19/11/04 10:22:36 .net
>>50
元史に書いてあるじゃん。
『元史』巻二百八 列傳第九十五 外夷一 日本國
「去歲九月、日本人の彌四郎らと太宰府西守護所に至る。守る者云えらく、先に高麗の給くところとなり、
屡々上国の来伐を言う。豈に皇帝の生を好み殺を悪み、先ず行人を遣わし璽書を下示せられるを期せんや。
然れども王京はここを去ること尚お遠し。願わくは先に人を遣わし奉使に従い回報せしめん。
良弼乃ち鐸を遣わしその使二十六人と同に京師至り見えんことを求めしむ」
ここに書いてある「しばしば上国の来伐を言う高麗」って三別抄のことだから。
三別抄の情報をもとに、返書より先に使二十六人を送ることになったのが分かる。
『元史』巻七 本紀第七 世祖四 至元九年三月乙丑の条
「安童言えらく、良弼、金州の戍兵を移し日本をして妄りに疑惧を生ぜせしむることなきを請う。
臣等以爲らく金州の戍兵はかの国の知るところにして、若しまた移戍せしめば、
宜とするところにあらず」
金州にモンゴル軍が駐屯してるって日本側が知ったのも三別抄情報だし。
日本の使二十六人はその調査を任務にしてたんだよ。