18/10/08 08:48:58.08 .net
細かいところは自信がないが>>69を訳してみる
>鄭思肖『心史,雑文,大義略叙』
>「辛巳(1281年)六月, 韃兵由明州渉海,至倭口,遭大風雨作,人与船倶陥,叉大敗而回。
>倭遣使責占城不戦而附韃 。占城有悟意,始背元韃。」
「韃」や「元韃」は元、「占城」はベトナム南部のチャンパ王国だから
>元兵が明州か、海を渡り日本の海岸に至ったが、大風雨にあって人と船を失い、大敗して撤退した。
>日本は使者を派遣してチャンパが戦わずに元に従ったことを責めた。チャンパはその意を悟りはじめて元に背いた
だと思う
ただ元の勘違いの可能性もあるし
ググってみるとこの『心史』が信用できるかも疑わしい気もする