイナーな書物なんて誰も確認できないと思ってデマカセを並べたんだろうが残念賞
ここのサイトで現存分は全文読めるし単語検索もできるw
URLリンク(ctext.org)
もちろん萬二千里なんて単語は全くヒットしないがなw

443:日本@名無史さん
19/12/22 04:41:43 .net
>>431
これは電子記録化した分だろ。
膨大な書籍の記録化をしているときに、逸文の記録が手につくかよ。
まだ何十年とかかる作業だ。
載ってるわけないわ。

444:日本@名無史さん
19/12/22 04:51:13.99 .net
>>431
「朝鮮半島からの里程-飯山の昼行灯Ⅱ」と検索欄に入力して、
画面の一番上を開け。
原文が載ってるぞ。

445:日本@名無史さん
19/12/22 06:17:50 .net
>>424
>余があるから実測だと胸張っていた短里説者は顔色をなくすね。

意味がわからない。
一万二千里が概念だとする畿内説が顔を真っ青にするところだろう。

446:日本@名無史さん
19/12/22 06:50:48.21 .net
>>432
それは八家後漢書の全逸文だよ
たぶんお前の言ってるのは某氏の推測による説だろう

447:日本@名無史さん
19/12/22 06:57:54.34 .net
>>420
>魏略や倭人伝の前に成立したとされる謝承の後漢書には「楽浪郡?去其国萬二千里」と書かれている。

帯方郡(平壌)→女王国(阿波)万二千里( 直線距離 900km)1里=75m
∴1里=70mは、概ね妥当。   
狗邪韓国(順天)は、豊臣秀吉の死後、小西行長らが朝鮮脱出の出航地でもある。
因みに、釜山は対馬海流を利用して渡った、対馬からの着岸地である。   @阿波

448:日本@名無史さん
19/12/22 07:59:04 .net
>>434
畿内説は別に長里でいいんだから、萬二千里が概念だとか言う必要なくないか?

449:日本@名無史さん
19/12/22 08:01:13 .net
>>435
隋書も萬二千里だな。
魏略、倭人伝だけが萬二千余里なんか?
もっともらしく余分なもの付けるからよ。

450:日本@名無史さん
19/12/22 08:03:32 .net
>>437
萬二千里を一里430mで計算してみろよ。
ニューギニアあたりだぞ。
だから、萬二千里は遠いところという慣用句だよ。

451:日本@名無史さん
19/12/22 08:16:28 .net
>>439
>だから、萬二千里は遠いところという慣用句だよ。

朝っぱらから頑張っているではないか、よしよし!
たしかに「萬二千里」は慣用句でも良かろう。しかしそれと「萬二千余里」では字ズラも意味合いも違うからな、、。

452:日本@名無史さん
19/12/22 08:17:36 .net
>>439
短里を認めたくないのかw

仮に萬二千里が慣用句だとして邪馬台国は

どこにあるのだと思うか教えてもらえないだろうか?

後学のためにw

453:日本@名無史さん
19/12/22 08:17:47 .net
>>439
>だから、萬二千里は遠いところという慣用句だよ。


だから、帯方郡(平壌)→女王国(阿波)万二千里( 直線距離 900km)1里=75m

∴1里=70mは、概ね妥当。   

狗邪韓国(順天)は、豊臣秀吉の死後、小西行長らが朝鮮脱出の出航地でもある。

因みに、釜山は対馬海流を利用して渡った、対馬からの着岸地である。   @阿波

454:日本@名無史さん
19/12/22 08:32:59.27 .net
>>437
>>434
>畿内説は別に長里でいいんだから、萬二千里が概念だとか言う必要なくないか?
言っているバカに言ってやってくれ。

455:日本@名無史さん
19/12/22 08:33:22.67 .net
>>439
つまり長里は間違いなんだよ。

456:日本@名無史さん
19/12/22 09:04:57.46 .net
たしかに「萬二千里」は慣用句でも良かろう。
しかし、それと「萬二千余里」とでは、字ズラも意味合いも違う、こっちのほうは短里であることを意味しているのだ、。

457:日本@名無史さん
19/12/22 09:06:35.68 .net
>>445
その通り。  
だから、帯方郡(平壌)→女王国(阿波)万二千里( 直線距離 900km)1里=75m
∴1里=70mは、概ね妥当。   
狗邪韓国(順天)は、豊臣秀吉の死後、小西行長らが朝鮮脱出の出航地でもある。
因みに、釜山は対馬海流を利用して渡った、対馬からの着岸地である。   @阿波

458:日本@名無史さん
19/12/22 10:10:59 .net
短里ってのは何で三国志魏書の中国国外の東部にだけ存在するのかが意味不明なんだよ。
他は中国国外でも短里なんて使ってない。

魏の東に広大な国があり魏に朝貢しているとする偽装工作なんてことは、中国がもっと昔から大陸を支配してる事を考えると
そんな幼稚な偽装工作が罷り通ると考えるようなおめでたいやつはいない。

帯方郡から朝鮮半島の端の狗邪韓国まで7千里。
当時の中国人の1里の常識は400m程度だから2800km
朝鮮半島の長さが、台湾を突き抜けてフィリピンくらいまであると書いてる訳だ。

そこから更に5000里ほど。
中国本国を凌駕する国が魏に従ってますと。

1里70mでピッタリ合う!という短里の発想と言うのは、秦の始皇帝も万里の長城を諦めて裸足で逃げ出すビックリ超大国が
魏の東に存在すると言う夢物語を真面目に考えるというアホ臭さ。

459:日本@名無史さん
19/12/22 10:31:17.44 .net
>>447
まーたこういう周回遅れが湧いてきた
魏志倭人伝だけじゃなく、ずっと後の時代の隋書でさえ部分的に短里が使われてる
隋書百済伝に「其南海行三月有耽牟羅國 南北千餘里東西數百里」とあり
耽牟羅國は済州島のことなので、この大きさは短里でしかあり得ない
長里(短里の約5倍)だとすると「方可四千里」の朝鮮半島より東西幅が大きくなってしまう
ちなみに隋書では南北や東西とは方の南北辺、東西辺の長さを表すので上記は横長の範囲となる
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

460:日本@名無史さん
19/12/22 10:32:19.34 .net
もう一つ短里の実例がある
三国史記新羅本紀の中の鬱陵島の大きさについて
「于山国在溟州正東海島 或名欝陵島 地方一百里」(『三国史記』巻第四 新羅本紀)
鬱陵島は突出部を除くと10km弱四方ほどの小さな島なので、方一百里は短里となる
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)

461:日本@名無史さん
19/12/22 10:38:32.52 .net
グダグダと屁理屈を並べても実際に短里が複数の史書で使用されているという事実には勝てないのであった
畿内厨残念無念

462:日本@名無史さん
19/12/22 10:59:43.82 .net
>>447
>短里ってのは何で三国志魏書の中国国外の東部にだけ存在するのかが意味不明なんだよ。
何故そうなったのかは不明だが、だからといってその事実から目を背けてはいけない。
事実を受け入れ、それからその原因を探るしかない。

463:日本@名無史さん
19/12/22 11:06:18 .net
>>451

その通り。  

だから、帯方郡(平壌)→女王国(阿波)万二千里( 直線距離 900km)1里=75m

∴1里=70mは、概ね妥当。   

狗邪韓国(順天)は、豊臣秀吉の死後、小西行長らが朝鮮脱出の出航地でもある。

因みに、釜山は対馬海流を利用して渡った、対馬からの着岸地である。   @阿波

464:日本@名無史さん
19/12/22 11:12:15 .net
畿内説にとっては、辛い事実ばかりなんだろうなあ。

465:日本@名無史さん
19/12/22 11:12:18 .net
>>447
>短里ってのは何で三国志魏書の中国国外の東部にだけ存在するのかが意味不明なんだよ。

歴史というのは、考えたら意味がわかるってもんじゃないんだよ
速攻で、あきらめるんだな、

466:日本@名無史さん
19/12/22 11:14:05 .net
>>448
魏書にしても隋書にしても、その記述の全てが新規に書き起こしたわけではないって事は理解してるかい?

魏書にせよ隋書にしても、過去の他の記録から書き写して一纏めにしてるだけだ。
隋書に関しては、当然先に成立してる魏書から引用してるに過ぎない。
魏書は魏本国や帯方郡の公文書と、魏略や前漢書など他の文献の引用で纏めてるだけに過ぎない。

魏書でも隋書でも使かわれてるから正しい。ではなく、誰も出典元が正しいか検証しないまま転記されてるからこうなってるだけだ。

魏志倭人伝最大の無責任投げっ放しの、船で一年の裸国、黒歯国なんか、紀元前4~3世紀に書かれたビックリ妖怪大百科の山海経からの転記だしね。

正史にあるから物凄く正しくて正確に違いないなんて、幻想はさっさと捨てましょう。

467:日本@名無史さん
19/12/22 11:15:14 .net
>>453
>畿内説にとっては、辛い事実ばかりなんだろうなあ。


九州説もね。  わははははは

九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、 そのなかでも分かりやすいのが、

九州には自慢できる温泉が腐るほどあるのに、九州に在る温泉への天皇行幸が明治天皇行幸まで一切無いこと。

なんで九州各地の風土記に天皇の行幸記事が無いのだろうか?

九州に倭王権があれば、有り得ない話である。   @阿波

468:日本@名無史さん
19/12/22 11:26:46 .net
>>451
目を背けずに考えたら、萬二千里は実測ではないという結論にしかならんよ。

逆に途中で思考停止するから、短里に逃げざるを得なくなる。
魏志倭人伝全文や、他の正史の倭国の記載も見比べ、正史以外も拾っていくと、魏志倭人伝に正しくない。正確でない事が混ざってるのがはっきりわかる。

魏志倭人伝を正しく読む。と言うのは、字面を額面通りに読むこと


469:ではなく、正誤をなるべく多く嗅ぎ分けて本当の所はどうなのか?を読む事だろ?



