19/09/28 19:36:39.82 .net
>>205
晋書天文志
「魏明帝太和五年十二月甲辰,月犯填星。
青龍二年十月乙丑,月又犯填星。占同上。 戊寅,月犯太白。占曰:「人君死,又為兵。」
景初元年七月,
564:公孫文懿叛。二年正月,遣宣帝討之。三年正月,天子崩。 四年三月己巳,太白與月?加景晝見,月犯太白。占同上。 景初元年十月丁未,月犯?惑。占曰:「貴人死。」二年四月,司徒韓?薨。」 これは訳すと、 「青龍二年十月乙丑に月が土星に接近し、また、戊寅には金星に接近した。これを占うと「人君が死に、戦と成る」ということであった。その占い通り、景初元年七月に公孫文懿が反乱を起こし、 (景初)二年正月に宣帝がこれを征伐したが、(景初)三年正月には明帝が崩御した。 (青龍四年)三月己巳に金星が月と共に光を増して日中でも見え、月が金星に接近したので、また占った。 景初元年十月丁未に月が火星(?惑けいこく)に接近した。占ったところ「貴人が死ぬとあり」(景初)二年四月に司徒の韓?が死んだ。」 田舎の大学教授が青龍二年に行われた占いにある「四年三月己巳」を「景初四年」と勘違いしちゃったんだね 次に来る四年は景初じゃなくて青龍四年なんだな 青龍二年、青龍四年、景初元年の占いが時系列で記述されているということ 佩文韻府も同じ間違い
565:日本@名無史さん
19/09/28 19:39:48.99 .net
キナイコシ、爆沈!
566:日本@名無史さん
19/09/28 19:42:26.01 .net
魏志倭人伝に記されている通り、卑弥呼の朝貢は景初二年六月帯方郡からでした
めでたしめでたし
567:日本@名無史さん
19/09/28 19:44:05.27 .net
>>528
納得!
568:日本@名無史さん
19/09/28 19:46:41.05 .net
陳寿は正始元年の記録を殷歴である景初四年の記録のまま残していて
夏四月の黄権薨去の記載までは景初四年であろうから
正始改元は景初四年の四月以降であることが確定するそうだ
569:日本@名無史さん
19/09/28 19:48:33.72 .net
>>532
で、三国志に景初四年の記録のままとやらは残っているのかな?
詐欺師キナイコシ君?
570:日本@名無史さん
19/09/28 19:54:08.32 .net
呉から4世紀にやってきた陳さんが作った
なんでキナイコシが反応してるの?
571:日本@名無史さん
19/09/28 19:54:40.32 .net
>>524
銅鏡100枚は新作じゃないな。
皆装封付難升米牛利 であって朝貢謁見の後
二度目の謁見などは無く、封印して持ち帰らせている。
12月なので、洛陽~帯方は判らんが、
倭人船による半島西岸~対馬渡海は難しいと思えるので、
帯方からは翌春早々帰るはずである。
たぶん、帯方に向かったとは思うが
景初三年一月の皇帝の死を知ってるかは、判らない。
572:日本@名無史さん
19/09/28 19:59:42.39 .net
>>533
魏書
「正始元年春二月乙丑、加侍中中書監劉放、侍中中書令係資為~」
573:日本@名無史さん
19/09/28 20:02:40.50 .net
中国から習作なり鋳型なり見つかってるのか?
中国から「魏の年号」の入った銅鏡は見つかってるのか?
いくら特注といっても、
それなりのバックグラウンドがないと
全て机上の空論だぞい
574:日本@名無史さん
19/09/28 20:11:51.66 .net
>>537
洛陽近郊の畑から三角縁神獣鏡が1面見つかっているよ
575:日本@名無史さん
19/09/28 20:14:13.68 .net
>>538
戦前に日本人が持ち込んだやつね。
反論したかったら発掘証明を持ってきてね。
ちなみに
>中国から習作なり鋳型なり見つかってるのか?
>中国から「魏の年号」の入った銅鏡は見つかってるのか?
への解答になってないけどさ。
576:日本@名無史さん
19/09/28 20:19:33.03 .net
人の振り見て我が振り直せ
考えてみると、
銅鐸もそうだし
三悪もそう
同范技術というのは日本の誇る弥生青銅器作成技術だから、
青龍三年銘方格規矩鏡も、日本製かもね。
ただ、青龍三年なんてどうでもいい年号を複製してるんだから、
卑弥呼が貰った百枚の中に一枚くらいの年号鏡があって、
それを複製したのか。
577:日本@名無史さん
19/09/28 20:19:38.87 .net
>>539
鋳型や習作が魏で見つかってなくて
中国で魏の年号の入った鏡が見つからなければ
三角縁神獣鏡は魏鏡判定されないのだろうか?
578:三角縁が魏鏡である証拠は他で沢山あるよ
579:日本@名無史さん
19/09/28 20:23:52.85 .net
>>541
日本で出土しすぎた。
580:日本@名無史さん
19/09/28 20:24:29.07 .net
そうそう正始五年鏡というのがあったな
中国 画文帯環状乳神獣鏡 五島美術館蔵
581:日本@名無史さん
19/09/28 20:26:22.62 .net
>>542
倭はトヨの時代も合わせて4回ほど魏に使いを送っているからな
国内でコピーしたぼう製鏡もあるし
582:日本@名無史さん
19/09/28 20:30:24.71 .net
九州説が20年以上前の説に凝り固まっているうちに
畿内説は新しい証拠を着々と積み上げているのだよ
583:日本@名無史さん
19/09/28 20:32:23.87 .net
積み上げていないな。
卑弥呼の朝貢は魏志倭人伝の記載通り、「景初二年六月」以降であり、
△は国産鏡
584:日本@名無史さん
19/09/28 20:35:03.14 .net
赤烏元年と赤烏七年の鏡があるからなあ。
景初四年があるからなあ。
呉からきた陳さんが作ったんだなあ。
と、みーーーーんなが思ってるぞwww
585:日本@名無史さん
19/09/28 20:37:43.66 .net
じゃ景初三年鏡と正始元年鏡は実際ある年号なので本物の魏鏡
師出洛陽と銘も彫ってあるし
586:日本@名無史さん
19/09/28 20:38:14.73 .net
既に何度も否定された>>502を持ち出す時点で
キナイコシは詐欺師
こんなクズは
レッドカード100枚で退場相当だと思うよ
587:日本@名無史さん
19/09/28 20:41:43.69 .net
じゃあwww
588:日本@名無史さん
19/09/28 20:44:04.11 .net
>>548
じゃ景初三年+正始元年+師出洛陽と銘も彫れば、本物の魏鏡になるんだね。
そう思って、
呉から来た陳さんも、景初三年+正始元年+師出洛陽と銘も彫ったんだね。
青銅原料は全部海外の時代に。
589:日本@名無史さん
19/09/28 20:44:22.05 .net
>>538
>洛陽近郊の畑から三角縁神獣鏡が1面見つかっているよ
その洛陽近郊の「三角縁神獣鏡」 と宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい?
群馬・川井稲荷山古墳の「三角縁神獣鏡」 と宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい? @阿波
590:日本@名無史さん
19/09/28 20:46:42.34 .net
日本人が持っていったのを敗戦して日本へ引き揚げる時に現地に残していったんだろう
みーーーーんながそう思ってるよ
591:日本@名無史さん
19/09/28 20:48:03.86 .net
>>538
>洛陽近郊の畑から三角縁神獣鏡が1面見つかっているよ
その洛陽近郊の「三角縁神獣鏡」 と宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい?
群馬・川井稲荷山古墳の「三角縁神獣鏡」 と宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい? @阿波
592:日本@名無史さん
19/09/28 20:49:38.80 .net
>>548
じゃ景初三年+正始元年+師出洛陽と銘も彫れば、本物の魏鏡になるんだね。
そう思って、
呉から来た陳さんも、景初三年+正始元年+師出洛陽と銘も彫ったんだね。
青銅原料は全部海外の時代に
593:日本@名無史さん
19/09/28 20:50:18.52 .net
魏の領内には銅山がなくて銭も作れなかった
594:日本@名無史さん
19/09/28 20:50:42.70 .net
赤烏元年と赤烏七年は
呉から来た陳さんが滅亡した故国呉を想うせめてもの意地
595:日本@名無史さん
19/09/28 20:52:05.15 .net
貴重な銅を卑弥呼に贈り、卑弥呼は貴重な銅から八咫鏡を作った
596:日本@名無史さん
19/09/28 20:57:47.89 .net
>>553
同向式神獣鏡(伝楽浪大同江面)と萩原1号墳の画文帯神獣鏡が同笵鏡だってこと、知ってるかい? @阿波
597:日本@名無史さん
19/09/28 20:58:56.93 .net
>>538
>洛陽近郊の畑から三角縁神獣鏡が1面見つかっているよ
その洛陽近郊の「三角縁神獣鏡」 と宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい?
また、群馬・川井稲荷山古墳の「三角縁神獣鏡」 と宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい? @阿波
598:日本@名無史さん
19/09/28 21:13:39.19 .net
東四国(徳島・香川)では、初期の古墳に漢鏡(とくに後漢晩期のもの)が副葬される例が多い。
通常は単数副葬例が多いが、東四国(徳島・香川)では、2面副葬される例が複数ある。
例:天河別神社5号墳(上方作系浮彫式獣帯鏡・斜縁神獣鏡) @阿波
599:日本@名無史さん
19/09/28 21:22:38.74 .net
魏志倭人伝にはその国本は男王とあり他の巫女女王がない、次に男子1人いて辞を伝えるとある、これはさにわであり政事要略に出てる、明法博士は秦氏が主でありちょう然もまた秦氏の流れとされる。よって卑弥呼以前はヤマトとは関係ない世界である。どうなってたかは知らん。
600:日本@名無史さん
19/09/28 21:31:30.72 .net
「宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とその時代」
制作年代としては、3面とも舶載第2段階で、かなり古い鏡である。
歴年代では、240年代の製作である可能性が高い。
副葬時期(古墳の時期)
・舶載第1・2段階の「三角縁神獣鏡」 は、古墳時代前期前半に築造された古墳から多数出土している。
・宮谷古墳も、古墳時代前期前半となる可能性が高い。
古墳時代前期前半に相当するとみられる古墳の数の多さは、東四国あるいは徳島を特徴づ�
601:ッるものと評価できる。 @阿波
602:日本@名無史さん
19/09/28 21:47:52.71 .net
キナイコシは詐欺師!
ちい、覚えた!
