邪馬台国沖縄(琉球)説 Part1at HISTORY
邪馬台国沖縄(琉球)説 Part1 - 暇つぶし2ch233:日本@名無史さん
18/08/25 01:36:24.64 .net
日本史に於いては、沖縄の存在は薩摩が編入したところから始まってるイメージだ
ところが奈良時代推古紀(616年)に掖玖人(屋久島人)が来朝してきて多数が帰化しており、
朝廷側からも田部連を遣使(629年/舒明天皇元年)に出してる
この掖玖というのが屋久島に限らず琉球全域を指してる
この史実には猛烈な違和感を持ってしまうのだが、
琉球が大和朝廷に入貢する理由は、
隋が大業3年(607年/推古天皇15年)以降、琉球に侵攻してきたからだ
(実際には、琉球ではなく台湾への侵攻との説もある)
こうした琉球の機敏な行動様式なら、
かつては邪馬台国として魏に貢納したと想像してもおかしくはない
この時、琉球は朝鮮の3国のような外国扱いだ
しかし騎馬民族説はともかくとして、
記紀では外国である百済を自国史にように描いてて、
ほぼ倭国の一部のようなものだし、
親近なのに百済の王子を人質にとってたり、
一方で、百済から王子が帰化してるケースもある
記紀の記述には往々にしてその意味に表と裏がありがちで、
何気ない一文に深い意味が隠されてることもまた多い。
琉球との関係には単なる朝貢以上の意味があるのではないか


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