邪馬台国四国説 part3at HISTORY邪馬台国四国説 part3 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト150:日本@名無史さん 19/06/29 18:05:10.57 .net 古代に下りますと,都を起点に諸方に陸上交通である宿駅が整備され,駅路すなわち国道がつくられていきます。 阿波でも鳴門の撫養から讃岐・伊予・土佐に抜ける南海道と呼ばれる国道があり,それ以外に阿波国から土佐国へ通じる駅路の国道があります。 151:日本@名無史さん 19/06/29 18:25:16.98 .net おおよそ現在の国道55号線沿いに阿南市から海陽町までの海岸沿いを,奈良時代初期の養老2年(718)に設置され, 平安時代初期の延暦15年(796)に廃止されるまで,水上交通路と並行して多くの港や津を経て延びていたのです。 152:日本@名無史さん 19/06/29 20:38:24.31 .net 畿内地域の古墳の石材調査が進むにつれて、倭国(阿波)の結晶片岩を石室や葺石に用いた前期古墳の事例が増加してきた。 153:日本@名無史さん 19/06/29 20:48:43.73 .net 大阪府の「闘鶏山古墳」、「将軍山古墳」、「鍋塚古墳」、「牧野車塚古墳」、神戸市の「西求女塚古墳」などが典型例だ。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch