21/02/02 03:28:41.32 .net
ちょっと病気なんじゃないかな
うまく人間とのコミュニケーションが取れないタイプって、語彙力が無いから何か決め台詞のようなものを何度も繰り返すことで意思を伝えようとするよね
401:日本@名無史さん
21/02/02 04:38:28.07 .net
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402:日本@名無史さん
21/03/17 19:05:20.10 .net
天中殺だ
403:日本@名無史さん
21/03/17 19:27:20.34 .net
朝鮮って世界最弱だよね
404:日本@名無史さん
21/03/18 01:11:41.09 .net
∧_∧ 从从
<丶`∀´> ビシッ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_/ ⌒ヽ (⌒) < 世界は韓国から孤立しているニダ!!
⊂二 / へ ノ ~.レ-r┐ \_______________
/ / ヽノ__ | .| ト、
_ _レ /〈 ̄ `-Lλ_レ
/ __ノ  ̄`ー‐---‐′
ヽ < | |
\ \ | ⌒―⌒)
ノ )  ̄ ̄ ヽ (
(_/ ⊂ノ
405:日本@名無史さん
21/03/18 05:02:36.81 .net
世界最弱な国は滅んで無くなって民族離散してると思う
406:日本@名無史さん
21/03/18 06:33:24.78 .net
>>398
キナイコシというプロ固定が、都合の悪い書き込みのされたスレをsageるために、他スレ群をageる操作です。板全体を荒らしまくってますです。
また、キナイコシにとって都合の悪い議論をするスレは、偽スレを立てて乗っ取ります。スレタイやテンプレが邪悪なものに書きかえられます。
407:日本@名無史さん
21/03/18 12:04:03.23 .net
( ´∀` )<おい!クソチョン、口の周りのうんこ拭いてよ
/ , ヽ さっきから臭くて吐きそうだよ
 ̄_|,..i'"':, ̄ ̄ ̄ ̄
|\`、: i'、
\ \`_',..-i
\.!_,..-┘
408:日本@名無史さん
21/03/19 16:00:21.95 .net
日本史ってホラーに近い
弥生人が稲作・環濠集落で勢力を伸ばして、古墳が造られると、
その地域から縄文人的な形質が消える、という
朝鮮半島から来た者たちが、在来縄文人をジェノサイドした、としか考えられない
409:日本@名無史さん
21/03/20 01:21:48.37 .net
>>408
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410:日本@名無史さん
21/03/20 23:15:24.95 .net
現代日本人のDNAには縄文系ハプロが見られるのは何
411:日本@名無史さん
21/03/21 04:55:44.60 .net
だいたい地中海モデルから考えりゃ日本から北上して文化が伝搬て考えるのがごく自然
当時の気候では日本は亜熱帯
穀物で言えばコメも亜熱帯植物
チョイ考えりゃわかること
シナを盛りすぎて頭がおかしい明治の学者の権威主義に固執する
学術会議・・・あっシナから金漬けだったなwww
412:日本@名無史さん
21/03/21 05:22:09.77 .net
朝貢の記録が各国に…
413:日本@名無史さん
21/03/21 07:58:55.58 .net
>>1
奴等は戦争に勝った経験が少ないから、
戦勝記念碑の書き方もわからないのだなww
こういったものは、敵は滅茶苦茶強くて多い。でもその敵を少数で負かした俺たちは
もっと強いという書き方をするのだけどなww
連中はそういったのが理解できないから、偽造だとか言い出すのだろうな。
414:日本@名無史さん
21/03/22 03:01:43.96 .net
日本の古代史(性欲編)
縄文人「征服&性噴くぅ~!チョン子ちゃんのマ○コは気持ちが良いなぁ」
ドッピュドピュッ
弥生人「なんで下半身丸出しなの?9センチ以上の雄チョンコは気持ちが悪いなぁ~」
ザックザクッ
古墳人「オイ!チョンコ!気持ち良いマ○コもっと送れや」
ドピュピュッ
飛鳥人「ミカドがお飼いになられてるチョンコ孕み腹うやらましす」
ドピュッ
奈良人「チョンコ孕み腹の子孫マ○コは気持ちが良いなぁ」
ドピュッ
平安人「なんか孕み腹の子孫絶滅してね?」
(´・ω・`)ショボーン
415:日本@名無史さん
21/04/20 01:44:22.59 .net
周の聖神帝(武照)
「これより倭を日本(ひのもと)、
大王(おおきみ)を天皇と改めよ」
遣唐使(実際は遣周使)
「ははあ、有り難き幸せにおじゃる」
越後屋光圀「流石は武則天、人間の器がでかい。
どこぞの日の没する国の天子とはえらい違いや!」
416:日本@名無史さん
21/05/17 23:39:13.68 .net
>>410
見られてないぞ笑笑
日本人の多数派を占めるDタイプのブランチは今の所縄文人からは一切見つかってない 笑笑
417:日本@名無史さん
21/06/17 14:08:32.70 .net
とりあえずこの古代史家は読んでおけというのを数人挙げてみたがご意見の方宜しく(日本史素人)
津田左右吉
井上光貞
横田健一
直木孝次郎
石母田正
上田正昭
吉村武彦
藤間生大
門脇禎二
三品彰英
418:日本@名無史さん
21/06/17 23:20:42.98 .net
他人の意見に振り回されるな。
自分の頭で考えろ。
419:日本@名無史さん
21/06/18 20:53:07.00 .net
最近みた本だと「持統天皇と男系継承の起源」
420:日本@名無史さん
21/06/21 13:56:57.54 .net
他人の意見に振り回されるな。
自分の頭で考えろ。
421:日本@名無史さん
21/11/20 21:19:43.71 .net
>>417
古田武彦は実際どうなん?
422:日本@名無史さん
21/11/21 15:37:42.20 .net
>>417
>津田左右吉
日本史を暗闇に閉ざした責任は重い。
423:日本@名無史さん
21/11/21 15:43:12.28 .net
日本書紀を原文で5回読みましょう
話はそこからです
424:日本@名無史さん
21/11/21 15:46:47.56 .net
痴呆ウヨ共は機能的文盲だからまとまった本を読む能力が無い
当然記紀も現代語訳であっても読めない
web上の同類の痴呆のウワゴトとwikipediaの片言隻句から
勝手な論理をでっち上げて同じく勝手なウワゴトを垂れるだけ
425:太国
21/11/21 15:58:26.54 .net
津田サヨ吉か? 象牙の塔員?
たっぷり左党をなめている。もう象牙質は強酸糖歯層により歯本主義が
危険な歯層の状態で不牙不牙。w
426:日本@名無史さん
21/11/21 16:27:02.44 .net
内容の史実としての評価はどうであれ
日本の古代末期に実際に書かれた書物のほぼ現物が存在する
日本古代史に関心があるならまずその現物にふれることに
大きな喜びを感じないはずがない
でも痴呆ウヨ共は機能的文盲という障害のせいで
肝心の実物にふれることができない
ガラスの壁の向こうにある肉を食えない犬のごとく
キャンキャンワンワン喚き散らしてうさをはらそうとする可哀想な連中
427:日本@名無史さん
21/11/21 18:53:22.42 .net
機能的文盲の痴呆ウヨ共が垂れてる日本古代史というのは
エアプが垂れてるゲームプレイ法のようなもの
あるいは素人童貞が垂れてるナンパ術のようなもの
ゲームのボス攻略法だののサイトを見て
キャラだの技だのの名前をいくら振り回しても
自分じゃプレイしたことがない
むなしいよね
428:太国
21/11/23 14:43:22.08 .net
>>422
同意
429:日本@名無史さん
21/11/25 08:25:04.32 .net
日中の緩衝地帯だから朝鮮半島に国がある。その歴史のほとんどがどちらかの植民地、属国、傀儡国。
430:日本@名無史さん
21/11/26 19:04:09.12 .net
Nature論文でジャップの正体バラされちゃったねw
URLリンク(media.springernature.com)
431:太国
21/11/27 20:44:06.25 .net
九州の国生みでは四面全部に『別』の字をつけて半島大陸と別もの
だとはっきり古事記に記述がある。
筑紫國 白日別
豐國 豐日別
肥國 建日向日豐久士比泥別
熊曾國 建日別
日本は大陸半島とは『別』ものの国なのだ。
神国日本は全世界の別格の国である。
黄金の国神国日本と半島の世界第参位の人参民族とは同等ではない。
半島は参位の銅メダル国家であって、黄金の国ジパングの金メダル国家
とは完全に別ものなのだ。それゆえ神国日本は萬邦無比の國體を誇るのである。
半島は銅級国家だからあのブスの銅像を各地に設置して銅だと
自認してるのだ。w
金メダル国家がこの神州であるからして、天意は日本に邪馬1国の
世界第1位の国家を置いてるのである。
したがって太古の日本人が半島から来たのではない。こちらの神国日本が半島の
ご本家だ。ご本家だから日本の国号に『本』の字がつくのだ。
半島人は銅、土台人というときは4位以下の上位3名を載せるその下の表彰台。
黄金は天皇で黄銅と黄金とは別の近族。ハーフも半島人も天皇にはなれない。
タトーは外国行きの人民。だから五輪でも醜怪なタトーは外国勢ばかり。
外国の『外』はタトーのタとト。
天皇は萬世一系である。そして全世界の統帥権は大元帥陛下にある。
432:日本@名無史さん
21/11/28 17:23:26.97 .net
>>330
ウリナラと似てるね
433:日本@名無史さん
21/12/04 14:50:52.10 .net
魏略には「倭は帯方東南大海の中に在り…」て書いてあるじゃん。
倭がどこにあったか分からんなんて、何の冗談よ。
434:日本@名無史さん
21/12/04 14:52:20.75 .net
日本国はどこですか
435:太国
21/12/04 14:58:58.57 .net
あのへんは日本しかないから、倭は当然日本のことだな。
436:日本@名無史さん
21/12/04 15:19:56.06 .net
どの時代のあの辺の話なのでしょう
5世紀以前に日本と言う名称が使われた資料が見当たらないのですが
437:太国
21/12/04 15:26:32.61 .net
日本の言い回しは便宜上これを使うわけさ。
古事記に本州を大倭豊秋津島とあって、倭とは日本のことだよ。
それとも当時に日本近海に別の島、国があったというのか?ww
まともに考えるのが正解だ。論争にさせるなら、そいつのはデンパ説。
金印にも「委」に字があるし、動かない。
438:日本@名無史さん
21/12/04 15:28:20.58 .net
教科書ではクニが乱立していたように習ったような気がするが?
439:太国
21/12/04 15:41:24.35 .net
倭人伝にも国は乱立的に記載されてるんじゃないの?
440:日本@名無史さん
21/12/04 15:45:59.16 .net
乱立という認識からはそもそも共通国号が無かった可能性も高いということになりますね
人種的には、倭人と見做されていたのは確かなのでしょうけれど
441:日本@名無史さん
21/12/04 15:57:21.95 .net
邪馬台国に属してない倭人が東の島に多数いると書かれてるのに邪馬台国を近畿と言い張る畿内説
442:日本@名無史さん
21/12/04 20:15:23.73 .net
日本の字が最初に現れるのは旧唐書で、その日本は外交的に唐と交渉のある国だったことが伺い知られるので、唐の時代には唐と外交関係を持っていた国が日本を名乗っていたことになる。
そして、その頃の列島の統一政権は大和付近にあったのだから、日本国は大和付近にあったと考えるのが筋だよ。
443:日本@名無史さん
21/12/04 21:10:08.76 .net
『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。
以其國在日邊、故以日本為名。
或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。
或云:日本舊小國、併倭國之地。
其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。
又云:其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有大山為限、山外即毛人之國。
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。
あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う。
また、その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界いずれも大海に至り、東界と北界は大山があり、限界となし、山の外は、すなわち毛人の国だという。
『新唐書』日本伝
其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城
王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至るおよそ三十二世、
皆が「尊」を号として、筑紫城に居住した。
※「筑紫」=北九州
(まとめ)
日本と倭国は別種。
日本は東側の小国だったが倭国を併合した。(旧唐書)
日本の王が自ら言うに、日本の最初の王は筑紫にいた。(新唐書)
444:日本@名無史さん
21/12/04 21:11:30.56 .net
>>442
唐と戦争したのは倭国。
倭国が白村江で負けて滅亡してから、傀儡政権としての日本国が誕生した。
445:日本@名無史さん
21/12/04 21:16:59.65 .net
【白村江の戦いと倭国滅亡】
663年に白村江において行われた倭・百済と唐・新羅の決戦で倭国軍は大敗した。
自ら前線に赴いていた筑紫君薩夜麻が捕虜となり8年にわたり唐に抑留された。
筑紫には唐から郭務悰ら2000人の使節団が駐留したが、畿内大和ではなく筑紫を占領したのは、そこが倭国の首都だったからである。
668年、筑紫の使節団は帰国し、中大兄皇子は天智天皇として即位したが、その翌年には筑紫都督府が置かれ、同じ敗戦国の百済に置かれた熊津都督府と同様に唐の統治制度として機能し、倭国は独立国としての権限を喪失した。
旧唐書には倭国と日本国が分けて記載され、「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」とある。
三国史記の新羅本紀には「670年、倭国が国号を日本と改めた」、新唐書にも670年に「日本と號す」とあるが、国内にはその記録がない。
671年に天智天皇が崩御、翌年にはその王子である大友皇子を殺した大海人皇子(天武天皇)が実権を握った(壬申の乱)。
天武天皇は対外的な国史としての日本書紀(漢文)を編纂させ、歴史上の天皇への漢風諡号の制定などを行った。
日本書紀の最大のトリックは、神武東征より後の筑紫倭国の歴史を抹消することであった。
日本書紀の編纂と並行して禁書令が出され、7世紀以前の古代の記録の多くが失われた。
倭国の政治および文化を継承するために、筑紫から多くの文物、人物、建物、地名が平城京に移動された。
URLリンク(i.imgur.com)
筑紫が679年に水縄断層系によるM7.1の筑紫大地震、畿内が684年に南海トラフ地震と推定されているM8.4の白鳳大地震により被災している。
筑紫は震災からの復興もままならなず没落したと考えられる。
701年の大宝律令で行政単位が評から国・郡に改称され、九州から関東までの中央集権国家としての畿内大和政権が誕生する。
この大倭の表記が大和とあらためられ、以前から筑紫倭国に対して近畿を示すために用いていた日本国が列島全体の統一王朝の国号となり、ヤマトは畿内の地名に変化した。
こうして筑紫倭国は滅亡し、その権益は唐に朝貢(遣唐使)を再開する畿内大和政権が継承した。
446:太国
21/12/04 21:39:58.65 .net
>>444
天帝は世界第参位の銅メダル民族にも飴玉をくれるが、黄金の国ジパング
たる世界第1位の神国日本が半島の傀儡にはならない。
663年は神武の前660年即位と半島の人参の参(3)の年のため半島に
飴玉をくれたもの。
東天皇敬白西皇帝からして日本の天皇が大陸の皇帝より格上だ。
銅メダル民族だから、各地にあのブスの銅像を頻繁に立てる習癖があるのだ。
447:日本@名無史さん
21/12/05 20:32:03.87 .net
>>443
旧唐書の冒頭の「日本国は倭国の別種なり」は、魏略や魏志倭人伝の「倭は帯方東南大海の中に在り…渡海すること千里にして復国有り、皆倭種なり」を踏まえた表現であり、
日本国は筑紫(倭国)の東千里にある大和であることが記されているもの。
日辺にあるから日本を名乗ったというのは、唐の東の日の出る所の意ではなく、筑紫(倭)の東の日の出る所の意とするべき。
448:日本@名無史さん
21/12/10 22:49:55.21 .net
倭という名称は57年の漢委奴国王印を授かって以降と予測される
漢委奴国とは、漢に委ねられ支配下となった国を意味する
その後は漢から独立したので、委ねられていた人という意味で
漢委から倭になり、漢委奴国から倭国になったと推測する
449:日本@名無史さん
22/04/03 13:49:44.56 .net
>>417
田中弘道の説は説得力あるんだよ
魏志倭人伝は所詮三国志で有名な司馬懿仲達の都合のいいように書かれた栄光伝であって史実でもなんでもないとか
450:日本@名無史さん
22/04/03 17:54:21.59 .net
どこがどう都合がいいのか説明してくれる?