470:日本@名無史さん
19/12/22 13:12:00 .net
>>457
方角も違う、距離も合わないということか?

じゃあ魏志倭人伝なんて読む価値ないんだな。

すくなくとも畿内厨の人は。

471:日本@名無史さん
19/12/22 16:18:09 .net
到其北岸狗邪韓国 七千余里 始度一海 千余里 至対海(対馬)国
    -------------
参問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千余里
   -------------
自郡至女王国 萬二千余里

千余戸、四千余戸、七万余戸etc.と
ここでは戸数も「余」付けて表現してるのだからさ
グーグルマップ開いて帯方郡から狗邪韓国まで7000として、そこから対馬まで1000の距離比

でもって遠目で眺めて島をぐるっと一周ざっくり5000の対比関係になり得そうな陸地は九州島くらいしか
無いんだがね・・

そして帯方郡から女王国まで12000だから狗邪韓国までの距離の12/7掛けするとだいたいのところが出るよ
そうすると・・・ゴクリ

472:日本@名無史さん
19/12/22 16:20:31 .net
>>459

阿波だよ!   @阿波

473:日本@名無史さん
19/12/22 16:53:33 .net
>>458
>じゃあ魏志倭人伝なんて読む価値ないんだな。

>すくなくとも畿内厨の人は。

まさにその通り。読む価値もないが、畿内厨自身も価値なし。

474:日本@名無史さん
19/12/22 17:12:34 .net
「男子無大小 皆黥面文身 自古以来 其使詣中国 皆自称大夫」

男性は大人も子供も、みな顔や体に入墨をしている(黥面は顔の入れ墨、文身は体の入れ墨)
古くから、中国に来た倭の使者はみんな自らを大夫と称している(訳文by wiki)

実はこの一行だけで畿内説を粉砕できるのです
魏志倭人伝の作者にとって倭人とは「みな顔や体に入れ墨をしている」人々なのですよ
入れ墨してない倭人は作者(または魏の使者)にとって別種の倭人という認識
倭からの使者と何十人もの男女「生口」が大陸に渡っているので証人多数
少なくとも渡来してきた魏使者の張政一行は入れ墨人しか見ていないぽい

「4世紀以前奈良盆地の民は入れ墨習俗あるのか
イレズミ渡来人が半島から大挙して来た記録・物証あるのか」
なんかを問うて見ればいいかと、しょぼい土器でなんちゃら言うかもしれないが

倭人、倭国、邪馬台国の定義は魏志倭人伝の作者(伝聞なら伝承者)の定義が全てであって
現代の我々がかってに定義するもので無いという基本的な事がわかってない
自分たちの考えにそぐわない都合の悪い事実は見なかったことにするし
>>372をあっちのスレに貼ってもほぼほぼスルー

475:日本@名無史さん
19/12/22 17:26:02 .net
>>458
さぁ?正しいとするだけの根拠は足りないだろうな。

倭国に百くらいの国があったと言うのも、前漢書地理志の燕地条に出典元が見られるが、前漢書の成立はAD1世紀頃。
少なくとも魏書よりも早い時期に編纂された記録から魏書が転記した証明にはなる。

調べもせずに過去の記録を丸写しするのが中国歴史書のスタイル。
漢代では楽浪郡から萬二千里で倭国に着いたのに、魏の時代になると、楽浪郡よりも南の帯方郡からも萬二千里かかるって、適当なコピペするからミスをしたりね。

書いてあるから正しいと鵜呑みにするのではなく、その文面の出典元まで辿ってみる必要がある。
身長90cmの侏儒国とか、鵜呑みにしないよね?
それと同じ様に、正史だからと鵜呑みにせず、疑ってかかるほうが良い。

476:日本@名無史さん
19/12/22 17:33:32 .net
樂浪郡徼=帯方郡でしょ

477:日本@名無史さん
19/12/22 17:39:14 .net
>>464
帯方郡はソウルの辺りで、楽浪郡はその北だろ。

478:日本@名無史さん
19/12/22 17:40:45 .net
郡徼

479:日本@名無史さん
19/12/22 18:03:51 .net
>>449
朝鮮里は1里420m程度だそうだ。
百里だと42kmになる。
実際の地図上の鬱陵島は一辺10km程度なので、
朝鮮里による百里42kmは実際の鬱陵島の一辺10kmの4倍ということになる。
そこで、1里420mの4分の1を計算すると、1里105mになる。
この計算では、キミらが主張している75mとは合わんじゃないか。
30mも差がある物差しなんて物差しとは言えんよ。
つまり、普通に考えたら、鬱陵島一辺百里は実際よりも4倍に盛った過大な長さだということなんだがなぁ。
李氏朝鮮時代に描かれた朝鮮半島が異常に大きいのも、こうした史書の盛り過ぎの里程に起因していると考えるのがOKよ。

480:日本@名無史さん
19/12/22 18:08:52 .net
>>441
だからよ、萬二千里でもって邪馬台国の位置を割り出そうとする試み自体が、方法論として間違っているということなのよ。

481:日本@名無史さん
19/12/22 18:12:51 .net
>>440
謝承後漢書の萬二千里の慣用句を、魏略はあたかも測量を見てきたかのように余をつけて、もっともらしくしただけ。

482:日本@名無史さん
19/12/22 18:25:27.35 .net
>>469
帯方郡(平壌)→女王国(阿波)万二千里( 直線距離 900km)1里=75m
∴1里=70mは、概ね妥当。   
行ったことも、見たこともない遥か彼方の大海に浮かぶ国や島が現実に描かれている。  なんらかの測量法があったことは確実。   
15世紀だが、測量に関しては邪馬台国時代とそれほどの測量技術の差異はないはず(光学機器がない)。   @阿波
「混一疆理歴代国都之図」
URLリンク(imgur.com)

483:日本@名無史さん
19/12/22 18:27:06.01 .net
>謝承後漢書の萬二千里
根拠無し

484:日本@名無史さん
19/12/22 18:53:39.92 .net
あのー
1里の実距離に関係なく地図、定規、コンパスで割り出す方法書いたんだけど>>459
わかってもらえてない俺涙目

485:日本@名無史さん
19/12/22 19:35:08 .net
>>463
>漢代では楽浪郡から萬二千里で倭国に着いたのに、魏の時代になると、楽浪郡よりも南の帯方郡からも萬二千里かかるって、適当なコピペするからミスをしたりね。

後漢書が最後に書かれたんだよ。
でも後漢の頃には帯方郡がなくて楽浪郡だけだったから、後漢書ではあえて楽浪郡としたんだ。
写し間違いではなく、論理的にそうせざるを得なかった。

486:日本@名無史さん
19/12/22 19:36:46 .net
>>472

比率から言えば九州北部の他に選択肢はない。
それはもうずっと九州説が主張していることなんだ。
それを畿内説が無視し続けているだけ。

487:日本@名無史さん
19/12/22 19:59:58 .net
>>473
謝承が書いた後漢書が最も早い。
魏略より早い。
魏略や倭人伝はこの謝承が書いた後漢書を参考にしたのだろう、というのが学者の説。

488:日本@名無史さん
19/12/22 20:07:50 .net
>>475
>学者の説

誰?

489:日本@名無史さん
19/12/22 20:08:33 .net
>>464
楽浪郡儌は馬韓国儌。

490:日本@名無史さん
19/12/22 20:10:02 .net
>>476
福永晋三。

491:日本@名無史さん
19/12/22 20:12:40 .net
後漢書の時代:
 楽浪郡→金印の倭奴国・・・萬二千里

魏志倭人伝の時代:
 楽浪郡~帯方郡・・・(二千里)
 帯方郡→女王国(邪馬台国女王之所都)・・・萬二千余里

つまり差し引きすれば、倭奴国~女王国(邪馬台国女王之所都)は、二千余里であった。

492:日本@名無史さん
19/12/22 20:17:11 .net
>>478
やっぱりねw
あいつの理屈は間違ってると思うよ

493:日本@名無史さん
19/12/22 20:17:24 .net
>>459
5千は倭地のぐるり周囲の距離だからね。
倭人伝は倭種の国も倭地としているから、まあ福岡から瀬戸内海沿岸を通って伊勢まで行き、それから紀伊半島と四国南岸を廻り、そのあと鹿児島から長崎、福岡へ戻るのが5千里。
魏1里430mでぴったんこの一周距離。
遠いところを意味する萬二千里を地理的に割り振っただけの記述を元に地図上の距離と整合性をとろうとするから、1里75mなんていう夢にうなされ続けることになるのよ。

494:日本@名無史さん
19/12/22 20:19:57 .net
>>480
福永信三の田川説はトンデモだけど、彼の漢文能力は評価に値する。

495:日本@名無史さん
19/12/22 20:22:35 .net
>>481
よほど周旋五千里にうなされ続けてるようだな、お気の毒に、、、、

496:日本@名無史さん
19/12/22 20:24:52 .net
>>482
彼は翰苑中の後漢書が三國志より前にあるから謝承が書いたものに違いないって言ってるだけなんじゃないの

497:日本@名無史さん
19/12/22 20:45:10 .net
>>441
実際の邪馬台国は筑後山門にあったのじゃ。
このことは誰にも言うな。
秘密じゃけんの。
一方、萬二千里は単に謝承後漢書の受け売りだから、取り上げる必要はまったくない。
しかし、地理的に沖縄あたりにあるとする倭人伝の記述については、
これはそのあたりの海域に扶桑などと呼ばれる仙人の住む理想郷があるとする古代中国人の固定観念が原因となっており、
そのような理想郷の固定観念と先行の史書の奴国が倭国の極南界にあるとする記述を組み合わせたのが沖縄邪馬台国の陳寿説なわけだ。
この陳寿説は古代中国人の固定観念に発する荒唐無稽なものであるから、陳寿によるトンデモ説としておくのがよい。
そういうわけだから、邪馬台国は筑後の山門にあったのだよ。

