邪馬台国四国説 part3at HISTORY邪馬台国四国説 part3 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト56:日本@名無史さん 19/06/22 06:49:59.79 .net ついに「陸行一月」の謎が解けたyo! 1.西晋司馬懿(秀吉)は明帝曹叡(信長)の後見人指名がなければ皇帝になれなかった(大恩人・明帝が特別厚遇した倭国王卑弥呼)→明帝曹叡の(自分を後見人に選んだ)聡明さを強調したい。 2.魏の帝都・洛陽から見て呉との戦いにおいて最高の牽制となる背後にあるためには、倭国「女王之所都」が 蘇州の「東治(シ・さんずい)」ではなく、そこから更に約580㎞南の福州の「東冶(ン・にすい)」の東の海上にある必要(読み手にそう思わせたい)。 3.しかし本当の位置も残さなければならない。 4.倭国の気候&風俗(服装、産物、動物、武器)は、南越(ベトナム)国境にある海南島の大陸側、儋耳・朱崖に似ている。 そこで陳寿が考案した苦肉の策が、九州島(倭国)が海南島(儋耳&朱崖)まで届く、中国大陸の沿海部の沖合をすっぽり包み込む南北に長大な「一つの山島」であるように思わせるテクニック。 まず、帯方郡からの放射描きで、正解の【1.奴国ルート】と、喧伝したい「當在会稽冶之東」に合わせた【2.邪馬台国ルート(幻)】を設定。 次に「奴国」を2回使って「女王之所都」が「奴国だよ、奴国だよ」と正解の【1.奴国ルート】を暗示しつつ(ダチョウ倶楽部「押すなよ、押すなよ」←2回目の念押しがポイント)、 九州島が南北に「陸行半月」であることを倭人から聞き「夷人不知里数、但計以日(7世紀隋書倭国伝)」、 それを南に2倍して東シナ海に浮かぶ幻の九州島(南部)を付け足し、「陸行一月」として、【2.邪馬台国ルート(幻)】を創り、福州「東冶(ン・にすい)」の東に「女王之所都」を合わせた。 同時に倭国に行ったことがある中国知識人には「陸行一日(奴国)」の間違いとすぐに気が付くようにもした(「日」の両端の棒を延ばし日+Л→「月」)。 ちなみに卑弥呼は奴国王帥升(上皇明仁)の男系女子(孫娘)で、北部九州30カ国から共立された繋ぎの女王(愛子内親王)。 邪馬台国七万戸=奴国二万戸(福岡平野)+(狗奴国に狙われた)後背地・筑紫平野五万戸。 帯方郡→※南「水行十日」(倭国沿岸)+東&南「水行十日」=南「水行二十日」…投馬国ルート 帯方郡→※南「水行十日」(倭国沿岸)+「陸行半月」(実際の九州島)+「陸行半月」(幻の九州島)=南「水行十日陸行一月」…邪馬台国ルート 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch