邪馬台国沖縄(琉球)説 Part1at HISTORY
邪馬台国沖縄(琉球)説 Part1 - 暇つぶし2ch136:日本@名無史さん
18/08/13 20:38:51.96 .net
>>135
東〔魚是〕(テイ)人①ー倭国と東〔魚是〕国
URLリンク(35546864.at.webry.info)
「東〔魚是〕人」(東?人)の〔魚是〕の文字です。
*是→「ティ」、と読むときは、「ふち」「さかい」「はし」という意味につかいます。
つまり、「一番端っこ」というときに使われる文字ということになります。
そこで、「東是人」となれば、“東の一番端っこの民族”という意味となります。・・が、この場合は違います。
「是」の文字にサカナ(魚)偏が付いているのです。
このナゾを古田氏は解いたのです。それは・・・、「高句麗」の中の「麗」の文字についてです。
三世紀「魏志」の中では全て、この「麗」の文字を使っています。
ところが、宋の時代となると違ってくるのです。
「高句麗」の「麗」の文字が、五世紀の『宋書』の中では「驪」と、馬偏の付いた文字に変化して使われているのです。
これには、歴史的な由来があるのです。
(元嘉十六年〔439〕)太祖、北闘せんと欲し、璉に詔して馬を送らしむ。璉、馬八百匹を献ず。・・・・・・・・・・・(『宋書』高句驪伝) 
〔注、「璉」は、高句麗王(長寿王)の次の王の名です〕
つまり、「璉」王のとき、馬が特産物として宋王朝に献上されたことを述べているのであり、その特産物の馬に因んで、
「高句麗」の「麗」の字に馬偏を付けて、書類上の記載時には「高句驪」という名の国名に取り替えて使っていたのです。
・・・・・古田氏は、ここからヒントを得たのです・・・・・。「是」に「魚」偏を付けて〔魚是〕という文字の創出へ・・・、と。
つまり、「漢」の時代から、この特産物に因んだ名前の付け方に由来していた・・・、のだ!・・・、と。
「東〔魚是〕人」の意味とは・・・、
““列島に住む「倭人」の隣の一番東の端っこに住む、魚を献上してきた民族””に対して、「東〔魚是〕人」と名付けていた、ということです。
東〔魚是〕人②ー鯷〔魚是〕(テイ)と銅鐸
URLリンク(35546864.at.webry.info)
金印の「倭人」と銅鐸の東魚是*(とうてい)人」
URLリンク(www.furutasigaku.jp)

137:日本@名無史さん
18/08/13 20:57:05.62 .net
>>122 >>132
台湾先住民には入れ墨文化があるが、彼らは山岳民族で米は作らない
入れ墨をしてるタイヤル族というのは首狩り族で山岳地域の焼き畑狩猟民
一番多いアミ族は米を作る一方で漁業や畜産も。母系氏族だが入れ墨の習慣はないようだ。

台湾の原住民族 - 台北駐大阪経済文化弁事処
URLリンク(www.roc-taiwan.org)
2018年4月17日
台湾 先住民の入れ墨文化「紋面」消滅へ 映像などで保存
URLリンク(mainichi.jp)
>  【苗栗(台湾北部)福岡静哉】台湾で、先住民族が成人の証しに顔に入れ墨を施す無形文化遺産「紋面」の保持者が
> 90代の2人だけとなり、消滅の危機にひんしている。
>
>  行政院によると、紋面は台湾北部のタイヤル族、セデック族などが受け継いできた伝統。男性は狩猟、女性は…

138:日本@名無史さん
18/08/13 20:58:06.29 .net
なお、アミ族が米を作るようになったのはいつからなのかは不明だ

139:日本@名無史さん
18/08/14 00:36:09.60 .net
魏志倭人伝は女王の名に卑の文字をあてつけて用い、
国名には邪の文字を押し付けている
だがそこには牛も馬もいないとし、米にも言及がないのに、
なぜ国名や人名にはあえて牛や馬や米の文字を使用しているのだろうか?

140:日本@名無史さん
18/08/14 00:38:06.93 .net
縄文人というのはアイヌ人と共通祖先をもつ北方系種族とように思われて、
アイヌ人はあくまで縄文系が北方のオホーツク民と混血した者なのであって、
やはり縄文人は南方に出自し、マレーシアなどの南方系種族ということになってきてる
であれば、縄文系の沖縄民が太平洋海洋文明的特質を持ってるのは当然で、
それは倭人伝の邪馬台国の記述に示された特徴にも通じている
2011/12/05
【人類】アイヌ・沖縄同系論 研究進む祖先の歩み
スレリンク(scienceplus板)
2012/10/31
【社会】日本列島に住むヒトの集団の中では、北海道のアイヌは本土日本人よりも琉球人と近縁性が高い
URLリンク(uni.2ch.net)●wsplus/1351688582/
2014/09/18
【国内】沖縄人ルーツ「日本由来」 南方系説を否定 ★2
URLリンク(daily.2ch.net)●wsplus/1410968500/
2018/07/13
【人類学】縄文人、ラオス・マレーシアにルーツ? ゲノム配列解読[07/11]
スレリンク(scienceplus板:256番),260,272

141:日本@名無史さん
18/08/14 00:44:05.87 .net
百越は長江文明の継承者だが、
稲作は収穫高に優れて人口増産に適し、集落社会の急速の発展に結びつく
そのための灌漑を通じて社会の統制は強化されるも、
農作業に労力と時間を拘束される労働集約型の欠点がある
稲作に適した水資源の豊富な地域は大河や沿岸部に位置し、
蛋白の摂取のためには漁業とセットの産業構造となる
漁業もまた、漁師を長期間海洋に送りだすため人員を拘束される欠点がある
こうして稲作漁労社会は、農業に漁業に人を縛られて戦闘要員に事欠くことになる
一方、漢族は北方文化の黄河文明の民だ
畑作は、畑に種を撒けば勝手に作物が育ってくれる
近場の草原に家畜を放せば数人で放牧が可能で人手を要しない
魚類は痛みを感じないから下処理に気苦労は不要で、必要な道具は鋭利であるだけでよい
だが家畜の食用化のための屠殺には、その抵抗を圧し潰すほどの凶器と狂気が必要だ
それは対人攻撃にも通じる強靭さを涵養するだろう
耕作に関してもぬかるんだ稲田より、乾燥した畑の方が開墾掘削のために農機具に破壊力が必要だ
要するに稲作漁労民よりも、畑作牧畜民の方が戦闘に有利な社会なのである
戦闘力に秀でた彼らは、収穫倍率の高さからより繁栄している稲作社会に嫉妬してその富を奪いにゆくだろう
今日では火器の発達により戦闘における肉弾的な対決が不要になって、
戦闘的な気質や日常の仕事道具の特質が直接の戦闘力を分けることはなくなったがかつてはそうだった
それゆえ百越は漢族に敗れ去ったし、敗れ去ったものが華夏の外縁部に存している
倭人の主要部族もまたその一つだろう
倭国に渡った百越の子孫が築いたであろう弥生社会はその後にどういう未来を迎えたのだろうか?

142:日本@名無史さん
18/08/14 03:02:01.24 .net
>>136
東〔魚是〕(テイ)人というのはその所在するところが未確定だが、
魚を献上する漁獲に優れた民だと想像がつく
近年は中国との尖閣紛争に乗じて、
台湾が尖閣周辺の暫定水域への出漁をゴリ押ししてきて、
結果、領有権を棚上げして入漁を認めることになった
尖閣周辺は石油ガスが埋蔵されてるからプランクトンやエビがいて、
際だって魚が豊富だから漁民は喉から手が出るほど出漁したいエリアとなっている
魚是人を20数島の先島諸島の民と位置付けるならば、
そこに尖閣諸島が含まれる以上、漁業に特徴を持つ部族であるとの解釈に符合することになる
また、邪馬台国が沖縄の漁猟社会を指してるのだとすれば、
狗奴国との激しい対立の構図は、漁場を巡る争いだったのではないかと想像できてくる
もっとも古代には漁船に冷凍設備がないのだから、遠くの尖閣海域から沖縄まで
腐らせずに漁獲物を持ち帰ることは困難だったろうが、
より近海の漁場に限っても争いは絶えなかったはずだ
近年でも日本が韓国との間で抱えている竹島領有権問題はその発端が李ラインの設定にあり、
日本統治時代の竹島周辺海域での漁業権益継続を狙う韓国の横暴が背景だった
尖閣問題も発端は石油ではなく、漁業権を原点として複雑化している
アイルランドとイギリスとの間のタラ戦争も有名である
好漁場を巡る紛争が、周辺の島や岩礁の支配権の争いとなり、
やがては共同体や国家間の戦争へと発展することは自然の成り行きだろう

143:日本@名無史さん
18/08/14 03:03:10.64 .net
2015/01/15
【国際】日台漁業協定、ルール議論で平行線 現行ルールでは台湾のために「操業自粛」を余儀なくされ、日本側に不満募る [転載禁止](c)2ch.net
URLリンク(daily.2ch.net)●wsplus/1421247728/
2015/12/10
【漁業】台湾のサンマ水揚げ量、今年は去年の半分程度 [無断転載禁止]c2ch.net
スレリンク(bizplus板:24-25番)
2016/04/29
【SAPIO】台湾の「尖閣抗議団」が反日ではない理由…漁民は領土問題とは無関係[4/29]
スレリンク(news4plus板:1-2番),76-77
URLリンク(log)<)
【韓国】 日本との漁業協定 今月内に妥結しないなら「決断」=韓国閣僚 [04/05]
スレリンク(news4plus板)
2018.6.7
難航する漁業協定交渉に焦る韓国、「EEZを引き直せ」とは正気か?
URLリンク(www.zakzak.co.jp)

144:日本@名無史さん
18/08/14 04:15:09.57 .net
2014/09/18
【国内】沖縄人ルーツ「日本由来」 南方系説を否定 ★2
URLリンク(daily.2ch.net)●wsplus/1410968500/
> 琉球列島内で見ると、沖縄諸島と宮古諸島の集団は遺伝的な距離が比較的離れており、
> 八重山諸島の集団が中間に位置していることも判明した。

位置関係は北から沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島の配列なのに、
なぜ沖縄と宮古の中間に八重山なのだろうか?
もともと八重山先住民が別種で、沖縄が八重山民を追い立てて代わりに入植した結果と考えれば、
八重山先住民が東[魚是]人の中心だったと見なし得る
彼らはまさに倭国の東の端に位置し、尖閣近くの好漁場に面している
URLリンク(upload.wikimedia.org)

2013年09月13日
日台漁業協定は豊穣の海を争いと混迷の海にしている
URLリンク(maesato5688.ti-da.net)
URLリンク(img05.ti-da.net)
2016年3月5日
操業ルール現状維持 日台漁業協定、八重山・三角水域で一致せず
URLリンク(ryukyushimpo.jp)
URLリンク(030b46df30379e0bf930783bea7c8649.cdnext.stream.ne.jp)
2018/3/18
日台漁業協定 操業見直し 八重山北方 漁船間隔7キロ 4~7月、試験的に実施
URLリンク(this.kiji.is)
URLリンク(nordot-res.cloudinary.com)
2764 中国は見る(1505) 日台漁業協定調印
URLリンク(henmi42.cocolog-nifty.com)
URLリンク(henmi42.cocolog-nifty.com)

145:日本@名無史さん
18/08/14 10:11:22.68 .net
なんだかこのスレは迷走しているね

146:日本@名無史さん
18/08/14 10:40:35.08 .net
沖縄、宮古、八重山でDNAに差違があってそれが2000年前以前からだとすると、南西諸島は単一種族ではなかったことになる
海に隔絶された近場の閉鎖社会同士でそうであるなら、元来は彼らは異文化異種だったわけだ
先島か、そのうちの宮古か八重山がテイ人だったという想定が現実味を帯びてくる

147:日本@名無史さん
18/08/14 10:53:06.67 .net
それだけ近場で似た地勢環境にありながらも異種を維持し、その後の交流をもおそらく忌避してのか不均衡な混合に留まったのなら、
その理由は不服従や対立だったと考えざるを得ない
沖縄と先島は敵対関係にあったはずだ
それを邪馬台国と狗奴国との抗争になぞらえることが可能だろう
先島が台湾から南越を経て南朝に通じてたなら、沖縄は難儀を強いられながらも九州から対馬、半島を経て北朝に繋がりを求めよう

148:日本@名無史さん
18/08/14 12:03:02.32 .net
>139
記紀が蘇我氏に馬子以下、嫌みな名付をした風に、
貶める意味を込めて国名や人名に動物名などを入れるも、
難升米については教養ある漢族の出自だから免れたという解釈に至った

149:日本@名無史さん
18/08/14 12:32:33.54 .net
>>148
>教養ある漢族の出自だから免れたという解釈に至った
いや、>>148の解釈は、歴史の真実と何の関係もないから
「教養ある漢族の出自」って、どこから出てきた?