三国志(魏志)が史実でないなら、諸葛亮孔明も魏王曹操もいなかったんだな?
仲達だっていなかったことになるから、矛盾するぞ?
451:日本@名無史さん
22/04/03 19:30:05.14 .net
仁徳天皇の祖母が神功皇后でしょ
452:日本@名無史さん
22/05/07 10:13:49.32 .net
>>443
「日の本」国は大阪に存在した
今の日下の地にあった
ナガスネヒコが支配してた
神武天皇が宮崎からやってきて倭国が「日の本」国を滅ぼし吸収して大和になった
白村江の戦いで九州の倭国が敗れて近畿の大和が倭国を吸収し返して日本になった
まとめ
神武の時に九州が近畿を吸収した大和になり
白村江の時に近畿が九州を吸収して日本になった
どっちもどっち
453:日本@名無史さん
22/11/14 19:14:42.37 .net
>>317が既にレスしている「祢軍の墓誌」のことについて知らないアホがおるのか
「日本」はもともと普通名詞で墓誌では百済のことを指している
454:日本@名無史さん
22/11/25 20:37:40.57 4B2ESdqhY
祢軍墓誌の原文は「于時日本餘?拠扶桑逋誅(時に日本の余?、扶桑に拠りて誅を逋る」。
?(ショウ)は「鳥が集まって小声で鳴く声の形容」なので、「日本餘?」は「ぴいぴいと小声で鳴く日本の残兵」の意。
この文の意味は「日本の残兵は扶桑(東の島)に拠(よ)り、誅(つみ)を逋(のが)る」ということになる。
これを普通の日本語の文にすれば、「日本国の残兵はその扶桑の島へ戻って、唐の懲罰から逃れている」ということになる。
なので、この文の「日本」は日本国を指していて、百済を指しているとする読みはまったく不可解やな。
455:日本@名無史さん
22/11/25 20:39:31.22 4B2ESdqhY
>>454
追加
上の原文の?は「口と焦」。
456:日本@名無史さん
23/01/23 10:12:57.76 .net
倭人と邪馬台国は切り離して考えた方が良さそうだ
俺が思うに、邪馬台国は、現在のインドネシア国内にあると思う
457:日本@名無史さん
23/01/23 10:34:30.84 .net
>>453
扶桑と日本の親である道教に百済を指した書物など存在しないから嘘つかなくていいよ。
458:日本@名無史さん
23/01/23 16:23:17.51 .net
>>443
だましをやっちゃいかんなあ。
新唐書では、筑紫城のあとに神武が東征に出発したことが書いてあるよね。
神武の父のナギサタケが居た筑紫城とは、日本書紀では南九州の吾田になっている。
北部九州なんて、それ、だましね。
459:日本@名無史さん
23/01/23 18:06:03.89 .net
>>452
神武は宮崎から出発したなんて、日本書紀はどこにも書いてないね。
神武が出発したのは、吾田からよ。
吾田は、薩摩。
460:日本@名無史さん
23/01/24 14:48:11.76 1OGODDs+u
なぜ、神武は薩摩の吾田(阿多)から大和に向けて出発したことになっているのか。
その究極の答えは、列島各地の海人系勢力の本家に当たるのが薩摩の阿多だったから。
さらにその阿多の歴史を遡ると、今から3000年前頃にはこの地で沖縄産のゴホウラ貝腕輪が造られていて、その貝腕輪は部族の宗教的シャーマンの威信財だった。
そのゴホウラ貝腕輪は、その後、弥生時代を通じて西日本全域のシャーマンの宗教的威信財となって広がった。
この阿多の最も古い事績としては、1万2000年前に南方からやって来て貝殻文土器を造った種族の拠点だったことに行きつく。
つまり、日本書紀の吾田(薩摩阿多)は、このような輝かしい海人勢力の根本宗家の地であったのだ。
そして、日本書紀は胸を張って、皇統の始祖神武がその薩摩阿多から大和に出発したとして、
天皇の皇統の出自の地をその薩摩阿多だとしているわけ。
このことは、日本各地の勢力の総元締めが薩摩阿多から出た天皇の皇統だと宣言していることになるのよ。
天皇の権威は薩摩阿多の出身であることに根差している、ということになるわけだ。
これが、神武はなぜ薩摩阿多から出発したと記されているのかという問いに対する答えだね。
誰か、反論ある?
461:日本@名無史さん
23/01/26 17:04:15.76 .net
>>459
水師(舟)で漕ぎだしたと書いてるし。
神武の水師は豊後水道通ってるから、薩摩半島と大隅半島をぐるっと回ったことになるよね。
ただね、豊後水道通ったあと小倉まで西に進んでいるのだけど、小倉に行くんだったら薩摩阿多から長崎と博多の北回りを通れば近いと思うのに、なんでまた豊後水道のほうを回ったのかというのが謎。
もっとも、この謎はすでに解明されている。
合理的なコースは、豊後水道から広島、岡山方面への東進だろうね。
462:日本@名無史さん
23/01/26 19:44:08.52 ihJS9iZ1u
どもども、ご無沙汰してます。でぶ氏です。
実は、2ちゃんねる掲示板っぽいものをつくりました。
事後承諾ですみません。
URLリンク(jbbs.shitaraba.net)
463:日本@名無史さん
23/01/28 14:27:55.95 3CLyixgNe
>>445
唐から来た郭務?ら2000人の使節団では兵力が少な過ぎていくら何でも筑紫の占領は無理でしょう
単に外交交渉しに来た護衛の兵じゃない
筑紫都督府は倭国が唐に屈服し従ったからでしょう。
668年に中大兄皇子が天智天皇として即位したとか日本書紀に書かれてるけど
この辺の記述は倭国から日本へ政権交代した事を隠す為に大幅に改竄されてるんで何が事実か全く分からんね。
持統天皇が倭国の皇女で婚姻により乗っ取ったんじゃなかろうか?
464:日本@名無史さん
23/01/29 15:21:56.70 gxki6nT8i
>>456
一里を普通に430mとすれば、1万2000里はインドネシアあたりになるからな。
オヌシは、正直でよろしい。
465:日本@名無史さん
23/01/29 15:37:30.10 gxki6nT8i
>>463
隋の皇帝の使節団が倭国にやってきて、その使節団が須磨に到着したとき、難波から出迎えの者らが歓迎しに須磨へ行っている。
その使節団の報告書が大切に保管されていて、唐の時代にもそれが閲覧ができたので、倭国の都は難波にあることが知られていた。
なので、唐の使節団が筑紫に上陸して駐屯したのは、そこに倭国の外交施設が置かれていたためであり、ここで倭国と外交交渉を行ったということだろう。
その結果、講和の意思が確認されたので、唐の使節団は倭国から撤収したということだろうね。
466:日本@名無史さん
23/02/04 00:47:21.09 h0Sx22ABM
ク ソ
━╋━┏━┓ ┏┳┓━┳━
┏┻┓┃ ┃ ┃┃┃ ┃
┣━┫┣━┫ ┣╋┫━╋━
┗┳┛┃ ┃ ┃┃┃ ┃
━╋━┣━┫ ┗┻┛━╋━
┃ ┃ ┃ ノ ヽヽヽ ┃
467:日本@名無史さん
23/02/05 04:06:30.85 mGX90efl9
九州ユナイテッドキグダムは、無理。
468:日本@名無史さん
23/02/06 16:11:05.36 xZZNTAGSq
九州は、3世紀半ば頃に博多を大和に取られて以降は鳴かず飛ばすで、そのまま現代に至っている。
いやあ、あれ惜しかったな、くらい言えよ。
469:日本@名無史さん
23/02/08 12:08:13.33 Feuc53rLP
どちらにしろ、神武宮崎漕ぎ出し説は、無理。
470:日本@名無史さん
23/02/08 12:11:23.66 Feuc53rLP
日下部は薩摩阿多の出自なので、海幸山幸をベースにして浦島太郎を創出した。
合わせて神武宮崎漕ぎ出し説を広めようとしたが、まあ、これは無理くさいな。
471:日本@名無史さん
23/02/11 13:55:23.52 PHxXRYZcQ
「倭」については、論衡と山海経以外はだいたい半島の南の海の中に関連する。
「倭」は、漢が楽浪郡などを設置してからは、ブレることなく半島の南の海の中と関連しているということ。
問題は、論衡の「倭人」の「倭」と漢以降の「倭」が一致するのかしないのかということにある。
おそらく、別物だろうな。
472:日本@名無史さん
23/02/14 04:17:15.85 /230Ezxtn
論衡に書かれている倭人は、イジンの発音ではないか。
淮河下流域に住んでいた水田稲作民を指す言葉だったと思うけど。
淮河は囲(イ)とも呼ばれたし、囲と倭はイ音が重なるよな。
473:日本@名無史さん
23/02/16 16:18:11.77 103TBoItH
中国の詩経(前11世紀~前476年)には「周道倭遅」の熟語が書かれているそうだ。
この読みは、「シュウドウイチ」で、倭の字はイの発音となっている。
この熟語の意味は「周への道は曲がりくねっり遠い」というもので、
「倭(イ)」は曲がりくねる意だそうだ。
淮河が湾曲して流れることから淮河を囲(イ)とも呼んだとされていることからすると、
倭(イ)の意味が曲がりくねる意であることと合わせて考えれば、
論衡の倭人の発音はイジンであり、淮河流域に住む種族を囲人(イジン)=倭人(イジン)と呼んだものだとみなすことは妥当だろう。
一方、倭の字には、矮(ワイ=背が低い)の発音とつながるワの音もある。
これは、この矮(ワイ=背が低い)の意を倭の字に当てて、倭の字をワと発音したものではないか。
なので、北部九州の種族を倭人(ワジン)と呼んだのは、論衡の倭人(イジン)の語を背の低い者たちの意で倭人(ワジン)と読み替えたものと考えるのがよいと思われる。
では、なぜ淮河の流域にいた種族の呼称であった倭人の字を北部九州の種族の呼称に当てたのかということになるが、
淮河流域の倭人たちが移住したのが北部九州の種族であるとする理解が古代の中国人にあったからだと考えるのが合理的だと思われる。
474:日本@名無史さん
23/02/17 15:19:38.61 96cP3pAWH
こういうわけだから、論衡の倭人と漢代以降の東南の海の倭人は、別の者たちを指していることが分かる。
ただ、その東南の海の倭人は論衡の倭人が北部九州に移住した者たちであり、元は同じ種族だと理解されていたということだ。
倭人(イジン)と倭人(ワジン)の発音の違いは、倭(イ=なよなよとした)から倭(ワ=背が低い)への読み替えによる発音の交代と捉えるのがよい。
そうすると、魏志倭人伝などに倭人と越人は同族だとする観念がみられることにも、一定の根拠があったということになってくる。
475:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/02/17 16:20:32.73 hDpuRKnuW
文殊普賢の載る獅子巨象は菩薩より図体がうぬの態度のようにでけえ。www
天皇陛下は160cmだ。うぬは陛下にぬかずくのだ。pppp
476:日本@名無史さん
23/02/18 02:25:33.31 /kbi+7Rvm
あれだけ精進しておられる天皇さんには敬意を抱く者であるが、
正月に小旗をふるためにあそこまで行こうというほどの熱意はないな。
今の天皇さんは、これからが頑張りどころだろう。
おそらく、今後の日本の国民の大きな拠り所になるのではないか。
477:日本@名無史さん
23/02/19 02:25:34.59 ZKrwGQ5dH
しかし、日本に水田稲作をもたらした種族と半島に陸稲をもたらした種族は同じだと思われるが、半島の陸稲種族にはなんで倭の字が当てられなかったのだろうか、ちょっと謎だな。
478:日本@名無史さん
23/02/19 04:27:21.87 ZKrwGQ5dH
おそらく、淮河北側の畑作民に対しては、倭人(イジン)の呼び名はなされなかったということではないか。
別の呼び名があったと考えるのがよさそうだ。
479:日本@名無史さん
23/02/20 09:34:19.03 .net
>>457
日本語でOK
480:日本@名無史さん
23/02/20 09:45:52.18 .net
>>24
大倭王は邪馬台国にいた。
だな。卑弥呼が共立で九州だな。
481:日本@名無史さん
23/02/20 09:49:19.69 .net
>>456
邪馬台国と卑弥呼も切り離し。
共立されたのは卑弥呼、邪馬台国ではない
女王の都は中心国でもない。
482:日本@名無史さん
23/02/20 09:58:20.29 .net
>>479
道教の葛洪曰く天皇は陽父(太陽神)で扶桑に住む東の大王とある。扶桑の地を指す日本列島こそ太陽の源日の本。百済は日本ではない。
483:日本@名無史さん
23/02/20 14:17:50.57 .net
日本中央の碑がある青森こそ本当の古代日本の中央
484:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/02/20 14:55:21.43 PxTtD8Rar
有名だな1,
485:日本@名無史さん
23/02/20 15:08:44.97 Cx8kMUkza
>>478
秦代の韓から半島へ移住した者がいて、そのため半島中・南部を韓と呼ぶようになったとする説がある。
とすると、そこに住んでいたのは中華韓系の者たちだったということになる。
そして、この中華韓系農民たちがいるところへ、扶余系の者が北から進入して征服したのが百済という説がある。
486:日本@名無史さん
23/02/20 15:57:44.43 PVZvyOCqy
眞子様に全ての精子を捧げたい。
487:日本@名無史さん
23/02/20 20:39:06.02 Cx8kMUkza
>>485
秦代といえば紀元前3世紀だから、この時期はもうすでに半島では畑作が行われている。
半島に陸稲を持った畑作のO1b2が進出したのは4000年前頃とみられる。
なので、中華の韓が半島へ移住して半島中・南部が韓と呼ばれるようになったは、ごく新しい時代ということになる。
その前に陸稲を持って半島に進出していた淮河北側の農民の呼称は、なかなか謎だな。
488:日本@名無史さん
23/02/21 16:15:45.62 .net
九州にあったのは伊都(委奴)であって
邪馬台国は恐らく九州を含む現在の日本国内にはなかった
ジャワ島辺りが妥当だろう
489:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/02/21 19:37:28.86 VeGrb3yEh
いやあったぜ。ジャワになんかない。
490:日本@名無史さん
23/02/21 19:50:00.76 0YXXH7Bb6
>>486
汚いのは、いらん。
491:日本@名無史さん
23/02/21 22:00:16.50 .net
>>482
日本語しゃべれやチョン
492:日本@名無史さん
23/02/21 22:06:46.67 .net
末蘆も松浦じゃなくてマレーじゃないの?
