邪馬台国沖縄(琉球)説 Part1at HISTORY
邪馬台国沖縄(琉球)説 Part1 - 暇つぶし2ch175:174
18/08/18 07:14:39.64 .net
仮に台湾の隆起することの反対給付が沖縄の沈下であると考えてみよう。
むろん、地殻変動がもたらす物理的な関係性がそのような単純なものであるわけはないにしても、
年1.5cmのペースは2000年換算でで30mに相当してるのだから、周辺への影響は無視できない。
そちょうどそれと釣り合うように、沖縄の海底遺跡の水深は、概ね20~30mと確認されているのだ。
仮に遺跡が確かに地上から水没したのだとしたら、
それは台湾の山脈が背を伸ばすように、平均的、持続的に、ゆるやかに沈下して行ったのではなく、
周期的破断のような方式で、地の底が抜けるように突如として沈下することを繰り返してきたはずだ。
その周期性の裏付けが600年間隔と推定されている琉球列島への大津波の痕跡である。
1771年の明和の八重山大津波はM8巨大地震の副産物である。
かくして長い年月をかけて積み上げられた文明が、賽の河原のごとく、一瞬のうちに消失することになった。
繰り返された大地震津波は、かつて280年~700年の間にも発生してることが確認されている。
であれば、沖縄海底遺跡群がその際に水没したという可能性を否定することはできまい。
沖縄の海底に沈む遺構に残された矢穴や鍾乳洞は、それが確かにかつて地上にあったことを示している。
今我々がその遺構に遭遇して驚嘆する時、彼らもまた、かつて王宮として栄華を誇った時代を振り返り、
自身を愛でた地上の主との数千年ぶりの邂逅を懐かしく思っていることだろう。

176:日本@名無史さん
18/08/18 10:53:44.91 .net
>>175
>仮に台湾の隆起することの反対給付が沖縄の沈下であると考えてみよう。
>むろん、地殻変動がもたらす物理的な関係性がそのような単純なものであるわけはないにしても
沖縄もフィリピン海プレートに押されて隆起する側だよ
いい加減なことを書くとますますトンデモにしかならない

177:日本@名無史さん
18/08/18 12:08:01.56 .net
>>176
しかし東シナ海の大陸棚は琉球孤の東で窪んでるよね
沖縄トラフのことだよ
押されてただ隆起するだけならへこむはずがない
ある時、受ける力を分散するために蛇腹のようにうねりを作り出して、
隆起と沈下とを重ね合わせにする構造を作り出す
日本列島もまた東南から押し上げられるも、北方に日本海、中腹に瀬戸内海という窪みを抱えている

178:日本@名無史さん
18/08/18 12:09:00.34 .net
> の西で窪んでるよね

179:日本@名無史さん
18/08/18 12:21:42.27 .net
>>170
土地の食文化はその地域性に由来するもので歴史的なものだ
鯨と違ってイルカ食は日本人に馴染みはないが、和歌山の太地町のそれは国際的な論争を呼んでいる
今では食べなくなった鯨は縄文以来の伝統だった
壱岐での犬食痕跡は現在との繋がりを持たないが、それは鯨と同じで代替があって絶えたものだ
だが近場の韓国では今でも犬食で鳴らしている
かつて食してたのはゆえあってのことだろう
だから沖縄が豚料理に特色を持つことは地理的伝統的であり、
関西が豚の関東と比較して牛が主流であることもまた古代からの歴史的な因果を持っている
きっと沖縄にあったろう邪馬台国は豚を常食にしていたに違いない

180:日本@名無史さん
18/08/18 13:22:40.91 .net
2018/08/14
【お江戸の人らは稗や粟を食べてはるらしいどすなぁ】江戸時代の毛髪分析で食生活判明 上方人は江戸っ子より米を多く食べていた可能性
スレリンク(newsplus板)

181:日本@名無史さん
18/08/18 16:51:11.61 .net
URLリンク(geo-scape.com)
沖縄の海岸線は白砂のビーチしかないイメージだが、実際は地盤の隆起にともなう険しい海食崖が圧倒的に多い。

182:日本@名無史さん
18/08/18 17:54:21.16 .net
>>181
隆起する地点もあれば沈下する場所もあろう、時によればその逆にもなる
例えば高知で顕著に生じている >>87
この東日本震災では東北の沿岸部で複雑な変動が起きたことは記憶に新しい
邪馬台国論にさほど興味があるわけでもないが、その所在論の一つに近江説があって、過去にそのスレに
いくつか投稿してたことがある
対馬を佐渡に置き換え、水行を琵琶湖水に求めたその発想の、
コペルニクス的斬新さを認めたからだ
考古学や社会的な時事ニュースを元にしたレスだった
こうした学究歴の盲点を付く新説の弱点というのは往々に、
物理的証拠に欠くという面にある
確かな遺跡があるのなら過去に誰かの検証にさらされるのだから当然の話だ
近江と言うならそのどこなのかで隘路に陥ってしまう
あえて近江に求めた中の一つが近年発見された琵琶湖底の沈没遺跡だった
それらは比較的新しく古代遺構はまだ見出だされてはいない
だがそれにしても湖底に没して存在を知られずに済んでいた遺跡は、
その発見により新たな歴史観を創出する可能性を持ち得るだろう
そして琵琶湖沿岸部の水没は、
プレート運動に伴う隆起で成立する日本列島が、実際にはその細部において、複線的に変動してる実態を証明している
琵琶湖それ自体が隆起する地形の中で
逆方向に運動した窪みに他ならない
水没地帯はそうした潮流に飲み込まれたのだろう
沖縄についても同じ想像が成立する

183:日本@名無史さん
18/08/18 19:16:45.79 .net
>>182
>同じ想像が成立する
どこまで行っても想像でしかない
科学にはならないよ
近江は伊勢遺跡をはじめとする野洲川流域に山ほど遺跡がある
この野洲川が高天原の天安河だとか言い出す人がいてもおかしくないし

184:日本@名無史さん
18/08/18 21:48:23.67 .net
>>183
想像と言うのは沈下理由についてだよ
沈下した事実それ自体は、まさに海底遺構の歴とした存在がそれを証明している

185:日本@名無史さん
18/08/18 22:32:52.80 .net
>>184
>沈下した事実それ自体は、まさに海底遺構の歴とした存在がそれを証明している
どれのことだい?
海底遺構だと「言ってる人がいる」だけだと思ったが?

186:日本@名無史さん
18/08/18 23:01:03.93 .net
>>185
10歩譲ってそれが遺構ではないとしても、沖縄の一部分が沈んだことは事実として確定してる
なぜなら海底に鍾乳洞は形成されない
それはこのところの言い争いにケリをつけてる
沖縄は隆起してるのか沈降してるのかという件の話だ

187:日本@名無史さん
18/08/19 00:08:30.70 .net
>>186
>10歩譲ってそれが遺構ではないとしても
それが遺跡じゃなかったら、沖縄説は根拠となる遺跡が一切ないことになるよ
沈降、隆起以前の話になる
そして海底鍾乳洞一つと、海岸線の多くが地盤の隆起にともなう険しい海食崖に
なっていることを比べれば、局所はともかく、全体的な傾向としては隆起しているのは明らかだろう

188:日本@名無史さん
18/08/19 00:20:22.09 .net
沖縄の狩猟道具は海南島のそれと同一だと記されている
それは文化伝播の結果だろう
海南島先住民は百越であり稲作民だ
稲作道具もいずれ伝播して不思議でなかったはずだ
そして8世紀に沖縄では、
伊平屋にて米作が盛んだった記録が残されている
だが沖縄に弥生稲作の痕跡は認められないのである
なぜだろうか?
この事実は海底遺跡とも目される構造物の、大津波を伴ったであろう沈下の時期を示唆していると言える
縄文系の血筋からして、弥生期の沖縄に人が住んでいた事実は否定のしようがない
さて、沈下地帯に人は住んでいたでしょうか?

189:日本@名無史さん
18/08/19 00:23:25.01 .net
>>89

190:日本@名無史さん
18/08/19 00:23:48.89 .net
私もうかつだったけれど、鍾乳洞ができるほどの時間軸と、
2000年も経たない程度の邪馬台国時代を比べるのは無意味だわ
調べたら今の沖縄の隆起速度は 年に1.5ミリくらい
千年でも1メートル半くらいだ
20メートルも動いたりはしない
海底鍾乳洞ができたのはもっとずっと昔の氷河期の海退期だ
その頃にはまだ邪馬台国は影も形もない

191:日本@名無史さん
18/08/19 10:54:22.85 .net
まあちょっとうかつだったわ
検索の手数を惜しんでしまった
海底に鍾乳洞は形成されない、
そう言ったのは木村政昭であって他の誰でもない、
動画にはっきり証拠が残ってる
それを引用したまでだ
あくまでそこで形成はされないと言ってるだけわけだが
ともあれ問題は形成過程に関する見解の相違だな
宮古島は珊瑚礁が隆起して出来た島で、
200ほどの鍾乳洞が密集している
海進した水没期に再石灰堆積してそれが侵食された結果としても、
それでも一時水面上にあった海底遺物界隈の方にだって、
もっと多くの水中鍾乳洞が存在してても良さそうじゃないか

192:日本@名無史さん
18/08/19 11:03:36.39 .net
琉球弧は、
琉球海溝に押し上げられる東側が隆起し、
沖縄トラフ側の西部と、
それと慶良間海裂あたりが沈降しているものと受け止めてる
全体が隆起してるとするのはシンプルすぎだろう

南西諸島 島の位置説明図
URLリンク(www.geocities.jp)
URLリンク(www.geocities.jp)
沖縄トラフ西端部における火山・熱水活動と中軸の「セグメント化」
URLリンク(docsrv.godac.jp)
沖縄島および琉球弧の新生界層序
URLリンク(www.gsj.jp)
慶良間諸島の生い立ち
URLリンク(www.amsl.or.jp)
かごしま検定
URLリンク(books.google.co.jp)

193:日本@名無史さん
18/08/19 11:25:22.31 .net
>>191
>海進した水没期に再石灰堆積してそれが侵食された結果としても、
陸上に石灰岩層がある時点で、隆起していることの直接証拠だろ?
>>192
>それと慶良間海裂あたりが沈降しているものと受け止めてる
>全体が隆起してるとするのはシンプルすぎだろう
なんにしても、>>190に書いたように、隆起にせよ沈降にせよ、
地質学的時間スケールの話で、10万年単位の話
卑弥呼の3世紀から現代までの2000年に満たない時間では、考える必要はない
邪馬台国の遺跡は海底に没しているとかいうのは、トンデモ以上にはならないよ
これにこだわるのは止めたら?

