(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島)at HISTORY
(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島) - 暇つぶし2ch150:日本@名無史さん
18/11/20 19:31:00.94 .net
大分の鉄鏡を気にしてたら
またニュース速報+にスレきたわw
初期の邪馬台国は女王は大分から来て福岡に
住み着いたのかなあ
URLリンク(n2ch.net) 
またロックされるのかな 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:39828eafcc6c2073b074103bd7eecdc9)


151:日本@名無史さん
18/11/20 19:35:47.11 .net
大分の鉄鏡のトルコ石が
どこから伝わったか説明できる人いる?
不思議だよね
私たちの想像以上に昔の人達は活動的だったのかも

152:日本@名無史さん
18/11/20 22:53:14.79 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

153:日本@名無史さん
18/11/21 20:39:17.73 .net
アマテラスやヤマトヒメの古墳はどこ?

154:日本@名無史さん
18/11/21 20:48:14.46 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

155:日本@名無史さん
18/11/22 12:50:09.92 .net
万葉集に
「河内王を豊前国(=大分県か田川郡鏡山神社)の鏡山に葬る時」
という題のつけられ「豊国の鏡の山の
岩戸立て隠りにけら」という歌がある。
河内王が鏡山を墓として埋葬されたという歌だが、
このときの岩戸とは死者が他界に行く入口を指している。
古来から日本では他界に去った死者の霊は
山の神となって生者の守り神となると考えられていた。

156:日本@名無史さん
18/11/22 12:55:01.69 .net
なぜ河内王は田川郡の小さな鏡山に埋葬されたのか?

157:日本@名無史さん
18/11/22 13:50:36.68 .net
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。

「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
URLリンク(www.seibutsushi.net)

.

158:日本@名無史さん
18/11/23 15:18:43.65 .net
>>138
誰かがその辺をまとめてこっちの板にも持ってきたみたいだよ
瀬戸内海も日本海も九州の海人の勢力圏だったというのは面白いね
【九州説】邪馬台国 魏志倭人伝を正しく読む
スレリンク(history板:593番)-602

159:日本@名無史さん
18/11/23 15:30:47.91 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか

経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

160:日本@名無史さん
18/11/24 14:30:29.45 .net
ごほうらの貝がー、銅釧がー、って言ってコピペして回ってる人は
東遷厨って呼ばれる人なんだってね

161:日本@名無史さん
18/11/24 22:46:11.61 .net
>>153
負け犬の中傷ほど惨めなものはない

162:日本@名無史さん
18/11/26 00:13:24.56 .net
面白い見解があったのでコピーさせていただきました
546: 11/25(日)17:08 ID:qvgWxeKF0(1) AAS
倭国の政変は3世紀末~4世紀前半頃で、卑弥呼の時代より少し後
卑弥呼のいた弥生末に九州中心に分布していた破鏡が古墳前期には瀬戸内海~畿内へ移動している
一枚の鏡を割って割符とし、穴を開けて紐を通し兵士たちが持って移動した
 166 :ホワイトケープ :2018/10/06(土) 18:57:54.78
 破鏡をご存知ですか。銅鏡を割った破片で、縁をナイフ状に後加工したものや穿孔したものが、墳墓からだけでなく住居跡や田んぼからも見つかります。
 弥生後期の遺跡から出土する、神武東征由来の遺物です。
 次は破鏡の分布図で、図40は弥生後期~終末期の分布、図41は古墳時代前期の分布図です。「破鏡の伝世と副葬ー穿孔事例の観察からー」辻田淳一郎から借りています。
 図40(画像リンク[jpg]:vbsoft.sub.jp
 図41(画像リンク[jpg]:vbsoft.sub.jp
 熊本平野、大分大野川流域の状況が特徴的です。
 ほとんどが集落域からの出土ですが、弥生終末期にのみ見られ、古墳時代には全く見られなくなります。
 当然なことで、神武東征が九州を発つ前に狗奴国や大分の従わないクニとの決着の戦いの痕跡だからです。
 福岡平野で募られた兵は、家族との長い別れに、親子兄弟、妻とも家族の絆として鏡を分け持って出発したのです。
 家族の証明はこの割れた鏡が合わさることでしか、確認できない時代です。
 出征兵の親は、待てど帰らぬなか亡くなっていき、鏡とともに副葬されました。
 兵たちは落とさないよう穴をあけ首にかけていたが、戦闘の中で田んぼに落とすこともありました。
 突然の出立に、置き忘れることもあったでしょう。
 妻や子は、小さなかけらをもって後を追いかけました。
 鏡種を調べると、内行花文鏡と方格規矩神獣鏡が多く、三角縁神獣鏡は一面もありませんでした。
 三角縁が東征後の鏡であることは明らかです。
 東征を卑弥呼の前とする説がありますが、その時代にはこのような痕跡は全く見つかりません。
 九州の三角縁神獣鏡は古墳から出土し、奈良から帰還した兵が持ち帰ったものと思われます。
 
素晴らしい見解と思いませんか?

163:日本@名無史さん
18/11/26 00:18:53.47 .net
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww

URLリンク(search.yahoo.co.jp)

アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww

URLリンク(search.yahoo.co.jp)

164:日本@名無史さん
18/11/26 00:51:07.32 .net
>>155はニュース速報+のスレから
【歴史】邪馬台国時代のすずり5個出土 交易でも文字使用か「日本の文字文化の始まりを考える上で興味深い」 福岡・西新町遺跡

165:日本@名無史さん
18/11/26 01:04:34.72 .net
鏡が与えられてる兵士って将軍レベルだよな

166:日本@名無史さん
18/11/26 01:15:13.32 .net
班長レベルじゃないかな
割って仲間同志の割り符としたとか
しかし銅鐸は何に使ったのかね

167:日本@名無史さん
18/11/26 01:22:54.52 .net
>>155
大元の出処はこのスレの166みたいだな
神武・倭国の連合東遷説
スレリンク(history板)
そのホワイトケープってコテは他にも同一地名や山名の分布とか分析しててなかなか本格的に調べているように見える

168:日本@名無史さん
18/11/26 01:37:11.56 .net
>>155
肝心の図が見れなかったんで>>160から引っ張ってきた
確かに移動がはっきり見て取れるな
図40(URLリンク(vbsoft.sub.jp)
図41(URLリンク(vbsoft.sub.jp)

169:日本@名無史さん
18/11/26 03:35:25.94 .net
>>144
水銀の生成法から大陸製ってことが判明してる

170:日本@名無史さん
18/11/26 09:44:43.70 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

171:日本@名無史さん
18/11/26 13:17:50.46 .net
台与は海人族の娘で那島の姫だよ

172:日本@名無史さん
18/11/26 13:20:35.74 .net
>>164
根拠のない妄想

173:日本@名無史さん
18/11/26 17:31:42.35 .net
お疲れ様です。
私初めて>>160を読ませて

174:日本@名無史さん
18/11/26 17:44:28.15 .net
お疲れ様です。
私初めて>>160を読ませてもらいましたが
スゴイ!びっくり、素晴らしい
一度でファンになりました。

175:日本@名無史さん
18/11/26 17:46:06.05 .net
>>167
こっちじゃなくあっちに書いてやれよマヌケ

176:日本@名無史さん
18/11/27 11:58:12.02 .net
自演による誘導だろw

177:日本@名無史さん
18/11/29 15:18:25.54 .net
根拠もない妄想なんですが
倭国の人達は
倭の全体の土地が家(神社や宮)と考えて
クニグニの名前をつけてないかな?
大工の専門用語と被るね。
宗像→棟方(神社や家の屋根)
投馬(つま)→妻(建物の端の壁)
偶然bゥな。
建鋳z詳しくないけbヌ調べたら、もbチとあるかも?=@ 

178:日本@末シ無史さん
18/11/29 15:20:50.45 .net
あれ?文字化けしてるゴメン

179:日本@名無史さん
18/11/29 15:27:43.22 .net
テスト

180:日本@名無史さん
18/11/29 17:19:54.64 .net
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。

「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
URLリンク(www.seibutsushi.net)

.

181:日本@名無史さん
18/11/29 20:28:11.54 .net
「戦」いくさ
単とは頭に鷹の羽根を3枚頭にさして
戈を手に持った姿
単+戈=戦
その昔、田川(鷹羽)の戦士達は頭に鷹の羽根をさしていて
とても勇敢だったらしい
信長の時代だったかな、九州の兵士は
滅茶苦茶に強かったから、なかなか手を出さなかった
島津軍もほんとに強かったそうだ

182:日本@名無史さん
18/11/29 23:20:50.76 .net
>>174
タカミムスビ

183:日本@名無史さん
18/12/08 21:27:18.46 .net
日本書記や古事記の中つ国葦原とは
福岡県筑紫郡那珂川辺りだね
ヤマタノオロチは那珂川を含めて裂田の溝を含めている
洪水被害の多かった地域に「さくたのうなで」を
造ったことで地域に安定をもたらした
裂田神社の横の地中の大岩(花こう岩)が
ヤマタノオロチで剣の刃が欠けた所
偶然かも?その地域は山田ノオロチ
神話の始まりは、やはり福岡
@東京

184:日本@名無史さん
18/12/08 21:40:44.81 .net
つまりヤマタノオロチとは
水害洪水で住民に被害をもたらす
川のこと

185:日本@名無史さん
18/12/08 21:43:54.79 .net
>>177
その川は倭国(阿波)の大河。  @阿波

186:日本@名無史さん
18/12/08 22:50:33.00 .net
◆中国の釜

中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた

. 