巴里国はバリ島にあった
とにかく、東南アジアに倭人の島国がいっぱいあったと思う
493:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/02/22 08:57:50.10 vi3xytvmB
あっても、女王国は九州だ。
494:日本@名無史さん
23/02/23 04:27:47.33 .net
>>491
小国百残が日の本=扶桑樹の根本=太陽の出る所を名乗るなど百億年早いw
495:日本@名無史さん
23/02/28 15:35:44.40 owxrBMM+7
>>474
このように考えると、菜畑などの水田稲作民は元々は倭人(イジン)だったということになるね。
そして、それが、漢代頃から読み替えによる倭人(ワジン)になったとするのがよさそうだ。
496:日本@名無史さん
23/03/02 15:12:08.00 s3PI+CF7V
まあ、要するに、九州の倭国の使節が大陸の王朝に朝貢したときに言ったように、倭人の故郷は呉(淮)だったということだな。
倭人(ワジン)は元々は倭人(イジン)と呼ばれた者たちだったというのが正解。
ただ、実際は、この倭人(ワジン)は九州の縄文人とのハイブリッドだったのだけどな。
497:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/03/03 08:56:20.88 a59XQNYf2
超太古の昔、倭は言霊でワ=0、イ=1だから、0はプラチナ、1は黄金を
示唆する数字にして、時代は0から1へと突き進む。いずれも純金族で
あって、179萬余年かか6らは純プラチナであって、ハイブリッドはない。
ハイブリッドはもっと後代のことである。
498:日本@名無史さん
23/03/03 14:41:40.98 yPnuZ7FAY
言霊が、イ(1)と中国語で発音するのか。
日本の言霊ならイ(1)でなく、ヒ(1)だろ。
ボケやな~ぁぁぁぁぁ!!
499:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/03/03 15:18:48.49 Af9aIMTmp
ヒもそうだが、言霊的にイは1の数理を持つ。
>言霊が、イ(1)と中国語で発音するのか
これはここのスレ民が主張したこと。
500:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/03/03 15:30:46.14 Af9aIMTmp
五十音言霊は神さんの作られしものなり。
501:日本@名無史さん
23/03/04 13:29:54.39 krfoGMqzi
中国の神さんだろ。
わははははは。
502:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/03/04 14:32:13.35 kXcP4Er0b
おめーは無神論者だろ。><
503:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/03/04 14:35:11.90 kXcP4Er0b
URLリンク(www.youtube.com)
504:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/03/04 15:13:01.04 kXcP4Er0b
あかき華
葦原(アジア)の中国は吾が皇孫の統治する国
505:日本@名無史さん
23/03/04 18:09:58.92 OUFVkCn8+
愛子様に全ての精子を捧げたい。
506:日本@名無史さん
23/03/05 00:39:55.93 +UHx/GrZj
>>505
すでに付き合っている人がいるそうじゃないか。
おめーのは、無理。
バンクに登録しておきたまえ。
んで、誰かの卵子に奉げたまえ。
507:日本@名無史さん
23/04/11 14:22:14.97 Wng71L3CZ
とにかく、論衡で述べられている薬草を周王に献じた「倭人」のその読みは、ワジンではなくイジンとするのがOK。
淮河下流域の淮夷(水田稲作民)が、この「倭人(イジン)」だろう。
周代の倭人(イジン)を九州の倭人(ワジン)を指すものとする誤解から、ヘンな論が出てくるのだな。
508:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/11 20:35:01.55 t9KPVgtn5
どうしてイジンだと結論したんか?
509:日本@名無史さん
23/04/11 21:28:37.28 Wng71L3CZ
まず、周の時代に、縄文人がわざわざ西安まで薬草を献じに行ったとは考えられんこと。
そして、詩経には、「周道倭遅(シュウドウイチ)」のように、倭の字をイと発音することがあった。
また、春秋戦国時代の魯の第21代王の名は、「倭(イ)」または「?タイ)」だった。
倭の字をイと読むことは、普通にあったこと。
そこで、淮河の別名は「囲(イ)」であった。これは、淮河は淮河の北の地を囲むように流れていたことから囲(イ)と呼ばれたもの。
その淮河下流域の種族を淮夷と呼んだので、その淮夷は囲(イ)とも呼ばれた可能性があり、その囲(イ)に倭(イ)の字を当てたのが論衡の「倭人(イジン)」だと考えたというわけだ。
そのように考えると、論衡にいう「倭人(イジン)」とは、淮河下流域の種族を呼んだ言葉だということになる。
そうすると、論衡の文章は「周の成王のとき、越人が雉を、倭人が薬草を(ともに)献じた」ということになり、文意が明確になる。
呉越同舟のように、越人と呉(淮)人はその昔からペアでとらえられていたということだ。
510:日本@名無史さん
23/04/12 03:45:42.02 ucccG1Bv8
だから、殷代や周のごく初期には、日本列島にはまだ倭人(ワジン)はいなかったということになる。
そこにいたのは縄文人で、殷や周初の中国人はこの縄文人の存在を認識していなかった可能性が高い。
そして、周の穆王のときになって、穆王は楚に命じて淮夷を大規模に掃討させた。
淮河下流域の淮夷は散り散りになったはずで、その難民が半島に渡り、ごく一部が北部九州へ渡った。
この難民が北部九州の菜畑で水田を作って、そこで日本初の水田稲作を始めたということだ。
そういうわけだから、菜畑に水田稲作を持ち込んだ者たちは、中国の周からみればそれは倭人(イジン)だったわけだが、
淮河の倭人(イジン)と区別するために、後になって背が低いという意味を表す矮(ワイ)の字の流れを持つ倭(ワ)の音でもってこの北部九州の倭人(イジン)を呼び変えたのが倭人(ワジン)ということなのだ。
その頃には、倭人(イジン)は縄文人と混血を進めていて、背丈はかなり低くなっていたことがあったのだろうけどな。
511:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/12 09:43:56.68 LN3icsHvh
倭人はいたよ。いなかったなどと結論が早計。
>背丈はかなり低く
足長の呼称か、長脛彦がいたんではないのか?
512:日本@名無史さん
23/04/12 13:28:05.48 Xq5rZ3qMz
愛子様に全ての精子を捧げたい。
513:日本@名無史さん
23/04/12 15:27:08.31 wD3/Mpu9R
>>511
長脛彦は、四条畷の馬飼い女真人のあだ名。
女真人は、今でも中国で1、2を争う長身族。
背が高いのは、足が長いためだ。
縄文人の背丈が低かったのは事実。
渡来した倭人(イジン)は、その縄文人と混血したために、背が低くなった。
それで、倭人(ワジン=矮人)と呼ばれたのだ。
514:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/12 18:20:21.63 LN3icsHvh
大和の朝敵のナガスネヒコが、当時の中国のあだ名だとは航空機もスマホもない時代に大和から同中国に
名前の情報が即行ったとは考えにくい。ww ppフェイクだな。ppp
515:日本@名無史さん
23/04/13 00:45:31.69 zPyNEahlZ
満州にいた女真人が、倭国に呼ばれて大阪の四条畷で馬飼いを始めたのだ。
女真人は馬飼いに習熟していて、モンゴルから馬を仕入れて、それを高句麗に納入していた。
馬を用いた高句麗に苦戦した倭国は馬を飼養することにして、その技術者として満州の女真人をリクルートしたのだ。
四条畷にやってきて馬飼いを行った女真人は背が高く、足が長かった。
それで、長脛彦というあだ名ができた。
その女真人長脛彦と街道の要衝を取り合う戦いで勝った天理の物部が、長脛彦が奉じていたニギハヤヒの神を自らの神として取り込んだのが、物部の祖のニギハヤヒなのだ。
そして、日本書紀が編纂されたとき、その物部と長脛彦の戦いの伝承を元にして神武と長脛彦の戦いに描き直したのが、よく知られた神武と長脛彦の生駒の戦いとその後の顛末のストーリーだ。
長脛彦は、四条畷で馬飼いをした女真人のあだ名だったのだよ。
516:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/13 09:13:37.34 DUg11/79q
書き直しなんかねえよ。
日本書紀は「本」の字がつくとおり、本ものの日本の記述だ。書き直しはない。
素直に日本の歴史の記述をしたのだ。脚色はない。
但し半島とか大陸の記述は日本じゃないから、誤認がある。
あんたの女真っていうのも外国だから、合ってる可能性は疑義がある?
517:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/13 09:19:26.56 DUg11/79q
>女真人は背が高く、足が長かった。それで、長脛彦というあだ名ができた。
これはいつころの年代かね?