498:日本@名無史さん
19/12/22 21:03:55.32 .net
実際の邪馬台国は安芸の宮島にあったのじゃ。
このことは誰にも言うな。
秘密じゃけんの。

499:日本@名無史さん
19/12/22 21:19:28 .net
松浦までで、実距離は中国の里の1/5程度であることがわかっている。
これを前提として5倍誇張説を仮定する。一里あたり87mである。

5倍誇張説の場合の計算結果と推定場所 
帯方郡の場所
URLリンク(upload.wikimedia.org)
帯方郡黄海北道鳳山郡説より、帯方郡側の海州を起点とする。

帯方郡から狗邪韓国まで、乍南乍東7000余里 7000里/5=1400里*435m=609km 海州—釜山広域市 700km
狗邪韓国から松浦まで3000里 3000里/5=600里*435m=261km 釜山広域市−唐津 210km
松浦から伊都国南東500里 500里/5=100里*435m=43.5km 唐津—小城 38.3km 
東南100里の奴国まで 100里/5=20里*435m=8.7km 小城—佐賀 10.1km 
東100里の不弥国までの道 100里/5=20里*435m=8.7km 佐賀—大川 9.5km 
南水行20日の投馬国まで 20日/5=4日*30里=120里*435m=52.2km 大川—玉名 47km

水行10日、陸行1月の邪馬台国 
水行10日 10日/5=2日*30里=60里*435m=26.1km 玉名—緑川 26km
陸行1月 30日/5=6日*30里=180里*435m=78.3km 緑川—人吉 86km

侏儒國 南4000里 4000里/5=800里*435m=348km 熊本緑川流域—屋久島 315km
裸国、黒歯国 水行一年 365日/5=73日*30里=2190里*435m=952.65km 
熊本緑川流域-奄美大島 580km 
熊本緑川流域-沖縄本島 824km 

おまけ 
韓地、方4000里 (4000里/5)^2=800里^2=(800*435)^2 =121104km^2

wikipediaより、 
韓国  面積 100,210km^2 

500:日本@名無史さん
19/12/22 22:04:14.09 .net
>>479
>つまり差し引きすれば、倭奴国~女王国(邪馬台国女王之所都)は、二千余里であった。
対馬海峡より短いということですな。

501:日本@名無史さん
19/12/22 22:06:27 .net
>>485
>実際の邪馬台国は筑後山門にあったのじゃ。

奴国から二千里程度ということかな?
一万二千里でも全く問題ないようだ。

502:日本@名無史さん
19/12/22 22:41:39.78 .net
>>489
萬二千里は捨てなよ。
伊都国から奴国までの百里と奴国から不彌国までの百里は同じ。同じ間隔ということ。
そこで、地図上の伊都国から奴国までの間隔と同じ間隔を東に取ればいいの。
そしたら、その間隔は筑紫野市から小郡の中間くらいの位置になる。
で、この地点と狗奴国である熊本の北に当たる大牟田との間が焦点になる。
小郡から南のあたりは筑後川付近が地理的に境界になるから、この筑後川の南の八女から大牟田までが邪馬台国ということが弾き出されるのだ。
邪馬台国はこのあたりにあって、八女は政治経済の中心、山門は卑弥呼の祭祀所があったところ。
倭国大乱の頃に八女と山門は合併したのだろう。
八女では、日本書紀神功紀に出てくる夏羽が仕事しており、山門では田油津媛が豊作を祈っていたということだよ。

503:日本@名無史さん
19/12/22 22:52:55.14 .net
>>486
安芸の宮島邪馬台国説はハツミミ。
そんじや、宮島と戦争した狗奴国は伊予か。
倭人伝は上陸戦の様子は書いてないけどな。
それに、水行三十日はどこからどこまでよ?

504:日本@名無史さん
19/12/22 22:55:43.79 .net
>>455
>隋書に関しては、当然先に成立してる魏書から引用してるに過ぎない。
魏書に耽牟羅國なんて出てこねえよw
負け犬の言い訳はいつも愚かしいな
>>450を百回読めカス

505:日本@名無史さん
19/12/22 23:05:06 .net
>>467
鬱陵島の一辺は10kmもない
東西は10km近いが南北は8km程度でしかない
10km弱を=10kmと読むそのアホさは救いがたいな

506:日本@名無史さん
19/12/22 23:08:22 .net
>>490
筑後川流域でも一万二千里を満たすだろってこと。

507:日本@名無史さん
19/12/23 00:17:53 .net
萬二千里が慣用句ならば対馬までの千余里、

壱岐までの千余里、末盧国までの千余里とは

どう解釈するんだ?比定できる地名と距離から

魏里とは違う短里の存在が昔から言われているだろう?

短里が幻想ならば對海国、一大国、末盧国とはどこになるのか

教えてくれないか?

508:日本@名無史さん
19/12/23 06:08:39.66 .net
倭国内の伊都~水30日陸一月の往復4ヶ月で頻繁に往来がなされてるわけは無い。半島南まで入れたら何ヵ月かかり潮の流れで秋は無理らしいじゃないか?都が遠すぎて助けてくれなぞ卑弥呼も言わんだろ?

509:日本@名無史さん
19/12/23 06:20:54 .net
それに一大率は相当暇だと思うよ、畏怖する理由も解らん。

510:日本@名無史さん
19/12/23 08:59:19 .net
吉野ヶ里の重要性と位置づけも見逃せない。
いったい、倭人伝の行程のどこに位置したのであろうか。

511:日本@名無史さん
19/12/23 08:59:46 .net
水戸黄門みたいなもの。

512:日本@名無史さん
19/12/23 09:00:32 .net
【邪馬台国と周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県伊万里市)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊佐早国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は長崎県長崎市(または長崎県西彼杵郡)または嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は高来郡(長崎県雲仙市)
7番 不呼国は須古(佐賀県杵島郡白石町)
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の広川か高�


513:ヌ台、室岡・亀ノ甲遺跡 17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町) 18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺) 19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町) 20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市) 21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲 邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。 魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。 狗邪韓国 朝鮮半島南岸 対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市 末廬国(諸説あり) 伊都国 糸島市(旧怡土郡)、奴国 福岡市(那の津)→あわせて邪馬台国(女王の都) 不彌国 福岡市東区(香椎宮) 投馬国 宮崎県西都原市(都万神社) https://i.imgur.com/lo1K3BJ.jpg



514:日本@名無史さん
19/12/23 10:37:46.22 .net
「邪馬臺国」は呉の後背を襲える福建省の真東にあるというデタラメから
逆算したのが三国志魏志の「行程」記述
「行程」がどうのと垂れてる連中は全員白痴

515:日本@名無史さん
19/12/23 11:24:28.98 .net
畿内説の方角・距離無視というデタラメ行程論もあるが、
九州には、問題を解決できるきちんとした行程論もある。ま、気に入らないだろうけどな・・・、

516:日本@名無史さん
19/12/23 11:31:47.59 .net
>>502
九州説でもチョコチョコ方角や距離を誤魔化さないと無理だけどね。

517:日本@名無史さん
19/12/23 11:45:23 .net
ありもしないとんでもない場所に到達するための「距離」だの「方角」だのに
意味があるわけねーだろうが

三国志魏志の記述でわかるのは当時の中国人は九州北岸までの
地理の知識はあったということだけ

他の「地理」関連は全部デタラメ

518:日本@名無史さん
19/12/23 11:57:21 .net
>>503
やっぱり気に入らない様だな

ま、其のうち、倭人伝の行程記事の正確さを裏付ける発掘事業も進むことだろう。

519:日本@名無史さん
19/12/23 12:01:39 .net
>>505
>ま、其のうち、倭人伝の行程記事の正確さを裏付ける発掘事業も進むことだろう。


とっくに、倭人伝通りの行程は、決着済み!

帯方郡(平壌)
↓【南】海岸水行7000里( 直線距離 500km)1里=71m
狗邪韓国(順天)
↓【南】海渡1000里 (70km)1里=70m
津島国(方400里、千戸)(対馬上対馬か)
↓海渡1000里 (50キロ)(50km)1里=50m
一支国(方300里、三千家)(壱岐郷ノ浦か)
↓海渡1000里 (対馬→壱岐と近似)(70km)1里=70m
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
↓【東南】陸行500里 (25キロ)1里50m 福津市→八木山峠越え→直方
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)
↓【東南】100里 (15キロ)1里150m
奴国(二万戸)(田川辺り)
↓【東】100里 (25キロ)1里250m
不弥国(千戸)(築上町辺り)
↓【南】水行20日
投馬国(五万戸)(宿毛)
↓【南】水行10日又は陸行1月(旧土佐街道)
《邪馬台国》女王・卑弥呼(七万戸)
↓【東】海渡(紀伊水道)1000里(50km)1里=50m
女王国東渡海千余里復有国皆倭種 (阿波から東へ1000里渡海→奈良周辺)

帯方郡(平壌)→女王国(阿波)万二千里( 直線距離 900km)1里=75m

∴1里=70mは、概ね妥当。   

狗邪韓国(順天)は、豊臣秀吉の死後、小西行長らが朝鮮脱出の出航地でもある。

因みに、釜山は対馬海流を利用して渡った、対馬からの着岸地である。   @阿波

520:日本@名無史さん
19/12/23 12:10:30 .net
>>505
一大国から末盧国までの工程がそもそも九州説だと千里ないじゃん?
九州上陸前から恣意的に歪めてるのは認めようよ。

別にそんな事位大昔の記録なんだからあってもいいんよ。
それを九州説は完璧で間違いないなんて思ってるのが間違いなだけ。

521:日本@名無史さん
19/12/23 12:20:28 .net
畿内機内説だと千里になるんだ

522:日本@名無史さん
19/12/23 12:30:10 .net
>>507
>一大国から末盧国までの工程がそもそも九州説だと千里ないじゃん?