187:日本@名無史さん
18/12/09 07:31:22.57 .net
豊中国葦原を筑紫郡山田一帯とするならば
那珂川の上流側に天の高原があることになる 

188:日本@名無史さん
18/12/09 10:18:55.65 .net
日本、古倭奴也。
去京師萬四千里、直新羅東南、在海中、島而居、東西五月行、南北三月行。
國無城郛、聯木為柵落、以草茨屋。
左右小島五十餘、皆自名國、而臣附之。
置本率一人、檢察諸部。
旧唐書と新唐書
平家物語をよんでも当時の人々の家は

189:日本@名無史さん
18/12/09 12:17:03.80 .net
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww

URLリンク(search.yahoo.co.jp)

アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww

URLリンク(search.yahoo.co.jp)

190:日本@名無史さん
18/12/09 20:36:45.55 .net
今日、江戸東京博物館に行ってきました
企画展「古代を彩る至宝(玉)」を見てきました
全国に翡翠、赤メノウ、碧玉など
いろんな勾玉がありますね
あぁいろんな所を旅したくなった

191:日本@名無史さん
18/12/11 12:13:36.10 .net
最近ニュース速報+に古代史歴史スレが、よく立つね。
これ気に入った
963: 12/11(火)09:13 ID:R4EL


192:cWF90(12/17) AAS >>954 邪馬台国畿内説などと言う学説は存在しない 卑弥呼が居た三世紀半ばは、西日本は出雲や吉備や近畿などいくつかの豪族が割拠して 緩やかに連合している状態であり、 どの勢力も他を軍事的に統括することは出来ずにいた。 これは古代日本史の完全な常識であり、異を唱えるものなど居ない。 しかるに、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。 つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺を軍事的に統括することが出来ずにいるのに 中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括することが出来たと主張することになる。 このような説はバカが言う説であり、もはや学問の体をなしていない。 邪馬台国畿内説は検証を加える以前に、立論の段階で失敗してしまっており、学説として成立していない。 邪馬台国畿内説は、ただのファンタジー 



193:日本@名無史さん
18/12/11 12:21:16.74 .net
>>183
>全国に翡翠、赤メノウ、碧玉など
>いろんな勾玉がありますね
>あぁいろんな所を旅したくなった

勾玉の発祥・供給地も倭国(阿波) と、何度言えばw  
勾玉製作の本家本元 倭国(阿波)へいらっしゃい。  @阿波

194:日本@名無史さん
18/12/11 12:24:18.28 .net
>>184
>卑弥呼が居た三世紀半ばは、西日本は出雲や吉備や近畿などいくつかの豪族が割拠して
>緩やかに連合している状態であり
妄想過多。 各地で「忌部はん」が活動・活躍しているだけのこと。  @阿波

195:日本@名無史さん
18/12/11 12:27:06.39 .net
考古学者って歴史を知らないバカ集団だからね

196:日本@名無史さん
18/12/11 13:40:53.07 .net
>>184
そもそも畿内説って言葉の時点でセンスがない

197:日本@名無史さん
18/12/11 13:45:10.77 .net
大和では遺跡が全く足りないから拡大しただけだからね。

198:日本@名無史さん
18/12/11 13:55:45.40 .net
>>189
>大和では遺跡が全く足りないから拡大しただけだからね。
それ以前に、海だね。 海が欲しいから拡大した。 海に接していないとお話にならない。  @阿波

199:日本@名無史さん
18/12/11 13:56:11.56 .net
【アマルガム】 有毒廃棄物として処理される水銀を、口の中ならOK、と歯に詰めた歯科医を逮捕すべき
スレリンク(liveplus板)
ロボトミー手術・・・ この手術を考案したモニッツは、ノーベル賞を受賞している
URLリンク(twitter.com)
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200:日本@名無史さん
18/12/11 17:07:17.84 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

201:日本@名無史さん
18/12/12 11:28:14.18 .net
忘れない内にコピーしとこ
: 09/05(水)23:12 AAS
「高祖村、椚 二十四戸。慶長の頃、黒田長政、村の南の、野地を開き、田地とすべしと、手塚水雪に命ぜられし書状、今も、農民、田中が家にあり。
其書に、五郎丸の内、日向山に、新村押立とあれば、椚村は、此時立しなるべし。
民家の後にあるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。
田中は、元亀天正の間は、原田家より与へし文書、三通を蔵す」
(福岡県地理全誌抜萃目録、恰土郡之部。大正二年五月発行、『怡土志摩郡地理全誌』東京糸島会発行所収)
「福岡県地理全誌」は明治5年、陸軍省の「全国地理図誌」編集の命を受け、
旧福岡県(筑前15郡)が明治5年から7年にかけて調査し、5年から13年にかけて
編集した郡村地誌である。
第六巻は早良・怡土・志摩の各郡を収めた

202:日本@名無史さん
18/12/12 12:41:05.34 .net
【筑紫の日向】
福岡県の高祖山の最高峰は高地山、別名をクシフル山とも言う。
古事記では天孫降臨の地は「筑紫の日向の高千穂の峰のクジフル岳」とあり、福岡県のクシフル山とするべきだろう。
考古学的にも、三種の神器を伴う弥生墳墓は高祖山の東の福岡平野と西の糸島平野にのみ発見されている。
クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある。
宮崎県の日向高千穂では意味が通らないが、福岡県の高祖山なら、福岡平野と糸島平野の間にあり朝鮮半島に向かう博多湾に面している。
最初の王墓として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、須玖岡本遺跡(紀元前1~1世紀)があり、
高祖山をはさんだ西側の糸島平野に三雲南小路遺跡(1世紀頃の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1~2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2~3世紀の女王墓)がある。
これらの遺跡からは、皇位の象徴とされる三種の神器と同じ剣、鏡、玉があわせて出土する。
倭国王権の起源は稲作伝来と弥生文化発祥の地である博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
漢により冊封された王権の象徴としては他にガラス璧があり、福岡県の須玖岡本遺跡、三雲遺跡、峯遺跡、宮崎県の玉の山遺跡からのみ出土している。
伊都国の三雲南小路遺跡には王と王妃があわせて葬られており、ニニギと木花開耶姫といわれる。
その拝殿である細石神社は江戸時代まで「漢倭奴国王」の金印を保管していたと伝えられている。
伊都国の平原遺跡からは円周が八咫(あた)となる超大型内行花文鏡が出土していて、ニニギがアマテラスから受け取った倭国の王権の象徴である八咫の鏡と考えられる。
高祖山には後世に山頂から山麓までを囲む中国式山城である怡土城があり、峰々に楼閣があった。
その中に高祖神社がある。これが記紀にある高千穂宮だろう。
筑紫の日向にあった伊都国が倭国の王都であり、高祖山の高千穂宮が倭王である天孫降臨の舞台、神武東征の出発地、そして倭国女王卑弥呼の王城である。

203:日本@名無史さん
18/12/12 14:28:34.61 .net
クジフルとは久智古?久智振?
あと津の意味は、港?船着き場?市場?
どなたか教えてください

204:日本@名無史さん
18/12/12 14:40:06.12 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

205:日本@名無史さん
18/12/12 14:40:36.74 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

206:日本@名無史さん
18/12/12 14:44:02.89 .net
青柳種信ってどうなん

207:日本@名無史さん
18/12/12 16:39:12.82 .net
>>195
漢字がなかった頃の地名だから、漢字は全て当て字。

208:日本@名無史さん
18/12/12 16:59:36.01 .net
>>189
>大和では遺跡が全く足りないから拡大しただけだからね。
それ以前に、海だね。 海が欲しいから拡大した。 海に接していないとお話にならない。  @阿波

209:日本@名無史さん
18/12/12 17:27:01.48 .net
>>195
本来の意味は船着き場です。でも発展すれば港にも市にもなるでしょ

210:日本@名無史さん
18/12/13 12:37:12.11 .net
>>201わかりました。ありがとうございます

211:日本@名無史さん
18/12/16 18:31:17.87 .net
猿田彦
実は、猿田→さるた→去る田
天照の領地の古代米を配った、もしくは苗を配った人
 
古代米をサルタと言う場所も有るんだよ
 
やっぱり人間だもの
食べさせてくれる人(農業指導者)が初期の神になったはず
 
もちろん妄想だけどね、当たってる気もする

212:日本@名無史さん
18/12/16 18:40:27.13 .net
大宜都比売神(オオゲツヒメ)は、『古事記』に云う粟国(阿波国)の国神となる女神であり、日本の養蚕・五穀の起源神、日本の偉大なる食物の女神、かつ日本最古の農業神である。
また、焼畑農業神、稲作・畑作農業神としての顔をもつ。『古事記』にあるオオゲツヒメの死は、死と再生という自然循環思想を表す。
穀物名を国名とするのも、農業神が国神となるのも日本で阿波国のみである。  @阿波

213:日本@名無史さん
18/12/16 18:45:52.51 .net
だからサルタ彦も農業神と思うんです

214:日本@名無史さん
18/12/16 18:53


215::46.52 .net



216:日本@名無史さん
18/12/16 18:54:38.39 .net
「忌部はん」 はみんな農業神でもあり、最先端のスーパー頭脳集団なんだよ。  @阿波

217:日本@名無史さん
18/12/16 18:55:59.57 .net
>>206
>キビも穀物名
吉備が?  @阿波

218:日本@名無史さん
18/12/16 19:02:36.96 .net
米国

219:日本@名無史さん
18/12/16 19:15:14.66 .net
>>193高祖村24戸
これよく読んで思ったのは
倭人伝の住民2万などの表記は嘘かも。無理がある
何人が調べたのか知らないけど
万の数字を数えるのは想像以上に難しいぞ
 

220:日本@名無史さん
18/12/16 19:51:42.03 .net
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww

URLリンク(search.yahoo.co.jp)

アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww

URLリンク(search.yahoo.co.jp)

221:日本@名無史さん
18/12/16 19:52:38.97 .net
筑前国郡絵図 福岡県立図書館 怡土郡
これに高祖村の椚地区が何処なのか記してある

222:日本@名無史さん
18/12/16 19:55:29.28 .net
椚って現在でも残ってる地名じゃんか

223:日本@名無史さん
18/12/16 20:29:00.54 .net
: 09/05(水)23:12 AAS
>「高祖村、椚 二十四戸。慶長の頃、黒田長政、村の南の、野地を開き、田地とすべ>しと、手塚水雪に命ぜられし書状、今も、農民、田中が家にあり。
>其書に、五郎丸の内、日向山に、新村押立とあれば、椚村は、此時立しなるべし。
>民家の後にあるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。
>田中は、元亀天正の間は、原田家より与へし文書、三通を蔵す」
江戸時代にこの状況だったから、三世紀の高祖村なんて、どうだったんだろうね。
此処に出てくる原田家というのは、中世以来のこの地の領主・旧家だろ。原田大六も其の家系だったのかな。

224:日本@名無史さん
18/12/17 07:26:22.50 .net
逆に、今の椚集落はかつての五郎丸とやらの中にあるということだな。
つまりは高祖城の城郭の中ということだ。
高祖城、怡土城の城域は200ヘクタールとされているが、椚は含まれていなかったように思う。
しかし実は椚やその傍を通る日向峠も城域に含まれていたのだろう。
そうでないと伊都の防衛に不足するもんな。
伊都と博多を結ぶ主要交通路を遮断する山城が高祖城というわけだ。

225:日本@名無史さん
18/12/17 08:33:53.34 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

226:日本@名無史さん
18/12/18 16:19:09.98 .net
>>215
>伊都と博多を結ぶ主要交通路を遮断する山城が高祖城というわけだ。
読んでて哀れになるから、妄想の九州説を書き連ねても無駄だと思うよ?
高祖城なんて、3世紀以前にはあるはすもないんだから

227:日本@名無史さん
18/12/18 17:46:50.92 .net
では筑紫城と呼ぶか?
伊都城?
高千穂宮?