603:日本@名無史さん
19/09/28 22:02:06.44 .net
だから俺だって嫌なんだって、でも瓢箪墓は神霊の容器、鉄拐の神通力。黄巾の乱が起きて増えてくんじゃこの流れしかないだろ?道教の宗教集団だよ、銅鐸も改宗で減っていったんだろ。
604:日本@名無史さん
19/09/28 22:09:08.90 .net
三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「天河別神社古墳群」出土の「斜縁二神二獣鏡」を倭国(阿波)でぼう製したものだろう。 @阿波
605:日本@名無史さん
19/09/28 23:01:57.16 .net
>>551
陳さんの作った三角縁神獣鏡には
銅出徐州 師出洛陽(魏の領地で銅産出地の徐州の銅で鏡師は洛陽)
と彫っている
陳さんは魏の洛陽出身という事だろう
>>555
三角縁には師出洛陽と彫ってあるので陳さんは魏から来た
呉から来たなら師出長安と彫っただろう
そして青銅原料は海外だけれども
倭国内で銅製品を作る場合は複数の原料を混ぜて作るので
海外銅製品とは不純物の量が違って出る
606:日本@名無史さん
19/09/28 23:15:06.80 .net
三国時代の魏晋朝領域の徐州では銅は産出していない
607:日本@名無史さん
19/09/28 23:18:25.14 .net
王仲殊
「“師出洛陽”の銘文は、明らかにでたらめである。」
URLリンク(blog.livedoor.jp)
608:日本@名無史さん
19/09/28 23:36:19.36 .net
>>569
> “師出洛陽”の銘文は、明らかにでたらめである。
>鏡上に“師出洛陽”の銘文があろうと、決してそれらが洛陽の工匠によって作られたとは説明できないし、更にそれらが洛陽の製品だとは説明できない。
>中国で出土した各種銅鏡によれば、洛陽及びその付近から出土した銅鏡には、全くこの種の銘文がなく、これも中国銅鏡と日本の三角縁神獣鏡の間の
>明確な相違の一つになる。
ふむふむ、本物の洛陽の鏡には師出洛陽なんて銘文は無いと
609:日本@名無史さん
19/09/28 23:42:37.09 .net
>>568
徐州で銅が出ないなら何の目的があって鏡に銅出徐州と彫ってあるのか
610:日本@名無史さん
19/09/28 23:50:21.70 .net
古代日本の誇る国産鏡
同じく国産の銅鐸と同じく、
海外産の銅を使って(当時の銅は全て輸入品だから当たり前)
同范がとても多い。
呉から来た陳さんが銅鐸職人を指導して
偉大なる卑弥呼女王を称える国産鏡を開発してくれたんだね。
感謝の心。
611:日本@名無史さん
19/09/28 23:53:38.59 .net
>>571
頭悪いなあ
陳さんは呉出身だぞ。
呉の徐州の銅を自慢して「銅出徐州」(呉の徐州ね)と
彫ったんだよ。
赤烏元年・赤烏七年も陳さんの意地だ。
ちくしょう
こんな辺境の島国ですら魏を崇拝しやがって。。。
俺っちの故郷の呉もすごかったんだぞ、、、
かわいいね
陳さん
612:日本@名無史さん
19/09/28 23:55:57.86 .net
呉の陳さんはなぜ作った鏡に景初や正始の魏の年号を刻んで
銅出徐州 師出洛陽と彫ったのかな
613:日本@名無史さん
19/09/28 23:57:03.34 .net
>>573
徐州は三国時代魏の領土だったよ
614:日本@名無史さん
19/09/29 00:00:38.57 .net
《漢書・地理志》と《続漢書・郡国志》によれば、彭城及びその付近は、漢時代には鉄鉱があり、鉄官が置かれたが、銅鉱はなかった。
《新唐書・地理志》《宋書・地理志》等も徐州は鉄を産すると書いているが、銅を産するとは説いていない。
明清時の関係書籍に初めて徐州付近に銅山があり、“旧曾産銅”とあるが、実際には根拠がない。
清の雍正帝の時代に徐州府に銅山県が置かれたが、所謂銅山は有名無実であった。
近代に到り実際に調査されたが、徐州の利国駅の主な鉱石は赤鉄鉱であり、そして銅山島の南�
615:[に鉄峰があり赤鉄鉱に黄銅鉱が含まれ、 風雨に浸食され緑色に変色している。銅山の名は多分これに由来しているのだろうが、決して採掘可能な銅鉱ではない。 要するに結論を言えば、三国時代、彭城及びその付近は絶対に銅を産することはなかった。
616:日本@名無史さん
19/09/29 00:01:27.07 .net
>>575
徐州最南部の長江北岸一帯は呉の領土だよ
そして銅山があった魏徴とかもその一帯
617:日本@名無史さん
19/09/29 00:02:11.48 .net
>>574
滅亡した呉から、「技術」を評価されて
4世紀にスカウトされてきたものの、
北部九州倭国=邪馬台国では、魏の年号が重宝されていたからだろ
それくらいもわからないのか?
618:日本@名無史さん
19/09/29 00:04:43.97 .net
さんざん理屈を無視した喧伝ばかりしておいて
今さら議論してるフリしても
誰も心動かされないぞ
>キナイコシ
619:日本@名無史さん
19/09/29 00:07:25.24 .net
銅が不足して
魏は鉄鏡へシフトしてるだろ。
金銀鉄鏡が話題になっただろ。
硯も全国各地の大型建物も鉄鏡も
20年前で凍りついた畿内説は無視してるけどさw
620:日本@名無史さん
19/09/29 00:10:01.24 .net
>>577
三国時代の徐州の呉の領地は南のごくわずか
銅山のあった北部は魏の領地
>>578
三角縁神獣鏡は三世紀の古墳から見つかっているのだが
621:日本@名無史さん
19/09/29 00:11:31.67 .net
>>581
>三角縁神獣鏡は三世紀の古墳から見つかっているのだが
へえ、どこ?
622:日本@名無史さん
19/09/29 00:12:11.65 .net
<3世紀>
九州 銅鏡<大型化
魏 銅鏡×<<<金銀鉄鏡
呉 銅鏡<肉彫り神獣鏡
畿内 石器木器
<4世紀>
九州 金銀財宝
中国 金銀財宝
畿内 まだ銅鏡やってんの???w
623:日本@名無史さん
19/09/29 00:12:57.59 .net
>>581
まだそんなウソをつく気か
銅山があったのは呉の領土
URLリンク(yamatai.cside.com)
> 王仲殊氏はいう。(傍線を、引いたのは、安本。)
> 『銅出徐州』の銘文にある徐州とは、どの地を指しているのであるか、研究しなければならない。思うに徐州とは漢の武帝が置いた十三の刺史部
> 〔州内の国政を視察・報告させるために中央から派遣した官の刺史が監督する地域〕の一つで、管轄地区はいまの江蘇省の長江以北および
> 山東省の東南部の地区であった。後漢時代の徐州の治所〔郡役所のおかれこころ〕は?(せん)(いまの山東省?)にあり、魏時代に彭城(ぼうじょう)
> (いまの江蘇省徐州)にうつした。しかし、指摘しなければならないことは、いまの徐州一帯では、古代より銅を産出しない。
> 『漢書』地理志、『続漢書』郡国志には、彭城およびその付近の地区には、漢代に鉄鉱があり、かつて鉄官〔鉄の産地で鋳造を担当した官〕がおかれたが、
> しかし銅鉱はない。『新唐書』地理志、『宋書』地理志などにも、徐州には鉄を産するといっているが、銅を産出するとはいっていない。
> ただ、明・清時代の関係ある書籍になってようやく徐州付近に銅山があり、『旧く、かつて銅を産す』といっているが、実は根拠のないことである。
> 清時代の雍正年間〔1723~1735年〕に徐州府に銅山県がおかれたが、しかし銅山といっても有名無実である。
> 近代の実地踏査によれば、徐州利国駅〔山東省との境にある地〕でとれるおもな鉱石は赤鉄鉱であり、銅山島の南端にある鉄峰の赤鉄鉱の中に
> 黄銅鉱がまざっていて、風雨によって緑色になっている。銅山の名のおこりはこのことからおこったのであろうが、しかし、採鉱のできるような銅鉱山ではない。
> 要するに、上にのべたように、三国時代には、彭城およびその付近では決して銅を産することはなかった。
> しかし、もし『銅出徐州』の銘文中の徐州が、いまの江蘇省の長江以北と山東省東南部の広大な地区をさ�
624:オているならば、いまの揚州市付近の江都、 > 儀徴一帯には、古く銅鉱があり、漢代の初めに呉王の劉?が鋳銭したところと伝えられている > 〔呉王劉?は漢高祖劉邦の兄の子で、呉地方に封建され、王国内の予章郡で銅山を開発して、銅銭を鋳造した。
625:日本@名無史さん
19/09/29 00:13:26.64 .net
ほら有名な黒塚古墳とか
椿井大塚古墳もそうだな
626:日本@名無史さん
19/09/29 00:15:13.91 .net
>>584
呉の領有した徐州南部とは広陵郡南端の極めて限られた地域で、
徐州の殆どは魏領。
漢書地理志広陵国・続漢書軍国志広陵郡とも鉄を産することを記すのみで
銅山があった記録がないことは彭城と同じ
627:日本@名無史さん
19/09/29 00:16:04.92 .net
>三角縁神獣鏡は三世紀の古墳から見つかっているのだが
呉は280年滅亡
三世紀には呉の銅鏡職人は失職
そうでなくても
魏相手に劣勢な当時の時勢を見たら
はるばる日本に来て、魏の年号を使ったり、銅出徐州 師出洛陽と掘ったりする
情勢を機敏に読む賢い陳さんなら人生を考えただろう。
628:日本@名無史さん
19/09/29 00:16:30.37 .net
>>586
> しかし、もし『銅出徐州』の銘文中の徐州が、いまの江蘇省の長江以北と山東省東南部の広大な地区をさしているならば、いまの揚州市付近の江都、
> 儀徴一帯には、古く銅鉱があり、漢代の初めに呉王の劉?が鋳銭したところと伝えられている
字が読めないのか?
629:日本@名無史さん
19/09/29 00:17:35.04 .net
やはり畿内説は自分に都合の悪いものは見えない頭の病気なんだな
630:日本@名無史さん
19/09/29 00:18:06.30 .net
>>586
で、魏が作った銅鏡を教えてくれや。
日本で300枚もあるんなら、
そうだな・・・ネット上に魏の中国出土鏡がそれなりの枚数上がってるだろう。
どれだよ?