150:日本@名無史さん
18/08/14 19:21:50.08 .net
>>149
難升米は外交官のような存在だろ
中国に貢納するのに独自のつてがあり、中国語が理解できて漢字が読めたはずでナチュラル未開社会人には無理
 >>117
卑しい者が支配してる邪な国にはない物で名付けてる
牛馬がいない、だからお前が牛、お前は馬を名乗らす、みたいな
でも漢族の難升米は大事な米にしてやる、そう言う当て字だと想像してる

151:日本@名無史さん
18/08/14 19:23:07.95 .net
だから邪馬台国は米をほとんど産出してなかったと考える

152:日本@名無史さん
18/08/14 19:24:59.30 .net
だいいち名前自体が米が取れないの意味じゃないの?

153:日本@名無史さん
18/08/14 20:23:35.88 .net
それと蘇我氏も馬だの鹿だのと、
でも稲目は米なんだな

154:日本@名無史さん
18/08/15 10:52:41.58 .net
難升米が、魏志倭人伝を引用している日本書紀の神功紀では難斗米に変わる不思議

155:日本@名無史さん
18/08/15 19:13:53.95 .net
琉球説は、もう打ち止めか
早かったな

156:日本@名無史さん
18/08/15 23:26:37.26 .net
>>154
1斗=10升だ
日本側は米の量を10倍に増やしたことになる
これは倭人伝の命名の意図するところを理解してそれを屈辱に感じ、
意固地に増産したためである
それでも今日において斗米=僅かの量、僅かの給料の意味となっている
邪馬台国は米を獲れない、
それは古来より公然たる国際常識だったと言える

157:日本@名無史さん
18/08/15 23:57:50.53 .net
ナシメじゃなくてナトメじゃないの?

158:日本@名無史さん
18/08/16 07:24:44.57 .net
沖縄でも米は穫れるんだがな
>>156は、沖縄説を批判する立場なのか?

159:日本@名無史さん
18/08/16 14:28:11.61 .net
>>158
弥生時代を論じてるだぜ >>113

160:日本@名無史さん
18/08/16 18:04:11.34 .net
>>159
対馬や壱岐に比べれば島も大きいし、当時の人口分くらいの米は取れると思うけれど?
まあ、7万戸は無理だろうけれど

161:日本@名無史さん
18/08/16 18:13:48.39 .net
>>160
じゃあダメじゃん

162:日本@名無史さん
18/08/16 18:57:28.71 .net
>>161
私は、沖縄は無理だと思ってるんだけれど、
魏志倭人伝には米作、水田稲作のことは書いてないから、
米があまり取れない沖縄がばっちし条件に当てはまるって言ってる人がいるんだよ
>>156とか

163:日本@名無史さん
18/08/16 19:38:01.28 .net
7万人じゃなくて7万戸だもんな。実数だと仮定すれば
30万人くらいの大都市になる。

164:日本@名無史さん
18/08/16 19:45:05.87 .net
福岡しかない。

165:日本@名無史さん
18/08/16 20:59:42.80 .net
>>164
沖縄説のスレまで来てそれかよw
九州説は本当に自己中で、しかも頭が悪い

166:日本@名無史さん
18/08/16 21:06:46.28 .net
沖縄の可能性も検討しに覗いてみたが、やはり福岡ということに考え至った次第。
いつも福岡前提でいるわけではない。

167:日本@名無史さん
18/08/17 02:33:23.51 .net
>>160
8世紀沖縄のコメの主生産地が伊平屋だと言うんだぜ中国の史書では>>113
そしてそれ以前の生産記録はなく、
遺跡にもない
古代沖縄はほぼコメを作ってないはず

168:日本@名無史さん
18/08/17 09:56:30.38 .net
古代日本人の発音と大陸の漢字
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
魏志倭人伝に登場する人物(難升米と牛利)
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
このサイトの考察には同意できない部分がある
漢字は自己申告ではなく、中国側に一方的な当て字だろうし、
の地位やその後の足跡についても>>117の、
難升米は漢族 URLリンク(www.lun.ac)
の理解の方が妥当だと思う
ともあれ、普通の文字適用であれば、
「奴斯目」あたりが妥当ではないか?
それが”米”を含む「難升米」にしたことには相応の意味が込められたはずで、
これは對海國で<無良田食海物自活 乗船南北市糴>、
一大國で<差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴>の
「田に不足して「市糴」してる、との記述に対応したもののはず
この「田」や「市糴」について、
以下のサイトでは、
魏志倭人伝(原文、書き下し文、現代語訳)
URLリンク(www.eonet.ne.jp)
<田んぼ(稲田)に不足して、南北の国に米を買い入れに行ってる>と翻訳している
ただ、中国語では”田”=畑および稲作田の両義性があるのだから畑を意味してる可能性があるし、
”糴”に関しても、日本では一般的に米の買い入れを意味することが多いが、
厳密には穀物全般を対象にしてるのではないか?
であれば、正当な解釈は
<良い畑がない、やや畑があるのだがいくら耕しても食料を満たせず、やむなく南北に赴いて穀物を買い入れている>
という理解もあり得るのではなかろうか?

169:日本@名無史さん
18/08/17 09:58:43.96 .net
熟語の読み・一字訓読(その335):糴 糶
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
<糴:テキ、か(う)、かいよね、いりよね>
<糶:チョウ、う(る)、うりよね、だしよね、せり>
糴:テキ、か(う)、かいよね、いりよね
意味 :①かう。穀物を買い入れること。「糴糶(テキチョウ)」 ②かいよね。買い入れた米。いりよね。対)①②糶(チョウ)
大見出し:〈糴取(せどり)〉:同業者間の売買の仲介をして手数料を取ること。また、その人。「競取・糶取」とも書く。
糶:チョウ、うりよね、う(る)、せり *「だしよね」の訓掲載ナシ。
意味:①うりよね。売りに出す米。だしよね。また、穀物を売り出すこと。対)糴(テキ) ②せり。せりうり。競売。
下つき:糴糶(テキチョウ)
大見出し:〈糶取(せどり)〉:同業者間の売買の仲介をして手数料を取ること。また、その人。「競取・糴取」とも書く。
      糶(せり):①多くの買い手に値段をつけさせ、最高値の人に品物を売る方法。せり売り。競売。「・・・に掛ける」
            ②競争すること。せり合いをすること。「競り」とも書く。
      糶市(せりいち):せり売りの市。売り主が複数の買い手に価格のせり合いをさせる市。「競り市」とも書く
      糶売(チョウバイ):①米を売ること。売り米(よね)。 ②せり売りすること。競売。
=主として大字源から=
<糴>
糴価(テキカ):買い入れる米の値段。
糴穀(テキコク):穀物を買い入れること。
糴糶(テキチョウ)穀物を買うことと、売ること。
糴買(テキバイ):穀物を買うこと。
市糴(シテキ):穀物を買い上げる
<糶>
糶糴(チョウテキ):①穀物の売り買い。糴糶。 ②売り出す米と買い入れる米。
糶米(チョウベイ):米を売ること。
販糶(ハンチョウ):米を売り出す。
市糶(シチョウ):市場に売り出す米

170:日本@名無史さん
18/08/17 10:09:57.63 .net
邪馬台国が常食にしていた肉というのは豚だったのではいか?今日でも沖縄では豚料理が有名だ
また、弥生人は米は炊いて食べてたようで、
炊いて料理する習慣があるなら、野菜は生ではなく同じ様に炊いて食べるはずではないか?
そう考えれば、生野菜を常食にしていた邪馬台国では米は食べてなかったと考えるのが妥当だろう

弥生時代の人もコメを炊いて食べていた
URLリンク(best-times.jp)
 当時の生産力は高くなかったという意見もあるが、中期以降の西日本の平野部では1日に必要なカロリーの半分程度は十分に満たしていたという試算がなりたつ。
 また、倭人伝には「牛馬なし」と記されるが、家畜のブタの存在が明らかになった。…餌が与えられることによって、頭骨や歯に違い
がみられ、歯槽膿漏が増える。発見された骨にこうした特徴がみられることや、若い個体が多いという年齢構成から家畜のブタが
飼育されていたことがわかる。 
 イヌも猟犬としてだけでなく、食用にもされた。長崎県壱岐(いき)の原(はる)の辻(つじ)遺跡は一支(いき)国の中心集落であるが、
肉を取るため解体された骨が大量に出土している。 
…土器に残ったススやコゲの痕跡と出土品を比較して、…
弥生時代はコメを蒸して食べたのではなく、現在と同じように炊いて食べることが一般的であったことがわかった。
 また、古人骨に残るタンパク質(コラーゲン)の炭素と窒素の同位体(アイソトープ)の比率を分析することで、…
この手法を用いて、北部九州の弥生人がコメを含む植物質食料で8割近いカロリーを満たしていた結果が得られている。

・クリ、ドングリは縄文時代からの伝統食だが、弥生時代になっても各地から出土している。
コメの不作をカバーするものとして重要だった。
・漁でとっていたのはカキやアサリ、ハマグリ、タイ、サワラ、スズキ、コイ、フナなど。
海に近い集落だけでなく内陸の遺跡でも、貴重なタンパク源として魚介類が食された。
・狩猟ではイノシシ、シカ、野鳥などを獲物としていた。猟犬を使って弓矢でイノシシを狩る絵が銅鐸に見られる。
家畜のブタの飼育も導入された。

171:日本@名無史さん
18/08/18 07:05:34.10 .net
>>93 >>87 >>99
>>95
>>88-89
世界最速の大隆起!うごめく台湾の大地が生み出す大奇観!~『グレートネイチャー』
URLリンク(www.youtube.com)
> 900万年から600万年前、フィリピン海がプレートがユーラシアプレートに衝突して
> 堆積物を剥ぎ取るようにして持ち上げ始めた。その堆積物が海上に姿を現したもの、それが台湾。
> 今もフィリピン海プレートは年7cmという猛烈なスピードで移動している。
体感!グレートネイチャー 「“怪速”!大隆起の絶景~美麗島 台湾~」
URLリンク(www.nhk-ondemand.jp)
驚き!地球!グレートネイチャー選「美麗島 台湾 世界最速の大隆起!」
URLリンク(www4.nhk.or.jp)
8/16 (Thu) 12:00 ~ 12:30 (30分)
NHK BSプレミアム(Ch.3)
番組概要
「美麗島」と呼ばれる台湾では二つのプレートが地上で衝突、世界最速の隆起が起こっている。
断崖絶壁の大理石峡谷、月世界、朝日に染まる玉山など絶景・奇観が続々登場。
番組詳細
“美麗島”の別名で知られる台湾。その名の通り、大地には絶景・奇観が続く。
標高差千メートルの断崖絶壁、大理石の大峡谷、“月世界”と呼ばれる不思議な泥の山並み。
そして朝日に輝く最高峰・玉山。こうした絶景の誕生には、「世界最速の大隆起」「地表でのプレート大衝突」という
台湾にしかない独特の地殻変動がかかわっていた。

172:171
18/08/18 07:06:16.32 .net
台南台地の高速隆起 (1±0.5cm / 年 ?) に関連する最近の研究動向  杉山雄一
URLリンク(unit.aist.go.jp)
 台湾南西部の台南台地については,’96 ~ ’98 年の InSAR データから,約 1.5cm / 年という非常に大きな隆起速度が
報告されている.地質学的なデータからも,0.5 cm / 年程度の大きな隆起速度が報告されているが,台湾では InSAR による
隆起速度が地質学的な long-term の隆起速度の 3 倍あることが注目さ れている.