518:日本@名無史さん
23/04/13 12:30:11.02 zPyNEahlZ
女真人が大阪の四条畷で馬を飼養し始めたのは、5世紀中頃だとされている。
長脛彦のあだ名ができたのは、渡来すぐのことだろう。
ただ、物部が天理で鍛冶を始めたのは5世紀後半とされているから、馬飼い長脛彦と物部鍛冶屋の戦いは5世紀後半だろうな。
その戦いに勝った物部は、天理から交野を経て日本海に出る交易路を掌中にしたのだ。
女真の神だったニギハヤヒを物部が取り込んだのは、女真長脛彦との戦いで勝利したことの象徴としたということだ。
519:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/13 20:16:53.17 IlAOwhIfL
なんだ、神武とナガスネヒコが戦ったのは5世紀ではないぞ。もっともっと古い。
あだ名をつけるには遅すぎるぜ。
520:日本@名無史さん
23/04/13 21:16:48.32 LmfNEBHt8
日本書紀を編纂するとき、神武の武勇を描くために物部のエピソードを取り入れ、その物部を神武に置き換えたということ。
だから、物部の武勇のエピソードを神武の話に取り込んだのは、720年頃だ。
521:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/14 09:21:29.98 xbR8ewwYW
都合の悪いところは書き換えたとかいうのが色々な論者のいいわけ。
紀の編者らが隠蔽したとかいって自論を防御するのがいままでの論者の説明。
紀が改ざん隠蔽したとかで説を防衛するのがいままでの連中の抗弁方法。
こりゃダメだ。
522:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/14 09:29:29.61 xbR8ewwYW
紀の編纂だけでなく、古史古伝は書き換えせんだろう。
いずれの編者らも各々独立しているから、こちらも5世紀だとのいい分はおかしい。
523:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/14 11:26:18.34 M+10PG6Ph
古史古伝は720年ころでねえだろう。記紀と蘇峰ほぼ同じ記述だ。
524:日本@名無史さん
23/04/14 12:25:18.10 JRPaQU+Qr
愛子様の子宮めがけて射精したい。
525:日本@名無史さん
23/04/14 12:52:39.93 Ah73ze7OG
書紀は、それぞれの天皇紀でのエピソードを無から創作したことはない。
既にある伝承や歴史事実をタネにして、それを脚色して描くのが常だ。
長脛彦と饒速日については、これは物部氏の伝承だったものを取り込み、それを神武の大和制圧譚として描いたということ。
つーことは、神武と長脛彦との戦いはなかったということになる。
歴史事実としてあったのは、応神が南九州からやってきて河内王朝の始祖になったということだけであり、その南九州の大シャーマンが準構造船に乗って瀬戸内海を東進し大和を軍事制圧した英雄として描いたのが書記の神武紀なのだよ。
その英雄譚のストーリーに使われたのが、物部鍛冶屋と女真長脛彦との戦いの伝承だったということだ。
526:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/14 14:03:28.29 M+10PG6Ph
脚色は小説か映画演劇の類だ。
脚色が紀にあったんなら、古史古伝と別記述だ。
それがあまり変わり映えしない。どれも殆ど同記述だ。
ということは脚色なんかねえということさ。
527:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/14 14:10:10.22 M+10PG6Ph
応神が神武だといわんばかりだが、全然別ものだ。
その根拠として、神武陵と応神陵が別々に畿内にある。神武から応神を創作
したものではない。
528:日本@名無史さん
23/04/14 15:47:27.42 Ah73ze7OG
神武陵とされる畝傍山の東北にあるものは、怪しい。
江戸時代に神武陵を探したがあれかこれかと定まらなかったそうじゃないか。
神武が宮を置いたとされる畝傍山東南の地にあったのは、実際には応神の宮だ。
なので、神武とは、応神をモデルとして祖先神化したものだよ。
529:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/14 17:14:41.14 IbDgzboim
君の論こそ怪しいぜ。w
神武は応神のモデルなら、記紀と古史古伝の記述におおきな隔たりができるはずだ。
ところがいずれも大筋変わりはない。記紀の編者蓮と古史古伝の編者とは各々独立関係
にあり記紀は創作の小説ではない。所詮倭人が背が低いという論ははったりにすぎない。
530:日本@名無史さん
23/04/14 19:46:36.21 SIeYYIHVf
古史古伝は、記紀をベースとした熱狂的な古代史ファンのオカルト本だよ。
記紀と違った古代史を書けるはずがない。
なぜなら、記紀以前の史料がまったくないんだからな。
矮小(背が低い)のワイ系のワ音を取ったのが倭(ワ)だ。
倭(イ)は、なよなよとしたという意味。
この違いは、歴然としてあるのだ。
531:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/14 19:59:49.19 1QQmQm7c5
倭は和に通じる。これはプラス+だ。大和だと大きな和集合だ。これは太らす数字であって、やせならマイナス-の差だ。w
こんな解釈でちいせえなどと決め込むのは即断すぎだ。w
ここんんなこ
532:日本@名無史さん
23/04/15 14:20:58.19 MfNDdMEDJ
倭は、背が低い意。
和は、おだやかに角張らない意だ。
全然、別字だ。
それに、倭の音はua(ウア)。
和は、fua(ファ)。
日本人が和(fua=ファ)の音をワと訛って、倭(ワ)と和(ワ)は音が同じだから入れ替えOKと、適当なことをやったのが倭→和なんだよ。
中国では、ありえん用い方だ。
533:日本@名無史さん
23/04/15 14:33:58.18 MfNDdMEDJ
論衡にみえる「倭人」の発音はイジンであって、ワジンではないということ。
なので、この「倭人(イジン)」は北部九州の縄文人のことを指しているのではない。
中国淮河下流域の淮夷を倭人(イジン=囲人)と呼んでいたということだろう。
534:日本@名無史さん
23/04/15 15:57:07.00 m7HlVJyZV
愛子様の子宮めがけて射精したい。
535:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/15 16:40:47.45 LcBnkl0YN
古代中国人の盲象を信じるなかれ。w
536:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/15 16:57:05.92 LcBnkl0YN
イが背が低く、ワが背が高いとかいうは古代中国人と君の盲象。
神武天皇はイワレヒコという御名。大和:ダイワはダイイとはよまない。
よって日本人はワジンと呼ぶ。イジンではない。
直交座標において 高さの和は Y=y?+y?
順からしてワイのワがイより上位即高位にある。
所詮君のご都合による高低の選択さ。w
537:日本@名無史さん
23/04/15 21:42:12.23 MfNDdMEDJ
論衡の「倭人」の読みが、ワジンであった保証はない。
この「倭人」は「越」とペアで書かれているので、呉越のペアと考えるのがよい。
そして、その呉とは長江の北側の広い地方を指すので、淮河下流域の淮夷がこの「倭人」である可能性が高い。
そうすると、淮河は囲(イ)とも呼ばれたので、淮夷は囲(イ)と呼ばれたと考えることができる。
その囲(イ)の流域に住む者が囲人(イジン)であり、囲人が栽培するのが水稲であることから、
水稲の稲穂が柔らかく垂れるさまを表す「倭(イ)」の字をもってその「囲(イ)」に当てたのが「倭人(イジン)」ということだ。
なので、論衡の「倭人」はイジンと読むのが正しい。
この「倭人(イジン)」とは、淮夷のことなのだ。
538:日本@名無史さん
23/04/15 22:40:17.21 MfNDdMEDJ
いずれにしても、神武は応神をモデルにして作った天皇の始祖神だ。
その神武を畝傍山の東南の地に住まわせたのは、応神の宮がそこにあったからだ。
神武は応神をモデルにしていることは、このことで分かる。
539:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/16 08:43:07.33 gvH11Sg02
古代中国ではイジンと読むというが、この神国日本では倭人と読むのが正しい。
神伝五十音言霊は 話→和→大和 からしてダイワのワと読む。背の高低は無関係。
応神が神武のモデルだという論拠はただ単に号に「神」の語がつくことで飛鳥漫画家もいう 神武=崇神 だとか
神武=応神 だったとか即盲象脳が結論するだけで、何ら根拠のないことである。
まるで平城天皇が平成天皇のモデルだとぬかすも同然であり、史実に基づかないいかれた盲象である。
540:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/16 08:44:52.51 gvH11Sg02
×話→和→大和
〇倭→和→大和
541:日本@名無史さん
23/04/16 12:26:43.55 9K1MEY7Ll
愛子様の子宮めがけて射精したい。
542:a
23/04/16 17:35:48.38 /luGJdHuG
URLリンク(black.chobi.net)
543:日本@名無史さん
23/04/16 21:54:27.34 VzqdAjGlV
どちらにしても、倭人(ワジン)は、倭人(イジン)が転化した呼称だ。
淮河下流域の水田稲作民を「なよなよとした者」の意味で倭人(イジン)と呼び、
この倭人(イジン)が難民となって散り散りになり、その一部が北部九州に渡って縄文人と混血したが、
その者たちを「背丈が低い者」の意味で倭人(ワジン)と呼んで淮河下流域の倭人(イジン)と区別したのだ。
この倭人(イジン)と倭人(ワジン)の別を知ることが、日本の古代史の流れを解く鍵なのだよ。
目覚めたまえ。
544:日本@名無史さん
23/04/17 01:57:36.36 CbIrO6RpF
倭の出て来る中国文献では、論衡の次に古いのは山海経で、「蓋国は鉅燕の南、倭の北に在り。倭は燕に属す」と書かれている。
この文から、半島南部には倭人の国があったと理解される、とする意見が出ている。
しかし、燕が強勢を誇った時代には、半島南部の濊(わい=氵サンズイ+歳)や真番(辰国)を略属させていたとされるので、
これらの半島南部エリアを「倭」と呼んでいたとすることは理解しにくい。
むしろ、対馬海峡から始まる領域が倭だとし、「朝鮮半島(蓋国)の南は(海をはさんで)倭に接している」と考えたとするほうが理解しやすい。
ただ、そうなると、対馬海峡の存在についての言及がないことが不審になる。
というのも、漢代以降は必ず、倭の所在について大海の向こう側とする地理観が出てくるからだ。
この山海経の記述には、その海の存在についての記述がまったくないのが不審になってくるわけだ。
そこで、箕子朝鮮など古朝鮮の領域が「蓋国」に相当することを考えて、
その古朝鮮の領域に接しているエリアの地方名が何であるか見てみると、そこにあるのは「濊(わい=氵サンズイ+歳)」なのだ。
そこで、この濊(わい)の読みを見てみると、秦代の上古音ではオイ、ウイなどのほかにwat(ワ)を再構している学者もいる。
つまり、倭(わ)と濊(わ)は同じ発音だった可能性が出て来るのだ。
そうすると、「蓋国は…倭の北に在り」と書かれているのは、「蓋国は…濊(わ)の北にあり」の誤記ではないのかとの疑いが出てくることになる。
「倭」は後代の誤記であり、実は「濊(わ)」が元々の記述だつたのではないかというわけだ。
この濊(わ、わい)を倭の字に置き換えて見てみれば、燕→蓋国→濊(わ、わい)の地理的な連続性は、ごく普通に理解される。
そして、この濊(わ、わい)は、さらに辰国に接続したのちに、その辰国の南は対馬海峡に出ることとなる。
このように考えると、山海経に見える「倭」は「濊(わい)」であり、「倭」は実は「幻の倭」だったということになってくるのだ。
545:日本@名無史さん
23/04/17 04:27:24.81 CbIrO6RpF
?の字の秦代上古音をwat(ワ)と再構する学者もいるとしたが、
日本の漢和辞典でも?の字の上古音をuad(ウァ)とするものがあり、
?の音をuai(ウァイ)とするのは中古音であるようだ。
このように見ると、?は歴史的に別のところの地名だったこともあることからして、
蓋国の南に?(わ)があるのはおかしいと考えた者が、
転写する際に同音で半島の南にある倭(わ)の字でもって?(わ)と置き換えてしまったということなのではないだろうか。
そして、転写元の山海経はやがて失われてしまい、誤記の方が残ったということなのかも知れない。
いずれにしても、蓋国(古朝鮮の領域)の南に陸続きで倭があるとするのは地理的におかしいのであり、
それをおかしくないとして解釈すると、半島の南部には倭人が住んでいたということになってくるわけだ。
なので、山海経の「倭(わ)」を「?(わ)」に置き換えて読めば、その文章の内容は地理的にまったく整合性の採れた文章になる。
そういうことだな。
546:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/04/17 09:17:03.22 EZS4FcseM
そんなものは鍵にならねえ。w カギアナと合わねえ。
むこうがイジンと呼ぼうと、神国日本では倭人と読むのだよ。w
大和はダイワと読む。五十音言霊は神さんの作られたものなり。
547:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/04/17 09:21:04.67 EZS4FcseM
×倭人と読むのだよ
〇ワジンと読むのだよ
548:日本@名無史さん
23/04/17 10:17:35.93 emFYEoJSp
×倭人と読むのだよ
〇ワギナと読むのだよ
549:日本@名無史さん
23/04/17 14:17:43.79 CbIrO6RpF
>>546
北部九州などにいる者の呼称は、中国では一貫して倭(わ)だ。
その倭人(ワジン)は、縄文人と渡来人が混血して生まれた種族だ。
そして、その渡来人の呼称が、倭人(イジン)だったということだ。
渡来して来る前にその倭人(イジン)がどこにいたかというと、それは中国の淮河下流域だということ。
なんの問題もないだろう。
目覚めたまえ。
550:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/04/17 17:14:25.72 5+gdGIIWA