631:日本@名無史さん
19/09/29 00:18:42.72 .net
>>586
URLリンク(yamatai.cside.com)
URLリンク(yamatai.cside.com)
> 王仲殊氏の文章中にみえる「江都」「儀徴」などは、後漢の時代、「徐州剌史部」の監督する地域内にはいっていた。
> この江都、儀徴には、古く銅鉱があった。
> 三国時代には、「江都」「儀徴」などの地域は、呉の領域内にあった。
632:日本@名無史さん
19/09/29 00:20:12.65 .net
>>587
陳さんは来てなくて
三角縁神獣鏡は卑弥呼への下賜鏡としたら
銅出徐州 師出洛陽という銘文や
景初、正始と卑弥呼が遣使し魏使が下賜品を携えて訪れたと魏志倭人伝に書いてある魏の年号が入っている事について
色々と辻褄が合うと思うなあ
633:日本@名無史さん
19/09/29 00:25:35.45 .net
>>588
彭城銅山県(現・徐州市銅山区)は北宋の元豊年間に宝豊監が置かれ
鋳銭が行われていたとある
つまり徐州には銅山があってそして魏の時代徐州は魏の領地だった
>>590
魏の中国出土鏡ねえ
洛陽出土の三角縁神獣鏡と正始五年と魏年号の入った画文帯神獣鏡かな
>>591
徐州は銅が出ないとか銅は出るけど呉の領地とか
九州説の言っている事のどれを信じたらいいのか
634:日本@名無史さん
19/09/29 00:25:54.35 .net
>>592
都合よくごまかすなよ。
××景初、正始と魏志倭人伝に書いてある魏の年号が入っている事について
【魏志倭人伝】
景初二年
景初二年
景初二年
vs
【現実】
景初三年
景初四年 正始元年
赤烏元年
赤烏七年
635:日本@名無史さん
19/09/29 00:28:11.14 .net
徐州のうち
魏が領有していたのは銅が出ない地域
呉が領有していたのは銅が出る地域
以上。
何度も論破されてとぼけている見苦しい畿内説へ。
636:日本@名無史さん
19/09/29 00:28:40.62 .net
銅山が呉領だったなんてのはもはや常識だけどね。
そして△が日本製なのも常識。
この常識をひっくり返すには、中国の3世紀の遺跡から
△がある程度の枚数、あるいは鋳型などが出土しなければ無理。
洛陽の畑から農民の手によって一枚出土して骨董市に売却したのが見つかったなんてのを
根拠として持ち出すこと自体がアレなんだけど
アレなことに気づかずに相変わらず主張しているアレな姿。
637:日本@名無史さん
19/09/29 00:30:53.50 .net
>>594
卑弥呼の魏への遣使
梁書 景初三年
日本書紀 景初三年
翰苑 景初三年
太平御覧 景初三年
3世紀の原本が失われた後の12世紀に復刻され
邪馬臺→邪馬壹などそれまでの史書の魏志引用文との違いが多く
誤字の多いとされる魏志倭人伝
景気二年
638:日本@名無史さん
19/09/29 00:32:48.89 .net
>>597
梁書と太平御覧は上で論破されていたよな?
それを持ち出すお前は完全な
詐 欺 師 だ
論破されても同じ主張を繰り返す時点で
お前の主張は全て嘘だと決定。
639:日本@名無史さん
19/09/29 00:33:46.80 .net
>>597
おーい
反論になっとらんぞーw
都合よくごまかすなよ。
××景初、正始と魏志倭人伝に書いてある魏の年号が入っている事について
【魏志倭人伝】
景初二年
景初二年
景初二年
vs
【現実】
景初三年
景初四年 正始元年
赤烏元年
赤烏七年
640:日本@名無史さん
19/09/29 00:33:59.89 .net
>>595
>>596
呉の領有した徐州南部とは広陵郡南端の極めて限られた地域で、
徐州の殆どは魏領。
漢書地理志広陵国・続漢書軍国志広陵郡とも鉄を産することを記すのみで
銅山があった記録がないことは彭城と同じ
三角縁神獣鏡の舶載鏡は魏鏡と同じ銅素材で作られている事が
蛍光X線分析機Spring-8による調査によって判明
641:日本@名無史さん
19/09/29 00:37:04.42 .net
>>598
日本書紀や太平御覧は魏志曰くと魏志倭人伝を引用している事を明記して
卑弥呼の遣使を景初三年と記している
倭人伝に卑弥呼の遣使が景初二年と記されるのは12世紀以降のそれまでの倭人伝と齟齬が多いとされる
復刻版倭人伝から
>>599
卑弥呼の魏への遣使
梁書 景初三年
日本書紀 景初三年
翰苑 景初三年
太平御覧 景初三年
3世紀の原本が失われた後の12世紀に復刻され
邪馬臺→邪馬壹などそれまでの史書の魏志引用文との違いが多く
誤字の多いとされる魏志倭人伝
景気二年
642:日本@名無史さん
19/09/29 00:37:24.95 .net
>>600
蛍光分析の基本すら押さえてないこと、
錫とアンモチンの含有比較の基本すら押さえてないこと、
比較対象となる仿製鏡舶載鏡の分類がはっきりしないこと、
で完全に論破されている。
それを持ち出すお前は完全な
詐 欺 師 だ
論破されても同じ主張を繰り返す時点で
お前の主張は全て嘘だと決定。
643:日本@名無史さん
19/09/29 00:42:12.34 .net
>>602
嘘嘘と言ってればいい
周りがどう判断するかだし
蛍光X線分析機Spring-8による銅鏡の分析で
三角縁神獣鏡の舶載品に分類されていた銅鏡と魏晋鏡を分析したところ
両者に含まれる銀・アンチモン比は同じグループに属する事が判明
三角縁神獣鏡は魏鏡である可能性が高くなり
銅出徐州 師出洛陽などの銘文や景初三年などの魏年号
そして洛陽での1面発見はこれが魏から卑弥呼への下賜鏡である事を強く示唆するもの
644:日本@名無史さん
19/09/29 00:45:10.85 .net
>>603
>嘘嘘と言ってればいい
>周りがどう判断するかだし
ははは。馬鹿じゃねーの畿内説
顕微鏡のぞいて木星の衛星を数えてるようなもんだぞ。
誰が信じるかいなそんなデータ。
お前自分がどんだけ恥ずかしい発言してるかすら理解できてないな。
日本人から理系の人間が全員いなくなれば騙せるかもしれんがなw
645:日本@名無史さん
19/09/29 00:45:44.36 .net
>>601
はい、畿内説さんは、「議論放棄」ですね。
かわいそー
梁書と太平御覧は、追いつめられた畿内説の恥ずかしい誤読でした。
日本書紀と翰苑は、日本側の資料で正確性に疑問符。
魏志倭人伝には景初二年と書かれているのに、
反論する根拠もなく景初三年のみに固執。
景初三年
景初四年 正始元年
赤烏元年
赤烏七年
まだまだいっぱいあるよー
646:日本@名無史さん
19/09/29 00:46:38.47 .net
九州説は三角縁神獣鏡を呉鏡とするから誰が見たって奇妙な言いわけばかりするハメになる
647:日本@名無史さん
19/09/29 00:48:27.48 .net
泉屋論文の内容は、三角縁神獣鏡の原料組成の差について何の情報ももたらしていない。だから、三角縁神獣鏡がどこで造られたか議論するためにはまったく役立たないと結論できる。
URLリンク(yamatai.cside.com)
648:日本@名無史さん
19/09/29 00:48:43.94 .net
>>606
呉鏡なんて誰か言ったか??
どのレスだ?
仿製鏡だよ!
649:日本@名無史さん
19/09/29 00:50:39.98 .net
>>604
別に信じなくたっていいけど
>>605
こちらは魏志を引用した梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧などの史書には
卑弥呼の魏への遣使は三角縁神獣鏡に記銘されてるのと同じく
景初三年と書いてあるという当たり前の事を言っているだけなんだけれど
そちらがどうしてそんな態度を取るのかわからないな
650:日本@名無史さん
19/09/29 00:51:54.21 .net
微量成分のアンチモンが錫原料からもたらされたと言う前提そのものが完全に間違っており、当然のことながら、その前提から導かれた「三角縁神獣鏡は魏鏡」との結論も無意味のものであった。
URLリンク(arai-hist.jp)
651:日本@名無史さん
19/09/29 00:53:05.74 .net
>>609
だから信じる信じないの問題じゃないんだよ。
真実かどうかの問題。
1+1=2であって、
それをお前は1+1=5と言ってる。
お前はそう信じていて、親切な周囲がそれは違うよと指摘してくれてるのに
1+1=5とわめき散らして
別に信じなくたっていいけどと言ってる裸の畿内説。
652:日本@名無史さん
19/09/29 00:54:20.52 .net
>>608
たぶん上の方で誰か言ってた
まあ呉鏡でもボウ製鏡と主張してもいいけどさ
正解は魏鏡だし
653:日本@名無史さん
19/09/29 00:54:53.31 .net
>>611
1+1=5なんて言ってないが
654:日本@名無史さん
19/09/29 00:55:56.72 .net
>>609
じゃあさ。
梁書と太平御覧の原文を引用して、どこに景初四年と書いてあるか説明してみ?
日本書紀と翰苑は日本側に残された資料で、
しかも年代が8世紀だったり(△の景初三年を書いた集団と関連ある可能性があるだろ)
原本からの引用状況が不明だったりするから、
証拠として不十分。
655:日本@名無史さん
19/09/29 00:57:20.86 .net
>>614
梁書と太平御覧の原文に景初四年なんて出てこないけど
それが何か
656:日本@名無史さん
19/09/29 01:00:49.60 .net
>>613
敗北を悟って議論放棄して逃げたくてウズウズしてるんだなw
蛍光分析ってのは
資料中の含有濃度と、それの蛍光数値との、対応グラフを作ってから、
比較検討しなくちゃいけないんだよ。
基本中のきだ。
それをやってないから、アレだ。
それを持ち出してるお前は、アレだ。
俺なら恥ずかしすぎて耐えられないくらいのことをお前はやっているw
657:日本@名無史さん
19/09/29 01:01:29.21 .net
>>614
魏志曰くと魏志倭人伝の引用である事を明記している
梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧がそれぞれ景初三年と記しているよ
つまりこれら史書には共通した底本があってそれぞれが独自に引用し
そこには卑弥呼の遣使が景初三年と書かれていた事は明らかというだけの話
そんなに難しいかな
658:日本@名無史さん
19/09/29 01:02:07.19 .net
>>615
畿内説のいつもの論点ずらしだな。
じゃあさ。
梁書と太平御覧の原文を引用して、どこに景初四年の根拠が書いてあるか説明してみ?