富士山より高い!台湾の最高峰「玉山」登山にチャレンジ
URLリンク(www.travel.co.jp)
玉山の旧名は「新高山」。日本の台湾統治時代に測量をしたら、富士山(3776m)より高い山であることが分かったので、
「新しく見つかった高い山」=「新高山」というわけです。標高は3952m!
皆さんの台湾のイメージと違うかもしれませんが、台湾における3,000m峰の数はなんと200座以上!
日本は21座ですから、いかに台湾が「山国」かわかると思います。
写真のようにこれらの高山が連なる姿を見下ろせるのが、玉山なのです。

173:日本@名無史さん
18/08/18 07:06:36.60 .net
>>95 >>98
与那国島海底遺跡|ダイビングサービスMARLIN与那国島
URLリンク(yonagunidiving.com)
沖縄与那国海底遺跡博物館、海底地形尺図
海底遺跡ポイント尺図及び深度図
URLリンク(www.yonaguni.jp)
沖縄与那国海底遺跡博物館、海底遺跡の調査、遺跡様地形研究資料・第1
木村教授、新嵩:「与那国島海底遺跡の遺跡様地形の調査・研究」
URLリンク(www.yonaguni.jp)

174:日本@名無史さん
18/08/18 07:13:38.94 .net
>>171-173
台湾は年1.5cmというハイペースで隆起しているという。
これはフィリピンプレートが北西方向に年7cmのスピードでユーラシアプレートに衝突し、
年3~5cmずつ沈み込んでいる地殻変動の結果だ。
この衝突と沈み込みにより海上に押し上げられているのが台湾なのだ。
フィリピンプレートは年3cm~5cm、北西方向に沈み込んでいる。
ちなみに太平洋プレートは西北西に年8~10cmの沈み込みである。
これらはいずれも大地震の発生サイクルを作り出す原動力ともなっている。
年3cmを100年継続して3mに、年10cmを40年継続して4mに達すると大地震のリスクが高まってくる。
しかしその地震で解放される歪みは一部分にすぎず、
更に年月を経て、全解放をもたらす破局的な大地震がもたらされている。
こうして隆起し続ける台湾では、標高3952mの玉山が背を伸ばし続け、
今や我が霊峰富士(3776m)をも上回ってることはけしからん話ではある。
あの決して登ってはならないニイタカヤマノボレの旧・新高山のことだ。
それどころか、あの小さな島の台湾には3000m級の高山が数百もと、まるで砂利のように転がっているのだ。
それほどこの地域の地殻変動は劇的な効果を残している。

175:174
18/08/18 07:14:39.64 .net
仮に台湾の隆起することの反対給付が沖縄の沈下であると考えてみよう。
むろん、地殻変動がもたらす物理的な関係性がそのような単純なものであるわけはないにしても、
年1.5cmのペースは2000年換算でで30mに相当してるのだから、周辺への影響は無視できない。
そちょうどそれと釣り合うように、沖縄の海底遺跡の水深は、概ね20~30mと確認されているのだ。
仮に遺跡が確かに地上から水没したのだとしたら、
それは台湾の山脈が背を伸ばすように、平均的、持続的に、ゆるやかに沈下して行ったのではなく、
周期的破断のような方式で、地の底が抜けるように突如として沈下することを繰り返してきたはずだ。
その周期性の裏付けが600年間隔と推定されている琉球列島への大津波の痕跡である。
1771年の明和の八重山大津波はM8巨大地震の副産物である。
かくして長い年月をかけて積み上げられた文明が、賽の河原のごとく、一瞬のうちに消失することになった。
繰り返された大地震津波は、かつて280年~700年の間にも発生してることが確認されている。
であれば、沖縄海底遺跡群がその際に水没したという可能性を否定することはできまい。
沖縄の海底に沈む遺構に残された矢穴や鍾乳洞は、それが確かにかつて地上にあったことを示している。
今我々がその遺構に遭遇して驚嘆する時、彼らもまた、かつて王宮として栄華を誇った時代を振り返り、
自身を愛でた地上の主との数千年ぶりの邂逅を懐かしく思っていることだろう。

176:日本@名無史さん
18/08/18 10:53:44.91 .net
>>175
>仮に台湾の隆起することの反対給付が沖縄の沈下であると考えてみよう。
>むろん、地殻変動がもたらす物理的な関係性がそのような単純なものであるわけはないにしても
沖縄もフィリピン海プレートに押されて隆起する側だよ
いい加減なことを書くとますますトンデモにしかならない

177:日本@名無史さん
18/08/18 12:08:01.56 .net
>>176
しかし東シナ海の大陸棚は琉球孤の東で窪んでるよね
沖縄トラフのことだよ
押されてただ隆起するだけならへこむはずがない
ある時、受ける力を分散するために蛇腹のようにうねりを作り出して、
隆起と沈下とを重ね合わせにする構造を作り出す
日本列島もまた東南から押し上げられるも、北方に日本海、中腹に瀬戸内海という窪みを抱えている

178:日本@名無史さん
18/08/18 12:09:00.34 .net
> の西で窪んでるよね

179:日本@名無史さん
18/08/18 12:21:42.27 .net
>>170
土地の食文化はその地域性に由来するもので歴史的なものだ
鯨と違ってイルカ食は日本人に馴染みはないが、和歌山の太地町のそれは国際的な論争を呼んでいる
今では食べなくなった鯨は縄文以来の伝統だった
壱岐での犬食痕跡は現在との繋がりを持たないが、それは鯨と同じで代替があって絶えたものだ
だが近場の韓国では今でも犬食で鳴らしている
かつて食してたのはゆえあってのことだろう
だから沖縄が豚料理に特色を持つことは地理的伝統的であり、
関西が豚の関東と比較して牛が主流であることもまた古代からの歴史的な因果を持っている
きっと沖縄にあったろう邪馬台国は豚を常食にしていたに違いない

180:日本@名無史さん
18/08/18 13:22:40.91 .net
2018/08/14
【お江戸の人らは稗や粟を食べてはるらしいどすなぁ】江戸時代の毛髪分析で食生活判明 上方人は江戸っ子より米を多く食べていた可能性
スレリンク(newsplus板)

181:日本@名無史さん
18/08/18 16:51:11.61 .net
URLリンク(geo-scape.com)
沖縄の海岸線は白砂のビーチしかないイメージだが、実際は地盤の隆起にともなう険しい海食崖が圧倒的に多い。

182:日本@名無史さん
18/08/18 17:54:21.16 .net
>>181
隆起する地点もあれば沈下する場所もあろう、時によればその逆にもなる
例えば高知で顕著に生じている >>87
この東日本震災では東北の沿岸部で複雑な変動が起きたことは記憶に新しい
邪馬台国論にさほど興味があるわけでもないが、その所在論の一つに近江説があって、過去にそのスレに
いくつか投稿してたことがある
対馬を佐渡に置き換え、水行を琵琶湖水に求めたその発想の、
コペルニクス的斬新さを認めたからだ
考古学や社会的な時事ニュースを元にしたレスだった
こうした学究歴の盲点を付く新説の弱点というのは往々に、
物理的証拠に欠くという面にある
確かな遺跡があるのなら過去に誰かの検証にさらされるのだから当然の話だ
近江と言うならそのどこなのかで隘路に陥ってしまう
あえて近江に求めた中の一つが近年発見された琵琶湖底の沈没遺跡だった
それらは比較的新しく古代遺構はまだ見出だされてはいない
だがそれにしても湖底に没して存在を知られずに済んでいた遺跡は、
その発見により新たな歴史観を創出する可能性を持ち得るだろう
そして琵琶湖沿岸部の水没は、
プレート運動に伴う隆起で成立する日本列島が、実際にはその細部において、複線的に変動してる実態を証明している
琵琶湖それ自体が隆起する地形の中で
逆方向に運動した窪みに他ならない
水没地帯はそうした潮流に飲み込まれたのだろう
沖縄についても同じ想像が成立する

183:日本@名無史さん
18/08/18 19:16:45.79 .net
>>182
>同じ想像が成立する
どこまで行っても想像でしかない
科学にはならないよ
近江は伊勢遺跡をはじめとする野洲川流域に山ほど遺跡がある
この野洲川が高天原の天安河だとか言い出す人がいてもおかしくないし

184:日本@名無史さん
18/08/18 21:48:23.67 .net
>>183
想像と言うのは沈下理由についてだよ
沈下した事実それ自体は、まさに海底遺構の歴とした存在がそれを証明している

185:日本@名無史さん
18/08/18 22:32:52.80 .net
>>184
>沈下した事実それ自体は、まさに海底遺構の歴とした存在がそれを証明している
どれのことだい?
海底遺構だと「言ってる人がいる」だけだと思ったが?

186:日本@名無史さん
18/08/18 23:01:03.93 .net
>>185
10歩譲ってそれが遺構ではないとしても、沖縄の一部分が沈んだことは事実として確定してる
なぜなら海底に鍾乳洞は形成されない
それはこのところの言い争いにケリをつけてる
沖縄は隆起してるのか沈降してるのかという件の話だ

187:日本@名無史さん
18/08/19 00:08:30.70 .net
>>186
>10歩譲ってそれが遺構ではないとしても
それが遺跡じゃなかったら、沖縄説は根拠となる遺跡が一切ないことになるよ
沈降、隆起以前の話になる
そして海底鍾乳洞一つと、海岸線の多くが地盤の隆起にともなう険しい海食崖に
なっていることを比べれば、局所はともかく、全体的な傾向としては隆起しているのは明らかだろう

188:日本@名無史さん
18/08/19 00:20:22.09 .net
沖縄の狩猟道具は海南島のそれと同一だと記されている
それは文化伝播の結果だろう
海南島先住民は百越であり稲作民だ
稲作道具もいずれ伝播して不思議でなかったはずだ
そして8世紀に沖縄では、
伊平屋にて米作が盛んだった記録が残されている
だが沖縄に弥生稲作の痕跡は認められないのである
なぜだろうか?
この事実は海底遺跡とも目される構造物の、大津波を伴ったであろう沈下の時期を示唆していると言える
縄文系の血筋からして、弥生期の沖縄に人が住んでいた事実は否定のしようがない
さて、沈下地帯に人は住んでいたでしょうか?

189:日本@名無史さん
18/08/19 00:23:25.01 .net
>>89

190:日本@名無史さん
18/08/19 00:23:48.89 .net
私もうかつだったけれど、鍾乳洞ができるほどの時間軸と、
2000年も経たない程度の邪馬台国時代を比べるのは無意味だわ
調べたら今の沖縄の隆起速度は 年に1.5ミリくらい
千年でも1メートル半くらいだ
20メートルも動いたりはしない
海底鍾乳洞ができたのはもっとずっと昔の氷河期の海退期だ
その頃にはまだ邪馬台国は影も形もない

191:日本@名無史さん
18/08/19 10:54:22.85 .net
まあちょっとうかつだったわ
検索の手数を惜しんでしまった
海底に鍾乳洞は形成されない、
そう言ったのは木村政昭であって他の誰でもない、
動画にはっきり証拠が残ってる
それを引用したまでだ
あくまでそこで形成はされないと言ってるだけわけだが
ともあれ問題は形成過程に関する見解の相違だな
宮古島は珊瑚礁が隆起して出来た島で、
200ほどの鍾乳洞が密集している
海進した水没期に再石灰堆積してそれが侵食された結果としても、
それでも一時水面上にあった海底遺物界隈の方にだって、
もっと多くの水中鍾乳洞が存在してても良さそうじゃないか

192:日本@名無史さん
18/08/19 11:03:36.39 .net
琉球弧は、
琉球海溝に押し上げられる東側が隆起し、
沖縄トラフ側の西部と、
それと慶良間海裂あたりが沈降しているものと受け止めてる
全体が隆起してるとするのはシンプルすぎだろう

南西諸島 島の位置説明図
URLリンク(www.geocities.jp)
URLリンク(www.geocities.jp)
沖縄トラフ西端部における火山・熱水活動と中軸の「セグメント化」
URLリンク(docsrv.godac.jp)
沖縄島および琉球弧の新生界層序
URLリンク(www.gsj.jp)
慶良間諸島の生い立ち
URLリンク(www.amsl.or.jp)
かごしま検定
URLリンク(books.google.co.jp)

193:日本@名無史さん
18/08/19 11:25:22.31 .net
>>191
>海進した水没期に再石灰堆積してそれが侵食された結果としても、
陸上に石灰岩層がある時点で、隆起していることの直接証拠だろ?
>>192
>それと慶良間海裂あたりが沈降しているものと受け止めてる
>全体が隆起してるとするのはシンプルすぎだろう
なんにしても、>>190に書いたように、隆起にせよ沈降にせよ、
地質学的時間スケールの話で、10万年単位の話
卑弥呼の3世紀から現代までの2000年に満たない時間では、考える必要はない
邪馬台国の遺跡は海底に没しているとかいうのは、トンデモ以上にはならないよ
これにこだわるのは止めたら?