228:日本@名無史さん
18/12/18 17:54:39.38 .net
>>215
>伊都と博多を結ぶ主要交通路を遮断する山城が高祖城というわけだ。

妄想は聞き飽きた と、何度言えばw   @阿波

229:日本@名無史さん
18/12/18 18:00:23.57 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

230:日本@名無史さん
18/12/18 18:33:22.53 .net
筑前・高祖城 (別名:高祖山城,原田城)
>形態・朝鮮式山城(416m/380m)
>建長元年(1249年)に原田種継によって築かれた。 高祖山城は元・怡土城の一部を利用して築かれている。

231:日本@名無史さん
18/12/18 19:01:41.01 .net
筑前・高祖城主の原田一族は、中国人の血筋だった、、、

232:日本@名無史さん
18/12/18 19:09:24.12 .net
伊都城と書いたほうがいいのか?
もともと中国の国邑は城壁を持つのが普通だしな。
奴国は城壁など持たない広域都市だったろうけど。

233:日本@名無史さん
18/12/19 05:11:09.48 .net
「年魚あり」これってどの古文に書いてあるのかな
忘れて見つけられない

234:日本@名無史さん
18/12/19 07:32:04.60 .net
筑紫の日向のクジフル山にある宮なら、高千穂宮と呼ぶべきかな。
魏志倭人伝も記紀も、伊都が倭の王都ということで一致していることになる。
そもそも、これだけの大国?で王都の場所がはっきりしていないなんておかしいけどな。
隋書や唐書を読んでも、倭の王都はそもそも筑紫なんだよ。

235:日本@名無史さん
18/12/19 08:28:10.74 .net
筑紫の日向の橘の・・・、宮崎だろ。

236:日本@名無史さん
18/12/19 08:33:54.78 .net
筑紫の日向の小戸が福岡市西区小戸

237:日本@名無史さん
18/12/19 08:34:13.32 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

238:日本@名無史さん
18/12/19 08:39:28.65 .net
西向きの伊都・高祖・日向ではねえ
糸島は、博多奴国から監視されてたんじゃないの

239:日本@名無史さん
18/12/19 08:46:15.71 .net
西向きだからいいんだよ。
神武が長髄彦


240:と戦った時の言葉に、天神は太陽を背にするべきだとある。 高祖宮はまさにその通りの配置なんだよ。 糸島平野から見ると、高千穂の神奈備を日の出る方角に仰ぎ見ることになる。 これは神仙思想や天照の太陽信仰にも通じる。



241:日本@名無史さん
18/12/19 08:55:29.05 .net
>>227
ウソはイカンぜよ
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」
倭国(阿波)の「竺紫(とくし)」で、倭国(阿波)の「阿波岐原」 
高らかに、倭国(阿波)を讃えていますね。   @阿波

242:日本@名無史さん
18/12/19 08:58:00.08 .net
西は日の没するところ
ま、仰ぎ見るということは、臣下だったということだな

243:日本@名無史さん
18/12/19 09:01:16.75 .net
糸島平野は、筑紫平野の1/30ほどしかない。しかも西向きのどん詰まり。
笑わせんな。

244:日本@名無史さん
18/12/19 09:04:48.62 .net
>>233
まぁまぁ、トンデモ九州同士、喧嘩はおよし。  @阿波

245:日本@名無史さん
18/12/19 09:08:52.40 .net
怡土城の城郭は、山頂と西麓にあるので、三雲地区から見上げることになる。
福岡側からは見えない。
臣民は東を仰ぎ見て、天神は太陽を背に君臨する構図になる。

246:日本@名無史さん
18/12/19 09:13:30.17 .net
雑穀か。
古代の中原の主食はアワ、アワめしが一番の御馳走だったのだ。

247:日本@名無史さん
18/12/19 09:16:40.51 .net
福岡の出城で、糸島の監視台だったのだろうな。
そう考えると配置が良くわかる。

248:日本@名無史さん
18/12/19 10:23:20.11 .net
もめないで答えてくれ
年魚ありってどの古文にのってるのさ

249:日本@名無史さん
18/12/19 10:43:07.06 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

250:日本@名無史さん
18/12/19 11:16:44.54 .net
>>238
>年魚ありってどの古文にのってるのさ
ヨコだが、「年魚あり」の記述は知らないが、「年魚」は
延喜式(巻7、神祇7)[践祚大嘗祭式]の「由加物」条に有る「らしい」。  @阿波
・阿波国所献麁布一端 木綿六斤 年魚十五缶 蒜英根合漬 各六尺 倭文六尺 木綿麻各二斤 葉薦一枚 作具钁 斧小斧各四具 鎌四張。鑿十二具。刀子四枚。鉈二枚。火鑚三枚。並令忌部及潜女等量程造備
・凡紀伊 淡路 阿波三国造由加物使向京之日 路次之国掃道路祗承

251:日本@名無史さん
18/12/19 12:18:19.99 .net
邪馬台国は最低でも一級河川を管理下においている。

252:日本@名無史さん
18/12/19 12:21:55.05 .net
那珂川

253:日本@名無史さん
18/12/19 12:22:23.66 .net
>>237
邪馬台国時代、奴国に王はいない。

254:日本@名無史さん
18/12/19 12:33:54.81 .net
>>240ありがとう、だけどその年魚ではないのよ
そっちの年魚は鮎
古代の年魚は鮭
ソースは和妙

255:日本@名無史さん
18/12/19 14:18:36.66 .net
高祖山の望楼跡に登ると
福岡市内や博多湾がよく見える。
白村江のときの博多湾の監視に使われてたそうな。

256:日本@名無史さん
18/12/19 16:32:57.17 .net
伊都の一大率も使ったかもね。

257:日本@名無史さん
18/12/19 17:26:01.71 .net
>>242
那珂川じゃあ7万戸は養えない。

258:日本@名無史さん
18/12/19 17:31:08.88 .net
室見川もつけてあげよう。

259:日本@名無史さん
18/12/19 18:00:34.89 .net
高祖山は、東西南北の見張り台

260:日本@名無史さん
18/12/19 18:04:22.36 .net
当時の国境は
川から川までが国境、川向こう側は別の国
太宰府の町も川を渡ると別の景色
たぶん遠賀川と那珂川が鍵
昔の川はもっと大きく、入江も内陸奥まであった
 

261:日本@名無史さん
18/12/19 18:10:29.99 .net
そうだね、
川から川で分けるから、郡や郷も細長が~~かった、

262:日本@名無史さん
18/12/19 18:42:33.17 .net
>>244
>そっちの年魚は鮎
>古代の年魚は鮭



263: 邪馬台国(西日本)なら、「鮭」はない。 年魚は「鮎」。  @阿波



264:日本@名無史さん
18/12/19 19:11:32.10 .net
>当時の国境は
>川から川までが国境、川向こう側は別の国
農耕系の民の場合にはあたっている
漁労交易系の海の民の巣は汽水湖の周辺沿岸域ぐるっととか

265:日本@名無史さん
18/12/19 19:39:33.94 .net
>>252
一応、鮭は遠賀川、釣川、室見川にも居たらしい。
江戸時代だけど。
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)

266:日本@名無史さん
18/12/19 19:52:44.46 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

267:日本@名無史さん
18/12/19 19:56:31.16 .net
アワは、農林漁業にも、地理学にも、考古学にも弱い。
ただ一つ強いのは宗教。

268:日本@名無史さん
18/12/19 20:11:32.82 .net
>>252昔は福岡にも鮭が来てたらしいよ
福岡には鮭神社もあるんだよ

269:日本@名無史さん
18/12/19 20:13:12.23 .net
福岡を語るならこれ読んどこう
URLリンク(www.nakamura-u.ac.jp)
筑前国続風土記

270:日本@名無史さん
18/12/19 20:39:27.50 .net
各地の風土記のうち、「天地初発より記された」風土記は、阿波国風土記のみである。
「阿波国風土記」  @阿波  
URLリンク(sites.google.com)
通説では、天皇家や建国の歴史とは何の関わりもないはずの阿波国、 何故、その地誌「阿波国風土記」で唯一、天皇の称号について書かれているのだろうか?
役人が天皇に献上する書である。 上記の天皇が阿波に関係なければ、風土記なんぞに書ける訳がないのである。 「お前、何書いとんねん!」で済まされる話ではない。  @阿波 

271:日本@名無史さん
18/12/19 20:39:46.14 .net
福岡県地理全誌(明治5)も入れて下さい
当時は小倉県田川と福岡県に含まれていなかった為
田川周辺の古墳や神社は生き延びたと思っています
(明治の軍隊によるアレもすくなかったのかも)
盗掘や発掘も福岡県中心地より少ないと思っています
だから、のちの時代に大発見があるかもしれません←希望的観測w

272:日本@名無史さん
18/12/19 20:51:07.45 .net
なんで明治頃の陸軍あたりが
神社の巻物や古文書などを
回収したのか?
どこにあるのか