実態として、



523:岐から末盧国の港(古唐津港の中原遺跡)までは、700里くらいある。 それを概数千余里というのは適切の範囲内だろうな。 また、西接の伊万里港までならドンピシャ千里となる。また帯方郡からは1万里で、ゆえにここをイー・マン・リーと称した。



524:日本@名無史さん
19/12/23 12:36:19 .net
成程、一万里ね。そりゃ面白い。

525:日本@名無史さん
19/12/23 12:50:17.98 .net
イー・マン・リーの伊万里から、
東南陸行500里到る伊都国といえば、そりゃ、どう考えたって佐賀平野じゃろうもん・・・、

526:日本@名無史さん
19/12/23 12:58:06.27 .net
>>507
松浦國の場所を恣意的に歪めておいて、間違っていると批判しているマッチポンプだろ。

527:日本@名無史さん
19/12/23 12:59:20.99 .net
帯方郡から1万里のところにある倭(伊)の国か。

528:日本@名無史さん
19/12/23 13:06:18 .net
>>509
対海国から一大国までの距離とえらい違うのに?

千里、五百理の行程とあるならまあそんなもんかな?の範囲ではあるが、流石に盛りすぎだぞ。

529:日本@名無史さん
19/12/23 13:07:08 .net
>>512
松浦ならいいと思うが、九州説でも松浦支持なんて少数派でね?

530:日本@名無史さん
19/12/23 13:08:44 .net
>>515
ごめん、末盧国と書いたつもりだった。
松浦かどうかはわからん。

531:日本@名無史さん
19/12/23 13:13:44 .net
>>504

じゃあ、邪馬台国がヤマトとも読める(しかも漢・魏音じゃなくて唐音でギリギリw)という

脆弱な理由しかない畿内説ってデタラメ以前だろw

532:日本@名無史さん
19/12/23 13:27:54 .net
>>516
>松浦かどうかはわからん。

末盧国(四千戸)は、万津浦(福津市辺り)だよ。  わははははは   @阿波

533:日本@名無史さん
19/12/23 16:12:17.18 .net
新井白石以来、言い習わされた通りで、松浦川の中原津で決まりだよ。
後世までワンドになっていたこともあって、今は唐津競艇場になってるが、
それくらい船溜まりとしては好適な場所だったということさ。
この競艇場の正門向かいに中原津の遺跡がある。
帯方郡のお役人も、昼間っからアワビをかじりつつ、接待競艇にトチ狂ってたのかもしれぬ。

534:日本@名無史さん
19/12/23 16:24:10.85 .net
>>518
万津浦なんて実在しないぞ無能チョンコwww

535:日本@名無史さん
19/12/23 17:28:19 .net
>>520

末盧国(四千戸)は、万津浦(福津市辺り)だよ。  わははははは   @阿波

536:日本@名無史さん
19/12/23 18:39:37.74 .net
東へ東へ心が流れる者たちは、
結局は、南にあった投馬国や邪馬台国には達することができなかったのだな、、、

537:日本@名無史さん
19/12/23 19:23:00.89 .net
始度一海 千餘里 至對海國
狗邪韓国のあったとされる釜山から対海国まで千里
対馬北端なら50km、南端なら100kmの距離

又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國
対海国から南に千里で一大国
対馬北端から壱岐までなら90km
南端からなら50km

又渡一海 千餘里 至末盧國
また千里で末盧国
壱岐から呼子(名護屋)だと25km
松浦なら45km
志賀島直行の方が50kmとまだマシ。
一大国から末盧国は方角の記載もないので何が何でも直南下しなきゃならん理由もない。
これを誤差だと言い張れるのが、古田信者の頭のおかしさ。

538:日本@名無史さん
19/12/23 19:45:45 .net
>>523
>一大国から末盧国は方角の記載もないので何が何でも直南下しなきゃならん理由もない。

これも既知のことだが、
対馬も壱岐の島民も、糧食を求めて南北に市櫂したとある。
(実際には南北に限定されないのだが)、わざわざ、南北市櫂と書いてあるからには、
ここは、南北に渡海した、或は南北に渡海すべしとの暗黙の指示・指令であろう。
このあたりが、陳寿の筆の巧みなところである。
(これを読み取れない者は、即刻退場!!)

539:日本@名無史さん
19/12/23 19:46:53 .net
東南陸行 五百里 到伊都国

これも方角の改変が必要な所

呼子から平原遺跡までは南東方向ではなく、南東に進んだ後、北東に進む必要がある。
直線方向なら真東


540:。 距離や方角を歪めないと糸島にはたどり着けない。



541:日本@名無史さん
19/12/23 19:51:51.94 .net
>>525
その通り、
だから、ここは素直に東南への道を進めば何の問題もないのだ。其の東南500里で到るとは、さていずこでしょう??

542:日本@名無史さん
19/12/23 20:01:30 .net
(参考図)
末盧国から、素直に東南への道を進めばいずこ??
URLリンク(imgur.com)

543:日本@名無史さん
19/12/23 20:10:13 .net
>>527
なるほどこれは実に貴重な図だ。 倭人伝そのまんま東南。。。

544:日本@名無史さん
19/12/23 20:16:46 .net
>>526
名護屋から南東に行くのがそもそも間違い。
たった25kmを千里と強弁するのは、距離の歪曲って言うんだぜ?

545:日本@名無史さん
19/12/23 20:23:24 .net
上陸したまつらには官名が無い上に伊都まで500里ってどんだけ歩くんだよ、其処が立ち寄る場所か?流されとるし500里は歩かん。

546:日本@名無史さん
19/12/23 20:28:52 .net
>>529
末盧国の港は名古屋ではない。壱岐の島に近すぎる。
どう見ても唐津中原だろうな。(壱岐から唐津中原まで約700里だからな)
だがその唐津からは海沿い北東への道ではない。東南の道を500里進んだところ、それが伊都国だ。

547:日本@名無史さん
19/12/23 20:37:56 .net
>>530
>其処が立ち寄る場所か?流されとるし500里は歩かん。

倭人伝の通り読めばよいのだ。
唐津から東南への道を500里だ。実際には南へ300里、そこで東へ転じて200里だ。
500里は遠すぎるというが、
倭人伝には、一大率が(唐津の中原の)津まで見聞に出向くとある。
別の見方をするなら、わざわざ唐津まで、出迎えと警護にやって来てくれてたのだろうなあ。
それが役人同士の仁義というものだ。

548:日本@名無史さん
19/12/23 20:42:21 .net
福建省の真東にあると書いているんだから
そこに至る行程は福建省の真東のどこかへの行程になってなきゃおかしいだろうが

福建省の真東には琉球しかない

よって距離だの方向だのはまったくのデタラメ

549:日本@名無史さん
19/12/23 20:45:03 .net
福建省などと、倭人伝には全く書かれていない。

550:日本@名無史さん
19/12/23 20:53:07 .net
短里にしろ50キロと200キロだぞ舟乗り捨てて歩く距離じゃ無いだろ流されてる。

551:日本@名無史さん
19/12/23 21:12:11.71 .net
>>535
一般に言う短里で500里は、およそ37.5㎞だ。
昔の人の足で、なおかつ一大率のような案内人ありなら、朝出発して夕方には到着できる距離だな。
逆に言えば、1日で着けるよう、伊都国の駐在が出迎える習わしだったのだろう。
その出迎えが唐津に来るまで、
客人たちはアワビやサザエを肴に飲んだくれては、唐津の競艇場で遊び呆けていたのではないかな。

552:日本@名無史さん
19/12/23 21:31:11.94 .net
帯方郡から邪馬台国まで水行10日陸行1月は、水行10日陸行1日の誤りだろう。
なぜなら日本国内で陸行1月が必要な土地などないから。
つまり伊都こそ倭の都、倭都(いと)だったのだろう。
倭が卑字だったのを知っていたから、伊の字に変えたのかもしれない。

553:日本@名無史さん
19/12/23 21:31:50.31 .net
>>523
>狗邪韓国のあったとされる釜山

狗邪韓国(順天)は、豊臣秀吉の死後、小西行長らが朝鮮脱出の出航地でもある。
因みに、釜山は対馬海流を利用して渡った、対馬からの着岸地である。   @阿波

554:日本@名無史さん
19/12/23 21:38:16 .net
>>523
>志賀島直行の方が50kmとまだマシ。

福津市辺り(万津浦)直行の方が70kmとずばり。   @阿波

555:日本@名無史さん
19/12/23 21:43:06 .net
>>524
>ここは、南北に渡海した、或は南北に渡海すべしとの暗黙の指示・指令であろう。

無理!  対馬海流に流されて無理!  それは、それぞれの島内を、「南北市櫂」。   @阿波

556:日本@名無史さん
19/12/23 21:44:11 .net
短里だと不弥国に海が無い。かといって馬に慣れとるであろう魏の役人が立ち寄る場所なら海に近いとこだろ、海から37キロは検閲する場所じゃない。

557:日本@名無史さん
19/12/23 21:59:39 .net
>>540
アホか。
島に農地が足りないから南北に渡海するんだよ。
島の中で移動しても解決しないだろ。

558:日本@名無史さん
19/12/23 22:49:33 .net
>>542
>島に農地が足りないから南北に渡海するんだよ。


アホか。
対馬海流に流されて無理!  それは、それぞれの島内を、「南北市櫂」。   @阿波

559:日本@名無史さん
19/12/24 01:40:31.33 .net
>>525
それもう過去スレで論破されてる
> 354 :日本@名無史さん :2019/09/24(火) 00:17:24.76
> 奈良文化財研究所のブログより
>
> URLリンク(www.nabunken.go.jp)
> >古代の方位測定法
> >いまの私たちなら、方位磁針(コンパス)を使うのが簡便です。ただし、よく知られているように、磁針が指す磁北は、
> >地球の自転軸の延長方向である真北とは一致しません。
> >奈良や京都では、真北から7度ほど西にずれています。この差は地域や時代によって異なりますが、6~8世紀ではさらに大きく、
> >西日本では平均して10~15度も西へずれていました。したがって、古代に磁北を測って方位を定めたのでないことは確実です。
> >
> >ではどうやって方位を測ったのかというと、まず間違いないのは太陽を利用する方法です。地面に棒を垂直に立て、それを中心に円を描きます(全周させなくてもかまいません)。
> >午前と午後の2回、棒の影の先端が円周上にくるときがありますが、その2点を結べば、ほぼ正確に真東西となります。
> >この方法は、古くから『周礼しゅらい』をはじめとする中国の書物に記され、簡単なうえに精度もよいことが実験でも確かめられています。
>
> 太陽を利用する方法は精度が高いが定点観測しなきゃいけないので都市計画にはいいが移動時には使えない
> 魏使は方位磁針で方角を測ったが磁北が西に大きくずれていることに気づかなかったため魏志倭人伝の方位にずれが生じた
> と考えるとすっきり解決するのではないか