194:日本@名無史さん
18/08/19 12:19:59.92 .net
>>193
琉球列島は隆起と沈降を繰り返して今の形になってる
現代に続いている第四紀地殻変動の全貌を完全把握は無理だろう
アトランティスは水没したとされるし、
高知の黒田郡水没伝承など複数の伝説がある一方で、琵琶湖には確かな湖底遺構が発見されている
水中考古学は開拓が始まったばかりでその成果は未知数だ
津波に現れた地上物が水没してるだけのケースが大半かもしれないが
もちろん、海底遺構の確認は決して問題の本質ではないし、そこに深入りすることのリスクはある
どっちにせよ海底物についてこれ以上書けることは残念ながらもうないんだよ
黒田郡水没伝承と海底遺構調査から 歴史南海地震を紐解く
URLリンク(www.histeq.jp)
土佐湾海底遺構調査による南海トラフ地震の地震性地殻変動と災害状況の究明
URLリンク(kaken.nii.ac.jp)
684年:白鳳(天武)地震
URLリンク(vnandb.hatenablog.com)
目撃!日本列島 地震で沈んだ“幻の村”に迫る ?“伝承”を防災に ある科学者の挑戦?
URLリンク(datazoo.jp)
黒田郡(くろだごおり)伝承に迫る
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
2018.07.06
高知・野見湾に太古の「黒田郡」集落?調査で円形に並ぶ石確認
URLリンク(www.kochinews.co.jp)
邪馬台国近江説◇論争に終止符!
スレリンク(history板:155番)-156
【歴史バトル】大型建物や鍜冶工房群発見=邪馬台国時代、国内有数規模―滋賀 [無断転載禁止]©2ch.net
スレリンク(newsplus板:825番)
【調査】琵琶湖の湖底 湖底遺跡、変色、エビ大量死500匹 新型探索ロボットが発見
スレリンク(scienceplus板)
琵琶湖に地殻変動の前兆?過去には地震で湖底に沈んだ街も|地震なら原発銀座、若狭湾岸への影響も懸念
URLリンク(matome.na)●ver.jp/odai/2139074687790853601

195:日本@名無史さん
18/08/19 13:11:49.00 .net
>>194
>アトランティスは水没したとされるし、
おいおい、それを信じて根拠にするなら、オカルト板にでも書きなよ
東日本大震災でも、何十メートルの上下方向の地殻変動なんてなかっただろ?
たかだか2000年のタイムスパンで、陸が沈んだとかいうのはタダのトンデモ説

196:日本@名無史さん
18/08/19 13:14:08.10 .net
ナイルの河口域にも沈下水没した地域があるし、ある程度それをおもわせる痕跡は
じっさいにはあるんだろうけれども、超古代文明とかまで行くのはただの「お話し」だわな。
なによりまず物証だよ。

197:日本@名無史さん
18/08/19 13:28:07.15 .net
>>190
海底洞窟とは?
URLリンク(akihisakitamura.la.coocan.jp)
>>170
Ancient DNAを用いた先史時代琉球列島へのイノシシ・家畜ブタ導入に関する動物考古学的研究
URLリンク(ir.soken.ac.jp)

198:日本@名無史さん
18/08/19 15:29:48.13 .net
>>192
琉球列島のサンゴ礁
URLリンク(dges.es.tohoku.ac.jp)
サンゴ礁の分布
URLリンク(www.env.go.jp)
琉球弧の地質と岩石:沖縄島を例として
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
東シナ海における地質構造発達史-研究レビュー-
URLリンク(www.gsj.jp)
沖縄トラフ及び南西諸島周辺海域の地質・地球物理学的調査結果?
URLリンク(www1.kaiho.mlit.go.jp)
阿嘉島、慶留間島の地質とジオツアー
URLリンク(okimu.jp)

199:日本@名無史さん
18/08/19 15:30:05.51 .net
>>140 >>144
琉球弧の考古学
-南西諸島におけるヒト・モノの交流史-
URLリンク(ac.jpn.org)

200:日本@名無史さん
18/08/20 12:30:50.30 .net
>>194 >>95
別府湾に残る地震で沈没した瓜生島の伝説とは真実なのか
URLリンク(www.jiijiblog.com)
新・地震学セミナーからの学び 12 瓜生島沈没ー日本のアトランティス物語
URLリンク(www.ailab7.com)
(瓜生島考)  豊府聞書記載の地名位置
URLリンク(www9.plala.or.jp)
伝説の島 5選! 日本の(沈没した島)アトランティス
URLリンク(matome.na)<)
ケコワの沈没都市 / トルコ
URLリンク(tavitt.jp)
美しい地中海と険しい山々(南トルコ)
URLリンク(www.eurasia.co.jp)
大地震で水没した島、ヴォルドニス島の調査
URLリンク(www.trt.net.tr)
2005年スマトラ島沖地 ニアス島及びバニャク諸島における地震に伴う海岸線変化
URLリンク(www.gsi.go.jp)
海に沈む、干上がる―漁港の街の悲しき今
URLリンク(natgeo.nikkeibp.co.jp)
太古の歴史!世界の水中に沈んだ偉大で幻想的な都市。
URLリンク(matome.na)<)

201:日本@名無史さん
18/08/20 13:37:26.13 .net
話がトンデモに振れると、人がいなくなるんだよな
まあ、しょうがない

202:日本@名無史さん
18/08/20 13:41:30.77 .net
URLやコピペみるためにサイト巡回してるわけじゃないので

203:日本@名無史さん
18/08/20 16:41:40.86 .net
一応、沖縄にもアトランティスならぬニライカナイの伝承があるからな
西じゃなくて東の彼方か海底てことだけど
もしかしたら東に千余里離れた倭種の国やら侏儒国のことかも知れないが

204:日本@名無史さん
18/08/20 23:44:07.57 .net
倭種國=伊豆諸島
侏儒國=小笠原
裸國黒齒國=マリアナ諸島

205:日本@名無史さん
18/08/21 06:59:18.23 .net
>>199
>  琉球弧は海底地形の二大境界線である吐喝嘲(トカラ)海峡(悪石島と小宝島間)と慶良間(ケラマ)海裂(沖縄本島と宮古島の間)
> を境にして、大きく「北琉球」「中琉球」「南琉球」の三つの島弧グループに区分される(木崎・大城1980;町田ほか2001)。
> 4 原史・古代
> (3)中琉球グループ
>  一方、沖縄諸島では貝塚時代後期(約2,200~1,000年前)に相当し、サンゴ礁の海を生活基盤にした「漁携文化」が発達した。
> 遺跡の立地は主に台地に生活していた人々が、標高約5m~10m前後の海岸砂丘に集落を形成するようになり、
> 遺跡集中地域が確認され、半島状に海に突き出た地形周辺の砂丘上に立地し、大規模な貝塚も多く形成されている。
> これは眼下のサンゴ礁海が漁携生業の中心であった為で、これらの大貝塚からは大量の大型貝、魚骨に加え、陸産のイノシシ骨も
> 多く出土した。それは狩猟・採取活動が活発に行われた証左でもある。
>
>  住居は砂地に掘っ立て柱を立てた四角形の平地式であった。
> (4)南琉球グループ
>  新石器時代後期(約2,200~1,000年前)に相当する。不思議なことに、今まで使用していた土器を忘れ「無土器文化」になってしまった。
> こうした現象は、オセアニア地域の一部(ポリネシア)にも認められるが、他に例を見ない珍しい現象である。遺跡は海岸砂丘に立地
> することが多く、集落規模が前期に比べて拡大している。前面に広がるサンゴ礁の海から得られる豊富な食糧資源に支えられて、
> 人口の増加があり漁携活動は頂点に達していた。

206:日本@名無史さん
18/08/21 07:01:23.06 .net
弥生時代の住居なんてて掘立小屋だろう
遺跡と言ったって穴があるだけだ
畿内九州の本土のだって、考古学者が発掘調査してるのって、
地面掘り返してここに建物跡を発見したとね
現場写真で、地面に柱跡とされる穴が並んでて淵を石灰でマークしてるやつ
コックリさんの硬貨みたいなもんで、脳内イメージで都合よく掘ってるんじゃないかと
沖縄の場合に至っては弥生集落は海岸砂丘に築かれていた
津波にさらわれたら跡形も残らないだろう穴すらも
さらわれるまでもなく年月を経たら消えてて当然だ
仮に邪馬台国が沖縄だったとしても証拠なんて残ってるわけがない
沖縄に残ってないからこそいまだ邪馬台国論は帰趨するところを知らないんだよ
まして戦災による消失があり、戦後は米軍基地の問題がある
普天間の珊瑚礁埋め立てる連中なんだから、
建設中に見つけても無かったことにして破壊したはずだ
日向串間の王の山古墳も江戸時代に農民が開墾破壊して歴史を失ってる
だが普天間返還されたら跡地から何か出るんじゃないか?

木綿原遺跡 もめんばるいせき
URLリンク(bunka.nii.ac.jp)
URLリンク(www.odnsym.com)
沖縄の歴史・文化 沖縄の“縄文・弥生時代” そのⅠ
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
沖 縄 諸 島 に お け る農 耕 の 起 源
URLリンク(publications.nichibun.ac.jp)

207:日本@名無史さん
18/08/21 07:24:33.59 .net
辺野古の珊瑚礁埋め立てるような連中なんだから

208:日本@名無史さん
18/08/21 17:04:56.59 .net
沖縄本島周辺のサンゴ礁は、辺野古埋め立て云々の前に、
本島の土地開発伴う赤土の海への流入でほぼ壊滅してるんだけどね
人間の幸せ追及の経済開発の前には、珊瑚の保護は軽んじられてきたんだよ
辺野古にはジュゴンはいない
なのに反対運動では、ジュゴンの海を埋めるなとか言い出す
まあ、邪馬台国とは関係ないからこの程度にするけれど、
>>207のような書き込みはたいていは似非

209:日本@名無史さん
18/08/22 02:27:38.76 .net
ジュゴンがいないなら連れてくればいい。
畿内説のような国家主義者はアジアの平和を脅かす隣国を脅かす日本を望んでいるのだろうが良識ある市民は平和で隣国に素直に謝罪する日本を望んでいる。
畿内説→大和文化凄い、天皇凄い→俺凄い
畿内説はこのような愚者の信奉する所である。

210:日本@名無史さん
18/08/22 11:21:46.24 .net
あーあ、このスレもゴミスレ化したな

211:日本@名無史さん
18/08/22 12:39:46.59 .net
>>208
2014/01/28
【琉球新報】防衛局、辺野古埋め立て調査でジュゴン31回確認
URLリンク(uni.2ch.net)●wsplus/1390886516/
2014/05/22
【基地問題】辺野古沿岸にジュゴン、食跡確認 2年連続
URLリンク(peace.2ch.net)●wsplus/1400762438/
2014/07/10
【沖縄】ジュゴン食跡、沖縄・辺野古沿岸部で多数発見、近くの島には貴重な鍾乳洞も…「埋め立て事業は中止して環境を保全するべきだ」
URLリンク(peace.2ch.net)●wsplus/1404947441/
2014/08/17
【沖縄】辺野古沖でジュゴン遊泳 共同通信社ヘリが撮影(画像あり)
URLリンク(daily.2ch.net)●wsplus/1408282404/
2014/08/20
【沖縄】辺野古沖でジュゴンの遊泳確認、緊迫の普天間移設現場から数キロ…海上警備でジュゴン、辺野古の海草の餌場に近づけず★2
URLリンク(daily.2ch.net)●wsplus/1408471981/
2014/08/24
【沖縄】絶滅危惧種“ジュゴン” 日本テレビが撮影に成功 辺野古沖 [8/24]
URLリンク(daily.2ch.net)●wsplus/1408877124/
2017/08/31
【生物】ジュゴン行方不明、専門家は 「工事原因の可能性高い」 沖縄本島北部c2ch.net
URLリンク(asahi.2ch.sc)●wsplus/1504175875/
2017/11/17
【沖縄】不明のジュゴンの鳴き音か 辺野古周辺海域で防衛局が8月に採取
URLリンク(asahi.2ch.net)●wsplus/1508194807/
2017/09/27
【沖縄】辺野古埋め立て予定地に絶滅危惧種の「オキナワハマサンゴ」などが見つかる [無断転載禁止]c2ch.net [485540869]
スレリンク(poverty板)
2017/10/26
【沖縄】辺野古海域の希少サンゴ 沖縄防衛局が県に移植申請
URLリンク(asahi.2ch.sc)●wsplus/1508996314/