273:日本@名無史さん
18/12/19 21:27:30.18 .net
>>258
>筑前國続風土記 巻之二十二 怡土郡
なかなか面白い内容だった。
原田某は、我が氏は光武帝の遠孫と自称していたが、さにあらず。源頼朝卿のころに土着した人物、とか。
ちなみに伊都国の気配なぞ、まるきりないねえ。

274:日本@名無史さん
18/12/19 21:31:46.80 .net
>>259
続風土記ね。江戸時代前半に益軒先生が書いたやつ。
阿波さんだと読むといろいろ結びつくことあると思うよ。
>>260
豊前地域は熱いですね。
東九州道関連やら再開発やらでポコポコ出てますね。

275:日本@名無史さん
18/12/19 21:32:35.39 .net
>>261
全部燃やしたらしい。
高良大社では七日間に渡って古文書を燃やし続けたとか。

276:日本@名無史さん
18/12/19 21:44:57.52 .net
ほう、そんなことがあったのか。
薩摩は、天孫降臨の地を領内に引っ張ってきたりしたからねえ。
日本の歴史を薩摩に都合よく書き変えようとしたのだな。

277:日本@名無史さん
18/12/19 22:04:21.56 .net
なんでアワストーリーが出てくるんだよ、
この曲の話?
TWINZER『OUR LOVE STORY』

そういう業界のことは知らないけど、
エックスのハイドが何やらと言ってる人がいたり

数年前のとあるオカルト関係のスレ

278:日本@名無史さん
18/12/19 22:16:15.88 .net
たしかサカキバラ事件と同じようなことを言っていたよ
(さかきばら『SHOOLL KILLER』すくーる?)

エックスのハイドが何やらとか、

279:日本@名無史さん
18/12/19 22:40:36.58 .net
古代史の史料の大規模な喪失は三回ある。
白村江の後の畿内への政権移行
戦国時代の戦乱
明治維新

280:日本@名無史さん
18/12/19 22:42:35.39 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

281:日本@名無史さん
18/12/19 22:48:07.54 .net
余談だが、日本語の文法は大きく二回の変化を遂げている。
いわゆる古文は平安文学が中心だが、室町時代まで大きくは変わらない。
江戸時代から現代までは大きくは変わらない。
奈良時代より前はいわゆる上古文となる。
この変化はなぜ起きたのだろうか。
古文の時代は、政治や文化の中心が畿内にあった時代だろう。
江戸時代以降は、都は京都だが政治や文化の中心地は江戸または東京にあったわけだ。
では奈良時代より前の上古文の時代とは何だろう。
政治や文化の中心地が筑紫にあった倭国の時代ではないか。

282:日本@名無史さん
18/12/19 22:50:12.50 .net
『.。o○ LOVE STORY』
魔法のペルシャとか、本当に凄い話、
おかると?

283:日本@名無史さん
18/12/19 22:52:15.45 .net
『シャボン・カッター』

日本の話なんですよwwwと言ってる人がいたり、
漫画、アニメ・・・ゲームの話なのかな

284:日本@名無史さん
18/12/19 23:00:48.70 .net
このような作品があるから観て、あと曲も聴いてみて(youtube)

『Wizardry 1 [OVA] ウィザードリィ Toshiya Shinohara 1991』

285:日本@名無史さん
18/12/19 23:05:07.82 .net
『松傾』
この人物、家の話みたいなんだけど

286:日本@名無史さん
18/12/20 00:09:21.25 .net
それにしても老婆なんだよ、なぜ詳しかったんだろう
『歌舞伎』や『芝居』が好きで・・・ナニヤラ~という話とか
軍人なのか何なのか、わからないけど、
『松傾』の・・・・子供の頃の写真があって、何かの制服のようなものを着ている
でも戦争には行っていないよと言っていたり

287:日本@名無史さん
18/12/20 00:45:31.04 .net
『ボーボボ』?

288:日本@名無史さん
18/12/20 01:04:46.18 .net
肉は食べなかったと言っていたり、
たしか母親の話

本当に、どういう事なんだろう

289:日本@名無史さん
18/12/20 01:37:29.29 .net
話を作りすぎ
本当はシュテンドルフ(酒呑童子)の話でしょ、
きざくら~という曲とか
『松傾』

290:日本@名無史さん
18/12/20 01:40:27.36 .net
しゅてんどうじ?
むかーしの偉い人だという話でしょ、
何かの王子(皇子)?

291:日本@名無史さん
18/12/20 01:53:55.46 .net
誰かの本名なのかな、後の名前、名字
『聖徳太子 日本人ではない』

292:日本@名無史さん
18/12/20 02:01:05.53 .net
鳳凰?輿~?

あの写真の話でしょ
『葱の華』

『松傾』
このような名前の家の写真

293:日本@名無史さん
18/12/20 02:10:44.44 .net
それにしても老婆談だよ

本当に、おかしな話ばかり、
古代ローマ?の話が出てきたり
どこで勉強したんだろう

294:日本@名無史さん
18/12/20 02:23:07.48 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

295:日本@名無史さん
18/12/20 02:36:42.05 .net
ほとんど合致している
『聖徳太子 ペルシャ』
『平家 赤 百済』

296:日本@名無史さん
18/12/20 05:46:00.26 .net
百済スレの妄想ヒトモドキ>>270が書き込むと、セットで松傾の基地外も付いて来る謎現象(笑)

297:日本@名無史さん
18/12/20 07:28:42.18 .net
>>270
>では奈良時代より前の上古文の時代とは何だろう。
奈良遷都前の倭国(阿波)時代 と、何度言えばw  @阿波

298:日本@名無史さん
18/12/20 07:35:33.68 .net
>>286
妄想は聞き飽きた と、何度言えばw

299:日本@名無史さん
18/12/20 07:42:26.35 .net
この作品を観てみて、なぜ河童のほうが凄いのか?
となるでしょ、カミ(シン)そのものだから
『まんが日本昔ばなし 河童の雨ごい』

300:日本@名無史さん
18/12/20 07:45:23.22 .net
>>288
まだ朝鮮ヒトモドキ現れてないんだから百済スレ行っとけ松傾キチガイ

301:日本@名無史さん
18/12/20 07:45:27.28 .net
>>287
>妄想は聞き飽きた と、何度言えばw
上古文の時代は奈良遷都前の倭国(阿波)時代 と、何度言えばw 
奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。
阿波国国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。
ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。
ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。
それは、7世紀終末頃に阿波から奈良へ遷都(藤原京)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。
阿波国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
URLリンク(bunka.nii.ac.jp)
URLリンク(awakouko.info)
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
 

302:日本@名無史さん
18/12/20 07:45:38.18 .net
『まんが日本昔ばなし 河童の雨ごい』
ヒミコのような人物が出てくるでしょ、巫女?
なぜか役立たず

303:日本@名無史さん
18/12/20 07:46:35.57 .net
>>291
まだ朝鮮ヒトモドキ現れてないんだから百済スレ行っとけ松傾キチガイ

304:日本@名無史さん
18/12/20 07:55:47.22 .net
youtube『魔法の妖精ペルシャ OP1 [STEREO]』

ペルシャ自身、
そういう能力は持っていないというコメントがあったり

数年前の、とあるスレ
「貰った・・・・(役、能力?)・・・・でしょ」
みたいな事を言ってる人がいたり

305:日本@名無史さん
18/12/20 07:57:28.06 .net
>>293
まだ朝鮮ヒトモドキ現れてないんだから百済スレ行っとけ松傾キチガイ

306:日本@名無史さん
18/12/20 08:39:12.05 .net
>>287
>妄想は聞き飽きた と、何度言えばw
上古文の時代は奈良遷都前の倭国(阿波)時代 と、何度言えばw 
奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。
阿波国国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。
ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。
ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。
それは、7世紀終末頃に阿波から奈良へ遷都(藤原京)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。
阿波国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
URLリンク(bunka.nii.ac.jp)
URLリンク(awakouko.info)
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波

307:日本@名無史さん
18/12/20 08:42:14.17 .net
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。

「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
URLリンク(www.seibutsushi.net)

.

308:日本@名無史さん
18/12/20 08:42:33.64 .net
キュウリのような葉が写っている
写真があったでしょ、あと葱の華
『松傾』
こういう名前の家の写真

309:日本@名無史さん
18/12/20 08:45:51.92 .net
『河童』
について調べてみると、いろいろと書いてあるけど
あの写真は『松傾』だよ

310:日本@名無史さん
18/12/20 09:40:51.11 .net
>>297-298
まだ朝鮮ヒトモドキ現れてないんだから百済スレ行っとけ松傾キチガイ

311:日本@名無史さん
18/12/20 09:59:09.29 .net
>>290木簡それそれ!
その木簡文字は韓国カヤ文明からきたのかも
韓国の博物館にもある
韓国カヤ→伊都カヤ→泡
新羅に終われたカヤが泡にたどり着いた
すべて妄想ですが
当たってませんかねぇ?

312:日本@名無史さん
18/12/20 10:54:53.42 .net
>>300
>韓国カヤ→伊都カヤ→泡
>新羅に終われたカヤが泡にたどり着いた
「伊都カヤ」は蛇足だが、
新羅に追われたカヤが泡にたどり着いたのは本当だよ。 
倭国(阿波)で有力豪族となった蘇我氏が重用した。   @阿波

313:日本@名無史さん
18/12/20 10:58:18.07 .net
方墳墓は蘇我氏一族専用の墓型か?
蘇我氏の本拠地:徳島県石井町の曽我氏神社古墳群
先日のNHKでは、方墳は飛鳥時代蘇我稲目の都塚古墳から突然始まると放送されていたが
蘇我氏の本拠地とされる徳島県石井町の曽我氏神社古墳群にはそれに先立ち、古墳時代前期に既に10m×12mの方墳(2号墳)が確認されている。
このことから、方墳墓は蘇我氏一族専用の墓型であった可能性が高い。
また、同じ石井町には奈良の大和朝廷に先行すると思われる白鳳寺院跡および白鳳瓦窯跡が確認されている。
他にも吉野川中流域の美馬町・川島町にも白鳳寺院跡が存在する。
これらも阿波国内で頭角を現した有力豪族、蘇我氏に由来するものであろう。  @阿波
[石井町/曽我氏神社古墳群]
URLリンク(awakouko.info)

314:日本@名無史さん
18/12/22 11:43:11.32 .net
マツケイとアワに毒されたスレ(笑)

315:日本@名無史さん
18/12/22 15:02:27.39 .net
>>303
マツケイやなくてショウケイやろ
まーどーでも良いけど

316:日本@名無史さん
18/12/25 10:45:43.74 .net
宝満山(太宰府市)→須玖岡本遺跡(春日市)→
吉武高木遺跡→三雲南小路遺跡→一貴山銚子塚古墳
これらの史跡が同じ緯度で一直線なのは何故でしょう?