194:日本@名無史さん
18/08/19 12:19:59.92 .net
>>193
琉球列島は隆起と沈降を繰り返して今の形になってる
現代に続いている第四紀地殻変動の全貌を完全把握は無理だろう
アトランティスは水没したとされるし、
高知の黒田郡水没伝承など複数の伝説がある一方で、琵琶湖には確かな湖底遺構が発見されている
水中考古学は開拓が始まったばかりでその成果は未知数だ
津波に現れた地上物が水没してるだけのケースが大半かもしれないが
もちろん、海底遺構の確認は決して問題の本質ではないし、そこに深入りすることのリスクはある
どっちにせよ海底物についてこれ以上書けることは残念ながらもうないんだよ
黒田郡水没伝承と海底遺構調査から 歴史南海地震を紐解く
URLリンク(www.histeq.jp)
土佐湾海底遺構調査による南海トラフ地震の地震性地殻変動と災害状況の究明
URLリンク(kaken.nii.ac.jp)
684年:白鳳(天武)地震
URLリンク(vnandb.hatenablog.com)
目撃!日本列島 地震で沈んだ“幻の村”に迫る ?“伝承”を防災に ある科学者の挑戦?
URLリンク(datazoo.jp)
黒田郡(くろだごおり)伝承に迫る
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
2018.07.06
高知・野見湾に太古の「黒田郡」集落?調査で円形に並ぶ石確認
URLリンク(www.kochinews.co.jp)
邪馬台国近江説◇論争に終止符!
スレリンク(history板:155番)-156
【歴史バトル】大型建物や鍜冶工房群発見=邪馬台国時代、国内有数規模―滋賀 [無断転載禁止]©2ch.net
スレリンク(newsplus板:825番)
【調査】琵琶湖の湖底 湖底遺跡、変色、エビ大量死500匹 新型探索ロボットが発見
スレリンク(scienceplus板)
琵琶湖に地殻変動の前兆?過去には地震で湖底に沈んだ街も|地震なら原発銀座、若狭湾岸への影響も懸念
URLリンク(matome.na)●ver.jp/odai/2139074687790853601

195:日本@名無史さん
18/08/19 13:11:49.00 .net
>>194
>アトランティスは水没したとされるし、
おいおい、それを信じて根拠にするなら、オカルト板にでも書きなよ
東日本大震災でも、何十メートルの上下方向の地殻変動なんてなかっただろ?
たかだか2000年のタイムスパンで、陸が沈んだとかいうのはタダのトンデモ説

196:日本@名無史さん
18/08/19 13:14:08.10 .net
ナイルの河口域にも沈下水没した地域があるし、ある程度それをおもわせる痕跡は
じっさいにはあるんだろうけれども、超古代文明とかまで行くのはただの「お話し」だわな。
なによりまず物証だよ。

197:日本@名無史さん
18/08/19 13:28:07.15 .net
>>190
海底洞窟とは?
URLリンク(akihisakitamura.la.coocan.jp)
>>170
Ancient DNAを用いた先史時代琉球列島へのイノシシ・家畜ブタ導入に関する動物考古学的研究
URLリンク(ir.soken.ac.jp)

198:日本@名無史さん
18/08/19 15:29:48.13 .net
>>192
琉球列島のサンゴ礁
URLリンク(dges.es.tohoku.ac.jp)
サンゴ礁の分布
URLリンク(www.env.go.jp)
琉球弧の地質と岩石:沖縄島を例として
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
東シナ海における地質構造発達史-研究レビュー-
URLリンク(www.gsj.jp)
沖縄トラフ及び南西諸島周辺海域の地質・地球物理学的調査結果?
URLリンク(www1.kaiho.mlit.go.jp)
阿嘉島、慶留間島の地質とジオツアー
URLリンク(okimu.jp)

199:日本@名無史さん
18/08/19 15:30:05.51 .net
>>140 >>144
琉球弧の考古学
-南西諸島におけるヒト・モノの交流史-
URLリンク(ac.jpn.org)

200:日本@名無史さん
18/08/20 12:30:50.30 .net
>>194 >>95
別府湾に残る地震で沈没した瓜生島の伝説とは真実なのか
URLリンク(www.jiijiblog.com)
新・地震学セミナーからの学び 12 瓜生島沈没ー日本のアトランティス物語
URLリンク(www.ailab7.com)
(瓜生島考)  豊府聞書記載の地名位置
URLリンク(www9.plala.or.jp)
伝説の島 5選! 日本の(沈没した島)アトランティス
URLリンク(matome.na)<)
ケコワの沈没都市 / トルコ
URLリンク(tavitt.jp)
美しい地中海と険しい山々(南トルコ)
URLリンク(www.eurasia.co.jp)
大地震で水没した島、ヴォルドニス島の調査
URLリンク(www.trt.net.tr)
2005年スマトラ島沖地 ニアス島及びバニャク諸島における地震に伴う海岸線変化
URLリンク(www.gsi.go.jp)
海に沈む、干上がる―漁港の街の悲しき今
URLリンク(natgeo.nikkeibp.co.jp)
太古の歴史!世界の水中に沈んだ偉大で幻想的な都市。
URLリンク(matome.na)<)

201:日本@名無史さん
18/08/20 13:37:26.13 .net
話がトンデモに振れると、人がいなくなるんだよな
まあ、しょうがない

202:日本@名無史さん
18/08/20 13:41:30.77 .net
URLやコピペみるためにサイト巡回してるわけじゃないので

203:日本@名無史さん
18/08/20 16:41:40.86 .net
一応、沖縄にもアトランティスならぬニライカナイの伝承があるからな
西じゃなくて東の彼方か海底てことだけど
もしかしたら東に千余里離れた倭種の国やら侏儒国のことかも知れないが

204:日本@名無史さん
18/08/20 23:44:07.57 .net
倭種國=伊豆諸島
侏儒國=小笠原
裸國黒齒國=マリアナ諸島

205:日本@名無史さん
18/08/21 06:59:18.23 .net
>>199
>  琉球弧は海底地形の二大境界線である吐喝嘲(トカラ)海峡(悪石島と小宝島間)と慶良間(ケラマ)海裂(沖縄本島と宮古島の間)
> を境にして、大きく「北琉球」「中琉球」「南琉球」の三つの島弧グループに区分される(木崎・大城1980;町田ほか2001)。
> 4 原史・古代
> (3)中琉球グループ
>  一方、沖縄諸島では貝塚時代後期(約2,200~1,000年前)に相当し、サンゴ礁の海を生活基盤にした「漁携文化」が発達した。
> 遺跡の立地は主に台地に生活していた人々が、標高約5m~10m前後の海岸砂丘に集落を形成するようになり、
> 遺跡集中地域が確認され、半島状に海に突き出た地形周辺の砂丘上に立地し、大規模な貝塚も多く形成されている。
> これは眼下のサンゴ礁海が漁携生業の中心であった為で、これらの大貝塚からは大量の大型貝、魚骨に加え、陸産のイノシシ骨も
> 多く出土した。それは狩猟・採取活動が活発に行われた証左でもある。
>
>  住居は砂地に掘っ立て柱を立てた四角形の平地式であった。
> (4)南琉球グループ
>  新石器時代後期(約2,200~1,000年前)に相当する。不思議なことに、今まで使用していた土器を忘れ「無土器文化」になってしまった。
> こうした現象は、オセアニア地域の一部(ポリネシア)にも認められるが、他に例を見ない珍しい現象である。遺跡は海岸砂丘に立地
> することが多く、集落規模が前期に比べて拡大している。前面に広がるサンゴ礁の海から得られる豊富な食糧資源に支えられて、
> 人口の増加があり漁携活動は頂点に達していた。

206:日本@名無史さん
18/08/21 07:01:23.06 .net
弥生時代の住居なんてて掘立小屋だろう
遺跡と言ったって穴があるだけだ
畿内九州の本土のだって、考古学者が発掘調査してるのって、
地面掘り返してここに建物跡を発見したとね
現場写真で、地面に柱跡とされる穴が並んでて淵を石灰でマークしてるやつ
コックリさんの硬貨みたいなもんで、脳内イメージで都合よく掘ってるんじゃないかと
沖縄の場合に至っては弥生集落は海岸砂丘に築かれていた
津波にさらわれたら跡形も残らないだろう穴すらも
さらわれるまでもなく年月を経たら消えてて当然だ
仮に邪馬台国が沖縄だったとしても証拠なんて残ってるわけがない
沖縄に残ってないからこそいまだ邪馬台国論は帰趨するところを知らないんだよ
まして戦災による消失があり、戦後は米軍基地の問題がある
普天間の珊瑚礁埋め立てる連中なんだから、
建設中に見つけても無かったことにして破壊したはずだ
日向串間の王の山古墳も江戸時代に農民が開墾破壊して歴史を失ってる
だが普天間返還されたら跡地から何か出るんじゃないか?

木綿原遺跡 もめんばるいせき
URLリンク(bunka.nii.ac.jp)
URLリンク(www.odnsym.com)
沖縄の歴史・文化 沖縄の“縄文・弥生時代” そのⅠ
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
沖 縄 諸 島 に お け る農 耕 の 起 源
URLリンク(publications.nichibun.ac.jp)

207:日本@名無史さん
18/08/21 07:24:33.59 .net
辺野古の珊瑚礁埋め立てるような連中なんだから

208:日本@名無史さん
18/08/21 17:04:56.59 .net
沖縄本島周辺のサンゴ礁は、辺野古埋め立て云々の前に、
本島の土地開発伴う赤土の海への流入でほぼ壊滅してるんだけどね
人間の幸せ追及の経済開発の前には、珊瑚の保護は軽んじられてきたんだよ
辺野古にはジュゴンはいない
なのに反対運動では、ジュゴンの海を埋めるなとか言い出す
まあ、邪馬台国とは関係ないからこの程度にするけれど、
>>207のような書き込みはたいていは似非

209:日本@名無史さん
18/08/22 02:27:38.76 .net
ジュゴンがいないなら連れてくればいい。
畿内説のような国家主義者はアジアの平和を脅かす隣国を脅かす日本を望んでいるのだろうが良識ある市民は平和で隣国に素直に謝罪する日本を望んでいる。
畿内説→大和文化凄い、天皇凄い→俺凄い
畿内説はこのような愚者の信奉する所である。

210:日本@名無史さん
18/08/22 11:21:46.24 .net
あーあ、このスレもゴミスレ化したな

211:日本@名無史さん
18/08/22 12:39:46.59 .net
>>208
2014/01/28
【琉球新報】防衛局、辺野古埋め立て調査でジュゴン31回確認
URLリンク(uni.2ch.net)●wsplus/1390886516/
2014/05/22
【基地問題】辺野古沿岸にジュゴン、食跡確認 2年連続
URLリンク(peace.2ch.net)●wsplus/1400762438/
2014/07/10
【沖縄】ジュゴン食跡、沖縄・辺野古沿岸部で多数発見、近くの島には貴重な鍾乳洞も…「埋め立て事業は中止して環境を保全するべきだ」
URLリンク(peace.2ch.net)●wsplus/1404947441/
2014/08/17
【沖縄】辺野古沖でジュゴン遊泳 共同通信社ヘリが撮影(画像あり)
URLリンク(daily.2ch.net)●wsplus/1408282404/
2014/08/20
【沖縄】辺野古沖でジュゴンの遊泳確認、緊迫の普天間移設現場から数キロ…海上警備でジュゴン、辺野古の海草の餌場に近づけず★2
URLリンク(daily.2ch.net)●wsplus/1408471981/
2014/08/24
【沖縄】絶滅危惧種“ジュゴン” 日本テレビが撮影に成功 辺野古沖 [8/24]
URLリンク(daily.2ch.net)●wsplus/1408877124/
2017/08/31
【生物】ジュゴン行方不明、専門家は 「工事原因の可能性高い」 沖縄本島北部c2ch.net
URLリンク(asahi.2ch.sc)●wsplus/1504175875/
2017/11/17
【沖縄】不明のジュゴンの鳴き音か 辺野古周辺海域で防衛局が8月に採取
URLリンク(asahi.2ch.net)●wsplus/1508194807/
2017/09/27
【沖縄】辺野古埋め立て予定地に絶滅危惧種の「オキナワハマサンゴ」などが見つかる [無断転載禁止]c2ch.net [485540869]
スレリンク(poverty板)
2017/10/26
【沖縄】辺野古海域の希少サンゴ 沖縄防衛局が県に移植申請
URLリンク(asahi.2ch.sc)●wsplus/1508996314/

212:日本@名無史さん
18/08/22 14:05:10.66 .net
>>211
例えば
2017/08/31
【生物】ジュゴン行方不明、専門家は 「工事原因の可能性高い」 沖縄本島北部c2ch.net
「もともといなかった」ジュゴンが「いなくなった」っていうフェイク記事だよ
こんなのを信じてたらバカを見るだけ

213:日本@名無史さん
18/08/23 07:28:15.97 .net
>>199
このサイト、コンパクトによくまとめられてるね
読むたびに発見がある
各県ごとに1ページこういうのを作って欲しい

