(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島)at HISTORY
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) - 暇つぶし2ch450:日本@名無史さん
19/02/05 12:31:51.87 .net
福岡県とは昔に「おかの縣」と言われてたらしい
のですが
ルーツや語源はなんでしょう?
わかるかた居ましたら教えて下さい
 
私が妄想で考えたのは
牡鹿の縣ですけど
笑われるかな

451:日本@名無史さん
19/02/05 13:35:40.99 .net
>>435
那珂の縣だよ

452:日本@名無史さん
19/02/05 15:19:53.46 .net
崗県は筑紫岡田の宮のあるところで、小倉、現在の北九州市です。

453:日本@名無史さん
19/02/05 15:36:52.55 .net
>>435
ご希望どおりに
                 .____
               ../_ノ  ヽ、_\ 牡鹿の縣wwwww
         ,. -- 、,  o゚((●)) ((●))゚o  ,. -- 、
     ,.―<,__    ヽ:::⌒(__人__)⌒::: /    __,>─ 、
    /          ヽ  |r┬-|   /          ヽ
   __|            }.  | |  |  {            |__
  / ヽ,       /  {   | |  |   }  \       ,丿 ヽ
  {    Y----‐┬´   、. | |  |  /   、 `┬----‐1    }
 /'、   ヽ    |ー´   ヽ, | |  | /   `¬|      l   ノヽ
 {  ヽ  ヽ    lヽ_!´   ヽ`ー'ォ./    、 !_/l    l    /  }
 ',   ヽ  ヽ    ,/     }   {       \     l   /  ,'
  ヽ  ヽ  、,__./      /   .\      ´`ヽ.__,ノ  /   ノ
   \  ヽ__/,'    _ /       \     ヽ、\ __,ノ /
                          ̄ ヽ、_  〉 ,!、__/

454:日本@名無史さん
19/02/05 16:30:52.45 .net
>>437
遠賀川河口だよ小倉は入ってない

455:日本@名無史さん
19/02/05 17:17:46.90 .net
小倉は豊前だし

456:日本@名無史さん
19/02/05 17:25:50.90 .net
遠賀郡の西部で
初期の武器形青銅器の副葬がみられる
石棺墓が主流の先着の海の民の巣ですね

457:日本@名無史さん
19/02/05 17:26:08.26 .net
岡湊神社のある芦屋でFA

458:日本@名無史さん
19/02/05 17:28:10.04 .net
岡田


459:宮は福岡県北九州市八幡西区岡田町



460:日本@名無史さん
19/02/05 17:32:56.62 .net
岡湊神社は福岡県遠賀郡芦屋町船頭町

461:日本@名無史さん
19/02/05 17:46:54.37 .net
「遠賀」の古い読みが「をか」なのですと

462:日本@名無史さん
19/02/05 17:48:37.69 .net
どっちも流域でいいだろう。

463:日本@名無史さん
19/02/05 17:52:13.92 .net
流域というよりは懐のふかい汽水湖ですね

464:日本@名無史さん
19/02/05 18:10:23.84 .net
>>445
最も可能性が高い

465:日本@名無史さん
19/02/05 19:11:43.09 .net
牡鹿はないかなあ
男鹿とか、龍の角に似てるし
昔は九州には鹿が沢山いたみたい 
鹿を神様の使いとみて、鹿のつのを宝のように
思っていたかも
うろ覚えだけど、宗像神社だかどこだったかの
宝物殿には鹿の角が沢山あるらしい
私が言ってる昔は、勾玉や玉の流行るまえの
話ね
以上全て妄想ですwww

466:日本@名無史さん
19/02/05 19:17:18.60 .net
>>449
妄想するなら何かしらの根拠がほしいな
「たしか・・・」とか「うろ覚え・・・」とかじゃなく

467:日本@名無史さん
19/02/05 20:28:20.13 .net
妄想だけで楽しいし
とんぼの国ってどんな意味?  

468:日本@名無史さん
19/02/05 20:32:50.73 .net
>>451
妄想するだけなら頭の中だけでやってろ定期

469:日本@名無史さん
19/02/06 18:31:22.05 .net
とんぼの国
とんぼは横に飛べない
真っ直ぐに飛び獲物を捕獲するイメージ
戦士や狩人のイメージ
秋津トンボみたいに朱を塗ってたのかな
古代の歌にトンボでてくるけど
全部のトンボの意味が豊作や雅さ
を歌ってるとは感じない
これも個人的な妄想かな

470:日本@名無史さん
19/02/06 18:37:33.82 .net
もうひとつ聞いてみたいんですが
倭人伝で対馬が南北に商いして食べ物を
買っている様な部分ありますでしょ
これ対馬の人は何を代価としたのでしょう?
まさか海産物じゃあるまいし
代価、これもしかして鹿の角?

471:日本@名無史さん
19/02/06 18:39:31.60 .net
違法な薬でもやってんの?

472:日本@名無史さん
19/02/06 19:19:27.91 .net
>>440
小倉も遠賀川流域も物部氏の支配地域
筑紫贄田物部(つくしのにえたのもののべ、推定所在地は鞍手郡鞍手町新北)ニギハヤヒの出身地か
筑紫聞物部(つくしのきくのもののべ、推定所在地は北九州市小倉北区、小倉南区、門司区一帯)

473:日本@名無史さん
19/02/06 19:24:29.00 .net
物部とつく地名は多く、その全てが饒速日に関連しているわけではない。

474:日本@名無史さん
19/02/06 19:26:31.46 .net
いや対馬国は何と米?を交換してたのか
ときいてん
お金はないだろうに

475:日本@名無史さん
19/02/06 19:33:14.20 .net
>>454
海産物でしょ。自前の交易品はね。
あと、交通路のど真ん中にいるので、通過マージンを独占できる。
鉄原料→壱岐対馬の言い値 →日本側は逆らえない
翡翠絹→壱岐対馬の言い値 →半島側は逆らえない
壱岐対馬を領有する勢力が最強

476:日本@名無史さん
19/02/06 19:34:09.18 .net
そこを抑えるために大率を伊都においた。
つまり、上がりは全て卑弥呼のもの。

477:日本@名無史さん
19/02/06 19:42:22.27 .net
北部九州はもともと女系文化も強いから、男系の本貫とは限らない。

478:日本@名無史さん
19/02/06 20:02:24.85 .net
現代世界でも同じ。
資源国よりも加工貿易国(技術料を上乗せ)のが経済利益は上。
そしてさらにその上に流通アマゾンが


479:来た。 流通を支配すれば輸送代だけで巨大な利益を手にできる。 弥生時代の壱岐対馬なんて代替ルートがないんだから最強。



480:日本@名無史さん
19/02/06 20:06:12.06 .net
海人族ほっくほくやな

481:日本@名無史さん
19/02/06 20:13:06.26 .net
自分が何も作らなくても手数料だけで莫大な利益が入ってくるからね。
そしてその利益こそが生活を維持する手段なのだから、
対馬海峡渡海技術は秘中の秘。
魏使は少なくとも対馬海峡部分は倭船で渡海した。

482:日本@名無史さん
19/02/06 20:33:53.00 .net
男系の天津神(対馬海峡勢力)と女系の国津神(博多湾勢力)を統合したのが卑弥呼。

483:日本@名無史さん
19/02/06 20:55:40.57 .net
その対馬海峡の航路について述べた魏志倭人伝は、当時にしてみれば極めて重要な資料だったはず。
適当な数字を当てはめただけなどということはない。

484:日本@名無史さん
19/02/06 21:01:59.57 .net
>>465
妄想に過ぎない

485:日本@名無史さん
19/02/06 21:04:58.84 .net
商売の航海ルートは秘中のヒミチュなの
だから数字や方角は正確には教えて貰えなかった

486:日本@名無史さん
19/02/06 21:40:48.21 .net
『三国志』魏書東夷伝弁辰条の「国出鉄韓濊倭皆従取之諸市買皆用鉄如中国用銭又以供給二郡」,同倭人条の「南北市糴」の記事について,対馬・壱岐の倭人は,コメを売買し,鉄を市(取)っていたと解釈した。
斧状鉄板や鉄鋌は鉄素材で,5世紀末に列島内で鉄生産がはじまるまで,倭はそれらの鉄素材を弁韓や加耶から国際的な交易によってえていた。
鉄鋌および鋳造斧形品の型式学的編年と分布論から,それらは洛東江流域の加耶諸国や栄山江流域の慕韓から流入したものであった。

487:日本@名無史さん
19/02/06 22:22:17.24 .net
>>467
日本語の名称の意味を考えれば当然の解釈ですよ。

488:日本@名無史さん
19/02/07 07:00:33.17 .net
>>469丁寧にありがとうございます
確かに倭人伝の頃は鉄だったのでしょう
でも鉄の交易より前に、両国の往来は
なかったのでしょうか
玉や銅やその他の時代もあったはずですよね

489:日本@名無史さん
19/02/07 09:33:42.27 .net
>>469
URLリンク(doi.org)

490:日本@名無史さん
19/02/07 18:56:38.05 .net
>>470
馬鹿だなぁ

491:日本@名無史さん
19/02/07 20:42:14.23 .net
とうとうニュース速報+きたな
【邪馬台国山門説】筑後に伝わる古代のロマン 
卑弥呼・磐井の足跡たどる特別展開幕 九州芸文館   
  
みんなのレスを読むのが楽しみ

492:日本@名無史さん
19/02/08 02:55:33.75 .net
東征とは何だったのだろう
各地に出向いたのではなく
福岡にいた豪族や地域住民と神社関係者を
引っ越しさせただけだったのでは?
集団島流しみたいな
そして畑や土地を横取りが目的
これも妄想ですかね?

493:日本@名無史さん
19/02/08 03:16:00.07 .net
>>475
妄想だけなら文字にしないで自分の頭の中だけでやっとけよ
妄想を文字にするなら、せめて妄想の根源となった根拠くらい示せ
根拠がないなら文字にするな

494:日本@名無史さん
19/02/08 07:40:06.32 .net
>>475
>東征とは何だったのだろう
東征は、倭国(阿波)国内で起こった出来事 だと、何度言えばw  
卑弥呼の時代にそんな大遠征など出来るはずもないでしょ。   
いい加減に常識の判断をしよう。  @阿波

495:日本@名無史さん
2019/0


496:2/08(金) 07:43:54.12 .net



497:日本@名無史さん
19/02/08 15:03:29.83 .net
>>477博学な阿波さんに質問
なぜ九州と関西に同じ名前の神社や地名が多いの?

498:日本@名無史さん
19/02/08 20:31:27.39 .net
>>479
>なぜ九州と関西に同じ名前の神社や地名が多いの?
だから、倭国(阿波)を発った忌部一族の痕跡 だと、何度言えばw  
それはなにも、九州と関西だけに限った話じゃないんだよ。  @阿波

499:日本@名無史さん
19/02/08 21:08:35.32 .net
>>480
オッケー分かった
御託は巣に帰って、、、
なんだ質問に答えたのか

500:日本@名無史さん
19/02/08 21:17:54.76 .net
>>481
君も質問、何かしてみるかい?  @阿波

501:日本@名無史さん
19/02/08 21:24:22.77 .net
>>482
のぼせ上がるのは
巣に帰ってにしろマヌケ
邪馬台国四国説 part2
スレリンク(history板)

502:日本@名無史さん
19/02/08 21:27:39.52 .net
>>483
だいぶ、暇そうだからw   @阿波

503:日本@名無史さん
19/02/08 21:29:02.91 .net
>>483
ワロタw

504:日本@名無史さん
19/02/09 00:42:25.08 .net
どうして泡は決まり切ったことしか書かないんですか?
無能だからですか?
根拠がほぼないからごく僅かなことしか書くことがないからですか?