日本書紀と翰苑は日本側に残された資料で、
しかも年代が8世紀だったり(△の景初三年を書いた集団と関連ある可能性があるだろ)
原本からの引用状況が不明だったりするから、
証拠として不十分。
659:日本@名無史さん
19/09/29 01:02:53.10 .net
>>616
ちゃんとした研究所でそんな手抜きをした理由は何かな
まさか学者が金を握らせたとか陰謀論とか持ち出さないだろうな
660:日本@名無史さん
19/09/29 01:06:42.57 .net
お前が聞いてこい。
教えてくれる人もいなくて機械だけ使用予約が取れて
蛍光分析を始めてやったとかじゃないのか
マジで全理系の人間が口をあんぐり開けるレベルw
気の毒過ぎて周囲が引いてる感じだぞ
661:日本@名無史さん
19/09/29 01:08:17.97 .net
>>618
いや景初四年の話は関係ないと思うけど
それを言うなら魏志倭人伝本体に書かれてないんだし
史書に景初四年の話が出てくる方が怪しいだろ
そして梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧と4つの史書がそれぞれ独自に
魏書曰くと魏志倭人伝を引用して倭人伝を書いた結果
卑弥呼の遣使が景初三年と記されている
つまりそれぞれの史書が引用した魏志倭人伝には
景初三年と書いてあったという事
倭人伝に景初二年と書かれるようになるのは12世紀以降
それ以前に卑弥呼の遣使が景初二年とした倭人伝は存在しない
662:日本@名無史さん
19/09/29 01:11:18.08 .net
>>620
事情を聞いてくるならそっちだよ
実験がいいかげんと言い出したのはそっちだしな
そして事情がはっきりするまでは
Spring-8による分析は正しいものとしても問題ないし
三角縁神獣鏡の舶載鏡と魏晋鏡の銀アンチモン比は同グループに属するという結果は揺るがない
663:日本@名無史さん
19/09/29 01:12:22.99 .net
>>621
わからん奴だな。
だからお前の意見などどうでもいいから、
「原文
664:」を持ってこい。 そもそも並べ方がなっていない。 >梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧、じゃあお前が馬鹿なのがわかってしまう。 梁書、太平御覧、日本書紀、翰苑、の順に、 原文をまず書いて、 どの部分をもって、景初三年だと思うのか、 を説明しろ。 それで証明しきれば説得力が出るし、 証明も無しに文献の名前だけ並べても、 魏志倭人伝の景初二年はくつがえらない。
665:日本@名無史さん
19/09/29 01:17:40.23 .net
>>623
姑息だなあ
持ってきても普通に魏書曰くと前置きがあって卑弥呼の遣使は
景初三年と書かれてる文が出てくるだけだから
嘘と思うなら確かめて見れば
そして梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧は年代順に並べれるのだけれども
666:日本@名無史さん
19/09/29 01:18:35.21 .net
九州説は議論してるフリをするのはやめよう
667:日本@名無史さん
19/09/29 01:18:52.90 .net
>>624
>持ってきても普通に魏書曰くと前置きがあって卑弥呼の遣使は
>景初三年と書かれてる文が出てくるだけだから
原文持ってこい
668:日本@名無史さん
19/09/29 01:20:31.44 .net
ついに維持になり出したなww
別に嘘なんかついてないから確かめたいならご自分で
669:日本@名無史さん
19/09/29 01:22:17.93 .net
>>627
確かめるも何も上で既に説明してある。
それをくつがえすものをお前が持ってこれないのなら、
お前の負けだ。
670:日本@名無史さん
19/09/29 01:25:32.85 .net
わかったわかった終りにしよう
意地になってるだけの相手にこれ以上話し合ってもラチが開かないだろうしな
ほなまた来たるわ
671:日本@名無史さん
19/09/29 01:26:02.56 .net
よく聞け。
普通に資料を砕いて、その中のアンモチンを取り出して、
秤で重さを測定したとする。
それなら、
アンモチン0.01gなら、0.01g
1gなら、1g
100gなら、100gだ。
Y=aXだな。この場合はわかりやすくa=1の直線だ。
だが、蛍光分析の場合は、直線ではない。
分かりやすく言うと、お前の部屋の明かりを調節するとする。
今より半分の明るさにすると、半分になったとわかる。
だが、今より100分の1の明るさにすると、お前にとってはほぼ真っ暗だ。
そこからさらに半分、つまり元から200分の1にしても、
お前にとっては真っ暗のまま。
逆に、今より100倍の明るさにすると、目を閉じても眩しいくらいの凄まじさで、
そこからさらに2倍、元から200倍にしても、
100倍と200倍の差はよくわからない。
つまり、蛍光分析の場合は、
直線で対応する部分が限られていて、
上下の明るすぎる部分と暗すぎる部分はほぼ使えないわけだ。
672:日本@名無史さん
19/09/29 01:28:48.24 .net
例えばだ。
ある資料にある強度の光を当てて励起される蛍光が、
資料濃度Xgに対して蛍光強度Yだとして、
X Y
10000 100
1000 100
100 100
70 80
50 50
30 20
10 10
1 1
0.1 0.01
0.01 0.01
0.001 0.01
こんな感じで出てくる。
だから資料中のアンモチンの数値Xが10-70の間でなければ研究にならないわけで、
研究に耐えうる実験をしましたよ、という証明をするために、
資料中の濃度Xと、蛍光強度Yとの対応表を掲載しなければ
なんの議論もできないわけだ。
673:日本@名無史さん
19/09/29 01:30:34.59 .net
これで意味がわからなければそれまで。
お前はなんで周囲が笑っているのか理解できないまま
踊り続けていろ。
674:日本@名無史さん
19/09/29 01:34:52.33 .net
ちなみに、通典、冊府元亀も「景初二年」だな
675:日本@名無史さん
19/09/29 01:43:58.22 .net
後世のものに景初三年があろうが、
原典の魏志倭人伝が景初二年で、他にも二年のものがある以上、
景初二年が正解だろう。
676:日本@名無史さん
19/09/29 01:44:52.58 .net
景初二年ですら魏志倭人伝との勝負か。
景初三年
景初四年 正始元年
赤烏元年
赤烏七年
絶望的だなこりゃw
677:日本@名無史さん
19/09/29 06:49:30.87 .net
「鏡」や「お墓」や「土器」ごときに頼らざるを得ない、九州説や畿内説。
圧倒的な倭国(阿波)の考古資料とは、雲泥の差。
三角縁神獣鏡は倭国(阿波)で作られた?製鏡で、全国へ配られている可能性が高い。
根拠:気延山古墳群の宮谷古墳から特異な異種3面もの「三角縁神獣鏡」
678:が出土しているが、その異種3面の「三角縁神獣鏡」と同笵鏡が、 それぞれ大分(赤塚古墳)・岡山(鶴山丸山古墳)・京都(内里古墳・椿井大塚山古墳)・奈良(黒塚古墳)・群馬(前橋天神山古墳)・富山(富雄丸山古墳)で出土している。 @阿波
679:日本@名無史さん
19/09/29 06:51:05.95 .net
「鏡」や「お墓」や「土器」ごときに頼らざるを得ない、九州説や畿内説。
圧倒的な倭国(阿波)の考古資料とは、雲泥の差。
三角縁神獣鏡は倭国(阿波)で作られたぼう製鏡で、全国へ配られている可能性が高い。
根拠:気延山古墳群の宮谷古墳から特異な異種3面もの「三角縁神獣鏡」が出土しているが、その異種3面の「三角縁神獣鏡」と同笵鏡が、
それぞれ大分(赤塚古墳)・岡山(鶴山丸山古墳)・京都(内里古墳・椿井大塚山古墳)・奈良(黒塚古墳)・群馬(前橋天神山古墳)・富山(富雄丸山古墳)で出土している。 @阿波
680:日本@名無史さん
19/09/29 06:51:41.74 .net
蛍光X線は校正曲線、検量線のリニヤー部分が狭い!
マトリックスの影響を受けやすい!