目覚めろとはあんたのほう。pp
日本人と大陸人とは別ものの民族あって、全世界のご本家たる神国日本は古来
マルコポーロから黄金の国ジパングと呼ばれており、五輪で言えば世界第1位
の金メダル国家なのは、創造主たる天帝が世界第1位の邪馬1国を設定し
たことで明解である。
ところが半島人は朝鮮人参も分かるように世界第参位の銅メダル民族である。
黄銅は色が似てるが、黄金とは別の近族であって、半島大陸と日本人とは
元々別の近族であって大陸人たる黄金近族でない者らが日本へ渡来して
日本人になったのではない。
銅だから、半島人は世界各地にあのブスの銅像をブっ立てるのだよ。w
倭は和つまりプラス+に通じて、タテy軸に関し y(1)+y(2)%=k
とタテを計すると、高低の背は高くなる。だからワイ(倭囲)と読むわけだ。
黄銅は黄金になりえない。
551:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/04/17 17:26:26.93 5+gdGIIWA
>>548
偽計業務妨害
552:日本@名無史さん
23/04/18 01:33:31.19 qDG77cxY0
まあ、どちらにしろ、山海経にみえる「倭(ワ)」は、「濊(ワ)=氵サンズイ+歳」を誤記したものだ。
なので、春秋戦国時代までは、中国人は日本列島の住民について知識を持っていなかったと見るのが正解だ。
しかし、漢の時代になると、そこに住んでいる者たちについての知識がようやく表れてくる。
半島の南の大海の中の島に住んでいる「倭(ワ)」「倭人(ワジン)」という言葉が、漢書などの史書にみられるようになる。
これは、漢が半島北部に楽浪郡などの出先機関を設けてその地を治めたことに伴う知見の増大の結果だ。
そして、その島に住んでいる者を「倭人(ワジン)」と呼ぶことになった理由は、
その者たちが楽浪郡にやって来て、自分たちは呉からやってきた者の子孫だと話したことによっている。
楽浪郡の役人たちは、呉に住んでいた者たちを倭人(イジン)と呼んでいたから、その倭人の字を取り、
それに背丈が低いことを表す矮(ワイ)の意を当ててこの大海の島に住む者たちを「倭人(ワジン)」と呼ぶことにしたということだろう。
こうして、漢代になって初めて「倭人(ワジン)」の呼称が生まれた、ということになるのだ。
553:日本@名無史さん
23/04/18 03:26:49.32 qDG77cxY0
このように、倭と?(?サンズイ+歳)が混同される事態が起こっていると見るのがよいだろう。
そのように考えると、次の不可解な文章も、氷解されることになる。
その文章とは、魏志韓伝の馬韓の一節だ。
後漢の桓・霊両帝の時代に半島の韓と?が強勢となって、後漢の楽浪郡などもこれを制することができず、
郡県の民が韓国に流れ込むという事態になった。
そこで、郡長の公孫康が同族の者らを派遣して残った人民を集めて軍隊を組織し、
韓と?を伐たせた結果、韓?に流入していた民らが戻ることとなった。
この後、「倭韓遂属帯方(倭韓ついに帯方に属す)」という結果となった。
この文章の最後のところの「倭韓」が、非常に問題なのだ。
前半では「韓?」が討伐の対象となっているのに、後半の最後になって倭が突然現れて「倭韓」と記され、
この「倭韓」が帯方郡に服属することとなったとしているわけで、
文章の流れからすると、普通には、この「倭韓」は「韓?」であるべきなのである。
一言も言及のなかった「倭」が、なぜか突然現れてきて、韓とともに帯方郡に服属することとなったと書かれているのだ。
討伐されたのは「韓?」であるのに、それが「倭韓」と記されているのは異常としか言いようがない。
そこで、先の山海経では、どうも?(わ)を倭(わ)と誤解して書写したらしいことを見たが、
それと同じことがこの魏志韓伝の文章でも起っているとみなせば、「倭韓」と書かれているのは実は「韓?」が正しいことが分かってくる。
なぜ、このようなことが起ったのかと考えれば、詰まるところ倭(わ)と?(わ)の発音が同じであることに起因していると見ることができる。
しかも、魏志韓伝の場合、前半では「韓?」と順を付けているのに、後半では「倭韓」と順が逆になっている。
このことは、馬韓よりも倭のほうが大国だとする認識を持った者が、「?」と「倭」を入れ替えたことが推測できるのだ。
倭国が馬韓(百済)よりも大国となるのは応神以降だから、「?」「倭」の入れ替えを行ったのは5世紀以降に書写を行った者であると見ることが可能になる。
このように、この魏志韓伝においても「?」と「倭」の入れ替えが起っていることからして、山海経の「倭」が「?」である確率は非常に高くなるのだ。
554:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/04/18 08:07:10.88 Adrun55DJ
TV放送で見たが、米国は戦前日本人の平均身長を157cmと観ていたという。
ところが現今ではもっともっと背が高くなり、平均が174cmくらいあるの
ではなかろうか。
その古代中国人は数人の日本人を見て背が低いことから、倭人は小柄だと
思ったんだろう。例えば仮に宇宙人が宇宙船で地球に着陸してそこがたまたま
アフリカのピグミー続の部落あたりだったから、地球人を小柄だと判断
したが、世界には180あるいは190cm級の大柄な民が6いるわけで、宇宙人の
思考は偏見だったということになる。w こんな具合だ。
倭人をイジンと呼んだというが、これは本当の可能性があろう。
金印の名の漢倭奴国王の「倭」は「委」として、後者はイと読み、糸島の
「糸」もここからイトと読むんだろう。
だだ神国日本はワジンと読む。「倭」の語は古事記から本州を
『大倭豊秋津嶋」と記述してるように、大倭は大和の畿内に通じる。
いまでも中国人は日本を小日本とい%って自国の大国さを自慢し日本を
力の現状変更を威力で示し日本属国化の思いを持ってその日本を
蔑む考え主張をしているようだ、これはとんでもである。
五星紅旗の中国旗は太陽系の五惑星の表現であるが、神国日本は旭日旗
であって、太陽(日本)が5惑星(中国)を従えるのである。
それゆえ世界第1位の黄金メダル国家の神国日本は萬邦無比の國體を誇るのだ。
555:日本@名無史さん
23/04/18 15:14:34.79 qDG77cxY0
後漢から奴国王に与えられた金印の「漢委奴国王」の「委」の上古音はiuar(イウァ)であり、「倭」の上古音のiuar(イウァ)と同音なのだ。
なので、金印の「委」は「倭」を略した字と解釈されているのはそれでOK。
委=倭ということだ。
一方、「倭」の上古音にはiuar(イウァ)の発音のほかにuar(ウァ)もあり、このuar(ウァ)が論衡や魏志韓伝の濊(サンズイ+歳)のua(ウァ・ワ)と同じ発音なので、
濊(サンズイ+歳)を倭の字で置き換えることが可能になったということだ。
このことからすると、「倭」の発音としてuar(ウァ・ワ)も用いられるようになるのは、山海経にみられるように、戦国時代~前漢の頃からなのだろう。
556:日本@名無史さん
23/04/18 15:18:55.35 qDG77cxY0
>>555
訂正
5行目の「論衡」は「山海経」の間違い。
557:日本@名無史さん
23/04/18 15:46:05.97 qDG77cxY0
>>554
半島における漢の出先機関の楽浪郡には、四季ごとに倭から使いがやって来ると漢書に書かれている。
このことからすると、楽浪郡の役人は倭人を一人二人見ただけではなく、多数の倭人を見ていることになる。
その倭人たちが、全体的に背が低かったということなのだろう。
そこで、背が低いことを表す矮小の矮(わい)の字の委と倭の字の委が同じであることから、
背丈が低いことを強調する倭(わ)の発音が用いられる結果となったのだろう。
558:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/04/18 21:22:35.15 I6aUUptzO
倭の言霊に背の高低は無関係。倭はy軸の高低測定に関与しており、
y=y(1)+y*(2) から、高さが想起されるも、100年すれば
低いというのも効果がなくなる。昭和と令和とは身長が違う。
559:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/18 22:57:08.87 Muom2YQ4Q
大倭豊秋津嶋の別名は天虚空豊秋津根別である。
虚空とは天高くの意味であって、天帝は高きy軸のy切片を示唆している。
つまり倭は低くではなく、高くの天意であって、単に当時の中国人が低いと
思たとしても、ああそうか、日本人は低いのだというのを許容すべきではない。
のぼせあがった中国人は天狗の中華から邪悪なジョーカー(上華)に思いあがっている。
連中は日本を属国化できると未来に考えているが、それは不可能だ。
だがそれを知らず、五惑星の国旗を掲げてはいるが、太陽系の主人は5惑星ではなく旭日旗たる神国日本にあるのだ。。
態様が5惑星を従える。連中は惑星→悪性に豹変している。惑星のワは悪性のアになっており、
日本と合わない(アワない)のが中国といういかれ国家である。もともと中国強酸糖は無神論であって、
よく天主教の教会建築物を破壊するを試みていうが、いずれ奴らは泣くときが来るのだ。
泣き崩れる中国を従えるのがこの日本であり、黄金の国ジパングたる神国日本は正に萬邦無比の國體を誇るのである。
神典に曰く
葦原(アジア)の中国は吾が皇孫の統治する国
と、天帝は未来に中国を従えることを勅しているのだ。
URLリンク(www.youtube.com)
560:日本@名無史さん
23/04/19 00:22:29.88 viNd3rZ4w
>>558
背丈は、栄養や生活様式の変化で相当に異なってくる。
しかし、紀元前あたりの弥生の栄養や生活様式には大きな変化はなかった。
背丈の高い漢族からみれば、九州弥生人は背が低かった。
弥生人は、男性が平均163㎝、女性は152㎝。
古代中国人は、男性は平均170㎝、女性は163㎝。
秦始皇帝の兵馬ヨウの兵士像はおおむね180㎝を超え、将軍とみられる像は190㎝以上ある。
今の満州の平均身長は、男性175㎝、女性165㎝。
縄文人よりも高かったとされる弥生人は、それでも大陸からみれば、かなり低かった。
倭(わ)の字には、背丈が低いという意味があるのだ。
561:日本@名無史さん
23/04/19 04:21:18.51 viNd3rZ4w
日本に対する関心と知見が高まるのは、漢が半島に楽浪郡を置いたことによる。
楽浪郡は、列島の弥生時代中期中葉末頃に当たる前108年に設置された。
この時期は、列島で鉄器鍛造技術が急速に普及する頃なので、鉄器の材料となる鉄素材の需要が一気に高まった時期と言える。
こうした鉄器や鉄素材の交易の活発化とともに、楽浪郡では列島に対する関心が高まったとみることができそうだ。
そこで、列島に住む弥生人やその土地に対する漢語の呼び名が必要になったことが考えられる。
そして考え出されたのが「倭人(わじん)」で、その倭人が住む土地を「倭(わ)」と呼ぶことにしたのだと思われる。
なぜ「倭人(わじん)」だったのかというと、弥生人自身が自分たちの先祖は呉(淮河下流域)からやってきたと話すその伝承に基づき、
役人が論衡に記される呉の「倭人(イジン)」の名をその弥生人の呼び名として当て、その呉の倭人(イジン)と区別するために、
倭の字のもう一つの発音である倭(わ)を用いて倭人(わじん)としたのだと考えられる。
この倭(わ)の発音は背丈が小さい意を表す矮小の矮(ワイ)と同系の発音であり、
その背丈が低い意を倭(わ)の発音でもって表すことは、背の低い弥生人の呼び名としてぴったりだとされたのだろう。
これが「倭人(わじん)」の呼び名の始まりだったと思われる。
このことから言えることは、半島に楽浪郡が設置される以前には、
弥生人の呼び名としての「倭人(わじん)」の名は存在しなかったということだ。
なので、山海経にみえる「倭(わ)」は、「?(ワイ、ワ)」をあとから「倭(わ)」に置き換えたものだとすることができる。
そして、倭人の名が明確に大海の中の島に住んでいる者として記されるのは後漢時代に編纂された漢書地理志においてであることが、そのことを示している。
「倭人(わじん)」とは、楽浪郡の設置とともに生まれた名なのだ。
562:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/19 09:42:32.11 tN+ahMPC6
>「倭人(わじん)」とは、楽浪郡の設置とともに生まれた名なのではない。
ワの言霊は高天原:タカアマハラの音韻に含まれ、ワは数理的に輪:ワ即〇→0を意味する。
天地初発において0はプラチナを示唆し、0から1,2・・・nへと数字により時代の区分
がある。1は黄金であって、日神の時代なのである。このようなことから、神国日本の
太古代にあてるのが0の時代、つまりワであって、この神州の太古からの時代の始原
を表す天帝(創造主)からの数字である。
つまり全世界のご本家たる神国日本の国の始めを教える言霊がワであって、次代、日神のヒ音は
後続の1の時代を表す。この0と1とは気の遠くなるほど超時間の区分であって、2以後は
時代間隔が短くなる。1の時代の終期が神武の時代であり、2は綏靖の時代から始まる。
1の時代に消化しきれなくなった系統が邪馬1国の卑弥呼の時代にして、皇統は1の末期神武、
2の始期の綏靖から始まる。ところが、皇統は天地の初発の0の時代を受け継ぐため、各天皇
の御名にワ=0のつく号が多い。
ワの言霊は神国日本側の音韻であって、末端の中国からではない。
1は黄金の時代の意味であって、それ故黄金の国神国日本は世界の希少たる黄金の国ジパング
にして、大陸人に似てはいるが半島の銅の格の民族、また古代中国の水銀級民族と日本の黄金
とは別の近族であって、別ものであるから大陸人が渡来して日本人になったのではない。w
それゆえ神国日本は全世界の別格国家であって、まさに萬邦無比を誇るのだ。
563:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/19 10:13:23.33 tN+ahMPC6
古代中国人は小柄だとかぬかして当時の日本人をなめたのだろう。
巨象は大柄だが、普賢より当然文字通りに大きい。
図体がでかいから格上だとは限らない。
若いころ仕事場で、ある野郎に「おれのほうがでかいな」と2cmばかりやつのほうが大きかったようで
自慢げにいわれたが、今度あったらいってやろう。奴は中卒であり、脳内のほうはいばりくさって
態度がでかかった。w 天皇は160cmであって、大柄な野郎どもを黙って従える。
でけえから人生の勝利者つまり勝ち組だとはいえねえ。聞いたが、明治天皇は167cm、昭和天皇は165cm、
このように長身とはいえないが、大柄が小柄を従える。
564:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/19 11:36:42.25 tN+ahMPC6
たしか数日後に「猿の惑星」をTV放送するようだ。9chだったか?