214:日本@名無史さん
18/08/23 07:31:08.14 .net
琉球弧の考古学 -南西諸島におけるヒト・モノの交流史-
URLリンク(ac.jpn.org)
> 4 原史・古代
>  琉球弧における本土の「弥生時代~平安時代」(約2,200~1,000年前)相当期は、中琉球南半の沖縄諸島では「沖縄貝塚時代後期」、
> 南琉球では「新石器時代後期」と呼称される。九州本土の文化は、北琉球や中琉球までは影響を与えたが、南琉球に於いては
> 「琉球王国」が近世期に統一するまで、全く別の文化圏であった。
> (3)中琉球グループ
> こうした集団的・組織的な漁携活動を通して、次第に村を統括する「権力者」(首長)層が出現してきたと考えられている(新田2003)。
> 6.まとめ
> (4)大交易時代の幕開け
> 南琉球(宮古・八重山諸島)との関係:南琉球グループと北琉球グループの島々は、お互いに目視出来ない遠距離にある。
> このことが先史時代~両地域の文化的関係を疎遠にしていたが、1429年第一尚氏が「琉球王国」を誕生させた後、
> 両地域は初めて一つの政治勢力圏に統合された。
先島の宮古島と沖縄本島の距離は400kmもある
対馬海峡は200kmだ
視認できない区間を航海するのは難事業だ
對海國・一大國が乗船南北市糴と言うが、
宮古島以西(以南)の先島民は古代、沖縄本島には行ってないだろう
イメージとしては琉球諸島は一体的な地域だが、
実際には両者は古代においては完全に別の文化圏になっている
文化圏が違えば国が違うし、集団漁業の影響により権力機構が誕生している。
土地に縛られない漁業採取文化なら抗争も生じやすい
邪馬台国と狗奴国の対立だな

215:日本@名無史さん
18/08/23 07:54:54.22 .net
北琉球グループなのか、南九州なんだろうが、種子島って砂鉄が獲れるそうだね
海岸に鉄含有物が浮遊してるようなんだが、
内陸部に産出したものではなく、海底から出たものが漂着したとする説が有力のようだ
3世紀に倭人は弁辰で鉄をとってて通貨の代替としても利用している
魏志倭人伝は邪馬台国で鉄の鏃が使われてることを書いてる
まあむろん、鉄は交易で入手は可能だろうが、
古代製鉄と言えば出雲だが、なぜか種子島の名は挙がらないね
ともかくここに後世における国内統一に決定的な役割を果たした鉄砲が伝来したというのは、
物凄く奇跡的なことだと思う
Essay ★ 17 種子島:共通性と地域性 Letter★ これも種子島・砂鉄
URLリンク(geo.sgu.ac.jp)
鉄の歴史を持つ町 
URLリンク(www.eonet.ne.jp)
鉄のある町 種子鋏の町「西之表」
URLリンク(www.mtlo.co.jp)
鹿児 島県 ・ 種子 島に お ける 種子 鋏製造の 伝統的技法 に関する調査研究
URLリンク(ci.nii.ac.jp)
閑話休題:種子島までの里程
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

216:日本@名無史さん
18/08/23 07:56:59.76 .net
>>168-169
「市糴」というのは、米か穀物に限らず、広く「交易」を意味してるという解釈が正しいかもしれない
要は買い物に行くという意味だ
南北市糴(してき) 朝鮮半島と倭を結ぶ「和鉄 (てつ)の道」 8
URLリンク(infokkkna.com)
> 魏志を読むと「国出鉄、韓、?、倭皆從取之」という記事と一緒に倭人伝 壱岐・対馬の記事の中に「南北市糴」という言
> 葉がでてくる。「糴」を何と読むのか不思議で 読めなかった漢字。「テキ」と読み、「米を買い入れる」ということから
> 「交易」を意味するという。

217:日本@名無史さん
18/08/23 12:19:58.62 .net
英雄たちの選択「古代史ミステリー 巨大古墳の国際戦略~半島危機と倭の五王~」[字][再]
8/23 (木) 8:00 ~ 9:00 (60分)
NHK BSプレミアム(Ch.3)
番組概要
世界遺産推薦が決まった大阪の巨大古墳群。
5世紀中国南朝に使節を送った「倭の五王」たちの時代に作られた。
使節派遣と巨大古墳建造の理由を、東アジアの動乱の中に探る。
番組詳細
巨大古墳からは大量の鉄の武器が見つかっている。
「倭の五王」は鉄で勢力拡大した鉄の王朝だった。
ところが鉄は朝鮮半島南部でしか採れない。...
『英雄たちの選択「古代史ミステリー 巨大古墳の国際戦略~半島危機と倭の五王~」世界遺産推薦が決まった大阪の…』
URLリンク(tvpalog.blog.f)◆c2.com/bl◆og-entry-491.html

218:日本@名無史さん
18/08/23 12:35:30.79 .net
>>217は、沖縄説とは関係なくね?

219:日本@名無史さん
18/08/23 20:44:42.98 .net
鉄製品の出土数比較する時、
沖縄だけはぶられるてるね
邪馬台国は鏃を使ってるから、
無視できない要素だ
ただ酸性土壌で腐食消滅するのと貴重なのを再利用するのとで出土数との乖離がある可能性はあるけど
沖縄周辺での鉄産出に関心があるんだが、
近場の種子島の鉄は縄文を滅ぼした喜界島の残骸のようだ
沖縄の天女伝説 ⑫ 銘苅川沿いの産鉄遺跡
URLリンク(mintun.exblog.jp)
南島史が塗り替わる
12世紀製鉄炉跡の衝撃歴史新発見 鹿児島県喜界島
URLリンク(style.nikkei.com)
狗奴国の考古学「弥生時代の鉄器は熊本がNO.1」
URLリンク(wajinden.com)

220:日本@名無史さん
18/08/23 20:45:08.94 .net
弥生時代に製鉄はあった/最古の製鉄遺跡分布図2013年版
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
弥生時代の鉄鏃・銅鏃の地域別出土数
URLリンク(home.b06.itscom.net)
邪馬台国大研究 13.考古学の成果からみると
URLリンク(inoues.net)

221:日本@名無史さん
18/08/23 20:46:36.08 .net
研究史からみた 弥生時代の鉄器文化 - 国立歴史民俗博物館
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)

222:日本@名無史さん
18/08/24 07:03:13.65 .net
伊豆に眠る遺構
   ◆ 撮影・西村純/伊豆半島、林原利明・東京海洋大学非常勤講師
週刊新潮(2018/08/30), 頁:5
グラビア
伊豆沖の初島の沖合の水深20mほどの海底に、
徳川幕府ゆかりの17世紀の遺構が眠ってるそうだ
沈没した交易船の積載物らしい
黒潮に乗って伊豆を経由して航行してる中途のことで、
伊豆は中継地点として重要だったようだ
縄文人だって黒潮に乗っている
もっと探せば古代の何かが見つかる可能性も無きにしも非ずだろう

223:日本@名無史さん
18/08/24 07:35:01.80 .net
ここは邪馬台国も時代も関係なく適当なリンクを貼るスレですか?

224:日本@名無史さん
18/08/24 07:41:24.71 .net
沖縄本島における米軍基地は、島全体の中の2割弱ある
全体の中には山地や丘陵、森林も多く、
可住面積は5割だ
とりわけ米軍基地の占めてるウェートがかなりでかい
しかも普天間を典型に島の主要部に位置している
これでは考古学研究には制約が大きすぎる
森林部分も自然保護を理由として開発されることがないから、
古代村落があったとしてもその痕跡が発見されることはない
開発済み地域は遺跡なんて破壊し消し去られた後だろう
要は沖縄に関しては、考古学的知見をもってして望む結論を得ることはできない
URLリンク(www.pref.okinawa.jp)

225:日本@名無史さん
18/08/24 09:38:26.54 .net
邪馬台国にかこつけて、沖縄の「今」を語りたいだけのパヨクスレになっちゃったな
もともとその気だったのか、過疎ったところで乗っ取られたのか

226:日本@名無史さん
18/08/24 10:49:16.75 .net
肯定するにも反論するにも大して論点あるわけじゃないからな
「たしかに言われてみればそうだよな~」という
薄い反応で無視されるのが通常運転

227:日本@名無史さん
18/08/24 14:40:37.91 .net
沖縄説が本気出したら他はみんな吹き飛ばされるからな
気が気じゃないだろお前ら
怖くてしょうがないんだろほんとは
決着がついてしまうんだからな
そしたらお前ら脱け殻に屍になる

228:日本@名無史さん
18/08/24 17:12:32.68 .net
本気とやらを出してもいいんだよ?

229:日本@名無史さん
18/08/24 17:42:29.86 .net
いつ本気を出すの?
関係ない記事のURLをただダラダラ貼ってるだけじゃん?

230:日本@名無史さん
18/08/24 18:42:51.87 .net
つか畿内説も九州説もおなじ論点だらだら繰り言みたいに
繰り返してるだけで特段の進展があるわけじゃないんだけどな。
ただ架空においてる仮説はあんがいもろいところあるから
そこ互いにたたき合うなかで琉球説みたいなのも説得力
出てきたんだから、まったくのムダというわけではない。

231:日本@名無史さん
18/08/24 19:08:13.34 .net
>>230
>琉球説みたいなのも説得力
>出てきた
どこに?
【沖縄】不明のジュゴンの鳴き音か 辺野古周辺海域で防衛局が8月に採取  とかのこと?

232:日本@名無史さん
18/08/25 01:35:41.19 .net
>>199
> 5.大交易時代への幕開け
>  琉球弧の古代後半~中世期には、中国、朝鮮半島、九州本土との広汎な対外交易活動が頻繁に展開されていた。
> 中国の正史『階書』流求(国)伝636年によると流求国には「王・小王」が存在し、
> また『日本書紀』によると616年、620年、629年、631年に液玖人が倭国へ来航したことが記されている。
> こうした史書の記述から、当時の琉球弧の各島嶼には「豪族」(首長層)が台頭し、
> 対外交渉を行っていたことが理解される(金武2003a,2003b;上原2003)。

233:日本@名無史さん
18/08/25 01:36:24.64 .net
日本史に於いては、沖縄の存在は薩摩が編入したところから始まってるイメージだ
ところが奈良時代推古紀(616年)に掖玖人(屋久島人)が来朝してきて多数が帰化しており、
朝廷側からも田部連を遣使(629年/舒明天皇元年)に出してる
この掖玖というのが屋久島に限らず琉球全域を指してる
この史実には猛烈な違和感を持ってしまうのだが、
琉球が大和朝廷に入貢する理由は、
隋が大業3年(607年/推古天皇15年)以降、琉球に侵攻してきたからだ
(実際には、琉球ではなく台湾への侵攻との説もある)
こうした琉球の機敏な行動様式なら、
かつては邪馬台国として魏に貢納したと想像してもおかしくはない
この時、琉球は朝鮮の3国のような外国扱いだ
しかし騎馬民族説はともかくとして、
記紀では外国である百済を自国史にように描いてて、
ほぼ倭国の一部のようなものだし、
親近なのに百済の王子を人質にとってたり、
一方で、百済から王子が帰化してるケースもある
記紀の記述には往々にしてその意味に表と裏がありがちで、
何気ない一文に深い意味が隠されてることもまた多い。
琉球との関係には単なる朝貢以上の意味があるのではないか

234:日本@名無史さん
18/08/25 01:36:37.18 .net
琉球・沖縄史年表
URLリンク(www.ne.jp)
沖縄琉球年表 琉球・沖縄の歴史
URLリンク(www7b.biglobe.ne.jp)
69.琉球王国
URLリンク(komatsu0513.heteml.jp)
日本書紀 巻第廿三
URLリンク(hjueda.on.coocan.jp)
舒明天皇(十七)掖玖人の帰化・百済王義慈の王子の豊章を人質に
URLリンク(nihonsinwa.com)
九州王朝の滅亡と『日本書紀』の成立 ─朝鮮半島記事の取扱いについて─
URLリンク(www.furutasigaku.jp)
しまぬゆ1
URLリンク(books.google.co.jp)
地域と出版: 南方新社の十年を巡って
URLリンク(books.google.co.jp)
屋久島、もっと知りたい人と暮らし編
URLリンク(books.google.co.jp)
飛耳長目 隋書および元史の「琉球」は台湾、明から「琉球」は沖縄 
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
倭国と日本古代史の謎
URLリンク(books.google.co.jp)
「新しい歴史教科書」ーその嘘の構造と歴史的位置ー
~この教科書から何を学ぶか?~
「第1章:原始と古代の日本」批判⑩
URLリンク(www4.plala.or.jp)