505:日本@名無史さん
19/02/09 06:13:50.23 .net
>>486
>どうして泡は決まり切ったことしか書かないんですか?
それはね、君が決まり切ったことしか書かないからだよ。   なんせ、それの回答なんだから当然w  @阿波

506:日本@名無史さん
19/02/09 16:39:12.75 .net
>>487
オッケー分かった
戯言は巣に帰ってやれマヌケ
邪馬台国四国説 part2
スレリンク(history板)

507:日本@名無史さん
19/02/10 08:22:05.36 .net
>>480返答ありがとうございます
阿波さんは鳥取のしとり神社って知ってます?
倭って(し)とよむんですかね

508:日本@名無史さん
19/02/11 20:17:07.04 .net
海人族
初めて海を渡った人は、どんな気持ちだったのだろう
怖かったのか、胸がおどったのか
敵から逃げるのに精一杯で大波の恐怖さえ感じなかったのか
海上では何時でも死と同居してるも同然
小さな木造舟で大海を渡る
勇気あるなあ男だねロマン溢れてるスゴイ!

509:日本@名無史さん
19/02/12 20:29:23.51 .net
>>490
目視できる島伝いは石器時代から航行してたわけだし、生活の糧だからロマンなんて全くなく淡々としてただろうな

510:日本@名無史さん
19/02/12 21:01:11.03 .net
いや冬の玄海灘は半端ない
手漕ぎ船とか信じられない
冬の対馬なんか東北地方みたいな強風と波
とんでもない勇気いるぞ
北朝鮮だって冬は遭難多いだろ

511:日本@名無史さん
19/02/12 21:04:45.74 .net
>>492
だから、対馬海流の流れに従うしか術がない と、何度言えばw  @阿波

512:日本@名無史さん
19/02/12 21:07:54.57 .net
対馬海流の流れに従えば、壱岐から流れつくのは福津・宗像方面。  @阿波

513:日本@名無史さん
19/02/12 22:18:45.86 .net
>>494
オッケー分かった
寝言は巣に帰ってやれマヌケ
邪馬台国四国説 part2
スレリンク(history板)

514:日本@名無史さん
19/02/12 22:46:04.07 .net
>>495毎回毎回同じ書き込みしなくていいよ
毎回書いてたら嵐と同じだよ
阿波さんは物知りだし良いとおもうぞ
ただ四国愛が強すぎるだけなんだ
(’-’*)♪

515:日本@名無史さん
19/02/12 22:47:46.36 .net
>>496
オッケー分かった
猿芝居は巣に帰ってやれマヌケ
邪馬台国四国説 part2
スレリンク(history板)

516:日本@名無史さん
19/02/14 16:32:51.90 .net
遠賀川一帯が興味深い
河口からかっての上流域まで全部
ここが商業ルート
一番豊かな地域か
沖出古墳あたりまで

517:日本@名無史さん
19/02/17 14:06:20.16 .net
>>471
半島の南東部とは縄文の頃から貝交易で接触していたよ
沖縄近海でしか採れない貝の交易をしていた、九州北部の海人と呼ばれる人々がおそらく半島南東端にも渡っている
魏志倭人伝に言う狗邪韓国は韓伝じゃなく倭人伝のほうに記されているから、こうした倭人の国だったんだろうね
URLリンク(pbs.twimg.com)

518:日本@名無史さん
19/02/17 15:13:40.72 .net
>>498
遠賀川も興味深いが、福岡の繁栄には及ばない。
半島交易と西南諸島、瀬戸内海の交易の分岐点である那の津を中心とした倭国の姿が見えてくる。
そして博多湾を見守る筑紫の日向の高祖山が高千穂宮として戦略的山城として機能していたのだろう。

519:日本@名無史さん
19/02/17 15:19:39.28 .net
イザナギの国生み神話は博多湾の能古島に始まる。
アマテラスを祀るのが沖ノ島の国家的祭祀。
ニニギの天孫降臨は宗像氏族に守護されて志賀島(博多湾を守る笠沙の岬)に上陸し、海の中道(天の浮橋)を通り、飯盛山の猿田彦に導かれて高祖山(クシフル山)の高祖宮(高千穂宮、伊都城)に入る。
博多湾沿岸の国津神であった大山祇・綿津見一族の木花咲耶姫や豊玉姫を娶り、筑紫の日向三代の男王が倭王として金印を拝領した。

520:日本@名無史さん
19/02/17 16:58:24.58 .net
すいませんがクシフル山とは確定しているのでしょうか
やまともどの地域か確定しているのでしょうか
クシフル山は英彦山でいいんでしょうか  
やまととは大和の読みで正しいのでしょうか
全くわからないけど

521:日本@名無史さん
19/02/17 17:04:21.53 .net
クシフル山は福岡市と糸島市の間にある高祖山の最高部の名前だそうです。
高祖山は筑紫国にあり、南に日向峠、東に日向川、北に日向の小戸があるので、ここが筑紫の日向の中心でしょう。
倭国王権の発祥の地であり、東には三種の神器を副葬された須玖岡本遺跡、西には三種の神器を副葬された三雲南小路遺跡があります。

522:日本@名無史さん
19/02/17 17:16:47.87 .net
古代九州とはニコイチの国とも思えて
ヒミコ=ツキヨミ
肥後=肥前
糟谷=裏糟屋などなど
数えきれないほどニコイチみたいな地名が多いの
ならばヤマトに対してミナトかと
ミナトの隣がヤマトとか

523:日本@名無史さん
19/02/17 17:24:03.93 .net
那の津の隣がヤマトすなわち高千穂

524:日本@名無史さん
19/02/17 18:15:49.63 .net
クシフルのクシとは櫛・孔雀・鯨波のどれかと
フルは分からない
 

525:日本@名無史さん
19/02/17 18:22:34.63 .net
>>503
なにかソースはある?
詳しく知りたい

526:日本@名無史さん
19/02/17 18:26:50.32 .net
九州で、フル、ハラ、マルと言えば国邑の意味。
クシはぐぐると神秘的なこととか。

527:日本@名無史さん
19/02/17 18:30:16.66 .net
>>507
明治の頃までは国土地理院発行の地図にも載っていたらしい。
昭和になって古田氏が地元民から聞き出して本にまとめた。

528:日本@名無史さん
19/02/17 18:32:08.24 .net
>>509
古田の地元聞き取り調査ほど信頼性の低いソースはないやんけ

529:日本@名無史さん
19/02/17 18:33:56.72 .net
ソースが見つからないと地元の伝承にあったと言い張る古田氏
まぁ、そこ以外は概ね信者だけど

530:日本@名無史さん
19/02/17 18:34:47.69 .net
「高祖村、椚 二十四戸。慶長の頃、黒田長政、村の南の、野地を開き、田地とすべしと、手塚水雪に命ぜられし書状、今も、農民、田中が家にあり。
其書に、五郎丸の内、日向山に、新村押立とあれば、椚村は、此時立しなるべし。
民家の後にあるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。
田中は、元亀天正の間は、原田家より与へし文書、三通を蔵す」
(福岡県地理全誌抜萃目録、恰土郡之部。大正二年五月発行、『怡土志摩郡地理全誌』東京糸島会発行所収)
「福岡県地理全誌」は明治5年、陸軍省の「全国地理図誌」編集の命を受け、
旧福岡県(筑前15郡)が明治5年から7年にかけて調査し、5年から13年にかけて
編集した郡村地誌である。
第六巻は早良・怡土・志摩の各郡を収めた。

531:日本@名無史さん
19/02/17 18:39:22.13 .net
>>512
これがソースだな
ちゃんとしたソースが実在してて安心した
URLリンク(ci.nii.ac.jp)

532:日本@名無史さん
19/02/17 18:40:06.80 .net
高祖山はもとは日向山と呼び、椚(日向峠に今でもある集落)の裏手の最高峰をクシフルと呼んでいたことがわかる。
高祖山には山麓から山頂まで囲む山城が律令時代にはあり、糸島平野に多数の王墓を抱える王都としての地域の特性を考えると、古代においても山城の基礎はあっただろう。
特に弥生時代に最大級の国邑であった奴国との陸路であった日向峠の上に砦を作るのは合理的である。
記紀の高千穂宮、魏志倭人伝の楼閣そびえる女王の王城も同じものかもしれない。

533:日本@名無史さん
19/02/17 18:44:12.07 .net
フルは邑?の意味で、朝鮮語にもあると聞いた。

534:日本@名無史さん
19/02/17 18:49:37.50 .net
     _ ―- ‐- 、
    (r/ -─二:.:.:ヽ   
    7''´ ̄ヽ-─<:.:.',                 __
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      f: :_: : :_:_:_└ 、     |/f|/|/ .|/ |/ ∨ ヽ|\:::::::::::::::::::::::::  ああ・・・ 
     /-ー/: : : : : : :\      {            ヘ:::::::::::::::::::::    
    /7: : : :r: : : : : : : : : }     ',  .j /     }   .}::::::::::::::::::::   またチョンコだ!
   /: : : : : :.|: :j: : : :\: : j      } /_       ミ   ヘ::::::::::::::::::
  /: : : : : : : j: ヘ、: : : : \|    /くl´::<ニ二 ̄`>   ミ:::::::::/   汎用人型決戦兵器には
 ./: : : : : : : \::::ヘ: : : : : : :ヽ    {::ア{:::::::}厂¨,`_______j:::::://   
 {: : : : : : : : : : ヘ:::ヘ: : : : : : :',    V ヘ::::ノ` ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ .{::::|ヽ    凡庸人型ゴキブリってことか
 ',: : : : : : : : : : : :\ヘ: : : : : :ヘ.   /  ヘ¨       //:}::::|/
  ',: : : : : : : :::::::::::::::::::〉: :_:_.r--―く   >ヽ      /   _ノ::::{ _/
  '; : : : :.::::::::::::::::::::::r</ :.:..   `ー¬\__        /::::/
  〈: : : : :ー---‐‐r―'´  :.:.:.  ヘ: .  ヽ . . }ー、    ./::::<
  〈: : : : : : : : : : 〈r-‐、:.:.:.:ヘ.:.:.:.:.  ', : :  ',: . .|: : 〉  /:::::::/

535:日本@名無史さん
19/02/17 18:52:16.45 .net
最高峰だとはどこにも書かれていない
明治期に収集された伝承であり、それが事実かどうかは未確定

536:日本@名無史さん
19/02/17 18:53:25.71 .net
朝鮮だけでなく、アジア全体の普遍的な用語らしい。
シンガポールもイスタンブールも同じ語尾だとか。
URLリンク(www.shochian.com)


537:



538:日本@名無史さん
19/02/17 18:54:41.66 .net
結果として、現在に測量結果ではそこが最高峰なんだよ。

539:日本@名無史さん
19/02/17 18:55:39.35 .net
           (ヽ∧__∧
           、ヽ`∀´> <呼ばれて無いのに
            )>>518つ      チョチョチョチョーン
            >⌒)ノ
            ゝノ/
   パカチョン    ノ~ノ
  /|     ///
  | |    ///
  | |ミ ///.
  |/ ̄    /
   " ̄ ̄ ̄ ̄