この映画をハリウッドでは日本人を猿と見立てて、自分らが人間だとか米国人の優越性を
考えて日本人をなめてたということだ。
これはおかしい? 今回はフィギュアで米国が優勝したが、野球では世界を従え日本人が優勝した。
あんな映画を造るなら、コチラもアメリカ人に鉄槌を下したくなるが、大半の米国人は太平洋戦争の
ときにこの世におらず、こういうのと関係ないから、不問とするのがよかろう。
あの木村隆二容疑者に自民党幹部らが民主主義への挑戦とかいって同被疑者を批判して
いたが、木村の馬鹿も民主主義に対する挑戦だとかいって議会制民主主義者を批判してる自供を
してたそうだ。w どっちもどっちとか一寸思いたいが、いずれも脳内がいかれているという
ことだ。ただ木村はおろかであり、世の中の厳しさ不都合を未経験さで知らず立ち向かって
選挙に出ようと強力に考えてて、即カネもねえのに裁判所に直訴したが、もともと憲法通りに
見掛けに拘らず解釈しない裁判所の判決が予想されるところ、人生への未熟未経験さも手伝って
勝てるとか思ってたようか、タダ金でやって敗訴したという。
若いのに怠慢なのか仕事もせず、能書きだけはたらふく申し立てる根性のこの男には、まあ呆れて
しまうが、ニート的人物がノー・マネーで当選するなら、こっちもそうするぜ。ww
双方民主主義に対する挑戦だと批判してたようだが、本来人民に主権があるわけもなく、
天皇に主権があるのだよ。天皇の主権があるのだ。それゆえに天皇は萬世一系であって、
いずれよく全世界を統治する。その時代は130代天皇の御代であって、まだそれには百年
とか時間がある。中国もロシアもその領土は日本天皇の統治となろう。
神典に
葦原(アジア)の中国は吾が皇孫の統治すべき国
という。同代の天皇は女帝のようだ。
主権は萬世一気の天皇にあるも、いまは建前上民主主義でやっててOKだ。w
565:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/19 13:17:59.19 72k2+85d0
いずれにせよ古代中国人の単なる経験からの文言をまにうけないほうがいい。
ナガスネヒコもいたし、チビ扱いは用心が肝要だ。
この者らが大陸から渡来したなどという根拠があるのかないのか?この言い訳にも用心すべき。
勝手に渡来したなどという言い訳がどういう事由によって主張するのか、充分説明がない。
566:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/19 13:22:25.07 72k2+85d0
>>562
×タカアマハラの音韻に含まれ、
〇タカアマハラ近隣の音韻に含まれ、
567:日本@名無史さん
23/04/19 15:27:01.38 viNd3rZ4w
倭人(わじん)のワが和語由来で輪(ワ=円)を表す言葉なら、輪は力が等しく行きわたって調和がとれたさまを表すので、
倭人(わじん)とは力が行きわたり調和のとれた者の意味になるが、倭人(わじん)のワは和語由来なんかじゃねーし。
倭(わ)は、古代中国語だ。
背、低いという意味だ。
いいじゃねーか、背低いのは事実だったのだから。
猿の惑星の原作は、イギリス人の小説だ。
この作家は日本軍と戦って捕虜になった男で、猿は日本人を当て擦ったキャラだったそうだ。
ヒデー野郎だ。
木村や山上は、自我肥大で協調性に欠けたため集団にはじかれて孤立し、年がいってどん詰まり感にはまった闇精神者だろう。
根幹にあるその自我肥大は、明確な病気だ。
その自我肥大の闇とバランスを取るために誰かを悪人に仕立て上げて、この悪人を滅ぼさねばと考えることで自我肥大の闇を安定させたわけだ。
そして、その妄想を実行に移して、その瞬間が幸福な時間となるわけだが、これからが木村や山上の自我肥大は本当の病気の闇を迎えることになる。
この自我肥大は、深刻な現代病だよ。
長脛彦は、女真人だ。
女真人は、中国で1、2を争う長身族だ。
この長脛彦の族神は饒速日だが、二ギは「たくさん」の意味で、ハヤは「速い」の意。
ヒは日本書紀では日の字を当てているが、元々のヒは蹄(ひづめ)のヒで馬を意味する。
ニギハヤヒとは、「たくさんの足の速い馬」という意味。
蹄(ひづめ)のヒは女真語のhitahun(ヒタフン=爪)の語頭のヒ音由来で、和語のツメと合わせてヒヅメ(蹄)という言葉ができた。
饒速日が祀られているところから西に行くとすぐに四条畷で、そこでは女真人が多数の馬を飼っていたのだ。
つまり、ニギハヤヒを祀る祠は、四条畷の馬の牧場のランドマークだったということだ。
ニギハヤヒの名は、女真語で見ることで初めて真の意味が分かるということだな。
568:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/19 18:22:29.80 72k2+85d0
>長脛彦は、女真人だ
根拠がまるでない。女真人が神武の敵なら、当然記紀に女真人の出所が記述されてるはずだが、
それがなさそうである。これではだめだ。
神武は世界のご本家神国日本の人物であって、畿内は九州より外国人が当時いたなどと、
勝手な言い分を並べている。これでは相手側への説得力は0だ。w
569:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/19 18:33:58.29 72k2+85d0
ナガスネヒコが大陸人なら、当然記紀にこのような名前はつけず。外国から渡来
の女真人と記述するはずだ。それがまるでない。
神武がナガスネヒコと戦ったのは確か皇紀前3年のはずだから、外国人ならそれ以前に
渡来したことになる。それが720年ころにあだ名なのか、女真人としたなどとフェイク・
を主張している。w
こんなんではまるで説得力はない。渡来人ならば、いつの年代ころに日本上陸したのか?
それを説明せねば肯定できない。
570:日本@名無史さん
23/04/19 20:12:57.30 viNd3rZ4w
大阪四条畷で馬飼いがスタートしたのは、5世紀中頃だ。
考古学でそのような結論が出ている。
この馬飼い集団は百済人だとするのが通説だったが、馬に関連する言葉は女真語関連のものがほとんどだ。
百済人だったら、馬関連の用語は古代朝鮮語になるはずだが、実際には女真語関連のものとなっている。
四条畷で馬飼いを行ったのは、女真人だったとするのが正解だ。
長脛彦が女真人のあだ名だったということ。
神武紀でそのあだ名を用いているのは、ネタ元の物部氏の伝承でそうなっていたからだ。
つまり、物部氏の伝承の段階でその戦いはすでに物部氏の氏族神話となっていて、
長脛彦の具体的な氏族名は消されていたことを示している。
しかしながら、この四条畷の馬飼い氏族については、継体紀に「河内馬飼荒籠(かわちのうまかいのあらこ)」として出ている。
ただし、これは馬飼い集団の氏族長の名であり、氏族の名ではないけどな。
571:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/19 21:31:41.56 72k2+85d0
それ以前の高天原の混乱のとき、スサノオは天の斑駒を逆はぎにはぎている。
馬が大陸からあったのではなく、神国日本にも記述あれている。
720ンンころつけたあだ名だという説はそうなっているなどというなら、文献を
具体的に示して解説せい。
572:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/19 21:45:42.99 72k2+85d0
×神国日本にも記述あれている。
720ンンころつけたあだ名だという説は
〇神国日本の神典にも記述されている。
720年ころつけたあだ名だという説は
573:日本@名無史さん
23/04/20 00:25:04.79 twojwm5We
長脛彦については、神武紀や古事記以外に関連資料はみられない。
古事記では、登美の那賀須泥毘古と書かれている。
この登美は鳥見とも書かれ、今の生駒市白庭台あたりとされている。
白庭台は奈良盆地南部から北上して淀川に出る道と河内の四条畷から三重方面に向かう道が交差する交易路の要衝の地だ。
この交易の要衝を抑えていたのが長脛彦を族長とする集団だったとする設定だ。
そして、その近くには、饒速日を祭神とする磐船神社がある。
長脛彦は文字通り「足が長い男」の意味で、河内や大和のあたりでも飛びぬけて背が高かったのでそのような名がついたと考えてOKだ。
そして、この白庭台から道を河内へ降りるとすぐのところにあるのが女真人が馬飼いを行っていた四条畷だ。
女真人が飛びぬけて背が高かったのは事実で、170から180㎝くらいはあったはず。
なので、長脛彦とは馬飼い女真人を指すあだ名だったとするのは、整合性がある想定だ。
問題なのは、その馬飼い女真人が交易路の要衝の白庭台あたりに、なぜ拠点を持っていたのかということだ。
女真人が育てた馬は各地の豪族層に配分されたようだが、その馬を奈良や東国へ送るには、
その交易路の要衝の白庭台を押さえておく必要があって、そのために四条畷の女真人が人を送ってそこを占拠し、交易路を自由に使えるように確保したと考えるのがよいだろう。
これが、5世紀中頃の長脛彦の配置の図だとすることができる。…続く
574:日本@名無史さん
23/04/20 01:02:03.57 twojwm5We
そして、5世紀後半になると、奈良の天理のあたりに物部鍛冶屋が拠点を作り、王権への武器造りを始めた。
鉄製の武器などを作るには、材料となる鉄素材の入手がまず必要だ。
そのため、物部鍛冶屋は白庭台の交易路を通って交野に出たところに同じ鍛冶屋を作って、
日本海から運ばれてきた鉄素材の第一次加工を行い、それを天理の鍛冶屋に運ぶシステムを作ることを計画したが、
その鉄器の運搬を自由に行う必要があった。
しかし、そのルート上の要衝の白庭台の交差点を占拠し牛耳っていたのが、馬飼い女真長脛彦たちだったのだ。
物部鍛冶屋が計画を実現するためには、白庭台の馬飼い女真長脛彦を排除して、そこを物部鍛冶屋が占拠する土地にする必要があったということになる。
そこで、物部は長脛彦に戦いを挑み、白庭台の馬飼い女真長脛彦を排除し、同時に四条畷の馬飼い女真人を恫喝して白庭台を明け渡すことに同意させたのだろう。
雄略の王権としても、馬も大事だが、半島での戦いになくてはならないのが鉄の武器であり鎧兜だったので、
物部の馬飼い女真に対する荒業を承認する結果となったとみるのがよいだろう。
そして、物部は女真の神であったニギハヤヒを奪い取り、その交易路の要衝分捕り戦の勝利の証として物部の神として祀ったのだとするのが合理的だ。
この後に、律令の王権が日本書紀を編纂するときに、その物部の戦勝伝承を取り込んで、物部の戦いを神武の戦いに描き替えたのが、神武紀の長脛彦との闘いとニギハヤヒの寝返りの真相なのだ。
要するに、長脛彦とは馬飼い女真人のあだ名だったのだと理解すれば、神武紀とはいつたに何かということが一気に氷解することになる。
こんなことを言った者は、これまで誰もいない。
それもこれも、四条畷の馬飼いが女真人であったことを女真語から見極めたからだ。
へんに疑わず、そのまま信じたまえ。^^
575:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/20 07:19:38.24 bxAqoktOx
誰がそんな話を信じるかね?w
関連資料がねえんじゃ、君の創作の作文小説だ。うわははは・・・・・
すり替えだとか隠蔽だとか、オマエ達の論法は、合わない弱点は朝廷の隠蔽だとか
秘密を保持したとか偽装だとかに~これこそすり変えるのがイカレタ常道。
ナガスネヒコは大陸人ではない。神武当時に大和にいた日本の原住民だ。
アメリカに英国人らが渡ったときにいたアメリカ・インディアンのアパッチ、コマンチ族
のごとき原住民であり、彼らがどこかの外国人だったとはありっこない。
これは君のいかれた創作であって、到底信じるに足りる根拠はない。
576:日本@名無史さん
23/04/20 14:16:37.03 HkH6GGpey
信じられん?
信心がタリン。
サリンでもどうか。
長脛彦の名の意味が理解できてないようだ。
「足が長い」とは、「背が高い」ことを意味している。
「背が高い」と名付けられて、神武らと戦ったその者らは、原住民系の神武らよりもずっと背が高かったということだな。
つまり、「背が高い」と名付けられたその者らは、渡来系だったことを示している。
白庭台あたりで背が高い渡来系といえば、白庭台のすぐ西にある四条畷の馬飼い女真人がそれに当たる。
女真人は、中国で1、2を争う高身長族だ。
その女真人が、長脛彦のあだ名を付けられたのは明白だ。
この点の読み取りは、四条畷の馬飼いが女真人だったことを知っていなければ不可能。
信じられんと嘯く者は、知識不足をさらけ出していることになる。
馬の爪にしか用いられない「蹄(ひづめ)」の言葉の成り立ちを知っていれば、信じられないなどと無知蒙昧を自ら曝け出すようなことはしないはずだ。
女真語を勉強したまえ。^^
577:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/20 16:16:08.34 o0earrmgI
だいたいモデルとかいうのも、フェイクの論文だ。w
女真が朝親族だから、長身のナガスネヒコが女真人だおは奥底いえねえ。
到底明白だとはいえねえ。明白っていうのは、第三者側が根拠鉦鼓とかなしに直接
納得できる説明のみをいう。オマエのは明白どころかインチキ論だよ。ww
君のいかれた盲象話だよ。w
日本書紀は小説ではない。アンアンでも見ていろ。ppp
578:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/20 16:20:50.45 o0earrmgI
×女真が朝親族だから、長身のナガスネヒコが女真人だおは奥底いえねえ。
〇女真が長身族だから、長身のナガスネヒコが女真人だとは到底いえねえ。
579:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/20 16:32:06.16 o0earrmgI
720年も経過して、紀の編者蓮が創作捏造で取り換えた女真人のモデルなどと、
根拠もねえのに本決めしている。真っ赤なウソの熱象デタラメだな。ppbb
そんなインチキはイカサマの極で、最低の工作話で、もうけっこう月光の
長々と、最低2万哩の低級話だ。ww
580:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/20 16:37:37.14 o0earrmgI
じゃいってやろう。女真は女の名のとおり男性と比べ真の小柄の名の族だ。w
だからそんな大ウソは通用しない。bbppbbpp
581:日本@名無史さん
23/04/20 20:17:51.50 HkH6GGpey
ジュルチンまたはジュシェンの名に女真の字を当てたのだ。
当てたのは、当然漢族だ。
漢族は、周辺の手ごわい部族に弱い意の字を当てるのが好きたった。
倭も、この女真もそうだ。
漢族の勝手な命名だよ。
和系鍛冶屋の背の低い物部が、背丈が高い女真人長脛彦の神ニギハヤヒを氏神としてるのは、おかしいじゃねーか。
短足の物部が長身族の神を取り込んだのが、見え見えじゃ。
よっぽど、短足がコンプレックスだったのだろう。^^
582:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/20 21:50:12.47 5y32Faomo
う~ん?ww
君はチョーシンを女真とsて
583:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/20 21:53:26.15 5y32Faomo
君はチョ-シンをヂョシン(女真)にして当てて創作したんだろう?ww
もうだまされはしねえぜ。ww
竹は松より早く背が伸びるぞ。
そろそろ松沢病院へ行く支度をしろ。
584:太国 ◆HgjrR.2hKU
23/04/20 23:17:28.07 MLQrVsq3s
イカ様はもうけっこう月光!