235:日本@名無史さん
18/08/25 01:39:21.23 .net
この大業3年(607年)というのは、
本来は百済とともに南朝派である倭国が、
あえて遣隋使を送りだした年だ。小野妹子の派遣である
隋が琉球の王宮を陥落させ多人数を拉致連行した609年に、妹子が帰国している
先進文明の取得が目的とされるが、
対中外交はもっぱら半島情勢をにらんだ理由を持っているとしても、
時期的な関係から、遣隋使の目的には琉球問題があったのではなかろうか?
しかし琉球は当時、倭国の一部ではないのだから、それは遣隋使を出す理由にはなり得ない。
そこに倭国と琉球との解明されざる関係性があるように思える
ところでこの小野妹子というのは、実は蘇我馬子と同一人物ではないかという推論がある
小野妹子は隋で蘇因高と呼ばれたが、蘇我馬子の「蘇」に、いずれも男子名なのに「子」とつく。
妹子の子供は毛人だが、馬子の子の蝦夷と同義語になってる。
ここで隋書倭国伝に「大業三年 其王多利思北孤遣使朝貢」、
「?王姓阿毎字多利思北孤 號阿輩?彌」、「王妻號?彌 後宮有女六七百人 名太子爲利歌彌多弗利」と、
倭国王は妻子のある男王で阿毎多利思北孤(多利思比孤)だとされている
アメタリシヒコというのは小野妹子の氏祖である天足彦国押人命に通じるが、
むろん当時は女帝推古の時代だ
そうすると当時倭国の本当の王は推古ではなかったことになる

236:日本@名無史さん
18/08/25 01:50:47.77 .net
丁未の乱(587年)で物部氏を滅ぼして一極体制を確立した馬子は、
592年には”イノシシ”への夢想を理由に崇峻天皇に対して古代唯一の弑逆を実効している
遂には自邸宅を王宮と称したり、国書を編纂し出したりするなど、
専横が極まるようになった馬子は、公然と国王のごとく振る舞い出したのである
この背景に、妹子として渡隋した際、自らを国王と称し、
認知を得て下賜された品、例えば玉壁や黄幢のような物、
あるいは百済に掠取され紛失したものと後世に伝えられた、受領したはずの返書の内容、
それをして印籠のごとく掲げ、倭国の王権を簒奪してしまったのではないだろうか?
隋による琉球への侵攻時にそれがなされているわけである

237:日本@名無史さん
18/08/25 01:51:52.00 .net
一部仮説で唱えられている通り、、聖徳太子は架空の人物であり、
蘇我馬子(あるいは入鹿)と同一人物である。
史書に記された倭の五王は、その実態があくまで地方豪族でしかない
よって蘇我馬子が中国に承認された初の統一倭国王だったと言える
それは神代を引き継いだ初代天皇、すなわち神武天皇その人を指している
神武とは、馬子によって王朝が創始されるに至るまでの蘇我氏の来歴を一代記にしたものである
おそらくは蘇我氏が編纂した大王記(天皇記)を範にしたものだろう
以降の欠史八代は物部朝が列挙されたものであるり、
崇神以下、継体より前までの数代は、南朝の宋書倭国伝に記された倭の五王までの地方豪族である。
蘇我王朝を打倒(乙己の変/645年)した天智天武朝以降、
易姓革命を正当化するために創作されたのが大化の改新だ。
蘇我馬子は激しく貶められる一方で、その無視できない巨大な業績は聖徳太子のものと分離され、
名目の天皇には推古という初の女帝があつらえられることとなったのである。

聖徳太子と小野妹子と蘇我氏 No016
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
『蘇因高は蘇馬子の音訳?』
URLリンク(ggb03124.o.oo7.jp)
寄り道・『隋書倭国伝』の阿蘇山について②
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

238:日本@名無史さん
18/08/25 01:52:25.03 .net
この場合の女帝の設定に、
魏志倭人伝の邪馬台国像が念頭には置かれていないだろうか?
女王卑弥呼を弟が補佐する二元政治が行われ、
卑弥呼没後に男王を立てるも大規模騒擾が生じ、
やむなく少女の壱与(台与)に引き継がせた
この時、卑弥呼が魏に使いに出した難升米は漢族だったという指摘もある
おそらく衛氏朝鮮(BC195~BC100)遺民の、高位の燕(~BC222)系中国人子孫だろう。
彼は卑弥呼が個人で任用した一代限りの客卿だった、
ゆえに卑弥呼没後の壱与の治世には姿を消している。
しかし難升米が有能なら、人材に限りのあろう邪馬台国では、
後代においても任官されるべき存在ではないか?
難升米は国王でもないのに詔書・黄幢(魏朝の軍旗)を拝領して直接告諭を受けている。
これは難升米が魏の軍隊を動かせるようになったことを意味する。
これにより邪馬台国の王権の簒奪を企てたのが卑弥呼没後の男王たる難升米だったはずだ
ことによれば卑弥呼は難升米に謀殺されたのかも知れない
だが民衆の離反に遭って放逐されてしまったのだ
つまり難升米と蘇我馬子は同じことをやったのである
それはすなわち馬子が難升米の手口を知っていたということに他ならない
であるなら蝦夷(毛人)や入鹿とともに後世に付与された蔑称とおぼしき
馬子の“馬”の字には、特別の意味が込められていると言えよう

239:日本@名無史さん
18/08/25 01:55:04.29 .net
武内宿禰を祖とする蘇我氏は、始祖の蘇我満智が実は百済の高官・木満致と同一人物だとする考えもある
だがそれは蘇我氏を百済系渡来人に位置付けるのが目的であり、真の始祖は蘇我稲目のはずだ。
むしろ木満致に紐づけられるべき者を暗黙裡に蘇我氏に結び付けたとも考えられる。
そのような作為は、蘇我氏が、魏志倭人伝に倭国盟主と記録された邪馬台国の直系子孫となれば、
その統治と強権に正当性が生じてしまうことを嫌ってなされたものである。
馬子の墓と比定される石舞台古墳が、弥生時代に絶えて久しい支石墓(ドルメン)であることも興味深い
従来、それを南洋巨石文明の観点から語ることは少なかったのではないか?
さて難升米とは違って、卑弥呼から壱与の二代に仕えたのが掖邪拘(掖邪狗) であり、
彼が難升米の存在に取って代わっている。
この掖邪狗という名前の意味についてはいろいろ分析されてはいるが、
個人的にはそれが掖玖(屋久島/=琉球全般)に関係しているように思えてならない。

240:日本@名無史さん
18/08/25 01:55:22.97 .net
難升米は漢族
URLリンク(www.lun.ac)
伊声耆掖邪狗の正体
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
5.「伊聲耆掖邪狗」とは
URLリンク(p.booklog.jp)
沖縄出土滑石混入系土器からみた東シナ海の対外交流
URLリンク(catalog.lib.kyushu-u.ac.jp)
西都原考古博物館で「玉と王権」講演会を聴く
URLリンク(kamodoku.cocolog-nifty.com)
邪馬台国は北緯32度付近の宮崎にあった
スレリンク(history板:540番)-545

241:日本@名無史さん
18/08/25 01:56:26.63 .net
~蘇我氏の直系、韓子と百済は入鹿を逆賊に仕立てるための仇名?~
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
◆蘇我氏の出自
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
「入鹿と鎌足」謎と真説
URLリンク(books.google.co.jp)
朝鮮半島における支石墓ってどういった影響を持っていたんですか?
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
朝鮮半島の倭と日本列島の倭
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

242:日本@名無史さん
18/08/25 01:58:51.54 .net
中国統一(589年)以降の隋の対外拡張姿勢による、
琉球、もしくは台湾への示威行為は、おそらく史書に記される以前からその兆候を見せていたはずであり、
琉球人の来朝もまた、史実(612年)より前から発生していたに違いない。
570年以降に倭国との接近を模索した高句麗と蘇我氏との密接な関係は、
歴史的な北朝との結びつきに基づき、中国情勢への対応という共通の利害から生じたものと考えられる。
そのことと、北東アジアでは旧高句麗地域の北朝鮮と宮崎串間にのみ、
玉壁が発掘されていることとは関係しているのかもしれない。
かくして、琉球危機への対応が遣隋使の派遣と蘇我氏の国王即位をもたらし、
百済危機に対応して乙己の変が発生し、白村江敗北後の壬申の乱(672年)は、
倭国それ自身の危機と高句麗危機とに対応した引き起こされたのである。

243:日本@名無史さん
18/08/25 02:04:13.81 .net
>>233-242
(>233,235-237,238-239,242)

244:日本@名無史さん
18/08/26 11:34:22.68 .net
URL貼り付けの人しか来なくなったね

245:日本@名無史さん
18/08/26 14:27:48.88 .net
抜け殻に屍ばかりが転がってるw

246:日本@名無史さん
18/08/27 06:12:07.93 .net
沖縄の語源がはっきりしてないね
琉球もまたそうで、元は台湾のことを指してたとも言う
沖縄は沖合いの<な=魚>の場、漁場の意味だとする説もある
日本海側の有力氏族に息長氏があって、
天皇家に后を送り出す外戚氏族としての特質があって、
応神や日本武尊など、ビッグなとこにことごとく絡んでる
てことは脚色用の仮想氏族の線も否定はできないんだが、
天武制定の八色の姓では最上位の真人姓に位置づけられてるのだし、
そこに結び付けることの政治的な要請があると言うことでもある
系図の不明な謎の氏族で、
地盤は近江とされるが吉備播磨にも関してて、
製鉄方面の氏族と考えられてる
近江というからに、継体の出自である
そして卑弥呼に似せて潤色された神功もまた息長氏なのである
とんでも色はあるが、
この息長と沖縄とは語源が同じという説がある
今、蘇我氏=沖縄=神武の仮説に立つと、
物部氏の祖先とされてるニギハヤヒと神武との最終決戦で、
互いを天神と認め合ったことの意味が説明可能にはなる

247:日本@名無史さん
18/08/27 19:20:14.13 .net
一応、見に来てはいるけれど、意味のある書き込みがないな

248:日本@名無史さん
18/08/28 09:46:15.55 .net
琉球はサンゴや宝玉のこと。この名前自体は明から授けられたものだと
はっきりしてる。ごちゃごちゃ語源など引っくり返す必要はない。中国側からの
名称だ。沖縄は沖縄土着あるいは日本系統からの古称。「ナハ」については
解釈は分かれるが「オキ」についてはおきあい(沖合)の意味だろうとういう
のが通説。

249:日本@名無史さん
18/08/28 13:07:41.13 .net
息長という地名が滋賀県にあるけれど、
息長姓の人は全国に10世帯前後のみとみられ、
和歌山と滋賀県に分布してるようだ
先日急逝した沖縄知事が翁長おなが氏。
それと古代の息長氏(いきなが、おきなが、きなが、しなが)とが同じ語源かどうかは不明だ。
翁長は沖縄固有の苗字らしく、琉球読みはウナガ
他にもおぎなが、おおなが、おきなおさ、など10数種類の読み方があるそうである。
村名末に翁長と付く地名がいくつかみられ、それがルーツと考えられる。
なお、奄美大島には蘇刈という地名がある

250:日本@名無史さん
18/08/28 13:11:16.82 .net
翁長姓は本土人からは珍しく感じるが沖縄ではメジャー苗字で、
沖縄で数千人が名乗ってるようである

251:日本@名無史さん
18/08/28 13:15:52.85 .net
沖縄方言は本土語との音韻対応で
オ段がウ段エ段がイ段になる3母音語だとの指摘がある。
つまりオキナワは沖縄現地ではウチナーなのである。(沖縄方言にキ音はなく全てチに音韻対応している)
本土人を指してヤマトンチュ
沖縄自身はウチナンチュということからもこの語が現代にも生きていることがわかる。

252:日本@名無史さん
18/08/28 17:46:27.15 .net
ニギハヤヒに仕えて神武に討ち取られたナガスネヒコも、
沖縄に多い仲宗根という姓に似てるね
沖縄北東部の今帰仁<なきじんそん>という、
観光で有名な古宇利大橋がある村(旧・間切時代)の地名から来てるようだ

253:日本@名無史さん
18/08/28 17:48:40.32 .net
旧間切り時代というか、旧間切りから今の市町村区分までずっと続いてる村名のようだ今帰仁村つうのは