540:日本@名無史さん
19/02/17 19:02:29.52 .net
最高峰なら民家の裏山なんて書くかよw

541:日本@名無史さん
19/02/17 19:03:36.76 .net
実際にはどこが「クシフル」かわからないのに頭おかしい

542:日本@名無史さん
19/02/17 19:08:47.34 .net
まぁ一応のソースとされたURLリンク(ci.nii.ac.jp)も郷土史家の由比氏が60年前に書いたものだからな

543:日本@名無史さん
19/02/17 19:14:30.24 .net
同じ本の高祖山の項目にはクシフルのはなしなんて1ミリもないらしいぞ

544:日本@名無史さん
19/02/17 19:16:19.19 .net
記紀では「高千穂」に訛る南北に走る「高地尾」リッジ上のピークが「クシフル」
「クシフル」(高地山)はこの山塊の最高峰(419m)にあたり「高祖山」(416m)よりわずかに高い
半島の方向は北北西にあたり 山頂からの視界も北北西側に開けている
「クシフル」へのエントリーは北方向の今宿からが便利 今宿の谷は征服者である後着の海の民の巣のひとつなのでしょう
今宿の谷は現在の福岡市西区 周船寺界隈から高祖城跡北限に至る領域も福岡市西区
「あまくだり先」が「高祖山」ではないところが興味深い なんといっても「高祖山」からは福岡平野への展望は望めない
「高祖宮」は「高祖山」の三雲側の山裾(80m)に位置し 「高祖山」は三雲側との関連性が深い
ずばり 「竺紫日向之高千穗之久士布流多氣」の「日向」は「高地尾」リッジから東側の領域と理解したい
ちなみに「細石神社」や「南小路遺跡」の標高は41~43mであり 征服者の海の民の居住区とは考えにくいのだが
海の民が持ち込んだとおぼしき楽浪漢式土器は弥生中期後半~後期にかけて継続的に集中出土している

545:日本@名無史さん
19/02/17 19:22:35.47 .net
>>525
細石神社は無関係だろう
太閤検地の時には既に社殿も残ってないほど荒廃しきっていたんだから

546:日本@名無史さん
19/02/17 19:28:30.78 .net
>>526
それは金印ネタの傍証であって、クシフルネタとは無関係なのでは?

547:日本@名無史さん
19/02/17 19:48:49.86 .net
>>509>>512>>513マジか
これが本当の本物真実なら
国の始まり日本書紀は福岡で決まりやん

548:日本@名無史さん
19/02/17 19:57:16.82 .net
>>528
>>523

549:日本@名無史さん
19/02/17 20:24:11.51 .net
邇邇芸の国見の詔
「此処は韓国に向ひ、笠沙の御前に真来通りて、朝日の直さす国、夕日の日照る国なり。かれ、此処はいと吉き地」
宮崎県では韓国は見えない。
対馬海峡を挟んで朝鮮半島の対岸にあり、東に福岡平野、西に糸島平野を望む高祖山なら合致する。
後漢書は対馬海峡が倭国としていて、王都はその南岸の倭奴国。
魏志倭人伝では伊都国が倭の王都。
記紀は筑紫の日向の高千穂宮が王家の王城であったと伝える。
全て一貫している。

550:日本@名無史さん
19/02/17 20:24:36.68 .net
またニュース速報+に九州北部の古代史スレたってるぞ
ちょっと行ってくる

551:日本@名無史さん
19/02/17 20:28:06.54 .net
これ
URLリンク(n2ch.net)
ニュース速報+

552:日本@名無史さん
19/02/17 21:14:47.55 .net
真偽不�


553:セのネタに妄想を積み上げてドヤ顔するのが九州説メンタリティ



554:日本@名無史さん
19/02/17 21:32:49.89 .net
高祖山は東西に弥生王墓が密集し、考古学的にも倭国王権の発祥の地、稲作文化の伝来地。

555:日本@名無史さん
19/02/18 00:28:01.08 .net
>>534
稲作伝来は有明海側が最有力

556:日本@名無史さん
19/02/18 02:56:14.97 .net
玄界灘側の筑紫平野の海岸線は最大で800メートルも内陸だったらしいから、水稲は筑後平野の方がやり易いではあるな

557:日本@名無史さん
19/02/18 04:21:06.17 .net
>>536
800mじゃなく8,000mな

558:日本@名無史さん
19/02/18 07:28:09.13 .net
吉武高木が海岸線に来るくらいかな?

559:日本@名無史さん
19/02/18 07:57:59.24 .net
>>538
現存する最古の「博多古図」(約800年前)から推測される約1,800年前の海岸線がこれらしい
画像サイズが大きいが地名が読めるギリギリまで縮小してある
参考までに
博多古図
URLリンク(i.imgur.com)
博多古図から推測される1,800年前の海岸線
URLリンク(i.imgur.com)

560:日本@名無史さん
19/02/18 12:10:21.04 .net
>>539
なるほど、そうだったのか。
海岸線は、かなり内陸にあったんだ。いろいろ考えなおさなくちゃならんな。

561:日本@名無史さん
19/02/18 12:40:50.70 .net
>>540
横だけど、
実際の海岸線はそれよりはもう少し陸地が広くなりそう
糸島は調査で志摩と繋がっていたのがわかっているので、そちらの地図を調べてください
福岡市の方は住吉神社あたりまでが海岸線だったと識者から聞きました
飛行場の西や東から遺跡が出てるから、そのあたりは陸地だけど、海岸線はすぐ近くだったみたいだね

562:日本@名無史さん
19/02/18 12:47:11.16 .net
>>541
糸島は、前原沖で南北が繋がっていたのかもしれんね。
繋がっていたといっても、天橋立みたいな状況だったんではないかな。
ともあれ、東西両方から内湾が前原沖まで、入り込んでいたとみてよいのではないかな

563:日本@名無史さん
19/02/18 12:58:09.81 .net
>>542
糸島はボーリング調査したみたいです
福岡市の西側は藤崎遺跡や西新町遺跡のあたりが港町でしょうか

564:日本@名無史さん
19/02/18 14:36:57.36 .net
糸島はやっぱり島だったんだな

565:日本@名無史さん
19/02/18 15:24:31.38 .net
志賀島神社を見ればわかりそうなもん
ちょっとレベルが違う気がする
海側を向いた鳥居がなんともロマンテック
航海にでる舟を見送りながら無事を祈ったのだろう
素敵すぐる

566:日本@名無史さん
19/02/18 15:34:32.83 .net
帰ってくる船から見ると
「お帰り」感があるだろうね

567:日本@名無史さん
19/02/18 15:47:44.55 .net
そりゃそうだろうな
なんせ、いと島というくらいだから、島だったことは明白だわな。

568:日本@名無史さん
19/02/18 15:48:40.92 .net
>>547
糸島は元々「怡土」と「志摩」

569:日本@名無史さん
19/02/18 16:09:59.95 .net
「志摩」=「島」

570:日本@名無史さん
19/02/18 17:29:42.09 .net
イト島という島がもともとあって
陸と繋がったので「イトシマ」という地区名になって
そのご「イト」と「シマ」に分かれたって話でしょ

571:日本@名無史さん
19/02/18 17:38:07.87 .net
>>539
これはありがたい

572:日本@名無史さん
19/02/18 18:10:55.10 .net
>>539なかなか見れないお宝史料をありがとう
画像は保存しとかんとね
     

573:日本@名無史さん
19/02/18 21:05:28.95 .net
藤崎遺跡や西新町遺跡のあたりも独立した島
小戸神社から姪浜・愛宕山のあたりも独立した島

574:日本@名無史さん
19/02/18 21:09:20.10 .net
「淡海(あふみ) 早良平野北部の汽水湖を復元可視化してみるテスト」
でぐぐると地図がみれるよ

575:日本@名無史さん
19/02/18 21:13:16.05 .net
はずかしながら言ってみたいのですが
倭人伝のルートは、大分小倉→田川伊田なんだと思ってます
素敵な志賀島神社を話題にしましたが
それでも自分は伊都は田川の伊田か糸田と
思えて仕方ないんです
何度倭人伝読んでも

576:日本@名無史さん
19/02/18 21:18:11.46 .net
>>555
だったらそう思った経緯を説明しようや

577:日本@名無史さん
19/02/18 22:15:34.77 .net
ニギハヤヒとニニギは兄弟で福岡県鞍手町新北(にぎた)出身だと思う。
この二人が東征したんじゃないだろうか。
イワレビコは名前にイワレが入ってるから畿内の名前に思える。

578:日本@名無史さん
19/02/18 23:03:39.08 .net
そりゃ、大和に移動してから磐余彦と名前を変えたのだから。

579:日本@名無史さん
19/02/19 12:35:18.06 .net
一大率って何?関所みたいな感じ誰か教えて
最初は一大卒に見えて一ツ橋大卒と勘違いした

580:日本@名無史さん
19/02/19 12:48:10.13 .net
邪馬台国の高位の官職名だよ。
百済の官制にも同じのがある。
魏志倭人伝では伊都に置かれ、女王国(伊都)から北(対馬海峡)を巡視していた。
水戸黄門みたいな感じかな?
官有十六品。
長曰左平、次大率、次恩率、次徳率、次杆率、次奈率、次將徳:服紫帶、次施徳:皂帶、次固徳:赤帶、次李徳:青帶、對徳以下皆黄帶、次文督、次武督、次佐軍、次振武、次剋虞、皆用白帶。
(隋書 東夷 百濟)

581:日本@名無史さん
19/02/19 12:54:40.20 .net
率と帥は意味も発音も同じとされている。
つまり大率、帥升、太宰帥はいずれも同じ意味。
帥升は倭王とされているが、倭王が自分で洛陽まで行くわけもなく、王に次ぐナンバーツーが行ったのかもしれない。

582:日本@名無史さん
19/02/19 13:20:14.90 .net
新唐書
「置本率一人,檢察諸部。」

583:日本@名無史さん
19/02/19 14:49:19.92 .net
ありがとうございました
勉強になりました。

584:日本@名無史さん
19/02/19 15:16:24.69 .net
ぼーっとした時に考えるときがあります
古代の人達は、日々をどうやって過ごしていたのだろうと
スマホもないテレビもない文字すらあったのかもわからない
食料を求めることだけに走り回ってたのかな
投げ槍や弓矢も練習したのかな
うつろい行く山の色や自然の植物、渡り鳥や鹿や動物たち
私達が想像する以上に観察してたかも
そんな人達が手作りの船で海を渡ったんだよ
向こう岸に行けば殺されたかもしれないのに
なんて勇気があるんだろう
本当に素晴らしい、敬意をはらわずにいられないよ
今の私には夜のメキシコだって怖いのに

585:日本@名無史さん
19/02/19 15:53:01.06 .net
>>564
言語学研究によれば平安時代の会話スピードは現在の0.74倍。
古代となればさらに語彙も少なくスローだったと推察される。
現在人からするとスロー再生のような会話をする古代人
一方、古代人からすると二倍速再生のような会話をする現代人
これはボキャブラリーによる脳のクロックアップ現象と言われ、語彙量の増加に比例して時間を長く感じるという生理現象。
つまり、古代人の体感する一時間は現代人の体感する一時間よりも確実に短かったという傍証である。
古代人の活動時間が日の出から日没とすると一日の活動時間は約13時間であり、この13時間は現代人の体感スピードで言えば6時間半となる。
一日なんてあっという間に過ぎていたであろう。