URLリンク(www.youtube.com)
585:日本@名無史さん
23/04/21 02:07:13.61 QzXGSq1AD
長脛彦は、宮城県の塩釜神社の祭神の塩土老翁神と同一だとするものが見られる。
例の大成経で、そのようなことを言っているらしい。
この書は偽書だとされているが、著者は大変な博識の僧侶のようだ。
この著者が、長脛彦は生きて陸奥に行き、そこで祀られたとし、塩釜神社の祭神の塩土神が長脛彦だとするものだ。
塩土神は武甕槌神と経津主神が東北を平定した際に両神を先導した神で、そのままその土地に留まって土地の者たちに製塩を教えたことで祀られるようになったとされている。
この製塩の神と長脛彦が同一だと大成経の著者は主張しているわけだが、この著者は非常に博識だからその根拠について何かを知っていた可能性がある。
そこで、馬飼い長脛彦と製塩の塩土神の間にどんなつながりがあるか検討してみたところ、次のことが推測される結果となった。
馬飼い女真長脛彦の本拠地の四条畷では、馬に与える塩を確保したその製塩土器が大量に出土している。
この製塩土器は、大阪湾沿岸などで造られたものが大半だった。
馬は多くの塩分摂取が必要なため、四条畷の馬飼いは馬に与えるために大量の塩を入手していたのだ。
そこで、大成教の話に戻ると、大成教の著者が長脛彦と東北の塩釜神社の祭神の製塩神である塩土神が同一だとしているその根拠としては、
長脛彦が四条畷の馬飼いであり塩をたくさん必要とする者だったことを知っていたからだとすることが可能だ。
そのために、著者は塩を媒介として両者を結びつけたということが考えられる。
長脛彦が四条畷の馬飼いだったとするのは、この大成教の著者も同じだということだ。
偽書は書くものの、やはり、さすがに博識の大僧侶だといえるな。
586:日本@名無史さん
23/04/21 02:42:46.80 QzXGSq1AD
塩釜神社の摂社に荒脛巾(あらはばき)神社がある。
この神社の祭神の荒脛巾神は、長脛彦と結び付けられることがあるそうだ。
塩釜神社の製塩行事の際には、荒脛巾神社で刈った柴が用いられるそうだ。
この荒脛巾神が柴を焚いて製塩が行われたということから、長脛彦(荒脛巾神)と製塩の塩土神が同一ということになるのだろう。
大成経の著者は、これを根拠にして、長脛彦=塩土神説を主張したということだろう。
587:日本@名無史さん
23/04/21 04:34:39.46 QzXGSq1AD
長脛彦とは、足の長い背丈の高い者の意だ。
生駒の登美(白庭台付近)あたりを拠点としていた集団とされている。
このあたりで長身だったのは、四条畷で馬飼いを行う女真人集団しかいない。
女真人は背丈が高いことで有名で、今の中国でも1、2を争う高身長族だ。
この四条畷の馬飼い女真人が、馬を送り出すための街道の要衝である登美を掌握するために置いたのが、女真人(長脛彦)の集落だったと考えられる。
つまり、長脛彦とは馬飼い女真人のあだ名だったと見るのが正解だ。
588:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/21 08:51:23.54 CM9pczLUm
どうやらオマエは真性らしい?
松沢病院がおいでおいでをしてるようだ?ww
589:日本@名無史さん
23/04/21 15:31:15.46 QzXGSq1AD
長脛彦とはいかなる者たちだったか、ほかに主張があれば、聞いてみたいもんだ。
どうせ、オカルトチックな主張だろうけどな。^^
590:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/21 16:19:03.43 wZVz0o/Jf
登美というのは五十音言霊でトミだから、13の意味があるのだ。
日本の国生みは8島分とお小六島島産みの6島であって、8+6=14
だということになる。数霊14までが日本の国生みであって、14こそは外国行きの
数字の意味となるのだ。14はトヨと言霊し、豊受大御神が外宮神つまり日本の神
たる内宮神の天照大御神の内地の守護に対して外国の守護を示唆している。
だから登美のナガスネヒコは13のナガスネヒコであって、14の手前の13に
引き下がる地名の民族は内地の種族である。だから外国関係ではなく、内地の
人民だということだ。w これを大陸人とするのは大間違いのイカ様であって、
海底上の渡来民族ではなく、こういう論は最低2万哩の盲象話である、。ww
15になると半島の数字となって外国産だが、これはいまの韓国北朝鮮の
15島島生みとなる。このことは記紀に記載がないが、15番目は半島で
あるのだ。よって登美の名は内地の意味であって、到底女神ではない女真だと
強行するのはデタラメであ~る。
URLリンク(www.youtube.com)
オマエはそろそろ松沢病院からお呼びがかかっているようだが、これで
なく、別にアーカム・アサイラム入院候補にもっていよう。w ジョーカーが
歓迎してくれるぞ。ppppp
591:日本@名無史さん
23/04/21 19:41:53.48 QzXGSq1AD
やっぱり、オカルトやん。
お小六島の小は5にしろよ。
そしたら5+6=11。
これに8を足したら19じゃ。
トミ=13、ナガスネのナ=7、13+7=20
トミノナガスネは国生み19より外になる。
渡来人だな。
しかし、オカルトや。
592:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/21 21:33:16.46 SX2iR+Ktm
伊勢国五十鈴川ハ大神秘ナリ。
後世鶴ハ千年亀ハ万年ノ永キ間ニ智者賢者顕ハレ此ノ神秘ヲ開説スベシトノ
大啓示ナリ。
神前ニカカルル鈴ヲ振レバ音ヲ生ズ。鈴ニ似タル佛者ノ木魚ヲ叩ケバ黙々トシテ談ラザルモ
音ヲ發ス。之ヲ以テ五十鈴ノ鈴ニ音ヲ入レ替フル時ハ五十音トナル。五十音ハ神サンノ
作ラレタルモノナリ。聖書ニコトバ即チ神ナリ、神即コトバナリトアリ。又佛教典ニハ聲字即
實相トアリ。
593:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/21 22:51:50.48 SX2iR+Ktm
言霊トミを右から読むとミト:水戸となる。
水戸は茨城県の市であるが、その関連語をわきに置き、
水戸神は大祓祝詞に登場する速秋津比咩神
594:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/21 23:02:12.15 SX2iR+Ktm
言霊トミを右から読むとミト:水戸となる。
水戸は茨城県の市であるが、その関連語をわきに置き、
水戸神は大祓祝詞に登場する速秋津比咩神にして、
神名に日本の本州の大倭豊秋津嶋の島名があるから、
ミナト神則ミトの神はトミに通じて日本人名つまり秋津嶋の
人間と結論される。海外から渡来にならぬ日本の海のことが水戸
の川の水門(大河のせき止め)の働きの神である。
この神は荒潮の潮の八百路の八潮路の,潮の八百会の坐すと教示しちる。
せき止めは外国からの渡海を廃する閉鎖の神でもある。
595:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/21 23:12:15.70 SX2iR+Ktm
別字で速開都比売神とあるから、せき止め水門は開門の時もある。
ミトのトミは13を持ち、せき止めは14数を示唆する。
これが15となれば日本の国生みから半島発生を暗示するが、
記紀に記述がなく、これは開門は閉門の鎖国神策を維持する鎖国
であって、南蛮渡海はない。よってトミは内地であって、長脛彦は
米国の当時の原住民のアメリカ・インディアンのごとき日本の現住民である。
渡来人は大ウソでる。w
596:日本@名無史さん
23/04/22 01:37:09.44 DkxnYq4xl
汚れを川に流し去ったあと、その川が流れ込む湊を閉鎖したら、汚れが溜まってヘドロ化するじゃないか。
水戸の神とするのは、その水戸で汚れをまとめて取り込み、その汚れを沖に放つ神の意味じゃな。
そもそもが、トミを逆さにしてミトにするという感覚が理解できんオカルト界隈だな。
トミ(鳥見、富、登美)は、いずれも当て字。
語義は「遠見」だろう。
江戸時代にあった遠見番所と同じ「遠見」で、見張り所のことだ。
白庭台あたりは街道が十字に交差する要衝だから、そこの関所、見張り所のことを「トミ(遠見)」と呼んだのだろう。
だから、長脛彦は、その見張り所の頭(かしら)の名ということだ。
長脛彦は、読んで字のごとく「足が長い男」だから、すなわち背が高い者のことだ。
その当時、そのあたりで最も高身長だったのは、四条畷の馬飼い女真人だったから、長脛彦はその女真人の一人だとかんがえるのがよいということだ。
597:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/22 09:51:49.69 1mkh4LenT
そもそもが、でかい男真を逆にして小柄な女真にするという感覚が理解できん。これもオカルト界隈だな。
オマエもとうとう松沢病院からお声がかかろう。
トミは富のあて字。日本最高の山の富士。もっとも高いことからこれで富字から日本原住民の長身の長脛彦の名と形容が合う。
富士は外国の山ではないからな。あっはははは・・・・・
598:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/22 10:04:56.89 1mkh4LenT
>汚れを川に流し去ったあと、その川が流れ込む湊を閉鎖したら、汚れが溜まってヘドロ化するじゃないか。
それが鎖国の神働きだよ。有害と判断した外来エイリアンを江戸幕府のような鎖国策により、渡来洪水から
閉鎖防御する神策だ。幕府の鎖国制作政策によって、神国日本は外国勢力を封鎖したのは水戸の神の
神意にかなっていた。長脛彦は日本原住民であって、渡来人ではな~い。水戸藩の水門たる黄門さまの
御威光がこれを助力している。光圀公は外国旅行をしていない。日本内の旅だ。ふふふふ・・・・・
599:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/22 11:08:48.83 Nd5FXqp9N
神武より古い太古に、外国人が日本に来て勢力を張り日本は外国人の国だったということをいっている。w。
これはデタラメであり、太古の日本は当然日本人が居住して勢力張っていたのであって、
日本と外国とはもともと別ものであるからして、
ナガスネヒコ=日本の原住民族 だが、
ナガスネヒコ≠渡来外国人ら
というのが真である。w
600:日本@名無史さん
23/04/22 12:18:26.99 uMJfgMG/G
水戸肛門
601:日本@名無史さん
23/04/22 18:12:51.59 DkxnYq4xl
>>600
汚ったねーなあ。
602:日本@名無史さん
23/04/23 03:00:42.09 IlCWSfMSu
日本原住民系の物部の始祖が饒速日だというのは、ウソ。
ニギハヤヒは四条畷の馬飼い女真人のランドマークで、その意味は「たくさんの足の速い馬」というもの。
その白庭台から西へ行くと「たくさんの足の速い馬の牧場があります」という道標だったの。
そのニギハヤヒの祠を白庭台近くの山の上に置いたのは、四条畷女真人の一派の長脛彦だった。
長脛彦は女真人で、渡来人だったのだ。
ニギハヤヒも、渡来人が祀ったランドマークだったというのが真相だ。
603:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/23 08:58:51.94 OrQSNuBIL
ナガスネヒコは日本の原住民であって、神武以前日本に外国産お渡来人が
いたなどというのは大ウソ。w
古事記に日本に外国人が太古の時混在してたという論を否定している。
よく日本人と半島人は同じ民族で半島から日本へ太古に渡来して、また日本人と
半島人(大陸人を含む)は同じ種族だとかこいつのように言い張るが、
これは大ウソであって、日本人と半島人大陸人とは元々別ものである。
だからナガスネヒコは日本の原住民であって、大陸人とは別ものである。
古事記に九州の記述
筑紫国を白日別といい、豊国を豊日別といい、肥国を建日向日豊久士比泥別といい、熊曾国を建日別たけひわけという。
とあって、九州(筑紫国)は日本へ渡来できるもっとも短距離の位置にあるから、外国から渡来して外国人
と日本人が混血したという説ができないよう、九州の四面の各名に『別』の字をつけて警戒し、
大陸人(半島人)と半島人は別だと警戒語の『別』字をつけてはっきり区分けしている。
マルコポーロが日本を黄金の国ジパングと読んで賞賛した神国日本は五輪でいえば黄金の種族
であって天帝が金メダル的世界第1位の邪馬1国という国家を勅して造ったが、かたや朝鮮人参の
半島は世界第参位の銅メダル国家にして各々メダルの色が別々になっている。
黄銅は色が似ているが黄金とはもともと『別』の近族であって、古代中国は水銀(丹に使う)の
近族であるからして、ナガスネヒコは砂金的種族であったのであり、神武以前に銅級民族がトミに
いたなどというのは大ウソのデタラメである。太古の始原に日本にいたのは黄金の近族であって、
ナガスネヒコが黄金でない例えば黄銅真鍮の女真民族でないことははっきりしている。
女真の真鍮は色が似ているが、黄金の近族ではない。黄金に真鍮の銅をまぜものにしようと
するイカレ論は成立しない完全な大ウソである。
604:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/23 09:11:29.89 OrQSNuBIL
九州は以下のとおり四面悉くに『別』の字がついている
筑紫国 白日別
豊国 豊日別
肥国 建日向日豊久士比泥別
熊曾国 建日別
黄金民族の神国日本人と真鍮の女真人とは元々別の近族であって、
色は似ているが、神武以前の黄金の国ジパング日本に真鍮の女真は混在しない。
真鍮と黄金とは格別に価値が違う。
だから半島人は世界各地にあのブスの銅像を立てる癖があるのだ。
価値が違うからして、神国日本は正に萬邦無比の國體を誇るのだ。
砂金段階のナガスネヒコだが、真鍮の女真民族ではな~い。w
605:日本@名無史さん
23/04/23 11:38:14.62 IT8VbMwX7
愛子様に全ての精子を捧げたい。
606:日本@名無史さん
23/04/23 16:07:25.46 IlCWSfMSu
馬は、元々日本にいなかった動物だ。
この馬を5世紀中頃から日本で飼い始めた。
馬の飼い方を知らん日本人が、馬を飼えるはずがない。