212:日本@名無史さん
18/08/22 14:05:10.66 .net
>>211
例えば
2017/08/31
【生物】ジュゴン行方不明、専門家は 「工事原因の可能性高い」 沖縄本島北部c2ch.net
「もともといなかった」ジュゴンが「いなくなった」っていうフェイク記事だよ
こんなのを信じてたらバカを見るだけ

213:日本@名無史さん
18/08/23 07:28:15.97 .net
>>199
このサイト、コンパクトによくまとめられてるね
読むたびに発見がある
各県ごとに1ページこういうのを作って欲しい

214:日本@名無史さん
18/08/23 07:31:08.14 .net
琉球弧の考古学 -南西諸島におけるヒト・モノの交流史-
URLリンク(ac.jpn.org)
> 4 原史・古代
>  琉球弧における本土の「弥生時代~平安時代」(約2,200~1,000年前)相当期は、中琉球南半の沖縄諸島では「沖縄貝塚時代後期」、
> 南琉球では「新石器時代後期」と呼称される。九州本土の文化は、北琉球や中琉球までは影響を与えたが、南琉球に於いては
> 「琉球王国」が近世期に統一するまで、全く別の文化圏であった。
> (3)中琉球グループ
> こうした集団的・組織的な漁携活動を通して、次第に村を統括する「権力者」(首長)層が出現してきたと考えられている(新田2003)。
> 6.まとめ
> (4)大交易時代の幕開け
> 南琉球(宮古・八重山諸島)との関係:南琉球グループと北琉球グループの島々は、お互いに目視出来ない遠距離にある。
> このことが先史時代~両地域の文化的関係を疎遠にしていたが、1429年第一尚氏が「琉球王国」を誕生させた後、
> 両地域は初めて一つの政治勢力圏に統合された。
先島の宮古島と沖縄本島の距離は400kmもある
対馬海峡は200kmだ
視認できない区間を航海するのは難事業だ
對海國・一大國が乗船南北市糴と言うが、
宮古島以西(以南)の先島民は古代、沖縄本島には行ってないだろう
イメージとしては琉球諸島は一体的な地域だが、
実際には両者は古代においては完全に別の文化圏になっている
文化圏が違えば国が違うし、集団漁業の影響により権力機構が誕生している。
土地に縛られない漁業採取文化なら抗争も生じやすい
邪馬台国と狗奴国の対立だな

215:日本@名無史さん
18/08/23 07:54:54.22 .net
北琉球グループなのか、南九州なんだろうが、種子島って砂鉄が獲れるそうだね
海岸に鉄含有物が浮遊してるようなんだが、
内陸部に産出したものではなく、海底から出たものが漂着したとする説が有力のようだ
3世紀に倭人は弁辰で鉄をとってて通貨の代替としても利用している
魏志倭人伝は邪馬台国で鉄の鏃が使われてることを書いてる
まあむろん、鉄は交易で入手は可能だろうが、
古代製鉄と言えば出雲だが、なぜか種子島の名は挙がらないね
ともかくここに後世における国内統一に決定的な役割を果たした鉄砲が伝来したというのは、
物凄く奇跡的なことだと思う
Essay ★ 17 種子島:共通性と地域性 Letter★ これも種子島・砂鉄
URLリンク(geo.sgu.ac.jp)
鉄の歴史を持つ町 
URLリンク(www.eonet.ne.jp)
鉄のある町 種子鋏の町「西之表」
URLリンク(www.mtlo.co.jp)
鹿児 島県 ・ 種子 島に お ける 種子 鋏製造の 伝統的技法 に関する調査研究
URLリンク(ci.nii.ac.jp)
閑話休題:種子島までの里程
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

216:日本@名無史さん
18/08/23 07:56:59.76 .net
>>168-169
「市糴」というのは、米か穀物に限らず、広く「交易」を意味してるという解釈が正しいかもしれない
要は買い物に行くという意味だ
南北市糴(してき) 朝鮮半島と倭を結ぶ「和鉄 (てつ)の道」 8
URLリンク(infokkkna.com)
> 魏志を読むと「国出鉄、韓、?、倭皆從取之」という記事と一緒に倭人伝 壱岐・対馬の記事の中に「南北市糴」という言
> 葉がでてくる。「糴」を何と読むのか不思議で 読めなかった漢字。「テキ」と読み、「米を買い入れる」ということから
> 「交易」を意味するという。

217:日本@名無史さん
18/08/23 12:19:58.62 .net
英雄たちの選択「古代史ミステリー 巨大古墳の国際戦略~半島危機と倭の五王~」[字][再]
8/23 (木) 8:00 ~ 9:00 (60分)
NHK BSプレミアム(Ch.3)
番組概要
世界遺産推薦が決まった大阪の巨大古墳群。
5世紀中国南朝に使節を送った「倭の五王」たちの時代に作られた。
使節派遣と巨大古墳建造の理由を、東アジアの動乱の中に探る。
番組詳細
巨大古墳からは大量の鉄の武器が見つかっている。
「倭の五王」は鉄で勢力拡大した鉄の王朝だった。
ところが鉄は朝鮮半島南部でしか採れない。...
『英雄たちの選択「古代史ミステリー 巨大古墳の国際戦略~半島危機と倭の五王~」世界遺産推薦が決まった大阪の…』
URLリンク(tvpalog.blog.f)◆c2.com/bl◆og-entry-491.html

218:日本@名無史さん
18/08/23 12:35:30.79 .net
>>217は、沖縄説とは関係なくね?

219:日本@名無史さん
18/08/23 20:44:42.98 .net
鉄製品の出土数比較する時、
沖縄だけはぶられるてるね
邪馬台国は鏃を使ってるから、
無視できない要素だ
ただ酸性土壌で腐食消滅するのと貴重なのを再利用するのとで出土数との乖離がある可能性はあるけど
沖縄周辺での鉄産出に関心があるんだが、
近場の種子島の鉄は縄文を滅ぼした喜界島の残骸のようだ
沖縄の天女伝説 ⑫ 銘苅川沿いの産鉄遺跡
URLリンク(mintun.exblog.jp)
南島史が塗り替わる
12世紀製鉄炉跡の衝撃歴史新発見 鹿児島県喜界島
URLリンク(style.nikkei.com)
狗奴国の考古学「弥生時代の鉄器は熊本がNO.1」
URLリンク(wajinden.com)

220:日本@名無史さん
18/08/23 20:45:08.94 .net
弥生時代に製鉄はあった/最古の製鉄遺跡分布図2013年版
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
弥生時代の鉄鏃・銅鏃の地域別出土数
URLリンク(home.b06.itscom.net)
邪馬台国大研究 13.考古学の成果からみると
URLリンク(inoues.net)

221:日本@名無史さん
18/08/23 20:46:36.08 .net
研究史からみた 弥生時代の鉄器文化 - 国立歴史民俗博物館
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)

222:日本@名無史さん
18/08/24 07:03:13.65 .net
伊豆に眠る遺構
   ◆ 撮影・西村純/伊豆半島、林原利明・東京海洋大学非常勤講師
週刊新潮(2018/08/30), 頁:5
グラビア
伊豆沖の初島の沖合の水深20mほどの海底に、
徳川幕府ゆかりの17世紀の遺構が眠ってるそうだ
沈没した交易船の積載物らしい
黒潮に乗って伊豆を経由して航行してる中途のことで、
伊豆は中継地点として重要だったようだ
縄文人だって黒潮に乗っている
もっと探せば古代の何かが見つかる可能性も無きにしも非ずだろう

223:日本@名無史さん
18/08/24 07:35:01.80 .net
ここは邪馬台国も時代も関係なく適当なリンクを貼るスレですか?

224:日本@名無史さん
18/08/24 07:41:24.71 .net
沖縄本島における米軍基地は、島全体の中の2割弱ある
全体の中には山地や丘陵、森林も多く、
可住面積は5割だ
とりわけ米軍基地の占めてるウェートがかなりでかい
しかも普天間を典型に島の主要部に位置している
これでは考古学研究には制約が大きすぎる
森林部分も自然保護を理由として開発されることがないから、
古代村落があったとしてもその痕跡が発見されることはない
開発済み地域は遺跡なんて破壊し消し去られた後だろう
要は沖縄に関しては、考古学的知見をもってして望む結論を得ることはできない
URLリンク(www.pref.okinawa.jp)

225:日本@名無史さん
18/08/24 09:38:26.54 .net
邪馬台国にかこつけて、沖縄の「今」を語りたいだけのパヨクスレになっちゃったな
もともとその気だったのか、過疎ったところで乗っ取られたのか

226:日本@名無史さん
18/08/24 10:49:16.75 .net
肯定するにも反論するにも大して論点あるわけじゃないからな
「たしかに言われてみればそうだよな~」という
薄い反応で無視されるのが通常運転

227:日本@名無史さん
18/08/24 14:40:37.91 .net
沖縄説が本気出したら他はみんな吹き飛ばされるからな
気が気じゃないだろお前ら
怖くてしょうがないんだろほんとは
決着がついてしまうんだからな
そしたらお前ら脱け殻に屍になる

228:日本@名無史さん
18/08/24 17:12:32.68 .net
本気とやらを出してもいいんだよ?

229:日本@名無史さん
18/08/24 17:42:29.86 .net
いつ本気を出すの?
関係ない記事のURLをただダラダラ貼ってるだけじゃん?

230:日本@名無史さん
18/08/24 18:42:51.87 .net
つか畿内説も九州説もおなじ論点だらだら繰り言みたいに
繰り返してるだけで特段の進展があるわけじゃないんだけどな。
ただ架空においてる仮説はあんがいもろいところあるから
そこ互いにたたき合うなかで琉球説みたいなのも説得力
出てきたんだから、まったくのムダというわけではない。

231:日本@名無史さん
18/08/24 19:08:13.34 .net
>>230
>琉球説みたいなのも説得力
>出てきた
どこに?
【沖縄】不明のジュゴンの鳴き音か 辺野古周辺海域で防衛局が8月に採取  とかのこと?