254:日本@名無史さん
18/08/28 17:50:44.17 .net
そのルーツはともかくとして、長髄彦ナガスネヒコというのは縄文系なのだと思う

255:日本@名無史さん
18/08/28 20:06:14.29 .net
>>254 それ沖縄とは無関係では

256:>113
18/08/29 01:31:46.88 .net
沖縄県 伊平屋島 クマヤ洞窟(天の岩戸)
URLリンク(www.nakamurajunko.com)
伊平屋島 クマヤ洞窟
URLリンク(www.okinawainfo.net)
伊平屋島
URLリンク(www.vill.iheya.okinawa.jp)
クマヤ洞窟
URLリンク(project311.jp)
URLリンク(project311.jp)
URLリンク(www.okinawastory.jp)
URLリンク(www.okinawastory.jp)
URLリンク(www.okinawastory.jp)
沖縄の天の岩戸伝説、クマヤ洞窟の風景 - 沖縄県伊平屋村
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
クマヤ洞窟(伊平屋)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

257:日本@名無史さん
18/08/29 01:32:12.92 .net
伊平屋島 クマヤー洞窟 天の岩戸開き
URLリンク(www.youtube.com)
2010年3月21日 沖縄~春分の日のお祈り(天岩戸にて1)
URLリンク(www.youtube.com)
伊平屋島1話 神武天皇がお生まれになった場所
URLリンク(www.youtube.com)
沖縄県の伊平屋村へようこそ
URLリンク(www.youtube.com)

258:日本@名無史さん
18/08/29 01:32:33.10 .net
天岩戸神社 “岩戸神話”の聖地を巡る|たびらい宮崎
URLリンク(www.tabirai.net)
URLリンク(www.tabirai.net)
仰慕ケ窟(ぎょうぼがいわや)
天岩戸神社、天照大神から光の祝福!!
URLリンク(www.youtube.com)
高千穂の天の岩戸は偽物では?
URLリンク(www.youtube.com)

259:日本@名無史さん
18/08/29 01:41:39.31 .net
URLリンク(www.tabirai.net)
仰慕ケ窟(ぎょうぼがいわや)
高千穂へ 紅葉と雲海と夜神楽を求めて一泊旅行
URLリンク(www.jalan.net)
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ぎょうぼがいわやの写真素材
URLリンク(pixta.jp)
天岩戸神社・天の安川原・「仰慕窟」(ぎょうぼがいわや)
URLリンク(www.geocities.jp)

260:日本@名無史さん
18/08/29 04:00:49.08 .net
江戸時代に藤貞幹と上田秋成が本居宣長と論争してる
貞幹は神武年代を否定し、神武が太伯の末裔で、恵平也(伊平屋)の生まれ、
天の岩戸はクマヤ洞窟としてる
このうち、神武の在位繰り下げは当然だし、
太伯の末裔というのは、弥生倭人が百越ルーツとする観点からは間違いとも言えない。
天の岩戸も、宮崎の仰慕ケ窟よりは確かに伊平屋のクマヤ洞窟だ
神武の母・玉依姫は、海宮(あまみ)の玉依彦の娘で、
この海宮が伊平屋だとするが、そこは奄美と言うならわかるが

261:日本@名無史さん
18/08/29 04:08:48.98 .net
伊平屋島は伊平屋伊是名諸島に属している
仲宗根の地名の今帰仁村のある、沖縄北東の東シナ海に突き出た本部半島の沖合だ
そして本部半島と伊平屋島の間にあるのが伊是名島
これが伊邪那岐・伊邪那美と同音じゃないか
論争が江戸時代からとすれば、
神話にかこつけて後から命名した可能性も否定はできないが
伊平屋伊是名諸島というのは伊平屋と伊是名を含む7つの島からなってて「伊平屋の七離れ」と言われてるそうだが、
伊邪那岐・伊邪那美は神世七代の中に入ってる

伊是名村 - 伊是名島
URLリンク(vill.izena.okinawa.jp)
URLリンク(vill.izena.okinawa.jp)
伊平屋村データ > 歴史  由緒ある島・伊平屋
URLリンク(www.vill.iheya.okinawa.jp)
質問(Question)
神武天皇の母(母方の親戚)が沖縄の人だったということについて書いてある資料を見たい。
URLリンク(crd.ndl.go.jp)

262:日本@名無史さん
18/08/29 04:19:19.22 .net
訂正
> 沖縄北西の~本部半島の沖合・・

263:日本@名無史さん
18/08/29 18:23:25.63 .net
このスレ、500まで届くかな?

264:日本@名無史さん
18/08/30 13:53:33.80 .net
那覇というのはもともと島だったそうだ
海を埋め立てて本島とドッキングさせたんだってよ
嘘みたいなほんとの話だ
東京も大阪も元は湿地だったのを埋め立てたんだから似たようなもんだろうけど

265:日本@名無史さん
18/08/30 13:57:09.53 .net
へーそれは初耳だな

266:日本@名無史さん
18/08/30 13:59:44.74 .net
wikipediaに普通にのってたわ。こういうのは意識して読まないと
スルーしちゃうな。

267:日本@名無史さん
18/08/31 18:35:25.28 .net
>>264
>那覇というのはもともと島だったそうだ
何をもって「那覇」とするのかってのもあるけれどね
ウィキペディアを読むと「那覇は国場川河口の港」で、
その河口にいくつも島があったということみたい
港町が那覇で、島まで含めて埋め立てって港湾整備したということなら、
那覇が島だったというのも少し違う気がする
まあ、ウィキペディアの記事以上のことは知らないから、
うるさいことを言うつもりはないけれど

268:日本@名無史さん
18/09/01 07:41:52.01 .net
藤貞幹はスサノオノミコトを新羅国王だと言って激しく非難された。
確かにスサノオは新羅に逗留後に日本に来てるからそう受け取るのは自然ではある
むしろ貞幹の思考の柔軟性は当時として驚くべきほどだが、
新羅から倭国に向かう動きが、渡来人固有だという認識は、
根本から錯覚であるケースも多いだろうとは思う
新羅(もしくは意富加羅)からアメノヒボコ[天日槍/天之日矛](都怒我阿羅斯等)が
日本にやってきたことを記紀が紹介してる
播磨から淡路、近江、若狭を経て但馬に定着しているが、いずれも神武の東遷ルートに関係しており、、
定住地に選んだ但馬はおそらく鉄の運搬中継地に適すると考えたと思われる
都怒我阿羅斯等は「角がある人」の意味に解されてるが、
元は新羅の官職名の「角干(カッカン)」と名前(アリシト=敬称)を足したものを
和語読みしたものと考えれば、それは百官名であって、言わばニックネームだ
蘇那曷叱智というのも同名別音である
いずれも同一のエピソードを指してると見られてる。
新羅系と思われて、しかし天日槍は歴然と和名である

269:日本@名無史さん
18/09/01 07:42:23.36 .net
日本の古代史理解では、倭国と百済王家との密接な関係を重点に置いて考えるから、
新羅との関係も同様の方向性で認識してしまいがちだ
しかし新羅の建国史を読むと、倭人がそこに深く関与してることが分かる
日本側の新撰姓氏録においては、神武天皇の姉・稲飯命が新羅王朝の祖であるとされている。
朴氏初代の朴赫居世に仕えた倭人・瓠公(最高官位・大輔)は朴赫居世と同一人物と考えられてるし(朴=瓠[ひさご/瓢箪])、
朴赫居世は国号を徐羅伐(ソラボル)と定めたが、ヨナバルと読んだら沖縄の与那原がちらついてしまう。
昔氏始祖の脱解尼師今は倭国の東北一千里の多婆那国出身の倭人だ
金氏始祖の金閼智(あっち)は神話上の人物だろうが、瓠公が拾ってきてる。
「閼智」は知恵者(小さい子の意味とも)で、アリシトと同じ敬称的意味。
瓢箪は干ぴょうの原料で、食用のユウガオが今日の日本では栃木県が生産の中心だが
沖縄でもよく食されてる野菜で、生でも炒めても食べるそうだ
瓠公は腰に瓢箪をぶら下げてたからそう呼ばれたが、
瓢箪を浮きにしていかだにくくりつけてたのかとも思ったが、
真水を入れる携行容器に瓢箪が最適だと言うことだろう
ポリネシアの東部では長い航海に活用してて、特にハワイでは文化上の重要素材としても利用されてきた
南洋文化としての瓢箪が縄文文化圏に伝わってきたからか、
日本海側の福井や琵琶湖の縄文遺構から瓢箪の種が発掘されている

270:日本@名無史さん
18/09/01 07:42:51.85 .net
三国史記の言う、倭国東北一千里(400km)の多婆那がどこを指してるのかも重要なテーマだ
但馬、丹波、玉名(肥後)などが候補になってるが、
倭国の起点をどこに置くかが問題で、
大和に置くなら東北地方になってしまうし、福岡に置いたら能登半島に飛んでしまう
海流を読んで、海に流した時に加羅から慶州に辿り着くことも条件に挙げなければならない
まさに邪馬台国の所在論争さながらの難しさで今なお決着がついてない
仮に起点を沖縄に置いたてみたらどうだろう?
種子島(多禰)が候補に入るし、射程を延ばせば日向、無理すれば玉名も入る
しかし倭国を沖縄邪馬台国と考えるなら魏志倭人伝の知見の流用なのだから、
距離は短里にすべきで、すると奄美になるが、奄美のどこを探してもタバナという地名がない
しかし三国遺事では龍城国(ワナ国)とされてる。奄美には龍郷町という地があるのである(大和村もあるが)。
また、三国史記には母の国が女(ヨ)国だと記されている。まさに卑弥呼の国ではないか。
奄美から船で流せば黒潮に乗って対馬に流れ、対馬から東鮮暖流により、加羅、慶州へと流れてくれるのである
近代に入ってからでも丸木船に乗った沖縄の漁民が黒潮で対馬まで漁に来てたという証言があるから
それはごく自然な現象だと言える
奄美から玉名を経て慶州に漂着したか、
奄美から慶州を経て但馬へと向かう定型的な航路を通っただったということではないか?

271:日本@名無史さん
18/09/01 07:43:11.64 .net
中国の山海経に「蓋国は鉅燕(きょえん)の南、倭の北に在り。倭は燕に属す」とある。
BC300年頃で、この倭というのはおそらく縄文倭を意味してると思われるが、
縄文交易ルートは、沖縄から朝鮮半島を経て糸魚川へと続く広範囲の経済文化圏を形成していて、
古代から、瓢箪に飲料水を詰めて、縄文人が日本海ルートで航行していていた歴史が、
その後の裏日本の交易ルートにずっと生きていたということだと考えられるわけなのだ
その時、沖縄から裏日本への最短航路は、一旦朝鮮半島を経由し、その東海岸から海流に乗って
出雲や越への漂着するというルートだったように思われるのだ
そのルートで、遼寧文明が山陰や近江にもたらされたと考えられる
弁辰の鉄は倭国の死活的戦略物資だったが、それをサウジアラビアの石油に例えるなら、
糸魚川の翡翠や沖縄の貝(夜行貝・子安貝)は工芸品はもとより、殷では通貨として利用されており、
南アフリカのダイヤモンドや金に相当する価値を持っていたと言える。
そのたえ中国北朝、高句麗、新羅、沖縄の提携網において、沖縄の占めた地位は大きかったはずで
その文脈において考えてみて初めて、新羅の建国主体に倭人がいることの意味が理解されてくるはずだ
辰韓地域は元、秦や燕の遺民からなる寄せ集めゆえに、外部権力に依存して統一を図ることになったのだろう
その後に百越が朝鮮南西部や九州・瀬戸内に弥生文化を確立し中国南朝と結びついてゆく中、
日本海文化圏はそれと併存しながら一貫して先進文化地域だったと考えられる

