19/06/27 01:36:06.21 .net
>>268
そもそも権門体制という概念は、武家寺家社家公家摂関家様々な権門の利害対立をそれらの頂点に立つ王家が調整していた、と考えられて来たわけで、その王家の座に武家が座っているイメージです。
元寇の段階ではまだ全国一律支配とは言えないんじゃないかな。武家地以外の土地への支配権はかなり限られてるし、武家地支配にしても荘園制という王朝国家の枠組みあってのものであることは、忘れてはならない。
様々な権門が王朝国家・荘園制という枠組みに相乗りして利益を分け合っていたという視点は東国国家論にはないもので、権門体制論のすぐれたところだと思う。