586:日本@名無史さん
19/02/19 16:28:08.64 .net
>>565
非常に興味深い話だけど、>>564の論点とはちょっと違う気が・・・

587:日本@名無史さん
19/02/19 16:35:46.13 .net
実際にど


588:うなんだろう 現代で誰か手漕ぎの舟で対馬や韓国に渡米した人いるの? 大学生あたりでチャレンジしたグループとかいないかなあ



589:日本@名無史さん
19/02/19 16:43:31.43 .net
>>567
手漕ぎは聞いたことないな
帆船や水上バイクで博多湾から渡韓した人は地元ニュースで見たことあるけど

590:日本@名無史さん
19/02/19 17:01:41.86 .net
野生号 なみはや号

591:568
19/02/19 17:19:15.56 .net
>>569
勇み足失礼した

592:日本@名無史さん
19/02/19 18:36:14.05 .net
>>567
五島列島辺りから出航すれば壱岐をすっ飛ばして対馬に行けるだろうね。  @阿波

593:日本@名無史さん
19/02/19 19:04:29.23 .net
>>571
オッケー分かった
独り言は巣に帰ってやれマヌケ
邪馬台国四国説 part2
スレリンク(history板)

594:日本@名無史さん
19/02/20 17:58:11.52 .net
またニュース速報+に糸島の倭人の硯スレ立ってる
URLリンク(n2ch.net) 
糸島の歴史は古い、倭人伝に書かれるずっと前から
栄えていたと妄想する私には興味深いスレ

595:日本@名無史さん
19/02/20 20:06:44.70 .net
やっぱりヤマトは倭面土人が訛ってヤマトかなあ

596:日本@名無史さん
19/02/20 21:31:23.85 .net
また福岡と奈良の差がついたな。

597:日本@名無史さん
19/02/20 21:49:53.21 .net
>>574
倭面土の発音よろ

598:日本@名無史さん
19/02/20 22:53:07.37 .net
わゃまとぅ

599:日本@名無史さん
19/02/20 23:10:39.76 .net
>>577
なにかソースある?

600:日本@名無史さん
19/02/21 00:17:44.27 .net
言いたいことは とりあえず書いた・・・
         ∧∧
         < `∀´ > 質問されても
         .O┬O   答えられないし
        ( .∩.|    ソースもないから
   キーコー ι| |j::...
            ∪:::::: とりまチャリで逃げるニダ

601:日本@名無史さん
19/03/02 21:45:51.70 .net
やっぱり福岡がいいなあ
人もいいし楽しか

602:日本@名無史さん
19/03/02 22:09:28.95 .net
>>580
なにより女が最高
さすが卑弥呼様がお生まれあそばれた地

603:日本@名無史さん
19/03/03 00:19:55.60 .net
>>581
中洲いくと最高だと思うが、他の地域じゃ別にって感じがする

604:日本@名無史さん
19/03/03 18:57:47.27 .net
天高原(あまのたかはら)は田川の香春(かわら)町か
香春町の弥生時代
弥生時代は紀元前400年頃から紀元後250年頃までを言います。
この頃は香春町でも遺跡の数が一機に増加し
五徳畑ヶ田遺跡、ミノ・大熊遺跡、宮原遺跡、岩原遺跡、上高野遺跡、一本松遺跡
などから集落跡や墓地が見つかり多量の甕、高坏等の土器や磨製石斧、石戈、石鏃等の石器が出土しています。
宮原遺跡は、「長生宜子」銘大型内行花文鏡をはじめ4つの青銅鏡を出土した石棺墓群墓もあります。
浦松古坊遺跡では弥生後期から終末期にかけての石棺墓、土壙墓合わせて20基確認されています。
近隣は、川崎町公門原遺跡や田川市桐ヶ丘遺跡、その後に続くと思われる出現期古墳の田川市位登古墳があります。
前方後円墳に大型の箱式石棺を採用し内行花文鏡を副葬してます。
ちなみに宮原遺跡は日本最古の前方後円墳と見られています。

605:日本@名無史さん
19/03/03 19:03:55.95 .net
田川郡香春町の旧石器時代
田川地方に人々が生活し始めた初現は後期旧石器時代で約3万4千年前に始まり
香春町では約2万2千年前頃の遺跡が見つかっています。
五徳畑ヶ田遺跡で瀬戸内技法の影響を受けた横長剥片素材で一側縁加工のナイフ形石器と湯無田遺跡出土の細石刃が発見されています。
香春町の縄文時代
縄文時代は今から1万3千年前頃に土器が作


606:られ始めた頃から稲作が始まる2400年前までの間を言います。 香春町で1番古いもので早期の押型文土器が見つかっていますが、 湯無田遺跡から縄文時代中期の船元式土器が集中して出土しています。 五徳畑ヶ田遺跡からは後期の三万田式土器片や晩期の広田式土器片、打製石斧が多量に出土しています。 注口土器や土偶なども出土しています また、二の岳遺跡にて黒曜石石鏃が1点発見されています。



607:日本@名無史さん
19/03/08 16:24:44.26 .net
科学ニューススレから
(6): しじみ ★ 01/21(月)18:22 ID:CAP_USER(1/2) AAS
■『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』、日本神話、考古学資料などを、
総合的に統計学的手法で分析すれば、
99.9%の確率で、邪馬台国は福岡県にあったことが言える。
■和辻哲郎の「邪馬台国東遷説」
白鳥庫吉(1865〜1942年)は、明治期の東京帝国大学(現在の東京大学)を
代表する東洋史学者であった。
白鳥は1910年に発表した論文「倭女王卑弥呼考」のなかで、『魏志倭人伝』の「卑弥呼(ひみこ)」に
関する記事内容と、『古事記』『日本書紀』の「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」に関する記事内容とを比較している。
そして、この二つの記事内容について「その状態の酷似すること、何人もこれを否認するあたわざるべし」と述べている。
 白鳥庫吉の見解を受け継ぎ、それを「邪馬台国東遷説」という形で大きく発展させたのは、
東京大学の哲学者・和辻哲郎(1889〜1960年)であった。
和辻哲郎の「邪馬台国東遷説」は『日本古代文化』(岩波書店、1920年刊)のなかに見える。
「邪馬台国東遷説」というのは、邪馬台国は九州に存在し、のちにその勢力を受け継ぐものが東遷して「大和朝廷(やまとちょうてい)」に
なったとする説である。
和辻哲郎氏(1889-1960年)
 和辻哲郎や、その説を受け継ぐ人たちの「邪馬台国東遷説」の要点をまとめれば、次のようになる。

(1) 卑弥呼のことが神話化し、伝承化したものが天照大御神である。
(2) 九州にあった邪馬台国が、本州の大和に移動した。神武天皇の東征伝承は、その間の事情を伝えるものとみられる。
 和辻哲郎は述べる。『古事記』『日本書紀』の伝える「神武東征」の物語の「国家を統一する力が九州から来た」という中核は、否定しがたい伝説に基づくものであろう、と。
(3) 九州から大和へ移動した時期は、3世紀の後半から、西暦300年前後にかけてのころであろう。

608:日本@名無史さん
19/03/08 16:47:07.60 .net
科学ニューススレ続き
■年代論的根拠
和辻哲郎の「邪馬台国東遷説」にはその後、
年代的根拠がさらに詳しく与えられるようになってきている。
■天照大御神のいた場所
「卑弥呼=天照大御神」とすれば、天照大御神のいた場所が、邪馬台国であることになる。
邪馬台国についての手掛かりを『古事記』『日本書紀』のなかに、たどることができることになる。
 『古事記』『日本書紀』は天照大御神のいた場所を「高天の原(たかまのはら)」と記す。
「高天の原」は、どこだろう。 
 いま『古事記』の上巻、いわゆる神話の巻を取り上げる。
『古事記』上巻には「筑紫(つくし)」「日向(ひむか)」「胸形(むなかた)」など、
現実的に場所の特定できる地名が現れる。
その地名の統計をとる。
 その結果を図示すれば、図3のようになる。圧倒的に多いのが、
「九州地方」と「山陰地方」の地名である。
『古事記』の主要なテーマは「九州地方」の勢力と、
大国主(おおくにぬし)の命(みよ)が治める�


609:o雲を中心とする「山陰地方」の勢力との対立図式といえる。 いわゆる「出雲の国譲(くにゆず)り」伝承が中心的なテーマといえる。 「高天の原」と重なり合うのは、この「九州地方」、特に北九州地方である。 画像リンク[jpg]:tawayama.net



610:日本@名無史さん
19/03/08 17:04:01.20 .net
科学ニューススレ続き
■「平塚川添遺跡」の出現
『古事記』『日本書紀』によれば、高天の原には「天の安の河(あめのやすのかわ)」という河が流れていた。
天照大御神と、その弟の須佐の男の命(すさのおのみこと)とがこの河を中において談判をしたり、
神々が「天の安の河」の河原で、会議を開いたりしている。
 九州の地図をみれば、
現在でも北九州のほぼ中央に「夜須」という地名がある。
この北九州の「夜須」の地名は、『日本書紀』や『万葉集』では「安」の字が当てられている。
 筑後川の支流の小石原川は、
「夜須川」とも呼ばれる。そして1992年に朝倉市(当時は甘木市といった)を流れる夜須川のすぐ近くから、
弥生時代後期の大環濠集落跡として「平塚川添遺跡」が出現した。
考古学者の佐原真氏は当時この平塚川添遺跡を「学術的には吉野ケ里に匹敵する遺跡」(朝日新聞)と述べている。
外部リンク:ironna.jp
★1が立った日付2019/01/01(火) 00:05:54.36
前スレ 2chスレ:scienceplus
続く)

611:日本@名無史さん
19/03/08 17:24:49.83 .net
肥後熊本の邪馬台国王卑弥呼(漢系天照大神)と、福岡田川に勢力を張っていた奴国王(新羅系スサノオ)とが、
大もめにもめて倭国大乱が起こり、甘木朝倉筑前町吉野ヶ里辺りが戦場になった。
そして最後は、夜須川をはさんで談判し、休戦協定に持ち込んだのだろう。

612:日本@名無史さん
19/03/08 17:53:08.67 .net
夜須川が国境であったと思う

613:日本@名無史さん
19/03/08 18:39:44.48 .net
>>588
スサノヲを森羅系とした根拠がほしいね

614:日本@名無史さん
19/03/08 19:24:13.40 .net
>>590
えー、出雲と出雲大社のこと知らないの??