681:日本@名無史さん
19/09/29 07:36:24.95 .net
>>592
>銅出徐州 師出洛陽という銘文や
作った時は洛陽にいなかったということじゃん。
682:日本@名無史さん
19/09/29 07:56:05.82 .net
その通り
銅の産地(買い付け地)は徐州で、師の出身は洛陽・・・、つまり(異国にあって)鏡師の出自を誇示したわけだ。
683:日本@名無史さん
19/09/29 07:56:18.88 .net
梁書は「公孫淵誅後」という表現に引っ張られて、「景初三年」に意図的に改変した
また、倭国大乱も「漢靈帝光和中」と改変してるし、作者の作為が強く出てる史書
この後の史書もこの梁書の影響を少なからず受けている
684:日本@名無史さん
19/09/29 08:22:54.03 .net
遼東城が包囲された時点で、公孫淵の敗北は決定的だった。
その時、すでに帯方郡は抑えられ、寝返っていたわけであるから、
いわば帯方郡の太守や役人たちは、関ヶ原の合戦を九州博多で模様眺めしていた状態だったわけだ。
卑弥呼の遣いもそこに顔を出し、今か今かと吉報を待っていたのではないか・・・
685:日本@名無史さん
19/09/29 08:30:42.16 .net
>>642
「忌部はん」 は頻繁に朝鮮・中国華北へ行って交流しているから。 @阿波
686:日本@名無史さん
19/09/29 08:42:52.14 .net
そもそも景初三年は明帝の喪中なので外交行事は行われない
687:日本@名無史さん
19/09/29 08:53:28.07 .net
「卑弥呼」「邪馬台国」というのは当時朝鮮半島南部にあった
「卑弥国」「邪馬国」をネタに司馬仲達がでっち上げたフィクションなんだよ
公孫淵撃破後新しい支配者のご機嫌伺いに来る東夷の諸族の中に
顔中赤い入れ墨だらけのやつがいた
「なんだありゃ?華南蛮族にはあの手のがいるとは聞いたことがあるが」
「倭人と自称しております。この半島にはたいした数はいませんが
そのはるか南方の巨大な島はこの入れ墨族だらけだとか。」
「!」
公孫淵撃破の軍功をテコに魏朝内の圧倒的地位を盤石にするためにうった
一連の大芝居が「はるか南方の巨大な島国を統べるヤマタイコク」の使者の
曹叡への拝謁だ
お芝居は大成功
「邪馬台国」は司馬懿の生涯最大の軍功トロフィーとなる
688:日本@名無史さん
19/09/29 09:07:01.41 .net
>>643
ですな。
鏡に記された年号のためだけに景初三年にこだわってしまったから、
後に引けなくなってる。
景初三年六月に洛陽に連絡が行って、十二月に倭使が洛陽到着。
帯方郡から洛陽までだけでも、片道半年かかってる。
正始元年には卑弥呼の手元に届くのだから、
最初を景初三年六月にしてしまうと、
8歳の曹芳の取り巻きが金印授与の決断をして、
完全新作かつ南方系の銅鏡百枚を新鋳して、
そして倭国まで届ける、
なんてのは日程的に無理スジ。
素直に景初二年にしておけば、時間的にも余裕が出来て、
鏡には卑弥呼の手に渡る年の年号を鋳込んだ、
で通じる話なのに。
嘘に嘘が積み重なってどうにもならなくなっている。
689:日本@名無史さん
19/09/29 10:24:48.05 .net
残念だけれど景初三年が二年でも
邪馬台国は九州にならないんだな
690:日本@名無史さん
19/09/29 10:41:21.19 .net
>>647
議論放棄して願望を連打するだけか
国産鏡の研究を続けてねそれはそれで重要だからw
691:日本@名無史さん
19/09/29 10:47:38.53 .net
「宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とその時代」
制作年代としては、3面とも舶載第2段階で、かなり古い鏡である。
歴年代では、240年代の製作である可能性が高い。
副葬時期(古墳の時期)
・舶載第1・2段階の「三角縁神獣鏡」 は、古墳時代前期前半に築造された古墳から多数出土している。
・宮谷古墳も、古墳時代前期前半となる可能性が高い。
※古墳時代前期前半に相当するとみられる古墳の数の多さは、東四国あるいは徳島を特徴づけるものと評価できる。 @阿波
692:日本@名無史さん
19/09/29 10:52:20.40 .net
東四国(徳島・香川)では、古墳時代前期でも古手の古墳に漢鏡(とくに後漢晩期のもの)が副葬される例が多い。
通常は単数副葬例が多いが、東四国(徳島・香川)では、2面副葬される例が複数ある。
例:天河別神社5号墳(上方作系浮彫式獣帯鏡・斜縁神獣鏡) @阿波
693:日本@名無史さん
19/09/29 10:58:34.32 .net
647 名前:日本@名無史さん 2019/09/29(日) 10:24:48.05
残念だけれど景初三年が二年でも
邪馬台国は九州にならないんだな
そりゃ残念の残念で、真逆だな
景初三年が二年でも 邪馬台国は九州になる。、
694:日本@名無史さん
19/09/29 11:01:12.15 .net
景初三年だと洛陽往復がタイトになって九州しかありえなくなる。
景初二年でも九州であることに変わりはないがな。
695:日本@名無史さん
19/09/29 11:06:33.52 .net
そもそも往復なんぞしてないんだからまったくどうでも良い話
696:日本@名無史さん
19/09/29 11:14:34.34 .net
スレ違いの畿無説がどうでもいい話だから
697:日本@名無史さん
19/09/29 14:33:37.64 .net
日本製ではあるが、景初正始年記の銅鏡は、九州で作られたはずで
銅鐸圏、本州に運ばれるのは247年以降のはずである。
青龍三年銘は、卑弥呼の鏡、もしくは日本海ルートの魏鏡でしょ?
239年に景初年記240年には正始改元を知っているのは筑紫。
元号を入れる必要が無いことを、知らなかったのだろうか?
これによって、吉備や摂津での神獣鏡他の生産が本格化し、同笵鏡拡散
瀬戸内海航路の安定、古墳時代、軍事化統一時代が始まったと考えられる。
698:日本@名無史さん
19/09/29 14:39:57.32 .net
△は4世紀だから
699:日本@名無史さん
19/09/29 14:48:08.83 .net
>洛陽近郊の畑から三角縁神獣鏡が1面見つかっているよ
その洛陽近郊の畑から発見された「三角縁神獣鏡」 と徳島・宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい?
また、群馬・川井稲荷山古墳の「三角縁神獣鏡」 と同じく徳島・宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい? @阿波
700:日本@名無史さん
19/09/29 19:56:46.56 .net
徳島・宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」というのは、
出来れば鋳型が出てほしいが、記年鏡じゃ無ければ280年辺りの制作として
これが、中国に持ち込まれたタイミングというのはとても興味がある。
魏が楽浪帯方占領の238年以降、中国の青銅は日本に入りにくかった。
290年位から、晋は乱れ楽浪帯方は維持できなかったはずで、
日本はこれを解消しつつ、牛馬の移入にも力を注いだ。
おそらく、弁韓の鉄を青銅の代用とする方針で製鉄も国内化する。
景初正始年記の銅鏡は、九州で作られたはず。 同は徐州、作は洛陽技師。
であって、これ以降、魏の鉄鏡代用同様、
鉄も国内生産が可能になっていったと考えられる。
313年の楽浪帯方撤退では、日本の百済新羅建国350年の
富国強兵に間に合わなくないか?
卑弥呼没年247年迄、筑紫は独立していたと思いたいが、
景初正始年記の銅鏡が、この日本の富国強兵�
701:フ契機であることは間違いない。 九州王朝東遷という間抜けすぎる話は無いとして、筑紫も本州勢力も、 対魏防衛で、日本海ルートや、瀬戸内海勢力と統合したいと思ったのではないのかな?
702:日本@名無史さん
19/09/29 20:53:25.43 .net
>>657
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないじゃん(大爆笑)
703:日本@名無史さん
19/09/29 23:09:09.74 .net
>>658
>対魏防衛で、日本海ルートや、瀬戸内海勢力と統合したいと思ったのではないのかな?
魏志倭人伝を読む限り、卑弥呼は魏にベッタリで、軍事的緊張を避けるために友好関係を結んでいたことがわかる。
それよりすぐ南の狗奴国とのお家騒動が忙しくて、本州は3世紀の間は眼中になかったようだ。
704:日本@名無史さん
19/09/30 00:39:30.84 .net
無理矢理くさい話ばっかりやな
705:日本@名無史さん
19/09/30 06:40:02.18 .net
卑弥呼の魏への遣使
梁書 景初三年
日本書紀 景初三年
翰苑 景初三年
太平御覧 景初三年
3世紀の原本が失われた後の12世紀に復刻され
邪馬臺→邪馬壹などそれまでの史書の魏志引用文との違いが多く
誤字の多いとされる魏志倭人伝
景気二年
やっぱ卑弥呼が魏に使いを出したのって景初三年じゃね
706:日本@名無史さん
19/09/30 07:07:42.57 .net
後世の史書は参考にならんよ
707:日本@名無史さん
19/09/30 07:12:42.21 .net
>これが、中国に持ち込まれたタイミングというのはとても興味がある。
20世紀の日本人だろ
お前の会社がやったんじゃないのか?
先の大戦の反省がなってないんじゃないの?
708:日本@名無史さん
19/09/30 07:15:25.10 .net
21世紀かもしれん。 @阿波
709:日本@名無史さん
19/09/30 08:31:03.31 .net
>>665
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの戯言に一切の信憑性なんてないじゃん(大爆笑)
710:日本@名無史さん
19/09/30 17:40:44.05 .net
墓から出たんじゃないから、21世紀説ってのも まあ有りだなw
洛陽近郊の畑から三角縁神獣鏡 の研究を見たけど
250年~266年の作の可能性が高いようだから、
266年の朝貢は壹與ではなく、阿波が行っている可能性は無くも無い。
阿波って瀬戸内海ルートで博多までって遠いな。
711:日本@名無史さん
19/09/30 17:58:37.05 .net
>>667
>阿波って瀬戸内海ルートで博多までって遠いな。
卑弥呼時代は、瀬戸内海ルートはまだ使い物にならなかった と、何度言えばw
卑弥呼時代は、太平洋・豊後水道ルート だと、何度言えばw @阿波
712:日本@名無史さん
19/09/30 18:05:07.13 .net
>>667
言っとくけど、洛陽の「三角縁神獣鏡」 が、阿波から持ち出されたなんて言ってないからね。
倭国(阿波)で作った「三角縁神獣鏡」 は全国各地に散らばってるから、そのひとつだろう。 @阿波
713:日本@名無史さん
19/09/30 21:14:05.32 .net
239年から241年の△は九州製だろ。
250~265年迄の△は瀬戸内海各地で生産可能。
卑弥呼の魏外交は、偶然魏による公孫氏追討の時から始まった。
ここから、日本の古墳時代は始まっている。
△の記年のような初期は、九州製
250年以降は、阿波でも吉備でも、銅鐸作るよりは簡単な仕事だ。
古墳には銅鏡が必要という文化は、
徴兵のような軍事国家形成で普及した。
714:日本@名無史さん
19/10/01 07:46:56.19 .net
>>670
>△の記年のような初期は、九州製
碌な集落遺跡や資源の無い九州に、銅鏡など作れれ訳がない。 なにを考えているんだか。 @阿波
715:日本@名無史さん
19/10/01 07:47:29.45 .net
>>670
>△の記年のような初期は、九州製
碌な集落遺跡や資源の無い九州に、銅鏡など作れる訳がない。 なにを考えているんだか。 @阿波
716:日本@名無史さん
19/10/01 08:01:45.98 .net
九州スレにも妄想が伝染し、広がって来てるようだな。。。
717:日本@名無史さん
19/10/01 08:26:27.66 .net
判断材料や裏付けのない感想文が多いね。
718:日本@名無史さん
19/10/01 15:09:42.71 .net
日本の青銅器の特徴として
古墳時代以前の本州には銅鏡が少なく
九州は銅鏡銅矛、本州は銅鐸銅剣 というのが定説で
銅鐸は国産品なのに、銅鏡の国産というのはあまり検討されていないが
△の国産説で、初期国産品があるとすれば、瀬戸内海海上交通が安定する
250年辺りまでは九州産であろう。 吉備辺り以西もこの瀬戸内海開拓期に発展した。
ということだが、
国産銅鏡の景初正始年記という情報源が、
卑弥呼の筑紫であることが明らかになった。
↑これが、この倭人伝を正しく読むことの意味。
719:日本@名無史さん
19/10/01 15:26:33.58 .net
卑弥呼の死
720:後に九州北部が本州も支配したわけだ。 卑弥呼の時代の倭は銅鏡銅矛文化がある九州北部だけ。
721:日本@名無史さん
19/10/01 16:36:35.91 .net
>>675
>瀬戸内海海上交通が安定する250年辺り
卑弥呼時代の瀬戸内海ルートは、まだまだ未開発。 雄略天皇時代まで待たねばなるまい。 @阿波
722:日本@名無史さん
19/10/01 16:38:24.51 .net
>>676
>卑弥呼の時代の倭は銅鏡銅矛文化がある九州北部だけ。
碌な集落遺跡や資源の無い九州北部に、卑弥呼の時代の倭など在る訳がない。 なにを考えているんだか。 @阿波
723:日本@名無史さん
19/10/01 19:23:17.28 .net
魏志倭人伝を読めば金印や銅鏡は
魏の年号で正始元年に中国の建中校尉、梯儁が倭に持ってきたと書いている
畿内で見つかる景初三年、四年、正始元年鏡は魏で製作する時間的余裕は十分にあった
724:日本@名無史さん
19/10/01 19:51:36.04 .net
鏡はもういいよ
725:日本@名無史さん
19/10/01 19:54:59.81 .net
>>667
またか? 的に
アラシにレスで、真摯な諸先生に申し訳ないが・・・
阿波が大和朝廷構成の主要豪族であったのは間違いない。
瀬戸内海時代より、淡路島の阿波路は 古いのか? とも思う。
縄文青銅器はともかく、鉄器の歴史というのは、
中原とそんなにかけ離れてるか?