560:日本@名無史さん
19/12/24 02:22:01.86 .net
>>521
万津浦なんて実在しないぞ無能チョンコwww

561:日本@名無史さん
19/12/24 03:17:24.29 .net
>>538
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ~?
無能すぎるじょ~~~wwwww

562:日本@名無史さん
19/12/24 03:17:30.79 .net
>>539
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ~?
無能すぎるじょ~~~wwwww

563:日本@名無史さん
19/12/24 03:18:42.49 .net
>>540
  ♪  i.\  .i.\   i.\   チャンカチョンコ♪
♪    乂_\ 乂_\ 乂_\  チャンカチョンコ♪
     〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ チャンカチョンコ♪
      └i===|┘i===|┘.i===|┘ チャンカチョンコ♪
     ((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉
  ♪    /.i   /.i.  /.i
♪    ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ   エーラ張ハッタ♪
      〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ  目ーガ吊ッタ♪
        └i===|┘i===|┘.i===|┘  ホルホルホルホル
         〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))
  ♪  i.\  .i.\   i.\  北ノ無脳ニ♪
♪    乂_\ 乂_\ 乂_\  下ノ無能♪
     〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ  
      └i===|┘i===|┘.i===|┘
     ((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉
  ♪    /.i   /.i.  /.i
♪    ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ   オナージミンジョク ♪
      〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ    
      └i===|┘i===|┘.i===|┘ クーソ食ッテ
         〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))  チョンチョ~ン ♪

564:日本@名無史さん
19/12/24 03:18:51.33 .net
>>543
  ♪  i.\  .i.\   i.\   チャンカチョンコ♪
♪    乂_\ 乂_\ 乂_\  チャンカチョンコ♪
     〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ チャンカチョンコ♪
      └i===|┘i===|┘.i===|┘ チャンカチョンコ♪
     ((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉
  ♪    /.i   /.i.  /.i
♪    ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ   エーラ張ハッタ♪
      〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ  目ーガ吊ッタ♪
        └i===|┘i===|┘.i===|┘  ホルホルホルホル
         〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))
  ♪  i.\  .i.\   i.\  北ノ無脳ニ♪
♪    乂_\ 乂_\ 乂_\  下ノ無能♪
     〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ  
      └i===|┘i===|┘.i===|┘
     ((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉
  ♪    /.i   /.i.  /.i
♪    ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ   オナージミンジョク ♪
      〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ    
      └i===|┘i===|┘.i===|┘ クーソ食ッテ
         〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))  チョンチョ~ン ♪

565:日本@名無史さん
19/12/24 06:31:58 .net
URLリンク(youtu.be)

566:日本@名無史さん
19/12/24 07:11:02 .net
>>523
>志賀島直行の方が50kmとまだマシ。

福津市辺り(万津浦)直行の方が70kmとずばり。   @阿波

567:日本@名無史さん
19/12/24 07:17:54.06 .net
>>531
唐津から何も考えず南東に35km進むなら、伊都国は佐賀平野側に突き抜けるわな。

568:日本@名無史さん
19/12/24 07:30:18.37 .net
>>544
>ところが、北極星はずっと同じ位置にあったわけではありません。コマが首を振るように、
>地球の自転軸は約25,800年の周期(歳差さいさ運動)で動いており、
>現在の北極星が北の指標となったのは大航海時代(15世紀)以降といわれています。
>それ以前は、紀元前1


569:,100年頃にコカブ(こぐま座β星)、紀元前2,800年頃にはトゥバン(りゅう座α星)が >北極星の役割を果たしていました。 >しかし、古代の日本に、北極星にあたる星は存在しなかったのです。 この奈良文化財研究所のブログは、都市計画において超正確に真北を定める場合の事のようであり、 これを倭人伝の行程論に援用するのは、全く意味がないことである。 古代と現代で、北極星の位置は数度しか違っていなかったので、ブログの都市図においても、 「良く見れば、北の方角がなんとなく西にずれてないでもないねえ・・・」程度のことである。 数度の違いは、一般人にはほとんど感知されない。 ましてや 「>古代の日本に、北極星にあたる星は存在しなかったのです。」のくだりはトンデモ無知無能の類だ・・・、 現代と同様、日常的な方位であれば、古代においても北極星で定めて何の問題もなかったのである。



570:日本@名無史さん
19/12/24 07:51:27 .net
>>544
> 魏使は方位磁針で方角を測ったが磁北が西に大きくずれていることに気づかなかったため魏志倭人伝の方位にずれが生じた
> と考えるとすっきり解決するのではないか

現代と古代の北極星のズレは数度から~せいぜい十度の範囲である。
これに対し、倭人伝の北部九州説や畿内説では45度~90度のズレになっている。
その大きなズレを少しばかりの北極星のせいにするのは全くのお門違いであり、言い掛かりと言わざるを得ない。
非科学的で安直である。

571:日本@名無史さん
19/12/24 09:03:11.70 .net
魏志倭人伝の内容が正確ではない。
だから文面の分析で当たりをつけるだけでは不十分で、発掘調査で現物を確認する必要があるし
書いてあるから正しい、書いてないから正しくない。という論調自体がナンセンスだと考えたほうが良い。

572:日本@名無史さん
19/12/24 09:07:00.77 .net
>>555
>発掘調査で現物を確認する必要があるし
その通り。   「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」   @阿波

573:日本@名無史さん
19/12/24 09:08:50.72 .net
>>556
卑弥呼の墓は?

574:日本@名無史さん
19/12/24 10:01:57.32 .net
>>555 名前
>魏志倭人伝の内容が正確ではない。 ←正確ではない△  さほど精密ではない○
>だから文面の分析で当たりをつけるだけでは不十分で、発掘調査で現物を確認する必要があるし
現状では、
文面で当りをつけたと称して、多くの場合がトンデモ距離・トンデモ方角を発掘しているのではないか。
倭人伝の文面を精密に解釈して、なるべく確率の大きい当りをつけることが必要。
その後に発掘で確かめることは当然大事で必要不可欠。

575:日本@名無史さん
19/12/24 10:25:15.80 .net
>>557
>卑弥呼の墓は?

卑弥呼の墓は
「天石門別八倉比売神社」裏手の円墳。  
この矢野神山には200基近い古墳があり、江戸時代、神陵(古墳)の一部を削り本殿を造営。
この本殿裏の神陵(古墳)が卑弥呼の陵墓だと伝え、神社に伝わる由緒には、塚に"金印"が埋められたことまで記されているという。
後円部の直径は約35m、頂上部には五角形の祭壇が築かれ、祭壇の上には永遠の生命を象徴するという鶴亀の石が祭られている。
天石門別八倉比売神社:徳島県徳島市国府町西矢野 矢野神山   @阿波
「矢野遺跡と天石門別八倉比売神社」
URLリンク(sueyasumas.exblog.jp)
URLリンク(www.genbu.net)

576:日本@名無史さん
19/12/24 10:44:26.68 .net
↑好例: @あわのトンデモ解釈、トンデモ当り付け

577:日本@名無史さん
19/12/24 10:48:47.86 .net
>>560
無い物ねだりのひがみ節!  わははははは   @阿波

578:日本@名無史さん
19/12/24 11:10:05 .net
魏志倭人伝に書いてある内容のうち、どの部分が本当に当時の事実なのか判別する事自体も難しい作業なのよな。

魏志倭人伝には色々な出典元が混ざってる訳で、本当に当時の事実だけを書いたわけではない。

最もわかり易い例
身長1m以下�


579:フ侏儒国や船で一年かかる裸国や黒歯国も魏志倭人伝の記述である事には変わりないが、誰も信じちゃいない。 魏志倭人伝の成分は、以下が推測される。 陳寿の解説、補足 魏略からの引用 梯儁の出張報告 張政の出張報告 裴松之の加筆 魏の公文書 魏書よりも古い記録からの転記や引用 邪馬台国が実は全然明後日の場所にあったとしても不思議ではない。



580:日本@名無史さん
19/12/24 11:34:33.39 .net
>>554
磁北の位置が現在と違ったというのが趣旨だろ
北極星の話じゃない
こういう日本語も理解できないバカが話に混ざろうとするからどんどん議論がおかしくなる

581:日本@名無史さん
19/12/24 11:50:22 .net
>>563
磁極は南北逆転を繰り返したり、移動速度も一定じゃない。
3世紀の北磁極なんて記録があるわけでもないのにわかってるの?

582:日本@名無史さん
19/12/24 12:21:56 .net
白痴老人共のウワゴトがわんさか

中国で正確な緯度計測の手法を確立させたのは
「令和」の種本として最近名前が挙がった後漢の科学者張衡

磁北なんてものは緯度計測にはまったく使っちゃいないんだよ

583:日本@名無史さん
19/12/24 12:23:51 .net
>>564
文字が読めないの?

>奈良や京都では、真北から7度ほど西にずれています。この差は地域や時代によって異なりますが、6~8世紀ではさらに大きく、
>西日本では平均して10~15度も西へずれていました。

584:日本@名無史さん
19/12/24 12:24:26 .net
>>565
方位計測の話だけど白痴なの?