615:日本@名無史さん
19/03/08 19:30:58.26 .net
>>591
意図を組めよ

616:日本@名無史さん
19/03/08 19:45:53.59 .net
森羅というのは、半島系の正しき発音じゃなかったかな

617:日本@名無史さん
19/03/08 19:55:23.42 .net
>>593
古朝鮮語のデータがほとんどないのに「正しい発音」なんあて分かるわけがない

618:日本@名無史さん
19/03/08 20:12:35.14 .net
>>594
朝鮮起源説の盲信者がよくやるパターンだね。

619:日本@名無史さん
19/03/14 20:30:19.34 .net
みんなは万葉集の手持女王の歌を読んで違和感を感じないのだろうか?
テジカラ、イワトと読まれているのを
古事記の天岩戸と同じ表現がなされているのに。
古事記が出来上がる前に河内王は亡くなり
手持女王は、この歌を読んでいる
1度は手持女王の歌を読んでみてほしい

620:日本@名無史さん
19/03/14 20:49:06.69 .net
天岩戸神話はさらに昔からある

621:日本@名無史さん
19/03/14 21:30:51.90 .net
そうなんでしょうね
でも文字として残ってるのは万葉集の歌が最古となりませんか

622:日本@名無史さん
19/03/14 21:42:10.89 .net
口伝でしょう

623:日本@名無史さん
19/03/14 22:24:49.09 .net
大宰帥の河内王=アマテラス説って事?

624:日本@名無史さん
19/03/14 22:35:52.81 .net
>>600
え?

625:日本@名無史さん
19/03/15 00:49:36.05 .net
そういう事を言いたいんじゃないの?

626:日本@名無史さん
19/03/17 19:06:43.90 .net
旧唐書に
倭国は、古(いにしえ) の倭の奴国也
日本国は、倭国の別種也  
他のスレは倭人伝ばかりだけど
この一文は強烈だよね

627:日本@名無史さん
19/03/17 20:33:35.27 .net
倭奴国也だろ

628:日本@名無史さん
19/03/18 00:53:50.35


629: .net



630:日本@名無史さん
19/03/18 03:12:07.58 .net
>>605
日本国は倭国の別種
倭国は元 委奴国
委奴国は後に委国と奴国に分離
委国=倭国?

631:日本@名無史さん
19/03/18 07:26:00.87 .net
大和に向かった神武が筑紫にいた日向王家の分家にあたるのだろうな。
平原で見つからなかった内行花文鏡の破片を手に、故郷の筑紫を思いながら亡くなったのだろう。

632:日本@名無史さん
19/03/18 07:37:04.89 .net
>>607
>大和に向かった神武が
ハハハハ  神武はんは、山の中でジメジメした不便な所は嫌いなんだよ。 そんなところへわざわざ好き好んで行かないよ。   @阿波

633:日本@名無史さん
19/03/18 07:43:19.89 .net
>>608
オッケー分かった
独り言は巣に帰ってやれマヌケ
邪馬台国四国説 part2
スレリンク(history板)

634:日本@名無史さん
19/03/19 20:44:54.01 .net
>>193
>くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。
[木毛]で、ウツギって読むんだけど、どこがクシフルの訛なのかさっぱり分からん

635:日本@名無史さん
19/03/19 20:51:22.54 .net
>>587
>筑後川の支流の小石原川は、
>「夜須川」とも呼ばれる。
滋賀県守山市の伊勢遺跡は琵琶湖に流れ込む野洲川の流域の遺跡
こっちの方が、神々の集まった天安之河原にふさわしいようにも思う

636:日本@名無史さん
19/03/19 21:16:15.57 .net
>>610
なんでそんな古いレスにレスしているんだ。

637:日本@名無史さん
19/03/20 01:39:36.95 .net
チョンコロ来ないと盛り上がらんな

638:日本@名無史さん
19/03/20 07:41:49.77 .net
>>610フルとは
古代朝鮮語で神が降り立つ場所って意味だよ
ソウル(ソフル=ソブル=脊振山)も同じ語源に近い
瀬織津姫=セオリ・ツヒメ=脊振津姫
あり得ませんかねぇ?

639:日本@名無史さん
19/03/20 11:37:28.26 .net
>>614
お前の言う古代朝鮮語ってのは誰が何を元に解読したものなんだ?
三国史記以前の朝鮮語の記録なんて日本書紀に断片的に見れるだけで実態が残っていないのだから解明不能な言語のはずなんだが?

640:日本@名無史さん
19/03/20 12:20:06.92 .net
>>615
>>614の無能チョンコは>>613のリクエストに応じて出てきてくれたんだから、もっと丁寧にイビってあげなきゃダメだよ

641:日本@名無史さん
19/03/20 12:44:00.60 .net
私は九州倭人と韓国カヤ文明は
繋がっていたと思うよ 
韓国の博物館の鉄鎧や金の首飾りや金の王冠は
九州の出土品とそっくりだよ
私は日本人ですけどね
ちなみに東京霞ヶ関から書いております。

642:日本@名無史さん
19/03/20 12:56:51.74 .net
>>617
韓半島の中南部は倭人が支配してたんだから当然だろ

643:日本@名無史さん
19/03/20 14:17:45.25 .net
古朝鮮語ネタとDNAネタは100%チョンコの妄想ってこと

644:日本@名無史さん
19/04/14 21:34:28.39 .net
君が代だいは 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけの娘、あれはや あれこそは 我君のみふねかや  
こけのむすめ
これについて詳しくわかる文献とかありますか?

645:日本@名無史さん
19/04/14 21:40:50.48 .net
ひょっとしたら
苔のむすまで~ではなくて、
こけのむすめ
が正しいのでは?と思いまして。

646:日本@名無史さん
19/04/16 03:21:48.01 .net
>>621
気持ちの悪い妄想

647:日本@名無史さん
19/04/25 04:22:55.76 .net
3UOIjCl0(1/3) AAS
>>14
遣唐使、遣隋使が長安や洛陽で必死で買い揃えてたのが専門書ではなく向こうではやってた小説らしい
向こうの知識人階級の間では以外だったようで「日本人は小説好きだ」と記録に残されているほどだ

648:日本@名無史さん
19/04/25 04:38


649::29.82 .net



650:日本@名無史さん
19/04/25 06:37:19.81 .net
書体がほぼ一緒なんだよな

651:日本@名無史さん
19/04/25 07:08:59.05 .net
>>624
画像処理じゃなくて画像への落書きです

652:日本@名無史さん
19/04/25 07:25:54.59 .net
「画像解析」どころか石棺表面は非破壊検査でスペクトル違いの光線を使って舐めるように撮影して専用ソフトで綿密に解析してる。
もしかして何か残ってないか?と。でも「無いものは無い」

653:日本@名無史さん
19/04/25 15:22:13.70 .net
素環頭太刀がある墓は王様の墓でいいのかな?
鏡より貴重?

654:日本@名無史さん
19/04/25 15:40:28.07 .net
中国のドラマとかだと、将軍クラスとかも剣を持っていた。
王族で内行花文鏡、王は璧とかかな。

655:日本@名無史さん
19/04/26 13:54:29.93 .net
ふつうの銅剣ではなくて
素環頭太刀ね
あまり出土してないし
舶来品だとおもうの

656:日本@名無史さん
19/04/28 23:28:37.11 .net
平群(へぐり)の地名が奈良にも福岡にもある理由について。
地名が複数あるということは、二つの理由が考えられます。
一、その地名が固有地名ではなく、一般地名の場合。
例、「宇治」京都南部と伊勢神宮の「宇治山田」です。
私は「宇治」を「二番目のやまと」と解釈しています。
「うじ」「うし」の意味については後日質問いたします。
二、大量移民が開拓地に、ふるさとの地名をつける。
北海道札幌の隣に「北広島市」がありますが、
広島の県民が集団移住して、「北広島」とつけたのです。
平群の場合も、北九州の平群族が奈良県生駒の平群郡を開拓したのです。

「へぐり」は「日来る」で東を指すとしたら、
平群族は、朝鮮か中国から北九州に渡来したのです。
ここまではよいのですが、
困った問題が出ました。
平群氏は、武内宿禰(たけのうちのすくね)の
九人の息子の一人を祖にしている民族なのです。
平群氏が渡来人であれば、葛城氏も西から渡来したとなります。
渡来人に関して。葛城氏は、雄略天皇に滅ぼされたことにして、
朝鮮に持っていた領土に一旦逃げ帰り、
秦氏、和迩氏、蘇我氏など名前を変えて、
渡来人として再登場したのではないかと思っています。
だから武内宿禰さんはあやふやな存在になってしまった。
共感した

657:日本@名無史さん
19/04/29 14:06:27.56 .net
福岡の古代史的に重要な若杉山がある
この同じ名前が四国にもある
やはり四国も倭国九州からの移住が多いのか

658:日本@名無史さん
19/04/29 14:06:43.31 .net
福岡の古代史的に重要な若杉山がある
この同じ名前が四国にもある
やはり四国も倭国九州からの移住が多いのか

659:日本@名無史さん
19/04/29 16:21:32.41 .net
福岡のキャンパーブログかなんかで若杉山の面白い記事見たことがあって
海側はワダツミ信仰で反対側(宇美側)はオオヤマツミ信仰で不仲
後にワダツミ信仰は真言宗に置き換わり、オオヤマツミ信仰は天台宗に置き換わって、やっぱり不仲
海側のふもとにある太祖神社は博多神楽の発祥地だけど、どういうわけか宇美八幡だけは独自に宇美神楽を実施してる

660:日本@名無史さん
19/04/30 16:19:09.98 .net
どなたか教えてください
昔の糸島の苔とは、現在の場所はどこなのですか?
よろしくお願いいたします

661:日本@名無史さん
19/04/30 16:22:32.63 .net
こけ?

662:日本@名無史さん
19/04/30 16:33:54.87 .net
そう苔こけ
君が代に出てくる漢字は現在の糸島市の地名だと聞きました
千代、さざれ石、巌、苔
この苔が知りたいんです
よろしくお願いいたします

663:日本@名無史さん
19/04/30 16:36:02.73 .net
前提が間違ってる

664:日本@名無史さん
19/04/30 16:57:08.94 .net
>>637
伊都クズ説信者

665:日本@名無史さん
19/04/30 16:59:28.85 .net
細石神社はネタでしかない

666:日本@名無史さん
19/05/01 18:24:10.33 .net
泊瀬朝倉宮御宇天皇代
泊瀬朝倉宮に宇御めたまひし天皇の代
万葉集の初っぱなはじまりに書かれてるこの文字
これは福岡の朝倉だろ
なんで岩波文庫の万葉集は奈良県の地名は推定で表記しているのか?
福岡にきまっとうもんおかしか
もう岩波の本は買わない
中古古本だけにする

667:日本@名無史さん
19/05/01 18:41:19.53 .net
福岡に天皇がいなかったから

668:日本@名無史さん
19/05/01 18:47:24.01 .net
泊瀬は奈良の地名だから

669:日本@名無史さん
19/05/01 20:57:27.59 .net
福岡だけでなく、壱岐にも大分にも初瀬(泊瀬)の地名があるな。
しかし王都に相応しいのは福岡であろう。
朝倉橘広庭宮なども置かれており、大宰府との関わりも窺われる。
奈良の泊瀬の方は移転されてきたものだろう。

670:日本@名無史さん
19/05/01 21:34:46.02 .net
根拠は「俺がそう思う」

671:日本@名無史さん
19/05/02 01:01:54.39 .net
>>641、644
博多モンの希望を当然のように語られてもな・・・

672:日本@名無史さん
19/05/02 01:05:28.18 .net
>>645
畿内説も似たようなもの

673:日本@名無史さん
19/05/02 05:40:07.36 .net
岩波文庫の万葉集の解説が気に入らないから読むのやめて
「九州王朝 木簡」でググってみたら
あるじゃないですか木簡、結構前から。
URLリンク(mugentoyugen.cocolog-nifty.com)
このblogの解説みると、奈良は郡をつかい、九州は評だった
みたいな解説。
仮題~九州王朝からみた万葉集~とか出版してほしい
売れるとおもいますぜ
令和にもなりましたし

