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邪馬台国の頃までは、まだ鉄斧が豊富でなかったので、うっそうとした森はいたるところにあった。
当時九州の30国余は、街道で結ばれていたが、
末盧国の地元道のように、先行く人の背も見えずの草ぼうぼうでは不便極まりないので、
こうした巨木古木の森伝いに雑草や笹竹の少ない獣道共用の街道が通じていたのであろう。
後世、日光の杉並木とか東海道の松並木とか出雲大社の黒松参道などは、
いわば古代の「真木通り」の心地よさ・便利さを、小規模ながら復活したものだったのではないか。