585:日本@名無史さん
19/12/24 12:34:39 .net
>>566
それがどうやってわかったのか?
ここ最近ですら北磁極の移動速度が推定してたものよりもかなり速いと話題になってる。
信憑性あるのかと、問うているんだが?

586:日本@名無史さん
19/12/24 12:38:54 .net
>>568
奈良文化財研究所に聞けよ

587:日本@名無史さん
19/12/24 12:45:07 .net
>>554
90度は畿内説が南を東と言いくるめるための方便だろ。

588:日本@名無史さん
19/12/24 12:46:35 .net
>>562
>魏志倭人伝には色々な出典元が混ざってる訳で、本当に当時の事実だけを書いたわけではない。

それはいい。

>邪馬台国が実は全然明後日の場所にあったとしても不思議ではない。

しかし邪馬台国へは直接郡使が訪問しているのだから、そこまでの道程は信頼すべき情報だ。

589:日本@名無史さん
19/12/24 12:50:24 .net
>>563
この磁北論旨は、奈良文化財研究所のブログから、
>>磁北の部分と、>>太陽の部分を抜き出して、「磁北は不適当だったから、太陽で計った」となっている。
しかし、ちょうどその中華にあった「北極星」のことは、ごそっとスキップしての結論だ。
小細工をするでない。

(・・・前省)
>>西日本では平均して10~15度も西へずれていました。したがって、古代に磁北を測って方位を定めたのでないことは確実です。
>>544 の引用はこの行まで↑

>>553 の引用はここから↓
「次に思いつくのは、北極星を測ることでしょう。
現在の北極星(ポラリス=こぐま座α星)は真北にかなり近い位置にありますので、
これを利用するのが真北の測定法としてはもっとも簡便です。
実際、古代にも北極星で真北を求めたと主張する人がいます。
ところが、北極星はずっと同じ位置にあったわけではありません。コマが首を振るように、
地球の自転軸は約25,800年の周期で動いており(歳差さいさ運動)、
現在の北極星が北の指標となったのは大航海時代(15世紀)以降といわれています。それ以前は、
紀元前1,100年頃にコカブ(こぐま座β星)、紀元前2,800年頃にはトゥバン(りゅう座α星)が北極星の役割を果たしていました。
しかし、古代の日本に、北極星にあたる星は存在しなかったのです。」
>>553の引用はここまで↑

>>544の再引用はここから↓
>>ではどうやって方位を測ったのかというと、まず間違いないのは太陽を利用する方法です。以下略・・・

590:日本@名無史さん
19/12/24 12:58:56 .net
マツラは官使もおらんし上陸するような場所じゃない、人が歩けば草はない。流されてる 。そっから短里だと40キロも歩いておる で七キロ先に奴国でまた七キロ先に不弥国で海。伊都は普通に短里なら福岡辺りだろ。

591:日本@名無史さん
19/12/24 12:59:54 .net
>>567
奈良文化財研究所のブログでさえ、
磁北で計ったのではないだろうといってるんだよ。

>>西日本では平均して10~15度も西へずれていました。したがって、古代に磁北を測って方位を定めたのでないことは確実です。

592:日本@名無史さん
19/12/24 13:12:47 .net
>>562
>邪馬台国が実は全然明後日の場所にあったとしても不思議ではない。

「邪馬臺国」の場所はとっくに「阿波」と解明されている  と、何度言えばw   @阿波

593:日本@名無史さん
19/12/24 13


594::22:35 .net



595:日本@名無史さん
19/12/24 13:23:59 .net
>>572
やっぱり日本語が読めない白痴だったな

> 太陽を利用する方法は精度が高いが定点観測しなきゃいけないので都市計画にはいいが移動時には使えない
> 魏使は方位磁針で方角を測ったが磁北が西に大きくずれていることに気づかなかったため魏志倭人伝の方位にずれが生じた
> と考えるとすっきり解決するのではないか

>>574
それはまさしく都市計画の話だろ白痴

596:日本@名無史さん
19/12/24 14:26:25.95 .net
>>577
> 太陽を利用する方法は精度が高いが定点観測しなきゃいけないので都市計画にはいいが移動時には使えない
> 魏使は方位磁針で方角を測ったが磁北が西に大きくずれていることに気づかなかったため魏志倭人伝の方位にずれが生じた
> と考えるとすっきり解決するのではないか
↑この部分は、 奈良文化財研究所のブログ↑の内容にはないぞ。
ブログを引用した>354↓のコメントだろ。引用したのは君か↡?
> 354 :日本@名無史さん :2019/09/24(火) 00:17:24.76

597:日本@名無史さん
19/12/24 16:14:24 .net
>>576
邪馬台国人口盛りすぎ問題だな。
するっと読んでしまうと気にならないけど、よくよく考えるとおかしな事は結構書いてある。

598:日本@名無史さん
19/12/24 17:20:56.90 .net
>>551
>>543
  ♪  i.\  .i.\   i.\   チャンカチョンコ♪
♪    乂_\ 乂_\ 乂_\  チャンカチョンコ♪
     〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ チャンカチョンコ♪
      └i===|┘i===|┘.i===|┘ チャンカチョンコ♪
     ((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉
  ♪    /.i   /.i.  /.i
♪    ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ   エーラ張ハッタ♪
      〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ  目ーガ吊ッタ♪
        └i===|┘i===|┘.i===|┘  ホルホルホルホル
         〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))
  ♪  i.\  .i.\   i.\  北ノ無脳ニ♪
♪    乂_\ 乂_\ 乂_\  下ノ無能♪
     〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ  
      └i===|┘i===|┘.i===|┘
     ((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉
  ♪    /.i   /.i.  /.i
♪    ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ   オナージミンジョク ♪
      〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ    
      └i===|┘i===|┘.i===|┘ クーソ食ッテ
         〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))  チョンチョ~ン ♪

599:日本@名無史さん
19/12/24 17:27:14.48 .net
>>523
>志賀島直行の方が50kmとまだマシ。
福津市辺り(万津浦)直行の方が70kmとずばり。   @阿波

600:日本@名無史さん
19/12/24 18:50:36.50 .net
松浦半島までですでに1万里。
さらに五百里で糸島。
松浦半島から糸島までの行程を三倍したものを半径として
コンパスで円を描く。
その中にヤマダイ国はあると言うことになるね。

601:日本@名無史さん
19/12/24 18:56:13.69 .net
>>582
帯方郡(平壌)→女王国(阿波)万二千里( 直線距離 900km)1里=75m
∴1里=70mは、概ね妥当。   @阿波   

602:日本@名無史さん
19/12/24 19:13:40.98 .net
>>562
しかし、狗奴国が熊本というのはほぼ確かだろう。
邪馬台国はその北だから。

603:日本@名無史さん
19/12/24 19:23:19.16 .net
>>584
>邪馬台国はその北だから。
碌な弥生集落遺跡や資源の無い北部九州に、「邪馬臺国」など興る訳がない。  なにを考えているんだか。   @阿波  

604:日本@名無史さん
19/12/24 19:30:52.26 .net
張衡以降中国の役人は現地に行きさえすれば
その地の緯度は正確にわかるようになった
経度について測定が可能になるのはずいぶん先だけど
三国志魏志の緯度の比定がデタラメ
=中国の役人は一度たりともその地を訪れていない
海の上なんだからそもそも訪れようが無いんだが

605:日本@名無史さん
19/12/24 19:30:59.01 .net
熊本といっても広い。
北半分の主邑は山鹿・菊池・合志だが、
南の半分は旧肥後国11郡のうち最大の郡で球磨郡(クマ郡)と云った。その主邑の球磨平野は奈良平野と同じ広さがある。

606:日本@名無史さん
19/12/24 19:39:35.14 .net
>>582
奴国、不弥国、投馬国、邪馬台国の解釈に独特のものがあるようだが
奴国だけでも2万戸、10万人
投馬国で5万戸、25万人
邪馬台国で7万戸、35万人
そんな範囲に収まらんだろ。

607:日本@名無史さん
19/12/24 19:48:08.04 .net
邪馬壹国70,000戸の内訳は下記の計算で算出されている
1,000戸(對馬国)+3,000家(一支国)+4,000戸(末盧国)+1,000戸(伊都国)20,000戸(奴国)+1,000家(不彌国)+20×2,000戸(斯馬国-烏奴国の20国分)
斯馬国~-烏奴国の20国の戸数は記の計算で算出されている
(1,000戸+3,000家+4,000戸+1,000戸+1,000家)÷5国=2,000戸/国
奴国を除く対馬国、一支国、末盧国、伊都国、不弥国の5カ国の戸数から1国邑当たりの平均値2,000戸を求め、斯馬国-烏奴国の戸数もこれと同じ戸数として計算



608:陳寿はマメなやつだ。



609:日本@名無史さん
19/12/24 19:54:30.47 .net
>>555
かといって、南は東の誤りとは言えんわな。

610:日本@名無史さん
19/12/24 19:58:49.62 .net
>>589
その合算計算方式だと、邪馬台国が全体の総称となるが、では邪馬台国の官と三名の副官の名前があることと整合性が取れないし何も根拠がない。

611:日本@名無史さん
19/12/24 20:13:41.16 .net
>陳寿はマメなやつだ
遂周觀諸國、采其法俗、小大區別、各有名號、可得詳紀
と陳寿が宣言しているところを実際に文字におとしたものだから
当然のこと緻密だな

612:日本@名無史さん
19/12/24 20:15:12.73 .net
倭人が多数暮らす大国家群を魏の勢力圏下に収めたというのは
陳壽に三国志を書かせた初代晋皇帝司馬炎の祖父である司馬仲達の
生涯最大のトロフィーなんだよ

だからその記述は三国志正史では異例の微細にわたりかつフカしも多い
というよりそもそも仲達自身がそのフカしの張本人だった
司馬仲達はこれ以降群臣の中で圧倒的な地位を確立し
自身の帝国樹立に残る障害は曹家のみとなった