674:日本@名無史さん
19/05/02 06:56:48.72 .net
古代、日本列島には、九州王朝、大和王朝、吉備王朝、出雲王朝、関東王朝などの国が勢力を競いながら
それぞれの地域を支配していた。
しかし、中国の歴代王朝が交渉を持ち、倭国と認識していたのは、
中国の最初の史書(山海経?)に現れたときから旧唐書までずっと、九州にあった。
それは、卑弥呼の倭国であり、700年近くまで存続していた。
九州王朝は、九州北部(筑紫や大宰府)に都を持ち、朝鮮半島の南部をも含めた海洋王国であった。
6世紀以前の記紀に中国との交渉史がまったく出てこないのは、
中国側の邪馬台国や倭の五王の朝貢記事と相容れない。
このことと、倭の五王と大和朝廷の天皇の即位年代や相続関係が一致しないということは、
倭の五王は大和朝廷の天皇とは別系統の�


675:繽B王朝の大王たちだったからである。 磐井の反乱の磐井は九州王朝の大王で、反乱を起こしたのは大和政権の方だった。 6世紀の磐井の陵墓にある石人は当時の裁判を表現しており、九州ではすでに律令制が敷かれていた。 隋書に記述されている隋の煬帝に国書を送ったアメノタリシヒコは、 その妻妾の数まで記載されているように明らかに男王であるが、 当時の大和政権は、女帝の推古天皇である。 通説では女帝であることを隠し摂政の聖徳太子を大王として国書を送ったとするがこの解釈には無理がある。 九州王朝の男の大王が使者を送ったとすれば隋書の記述を無理なく理解できる。  



676:日本@名無史さん
19/05/02 07:11:14.59 .net
遣隋使の派遣年次が日本書紀と隋書では異なっている。
遣隋使の答礼使である裴世清は、九州までしか訪問せず、大和には行ってない。
唐・新羅連合軍と白村江で戦ったのは九州王朝である。
旧唐書には、白村江の戦いで、倭の天皇・薩夜麻(さちやま)が捉えられたと記録されている。
斉明天皇は九州までは行ったが捕虜になってはいない。
→白村江で日本軍は壊滅的な敗北を喫したが
日本書紀にある大和朝廷にはその緊迫感がまったくない。
6世紀初めから700年ごろまで続く九州年号が存在するが、
記紀にはその断片しか記録がない。
年号の改元年と大和朝廷の天皇の崩御と即位年が
まったく一致しないことは不自然である。
九州王朝は年号を持っていたが、大和政権には独自の年号がなかった。
旧唐書には倭人伝と日本伝があり、
倭国の使者と日本国の使者が自分の正統性を主張し言い争いをしたと記録されている。

677:日本@名無史さん
19/05/02 07:37:03.60 .net
>>648
畿内からも「評」の木簡は出てるな

678:日本@名無史さん
19/05/02 08:06:53.58 .net
>>651
九州王朝すなわち倭国の制度が評。
畿内も7世紀までは倭国の支配下だったので、当然、評が使われていた。
郡になるのは白村江の敗戦により日本国が律令制度を立てたから。
天智天武の時代はその移行期の戦後体制の混乱であり、壬申の乱の原因。

679:日本@名無史さん
19/05/02 08:08:40.98 .net
【白村江の戦いと倭国滅亡】
663年に白村江において行われた倭・百済と唐・新羅の決戦で倭国軍は大敗した。
自ら前線に赴いていた筑紫君薩夜麻が捕虜となり8年にわたり唐に抑留された。
筑紫には唐から郭務悰ら2000人の使節団が駐留したが、畿内大和ではなく筑紫を占領したのは、そこが倭国の首都だったからである。
668年、筑紫の使節団は帰国し、中大兄皇子は天智天皇として即位したが、その翌年には筑紫都督府が置かれ、同じ敗戦国の百済に置かれた熊津都督府と同様に唐の統治制度として機能し、倭国は独立国としての権限を喪失した。
旧唐書には倭国と日本国が分けて記載され、「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」とある。
三国史記の新羅本紀には「670年、倭国が国号を日本と改めた」、新唐書にも670年に「日本と號す」とあるが、国内にはその記録がない。
671年に天智天皇が死亡、翌年にはその王子である大友皇子を殺した大海人皇子(天武天皇)が実権を握った(壬申の乱)。
天武天皇は対外的な国史としての日本書紀(漢文)を編纂させ、歴史上の天皇への漢風諡号の制定などを行った。
日本書紀の最大のトリックは、神武東征より後の筑紫倭国の歴史を抹消することであった。
日本書紀の編纂と並行して禁書令が出され、8世紀初�


680:ェに記紀以外の多くの古代の記録が失われた。 倭国の政治および文化を継承するために、筑紫から多くの文物、人物、建物、地名が平城京に移動された。 筑紫が679年に水縄断層系によるM7.1の筑紫大地震、畿内が684年に南海トラフ地震と推定されているM8.4の白鳳大地震により被災している。 筑紫は震災からの復興もままならなず没落したと考えられる。 701年の大宝律令で行政単位が評から国・郡に改称され、九州から関東までの中央集権国家としての畿内大和政権が誕生する。 この大倭の表記が大和とあらためられ、以前から筑紫倭国に対して近畿を示すために用いていた日本国が列島全体の統一王朝の国号となり、ヤマトは畿内の地名に変化した。 こうして筑紫倭国は滅亡し、その権益は唐に朝貢(遣唐使)を再開する畿内大和政権が継承した。



681:日本@名無史さん
19/05/02 10:19:29.51 .net
>>653
>郭務悰ら2000人の使節団が駐留したが、畿内大和ではなく筑紫を占領した
そんな記録はどこにもないし、郭務?は官吏であって武官ではない。
>同じ敗戦国の百済に置かれた熊津都督府と同様に唐の統治制度として機能
すでに半世紀以上前に滅亡した国と同じな訳がない。
>神武東征より後の筑紫倭国の歴史を抹消することであった
完全な妄想で根拠なし。
>筑紫は震災からの復興もままならなず没落した
完全な妄想で根拠なし。

682:日本@名無史さん
19/05/02 10:54:26.44 .net
>>654
行政を行うなら、武官である必要はない。
百済復興が白村江の戦いの原因であり、倭国が百済の王子を立てていたから亡命政権があったとみなすこともできる。
完全には滅亡していなかった。
震災も事実だろ?
あとは倭国から日本国への国号変更の意味、7世紀以前の史料が存在しない理由を考えれば良い。

683:日本@名無史さん
19/05/02 11:11:59.27 .net
仮定を論証する方向ではなく
仮定の上に仮定を積み重ねていくのが
トンデモにありがちな残念な思考

684:日本@名無史さん
19/05/02 11:38:48.48 .net
>>655
行政を行う前に占領する必要があることに気づけよ無能
亡命政権があったとかってのはチョンコの民族願望でしかないし、隋書で百済之種遂絶と明記されている
震災=没落はトンスルフィクション
基本お前の言い分は全てチョンコ妄想でしかない

685:日本@名無史さん
19/05/02 11:40:28.61 .net
>→白村江で日本軍は壊滅的な敗北を喫したが
日本書紀にある大和朝廷にはその緊迫感がまったくない。
この理由は何故に?
元寇は?

686:日本@名無史さん
19/05/02 12:13:56.86 .net
>>653話題は飛ぶけど平群族については、どう思われますか?

687:日本@名無史さん
19/05/02 15:44:05.13 .net
>>657
二千人いれば大宰府を占領できるだろ。
扶余豊璋を立てて百済再興を支援するために白村江で戦ったのも、筑紫を地震が襲ったのも、唐が都督府を設置しまくったのも事実。
それなのに倭の筑紫都督府は別だなんて、そんな言い訳が通るかよ。

688:日本@名無史さん
19/05/02 15:48:47.93 .net
>>660
肝心の唐に記録がないじゃんか

689:日本@名無史さん
19/05/02 16:24:05.83 .net
旧唐書に倭国と日本が別扱いで書かれているのは
なぜですか

690:日本@名無史さん
19/05/02 16:32:51.12 .net
同一時期に同時に存在していたから

691:日本@名無史さん
19/05/02 16:36:21.79 .net
倭国は九州
本州は日本
と言うことですか

692:日本@名無史さん
19/05/02 17:08:15.78 .net
>>660
無能過ぎて笑えない
官吏の仕事は何だよ無能?
なぜ武官と官吏の区別もつかない無能
お前のような無能の思考は洗脳教育で刷り込まれた民族妄想から抜け出すことは出来ないという好例

693:日本@名無史さん
19/05/02 17:51:39.37 .net
>>665あなたが2ちゃんで有名なこども部屋おじさんですか?
ゴールデンウィークでも一日中張り付いてお疲れ様ですw

694:日本@名無史さん
19/05/02 17:54:35.72 .net
>>665
>お前のような無能の思考は洗脳教育で刷り込まれた民族妄想から抜け出すことは出来ないという好例
ブーメランだぞ?

695:日本@名無史さん
19/05/02 17


696::55:40.16 .net



697:日本@名無史さん
19/05/02 17:57:20.03 .net
>>666,667
正体ばれたからってビビるなよwww

698:日本@名無史さん
19/05/02 18:34:22.18 .net
じゃあ皆にgwの宿題だ
休み明けまでに提出しろよ
ズバリ邪馬台国の領地は、境界の頭の漢字であらわしてます
邪→どこ
馬→どこ
台→どこ(ただし、台は壹か臺か●かもしれません) 
これを説いて発表したら有名人になれるよ
私からのプレゼントです     

699:日本@名無史さん
19/05/02 18:47:31.12 .net
>倭国は九州
>本州は日本
なかなかうまくできた言い回しだ。

700:日本@名無史さん
19/05/02 18:52:58.11 .net
>>670
お前はナニを言ってるんだ無能

701:日本@名無史さん
19/05/02 20:35:14.87 .net
卑弥呼は女王国の王で邪馬台国に住む。
邪馬台国の王はタカミムスビ。

702:日本@名無史さん
19/05/03 11:04:33.25 .net
能登舳倉(へくら)
地図を見てて、「なんて離れた小島なんだ」と思い
名前調べたらヘクラ島という。
ヘグリ「平群」に似てるなと思い舳倉古墳でググってみた
資料も人口数も極端に少ないから旅行者のblogの写真でと思っていたら
福岡の相島と似ている、いやそっくりだよ
西ノ宮、田心姫、龍の伝説、石積など
ここまで来てたんだなあと思った
興味ある人はググって見て下さい  

703:日本@名無史さん
19/05/03 14:48:06.29 .net
スサノオの時代に新潟県までは到達していた。
スサノオと五十猛が越後に農業を伝えたそうだ。
秋田は奈良時代になっても蝦夷との前線だから、倭国はそこより北には伸びていなかった。

704:日本@名無史さん
19/05/03 16:57:08.05 .net
>>675
>スサノオの時代に新潟県までは到達していた。
いわゆる、北陸忌部。   @阿波