232:日本@名無史さん
18/08/25 01:35:41.19 .net
>>199
> 5.大交易時代への幕開け
>  琉球弧の古代後半~中世期には、中国、朝鮮半島、九州本土との広汎な対外交易活動が頻繁に展開されていた。
> 中国の正史『階書』流求(国)伝636年によると流求国には「王・小王」が存在し、
> また『日本書紀』によると616年、620年、629年、631年に液玖人が倭国へ来航したことが記されている。
> こうした史書の記述から、当時の琉球弧の各島嶼には「豪族」(首長層)が台頭し、
> 対外交渉を行っていたことが理解される(金武2003a,2003b;上原2003)。

233:日本@名無史さん
18/08/25 01:36:24.64 .net
日本史に於いては、沖縄の存在は薩摩が編入したところから始まってるイメージだ
ところが奈良時代推古紀(616年)に掖玖人(屋久島人)が来朝してきて多数が帰化しており、
朝廷側からも田部連を遣使(629年/舒明天皇元年)に出してる
この掖玖というのが屋久島に限らず琉球全域を指してる
この史実には猛烈な違和感を持ってしまうのだが、
琉球が大和朝廷に入貢する理由は、
隋が大業3年(607年/推古天皇15年)以降、琉球に侵攻してきたからだ
(実際には、琉球ではなく台湾への侵攻との説もある)
こうした琉球の機敏な行動様式なら、
かつては邪馬台国として魏に貢納したと想像してもおかしくはない
この時、琉球は朝鮮の3国のような外国扱いだ
しかし騎馬民族説はともかくとして、
記紀では外国である百済を自国史にように描いてて、
ほぼ倭国の一部のようなものだし、
親近なのに百済の王子を人質にとってたり、
一方で、百済から王子が帰化してるケースもある
記紀の記述には往々にしてその意味に表と裏がありがちで、
何気ない一文に深い意味が隠されてることもまた多い。
琉球との関係には単なる朝貢以上の意味があるのではないか

234:日本@名無史さん
18/08/25 01:36:37.18 .net
琉球・沖縄史年表
URLリンク(www.ne.jp)
沖縄琉球年表 琉球・沖縄の歴史
URLリンク(www7b.biglobe.ne.jp)
69.琉球王国
URLリンク(komatsu0513.heteml.jp)
日本書紀 巻第廿三
URLリンク(hjueda.on.coocan.jp)
舒明天皇(十七)掖玖人の帰化・百済王義慈の王子の豊章を人質に
URLリンク(nihonsinwa.com)
九州王朝の滅亡と『日本書紀』の成立 ─朝鮮半島記事の取扱いについて─
URLリンク(www.furutasigaku.jp)
しまぬゆ1
URLリンク(books.google.co.jp)
地域と出版: 南方新社の十年を巡って
URLリンク(books.google.co.jp)
屋久島、もっと知りたい人と暮らし編
URLリンク(books.google.co.jp)
飛耳長目 隋書および元史の「琉球」は台湾、明から「琉球」は沖縄 
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
倭国と日本古代史の謎
URLリンク(books.google.co.jp)
「新しい歴史教科書」ーその嘘の構造と歴史的位置ー
~この教科書から何を学ぶか?~
「第1章:原始と古代の日本」批判⑩
URLリンク(www4.plala.or.jp)

235:日本@名無史さん
18/08/25 01:39:21.23 .net
この大業3年(607年)というのは、
本来は百済とともに南朝派である倭国が、
あえて遣隋使を送りだした年だ。小野妹子の派遣である
隋が琉球の王宮を陥落させ多人数を拉致連行した609年に、妹子が帰国している
先進文明の取得が目的とされるが、
対中外交はもっぱら半島情勢をにらんだ理由を持っているとしても、
時期的な関係から、遣隋使の目的には琉球問題があったのではなかろうか?
しかし琉球は当時、倭国の一部ではないのだから、それは遣隋使を出す理由にはなり得ない。
そこに倭国と琉球との解明されざる関係性があるように思える
ところでこの小野妹子というのは、実は蘇我馬子と同一人物ではないかという推論がある
小野妹子は隋で蘇因高と呼ばれたが、蘇我馬子の「蘇」に、いずれも男子名なのに「子」とつく。
妹子の子供は毛人だが、馬子の子の蝦夷と同義語になってる。
ここで隋書倭国伝に「大業三年 其王多利思北孤遣使朝貢」、
「?王姓阿毎字多利思北孤 號阿輩?彌」、「王妻號?彌 後宮有女六七百人 名太子爲利歌彌多弗利」と、
倭国王は妻子のある男王で阿毎多利思北孤(多利思比孤)だとされている
アメタリシヒコというのは小野妹子の氏祖である天足彦国押人命に通じるが、
むろん当時は女帝推古の時代だ
そうすると当時倭国の本当の王は推古ではなかったことになる

236:日本@名無史さん
18/08/25 01:50:47.77 .net
丁未の乱(587年)で物部氏を滅ぼして一極体制を確立した馬子は、
592年には”イノシシ”への夢想を理由に崇峻天皇に対して古代唯一の弑逆を実効している
遂には自邸宅を王宮と称したり、国書を編纂し出したりするなど、
専横が極まるようになった馬子は、公然と国王のごとく振る舞い出したのである
この背景に、妹子として渡隋した際、自らを国王と称し、
認知を得て下賜された品、例えば玉壁や黄幢のような物、
あるいは百済に掠取され紛失したものと後世に伝えられた、受領したはずの返書の内容、
それをして印籠のごとく掲げ、倭国の王権を簒奪してしまったのではないだろうか?
隋による琉球への侵攻時にそれがなされているわけである

237:日本@名無史さん
18/08/25 01:51:52.00 .net
一部仮説で唱えられている通り、、聖徳太子は架空の人物であり、
蘇我馬子(あるいは入鹿)と同一人物である。
史書に記された倭の五王は、その実態があくまで地方豪族でしかない
よって蘇我馬子が中国に承認された初の統一倭国王だったと言える
それは神代を引き継いだ初代天皇、すなわち神武天皇その人を指している
神武とは、馬子によって王朝が創始されるに至るまでの蘇我氏の来歴を一代記にしたものである
おそらくは蘇我氏が編纂した大王記(天皇記)を範にしたものだろう
以降の欠史八代は物部朝が列挙されたものであるり、
崇神以下、継体より前までの数代は、南朝の宋書倭国伝に記された倭の五王までの地方豪族である。
蘇我王朝を打倒(乙己の変/645年)した天智天武朝以降、
易姓革命を正当化するために創作されたのが大化の改新だ。
蘇我馬子は激しく貶められる一方で、その無視できない巨大な業績は聖徳太子のものと分離され、
名目の天皇には推古という初の女帝があつらえられることとなったのである。

聖徳太子と小野妹子と蘇我氏 No016
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
『蘇因高は蘇馬子の音訳?』
URLリンク(ggb03124.o.oo7.jp)
寄り道・『隋書倭国伝』の阿蘇山について②
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

238:日本@名無史さん
18/08/25 01:52:25.03 .net
この場合の女帝の設定に、
魏志倭人伝の邪馬台国像が念頭には置かれていないだろうか?
女王卑弥呼を弟が補佐する二元政治が行われ、
卑弥呼没後に男王を立てるも大規模騒擾が生じ、
やむなく少女の壱与(台与)に引き継がせた
この時、卑弥呼が魏に使いに出した難升米は漢族だったという指摘もある
おそらく衛氏朝鮮(BC195~BC100)遺民の、高位の燕(~BC222)系中国人子孫だろう。
彼は卑弥呼が個人で任用した一代限りの客卿だった、
ゆえに卑弥呼没後の壱与の治世には姿を消している。
しかし難升米が有能なら、人材に限りのあろう邪馬台国では、
後代においても任官されるべき存在ではないか?
難升米は国王でもないのに詔書・黄幢(魏朝の軍旗)を拝領して直接告諭を受けている。
これは難升米が魏の軍隊を動かせるようになったことを意味する。
これにより邪馬台国の王権の簒奪を企てたのが卑弥呼没後の男王たる難升米だったはずだ
ことによれば卑弥呼は難升米に謀殺されたのかも知れない
だが民衆の離反に遭って放逐されてしまったのだ
つまり難升米と蘇我馬子は同じことをやったのである
それはすなわち馬子が難升米の手口を知っていたということに他ならない
であるなら蝦夷(毛人)や入鹿とともに後世に付与された蔑称とおぼしき
馬子の“馬”の字には、特別の意味が込められていると言えよう

239:日本@名無史さん
18/08/25 01:55:04.29 .net
武内宿禰を祖とする蘇我氏は、始祖の蘇我満智が実は百済の高官・木満致と同一人物だとする考えもある
だがそれは蘇我氏を百済系渡来人に位置付けるのが目的であり、真の始祖は蘇我稲目のはずだ。
むしろ木満致に紐づけられるべき者を暗黙裡に蘇我氏に結び付けたとも考えられる。
そのような作為は、蘇我氏が、魏志倭人伝に倭国盟主と記録された邪馬台国の直系子孫となれば、
その統治と強権に正当性が生じてしまうことを嫌ってなされたものである。
馬子の墓と比定される石舞台古墳が、弥生時代に絶えて久しい支石墓(ドルメン)であることも興味深い
従来、それを南洋巨石文明の観点から語ることは少なかったのではないか?
さて難升米とは違って、卑弥呼から壱与の二代に仕えたのが掖邪拘(掖邪狗) であり、
彼が難升米の存在に取って代わっている。
この掖邪狗という名前の意味についてはいろいろ分析されてはいるが、
個人的にはそれが掖玖(屋久島/=琉球全般)に関係しているように思えてならない。

240:日本@名無史さん
18/08/25 01:55:22.97 .net
難升米は漢族
URLリンク(www.lun.ac)
伊声耆掖邪狗の正体
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
5.「伊聲耆掖邪狗」とは
URLリンク(p.booklog.jp)
沖縄出土滑石混入系土器からみた東シナ海の対外交流
URLリンク(catalog.lib.kyushu-u.ac.jp)
西都原考古博物館で「玉と王権」講演会を聴く
URLリンク(kamodoku.cocolog-nifty.com)
邪馬台国は北緯32度付近の宮崎にあった
スレリンク(history板:540番)-545

241:日本@名無史さん
18/08/25 01:56:26.63 .net
~蘇我氏の直系、韓子と百済は入鹿を逆賊に仕立てるための仇名?~
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
◆蘇我氏の出自
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
「入鹿と鎌足」謎と真説
URLリンク(books.google.co.jp)
朝鮮半島における支石墓ってどういった影響を持っていたんですか?
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
朝鮮半島の倭と日本列島の倭
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

242:日本@名無史さん
18/08/25 01:58:51.54 .net
中国統一(589年)以降の隋の対外拡張姿勢による、
琉球、もしくは台湾への示威行為は、おそらく史書に記される以前からその兆候を見せていたはずであり、
琉球人の来朝もまた、史実(612年)より前から発生していたに違いない。
570年以降に倭国との接近を模索した高句麗と蘇我氏との密接な関係は、
歴史的な北朝との結びつきに基づき、中国情勢への対応という共通の利害から生じたものと考えられる。
そのことと、北東アジアでは旧高句麗地域の北朝鮮と宮崎串間にのみ、
玉壁が発掘されていることとは関係しているのかもしれない。
かくして、琉球危機への対応が遣隋使の派遣と蘇我氏の国王即位をもたらし、
百済危機に対応して乙己の変が発生し、白村江敗北後の壬申の乱(672年)は、
倭国それ自身の危機と高句麗危機とに対応した引き起こされたのである。

243:日本@名無史さん
18/08/25 02:04:13.81 .net
>>233-242
(>233,235-237,238-239,242)

244:日本@名無史さん
18/08/26 11:34:22.68 .net
URL貼り付けの人しか来なくなったね

245:日本@名無史さん
18/08/26 14:27:48.88 .net
抜け殻に屍ばかりが転がってるw

246:日本@名無史さん
18/08/27 06:12:07.93 .net
沖縄の語源がはっきりしてないね
琉球もまたそうで、元は台湾のことを指してたとも言う
沖縄は沖合いの<な=魚>の場、漁場の意味だとする説もある
日本海側の有力氏族に息長氏があって、
天皇家に后を送り出す外戚氏族としての特質があって、
応神や日本武尊など、ビッグなとこにことごとく絡んでる
てことは脚色用の仮想氏族の線も否定はできないんだが、
天武制定の八色の姓では最上位の真人姓に位置づけられてるのだし、
そこに結び付けることの政治的な要請があると言うことでもある
系図の不明な謎の氏族で、
地盤は近江とされるが吉備播磨にも関してて、
製鉄方面の氏族と考えられてる
近江というからに、継体の出自である
そして卑弥呼に似せて潤色された神功もまた息長氏なのである
とんでも色はあるが、
この息長と沖縄とは語源が同じという説がある
今、蘇我氏=沖縄=神武の仮説に立つと、
物部氏の祖先とされてるニギハヤヒと神武との最終決戦で、
互いを天神と認め合ったことの意味が説明可能にはなる

247:日本@名無史さん
18/08/27 19:20:14.13 .net
一応、見に来てはいるけれど、意味のある書き込みがないな

248:日本@名無史さん
18/08/28 09:46:15.55 .net
琉球はサンゴや宝玉のこと。この名前自体は明から授けられたものだと
はっきりしてる。ごちゃごちゃ語源など引っくり返す必要はない。中国側からの
名称だ。沖縄は沖縄土着あるいは日本系統からの古称。「ナハ」については
解釈は分かれるが「オキ」についてはおきあい(沖合)の意味だろうとういう
のが通説。