613:日本@名無史さん
19/12/24 20:24:57 .net
短里ってのは魏本国の1里435mと大きくかけ離れてる。

統治の基本中の基本である度量衡にダブスタを用いたと言う時点で、短里はとんでもない暴論なのよ。
統治者は本来逆に度量衡を統一する事に腐心してたんだからな。

魏志韓伝では朝鮮半島は4千里四方とある。
4千×435mは1740km
グーグルマップでても距離測定をしてみるといい。
当時の中国大陸の漢民族支配地域すら凌駕する広大な朝鮮半島があったなんて、当時でも誰も信じるはずもない。

国外のことだから測量もしてないし、適当にでっち上げて書いただけって方がまだマシな言い訳。

614:日本@名無史さん
19/12/24 20:26:57 .net
>>589
ひとくくりで言えば、倭国=福岡県という説か。
ま、フルタもヤスモツもそうだからな、珍しくもない。

615:日本@名無史さん
19/12/24 20:28:10 .net
>>578
>↑この部分は、 奈良文化財研究所のブログ↑の内容にはないぞ。
>ブログを引用した>354↓のコメントだろ。引用したのは君か↡?
そんなことすら理解できてなかったのかお前は
奈良文化財研究所が言ってるなら最初から>>354のコメント部分なんて引用するかバカ
俺が>>354のコメントに賛同しているのでなければ>>544が論として成り立たないだろうが

頼むから日本語を読めないバカは書き込まないでくれよ

616:日本@名無史さん
19/12/24 20:28:42 .net
〆て壱拾弐萬戸が倭国

617:日本@名無史さん
19/12/24 20:31:00 .net
>>594
畿内厨見苦しすぎ
約5倍も差があればどんなに適当であろうと誰にでも分かってしまう
短里が存在した以外に合理的説明はない
>>448-449に他史書での用例もある
諦めなさい

618:日本@名無史さん
19/12/24 20:31:51 .net
>>596=痴呆老人のウワゴトにおれは賛同した!!と威張る白痴老人さん

619:日本@名無史さん
19/12/24 20:32:20 .net
>>594
>統治の基本中の基本である度量衡にダブスタを用いたと言う時点で、短里はとんでもない暴論なのよ。
>統治者は本来逆に度量衡を統一する事に腐心してたんだからな。

言っておくが、東夷は、南蛮などと同じく格下異民族の外国種であり、中華帝国の外。統一も何もない。

620:日本@名無史さん
19/12/24 20:33:40.09 .net
>>599
完全に論破されてぐうの音も出ないから悪口だけ言うのか
みっともない負け犬だなw

621:日本@名無史さん
19/12/24 20:39:47 .net
>>598
少なくとも俺は畿内「だけ」はないと思ってるが?
適当によその文献からコピペして、検証してないだけだ。
複数文献に乗ってるから正しいとかお目出度すぎる。

622:日本@名無史さん
19/12/24 20:42:29 .net
バカ「複数の文献に載っていても認めない!なぜなら俺様の考えと一致しないからだ!」

623:日本@名無史さん
19/12/24 20:46:11 .net
>>600
度量衡は同じものを広めてこそ意味があるんだよ。

当然国外でも同じ度量衡が通用するようにする方が、統治者にとっては重要な事。
国内の文書記録に、別の尺度を持ち込むなんてナンセンスも甚だしい。
中国国外だからノーカンとか、度量衡の意味を考えよう。

魏志倭人伝の事は一旦忘れて、現代人として想像してみてくれ。
国ごとに1mの長さが違ったらどうなる?その時の統治者はどうすると思う?

624:日本@名無史さん
19/12/24 20:46:53 .net
>>603
複数の文献に間違いが乗ってたら正しいする方が頭おかしいわ。

625:日本@名無史さん
19/12/24 20:55:15 .net
5倍に誇張表現していたのだろう。
だから邪馬台国は九州北部。

626:日本@名無史さん
19/12/24 20:57:51 .net
>>604
>中国国外だからノーカンとか、度量衡の意味を考えよう。

陳寿は書類上の記録を載せただけだよ。
結果として、東夷の短い里の記録がそのまま収載された。

627:日本@名無史さん
19/12/24 20:58:27 .net
>>605
狂人の主張

628:日本@名無史さん
19/12/24 21:17:04.92 .net
>>604
>魏志倭人伝の事は一旦忘れて、現代人として想像してみてくれ。
>国ごとに1mの長さが違ったらどうなる?
おもしろいことをいうね。
1mは国際標準だから、日本人はとりあえずそう思うかもしれないが、
それを云うならヤード・ポンド法はどうなの。
この地球上で、メートル法とは別にちゃんと通用してるじゃないの。

629:日本@名無史さん
19/12/24 21:31:08 .net
取り敢えず遭難したまつら沖から命からがら上陸して200キロは歩かない。だからここは短里。

630:日本@名無史さん
19/12/24 21:41:12 .net
それと一大国三千戸×5は大杉。

631:日本@名無史さん
19/12/24 21:48:48 .net
倭人伝行程を考えると阿波のオジサンはいい線、しかしその後直ぐにおこる神仙思想巨大古墳に繋がらない、滅び無いと辻褄合わなくない?。

632:日本@名無史さん
19/12/24 22:19:13 .net
>>612
>滅び無いと辻褄合わなくない?。

申し訳ないが、意味不明。   @阿波

633:日本@名無史さん
19/12/24 22:37:26 .net
>>605
間違いとする根拠がお前の妄想じゃなぁ

634:日本@名無史さん
19/12/24 23:26:17 .net
距離があっていないのだとしたら、
方角くらいはあっていて欲しいところだな

635:日本@名無史さん
19/12/25 01:41:12.58 .net
>>551
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww

636:日本@名無史さん
19/12/25 01:41:36 .net
>>556
泡チョンコはクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!マヌケ

637:日本@名無史さん
19/12/25 01:43:20 .net
>>559
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって

638:日本@名無史さん
19/12/25 01:43:34 .net
>>561
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ~?
無能すぎるじょ~~~wwwww

639:日本@名無史さん
19/12/25 01:44:03 .net
>>575
  ♪  i.\  .i.\   i.\   チャンカチョンコ♪
♪    乂_\ 乂_\ 乂_\  チャンカチョンコ♪
     〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ チャンカチョンコ♪
      └i===|┘i===|┘.i===|┘ チャンカチョンコ♪
     ((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉

  ♪    /.i   /.i.  /.i
♪    ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ   エーラ張ハッタ♪
      〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ  目ーガ吊ッタ♪
        └i===|┘i===|┘.i===|┘  ホルホルホルホル
         〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))

  ♪  i.\  .i.\   i.\  北ノ無脳ニ♪
♪    乂_\ 乂_\ 乂_\  下ノ無能♪
     〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ  
      └i===|┘i===|┘.i===|┘
     ((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉

  ♪    /.i   /.i.  /.i
♪    ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ   オナージミンジョク ♪
      〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ    
      └i===|┘i===|┘.i===|┘ クーソ食ッテ
         〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))  チョンチョ~ン ♪

640:日本@名無史さん
19/12/25 01:44:36 .net
>>581
泡チョンコはクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!マヌケ

641:日本@名無史さん
19/12/25 01:44:55 .net
>>583
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww

642:日本@名無史さん
19/12/25 01:45:11 .net
>>585
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって

643:日本@名無史さん
19/12/25 01:46:04 .net
>>613
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ~?
無能すぎるじょ~~~wwwww

644:日本@名無史さん
19/12/25 06:26:57 .net
>>614
梁書諸夷伝 東夷条 倭
其南有侏儒國 人長三四尺

複数文献に載っている以上は間違いなく事実しかありえないと?

645:日本@名無史さん
19/12/25 06:52:03 .net
話をすりかえるしか能がない詐欺師さん

646:日本@名無史さん
19/12/25 07:03:12 .net
魏志倭人伝の内容が、検証もされてない間違いだらけだと言うことを認める事から始めないと、結局ただの暗号解読遊びで終わる。

647:日本@名無史さん
19/12/25 07:18:38 .net
>>627
じゃあ魏志倭人伝なんて信用しなくていいから、邪馬台国関連のスレに来ないでくれ。
君は都合が悪いことを「信用できない」とレッテル貼って議論を撹乱するすることしかできない。
クズだ。

648:日本@名無史さん
19/12/25 07:20:22 .net
>>628
その通り。   @阿波

649:日本@名無史さん
19/12/25 07:44:08 .net
>>627
文献は信用ならん、考古資料が大事といいつつ巻向の矢板は鉄器で削られたと胸張る大和説者。

650:日本@名無史さん
19/12/25 08:46:07.09 .net
(畿内説)
倭国の主邑は奈良平野にあったとする・・・奈良県説(石、寺、箸、奥)
(北部九州説)
倭国の主邑はほぼ福岡県内にあったとする・・・福岡県説(糸クズ、フルタ、ヤスモト)
(肥前肥後日向説)
倭国の主邑は佐賀・熊本・宮崎県内にあったとする・・・九州三県説(新説)

651:日本@名無史さん
19/12/25 10:18:01.75 .net
>>628
文献だけこねくり回せば良いのではなく、物証を揃える必要があると言ってんだが?
魏志倭人伝を正しく読むってのは、文献に誤りがあるから、正誤の見極めが大事だってことだろ?
文献に誤りがない前提でやれば邪馬台国が見つかるわけではない。

652:日本@名無史さん
19/12/25 10:25:28.28 .net
>>632
>文献だけこねくり回せば良いのではなく、物証を揃える必要があると言ってんだが?

だから、文献も 物証も、倭国(阿波)でとっくに決着済み  だと、何度言えばw   @阿波

653:日本@名無史さん
19/12/25 11:25:16 .net
>>631
倭国、倭王の定義が記紀ソースになっているのかな?
それらの、邪馬台国論争には、
古墳時代、前方後円墳までの日本には軍事的統一国家は出来ていない。
という、考古学上の常識が なぜ適用されていない?