705:日本@名無史さん
19/05/03 17:14:50.20 .net
>>676
オッケー分かった
独り言は巣に帰ってやれマヌケ
邪馬台国四国説 part2
スレリンク(history板)

706:日本@名無史さん
19/05/03 17:19:08.99 .net
千葉県勝浦市浜勝浦の遠見岬神社   宮司歴代の墓碑には「勝占忌部」と書かれている。   阿波忌部の後裔である。

707:日本@名無史さん
19/05/03 17:24:12.38 .net
オッケー分かった
戯言は巣に帰ってやれマヌケ
邪馬台国四国説 part2
スレリンク(history板)

708:日本@名無史さん
19/05/03 17:36:47.88 .net
私はあえて平群(ヘグリ=へ・クリィ)と書いてますけど
平群族が太平洋側を九州から四国や奈良や長野県まで
移住しながら渡って行った可能性は高いと思ってます
あの見渡しの良い場所を選び石積みの塚をつくる一族
ただ、忌部族はもっと後からの一族の予感がする
どちらかといえば伊勢信仰にちかいような
全て確証はありません、ただの私の予想です
あしからず

709:日本@名無史さん
19/05/03 17:39:23.16 .net
>>679いい加減あなたうざいんですけど
こっちはべつに阿波市がいてもかまわないんだけど
 

710:日本@名無史さん
19/05/03 17:55:47.95 .net
>>680
>ただ、忌部族はもっと後からの一族の予感がする
ご指摘のように、忌部氏は記紀以降の氏族名です。 衰退した物部氏が忌部氏となったのではと考えています。
ただし、ここでいう「忌部一族」とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
「忌部一族」とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。   @阿波

711:日本@名無史さん
19/05/03 17:59:03.40 .net
阿波の郷土史家でも、「忌部一族」と「忌部氏」を混同しているようです。   @阿波

712:日本@名無史さん
19/05/03 18:00:08.96 .net
>>683
オッケー分かった
寝言は巣に帰ってやれマヌケ
邪馬台国四国説 part2
スレリンク(history板)

713:日本@名無史さん
19/05/03 20:05:16.36 .net
千葉県館山市大神宮の式内大社


714: 「安房神社」 は天富命が祖父・天太玉命を祀った神社。



715:日本@名無史さん
19/05/04 16:42:14.14 .net
無能ヒトモドキも松傾も普段は他の在日チョンコ同様日本人のフリして暮らしてるはず
何故か?
それはチョンコであることが恥ずかしいからに他ならない
そして日本人のルーツにチョンコが無関係だと理解してるからに他ならない
自ら恥ずかしい存在だという自覚があり
何一つ自信を持つことが出来ない惨めさから
朝鮮起源説や反日活動で精神勝利するしかない
チョンコとはそういう存在
  :_       ..、     ..__                           、___
  _jllll′   ョ- 4il||l     "lll'、     ‐ 、         _..-''lllliin 、    _ `''||ゞ'
 ,ョ广     ゙廴_j=冖゙゙'ll'、  .llll′     `||li    '''l 、  ,j广  l|!  "ll'、 、 __ョ=ョ 、  ,,_、 、 ..,,_
、l|′    :、_uil||l'  _ __'||l  |lll′      lll  _.   |ll'、:lll′ _lll′  lllll  ゙'il|l′ "lll|  ゙llll| l||l  l||l′ 
 'llL_    "'´ |ll、゙゙''冖′  lll      、  llll 〃  ..ulll!' ∥ ,jlll′  _|lll′     ||l   ゙llll ./゙l||| l||′
  ゙l||li、     |ll、      'll'、  ,__〃  ゙||lli    ゙゙  'l|l'′  ,,._lll′     ,,lll′   .|lll’ `'l|||′
   `il|l'      il|l       `'ill||lll''~    ~~        `  -‐'~~     ..l广     .`''  ゙''′

           ; ∧,_∧:   悔しいニダァァアーーッ!!!
           :<;l|l;`田´>;
           ;(6   9):
          :ム__)__)

716:日本@名無史さん
19/05/06 20:44:00.37 .net
質問します
土蜘蛛って縄文人のことでいいのかな?
神功に制圧される人びとは、縄文人がころされたって
解釈でいいのかな?
神功って何人よ、弥生人?
なんだか悲しくなったわ

717:日本@名無史さん
19/05/06 22:51:53.85 .net
全部弥生人ですよ。

718:日本@名無史さん
19/05/07 00:12:14.39 .net
今年の科博の発表によって縄文人と弥生人の定義が曖昧になってきてるからなー

719:日本@名無史さん
19/05/07 02:22:49.26 .net
弥生人とは縄文人の父系と大陸系の母系である
2019年、国立科学博物館の篠田謙一教授の人骨DNA分析
URLリンク(www3.nhk.or.jp)
渡来人は縄文人の出戻りと判明
URLリンク(i.imgur.com)

720:日本@名無史さん
19/05/07 06:20:52.56 .net
エラー

721:日本@名無史さん
19/05/07 06:23:14.00 .net
  │  そのエラのどこが日本人なんだ?バカチョン!
    \   _________________
      ̄∨           彡 /
                 ノ  . | モルゲッソヨ・・・
    ∧_∧  ゲシゲシ .彡⌒ ミ <_______
    ( ・∀・)    ∩<`Д´;;>___
   (入   ⌒= ̄_)) つ つ  /|
    ヾヽ  / ̄=/  /    /  |
    || ¬| ̄ ̄ ̄|   | ̄ ̄ ̄|
     ´  |      |   |�


722:@     |



723:日本@名無史さん
19/05/08 03:42:50.35 .net
   / ̄ ̄⌒⌒ ̄\
   |    __λ_ |
   |   ノ ヽ 〆| |
   |   ノ      \|
\  | / //ノ(_)(//)    /
  \\___  / ̄| /   / 歴史の捏造キモチいいぃぃぃ
    \\   | ○|/   /うわああああああああああああああ!!!!!!!!!!
     \\   ̄(  /
       \|___|/
       │  │ ドピュピュピュピュピュピュピュピュピュピュピュピュピュピュ!!
       │  │    ~○~○~○~○~○~○~○
       │  │  ~○~○~○~○~○~○~○~○~○
       (  ω⊃~○~○~○~○~○~○~○~○~○~○~○
       /  \ ~○~○~○~○~○~○~○~○~○~○
     /     \   ~○~○~○~○~○~○~○~○
    /        \
  /           \

724:日本@名無史さん
19/05/08 07:09:36.26 .net
どなたか下記の説明できる?
>唐新羅連合軍と白村江で戦ったのは九州王朝である。
旧唐書には、白村江の戦いで、倭の天皇・薩夜麻(さちやま)が捉えられたと記録されている。
斉明天皇は九州までは行ったが捕虜になってはいない。
>→白村江で日本軍は壊滅的な敗北を喫したが
日本書紀にある大和朝廷にはその緊迫感がまったくない。

725:日本@名無史さん
19/05/08 07:30:51.66 .net
説明できるよ。
筑紫の君が倭国連合の首班、古の倭王だよ。

726:日本@名無史さん
19/05/09 15:17:09.69 .net
誰が書いたか知らないが拾ってきた
同じような気持ちになるときがある
2): つきピエ@絶景美男子 童貞 神の使い 2012/08/27(月)01:04 AAS
若狭三方縄文博物館に行ってきた。縄文人は野蛮な人類かと思ったらそうではなく、日本史上、
最も繊細で美しい心と姿と動きをしていたかもしれないと思った。日本の神様の霊性が最も素直
に現出した人類だったかもしれない。女系の文化で素朴で優しく争いもなく、人を殺す武器にな
る鉄器が持ち運ばれても戦争をせず、水田耕作の文明が普及しないほど食べ物が豊かで、ウイ
ルスにたいする抵抗力がないほど繊細で。メダカが当たり前のように泳いでいた透明な大地には、
どんな子たちがいたろう。
3000年前の戦国春秋時代に朝鮮半島と中国大陸から大量の難民が流れ込んできて、稲作農法
と鉄器文明と共に大量のウイルスが持ち込まれ、縄文文化はその後すぐに滅んでしまう。
縄文時代の人は、どんなに繊細だったのか。どんなに美しかったのか。縄文人の血は我々にどれ
だけ受け継がれているのか。今の日本人から中国人・韓国人を引いた姿形が縄文人だとすると。。
縄文人は滅んでしまったのだとすると、それ以前は中国と韓国にルーツがある事になるよ。

727:日本@名無史さん
19/05/09 15:52:18.02 .net
>>696安心しなよ。すでに解決済みだから。

~最新の核DNA調査におけるニッポン人とチョンコ(別名:朝鮮ヒトモドキ)の差異はこれだけある♪~
2018年、木村資生記念進化学セミナー 第1回「Human Evoluion I」
URLリンク(kimuraseminar.files.wordpress.com)
発表者である国立遺伝学研究所の斎藤成也教授はNHKの取材に対してハッキリと弥生系渡来人の定義を「中国大陸からやってきた」断言してる
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
弥生人とは縄文人の父系と大陸系の母系である
2019年、国立科学博物館の篠田謙一教授の人骨DNA分析によって、朝鮮ヒトモドキ要素はゼロと判明
URLリンク(www3.nhk.or.jp)
朝鮮半島由来の渡来人は縄文人の出戻りと判明
URLリンク(i.imgur.com)
従来のY遺伝子D系統におけるニッポン人と朝鮮ヒトモドキの差異
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
Y遺伝子(父系)のD2はアイヌ88%、沖縄56%、日本本土42~56%、チョン半島0%
従来のミトコンドリアDNAならびにY染色体DE、O2b1とO2b*によるニッポン人と朝鮮ヒトモドキの差異
URLリンク(i.imgur.com)


728:.jpg チョンコはミトコンドリア(母系)においてニッポン人女性と牝ヒトモドキに差異はないとホルホルするが、アジア全体で大きな差はない また有史以来、チョンコロ半島の国々は貢ぎ物として牝ヒトモドキを大量輸出していた実績があり、その伝統は近年の第五種補給品まで続いていた なおM7aがニッポン人女性の特徴と言える 結論:ニッポン人にとってチョンコは距離的には近くても血統的には非常に遠い存在



729:日本@名無史さん
19/05/09 18:43:20.04 .net
親魏倭王(女王)国は九州
親呉倭王(大王)国は奈良
邪馬台国=ヤマトの国=倭国&倭種=日本列島全体

730:日本@名無史さん
19/05/09 18:46:56.77 .net
マジレスすると、呉は肥国

731:日本@名無史さん
19/05/09 22:16:28.55 .net
そうなのか>>497教えてくれてありがとう
せっかくの真面目な研究なんだろうけど
チョンケとかヒトモドケとか書くから損してる
気がする
マジレスすると
朝倉=榛君=初瀬=巴里国
巴里国の近所が邪馬台国
あとは秘密じゃ

732:日本@名無史さん
19/05/09 22:49:19.83 .net
>>700
スレ間違って誤爆してないか?