249:日本@名無史さん
18/08/28 13:07:41.13 .net
息長という地名が滋賀県にあるけれど、
息長姓の人は全国に10世帯前後のみとみられ、
和歌山と滋賀県に分布してるようだ
先日急逝した沖縄知事が翁長おなが氏。
それと古代の息長氏(いきなが、おきなが、きなが、しなが)とが同じ語源かどうかは不明だ。
翁長は沖縄固有の苗字らしく、琉球読みはウナガ
他にもおぎなが、おおなが、おきなおさ、など10数種類の読み方があるそうである。
村名末に翁長と付く地名がいくつかみられ、それがルーツと考えられる。
なお、奄美大島には蘇刈という地名がある

250:日本@名無史さん
18/08/28 13:11:16.82 .net
翁長姓は本土人からは珍しく感じるが沖縄ではメジャー苗字で、
沖縄で数千人が名乗ってるようである

251:日本@名無史さん
18/08/28 13:15:52.85 .net
沖縄方言は本土語との音韻対応で
オ段がウ段エ段がイ段になる3母音語だとの指摘がある。
つまりオキナワは沖縄現地ではウチナーなのである。(沖縄方言にキ音はなく全てチに音韻対応している)
本土人を指してヤマトンチュ
沖縄自身はウチナンチュということからもこの語が現代にも生きていることがわかる。

252:日本@名無史さん
18/08/28 17:46:27.15 .net
ニギハヤヒに仕えて神武に討ち取られたナガスネヒコも、
沖縄に多い仲宗根という姓に似てるね
沖縄北東部の今帰仁<なきじんそん>という、
観光で有名な古宇利大橋がある村(旧・間切時代)の地名から来てるようだ

253:日本@名無史さん
18/08/28 17:48:40.32 .net
旧間切り時代というか、旧間切りから今の市町村区分までずっと続いてる村名のようだ今帰仁村つうのは

254:日本@名無史さん
18/08/28 17:50:44.17 .net
そのルーツはともかくとして、長髄彦ナガスネヒコというのは縄文系なのだと思う

255:日本@名無史さん
18/08/28 20:06:14.29 .net
>>254 それ沖縄とは無関係では

256:>113
18/08/29 01:31:46.88 .net
沖縄県 伊平屋島 クマヤ洞窟(天の岩戸)
URLリンク(www.nakamurajunko.com)
伊平屋島 クマヤ洞窟
URLリンク(www.okinawainfo.net)
伊平屋島
URLリンク(www.vill.iheya.okinawa.jp)
クマヤ洞窟
URLリンク(project311.jp)
URLリンク(project311.jp)
URLリンク(www.okinawastory.jp)
URLリンク(www.okinawastory.jp)
URLリンク(www.okinawastory.jp)
沖縄の天の岩戸伝説、クマヤ洞窟の風景 - 沖縄県伊平屋村
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
クマヤ洞窟(伊平屋)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

257:日本@名無史さん
18/08/29 01:32:12.92 .net
伊平屋島 クマヤー洞窟 天の岩戸開き
URLリンク(www.youtube.com)
2010年3月21日 沖縄~春分の日のお祈り(天岩戸にて1)
URLリンク(www.youtube.com)
伊平屋島1話 神武天皇がお生まれになった場所
URLリンク(www.youtube.com)
沖縄県の伊平屋村へようこそ
URLリンク(www.youtube.com)

258:日本@名無史さん
18/08/29 01:32:33.10 .net
天岩戸神社 “岩戸神話”の聖地を巡る|たびらい宮崎
URLリンク(www.tabirai.net)
URLリンク(www.tabirai.net)
仰慕ケ窟(ぎょうぼがいわや)
天岩戸神社、天照大神から光の祝福!!
URLリンク(www.youtube.com)
高千穂の天の岩戸は偽物では?
URLリンク(www.youtube.com)

259:日本@名無史さん
18/08/29 01:41:39.31 .net
URLリンク(www.tabirai.net)
仰慕ケ窟(ぎょうぼがいわや)
高千穂へ 紅葉と雲海と夜神楽を求めて一泊旅行
URLリンク(www.jalan.net)
URLリンク(www.jalan.net)
ぎょうぼがいわやの写真素材
URLリンク(pixta.jp)
天岩戸神社・天の安川原・「仰慕窟」(ぎょうぼがいわや)
URLリンク(www.geocities.jp)

260:日本@名無史さん
18/08/29 04:00:49.08 .net
江戸時代に藤貞幹と上田秋成が本居宣長と論争してる
貞幹は神武年代を否定し、神武が太伯の末裔で、恵平也(伊平屋)の生まれ、
天の岩戸はクマヤ洞窟としてる
このうち、神武の在位繰り下げは当然だし、
太伯の末裔というのは、弥生倭人が百越ルーツとする観点からは間違いとも言えない。
天の岩戸も、宮崎の仰慕ケ窟よりは確かに伊平屋のクマヤ洞窟だ
神武の母・玉依姫は、海宮(あまみ)の玉依彦の娘で、
この海宮が伊平屋だとするが、そこは奄美と言うならわかるが

261:日本@名無史さん
18/08/29 04:08:48.98 .net
伊平屋島は伊平屋伊是名諸島に属している
仲宗根の地名の今帰仁村のある、沖縄北東の東シナ海に突き出た本部半島の沖合だ
そして本部半島と伊平屋島の間にあるのが伊是名島
これが伊邪那岐・伊邪那美と同音じゃないか
論争が江戸時代からとすれば、
神話にかこつけて後から命名した可能性も否定はできないが
伊平屋伊是名諸島というのは伊平屋と伊是名を含む7つの島からなってて「伊平屋の七離れ」と言われてるそうだが、
伊邪那岐・伊邪那美は神世七代の中に入ってる

伊是名村 - 伊是名島
URLリンク(vill.izena.okinawa.jp)
URLリンク(vill.izena.okinawa.jp)
伊平屋村データ > 歴史  由緒ある島・伊平屋
URLリンク(www.vill.iheya.okinawa.jp)
質問(Question)
神武天皇の母(母方の親戚)が沖縄の人だったということについて書いてある資料を見たい。
URLリンク(crd.ndl.go.jp)

262:日本@名無史さん
18/08/29 04:19:19.22 .net
訂正
> 沖縄北西の~本部半島の沖合・・

263:日本@名無史さん
18/08/29 18:23:25.63 .net
このスレ、500まで届くかな?

264:日本@名無史さん
18/08/30 13:53:33.80 .net
那覇というのはもともと島だったそうだ
海を埋め立てて本島とドッキングさせたんだってよ
嘘みたいなほんとの話だ
東京も大阪も元は湿地だったのを埋め立てたんだから似たようなもんだろうけど

265:日本@名無史さん
18/08/30 13:57:09.53 .net
へーそれは初耳だな

266:日本@名無史さん
18/08/30 13:59:44.74 .net
wikipediaに普通にのってたわ。こういうのは意識して読まないと
スルーしちゃうな。

267:日本@名無史さん
18/08/31 18:35:25.28 .net
>>264
>那覇というのはもともと島だったそうだ
何をもって「那覇」とするのかってのもあるけれどね
ウィキペディアを読むと「那覇は国場川河口の港」で、
その河口にいくつも島があったということみたい
港町が那覇で、島まで含めて埋め立てって港湾整備したということなら、
那覇が島だったというのも少し違う気がする
まあ、ウィキペディアの記事以上のことは知らないから、
うるさいことを言うつもりはないけれど

268:日本@名無史さん
18/09/01 07:41:52.01 .net
藤貞幹はスサノオノミコトを新羅国王だと言って激しく非難された。
確かにスサノオは新羅に逗留後に日本に来てるからそう受け取るのは自然ではある
むしろ貞幹の思考の柔軟性は当時として驚くべきほどだが、
新羅から倭国に向かう動きが、渡来人固有だという認識は、
根本から錯覚であるケースも多いだろうとは思う
新羅(もしくは意富加羅)からアメノヒボコ[天日槍/天之日矛](都怒我阿羅斯等)が
日本にやってきたことを記紀が紹介してる
播磨から淡路、近江、若狭を経て但馬に定着しているが、いずれも神武の東遷ルートに関係しており、、
定住地に選んだ但馬はおそらく鉄の運搬中継地に適すると考えたと思われる
都怒我阿羅斯等は「角がある人」の意味に解されてるが、
元は新羅の官職名の「角干(カッカン)」と名前(アリシト=敬称)を足したものを
和語読みしたものと考えれば、それは百官名であって、言わばニックネームだ
蘇那曷叱智というのも同名別音である
いずれも同一のエピソードを指してると見られてる。
新羅系と思われて、しかし天日槍は歴然と和名である

269:日本@名無史さん
18/09/01 07:42:23.36 .net
日本の古代史理解では、倭国と百済王家との密接な関係を重点に置いて考えるから、
新羅との関係も同様の方向性で認識してしまいがちだ
しかし新羅の建国史を読むと、倭人がそこに深く関与してることが分かる
日本側の新撰姓氏録においては、神武天皇の姉・稲飯命が新羅王朝の祖であるとされている。
朴氏初代の朴赫居世に仕えた倭人・瓠公(最高官位・大輔)は朴赫居世と同一人物と考えられてるし(朴=瓠[ひさご/瓢箪])、
朴赫居世は国号を徐羅伐(ソラボル)と定めたが、ヨナバルと読んだら沖縄の与那原がちらついてしまう。
昔氏始祖の脱解尼師今は倭国の東北一千里の多婆那国出身の倭人だ
金氏始祖の金閼智(あっち)は神話上の人物だろうが、瓠公が拾ってきてる。
「閼智」は知恵者(小さい子の意味とも)で、アリシトと同じ敬称的意味。
瓢箪は干ぴょうの原料で、食用のユウガオが今日の日本では栃木県が生産の中心だが
沖縄でもよく食されてる野菜で、生でも炒めても食べるそうだ
瓠公は腰に瓢箪をぶら下げてたからそう呼ばれたが、
瓢箪を浮きにしていかだにくくりつけてたのかとも思ったが、
真水を入れる携行容器に瓢箪が最適だと言うことだろう
ポリネシアの東部では長い航海に活用してて、特にハワイでは文化上の重要素材としても利用されてきた
南洋文化としての瓢箪が縄文文化圏に伝わってきたからか、
日本海側の福井や琵琶湖の縄文遺構から瓢箪の種が発掘されている

270:日本@名無史さん
18/09/01 07:42:51.85 .net
三国史記の言う、倭国東北一千里(400km)の多婆那がどこを指してるのかも重要なテーマだ
但馬、丹波、玉名(肥後)などが候補になってるが、
倭国の起点をどこに置くかが問題で、
大和に置くなら東北地方になってしまうし、福岡に置いたら能登半島に飛んでしまう
海流を読んで、海に流した時に加羅から慶州に辿り着くことも条件に挙げなければならない
まさに邪馬台国の所在論争さながらの難しさで今なお決着がついてない
仮に起点を沖縄に置いたてみたらどうだろう?
種子島(多禰)が候補に入るし、射程を延ばせば日向、無理すれば玉名も入る
しかし倭国を沖縄邪馬台国と考えるなら魏志倭人伝の知見の流用なのだから、
距離は短里にすべきで、すると奄美になるが、奄美のどこを探してもタバナという地名がない
しかし三国遺事では龍城国(ワナ国)とされてる。奄美には龍郷町という地があるのである(大和村もあるが)。
また、三国史記には母の国が女(ヨ)国だと記されている。まさに卑弥呼の国ではないか。
奄美から船で流せば黒潮に乗って対馬に流れ、対馬から東鮮暖流により、加羅、慶州へと流れてくれるのである
近代に入ってからでも丸木船に乗った沖縄の漁民が黒潮で対馬まで漁に来てたという証言があるから
それはごく自然な現象だと言える
奄美から玉名を経て慶州に漂着したか、
奄美から慶州を経て但馬へと向かう定型的な航路を通っただったということではないか?

