19/09/08 06:35:23.30 .net
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ぼくは卒業論文で中世・高野山の収取関係を考察しました。これがいま読み返してみても
よくできた論文(家内はぼくの全論文の中で一番だと評します。何だか研究者としての進歩がないみたいで、
それはそれで問題ですが〉で、ところが指導教官の五味文彦先生からは高い評価をいただけなかった。
それでぼくは、なんだよ、じゃあありきたりな政治史をやるよ、と「ぐれ始めた」のですが、
それは措くとして。分析の場として注目したのが、高野山領の名手荘でした。
中世は高野山領の荘園で、土地の有力者として由緒正しい大和源氏である宇野氏、
丹生屋氏がいた(この家は江戸時代以降、妹背家を名乗って郷士になる。自らの身を以て
麻酔薬を試し、失明した青洲の妻は妹背家の出身)。
彼らは武士として在地を支配するとともに、子どもの一人を高野山に送り込んだ(高野山内の拠点として、
蓮上院という院家を営んだ)。高野山の近隣の荘園からは同じように在地領主出身の僧侶が送り込まれていて、
彼らは連繋・協力して(中世では一味するといいます)高野山の運営を掌中に収めた。
だから中世後期の高野山は、在地領主の集結する場として、大名と似た権力体として
機能した、と若き日のぼくは分析したのです。
この分析はとてもよくできたので、ぼくは後に放送大学の教材として用いました。
すると放送を見た方からクレームが来たのです。何だと思います?