317:日本@名無史さん
18/12/25 11:19:14.25 .net
そこまできちんとした方向感覚を持っていたとは思えないな。
単にそこが倭国の王都であったというだけでいい。

318:日本@名無史さん
18/12/25 15:28:59.53 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

319:日本@名無史さん
18/12/25 17:18:19.76 .net
>>303
>マツケイとアワに毒されたスレ(笑)

その毒をいつまでも一向に解毒できないスレ(笑)  @阿波

320:日本@名無史さん
18/12/25 17:23:13.95 .net
>>308
解毒するまでもない空論だと何度言えばwww

321:日本@名無史さん
18/12/25 20:40:43.37 .net
松本清張の「古代史疑」をやっと手に入れた
難しい地名や漢字も多いけど読んで面白い
松本清張は詳しかったんだね、感心しきり

322:日本@名無史さん
18/12/25 20:47:09.38 .net
やっとって
去年文庫本の増補新版が出たばかりなのに

323:日本@名無史さん
18/12/26 20:57:37.17 .net
いろんな本やネットみてて
ひらめいたんですが
邪馬台国って
邪山、馬山、台山を線で結んだ場所じゃん
台山、馬山(赤馬山)はあるんだよ
邪山は見つけられないけど

324:日本@名無史さん
18/12/27 00:18:42.42 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

325:日本@名無史さん
18/12/27 08:58:55.29 .net
国境がわからないから、はっきりしない
大昔にはっきりとした国境があるとも思えず
川なのか山なのか平野なのか
マルコ・ポーロの東方見聞録と同じで、黄金の国ジパング
チンジュの倭国伝聞録かな
蓬莱山に不老不死なんてない
大部分の話を盛ったのかもね
みんな不老不死には興味示さず有るわけないで片付けてるのに
距離的だの短里だの方角とかには、厳密になりすぎ

326:日本@名無史さん
18/12/27 13:15:00.03 .net
国境のある狗邪韓国まで楽浪帯方から7千里と書いてありますよ。

327:日本@名無史さん
18/12/27 19:22:28.21 .net
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。

「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
URLリンク(www.seibutsushi.net)

.

328:日本@名無史さん
19/01/04 04:46:49.08 .net
明けましておめでとうございます
今年も宜しくお願いいたします

329:日本@名無史さん
19/01/04 05:10:49.61 .net
卑弥呼の墓
1)大坂山の石材を使用しているのか
2)日は人が作り、夜は神が作る、どんな意味
3)100人近い家来?の生け贄はあったのか?

330:日本@名無史さん
19/01/04 11:39:59.71 .net
>>318
それ、3)以外は卑弥呼の墓じゃなくて箸墓の記述

331:日本@名無史さん
19/01/04 12:36:26.35 .net
書記にかいてあるやん崇神に

332:日本@名無史さん
19/01/07 18:31:22.94 .net
個人的に面白いと思ったのは、
「明史」が豊臣秀吉のことを「倭奴平秀吉」と記していることに
着目して、志賀島の金印


333:にある「倭奴国」を、 倭国のうちの奴国ではなく、倭国の蔑称であると解釈していることです。



334:日本@名無史さん
19/01/07 18:39:55.18 .net
匈奴
倭奴

335:日本@名無史さん
19/01/07 19:25:57.35 .net
倭人伝を読むにつれ、
倭の30国は、女王国の親藩と譜代と外様に分けて書かれているよな気がしてきた。
「奴」の付く国は、明らかに外様・・。、

336:日本@名無史さん
19/01/07 21:25:27.29 .net
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww

URLリンク(search.yahoo.co.jp)

アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww

URLリンク(search.yahoo.co.jp)

337:日本@名無史さん
19/01/08 13:02:40.17 .net
URLリンク(www.y-tohara.com) 
これ面白い勉強になったメモ

338:日本@名無史さん
19/01/08 18:15:26.67 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

339:日本@名無史さん
19/01/09 12:49:42.15 .net
縁起によると、
「桓武天皇延暦23年804、大師勅を奉じて入唐の際、
まず宇佐神宮に詣でる。
八幡台菩薩託して曰くに「是従西に旧神在り、
賀春明神という、 此の大神久しく三韓の境土にあり、
宜しく就いて渡唐をなすべし」と、
大師即ち春賀宮に賽し明神に祈願すれば...」とある。
  
神功皇后の三韓征伐って
香春岳三山に住み着いていた渡来系を征伐した
これが真実かもなあ

340:日本@名無史さん
19/01/09 13:06:38.40 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

341:日本@名無史さん
19/01/10 21:29:23.01 .net
豊の国が水銀産地であり、
赤染氏が祭祀する香春神社の神体山の鷹の巣金山や
百舌鳥原金山で水銀を採取していた。
福岡と大分の辺りで丹は取れてたんですね

342:日本@名無史さん
19/01/10 21:31:22.83 .net
取れてたよ。奈良時代くらいにね。
けど邪馬台国時代には取ってないよ。
其山有丹=倭国の山には丹が有るだけで、取ってたら朱儒国になっちゃうからね。

343:日本@名無史さん
19/01/10 21:36:48.56 .net
けっこう古いブログみたいだけど
かなり詳しいわ、このブログ主
URLリンク(www.google.co.jp) 
 
忘れないうちに書いておく
 

344:日本@名無史さん
19/01/10 21:48:52.96 .net
百舌鳥って百の舌を持つ鳥
他の鳥の声を真似る鳥と言われる
あれれ?
どこかの県の大きい古墳ばかりある場所
百舌鳥って地名だったような

345:日本@名無史さん
19/01/10 21:50:41.24 .net
>>330
>其山有丹=倭国の山には丹が有るだけで、取ってたら朱儒国になっちゃうからね。
残念ながら、朱儒国の説明に「其山有丹」はないんだけどwww   @阿波

346:日本@名無史さん
19/01/10 22:03:10.79 .net
>>330邪馬台国時代より前の
秦王国時代に丹は取れてたみたいですね
 
どうやら遠賀川や田川は、
一般の古代史では説明のつかない時代が
存在したかもしれませんね 

347:日本@名無史さん
19/01/10 22:04:14.59 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

348:日本@名無史さん
19/01/10 22:06:19.28 .net
>>334
田川辺りは奴国 と、何度言えばw  @阿波

349:日本@名無史さん
19/01/10 22:10:22.24 .net
7世紀以前の九州の歴史はほとんど失われているんだよね。

350:日本@名無史さん
19/01/10 22:12:12.41 .net
記紀に書いてあるよ

351:日本@名無史さん
19/01/10 22:15:26.76 .net
畿内と関わる部分しか書いてないんだよ。
例えば筑紫の支配者についての連続した記録はない。

352:日本@名無史さん
19/01/10 22:17:50.09 .net
>>339
>畿内と関わる部分しか書いてないんだよ。
残念。 倭国(阿波)だよ。  @阿波

353:日本@名無史さん
19/01/10 22:41:00.21 .net
筑紫の日向
日向三代
神武東征
神武は日向を出て東征
じゃあ次代以降は日向にいたわけだ

354:日本@名無史さん
19/01/10 23:21:38.89 .net
それが卑弥呼
だから卑弥呼は記紀に登場しない

355:日本@名無史さん
19/01/11 07:51:45.00 .net
田川は鷹羽、タカミムスビの土地。
高良玉垂命は後にタカミムスビに勝利。
景行天皇のクマソ征伐まで九州を支配。

356:日本@名無史さん
19/01/11 08:18:24.79 .net
高良玉垂命の実体は武内宿禰だよ。
高良大社の末社はいずれも武内宿禰を祭神としている。
神功皇后を操り筑紫の実権を掌握した倭王だよ。
筑前一宮住吉神社では住吉の神と呼ばれ、筑後一宮高良大社では玉垂命と呼ばれる。
つまり筑紫の倭王だ。
その息子が応神天皇となる。

357:日本@名無史さん
19/01/11 10:00:35.75 .net
高良玉垂命とタカミムスビが同世代

358:日本@名無史さん
19/01/11 10:18:35.23 .net
住吉神社の元社は田川郡の現人神社(あらひと神社)、
新羅の人って意味な
応神の産まれたのは田川郡川崎川尻の大石神社
大石神社の伝承に書いてある
古事記日本書紀には書いてない伝承が大石にはあるんだよ
 

359:日本@名無史さん
19/01/11 10:29:43.34 .net
>>346
>新羅の人って意味な
ここはこじつけじゃない?
まあ、畿内しか頭にない人は九州について記紀でもその他の古史古伝でも現実感がないわけだけど、九州では誰それがここで何をしたとか、ここに住んでいたとか、当たり前なんだよね。

360:日本@名無史さん
19/01/11 10:30:17.58 .net
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。

「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
URLリンク(www.seibutsushi.net)

.

361:日本@名無史さん
19/01/11 17:14:55.83 .net
いにしえにおいて
天皇は現人神なり
と言われた時代もあったけん

362:日本@名無史さん
19/01/11 20:46:54.62 .net
なんせ福岡には変わった名前の神社が多い
現人神社は田川と那珂川で2つある
みやま市には荒仁神社
他にも不思議な名前の神社がたくさん
まず始まりは阿曽隈社跡地から調べて読んでみて下さい 

363:日本@名無史さん
19/01/11 22:46:57.47 .net
>>346
>現人神社(あらひと神社)
ツヌガアラヒト?