272:日本@名無史さん
18/09/01 07:46:24.62 .net
こうして一口に言って新羅王家や高官と言えど、その実態は倭人であることが十分考え得るわけで、
スサノオが高天原を追われ、新羅を経由して出雲に定着したこともまた天之日矛と同じ足跡にあたるわけである。
天之日矛/都怒我阿羅斯等(蘇那曷叱智)の話に戻ると、
日本海側の有力氏族に、皇室との外戚関係に特質のある息長オキナガ氏という氏族があるが、
それが沖縄・翁長と同一語源でないかという推測が可能である一方で、
これをソナガと読んだらどうだろうか?
蘇那曷叱智の音に通じてくるし、ソ(ナ)ガ=蘇我でもある
蘇我氏=小野妹子とすれば、その始祖は天足彦国押人命で、当時の倭国王は阿毎多利思北孤
蘇我氏もまた、息長と同様、皇室に嫁がせて姻戚関係を構築することに努めた氏族である。
ここから、蘇我=都怒我(蘇那曷)=息長、天=阿毎となる。
蘇我氏(のちの石川氏)や息長は後世に創作された氏であって、
当時は存在しなかったはずだ。
彼らの真の姓は「天(アマ)」である。
ではその「天」姓は何に由来して生まれたのかでだ。
天武の時代には既に「海見」「阿麻弥」としてその名が残されている「奄美」ではなかろうか?
奄美開闢神話の女神・阿摩弥姑(アマミコ)に由来するとも言われるが、
これが琉球のアマミキヨ(アマミク)と同一だとされている
語源はオーストロネシア語のアマン(やどかり)だという説もある。

273:日本@名無史さん
18/09/01 08:21:54.93 .net
>>272
>ここから、蘇我=都怒我(蘇那曷)=息長、天=阿毎となる。
>蘇我氏(のちの石川氏)や息長は後世に創作された氏であって、
>当時は存在しなかったはずだ。
>彼らの真の姓は「天(アマ)」である。
ほうほうと思って読んでいたが、この辺りでトンデモだと確認した。
あれこれを後世の創作と呼ぶのは、大抵が何かを誤魔化している。
そして、姓がアマというのは、天皇家そのもののことだ。

274:日本@名無史さん
18/09/01 08:26:10.45 .net
>>273
天皇に姓はないことになってるわけだが
それに蘇我氏は簒奪によって天皇になっている
なった事実を後世に消されただけだ

275:日本@名無史さん
18/09/01 08:29:45.79 .net
もちろん、本当はあるんだが、出してないだけだという考えもあり得る
だが、出さないでいるのだとするのなら、それは出せないからだ
出すと不都合があるからずっと隠してたということになる
そういう姓として考え得る姓があることは確かだが、
少なくとも天皇の姓がアマならそれを隠す理由などどこにもない

276:日本@名無史さん
18/09/01 08:47:09.89 .net
沖縄=高天原が前提になってくる
その上で蘇我氏が天(アマ)氏であり、神武が蘇我氏であるのなら、
まさしくそれが天孫天神建国神話の原点になる
仮説と呼ぶべきか妄想にすぎないかは別として
もっとも、さすがに琉球の中山世鑑(17世紀作)を持ち出して天孫氏王統は記紀の天孫族なりなどとは、
荒唐無稽すぎて誰も言い出したりはしないけど

277:日本@名無史さん
18/09/01 09:19:03.93 .net
完全版 天皇家の謎
URLリンク(books.google.co.jp)
 つまり、天皇家は日本にひとつしかない特別な「家」だから、「姓」や「氏」などで他者と判別する必要はない、というのである。
 では、昔から一度も姓をもったことはなかったのだろうか?
 たとえば、中国は歴史書『宋書』には、「秋七月甲辰、安東将軍倭国王倭濟、安東大将軍に進号す」との記述がある。
ここには「倭国王である倭濟」―つまり、「倭」という姓を名乗っているのだ。
さらにいえば、推古以前の「天皇の」名前、「大王」がもともとの姓だったのではないか、という指摘もあるようだ。
 確かに、最初から天皇家だけが唯一無二だったという説明は受け入れがたい。
天皇家の姓は、勝ち抜き、国家の支配者となる過程で失われた―そう考えるべきなのだろう。

278:日本@名無史さん
18/09/01 09:25:44.56 .net
高句麗の王姓「高」、新羅の「金」、百済の「余」
これらはいずれも国名や民族名を仮の姓に利用しただけで、本来的な姓ではない
日本の天皇家がこれにならうなら、
天皇家の仮の姓は「倭」もしくは「日」ということになる
「倭」は蔑称で、日本に改名したのは7世紀だからね
すると「日」だなんて、今さらもういいやということになったのでは?

279:日本@名無史さん
18/09/01 09:25:56.04 .net
>>274
天皇家に姓がなくなるのは後世のこと。
隋書にはおう姓はアマとあるし、記紀でも多くの王族が「天の~」とある。

280:日本@名無史さん
18/09/01 09:28:03.40 .net
古来は、王姓とその国邑の名はそもそも一致するものだった。
それだけのこと。

281:日本@名無史さん
18/09/01 09:28:35.47 .net
>>279
後世に、などというのは大抵が何かを誤魔化している。
なお、隋書では推古天皇時の男王で破綻してるから

282:日本@名無史さん
18/09/01 09:31:19.88 .net
古代において、大王、大連、大臣らの間にどれだけの格差があったかは定かではない。
乙巳の変の前に蘇我蝦夷が国記を編纂していたのは、蘇我家が王家として機能していたことを意味する。
物部氏もアマテラスの直系の、大和においては神武より古い王統であり、倭王として列せられるべきだろう。
天皇家が最高位というのは、8世紀以降の創作かもしれない。

283:日本@名無史さん
18/09/01 09:31:52.03 .net
>>281
破綻しているのは、記紀の方。

284:日本@名無史さん
18/09/01 09:36:56.83 .net
>>279
古代だと後から付けてるケースが多いのでは
つまり、天孫天神という概念が導入されたから、
それに準ずる方式で命名してゆくと

285:日本@名無史さん
18/09/01 10:52:05.27 .net
そうでもないだろう。
天孫は天孫なんだろう。
ただ、当時は絶対的優位かどうかわからないということ。
記紀は創作による足し算ではなく、都合の悪いことを書かないという引き算で歴史を歪曲しているように思える。

286:日本@名無史さん
18/09/01 11:05:12.92 .net
【福島が羨む、地元愛】 辺野古で立ち上がった県民  <安室奈美恵>  国民的人気ナンバーワン歌姫
スレリンク(liveplus板)

薩長に屈した会津と琉球、200年たって大差がでた。

287:日本@名無史さん
18/09/01 12:01:39.58 .net
天之日矛は貢物を納めて、定住する先を探したいと各地を見分して、
近江を回って但馬に落ち着いた
その名からして自明だが、明らかに戦闘士の名前そのものだ
彼は、瀬戸内から河内、大和へと侵攻する計画の神武を、
武器の供給と補給の体制を構築する後方支援部隊の指導者であり、
諜報工作員である。
使者の懐に小刀を忍ばせていたことが露見して、
神社に奉納を強いられるも、消失して淡路で発見されたという逸話を加えることで、
書紀はその素性を知らしめている
近江の琵琶湖から淀川水系を利用することを想定したが、
但馬から播磨、そして淡路へのルートを選択した
淡路には大規模な製鉄遺構が発見されている
それは神武が利用した武器庫であり侵攻のための前衛基地である
もちろん天之日矛は人物ではなく、渡来集団の総称にすぎないという見方もある
それはどちらでも同じことだ。
問題はなぜその天之日矛は、天神でもないのに「天」と名乗っているのかだ
理由は単純で、最初から天氏だったからだ
天神でもないのに天氏の者があるなら、
天神すなわち皇族は皆、天を名乗らせるしかないではないか

288:日本@名無史さん
18/09/01 12:17:02.42 .net
鉄は古代、至高の戦略物資だ
ゆえに製鉄氏族と目される息長氏≒天之日矛の役割は重責だったと言える
日本神話ではアマテラスより上位になる最高神の一人、
タカミムスビ(高皇産霊尊)の表記に含まれる”高霊”の字が、
大伽耶国の地にある高霊を指してるとして、
ゆえにそこをして高天原だとする愚論を唱えた者がいるが、
仮にタカミムスビが高霊の地神であるとするなら、
それはその地が倭国が供給を依存する鉄の産地だからこそ神聖視されるということだ
>>220-221
製鉄の重要性(古代史の復元)
URLリンク(www.geocities.jp)

289:日本@名無史さん
18/09/01 12:34:39.68 .net
倭人伝に見る日本人(縄文、弥生時代): 東邦異聞録
URLリンク(sundaymorning10.cocolog-nifty.com)
3.文献は語る -中国正史の前に-
URLリンク(inoues.net)

290:日本@名無史さん
18/09/01 19:02:21.90 .net
やたら、鉄が、鉄が、って言う人が多いけれど、
弥生時代に鉄を使っていないところなんて逆にないと思うんだが?

291:日本@名無史さん
18/09/01 20:55:09.48 .net
纒向とかいう田舎があってね、鉄が見つからないんだってさ。
そこが卑弥呼の王都だなんて夢見ている狂信者もいるらしいけど。

292:日本@名無史さん
18/09/01 22:13:56.75 .net
鉄は九州が押さえているから巻向には鉄がないとか言う人がいるけれど
その向こう側の1世紀の登呂遺跡で鉄を使っていなかったと考えている人はいない

293:日本@名無史さん
18/09/02 07:19:42.94 .net
纒向が屈指の後進地域だったというだけ。
真空地帯だったから次世代においては何もないところで開発が進んだかもしれないが、3世紀においてはただの辺境。

294:日本@名無史さん
18/09/02 07:37:43.11 .net
>>294
>真空地帯だったから次世代においては何もないところで開発が進んだかもしれないが
その理解でいいよ
卑弥呼の共立に伴い、倭国で初めて「何もなかったところに計画都市を造った」のが
纒向遺跡なんだから
開発が進んだ次世代っていうのが、既に3世紀半ばに訪れている状況だよ

295:日本@名無史さん
18/09/02 07:39:02.36 .net
>>294
>纒向遺跡なんだから
その纒向が辺境の後進地域だったという話なのだけれど?

296:日本@名無史さん
18/09/02 09:23:36.40 .net
纒向は開発計画が頓挫した未来都市だろ
頓挫したからには国家存亡の危機に直面したからに他ならない
4世紀初頭の頓挫となれば、古墳時代の勃興と同時なんだからその意味は大きい
それはその後の支配層の変更に直結してくる
だいいち纒向からは大陸との交易品の遺物が出て来ない
魏に朝貢してるのだから何かしら大陸由来の物がないとおかしい
それに邪馬台国特産のはずの絹も出てこない
そこは邪馬台国とは何の関係もない場所だ

297:日本@名無史さん
18/09/02 11:14:44.28 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と単粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は単粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

298:日本@名無史さん
18/09/02 12:31:01.44 .net
魏志倭人伝の、邪馬台国の特産品としての絹への言及だが、
古代琉球にはどうも絹織物のイメージがないし、
今日に至っても関連付けられる根拠も薄弱だ
ところが奄美大島には大島袖という、
今日でも高級品として評価され、世界三大織物にも数えられる絹織物があって、
奈良時代に進貢してる史実がある
奈良時代に進貢してるからには産業の存在はそれ以前、
弥生時代からとみて不都合はない
奄美は遣唐使の中継地になっており、
奄美は現在の行政区分では鹿児島県の扱いではあるが、
文化的な区分ではトカラ海峡以南の中琉球グループに属する掖玖(琉球諸島)の一つだ

299:日本@名無史さん
18/09/02 13:42:18.98 .net
>>142-143
2018/08/29
【ホタテ戦争勃発!】英仏海峡で 両国の漁船が衝突、投石も
スレリンク(newsplus板)

300:日本@名無史さん
18/09/02 13:43:37.65 .net
>>142
> アイスランドとイギリスとの間のタラ戦争

301:日本@名無史さん
18/09/02 14:57:21.39 .net
>>295
>その纒向が辺境の後進地域だったという話なのだけれど?
それは物事の見方がおかしい
纒向は、「銅鐸製作の中心地であり人口集積も進んだ当時の先進国」で
ある奈良盆地の中での、未利用地が広がっていた領域であり、そこを計画的に
開発した新しい王都なんだよ

302:日本@名無史さん
18/09/02 15:27:11.22 .net
王都であるというなら王統を示せ。

303:日本@名無史さん
18/09/02 17:38:02.59 .net
>>302
>王都であるというなら王統を示せ。
王統というか、皇統が記紀に記録されてるだろ?
崇神天皇が、卑弥呼の男弟で、その9代前から記録されてるよ
記紀にも、崇神の代に都が纏向遺跡周辺に移ったと書いてある
崇神前代の開化天皇の都は、奈良盆地の北のほう

304:日本@名無史さん
18/09/02 17:39:38.25 .net
>>303の補足
もちろん、記紀がまとめられるまでに長い時間差があるから、
当然間違っている部分もあるだろうし真実という訳ではないが、
それなりに整合性の取れる記録があるのも確かだよ

305:日本@名無史さん
18/09/03 07:23:12.48 .net
>>303
畿内説のテンプレとはかなり食い違っているけどいいの?