倭人伝の卑弥呼は、
およそ190年から247年迄筑紫の21諸国が共立し代表とした宗教的女王。

邪馬台国は次有21国此女王境界所盡、可七萬餘戸であって、地理上では、
自郡至女王國 萬二千餘里 其南有 狗奴國不屬女王 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里

倭国は、倭人 在帶方東南 大海之中 依山㠀為國邑 舊百餘國
であって、対馬海峡の南の周旋可五千餘里(九州島3分の1程度)の一小国ではない。
この筑紫王卑弥呼を王とするなら、統一された大倭国は247年までに成立していない。

この時期、魏による239年公孫氏の滅亡、246年韓王朝廃絶による東夷危機、
BC200年からの青銅器輸入元の中華属国化での富国強兵政の必然によって、
銅鐸銅矛、銅鏡銅剣文化の統合と古墳の発生は同期しているし、卑弥呼以降に半島進出も始まる。
九州勢も出雲、吉備、阿波、丹後、越、美濃、などの遺跡地域勢力と合流し古墳時代となる。

検証もされていない間違いだらけ? 記紀は当然、ほぼ検証不能のファンタジーだらけだが、
考古学は既に倭人伝が正しく読めることを立証できているんじゃないのかね?

654:日本@名無史さん
19/12/25 12:37:30.31 .net
>>634
>考古学は既に倭人伝が正しく読めることを立証できているんじゃないのかね?

その通り。   「「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」で立証済み!  わははははは   @阿波

655:日本@名無史さん
19/12/25 12:45:20.77 .net
卑弥呼の墓は100歩計算間違いだとしても100メートルは無いと駄目よ。

656:日本@名無史さん
19/12/25 12:45:23.42 .net
>>632
でも君の場合は言い訳にしているだけでしょ

657:日本@名無史さん
19/12/25 12:47:21.24 .net
>>637
その通り。   @阿波

658:日本@名無史さん
19/12/25 14:20:11.23 .net
熊本県といっても広い。
北半分の主邑は山鹿・菊池・合志だが、
南の半分は、旧肥後国11郡のうち最大の郡であった球磨郡(クマ郡)で占められていた。
その主邑の球磨平野は、なんと奈良平野と同じ広さがある。

659:日本@名無史さん
19/12/25 14:42:11 .net
>>629
泡チョンコはクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!マヌケ

660:日本@名無史さん
19/12/25 14:42:28 .net
>>633
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww

661:日本@名無史さん
19/12/25 14:42:49 .net
>>635
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンは首を吊れって

662:日本@名無史さん
19/12/25 14:43:52 .net
>>638
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ~?
無能すぎるじょ~~~wwwww

663:日本@名無史さん
19/12/25 14:44:06 .net
  ♪  i.\  .i.\   i.\   チャンカチョンコ♪
♪    乂_\ 乂_\ 乂_\  チャンカチョンコ♪
     〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ チャンカチョンコ♪
      └i===|┘i===|┘.i===|┘ チャンカチョンコ♪
     ((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉

  ♪    /.i   /.i.  /.i
♪    ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ   エーラ張ハッタ♪
      〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ  目ーガ吊ッタ♪
        └i===|┘i===|┘.i===|┘  ホルホルホルホル
         〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))

  ♪  i.\  .i.\   i.\  北ノ無脳ニ♪
♪    乂_\ 乂_\ 乂_\  下ノ無能♪
     〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ  
      └i===|┘i===|┘.i===|┘
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      〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ    
      └i===|┘i===|┘.i===|┘ クーソ食ッテ
         〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))  チョンチョ~ン ♪

664:日本@名無史さん
19/12/25 16:42:13.86 .net
(畿内説)
倭国の主邑は奈良平野にあったとする説・・・奈良県説(石、寺、箸、奥)
(北部九州説)
倭国の主邑はほぼ福岡県内にあったとする説・・・福岡県説(糸クズ、フルタ、ヤスモト)
(肥前肥後日向説)
倭国の主邑は佐賀・熊本・宮崎県内にあったとする説・・・九州三県説(本命新説)

665:日本@名無史さん
19/12/25 18:16:26.58 .net
>>634
>考古学は既に倭人伝が正しく読めることを立証できているんじゃないのかね?

その通り。   「「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」で立証済み!  わははははは   @阿波

666:日本@名無史さん
19/12/25 21:00:48 .net
>>625
それは明らかに出どころが魏志倭人伝だろアホかよ
独立した複数の史書に出てくる短里と一緒にするとか論理的思考のできないクズには畿内説がお似合いだぞ
あっち池

667:日本@名無史さん
19/12/25 21:03:06 .net
>>636
一里=三百歩
倭人伝は短里で書かれているので百歩は30メートル弱

668:日本@名無史さん
19/12/25 21:03:10 .net
>>636
一里=三百歩
倭人伝は短里で書かれているので百歩は30メートル弱

669:日本@名無史さん
19/12/25 21:35:17 .net
>>649
卑弥呼の墓は

「天石門別八倉比売神社」裏手の円墳。  

この矢野神山には200基近い古墳があり、江戸時代、神陵(古墳)の一部を削り本殿を造営。

この本殿裏の神陵(古墳)が卑弥呼の陵墓だと伝え、神社に伝わる由緒には、塚に"金印"が埋められたことまで記されているという。

後円部の直径は約35m、頂上部には五角形の祭壇が築かれ、祭壇の上には永遠の生命を象徴するという鶴亀の石が祭られている。

天石門別八倉比売神社:徳島県徳島市国府町西矢野 矢野神山   @阿波

「矢野遺跡と天石門別八倉比売神社」
URLリンク(sueyasumas.exblog.jp)
URLリンク(www.genbu.net)

670:日本@名無史さん
19/12/25 22:02:38 .net
(畿内説)
・倭国は奈良県内説(石、寺、橋、奥)

(北部九州説)
・倭国は福岡県内説(糸クズ、フルタ、ヤスモト)

(九州三県説)
・倭国の主邑は佐賀・熊本・宮崎県説(・・・本命新説)

671:日本@名無史さん
19/12/26 02:59:44 .net
>>646
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww

672:日本@名無史さん
19/12/26 03:00:20 .net
>>650
泡チョンコはクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!マヌケ

673:日本@名無史さん
19/12/26 03:12:23 .net
グーグルマップ便利ですね、大まかな外周とか簡単に出せます
>>459続き
えっともっと分かり易く
同一文書内での数値は同じ基準なのが大原則なので
まず「帯方郡から狗邪韓国まで」の実距離をグーグルマップを使って割り出しておきます(km距離)
次に「帯方郡から女王国まで」12000/7000にそのkm距離を掛けるということです

直線曲線とか条件ありますので帯方郡から前後3割くらいのプラスマイナス値で地図上に落としてみれば
いいんじゃないですかね(自分はやってないけど)

674:日本@名無史さん
19/12/26 03:14:12 .net
続き
次に女王国に南接しているとされる狗奴国の当たりをつけます
URLリンク(inoues.net)

鉄製品出土が九州の中で薩摩大隅だけ少ない

次に九州の方言分布~大きく3グループに分けられるという
  薩隅グループ
  肥筑グループ
  豊日グループ
薩摩大隅は犬狼縄文人色の強い地域と見ればここが狗奴国で不思議ありません
豊日グループは本来肥筑薩隅グループだったのが半島渡来人の影響を強く受けたと見れば
わかりやすいです

とすると女王国は熊本か宮崎
宮崎だったならばのちの自称天孫族に蹂躙上書きされた可能性があるのでほぼ絶望的

675:日本@名無史さん
19/12/26 03:15:13 .net
続き 【大陸・半島からのルート解析】

自分が魏の張政一行の案内人の立場だったらどうするかを考えてみます
女王国は越の末裔の国です(>>372
半島から対馬まではよしとして次にどうするか
左(東)に舵を切ると超難所の関門海峡があるうえに周防は呉の末裔のテリトリーなので避けたい
最短ルートの陸行を選ぶと、この時期は政情不安定で襲撃される恐れがある友好国以外は通りたくない
つまりたとえ遠回りになったとしてもより安全な西回り長崎沿岸ルートを選びたいと考えるはず

よって対馬国→一大国(壱岐)→末廬国(松浦市)→伊都国(糸島市)までは通常通り
その次の「東南、奴国」と「東行、不弥国」が問題国と思われる、記述が素っ気ない
この不弥国に南接して戸数五万余戸の大国投馬国がある、これは佐賀平野と見る
そうすると「南至投馬國 水行二十日」
この水行は方角が記されてない、長崎の沿岸をくねくね曲がるからだろう
伊都国から複雑な長崎沿岸を航海して有明海北端(佐賀平野南端)に着く
ここも同じ投馬国、ここまで二十日、寄港できるということは敵性国家ではない
「南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月」
投馬国に南接している女王国、王都の位置まで有明海北端から水行十日
自国内なのでもちろん陸路でも通行できて陸行一月
広大な熊本平野を含み戸数七万余戸もありえます

こんな感じで如何でしょうか、方位・距離ともそれほど矛盾無いと思います
結論としては女王国邪馬台国は肥後国熊本県で、王都は熊本県南部のどこか

ちなみに大隅薩摩は鹿児島神宮内に日本唯一呉の太伯が祭られている(wiki)等、呉の末裔ゆかりの土地柄
でしかも縄文色が強いとあって、越の末裔国である邪馬台国と相性が悪いのも当然かと思われます
またどなたかのレスにあったようにこの頃九州の東側はまだ自称天孫族の存在は確認できません

魏からは以前に何回か使者が来訪しているようですが、張政一行は女王国末期壱与の代に訪ねて来た
よって魏志倭人伝内の倭人、倭国、邪馬台国の定義は張政の脳内にあるものと同一と言ってよいかと
張政は本州四国以遠を見ておらず、海人族以外の倭人に会っておらずのちのヤマト王権など知る由も無かった


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