364:日本@名無史さん
19/01/12 23:11:12.01 .net
ツヌガアラヒト→つのがあらすひと→角が有る人
鬼の様な人の顔の彫り物がある神社→現人神社高良神社伏見神社
つまり牛頭天皇
 
どうですか?面白いでしょ@東京

365:日本@名無史さん
19/01/12 23:19:48.69 .net
すいません牛頭天王です

366:日本@名無史さん
19/01/13 00:45:10.78 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか

経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

367:日本@名無史さん
19/01/14 09:38:04.60 .net
土蜘蛛
1)土蜘蛛は土雲。雲とは空を漂う、定住せず仕事で移住する人、人足。
土を掘る仕事が土雲か?
2)土蜘蛛の漢字から虫偏をとれば、土知朱。朱や丹に携わる人々か
3)近いニュアンスとして江戸時代までは雲助という言


368:葉が使われていた。 Wikipediaで雲助を参照して下さい 4)山に穴を掘り住んでいた人々。古代に米を持ち込んだ人々。  



369:日本@名無史さん
19/01/15 17:23:32.16 .net
オノコロ島とアワ島は日本じゅうにある
なぜか?
どうしても秘密もしくは曖昧にしておきたい
理由があるからだろう
倭人や大和の成り立ちに関係あるのだろうか
なぜですか

370:日本@名無史さん
19/01/15 17:45:16.07 .net
>>356
倭国(阿波)だから。  @阿波

371:日本@名無史さん
19/01/15 17:52:20.47 .net
>>355
銅や水銀を掘る鉱山労働者およびその支配者を呼んだという説もあります。

372:日本@名無史さん
19/01/15 17:57:41.71 .net
>>358
倭国(阿波)だから。  @阿波

373:日本@名無史さん
19/01/15 19:27:16.32 .net
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww

URLリンク(search.yahoo.co.jp)

アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww

URLリンク(search.yahoo.co.jp)

374:日本@名無史さん
19/01/15 21:00:31.69 .net
やはり古代の地形を知ることが出来ないと
納得出来ない部分があるわ
古遠賀潟や香椎潟その他、詳しい地図ないのかな

375:日本@名無史さん
19/01/16 14:58:13.69 .net
>>359
オッケー分かった
寝言は巣に帰ってやれマヌケ
邪馬台国四国説 part1 [無断転載禁止]
スレリンク(history板)

376:日本@名無史さん
19/01/17 20:09:32.88 .net
ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!【大河ドラマのおなまえ】★2
スレリンク(livenhk板)

377:日本@名無史さん
19/01/17 20:13:00.11 .net
>>363
頭の病院に行けw
なぜゴキブリの話ばかりしているんだ

378:日本@名無史さん
19/01/18 00:20:42.65 .net
なぜゴキブリの話ばかりしているんだ?
池沼か何かなのか?

379:日本@名無史さん
19/01/18 00:23:29.62 .net
必要ないだろうと言っているんだよ、
放送免許?資格などが必要だという話なんだけど、
誰が許可したんだ

380:日本@名無史さん
19/01/18 00:39:00.04 .net
???????????????????????????❔
誰が良いと言ったんだ

381:日本@名無史さん
19/01/18 00:40:43.25 .net
>>367
無能は死んで詫びろ害獣

382:日本@名無史さん
19/01/18 00:52:06.54 .net
どこのゴキブリの集団なんだ?
このように言われたり、書かれたりするのが嫌なら

それらしくしろという話

383:日本@名無史さん
19/01/18 00:54:00.28 .net
>>369
無能は死んで詫びろと何度命令されれば実行するんだ?

384:日本@名無史さん
19/01/18 00:59:28.33 .net
無能は死ぬしかない
存在価値がないのだから
分かったら最寄りの安いビジホのユニットバスで首を吊れ

385:日本@名無史さん
19/01/20 22:55:28.50 .net
葛築女→くずちめ→く・ずち・め
kuとは何の意味だろう
蜘蛛?国巣?久?
葛築女、葛城、土蜘蛛
なんか似てるんだよなあ
いろいろと

386:日本@名無史さん
19/01/21 00:50:02.34 .net
葛築目→くずちめ→くずち・め
似た言葉)いかづち、みづち、みつち、のづち
いろいろと探してみたけど??でした
本草和名(918年)に、久都知って薬草がある
ならば久都知女が当てはまらないかな
福岡の地名や山の漢字を一つ一つ取って付けたみたいな名前だなあ
 

387:日本@名無史さん
19/01/21 07:17:31.82 .net
クズが地名で、チが接続詞かな?

388:日本@名無史さん
19/01/21 07:27:42.55 .net
あと、常陸国風土記では、クズは土蜘蛛の別名としているそうです。
九州北部に多い古代の女性首長の一人ですね。
卑弥呼を筆頭とする女性首長はほぼ九州北部の固有の文化と言ってもいいでしょう。
景行天皇に征伐されたそうです。

389:日本@名無史さん
19/01/21 10:20:14.15 .net
薬草でクズチを調べててみるとわかるけど
クズチには2つ育ち形があって、片方しか薬草に向かないんだと
ヒカゲノクズチ→日陰の久都知(薬草にむかない)
ヒナタノクズチ→日向の久都知(薬草に向く)
また日向って漢字が出てきたよ...
 

390:日本@名無史さん
19/01/21 12:26:09.38 .net
くずち・め
みずち、みつち→水辺の妖怪
のずち→山の妖怪
くつち→テンカン持ち、ちょっとイカれてる人
卑弥呼や女王が鬼道のシャーマンって本当かもな
誰か知ってないと、ここまで繋がらない
おおやけにされてない書物があるんだろうな 

391:日本@名無史さん
19/01/22 10:39:56.13 .net
葛築目くずちめ
く→土蜘蛛
ず→頭、首長
ち→接続詞
め→女
これで正解だと思う

392:日本@名無史さん
19/01/22 11:22:12.04 .net
くずで土蜘蛛の意味だそうだ。

393:日本@名無史さん
19/01/22 19:33:00.77 .net
鴨族の語源は蒲族だろ

394:日本@名無史さん
19/01/22 20:05:23.45 .net
鳥がトーテムだったのじゃないか?

395:日本@名無史さん
19/01/22 20:52:15.36 .net
うまく貼れたかわからいけど
暇なら見て欲しい
URLリンク(horubai.jp)
福岡筑豊辺りの神社の簡単な説明のある表です
天降神社、白鳥神社、熱田神社、大石神社、鏡山神社などなど
古事記日本書紀が正しいか判らないけど
変わった伝承のある神社の話も面白い
やっぱり田川、嘉麻、川崎、飯塚は重要な土地だよ

396:日本@名無史さん
19/01/22 21:15:34.87 .net
忘れてた
鮭神社と日天宮も見てね
日天宮はヒミコがいた場所かもよ

397:日本@名無史さん
19/01/22 22:18:33.63 .net
記紀はダイジェストなんだよ。
現地の社伝がそもそもは公式記録のようなもの。
それを信じないとか信じたくないとか喚くキナイコシには歴史を語る資格はない。

398:日本@名無史さん
19/01/23 08:11:29.32 .net
邪馬台国は遠賀川流域、物部氏の支配地域と重なる。

399:日本@名無史さん
19/01/23 12:32:06.03 .net
>>384
>それを信じないとか信じたくないとか喚くキナイコシには歴史を語る資格はない。
「キナイコシ」という言葉を使う人は総じてバカ

400:日本@名無史さん
19/01/24 10:04:47.42 .net
これ他の人のHP なんだけど貼れるかな
URLリンク(ugaya.jimdo.com)
興味深い地図が載ってるんだけど

401:日本@名無史さん
19/01/24 10:12:06.02 .net
ウガヤフキアエズ
田川郡川崎の天降神社の祭神がウガヤフキアエズなんだよね
なかなか少ない神様だから
うえのHPと繋がらないかな
田川川崎と大分県は近いんだよね

402:日本@名無史さん
19/01/24 10:13:12.49 .net
>>385
>邪馬台国は遠賀川流域、物部氏の支配地域と重なる。
遠賀川流域は、伊都国、奴国の地で、筑紫「忌部はん」の支配地域。  @阿波

403:日本@名無史さん
19/01/24 10:34:00.88 .net
>>387
メチャクチャやん
蝦夷が入鹿の子供と書いてあるし、
乙巳の変のクーデターで天武天皇が即位したとか書いてるし
あまりにも日本史知らなさ過ぎ
トンデモ以前だわ

404:日本@名無史さん
19/01/24 11:56:09.17 .net
スピリチュアル系ですね

405:日本@名無史さん
19/01/25 09:10:15.72 .net
またニュース速報+に邪馬台国のスレがたっている
かなり書き込み多く盛り上がり
面白い書き込みが多い
377: 01/25(金)08:47 ID:zeo0MvUO0(4/4) AAS
>>313
九州の古墳の壁画には
船の舳先に鳥が留まっているものがあるだろ。
外部リンク:tacchan.hatenablog.com
これが神武よりも先に大和に降臨=渡来した饒速日(ニギパヤピ)が乗ってきた天磐船(アマのイワぷね)だ。
アマというのはカヌーの船体と直角に取り付けた転覆防止用の浮きのことだ。
日本語wikiより
アウトリガーカヌー (Outrigger canoe) は、南太平洋などで用いられるカヌーの一種。安定性を増すために、カヌー本体の片脇あるいは両脇にアウトリガーとも呼ばれる浮子(ウキ)が張り出した形状をしている。
この浮子は多くのポリネシア諸語やミクロネシア諸語でama(アマ)とよばれ、
これを装備したアウトリガーカヌー自体はタヒチ語ではヴァア (va'a) 、ハワイ語ではワァ (wa'a) 、マオリ語ではワカ (waka) 、ヴァカ (vaka) などの言葉で呼ばれる。
引用終わり
万葉の故地「和歌浦(わかのうら)」はマオリ語でいうアウトリガーカヌーが並んだ浜辺を意味する。
//www.nwn.jp/old/kakokizi2014/20140712/hanseiki/4.html
磐船(いわふね)のイワはハワイ語でグンカンドリを意味する。グンカンドリは朝、島にある巣から飛び立って
他の鳥が捕まえた魚を横取りして夕方に島へ帰ってくる。
カヌーなどで遠洋航海する時グンカンドリを捕まえて船に載せておき、夕方に放すと近くの島を目指して飛んでゆく。
今で言うナビゲーターの役割を果たす。
饒速日(にぎぱやぴ)が率いる集団が黒潮に乗ってグンカンドリをナビゲーターにして大型カヌーで
熊野或いは河内にたどりついた。
叶姉妹の「叶」や狩野派の「狩野」などの苗字は「カヌー」を表わしている。