306:日本@名無史さん
18/09/03 08:04:09.05 .net
記紀をどう受け止めるかはそれぞれの態度でいいだろう?
畿内説スレのテンプレに沿って主張したいならご自分でどうぞ( ・∀・)つ

307:日本@名無史さん
18/09/03 09:34:30.88 .net
ていうかさ、畿内説ならあのテンプレを何とかしろよ。

308:日本@名無史さん
18/09/03 12:17:06.26 .net
>>307
長いって言うけれど、本質はコメ番号14までだから、そこまで長くもない
九州説が繰り返し呪文を唱えるから、順に論破した記録が積み重なってるだけだよ

309:日本@名無史さん
18/09/04 05:00:49.17 .net
キナイコシはちゃんと大学出てからテンプレ書かないとダメ。

310:日本@名無史さん
18/09/04 07:29:52.82 .net
糸クズ「キナイコシ」は、幼稚園レベルの道徳、倫理を学べなかったんだな
通常の日本の教育課程で学んでいないのだろう
迷惑なことだ

311:日本@名無史さん
18/09/04 10:39:36.25 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

312:日本@名無史さん
18/09/04 12:49:40.33 .net
幼稚園で道徳とか倫理?どの星の日本の話をしてるんだ?

313:日本@名無史さん
18/09/04 12:52:11.43 .net
>>312
>幼稚園で道徳とか倫理?どの星の日本の話をしてるんだ?
さては日本人じゃないな?ww
日本の幼稚園では、おはよう、こんにちは、さようならの挨拶や
人の嫌がることはやめようとか、仲良く遊ぶにはどうしたらいいかとか
ちゃんと習うんだよ
大声で相手がいやになるまで付きまとえとか
相手がいやになって相手にしなくなるまで言い張れば要求が通るとか、
そういうのは教えていないw

314:日本@名無史さん
18/09/04 12:52:12.49 .net
キナイコシは日本語を誤読する上に詭弁をふるうからまともな人はあいてにしないよ。
長文読解力に大いに欠ける。

315:日本@名無史さん
18/09/04 12:53:50.34 .net
>>313

それはキナイコシその人のことだな。
なんだ自分が倫理観がない声がでかいだけの人って自覚はあったんだな。
それでも自重しないんだから相当な恥知らずだ。

316:日本@名無史さん
18/09/04 14:03:39.84 .net
そうだな、>>314の糸クズ「キナイコシ」の人のことだなww

317:日本@名無史さん
18/09/05 00:47:22.29 .net
前にひょうたんの話をしたんだけど、
沖縄で神の島として神聖視される久高島は、琉球始祖神のアマミキヨが最初に国造りを始めた島だ
この島に五穀の種子が流れ着いて、そこから沖縄で農業が始まって、五穀発祥の地とされてる
種子が入ってた器が瓢箪だった。五穀というのが粟、麦、キビ、小豆、他にボチョウジだと何とかで、
米ではない
でも古代沖縄でも米は作ってたのではないか?8世紀には伊平屋で盛んだったのは確認されてる
それ以前となると、多禰国(種子島)で二期作が可能だと天武朝の記録になってる
琉球弧を一体的に捉えるなら、当然、沖縄にも伝播したはずだろう
ただ、沖縄で適してるのは伊平屋のみだった
農耕発祥の久高島が神聖視されてるのだから、米が収穫できる伊平屋は別格だろう
だから天岩戸だの、伊弉諾の推定が生じてくる
金や食料の欠乏は人を狂気に陥れがちだ
対外拡張の動機というのは、経済的な欠乏が原因であることが多い
豊かな国は侵略する必要がない
沖縄で米が不足するからこそ外地への進出を要することになる
沖縄を起点にして考えると、
ニニギノミコトや、スサノオの行動は極めて合理的だ
屋久島の三岳が山岳信仰の起源だという推測があるが、
琉球弧を島々の高山を航海上のシマアテにしながら北上すると、>>234
最後に霧島山が視界に入る。その最高峰の韓国岳は、九州島から韓国を視認できる唯一の場所になる
ここは韓国に向い、笠沙の御前を真来とおりて、…
というのは、韓国を経て日本海へとつながる航海ルート上の標識としての特別の価値を求めてる
辿り着いた薩摩では、今度は屋久島最高峰の宮之浦岳から半島への直線的なルート上にある野間半島を選ぶだろう
そこを橋頭保として九州南端で稲作適地を探すのだから、天下ったのは日向の高千穂となる
一方、スサノオは半島を経て、海流に流されたならば出雲に漂着している。
こうした航海上の意識を視点に考えて天孫降臨を分析すれば、その出発点が琉球弧にあることは明らかだろう。
現実に存在するレイラインが、そうした視点が行動原理になってることを証明している。

318:日本@名無史さん
18/09/05 00:47:53.17 .net
出雲と石上布都魂神社のレイライン
URLリンク(www.historyjp.com)
URLリンク(www.historyjp.com)
石上布都魂神社とスサノオ、出雲のレイライン
高天原神話の背景に潜む南西諸島の存在
URLリンク(www.historyjp.com)
URLリンク(www.historyjp.com)
日本近海を流れる黒潮の海流図
URLリンク(www.historyjp.com)
沖縄と出雲のレイライン 伊江島の城山と伊平屋島のヤヘー岩が、出雲の八雲山に直結
高天原のレイライン -古代の英知が証する高天原の比定地-
URLリンク(www.historyjp.com)
URLリンク(www.historyjp.com)
高天原のレイライン
重要指標が一列に並ぶレイラインの不思議
URLリンク(www.nihoncity.com)
URLリンク(www.nihoncity.com)
久高島から上る夏至の日の出
URLリンク(www.nihoncity.com)
那覇のレイライン
URLリンク(www.nihoncity.com)
御神崎のレイライン
URLリンク(www.nihoncity.com)
オノゴロ島(小松島・日峰山)のレイライン

319:日本@名無史さん
18/09/05 00:48:37.85 .net
屋久島、もっと知りたい人と暮らし編
URLリンク(books.google.co.jp)
霊(ひ)の国の古事記論31 笠沙(かささ)へ天降ったニニギ
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
「天皇家の“ふるさと”日向をゆく」(新潮社) - 宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
URLリンク(www.pref.miyazaki.lg.jp)

320:日本@名無史さん
18/09/05 00:51:02.55 .net
沖縄や奄美と同様に、宮古島にも開闢神話があって御嶽由来記に残されてるのだが、18世紀の作だ。
宮古島はともかく、沖縄と奄美のそれは日本のそれとよく似ている。
沖縄の中山世鑑は17世紀。17世紀じゃ価値に乏しいとは言っても、
韓国の三国史記は12世紀成立だし、三国遺事は13世紀。それでも資料価値は認められている。
一方で、東国文献備考(18世紀)とか増補文献備考(20世紀)のような信憑性の乏しいのやら、
桓檀古記(20世紀)のような露骨な偽書もあることもまた事実ではあるんだが。
世界の神話には奇妙な共通項を持つこともありがちで、
相応の口承神話が反映されているのではないか?
仮に大和朝廷の有力指導層に掖久人がいたら、
それが日本の開闢神話の基盤になったり、混入するということもあり得るのではないか。
沖縄が高天原で、そこから本土に天下った天孫が、
創始した王朝に、琉球神話を持ち込んだと考えると全て辻褄があってくる
もちろん、神代以降の王統がどうなったのかはそれとは別の問題でここでは関知しない。

御嶽由来記
URLリンク(ja.wikipedia.org)
沖縄県風土記や奄美を学んで旅に出よう
URLリンク(beguiles60.rssing.com)

321:日本@名無史さん
18/09/05 02:16:32.06 .net
15世紀中葉沖縄で、衆に頼まれ第二尚氏を創始した金丸は、伊平屋の百姓出身領主だった。
面積だけで見れば小さな島だ。沖縄で唯一米が獲れたことの意味は大きく、
藤貞幹もまたあの大昔にこの小島に比定し得てる。
一方、鹿児島にのみ地名として存在する笠沙が、
降臨神話の笠沙之御前だとしたところで、
事実は神話にちなんで地名の片鱗もかすらぬ場所に新規命名したものであって、
となれば伊是名島などもいつからの島名なのか分かったものじゃないということは否定し得ない。

322:日本@名無史さん
18/09/05 03:45:04.68 .net
古事記のプロットの神話の部分は山海経と共通するところもあるし
環東シナ海文化とでも呼ぶべき古代文化のかすかな交流の痕跡が
そういう物語りのなかにあるのかもしれんね。

323:日本@名無史さん
18/09/05 13:20:20.81 .net
>>320
伊是名島のすぐ隣、伊平屋島には天岩戸がある

324:日本@名無史さん
18/09/05 16:56:39.60 .net
>>323
>伊平屋島には天岩戸がある
天岩戸は日本中にあるからなぁ

325:日本@名無史さん
18/09/06 10:27:42.40 .net
あるけれどもいろんなものがフルセットで揃ってるのは宮崎と沖縄しかない

326:日本@名無史さん
18/09/06 10:30:29.20 .net
仮に宮崎だとすれば、
宮崎から宮崎に天下ったことになる
よって高天原は沖縄だ
であれば高天原が邪馬台国であり、
邪馬台国は沖縄になる

327:日本@名無史さん
18/09/06 13:29:20.47 .net
いや、時代的に天下った先の方が邪馬台国じゃね?
さらには、神武の移動先が発展して邪馬台国になった、とか?

328:日本@名無史さん
18/09/07 00:26:06.83 .net
そういえば琉球の歴史って全然学校で習わないな

329:日本@名無史さん
18/09/07 08:44:11.31 .net
【福岡】浮かぶ、筑後平野の先進性 邪馬台国「卑弥呼の鏡」説 三角縁神獣鏡発見で注目 朝倉・平塚川添遺跡
スレリンク(newsplus板)

330:日本@名無史さん
18/09/07 11:14:41.44 .net
>>328
歴史の授業時間にも限りがあるからねぇ
何もかもは扱えない

331:日本@名無史さん
18/09/07 17:39:04.07 .net
沖縄の学校では教えてるんじゃないのか。
地方史じたいはそれぞれの地区でそれなりに
やるだろ。受験に出ないだけで。でも琉球史は
もうすこし取り上げようがありそうだよな

332:日本@名無史さん
18/09/07 18:44:05.38 .net
日本という国の成り立ちの多様性を学ぶには、沖縄史は有用だと思うけどね
ただ、受験に出ないものは学校で教えない学ばないってのが徹底してるからね

333:日本@名無史さん
18/09/07 23:07:41.12 .net
沖縄は、人種的にも文化人類学的にも日本のルーツなんだが、
長らく独立国のままで、日中両国に二重貢納してる特殊性があった
第二次大戦の問題と、戦後は本土復帰をはさんで米軍統治下に置かれてる外交政治上の障害が大きいといのがある
それにしても、古代でも倭国と沖縄との関係も特殊だったと思う
掖玖(南西諸島民)が来朝して帰化するようになって、
朝廷から遣使が出されて倭国への編入が模索されるようになっても、
目的はもっぱら多禰国であって、それは米がとれて税収を期待できた(実際は持ち出し)からだ
米作の北限外の東北や北海道が長らく異国だったのと同じで、沖縄では米がとれないというのが大きい
中国への遣使は、半島から山東半島を経る北路と、五島列島から東シナ海を横断する南路、
そして南西諸島を経由して横断する南島路の3つの路線があったが、
初期は当然、安全な北路で、
敵対する新羅が半島を統一してからは南方ルートを余儀なくされたが、
南島路をとった場合でも、奄美までは行っても沖縄は経由してない
唯一使ったケースが復路に鑑真を乗せた回で、それもたまたま沖縄に漂着しただけ
東シナ海を横断する先は揚子江口の蘇州あたりで、そこから洛陽などへ陸路を踏破するのだと、
緯度的には沖縄まで行く必要がない、台湾から福建を経るなんて遠すぎるということになるんだろうけど
関係の悪い新羅とは交易面では往来があったようで、
ゆえに、古代から日本は沖縄とは何かと微妙な関係だったと言える