弁辰韓の鉄は楽浪にも供給した。
阿波の丹も交易材料だが、BC200年以降の、青銅素材との交換だろ?
これは、魏が238年公孫氏追討で消滅。
246年は、それ以前からの窓口、箕氏韓王朝滅亡だ。
半島進出しなければ、明日は無い。
歴史認識以前に歴史であって、当然だろ。
726:日本@名無史さん
19/10/01 19:56:33.09 .net
鏡はいらない
727:日本@名無史さん
19/10/01 20:05:11.09 .net
>>681
>阿波が大和朝廷構成の主要豪族であったのは間違いない。
主要豪族なんかじゃないよ。 まさに阿波が大和朝廷そのもの。 阿波以外にどこがあるというのか。 @阿波
728:日本@名無史さん
19/10/01 20:07:57.67 .net
△の日本製銅鏡と 倭人伝を正しく読む 関係は
来年の中学生の夏休みの研究発表的にも面白いと思うけどね?
知らんけど、先生と喧嘩するのは、ダメだよwww
729:日本@名無史さん
19/10/01 21:36:56.55 .net
三角縁神獣鏡を根拠に邪馬台国の位置を考えることが適切なのかどうかを議論したほうがいい
730:日本@名無史さん
19/10/01 21:39:04.18 .net
議論するまでもない
731:日本@名無史さん
19/10/01 21:49:52.82 .net
じゃ画文帯神獣鏡で
景初三年 陳是作銘 画文帯同向式神獣鏡
大阪府和泉市上代町 黄金塚
URLリンク(images.dnpartcom.jp)
732:日本@名無史さん
19/10/01 22:09:33.80 .net
>>687
三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「天河別神社古墳群」出土の「斜縁二神二獣鏡」を倭国(阿波)で?製したものだろう。 @阿波
733:日本@名無史さん
19/10/01 22:09:37.66 .net
>>687
オワコンをコトバンクで調べてきたら?
734:日本@名無史さん
19/10/01 22:11:30.41 .net
>>687
三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「天河別神社古墳群」出土の「斜縁二神二獣鏡」を倭国(阿波)で?製したものだろう。 @阿波
735:日本@名無史さん
19/10/01 22:15:27.57 .net
景初三年 陳是作銘 三角縁神獣鏡 コトバンク
736:日本@名無史さん
19/10/01 22:16:41.36 .net
コトバンク 運営 スバラシイ
737:日本@名無史さん
19/10/01 22:17:30.40 .net
三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「天河別神社古墳群」出土の「斜縁二神二獣鏡」を倭国(阿波)で仿製したものだろう。 @阿波
738:日本@名無史さん
19/10/01 23:11:53.60 .net
266年の晋外交の可能性で、丹という交易資産が有った
△鏡も作れた、阿波は卑弥呼以降の初期楽浪後の、半島進出でも有力なんだよ。
でも、これ以降、△は国産で
日本外交は空白の富国強兵、古墳で高句麗馬移入、
筑紫も半島に進出してるだろうけど、中原外交はやめたよね。
次は、倭の五王で、400年黄海横断の南朝だよ。
もはや、歴史は、動かんよ。
739:日本@名無史さん
19/10/01 23:58:19.39 .net
三角縁神獣鏡と画文帯神獣鏡は別ものなんだけれども
そしてそれにも景初三年と彫られているという事はやはり邪馬台国は畿内・・・・
740:日本@名無史さん
19/10/02 00:06:43.91 .net
少なくとも畿内の文化の中心は大阪であって、纒向のような田舎じゃない。
741:日本@名無史さん
19/10/02 00:30
742::03.08 .net
743:日本@名無史さん
19/10/02 07:23:00.27 .net
景初三年だけなら特別の意味を考えなくてはならないけれど、
その他の年号も刻まれているのだから、三年号だけを特別視するのはどうかなあ。
744:日本@名無史さん
19/10/02 07:32:08.81 .net
>>697
古墳文化の中心は大阪だよ。
海人ゆかりの古社も多い。
住吉、三島など、九州から渡来した痕跡だらけ。
そもそも海運が中心の弥生時代において、大阪が瀬戸内海ルートの要として、淀川への中継地として発展するのは道理だよ。
畿内説は大和信仰に毒されて現実を見ていない。
745:日本@名無史さん
19/10/02 07:46:29.60 .net
>>699
>住吉、三島など、九州から渡来した痕跡だらけ。
碌な集落遺跡や資源の無い九州に、邪馬台国など在る訳がない。 なにを考えているんだか。 @阿波
>そもそも海運が中心の弥生時代において、大阪が瀬戸内海ルートの要として、淀川への中継地として発展するのは道理だよ。
そもそも弥生時代において、瀬戸内海ルートが使いものにならないのは道理だよ。 @阿波
746:日本@名無史さん
19/10/02 07:49:24.42 .net
垂仁天皇(3世紀後半)の居城 纒向珠城宮(まきむくのたまきのみや)
景行天皇(4世紀前半)の居城 纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)
纒向は3世紀頃から天皇の居城があったと記紀に書かれているのだ
747:日本@名無史さん
19/10/02 07:52:33.26 .net
倭国と関係ないけどね
748:日本@名無史さん
19/10/02 07:52:51.57 .net
>>701
単純すぎ! @阿波
749:日本@名無史さん
19/10/02 07:53:48.03 .net
真実は常に単純なものである
750:日本@名無史さん
19/10/02 07:55:45.64 .net
>>703
纏向説は、筑紫説や出雲説、日向説と同レベル。 単純すぎ! @阿波
751:日本@名無史さん
19/10/02 07:56:44.30 .net
>>703
後付け地名に振り回され過ぎ! @阿波
752:日本@名無史さん
19/10/02 07:58:46.00 .net
>>698
正始元年も魏から派遣された建中校尉や梯儁が
倭に魏からの下賜品を持ってきたと魏志倭人伝に書いている
正始元年銘三角縁神獣鏡も畿内で見つかっている
753:日本@名無史さん
19/10/02 08:04:31.34 .net
古来、人が死ぬと墓に葬ってきたのだけれども、
いわゆる古墳時代になって、中華大陸に由来する新興宗教的な思想思考が広まったのではないか。
つまり秦の始皇帝陵に代表されるように、(豪華な)地下宮殿を造営すれば(死後も)永遠の生活を営むことができるという、
一種の不老不死思想の具体的な形が前方後円墳だったのではないかと思う。
言ってみれば、前方後円墳は墓ではなく、死後も生きながらえることのできる豪華で威容を誇る隠居宮殿のような存在だったのであろう。
754:日本@名無史さん
19/10/02 09:00:40.28 .net
>>708
>一種の不老不死思想の具体的な形が・・・
それは、水銀朱だね。 @阿波
755:日本@名無史さん
19/10/02 09:08:10.77 .net
前方後円墳は高句麗の「前方後円形積石塚」由来だろ
756:日本@名無史さん
19/10/02 09:29:28.46 .net
>>710
それは、取りも直さず、阿波と朝鮮半島との深い関係性を表すことに他ならない。 @阿波
757:日本@名無史さん
19/10/02 10:16:15.95 .net
>>711
>それは、取りも直さず、阿波と朝鮮半島との深い関係性を表すことに他ならない。 @阿波
まことにその通り。
で、その阿波と朝鮮半島とのあいだに立ち、仲を取り持ったのが九州な・・。
758:日本@名無史さん
19/10/02 10:24:35.95 .net
>>701
魏が楽浪帯方時代以降、南韓に進出したため
防衛上、瀬戸内海勢力の王が一時的に裏山纒向に籠った。
で、ぴったしだろ。
313年以降で、また大阪に下ったんだよ。
この時、銅鏡銅矛文化だった、九州も合流して
瀬戸内海ルートの安定、古墳制と銅鏡の隆盛だろ。
筑紫に防人一大卒を置いたのが、245年辺りってことだ。
女王国は190年~247年なんだから、瀬戸内海ルート安定前
筑紫に居ないと辻褄が合わんでしょうが?
景初三年、正始元年鏡は△初期で九州製、250年以降で移動拡散。
画文帯神獣鏡 ってのは漢~後漢鏡のはずだが、
この国内化時に、呉系の鏡師連れて来たんで
とりあえず復刻したんじゃないのかな?
759:日本@名無史さん
19/10/02 10:29:49.99 .net
黄巾の乱で追
760:われた宗教集団が海神族の道案内で、道教は安住の場所を探していたんだろ。まほろばは奈良だろ。瓢箪墓は仙人の器だよ、それまでとは違う宗教が入り込んだ以外にどう説明できるのよ?
761:日本@名無史さん
19/10/02 10:53:08.99 .net
>>712
>で、その阿波と朝鮮半島とのあいだに立ち、仲を取り持ったのが九州な・・。
いくら言い張っても、碌な集落遺跡や資源の無い九州に、邪馬台国など在る訳がない。 なにを考えているんだか。 @阿波
762:日本@名無史さん
19/10/02 12:14:14.79 .net
>>713
何にぴったしなのか
景初や正始と卑弥呼が魏に遣使して使者が倭にやってきたと
魏志倭人伝に書いてある年号が入っている三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡こそ
卑弥呼が魏から貰った銅鏡にぴったしだろ
763:日本@名無史さん
19/10/02 12:15:49.86 .net
>>715
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
764:日本@名無史さん
19/10/02 16:11:44.92 .net
>>714
海神族が道案内して降臨したのは誰だ?
天孫族だろ?
どこに降臨した?
筑紫だよ。
海神族の本拠地は志賀島。
765:日本@名無史さん
19/10/02 16:13:55.62 .net
>>714
瓢箪だ?仙人だ?