733:日本@名無史さん
19/05/10 06:38:56.21 .net
おはようございます
すいません>>697でした

734:日本@名無史さん
19/05/10 16:22:47.22 .net
今日BS TBS で九時から2時間
邪馬台国の場所をさぐる番組がある
楽しみにしてんだが
面白いのかな?少し期待してる

735:日本@名無史さん
19/05/10 16:28:09.17 .net
>>703
BSつないでないワイ涙目
(´;ω;`)

736:日本@名無史さん
19/05/10 16:43:40.88 .net
番組邪表に
邪馬台国
九州vs 奈良
って書いてあるんだよね

737:日本@名無史さん
19/05/10 17:09:51.48 .net
番組邪表って(笑)

738:日本@名無史さん
19/05/10 17:31:50.45 .net
>>703
サンクス

739:日本@名無史さん
19/05/10 21:31:28.37 .net
今日のTVの内容
畿内説マキムクの理由
1=王宮らしい大型建物、桃の種で年代測定
2=沢山の土器、いろんな地方の物がある
3=箸墓、出土した土器で年代合致
4=近くの大和水銀高山、その山丹あり
3世紀に丹を取ってたのは日本で畿内だけと豪語

740:日本@名無史さん
19/05/11 06:32:51.86 .net
TVも後半になると中国の学者登場
漢字学、歴史学、あと一人は失念
中国の学者が調べた見解は
「3人とも邪馬台国は九州と述べた」

741:日本@名無史さん
19/05/11 08:18:47.08 .net
まあ、漢文としてはそうだよな。
畿内説は魏志倭人伝とは関係なく妄想を積み上げているだけだからね。

742:日本@名無史さん
19/05/12 00:33:20.78 .net
>>30
赤村にありますよ。

743:日本@名無史さん
19/05/12 08:31:25.26 .net
>>711
なにが?

744:日本@名無史さん
19/05/12 10:05:33.85 .net
>>712
文盲かな?

745:日本@名無史さん
19/05/12 19:14:13.53 .net
>>711田川の赤村か
赤村や赤池から丹がとれていた証明できたら
一気に邪馬台国は田川
もとより田川の赤村、香春、川崎あたりと思っていた
卑弥呼の食い扶持は香春の鉱山
台与は佐賀だと思っている

746:日本@名無史さん
19/05/12 19:38:28.85 .net
九州古墳から発見される翡翠が
>>44の含クロム白雲母なら
赤村が朱の産地なら
文句なし
調べてみなさい
赤村行って採掘場所を特定して、当時の土器破片等を
見つけなさい
そうすれば邪馬台国は田川(古遠賀川上流)になるでしょう

747:日本@名無史さん
19/05/13 20:22:01.13 .net
ひさびさ邪馬台国スレがニュース速報+にある
面白い書き込みも見られて勉強なります
URLリンク(n2)


748:ch.net/r/-/newsplus/1557737918/?guid=ON&rc=169



749:日本@名無史さん
19/05/13 20:42:31.10 .net
忘れないうちにメモ
330(1): 05/13(月)19:45 ID:refPofQz0(7/14) AAS
>>314
「聖徳太子」はいなかった 藤原不比等によって作り出された架空の人格
古建築秘話 / 伊藤平左エ門∥著 / 鳳山社 , 1962
おもしろ歴史話 法隆寺移築説
宮大工の棟梁の家系に生まれた十一世平左衛門が書いた「古建築秘話」で伊藤平左衛門は、建築に使われる
尺度の歴史的違いに着目することで、法隆寺は後世の再建で、別の場所から移築されたと結論付けた。
高麗尺で作られていて、当時奈良に都がなかった為に他所から移築と
新たな支配者による圧力のもと、転封(移封)という形で、大和の地へ強制的に移転させられた可能性が強いと思います。
今から48年前に、木造建築の専門家が本を出されています。
法隆寺の心柱の直径と寸法がぴったり合致  ← 法隆寺は、九州大宰府、観世音寺から移築された
米田良三『法隆寺は移築された─太宰府から斑鳩へ』一九九一年、新泉社刊。

750:日本@名無史さん
19/05/13 20:48:56.75 .net
これも忘れないうちにメモ
510: 05/13(月)20:22 ID:refPofQz0(13/15) AAS
>>472
■「法隆寺の移築」
 20年間ほどの期間 現在のJR法隆寺駅の南方の川岸周辺に寺院資材が大量に積み上げられて置かれた。
 地名が「置留(おきどめ)」→「興留」として残る。
 ↓  ↓
邪馬台国に対する下賜品が書かれていて
ー鉛丹というのは法隆寺の壁画なんか描くときの原料として、
 密陀僧に使われています。
 小林行雄先生の「古代の技術」によりますと、これまでのところ
鉛丹・四酸化鉛は法隆寺以前はどうも見つかっていないのですが
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
そういうものを各50斤もらった。
近藤喬一・山口大学教授の話「石塚山古墳の謎」海鳥社 1981

751:日本@名無史さん
19/05/13 21:01:20.71 .net
これも忘れないうちにメモ
こんな書き込み好き
33(4): 05/13(月)18:13 ID:XaFAFCH50(1) AAS
俺の仮説
カササギは外来種として九州北部に留鳥として居る
カササギは一定範囲に留まる習性がある
魏志倭人伝には「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲 無し。」とある
なぜ、「鳥」ではなく「鵲」(カササギ)が倭国には居ないとあえて記したのか
魏が後に、倭国へ「鵲」を贈っていたと仮説するならば
生物学的なDNAの解析によって、鵲のルーツを特定できるのではないか
銅鏡などの錆びついた物証だけではなく
鵲が現在まで生き継いだ魏の使者ならば
邪馬台国の生きた物証としてロマンがある

752:日本@名無史さん
19/05/13 21:09:05.60 .net
>>719
鵲のDNA解析はすでに佐賀県教育委員会が実施済み
というかお前のメモはスレチだから自分のメモ帳にでもコピペっとけよ

753:日本@名無史さん
19/05/13 21:53:27.84 .net
>魏志倭人伝には「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲 無し。」とある 
これ何となく書かれているが
ものスゴいよな
上から目線で書かれて、鏡100枚渡される
倭国には鏡も無かったんだろうかと思う
「あなた自分の姿を鏡で見てみなさい」って


754:意味なのかも 中国では鵲に鏡を見せて遊んでいたんだから  



755:日本@名無史さん
19/05/13 22:11:54.84 .net
大宰府こそ卑弥呼の宮城。
大野城から基肄城までぐるっと羅城が建設されていた。
その炭素年代が3世紀中頃まで遡ることがわかった。

756:日本@名無史さん
19/05/14 16:07:06.72 .net
話 名 神功皇后,住吉大明神,竜宮
資 料 日本随筆大成第二期 12巻
場 所 福岡県
要 約 神功皇后が三韓征伐に向かう際、筑前国香椎において住吉大明神が翁姿で現れて、
異国征伐には竜宮の干珠満珠を借りればよいと進言する。
神功皇后が借り方を聞いたところ、翁は磯鹿島の安曇磯良という者を召し出し、
竜宮に行かせばよいという。
この男は細男の舞いを好むので、これを踊れば自らやってくるという。
そこで皇后は妹である豊姫と磯良を竜宮に行かせ干珠満珠を借りてきたという。      

757:日本@名無史さん
19/05/14 22:45:36.43 .net
神功皇后って実在するの

758:日本@名無史さん
19/05/14 23:11:52.05 .net
諸説あるし

759:日本@名無史さん
19/05/15 02:33:08.59 .net
スレタイなのに田川ネタも筑後平野ネタも一切出てこないな

760:日本@名無史さん
19/05/15 04:07:41.70 .net
素人みたいな質問ですいません
邪馬台国の台は帯方郡の帯とは違うのは
やっぱり台地って事なんですか

761:日本@名無史さん
19/05/15 07:18:02.17 .net
神功皇后が攻め滅ぼした田油津姫こそ、邪馬台国の末裔だよ。
筑後が邪馬台国の一部なのだろう。
田油津姫は、八咫の鏡を持っていた神夏磯姫の末裔と伝えられている。
それは、筑紫倭国の女王の王統だということ。

762:日本@名無史さん
19/05/15 07:28:25.18 .net
>>727
それ邪馬台国の馬はやっぱり馬がいたからですか?っって言ってるのと同じレベルの馬鹿さだぞ

763:日本@名無史さん
19/05/15 08:19:17.78 .net
久留米市の近くに難升米って地名があったらしいの突き止めたよ

764:日本@名無史さん
19/05/15 08:43:34.21 .net
地図に載っている?

765:日本@名無史さん
19/05/15 08:52:51.08 .net
久留米の語源の一つがナシメだからな。

766:日本@名無史さん
19/05/15 09:07:24.52 .net
そりゃすごじゃないか おめでとう

767:日本@名無史さん
19/05/15 13:08:00.46 .net
古代史まとめ
-倭国中枢(北部九州)…「魏志倭人伝」
邪馬台国VS狗奴国=曹魏vs孫呉の代理戦争勃発(孫呉は狗奴国後背地・宮崎へ天「孫」降臨で後方支援)
→曹魏、帯方郡の張政を派遣→神武東征(敵前逃亡)狗奴国滅亡→邪馬台国勝利するも、台与で断絶→崇神の四道将軍に降伏、ヤマト王権の配下へ
-辺境地域(本州/出雲・吉備・大和)…「古事記&日本書紀」
出雲(朝鮮半島から青銅・鉄鋌の輸入販売)&吉備(瀬戸内海の塩・桃販売)の混血王・大物主が、東海と共に唐古鍵を挟み撃ちにして征服、ヤマト王権樹立(纏向型前方後円墳)
→饒速日(神武東征)→物部氏として臣下へ→崇神、四道将軍を派遣し、邪馬台国を併合、全国統一

768:日本@名無史さん
19/05/15 14:34:32.33 .net
>>734
コピペうざい

769:日本@名無史さん
19/05/15 20:39:34.18 .net
素人みたいな質問ですいません
古墳から出土する鏡は御神体みたいな扱いですか?
小さな鏡も出ますけど、何に使ってたんですか

770:日本@名無史さん
19/05/15 20:42:05.44 .net
>>736
質問する前に自分でもっと勉強しろ

771:日本@名無史さん
19/05/15 21:13:02.22 .net
調べてもよく分からないから聞いてみたのに
この鏡、いつからいつまで


772:使われたんですか? 男女兼用?女王の祀り用?男王は、銅矛?鏡剣? 鏡の前の時代は何を使ってたのか? 誰か教えてください。



773:日本@名無史さん
19/05/15 21:35:06.21 .net
>>738
最初の王墓の吉武高木遺跡から三種の神器が副葬されてますよ。
男王でも女王でもそれは同じ。

774:日本@名無史さん
19/05/15 21:42:01.32 .net
糸クズの妄想を真に受けたら可哀想だな

775:日本@名無史さん
19/05/15 22:03:35.11 .net
>>739ありがとうございます
五七の桐の家紋は何処の王の家紋ですか
磐井?

776:日本@名無史さん
19/05/15 22:27:31.69 .net
筑紫倭国のシンボルは大宰府の梅ですよ。

777:日本@名無史さん
19/05/15 22:38:29.12 .net
気になって仕方ない福岡の神社
老松神社、川崎の大石神社、鏡山大神社、
佐賀の鉾立神社、七品神社

778:日本@名無史さん
19/05/16 04:21:22.10 .net
>>738
調べたら幾らでも史料出てくるだろバカなのか?
>>742
大宰府(行政機関)と太宰府天満宮(神社)を混同するな
太宰府の梅は菅原道真の左遷時に持ち込まれた物


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