271:日本@名無史さん
18/09/01 07:43:11.64 .net
中国の山海経に「蓋国は鉅燕(きょえん)の南、倭の北に在り。倭は燕に属す」とある。
BC300年頃で、この倭というのはおそらく縄文倭を意味してると思われるが、
縄文交易ルートは、沖縄から朝鮮半島を経て糸魚川へと続く広範囲の経済文化圏を形成していて、
古代から、瓢箪に飲料水を詰めて、縄文人が日本海ルートで航行していていた歴史が、
その後の裏日本の交易ルートにずっと生きていたということだと考えられるわけなのだ
その時、沖縄から裏日本への最短航路は、一旦朝鮮半島を経由し、その東海岸から海流に乗って
出雲や越への漂着するというルートだったように思われるのだ
そのルートで、遼寧文明が山陰や近江にもたらされたと考えられる
弁辰の鉄は倭国の死活的戦略物資だったが、それをサウジアラビアの石油に例えるなら、
糸魚川の翡翠や沖縄の貝(夜行貝・子安貝)は工芸品はもとより、殷では通貨として利用されており、
南アフリカのダイヤモンドや金に相当する価値を持っていたと言える。
そのたえ中国北朝、高句麗、新羅、沖縄の提携網において、沖縄の占めた地位は大きかったはずで
その文脈において考えてみて初めて、新羅の建国主体に倭人がいることの意味が理解されてくるはずだ
辰韓地域は元、秦や燕の遺民からなる寄せ集めゆえに、外部権力に依存して統一を図ることになったのだろう
その後に百越が朝鮮南西部や九州・瀬戸内に弥生文化を確立し中国南朝と結びついてゆく中、
日本海文化圏はそれと併存しながら一貫して先進文化地域だったと考えられる

272:日本@名無史さん
18/09/01 07:46:24.62 .net
こうして一口に言って新羅王家や高官と言えど、その実態は倭人であることが十分考え得るわけで、
スサノオが高天原を追われ、新羅を経由して出雲に定着したこともまた天之日矛と同じ足跡にあたるわけである。
天之日矛/都怒我阿羅斯等(蘇那曷叱智)の話に戻ると、
日本海側の有力氏族に、皇室との外戚関係に特質のある息長オキナガ氏という氏族があるが、
それが沖縄・翁長と同一語源でないかという推測が可能である一方で、
これをソナガと読んだらどうだろうか?
蘇那曷叱智の音に通じてくるし、ソ(ナ)ガ=蘇我でもある
蘇我氏=小野妹子とすれば、その始祖は天足彦国押人命で、当時の倭国王は阿毎多利思北孤
蘇我氏もまた、息長と同様、皇室に嫁がせて姻戚関係を構築することに努めた氏族である。
ここから、蘇我=都怒我(蘇那曷)=息長、天=阿毎となる。
蘇我氏(のちの石川氏)や息長は後世に創作された氏であって、
当時は存在しなかったはずだ。
彼らの真の姓は「天(アマ)」である。
ではその「天」姓は何に由来して生まれたのかでだ。
天武の時代には既に「海見」「阿麻弥」としてその名が残されている「奄美」ではなかろうか?
奄美開闢神話の女神・阿摩弥姑(アマミコ)に由来するとも言われるが、
これが琉球のアマミキヨ(アマミク)と同一だとされている
語源はオーストロネシア語のアマン(やどかり)だという説もある。

273:日本@名無史さん
18/09/01 08:21:54.93 .net
>>272
>ここから、蘇我=都怒我(蘇那曷)=息長、天=阿毎となる。
>蘇我氏(のちの石川氏)や息長は後世に創作された氏であって、
>当時は存在しなかったはずだ。
>彼らの真の姓は「天(アマ)」である。
ほうほうと思って読んでいたが、この辺りでトンデモだと確認した。
あれこれを後世の創作と呼ぶのは、大抵が何かを誤魔化している。
そして、姓がアマというのは、天皇家そのもののことだ。

274:日本@名無史さん
18/09/01 08:26:10.45 .net
>>273
天皇に姓はないことになってるわけだが
それに蘇我氏は簒奪によって天皇になっている
なった事実を後世に消されただけだ

275:日本@名無史さん
18/09/01 08:29:45.79 .net
もちろん、本当はあるんだが、出してないだけだという考えもあり得る
だが、出さないでいるのだとするのなら、それは出せないからだ
出すと不都合があるからずっと隠してたということになる
そういう姓として考え得る姓があることは確かだが、
少なくとも天皇の姓がアマならそれを隠す理由などどこにもない

276:日本@名無史さん
18/09/01 08:47:09.89 .net
沖縄=高天原が前提になってくる
その上で蘇我氏が天(アマ)氏であり、神武が蘇我氏であるのなら、
まさしくそれが天孫天神建国神話の原点になる
仮説と呼ぶべきか妄想にすぎないかは別として
もっとも、さすがに琉球の中山世鑑(17世紀作)を持ち出して天孫氏王統は記紀の天孫族なりなどとは、
荒唐無稽すぎて誰も言い出したりはしないけど

277:日本@名無史さん
18/09/01 09:19:03.93 .net
完全版 天皇家の謎
URLリンク(books.google.co.jp)
 つまり、天皇家は日本にひとつしかない特別な「家」だから、「姓」や「氏」などで他者と判別する必要はない、というのである。
 では、昔から一度も姓をもったことはなかったのだろうか?
 たとえば、中国は歴史書『宋書』には、「秋七月甲辰、安東将軍倭国王倭濟、安東大将軍に進号す」との記述がある。
ここには「倭国王である倭濟」―つまり、「倭」という姓を名乗っているのだ。
さらにいえば、推古以前の「天皇の」名前、「大王」がもともとの姓だったのではないか、という指摘もあるようだ。
 確かに、最初から天皇家だけが唯一無二だったという説明は受け入れがたい。
天皇家の姓は、勝ち抜き、国家の支配者となる過程で失われた―そう考えるべきなのだろう。

278:日本@名無史さん
18/09/01 09:25:44.56 .net
高句麗の王姓「高」、新羅の「金」、百済の「余」
これらはいずれも国名や民族名を仮の姓に利用しただけで、本来的な姓ではない
日本の天皇家がこれにならうなら、
天皇家の仮の姓は「倭」もしくは「日」ということになる
「倭」は蔑称で、日本に改名したのは7世紀だからね
すると「日」だなんて、今さらもういいやということになったのでは?

279:日本@名無史さん
18/09/01 09:25:56.04 .net
>>274
天皇家に姓がなくなるのは後世のこと。
隋書にはおう姓はアマとあるし、記紀でも多くの王族が「天の~」とある。

280:日本@名無史さん
18/09/01 09:28:03.40 .net
古来は、王姓とその国邑の名はそもそも一致するものだった。
それだけのこと。

281:日本@名無史さん
18/09/01 09:28:35.47 .net
>>279
後世に、などというのは大抵が何かを誤魔化している。
なお、隋書では推古天皇時の男王で破綻してるから

282:日本@名無史さん
18/09/01 09:31:19.88 .net
古代において、大王、大連、大臣らの間にどれだけの格差があったかは定かではない。
乙巳の変の前に蘇我蝦夷が国記を編纂していたのは、蘇我家が王家として機能していたことを意味する。
物部氏もアマテラスの直系の、大和においては神武より古い王統であり、倭王として列せられるべきだろう。
天皇家が最高位というのは、8世紀以降の創作かもしれない。

283:日本@名無史さん
18/09/01 09:31:52.03 .net
>>281
破綻しているのは、記紀の方。

284:日本@名無史さん
18/09/01 09:36:56.83 .net
>>279
古代だと後から付けてるケースが多いのでは
つまり、天孫天神という概念が導入されたから、
それに準ずる方式で命名してゆくと

285:日本@名無史さん
18/09/01 10:52:05.27 .net
そうでもないだろう。
天孫は天孫なんだろう。
ただ、当時は絶対的優位かどうかわからないということ。
記紀は創作による足し算ではなく、都合の悪いことを書かないという引き算で歴史を歪曲しているように思える。

286:日本@名無史さん
18/09/01 11:05:12.92 .net
【福島が羨む、地元愛】 辺野古で立ち上がった県民  <安室奈美恵>  国民的人気ナンバーワン歌姫
スレリンク(liveplus板)

薩長に屈した会津と琉球、200年たって大差がでた。

287:日本@名無史さん
18/09/01 12:01:39.58 .net
天之日矛は貢物を納めて、定住する先を探したいと各地を見分して、
近江を回って但馬に落ち着いた
その名からして自明だが、明らかに戦闘士の名前そのものだ
彼は、瀬戸内から河内、大和へと侵攻する計画の神武を、
武器の供給と補給の体制を構築する後方支援部隊の指導者であり、
諜報工作員である。
使者の懐に小刀を忍ばせていたことが露見して、
神社に奉納を強いられるも、消失して淡路で発見されたという逸話を加えることで、
書紀はその素性を知らしめている
近江の琵琶湖から淀川水系を利用することを想定したが、
但馬から播磨、そして淡路へのルートを選択した
淡路には大規模な製鉄遺構が発見されている
それは神武が利用した武器庫であり侵攻のための前衛基地である
もちろん天之日矛は人物ではなく、渡来集団の総称にすぎないという見方もある
それはどちらでも同じことだ。
問題はなぜその天之日矛は、天神でもないのに「天」と名乗っているのかだ
理由は単純で、最初から天氏だったからだ
天神でもないのに天氏の者があるなら、
天神すなわち皇族は皆、天を名乗らせるしかないではないか

288:日本@名無史さん
18/09/01 12:17:02.42 .net
鉄は古代、至高の戦略物資だ
ゆえに製鉄氏族と目される息長氏≒天之日矛の役割は重責だったと言える
日本神話ではアマテラスより上位になる最高神の一人、
タカミムスビ(高皇産霊尊)の表記に含まれる”高霊”の字が、
大伽耶国の地にある高霊を指してるとして、
ゆえにそこをして高天原だとする愚論を唱えた者がいるが、
仮にタカミムスビが高霊の地神であるとするなら、
それはその地が倭国が供給を依存する鉄の産地だからこそ神聖視されるということだ
>>220-221
製鉄の重要性(古代史の復元)
URLリンク(www.geocities.jp)

289:日本@名無史さん
18/09/01 12:34:39.68 .net
倭人伝に見る日本人(縄文、弥生時代): 東邦異聞録
URLリンク(sundaymorning10.cocolog-nifty.com)
3.文献は語る -中国正史の前に-
URLリンク(inoues.net)

290:日本@名無史さん
18/09/01 19:02:21.90 .net
やたら、鉄が、鉄が、って言う人が多いけれど、
弥生時代に鉄を使っていないところなんて逆にないと思うんだが?

291:日本@名無史さん
18/09/01 20:55:09.48 .net
纒向とかいう田舎があってね、鉄が見つからないんだってさ。
そこが卑弥呼の王都だなんて夢見ている狂信者もいるらしいけど。

292:日本@名無史さん
18/09/01 22:13:56.75 .net
鉄は九州が押さえているから巻向には鉄がないとか言う人がいるけれど
その向こう側の1世紀の登呂遺跡で鉄を使っていなかったと考えている人はいない

293:日本@名無史さん
18/09/02 07:19:42.94 .net
纒向が屈指の後進地域だったというだけ。
真空地帯だったから次世代においては何もないところで開発が進んだかもしれないが、3世紀においてはただの辺境。

294:日本@名無史さん
18/09/02 07:37:43.11 .net
>>294
>真空地帯だったから次世代においては何もないところで開発が進んだかもしれないが
その理解でいいよ
卑弥呼の共立に伴い、倭国で初めて「何もなかったところに計画都市を造った」のが
纒向遺跡なんだから
開発が進んだ次世代っていうのが、既に3世紀半ばに訪れている状況だよ

295:日本@名無史さん
18/09/02 07:39:02.36 .net
>>294
>纒向遺跡なんだから
その纒向が辺境の後進地域だったという話なのだけれど?

296:日本@名無史さん
18/09/02 09:23:36.40 .net
纒向は開発計画が頓挫した未来都市だろ
頓挫したからには国家存亡の危機に直面したからに他ならない
4世紀初頭の頓挫となれば、古墳時代の勃興と同時なんだからその意味は大きい
それはその後の支配層の変更に直結してくる
だいいち纒向からは大陸との交易品の遺物が出て来ない
魏に朝貢してるのだから何かしら大陸由来の物がないとおかしい
それに邪馬台国特産のはずの絹も出てこない
そこは邪馬台国とは何の関係もない場所だ

297:日本@名無史さん
18/09/02 11:14:44.28 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と単粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は単粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。


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