それは饒速日だろ。
天磐船で交野に降臨したとある。
彼こそ、畿内の王、前方後円墳の主、纏向が所属する尾張の祖先でもある。
766:日本@名無史さん
19/10/02 17:53:31.94 .net
纒向が貧しいままだから饒速日もぶち切れたんだね<倭国大乱
767:日本@名無史さん
19/10/02 20:13:21.17 .net
貧しい阿波でもせめて淡路ほどでも銅鐸が出たらね
768:日本@名無史さん
19/10/02 20:18:52.13 .net
阿波は朱がとれたからそこそこ遺物は出てる
そこそこだけどw
769:日本@名無史さん
19/10/02 20:19:38.67 .net
>>721
>貧しい阿波でもせめて淡路ほどでも銅鐸が出たらね
恥さらし。
徳島県の銅鐸出土地
『日本古代遺跡37徳島』14ページより 後ろの数値は銅鐸の高さ(cm)
1. 檜銅鐸 鳴門市大麻町檜字乾谷 90
2.神宅銅鐸 板野郡上板町神宅 41
3. 川島銅鐸 麻植郡川島町神後 45.6
4. 森藤銅鐸 麻植郡鴨島町森藤 21
5. 牛島銅鐸 麻植郡鴨島町上浦 34.7
6. 伝久勝銅鐸 阿波郡阿波町久勝
7. 久千田銅鐸 阿波郡阿波町久勝 30
8. 伝榎瀬銅鐸 徳島市川内町榎瀬 44.5
9. 星河内美田1号銅鐸 徳島市上八万町星河内美田
10. 星河内美田2号銅鐸 徳島市上八万町星河内美田
11. 星河内美田3号銅鐸 徳島市上八万町星河内美田
12. 星河内美田4号銅鐸 徳島市上八万町星河内美田
13. 星河内美田5号銅鐸 徳島市上八万町星河内美田
14. 星河内美田6号銅鐸 徳島市上八万町星河内美田
15. 星河内美田7号銅鐸 徳島市上八万町星河内美田
16. 源田1号銅鐸 徳島市国府町西矢野源田 41.3
17. 源田2号銅鐸 徳島市国府町西矢野源田 41.3
18. 源田3号銅鐸 徳島市国府町西矢野源田 52.0
19. 安都真1号銅鐸 徳島市入田町安都真 29.5
20. 安都真2号銅鐸 徳島市入田町安都真 21.7
21. 安都真3号銅鐸 徳島市入田町安都真 24.6
22. 安都真4号銅鐸 徳島市入田町安都真 21
23. 名東銅鐸 徳島市名東1丁目 40
24. 多家良銅鐸 徳島市八多町多家良 90.9
25. 多家良銅鐸 徳島市八多町多家良 45.4
770:日本@名無史さん
19/10/02 20:20:21.91 .net
26. 伝福万谷銅鐸 徳島市八万町福万谷
27. 勢合銅鐸 小松島市立江町赤石 36
28. 畑田銅鐸 阿南市下大野町畑田 54.02
29. 八貫渡銅鐸 阿南市下大野町八貫渡
30. 才見銅鐸 阿南市才見町
31. 長者原1号銅鐸 阿南市山口町長者原 64.25
32. 長者原2号銅鐸 阿南市山口町長者原 41
33. 田村谷銅鐸 阿南市山口町田村谷 62
34. 曲がり1号銅鐸 阿南市椿町曲り 42.4
35. 曲がり1号銅鐸 阿南市椿町曲り 31
36. 伝長生銅鐸 那賀郡長生町
37. 榎名銅鐸 三好郡西祖谷山村榎名 推定55
38. 伝吉野川沿岸銅鐸 美馬郡脇町拝原 6.2
39. 伝脇町銅鐸
40. 伝阿波銅鐸
41. 江原小銅鐸
遺跡発掘後進県なのに、なぜ徳島で、このように非常に多くの場所から出土するのだろうか? 推して知るべし。 @阿波
771:日本@名無史さん
19/10/02 20:23:37.14 .net
滅ぼされた銅鐸文化圏だったからだろ
772:日本@名無史さん
19/10/02 20:24:02.28 .net
淡路の鍛冶遺跡は典型的な高地性集落だね
海の民の巣だから鍛冶するための素材の供給が可能なわけで
海の道でがっつし金海あたりと繋がっているわけだ
この海の民の活動中心拠点は響灘沿岸部であるのがごく自然。
773:日本@名無史さん
19/10/02 20:24:05.73 .net
>>721
>貧しい阿波でもせめて淡路ほどでも銅鐸が出たらね
恥さらし。
774:日本@名無史さん
19/10/02 20:26:27.42 .net
>>726
淡路島は、倭国(阿波)の数ある島のひとつにすぎない。 悪しからず。 わははははは @阿波
775:日本@名無史さん
19/10/02 20:28:19.18 .net
阿波の銅鐸は漢代の銅器を原料にしてしでかしたものがほとんどなんだろ
776:日本@名無史さん
19/10/02 20:28:49.38 .net
や やべえぞ阿波説を論破するのは難しい
777:日本@名無史さん
19/10/02 20:32:37.81 .net
阿波の銅鐸には古いタイプのものは無いようですね
778:日本@名無史さん
19/10/02 20:37:08.42 .net
淡路の付録が阿波みたいなかんじ
779:日本@名無史さん
19/10/02 20:41:33.74 .net
淡路といい阿波といい大和といい
いつから淡路・阿波・大和と言ったのだろうか
基本的に確認できるのは8世紀が上限
780:日本@名無史さん
19/10/02 20:51:13.67 .net
阿波は前漢鏡が出ないことが致命的
弥生小型仿製鏡さえ出ないのは
海の民の活動領域の果てるところだったから
781:日本@名無史さん
19/10/02 20:59:36.83 .net
>>734
>阿波は前漢鏡が出ないことが致命的
またもや、恥の上塗り・恥さらし。
倭国(阿波)では、一般的な古墳の埋葬品などではなく、「弥生集落遺跡」から中国鏡が出土している、特殊なところ。
「庄・蔵本集落遺跡」から中国鏡「異体字銘帯鏡片」(前漢代 紀元前206年~紀元後8年)が出土。
URLリンク(tokudaimaibun.jp)
782:日本@名無史さん
19/10/02 21:00:58.69 .net
>特殊なところ。
価値がわからなかったのかな
それとも銅鐸の原料として朱と交換
783:日本@名無史さん
19/10/02 21:09:33.33 .net
>>736
集落遺跡から出土するくらいだから、よほど中国と交流してザクザク有ったんだろうね。 @阿波
784:日本@名無史さん
19/10/02 21:10:20.16 .net
ザクザクあったんだね、どこにかなあ
785:日本@名無史さん
19/10/02 21:12:04.96 .net
>>736
集落遺跡から出土するくらいだから、よほど中国と交流してザクザク有ったんだろうね。 @阿波
786:日本@名無史さん
19/10/02 21:13:44.77 .net
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。
まともに反論・で・き・な・い・人・は、 罵詈雑言はい、どうぞ。 @阿波
787:日本@名無史さん
19/10/02 21:16:20.61 .net
前漢鏡の副葬は無し
788:日本@名無史さん
19/10/02 21:18:24.84 .net
それがなにか? わははははは @阿波
789:日本@名無史さん
19/10/02 21:28:21.82 .net
3世紀前半の集落の周辺部で懸垂鏡で破棄されたものですと
790:日本@名無史さん
19/10/02 21:29:38.16 .net
>「庄・蔵本集落遺跡」から中国鏡「異体字銘帯鏡片」(前漢代 紀元前206年~紀元後8年)が出土。
うわー。
この欠片のために@阿波はどんだけ朱を差し出したんだ?w
欠片ひとつを全財産で買い取って
村人総出で崇め奉って平伏繰り返したんだろうなw
791:日本@名無史さん
19/10/02 21:30:32.81 .net
他所から持ち込まれて愛用された縁を研磨された穴あきペンダント
阿波ではろくな前漢鏡は出てこない
792:日本@名無史さん
19/10/02 21:44:32.42 .net
>>744
>うわー。
>この欠片のために@阿波はどんだけ朱を差し出したんだ?w
欲しけりゃ、少し分けようか? わははははは @阿波
793:日本@名無史さん
19/10/02 21:50:05.36 .net
大阪ってか?
キチガイの主張なんざ聞いてやる理由ないんだがさ~
794:日本@名無史さん
19/10/03 00:21:58.52 .net
>>746
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
795:日本@名無史さん
19/10/03 01:42:05.55 .net
阿波の技術集団は墨家の流れでしょ
796:日本@名無史さん
19/10/03 16:50:58.58 .net
知らんよそんな連中らの話なんざな
恥ずかしいから自分らが知ってるもんに結びつけるのやめ
797:たらどおだ?
798:日本@名無史さん
19/10/03 17:32:22.18 .net
邪馬台国大研究HPより
安本教授は前掲の書、「邪馬台国と高天の原伝承」(勉誠出版平成16年3月10)で述べている。
>『魏志倭人伝には、「南、邪馬台国に至る。女王の都する所。」と述べられているだけではない。
>「女王国より以北は、その戸数・道里は略載するを得べし。」とも述べられている。
>戸数・道里を略載されているのは「対馬国」「一支国」「末廬国」「伊都国」「奴国」「不弥国」である。
>これらは女王国の以北にあったのである。
>すると女王国はこれらの 国、例えば「伊都国」の南にあったのである。
>「魏志倭人伝」はまた記す。「女王国より以北にはとくに一大率をおいて、諸国を検察させている。
>(一大率は)常に伊都国に(おいて)治めている。」ここでも伊都国は女王国の北だと記されている。
>つまり、女王国は、伊都国の「南」だというのである。「魏志倭人伝」に三度にわたって記されている。
>「伊都国」と「邪馬台国」の位置関係は三度とも誤りだというのだろうか。・・・略
ま、これら三度の南を大事にするのは大いに結構だが、
「末廬国」の東南500里にあったという伊都国だけは、なぜか北東の糸島だったというのはどうしたことか??
799:日本@名無史さん
19/10/03 18:16:51.88 .net
「東南陸行五百里、至伊都国」とあるだけで、
「末廬国」の東南500里にあった、とは書かれてない
800:日本@名無史さん
19/10/03 18:23:27.03 .net
>>752
見苦しい! @阿波
801:日本@名無史さん
19/10/03 18:26:12.20 .net
>>752
それを云いだすと、渡海や上陸後全ての行程で同様な解釈になり、行程記述が用を成さなくなる。
それでいいのだな・・、確認。
802:日本@名無史さん
19/10/03 18:36:06.56 .net
うん、行程じゃないんだよ
803:日本@名無史さん
19/10/03 19:03:47.99 .net
>>755
行程記述ではないのか、では何かな??