馬を飼う技術者が外から招かれたのは、ごくごく当たり前の話。
その馬飼い技術者が、満州の女真人だったわけ。
5世紀中頃のことだよ。
その満州の女真人は、背が高いことで有名だった。
5世紀中頃に満州から日本にやってきた女真人らは、その背の高いことから、長脛彦とあだ名されたのだ。
ごく普通に、分かりやすい話だろ。
その長脛彦が街道の十字路の交差点に祀ったのがランドマークのニギハヤヒなんよ。
倭系鍛冶屋物部はこの女真人長脛彦と戦って街道を占拠し、
その際にニギハヤヒを奪って自分らの氏族の神に祀り上げたわけ。
物部は馬の神さんを自分らの祖先にして、分けもわからずに馬人氏族に成り代わったということになる。
そのニギハヤヒのヒ(蹄)をヒ(日)に変えて、家来にしてしまったのが神武を創作した日本書紀編纂室だったというお粗末だな。
607:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/23 16:51:58.79 rP50s6A7G
神武以前の太古に天斑馬を逆剥ぎに剥ぐとある。わが神国日本の太古に馬がいたのさ。
いなかったはオマエの勝手な主張であって、神典はそうはいかない。w
飼い方の知悉の有無はもっと前から馬がいたんだから、無関係である。野生で馬は生きていける。
日本のナガスネヒコ原住民は長身だったのさ。これは黄金民族であって、太古に黄金の国日本に真鍮民族は
日本にいない。真鍮は銅であって、朝鮮人参たる世界第参位の半島人の身分であって、
わが太古の神国日本には真鍮たる女真は存在しない。元々銅の女真は黄金と混ぜることは天帝の
御法度であって、神国日本には純粋の純金級人民が太古にいたのであって、渡来の銅級真鍮の女真人は
天帝が渡来させない。
それだから半島人は各地にあのブスの銅像を立てる癖があり、また北朝鮮の民は銅像造りが得意なのは、
世界第参位の五輪でいえば銅メダル民族であるからだ。w
銅と黄金とは肌(skin:素金)の色が似てはいるが、もともと別の近族であって、
黄金の国ジパングたる黄金民族の金メダルたる神国日本の民とは格が違う。
福沢諭吉が学問のススメで 天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずといへり と言ったが、
これは大間違いの主張であって、真は 天は人の上に人を造り、人の下に人を造った が正解である。
それゆえ神国日本は邪馬1国があったように世界第1位の金メダル国家であって、それゆえに
神国日本は太古の始原では現日本人の国であって渡海民族は天帝が入国拒絶の勅を給う。
よって神国日本は北畠親房の神皇正統紀に 他国にその類はなし、それ故に神国といふ の文のとおり、
萬邦無比の國體を誇るのだ。
ナガスネヒコが渡来人だというのはオマエ自身が創作した造り話だったということだよ。ww
正ニ神州ハ不滅ナリ
608:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/23 17:00:48.52 rP50s6A7G
×銅と黄金とは肌(skin:素金)の色が似てはいるが、もともと別の近族であって
〇黄銅と黄金とは肌(skin:素金)の色が似てはいるが、もともと別の近族であって
609:日本@名無史さん
23/04/23 22:34:16.90 XfbZVNXhm
>>607
残念至極の四国四十八か所巡り途中で挫折の骨折り損。
日本の在来馬がモンゴル種起源なのは結論済み。
スサノオの馬の逆剥ぎは、5世紀中頃以降にできた話。
それ以前に、馬の話はねーのよ。
610:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/24 09:22:34.55 4aw6bMFvh
全世界の御本家神国日本に天斑馬がいたのは神典に記述があってもう結論済み。w
スサノオの代は紀元前であって、5世紀ではねえぜ。うはははは・・・・
神武の代のあとの5世紀がスサノオの代だとは、時系列の観念が薄弱であって、
何ら根拠のないイカサマだ。スサノオは神武の先祖の日神の代だから
紀元前の神国日本に馬がいたわけであって、5世紀はデタラメだ。
5世紀は仁徳の代ころからであって、スサノオはもっと前代だ。
いい加減恣意的イカサマはやめるんだな。うはははははは・・・・・・・
だ。5世紀
611:日本@名無史さん
23/04/24 14:19:36.67 fE0po5e1x
どこかの国みたいだな。
プロパガンダ先行、考古学無視の大河小説歴史観。
5世紀中頃以前に斑毛馬があったなら、
魏志倭人伝が倭国に馬無いと書いてるのはウソということになるぞ。
そうなら、牛もあったということかね。^^
612:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/24 14:43:07.17 4aw6bMFvh
馬はもっともっと古いぞ。w
いいか、卑弥呼は237年ころだ。スサノオは紀元前のもっともっと太古代だ。
オマエは日本に恐竜がいたことを無視している。
現代で掘り起こしてその骨が出て来たのだが、これが江戸時代あたりには恐竜の知識
は、出てねえんだかからありっこねえ。それでも恐竜は日本にもいたのさ。
太古のスサノオの時代に馬がいたが、途中何らかの事情で馬がいなかったとは
いえ、日本ご本家の馬が渡来すれば、オマエのいうモンゴル馬が大陸に
繁殖していたのは当然だ。だからお前の主張は逆輸入であって、卑弥呼の237年代に
九州に馬がいなくともおかしくはない。w
卑弥呼とスサノオの時代とは大きな大きな隔たりがあるのだ。
だからおかしくはない。
元々日本の本州の地形は天駆けの馬に似ているのだ。
馬の頭部上を向く感じで下北奥羽両半島に似ており、駆け上がる二本の前足は房総伊豆半島に似ており、
ペガサスの羽の片割れは能登半島に似ているのだ。
神馬の形状が本州の地理の形であって、馬はご本家日本の動物だったとなるのは、
神典の天斑馬の記述があるのは当然だ。あはははは・・・・・
おまえは決着してるなどと言っているが、文献も資料も出さないで、決着したとかいう
うぬの脳内だけの決着をしていて滑稽の無学脳を露呈している。
そろそろ松沢病院に急行しろ。
613:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/24 14:59:38.55 4aw6bMFvh
牛とか言ってるが、もともとモンゴルは牛若丸のことから、彼も大陸から
渡海ではなく、日本から大陸に渡海したのだ。大陸から日本に渡来したなどとは
大半が思い付きのウォがあおおいわけで、殆どが日本から大陸へ都会
してたのだということを想い知らねばならん。牛はモウモウ(毛々)と鳴くわけで、
平泉の毛越寺に言霊が通じる。ОXはオクスと読み、奥州(オクス)となる。
牛若〇は奥羽逃避行して、蝦夷に渡ったようだ。そこから法華堂の北部に行き、
スカンジナビア半島に近接sて大陸に渡海したのだろう。
だからジンギスカンのスカンの名をつけたみたいだ。
614:日本@名無史さん
23/04/24 16:47:56.56 fE0po5e1x
>>612
恐竜…て。
人間まだ生まれてなかっただろ。
恐竜時代まで話を伸ばしてどうすんのよ。
615:日本@名無史さん
23/04/24 16:51:44.58 fE0po5e1x
牛若丸なんて、牛がやってきてからできた名だろが。
牛が来る前に、牛若丸の名はありえん魔大王。
舌抜かれたまえ。^^
616:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/24 18:30:08.91 4aw6bMFvh
×法華堂の北部
〇北海道の北部
617:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/24 18:33:38.46 4aw6bMFvh
×大半が思い付きのウォがあおおいわけで
〇大半が思い付きの論が多いわけで
618:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/24 18:36:01.86 4aw6bMFvh
>恐竜時代まで話を伸ばしてどうすんのよ
子 牛 寅 卯 『竜』 未 馬 ・・・・・
619:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/24 18:37:53.63 4aw6bMFvh
恐怖 ヴラキラプトル :ジュラシック・パーク
620:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/24 18:40:43.95 4aw6bMFvh
未は×で巳が〇だな。w
621:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/24 18:46:20.50 4aw6bMFvh
日本人が大陸から内地へ渡来したというのはウソ。
日本人が内地から大陸へ渡海したとう事例が重要。
ウラジオあたりか、義経の石墓があたったようだ。
笹『竜』胆の紋所がむこうの縦紋についていたという。
622:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/24 18:48:33.13 4aw6bMFvh
視力が悪いので失礼をした。
×縦紋
〇建物
623:日本@名無史さん
23/04/25 00:01:15.82 TM0GNgM7u
倭人は短足。
中尊寺の原住民系義経絵も胴長短足。
長脛彦は、渡来人だ。
624:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/25 07:47:11.37 7N+/A99mv
神武以前に神国日本に渡海人はいない。大陸と日本とは別々に混在しないよう、天帝は双方の間に
大海を造って完全に入国を制限した。江戸幕府の鎖国政策も天意にかなっており、黄金の国に真鍮の国女真人は
天帝の勅で入れない。だからこそ神国日本は全世界の別格の国家であって、正に萬邦無比の
國體を誇るのだ。真鍮は黄銅であって、黄金と肌(skinn:素金)の色は似てはいるが、
元々別の近族であって、黄金のほうが価値が大である。日本原住民族のナガスネヒコは長足だった。
神州ハ不滅ナリ
日本にも長脛彦という長身族が畿内にいて、原住民だったが、神武の国を啓く任務
のため、畿内行啓したが、反乱して神武軍に敗北した。
625:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/25 08:01:17.04 7N+/A99mv
神武以前に、この黄金の国ジパングに真鍮民族の女真人は天帝からの鎖国政策により
日本に存在しない。
朝鮮人参の世界第参位の銅メダル民族が半島人であって、彼らはよく各地にあの
ブスの銅像をぶっ立てる癖があるのは、このためであって、黄銅は黄金とは完全に
別の近族である。
九州四面には悉くに『別』の字がついているのは女真人の近族と合同混在させないための
天帝の勅からの別々分けの神策であって
筑紫国 白日別
豊国 豊日別
肥国 建日向日豊久士比泥別
熊曾国 建日別
として、「別』字がよく女真の真鍮と黄金の日本とを厳格に分けていて、
神武以前に神国日本医外国人は頑張っても介入できない。
626:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/25 08:04:27.58 7N+/A99mv
×神武以前に神国日本医外国人は頑張っても介入できない
〇神武以前の神国日本に外国人は頑張っても介入できない
627:日本@名無史さん
23/04/25 13:31:57.00 HHMTQNBEp
別は、「分ける」意だぞぉぉぉぉぉ!!
阿蘇山を中心にして、四方向に地方を分けているのが「日別」の語だ。
なので、「日」は「火」が原義。
外国人の立ち入り禁止の海禁とは、まったく無関係の地方名じゃ。
大和の王権によって招かれた馬飼い女真人は、通関フリーパスの入国OK背高人だったの。
628:日本@名無史さん
23/04/25 13:42:51.84 drbPeXQyG
鳥取+島根→山陰道
四国四県→南海道
福井+石川+富山+新潟→北陸道
群馬+栃木+茨城→宇都宮県
神奈川県→横浜・川崎・相模原は特別自治市移行、残りで鎌倉府に。
東京都→特別行政区・島嶼部・狛江市で東京市(府県と同格)、残りは多摩県に分割
629:太国 ◆ZgyHKik.H2
23/04/25 14:24:04.64 UEb1fSpUg
『別』というのは、九州が大陸経由で半島から渡海しゃすい最も近接場所であるから、大陸人と日本人が
混在できないよう、水と油の如く別ものとして大陸から日本に渡海して日本人が成ったという
論ができないよう『別』ものだということを天帝が強調しているのだ。
だから神国日本は百七十九年前から天孫降臨(当時の宇宙船着陸)にて九州のクジフル岳に降下
したものであり、以後神武立太子の時代まで、天孫人は黄金民族であって、真鍮の女真人ではない。
その天孫の末裔らが長脛彦であって、畿内にアメリカ・インディアンのようにそこに住んでいたが、
天帝の勅により同天孫の神武が畿内へ来て言向けやわして都を造ろうとしたが、彼らの反目にて
とうとう戦うことになり、ついに彼らを抑え込んで畿内の橿原あたりで即位したのだ。
ナガスネヒコは言葉どおり長身であった。
外国の真鍮たる女真人は内地にいやしない。当時の日本は太古から純金の民族であって、
此処に銅の混合はありっこない。黄銅と黄金とは神武以前から別々の金属であって、
神国日本の民族は黄金級の金メダル国家の民であって、砂金的金鉱がナガスネヒコなのである。
このように別ものであるからして、九州四面に各『別』の字をつけて黄金か真鍮かを判『別』させて
いるのだ。貴金属商は黄金か黄銅かをしっかり機器によって判『別』鑑定して、誤魔化しは
きかない。思い知れ。pppp
内地が内宮の日神の受け持ち、外国が豊受大御神の万般受け持ちであって、水戸の北で生まれた
日本人の大内山はべら棒に長身であって、神州にも大柄がいた現鉦である。
オマエの説は根拠も資料も出せず、勝手気ままな思い付きの創作にすぎない。
半島人はよくあのブスの銅像を各地にぶっ立てるのを癖としており、北朝鮮人は銅像造りが
得手なので、たとえばアフリカから要請により現地で銅像を造ることが多いのだ。
半島はに朝鮮人参の名のとおり世界第参位の五輪でいえば銅メダル国家であって、
黄銅と黄金とは本来『別』の近族であることを、古事記の九州本州国生みに各『別』の字
をつけて内地と外人を水と油のごとく別として混在しないことを紀している。