>No.15 遣唐船の航路
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
日本からの遣唐使、遣隋使が行き帰りで遭難し…
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
多禰・掖玖両嶋と曰本古代王権
URLリンク(ir.kagoshima-u.ac.jp)
日米関係と沖縄(1) - 東洋大学学術情報リポジトリ
URLリンク(toyo.repo.nii.ac.jp)

334:日本@名無史さん
18/09/07 23:16:01.64 .net
ニニギの「笠沙」という地名は、
鹿児島西端の野間半島にあるのは後からでっち上げたもので、
他に日本のどこにも地名上の該当地が見つかってない
奄美に笠利町という地名があるね
ここは創造神アマミコの降臨地で、阿麻弥姑神社のある場所だ
同地には大和村という地名もあるが、こちらの方は大和朝廷の大和に由来して命名されたそうだが

335:日本@名無史さん
18/09/07 23:35:02.81 .net
>八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を
というのはスサノオが作った歌で和歌のルーツだが、
実際には後世の作品とされてる
八という数字が多いのと、八重垣の繰り返しが変だし、
いまいち意味もとりにくい歌になってて、
その意味の通説には釈然としない気分が残る
今これを強引にレイラインの話に結びつけると、
伊平屋のヤヘ(ヤへー)岩と高千穂(神社)のライン上に出雲・八重山神社があり、
八重山というのは、そもそも南西諸島・先島諸島の八重山と同じだ
語源は不明で、この八重山諸島に石垣島がある、
八重山諸島と東北の青森・八戸のちょうど中間が出雲だ
このことと何かしら関係してくると感じるのは自然ではなかろうか?
そもそもスサノオは数字の八にちなんだ事柄が多い
スサノオが退治したのは八俣大蛇で、八坂神社の祭神はスサノオだ
歌の「八雲立つ」というのは、出雲の枕詞になってる
これに意味を付与してみて、掖玖の字を当ててみたらどうか?
>掖玖を発(た)つ、出雲・八戸、 投馬込めに、石垣作る、ヤヘ岩を
などと意味不明になってしまうが

336:日本@名無史さん
18/09/08 06:29:08.61 .net
島人ぬ宝
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

337:日本@名無史さん
18/09/08 06:51:06.69 .net
URLリンク(www.youtube.com)

338:日本@名無史さん
18/09/08 08:38:17.84 .net
卑弥呼は古代琉球王国の巫女王で、聞得大君の前身と考えられます。

339:日本@名無史さん
18/09/08 13:09:18.07 .net
前身というかおなじ文化に帰属すると考えるべきだろう。
文化の中心が遷移するというのは普通にあることだ。
また逆に中心でその文化が失われ、周縁でのみその
文化が保持されるということもあるのだから、そのあたり
断定には慎重さが必要

340:日本@名無史さん
18/09/08 23:45:02.69 .net
青森下北半島恐山のイタコは恐山には住んでなくて八戸あたりからイタコマチに出張してるそうだ
先のスサノオの話になってしまうが、
よりによって八戸って...
イタコは北東北で、南東北にもオガミサマなど各種名の巫女文化があるようで
沖縄も含め、いずれも縄文文化圏だろ?
弥生文化の本質部分ではない気がするが

341:日本@名無史さん
18/09/08 23:48:15.19 .net
怨念に対する理性というのは、鮮やかな分類だから
逆に縄文と弥生の二分法にも疑惑の目をもつことは
あんがい大切。

342:日本@名無史さん
18/09/09 09:54:43.25 .net
社会体制と民族が違うのだから、そこを区別することには意味がある。

343:日本@名無史さん
18/09/09 13:38:31.74 .net
ちらっと検索見してる分には、
琉球神道てかなり本格的じゃね?
日本の古層文化が極まったみたいな感じでさ

344:日本@名無史さん
18/09/10 08:36:50.75 .net
八雲立つ | 古事記・現代語訳と注釈?日本神話、神社、古代史、古語
URLリンク(kojiki.ys-ray.com)
日本最初の和歌は「スサノヲの命」が詠んだといわれています。…
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
古事記の原文を翻訳してみた。 日本最初の和歌である、八重垣の歌と太安万侶。
URLリンク(plaza.rakuten.co.jp)
>「夜久毛多都。伊豆毛夜幣賀岐。都麻碁微爾。夜幣賀岐都久流。曾能夜幣賀岐袁。」 ※原文
  <八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を>

345:日本@名無史さん
18/09/10 08:37:58.92 .net
>掖玖を発(た)つ、出(い)・投馬(つま)[薩摩]、八戸垣、 苫小牧。 ・・・

346:日本@名無史さん
18/09/11 16:44:18.05 .net
>>29
池内博之の漂流アドベンチャー3「明治冒険野郎 幻の宝島を求めて」
2018年9月8日(土) 午後7時30分(90分)
URLリンク(www.nhk.or.jp)
www.lespros.co.jp/news/detail/14237
日本最東端・南鳥島と、幻のグランパス島の不思議な関係。 | 離島ナビ
URLリンク(ritou-navi.com)
幻想諸島航海記/グランパス島 - 望夢楼
URLリンク(boumurou.world.coocan.jp)

347:日本@名無史さん
18/09/12 06:58:03.76 .net
東大阪市に八戸ノ里(やえのさと)という駅がある。
名の由来は、豊臣の家臣の住民が8戸だけ住んでたことだと、東大阪に居を持っていた司馬遼太郎が説明してるそうだが、
それなら七戸ノ里や九戸ノ里もあってしかるべきで、どうにも頼りない解釈だ。
丁未の乱で蘇我馬子・聖徳太子が物部守屋を討った衣摺の戦いはその近場で起きてる。
その後、馬子は近くの高井田に長栄寺を建設している。
ここら辺りはかつては大和側がもっと近くまで流れてて、東大阪全体が物部氏の勢力圏だった。
同市にある石切神社の祭神は物部の祖先である饒速日尊であり、
石切の語源は「イシキルイ」(彼の大いなる脚)という蝦夷語で、饒速日に仕えた長髄彦のことを指している。
その東大阪にはもう一つ”八”にちなんで八尾市という地名がある
この語源は、8枚尾の鶯が止まった木を八尾木と呼んだ、弓矢の生産が盛んで矢負いが矢尾、八尾になった、
大和側の洪水防止に八百(たくさん)の杭を打ったからだとか、いんちき臭い理由が挙げられているのだが、
八戸ノ里にしろ八尾にしろ、八にちんだ地名は、八重山や八戸と同じで、
状況的にみて縄文系の言葉がルーツだと考えるべきではなかろうか?
福岡に八女市という地名があって、その音韻ゆえ邪馬台国所在地に擬す者までいるが、
書記の景行天皇の条に出てくるほど古い地名で、八女津媛に由来しているという。
しかしそれでは説明不足で、八女津媛の八女からの解釈が欲しい。
”や”(湿地)に接尾語という説明があるくらいである。
東大阪には瓢箪山という地名があって、双円墳という瓢箪型の古墳があったことから付いたそうだが、
双円墳というのは日本では数少ない一方、旧新羅の慶州には多くみられるようだ。
瓢箪にちなんだ建国エピソードがあることの反映だろうが、
日本にも帆立貝形古墳というのがあるわけで、古墳設計の思想が外観を決めてるとするなら、
前方後円墳壺型説には有利な傍証になるのかもしれない。

348:日本@名無史さん
18/09/12 07:03:57.25 .net
訂正
>大和側→大和川

349:日本@名無史さん
18/09/12 10:24:45.72 .net
八尾市に弓削町があって、
弓製作の弓削氏の本拠
他に矢作、鞍作など、
一帯は武具製造氏の拠点だ

350:日本@名無史さん
18/09/15 10:47:33.52 .net
魏志倭人伝における邪馬台国の記述
>「計其道里當在會稽東冶之東」
會稽東冶(会稽郡東冶県≒福建省福州市?侯県)の東に存在するとしてる
>「兵用矛楯木弓。木弓短下長上竹箭或鐵鏃或骨鏃。所有無與儋耳朱崖同。」
兵器には矛、盾、木の弓を用いる。木の弓は下が短く上が長い。竹の矢は鉄のヤジリであったり、骨のヤジリであったり。
持っている物、いない物は?耳、朱崖(=中国・海南島)と同じである。

會稽東冶はどこに定めるかで判断が変わるにせよ、
今の福建省あたりとみられ、
その東は南西諸島から台湾までの間のどこかにあたるのは確実
狩猟道具が海南島と同じだともする。

351:日本@名無史さん
18/09/15 10:52:09.28 .net
隋書琉球伝を見てみよう
>「流求国,居海?之中,当建安郡?,水行五日而至。土多山洞。」
   (流求國、居海島之中、當建安郡東、水行五日而至。土多山洞。)
琉求は海島の中にあり、建安郡の東に当り、水行5日で到着する。地勢は山洞が多い。

>「土宜稻、粱、?黍、麻、豆、赤豆、胡豆、黑豆等,木有楓、?談、樟、松、?塚、楠、杉、梓,竹、籐、果、藥同於江表,
>風土氣候與嶺南相類.」
   (土宜稲、梁、[广中禾]黍、麻、豆、赤豆、胡豆、黒豆等、木有楓、[木舌]、樟、松、[木便]、楠、杉、梓、竹、籐、果、薬同於江表、
    風土氣候與嶺南相類。」

 土は稲、あわ、きび、麻豆、胡豆等によろしく、木には楓、?、くすのき、松、うるち、梓、竹、藤等があり果薬は江表(揚子江の左岸)に同じ
 で、風土気候は嶺南と似ている。
   (土は稲、コーリャン、黍、麻、豆、アズキ、エビス豆、黒豆等を作るのに適しており、木は楓、ヒノキ、松、楠、杉、杏、竹、籐であり、
   果実は江表地方とほぼ同じ、気候風土は嶺南地域に似ている。)

352:日本@名無史さん
18/09/15 10:52:50.33 .net
隋書琉球伝
>「大業元年,海師何蠻等,?春秋二時,天清風靜,東望依希,似有煙霧之氣,亦不知幾千里.
三年,煬帝令羽騎尉朱寬入海求訪異俗,何蠻言之,遂與蠻?往,因到流求國.言不相通,掠一人而返.明年,帝復令寬慰撫之,
流求不從,寬取其布甲而還.時倭國使來朝,見之曰:「此夷邪久國人所用也.」
  (大業元年、海師何蠻等、毎春秋二時、天清風静、東望依希、似有煙霧之氣、亦不知幾千里。
   三年、煬帝令羽騎尉朱寛入海求訪異俗、何蠻言之、遂與蠻倶往、因到流求國。明年、帝復令寛慰撫之、
   流求不從、寛取其布甲而還。時倭國使來朝、見之曰:「此夷邪久國人所用也。」)

大業3年(607)、皇帝・煬帝は朱寛に命じて東海の異俗を探らせた。
流求国にいたり、その国人をひとり捕らえて連れ帰った。
翌年、皇帝は再度、朱寛に命じて行かせたが、流求は拒絶した。朱寛は「布甲」を持ち帰ったが、
それをたまたま来朝していた倭国使に確認したところ倭国使は「これは夷邪久国人が用いている物です」と答えた。
(大業元年、船乗りの間に、春と秋の風が静かな晴れ渡った日に、東の彼方に蜃気楼が見えるという話が伝わった、
ただ、どれだけ遠方かは判らない。
同三年、皇帝煬帝は羽騎尉(役職名)の朱寛に、海の彼方の異民族の調査を命じて何やら言った、
そして(朱寛は)出発し、琉求国に到達した。
あくる年、皇帝は再び朱寛を派遣して恫喝させたが、琉球が臣従を拒否したため、朱寛は琉求の布や兜を奪って帰って来た。
ちょどその時、来朝していた倭国の使者がそれを見て、「これは夷邪久(イジャク)国の品物です」と言った。)


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