406:日本@名無史さん
19/01/26 19:36:05.55 .net
忘れないうちにメモ
441: 01/26(土)17:23 ID:SmJ7T1Te0(1/7) AAS
延喜式祝詞には、
皇御孫之命は、天之御蔭 日之御蔭と隠坐てとある
同じく、坐摩神社の井戸の神々は、皇御孫之命にお仕えして、天之御蔭、日之御蔭と隠れていたとある
また道饗祭の祝詞には、クナトが高天原で事を始めた皇御孫之命で、根の国底の国の侵略に抗ったと書かれている。
これが平安時代の朝廷の認識
重要なことは天下りしていないということ
天孫降臨神話は関係ないということ
天や日は関係ないということ

407:日本@名無史さん
19/01/26 19:39:29.46 .net
忘れないうちにメモ
468: 01/26(土)17:53 ID:SmJ7T1Te0(2/7) AAS
魏志倭人伝
邪馬台国の官
官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮。
伊支馬は生駒。生馬。火の神。
弥馬升は三見宿禰、出雲大臣の子。
弥馬獲支はミミ鷲、日鷲。
奴佳鞮は中臣。
邪馬台国の官は、大和朝廷の官と瓜二つ。
出雲地方には生馬神が祀られているんだな。
生馬神社境内には「牛荒神の大木」と呼ばれる木があり木�


408:ノ藁が巻き付けられている。 出雲風土記かな、生馬神の子は、もう荒ぶらないと言ったとか。 ヤマトの地名と出雲の集落名、共通点が多い。 邪馬台国の官の筆頭 伊支馬。これがどういう勢力か解明できれば、邪馬台国卑弥呼に近付ける気がする。 伊支馬、生駒、生馬、伊熊、猪熊、生目などの地名が、ヤマト、出雲、三河、遠賀川、宮崎に見られる。 何か関係あるのか? 生駒は火の神。 生馬神も藁が巻きつけられ、荒ぶって燃えると自らが燃えるようになされている。火の神か。



409:日本@名無史さん
19/01/26 19:44:44.18 .net
忘れないうちにメモ
472: 01/26(土)17:56 ID:SmJ7T1Te0(3/7) AAS
鎮魂歌
卑弥呼→台与の頃を歌ったものだろうか?
邪馬台国、初期のヤマト政権は、石器作りや狩猟を生業にしていた勢力が主体だったことが窺える
また、「フル」、「アチメ」という言葉は大和言葉では意味が分からないが、朝鮮語では「流れる」「朝日」という意味になる
初期のヤマト政権は、朝鮮半島と日本列島を行き来していた日本海側の勢力も関係していたのかもしれない
纒向遺跡の外来系土器から推測すると、これらの勢力は東海山陰吉備が主体だったと考えられる
石上神宮の布留の謂れは、刀が【流れてきて】布で受け止めたら留まったというもの。
【アチメ】 オオオオ オオオオ オオオオ
 天地ニキ揺ラカスハ サ揺ユラカス 神ワカモ 神コソハ キネキコウ キ揺ラナラハ
アチメ オオオオ オオオオ オオオオ
 【石ノ上】 【布瑠】社ノ 【太刀】モガト 願フ其ノ児ニ 其ノ奉ル 
アチメ オオオ オオオ オオオ
 【猟夫】ラガ 持タ木ノ【真弓】 奥山ニ 御狩スラシモ 弓ノ弭見ユ
アチメ オオオ オオオ オオオ
 上リマス【豊日霎】カ 御魂欲ス 本ハ金【矛】 末ハ木矛
アチメ オオオ オオオ オオオ
 【三輪山】ニ アリタテルチカサヲ 今栄エデハ 何時カ栄へム
アチメ オオオ オオオ オオオ
 吾妹子ガ、【穴師】ノ山ノ山ノ山モト 人も見ルカニ 深山カ縵為ヨ
アチメ オオオ オオオ オオオ
 魂筥ニ 【木綿】取リシデワ 魂チトラセヨ 御魂上リ 魂上リマシシ神ハ 今ゾ来マセル
アチメ オオオ オオオ オオオ
 御魂ミニ 去マシシ神ハ 今ゾ来マセル 魂筥持チテ 去リクルシ御魂 魂返シスナヤ

410:日本@名無史さん
19/01/26 19:49:27.47 .net
とりあえずメモした
478(1): 01/26(土)18:03 ID:SmJ7T1Te0(4/7) AAS
出雲国造神賀詞から抜粋
大穴持の命の申したまはく、
己命の和魂を八咫の鏡に取り託けて、倭の大物主くしみかたまの命と名を称へて、大御和の神奈備に坐せ、
◎八咫の鏡はオオナムチの和魂
八咫の鏡が今あるのは伊勢神宮
能の三輪に通じるな
三輪 能
思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。
三輪の神さんと伊勢の神さんは一心同体で石。
天の岩戸は関。
関の向こう側に追いやられていた勢力が、ヤマトを征伐し邪馬台国、ヤマト政権を作ったんだろう。
興味深いのは【石】というキーワード
奈良の石村はイワレと呼ばれていた
斎宮歴史博物館のホームページに面白い話が載っている。
神鳳寺縁起帳によれば、
天照大御神は蛇で、夜な夜な斎王の元に通っているらしい
その度に鱗を一つ落としていくんだとか
その鱗を櫃に収めているのだが、櫃が鱗で一杯になるとこの世の終わりが訪れるのだとか
この話は蛇で有名な三輪の神さんに通じる
当時の庶民の歴史認識が垣間見れて、面白い

411:日本@名無史さん
19/01/26 19:52:12.65 .net
忘れないうちにメモ
483: 01/26(土)18:06 ID:SmJ7T1Te0(5/7) AAS
大津皇子可哀想だな。
辞世の句
ももづたふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
ももづたふ、敦賀や鈴。
イワレと鴨を恨んでいるのかな。
雲隠りなむ、太陽が雲に隠れるのかな。
太陽は烏。
金烏臨西舎 鼓声催短命 
泉路無賓主 此夕離家向 
金烏の家は西にあるのかな。和泉路に賓主はなし。

412:日本@名無史さん
19/01/26 19:58:48.70 .net
畿内説ぽい書き込みですがコピーさせて頂きました
500(1): 01/26(土)18:16 ID:SmJ7T1Te0(6/7) AAS
ホツマツタエという真偽不明な言い伝えがある
スズ(銅鐸?)は暦の源
とか物の化成の話とか色々書かれていて、結構面白い
ウツホ(空)とカゼ(風)、ホ(火)、ミズ(水)の四気が化成して生じたのが鳥類(四化)で、
その中でもウツホ(空)が勝っている鳥は良く空を飛び(飛鳥か)、
カゼ(風)の勝る鳥は美声で囀(さえず)り(鶯?)、
ホ(火)の勝る鳥は良く水に泳ぎ(鴨?)、
特にミズ(水)に勝る鳥の羽は柔らかで上等な羽二重(はぶたえ)の原料となります。
スズという音で思い出すのは、サザキ
スズは古語で小さいという意味らしい。
小、少、スクナい
仁徳天皇
大雀命
オオ【サザ】キのミコト
鳥の王様はミソ【サザ】イ
日本書紀によれば、応神が生まれて喜んだのは、神産巣日の子ス【クナヒコ】ナとある
スクナヒコナは鳥の服を着ていたという日本書紀の記述もあるな
神産巣日、サザキで思い出すのは、
布都主、武甕槌の件で、櫛八玉神が料理をする話
この、私のつくる【火】は、大空高く【神産巣霊】(かみむすひ)の御祖尊の、命の富み栄える【新しい宮居】の煤の長く垂れ下がるように【焼き上げ】、
地の下は底岩に堅く焼き固まらせて、
緒の長い綱を延ばして釣りをする海人の釣り上げた大きな鱸(【すず】き)をさらさらと引き寄せあげて、
割り竹でたわむほど打って捕らえた、立派な魚料理を献上します
倭国大乱前に存在した畿内のクニは滅ぼされたのだろうか?

413:日本@名無史さん
19/01/26 19:58:57.32 .net
畿内説ぽい書き込みですがコピーさせて頂きました
500(1): 01/26(土)18:16 ID:SmJ7T1Te0(6/7) AAS
ホツマツタエという真偽不明な言い伝えがある
スズ(銅鐸?)は暦の源
とか物の化成の話とか色々書かれていて、結構面白い
ウツホ(空)とカゼ(風)、ホ(火)、ミズ(水)の四気が化成して生じたのが鳥類(四化)で、
その中でもウツホ(空)が勝っている鳥は良く空を飛び(飛鳥か)、
カゼ(風)の勝る鳥は美声で囀(さえず)り(鶯?)、
ホ(火)の勝る鳥は良く水に泳ぎ(鴨?)、
特にミズ(水)に勝る鳥の羽は柔らかで上等な羽二重(はぶたえ)の原料となります。
スズという音で思い出すのは、サザキ
スズは古語で小さいという意味らしい。
小、少、スクナい
仁徳天皇
大雀命
オオ【サザ】キのミコト
鳥の王様はミソ【サザ】イ
日本書紀によれば、応神が生まれて喜んだのは、神産巣日の子ス【クナヒコ】ナとある
スクナヒコナは鳥の服を着ていたという日本書紀の記述もあるな
神産巣日、サザキで思い出すのは、
布都主、武甕槌の件で、櫛八玉神が料理をする話
この、私のつくる【火】は、大空高く【神産巣霊】(かみむすひ)の御祖尊の、命の富み栄える【新しい宮居】の煤の長く垂れ下がるように【焼き上げ】、
地の下は底岩に堅く焼き固まらせて、
緒の長い綱を延ばして釣りをする海人の釣り上げた大きな鱸(【すず】き)をさらさらと引き寄せあげて、
割り竹でたわむほど打って捕らえた、立派な魚料理を献上します
倭国大乱前に存在した畿内のクニは滅ぼされたのだろうか?