804:日本@名無史さん
19/10/03 19:17:26.07 .net
地理説明だね
805:日本@名無史さん
19/10/03 19:29:54.50 .net
ふんふん、地理の説明か。
相わかった、では今度から行程の代わりに地理と云うことにしよう。、
806:日本@名無史さん
19/10/03 21:06:22.09 .net
>>753
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張の方が見苦しいんぞマヌケ。
807:日本@名無史さん
19/10/04 07:42:57.31 .net
地理(ちり、英: Geography)
1.地球上の山・川・海・陸・気候・生物・人口・集落・産業・交通・政治などの状態。
2.土地の状態・様子や事情。
3.一定の地域内の地理は「地誌」ともいう。
なるほど倭人伝は、倭人の住む帯方東南の大海中の洲島に関する「地理と歴史」の書ということになるな。
特定の倭人地域に関するので「地誌」といっても良いかもしれぬが・・。
その中から、ことさらに方角・里数・日数だけを取り出して甲論乙駁するのは、全体像を見失う元凶なのかもしれぬ。
地図を眼前に置いて、良く観察吟味すべきだろう。
>>757 の云う通りだ。
808:日本@名無史さん
19/10/04 08:18:35.27 .net
>>760
>なるほど倭人伝は、倭人の住む帯方東南の大海中の洲島
なるほど、どう見ても四国だね。 @阿波
809:日本@名無史さん
19/10/04 10:33:48.77 .net
>>761
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
810:日本@名無史さん
19/10/04 23:29:03.83 .net
761
規模的に言えば島と認識できるでかさじゃないよ
811:日本@名無史さん
19/10/04 23:29:57.07 .net
本州あたりだとしたらそれを島と認識できたんだ?
かなり凄いでな
812:日本@名無史さん
19/10/04 23:35:23.29 .net
四国ってのは四つの国があったから四国
九州は九つの国があったから九州
本州は一番多い、てより蝦夷地と呼ばれた東北あたりにしろ本格的に名前が出てさかたな平安時代
813:日本@名無史さん
19/10/05 06:44:37.60 .net
>>760
>なるほど倭人伝は、倭人の住む帯方東南の大海中の洲島
なるほど、どう見ても四国だね。 @阿波
814:日本@名無史さん
19/10/05 07:44:19.33 .net
魏志倭人伝なんて信じてんの?
ただの落書きだよ、さんな邑が
無数にあるらしいです、あとは適当に書いただけだ!
815:日本@名無史さん
19/10/05 07:47:54.27 .net
それは、トンデモだからだよ。 @阿波
816:日本@名無史さん
19/10/05 08:40:03.88 .net
朝もはよから、お疲れ様です。
倭人伝は、帯方東南大海の中にあった倭人の国の地理・歴史を記した中国の教科書です。地誌といっても良いかもしれません。
原語でかかれていますので、やや戸惑うかもしれませんが、ゆとりをもってお勉強しましょうね。
817:日本@名無史さん
19/10/05 08:55:10.54 .net
>>769
なんで場所わからんのだね、
仮定でしかもの言ってない、
818:日本@名無史さん
19/10/05 09:38:15.97 .net
>>770
主語、主人公を省略した文章は、いろいろな意味に解釈できてしまうんだよ。
まずは主語(主人公)が誰なのかを書いてから、次の文に取り掛かりましょうね、、。、
819:日本@名無史さん
19/10/05 10:18:58.55 .net
>>768
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
820:日本@名無史さん
19/10/05 11:11:31.93 .net
>>769
倭人伝の帯方東南大海の中にあった倭人の国は、まさに倭国(阿波)だね。 @阿波
821:日本@名無史さん
19/10/05 13:30:37.91 .net
卑弥国との関連性は無いの?
822:日本@名無史さん
19/10/05 15:21:50.82 .net
>>773
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
823:日本@名無史さん
19/10/05 16:34:46.95 .net
>>771
倭って何処の事よ
824:日本@名無史さん
19/10/05 17:10:25.03 .net
瀬戸内のぢゃこ大海をしらず
825:日本@名無史さん
19/10/05 18:15:35.12 .net
>>776
>倭って何処の事よ
「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。 大和国の 「大和」である。
「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。 阿波国なのに「倭」である。
これは、阿波国が「倭」であったことの証左である。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
826:日本@名無史さん
19/10/06 00:22:39.00 .net
>>778
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
827:日本@名無史さん
19/10/06 02:07:27.37 .net
邪馬台国は宮崎だと古事記にしっかり書いてあるだろ?
何でみんな忘れたふりをするのか?なぜ否定できるのか?
828:日本@名無史さん
19/10/06 07:12:39.30 .net
>>780
>邪馬台国は宮崎だと古事記にしっかり書いてあるだろ?
宮崎ってどこ? @阿波
829:日本@名無史さん
19/10/06 08:03:31.85 .net
>>781
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
830:日本@名無史さん
19/10/06 08:06:09.14 .net
781 日本@名無史さん ▼ 2019/10/06(日) 07:12:39.30 [0回目]
>>780
>邪馬台国は宮崎だと古事記にしっかり書いてあるだろ?
宮崎ってどこ? わははははは @阿波
831:日本@名無史さん
19/10/06 08:08:04.02 .net
帯方郡から一万二千里と明記してあり、九州上陸までで一万里なので、邪馬台国は九州北部のどこかですよ。
832:日本@名無史さん
19/10/06 08:18:28.35 .net
短里なら韓伝や高句麗伝を検討すればいいのに
833:日本@名無史さん
19/10/06 08:29:58.02 .net
>>784
>帯方郡から一万二千里と明記してあり
帯方郡(平壌)→女王国(阿波)万二千里(直線距離 900km)1里=75m
∴1里=70mは、概ね妥当。 @阿波
834:日本@名無史さん
19/10/06 08:34:06.44 .net
>>776日本@名無史さん2019/10/05(土) 16:34:46.95>>778
>>771
>倭って何処の事よ
>>769 の続きで、
・・・「なんで(倭の)場所わからんのだね」という意味だね。
で、「帯方東南大海の中にあった倭人の国」、「その東渡海千里復国あり」といえば、つまりは九州島のことでしょう。
ただ畿内方面には、その地理的記述を認めたくない人たちがたくさんいるようですけどね。
835:日本@名無史さん
19/10/06 08:39:07.26 .net
>>787
>・・・「なんで(倭の)場所わからんのだね」という意味だね。
「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。 大和国の 「大和」である。
「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。 阿波国なのに「倭」である。
これは、阿波国が「倭」であったことの証左である。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
836:日本@名無史さん
19/10/06 09:03:02.49 .net
対馬が一致してるからそれ以降の表記内容は日本列島�
837:フことだというのは まんまと日本書紀の作者にはめられている。 古事記では津島だったのに日本書紀では 対馬と漢字を一致させてきたことを怪しまないといけない。 これじゃタイウマ・ツイウマ・タイマ・ツイマとしか読めない。 なんでこれがツシマなんだよ? 対馬以降の表記内容を盗むための無理矢理の後付けだわな。 しかも対馬じゃなく対海という表記の系統の本もあり どっちが正しいのかわからない。 日本に来た写本の表記がたまたま対馬なんだな。 今後対馬は紛れ込んだ誤記でホントは対海と確定出来たら 日本書紀のペテンはガラガラと崩れ落ちる。
838:日本@名無史さん
19/10/06 09:32:35.34 .net
>>787
>・・・「なんで(倭の)場所わからんのだね」という意味だね。
「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。 大和国の 「大和」である。
「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。 阿波国なのに「倭」である。
これは、阿波国が「倭」であったことの証左である。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
839:日本@名無史さん
19/10/06 09:36:12.06 .net
ツイマ
ツシマ
九州弁では、ツシマはツヒイマのように聞こえる。だから九州人なら、ツイマでもツシマでも怪しまない。
840:日本@名無史さん
19/10/06 09:43:43.47 .net
>>780
「宮崎」ではありません。
「筑紫」です。
841:日本@名無史さん
19/10/06 09:44:23.39 .net
>>791
対の島でいいじゃん。
842:日本@名無史さん
19/10/06 10:12:52.38 .net
>>792
>「筑紫」です。
「筑紫」ってどこ? @阿波
843:日本@名無史さん
19/10/06 10:30:56.21 .net
>>793
じゃあ馬は何だよ?
ますます当てる意味が分からないじゃん。
古代は基本音が先にあって漢字を当てる。
ツシマが先。
そして確かに津の島(古事記)。
島を馬に置き換えた例は他にあるの?
844:日本@名無史さん
19/10/06 10:45:17.88 .net
>>795
優れた論だ。
馬は、邪馬国や斯馬国や邪馬台国の馬だろう。つまり馬族が押さえていた。
ついでに壱岐はもともと伊岐と書いた。伊都国や伊万里や伊佐早と同じく伊族が押さえていたからではないか、、。
845:日本@名無史さん
19/10/06 10:48:05.61 .net
>>794
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
846:日本@名無史さん
19/10/06 10:48:17.45 .net
>>790
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
847:日本@名無史さん
19/10/06 10:48:27.31 .net
>>788
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
848:日本@名無史さん
19/10/06 10:48:38.31 .net
>>786
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
849:日本@名無史さん
19/10/06 10:48:53.77 .net
>>783
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
850:日本@名無史さん
19/10/06 14:15:16.78 .net
>>796
「丹」の採れるところが「女王国」だから、@阿波の言うことがすべて正解となるわけ。 わははははは @阿波
851:日本@名無史さん
19/10/06 14:16:22.50 .net
馬族とは大陸から朝鮮半島伝って来た
騎馬ミンジョクということ?
852:日本@名無史さん
19/10/06 14:30:30.94 .net
>>802
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
853:日本@名無史さん
19/10/06 14:56:08.86 .net
>>803
「丹」の採れるところが「女王国」だから、@阿波の言うことがすべて正解となるわけ。 わははははは @阿波
854:日本@名無史さん
19/10/06 15:48:28.89 .net
>>805
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
855:日本@名無史さん
19/10/06 16:19:42.38 .net
>>803
>馬族とは大陸から朝鮮半島伝って来た
>騎馬ミンジョクということ?
倭人伝の書きぶりからの推測だが、
そもそもは漢族の流れ(キシ朝鮮族)で、のちに馬韓を名乗る種族だったのではないかと思っている。