414:日本@名無史さん
19/01/27 07:30:17.46 .net
塢舸水門 (萬葉集註釋 卷第五)
風土記に云はく、塢舸(をか)の縣。
縣の東の側(ほとり)近く、大江(おほかは)の口あり。
名を塢舸の水門(みなと)と曰ふ。
大船を容(い)るるに堪へたり。
彼(そこ)より島(北九州市若松區島郷)・鳥旗(とはた・北九州市戸畑區)の澳(うみのくま)に通ふ。
名を岫門(くきど・洞海湾)と曰ふ。
鳥旗は等波多(とはた)なり。
岫門は久妓等(くきど)なり。
小船を容るるに堪へたり。
海の中に両(ふたつ)の小島あり。
其の一を河白斗島(かごしま)と曰ふ。
島は支子(くちなし)生ひ、海は鮑魚(あはび)を出す。
其の一を資波島(しばしま)と曰ふ。
資波は紫摩(しば)なり。
両の島は倶(とも)に烏葛(つづら)・冬?生ふ。
烏葛は黑葛(つづら)なり。冬?は迂菜なり。
(今井似閑採択)
                          

415:日本@名無史さん
19/01/27 07:47:47.68 .net
怡土 (釋日本紀 卷十)
筑前の国の風土記に曰はく、怡土の郡。
昔者、穴戸の豊浦の宮に御宇(あめのしたしろ)しめしし
足仲彦(たらしなかつひこ)の天皇(仲哀天皇)、
球磨噌唹(くまそ)を討たむとして筑紫に幸しし時、
怡土の縣主等が祖(おや)、五十跡手


416:(いとて)、天皇幸しぬと聞きて、 五百枝(いほえ)の賢木(さかき)を抜取(こぢと)りて船の舳艫(へとも)に立て、 上枝(ほつえ)に八尺瓊(やさかに)を挂(か)け、 中枝(なかつえ)に白銅鏡(ますみのかがみ)を挂け、 下枝(しづえ)に十握劔(とつかのつるぎ)を挂けて、 穴門の引嶋(下關市彦島)に參迎(まゐむか)へて獻(たてまつ)りき。 天皇、勅して、「阿誰(たれ)人ぞ」と問ひたまへば、 五十跡手奏(まを)ししく、 「高麗の国の意呂山(おろやま・蔚山)に、天より降り來し日桙(ひぼこ)の苗裔(すゑ)、五十跡手是なり」 とまをしき。 天皇、ここに五十跡手を譽めて曰りたまひしく、 「恪(いそ)しきかも伊蘇志(いそし)と謂ふ。 五十跡手が本土(もとつくに)は恪勤(いそ)の国と謂ふべし」とのりたまひき。 今、怡土の郡と謂ふは訛れるなり。 (今井似閑採択) )    コピーですいません。下関市彦島は、いまの田川郡彦島だよね



417:日本@名無史さん
19/01/27 08:01:54.08 .net
間違えた大分県の彦島だよね

418:日本@名無史さん
19/01/27 10:10:28.99 .net
箸墓モモソヒメの秘密
初夜にモモソヒメが旦那のチンコが
小さな蛇に見えて笑ったら
旦那が火病で激怒
モモソヒメのマンコに箸を刺して殺人
これが全解明
笑い話ではない

419:日本@名無史さん
19/01/29 10:38:04.60 .net
>>86さざれって君が代に出てくるさざれでしょ?
>>85志摩って、今の福岡県の新日鉄の所も
昔は紫摩って言ってたみたいだよ
昔は大きな湾になっていて
いろんな島があり美しく風情があったとか
妄想ですが
伊勢神宮も元々はこの辺りにあったのでは?
と私は思ってたりします

420:日本@名無史さん
19/01/29 10:40:58.01 .net
>>404間違えた
金印のスレと

421:日本@名無史さん
19/01/29 12:51:16.71 .net
遠賀郡戸畑(鳥旗)
洞(くき)の海

422:日本@名無史さん
19/01/29 17:57:13.69 .net
>>404
もともと八咫の鏡があったのが伊都(怡土・志摩)なんでしょう。
平原遺跡がある。

423:日本@名無史さん
19/01/29 17:58:04.95 .net
アタマのビョーインに行けw

424:日本@名無史さん
19/01/29 18:03:53.00 .net
>>408
朝鮮ヒトモドキは今すぐ首を吊って死ねw

425:日本@名無史さん
19/01/29 21:38:27.69 .net
>>407この>>401の五十跡手が本土(もとつくに)は恪勤(いそ)の国と謂ふべし」とのりたまひき。
今、怡土の郡と謂ふは訛れるなり。 (今井似閑採択) 
これ見ると昔は伊都はイソと言ってたのかな 
これ神夏磯姫の話だよね
でも私にゃ理解に苦しむなあ
平原古墳は、これからもずっと研究してほしいですね
ますみの鏡とヤタノ鏡は何か違うんでしょうか 

426:日本@名無史さん
19/01/29 21:48:52.38 .net
いとては仲哀の話だから、神夏磯姫のおよそ2世代は後だ。
田油津姫が神夏磯姫の末裔だとか。

427:日本@名無史さん
19/01/29 22:59:27.31 .net
>>404
八幡が古くは紫摩という地名だって言うソースどこかにある?
福岡住みなんだが聞いたことがなくて

428:日本@名無史さん
19/01/30 10:28:35.28 .net
>>412
上の今井似閑が書いてたけど
紫摩って書いてシバかも知れないし
シマかも知れない
今井似閑を調べてみてください

429:日本@名無史さん
19/01/31 19:59:02.78 .net
いまからNHK BS で巨大古墳や倭の五王やるよ

430:日本@名無史さん
19/02/02 04:41:41.02 .net
118: 02/01(金)00:39 ID:QZwH3Z+w0(1/2) AAS
>>107
「2004年、中国の「上海博物館展」が日本の幾つかの博物館で開催されている。
 殷・周時代から前漢・後漢・唐等に渡る時代の、特に青銅器を中心に展示されていて、
 日本では初めて公開されるものも多く、人気を集めている。私も4回見に行った。
 鼎(てい)や爵(しゃく)や鬲(ゆう)など、ここでは表現できない初めて見るような
 漢字の器も数多く展示されていた。
 その中に鏡も5,6点展示されていたが、いずれも日本初公開だった。ここに1点、
 私の目を引いた鏡があった。以下に紹介する「張氏車騎神獣画像鏡」である。初め見たとき
 驚いてしまった。「これは、三角縁神獣鏡じゃないのか!」 大きさと言い、神と獣の神仙画像と
 言い、何よりも、周縁部の切り口は正(まさ)しく三角形に見える。中国では三角縁神獣鏡は
 出土していないはずではないか。これは何だろう。」
「3回目に見た後、私はこの展示を担当している博物館の学芸員に電話をして、この疑問を
 ぶつけてみた。学芸員とは10数分間話したような気がするが、彼がこの鏡が三角縁神獣鏡では
 ないとした理由は、結論から言えば、
(1).これは後漢の鏡で時代が違う。三角縁神獣鏡というのは魏の鏡であり、
 魏の時代のものでなければ三角縁神獣鏡とは言えない。
(2).縁は三角のように見えるが、少し丸みを帯びているようにも見える。
 この鏡の断面図は無いので、三角縁と言えるかどうかはわからない。
(3).中国から(三角縁神獣鏡が)出土していないと言っても、中国で魏時代の墳墓は
 まだ1基しか発掘されていないので、今後出る可能性はある。
というものだった。
 そして、会話の中では、「三角縁神獣鏡」とは書けないので「張氏作」としました、
 というような事も言っていた。」
三角縁神獣鏡と呼ばれていないだけで、中国にも三角縁の神獣鏡はあるんだよ
ニュース速報+からのコピー
ネットにも熱心真剣なファンの書き込みあるんだなあ 

431:日本@名無史さん
19/02/02 05:09:20.44 .net
あともうひとつ
年魚が鮎と言われているでしょ
でも中国で鮎は鯰のこと
福岡の一部じゃ鮭
熊本の一部じゃ鯰が神様の遣いの様な魚
佐賀のどこかの神社も鯰だったような
鮎って漢字は、読んで字の如く
占いに使われた魚の意味なのかな
鮎でアユを連想したら倭でない?
うまく表現できずに、すいません
これじゃ伝わらないですよね。

432:日本@名無史さん
19/02/02 07:18:22.95 .net
鯰と書こうとして気がついたが、鮎もナマズと読むんだな。
鯰が神の使いなのは、佐賀の淀姫神社かな?
壹與、熊襲タケルら肥国の王都ですね。

433:日本@名無史さん
19/02/02 07:19:44.74 .net
ナマズが地震を感じるという伝承は、もしかして肥国阿蘇の神様から来ているのか?

434:日本@名無史さん
19/02/02 10:37:47.36 .net
佐賀淀姫と阿蘇山は鯰だな
阿蘇って漢字は、自分的には天祖のイメージだなあ
初代の神様のいる山ってイメージ
 
古代は中華の影響うけているはずだから
鮎=鯰もしくは占いに使った魚
鮎(鯰や鮭)は食べなかった
だって神様の遣いを食べる訳にいかないよ

435:日本@名無史さん
19/02/02 12:49:53.28 .net
>>418
ナマズと地震の伝承は殷代に既にあるよ
地震の直前にナマズが騒ぎ出すので地震予知に使える、つまり占いに使える魚とされたわけだが
その後原因と結果が逆転して、地底にいるオオナマズが騒ぐから地震が起きるという伝説が出来た
このオオナマズに竜の字を当てたから地震が起きた地域に龍神を祭る文化が出来たわけ

436:日本@名無史さん
19/02/02 13:02:43.83 .net
竜はナマズだったのか。
そういえばどちらもヒゲがあるな。

437:日本@名無史さん
19/02/02 13:16:12.58 .net
>>421
現代人がイメージする龍は600年前くらいに確立された姿で、それ以前の龍はイノシシ似だったりと確立した姿はなかった


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